マルティン・ルター――ことばに生きた改革者 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004313724

感想・レビュー・書評

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  • 人間は自分自身の罪深さに絶望し、神の恵みをいただくしかないのだというルターの主張が、浄土真宗の親鸞の教えにとても似ていると思った。

    ルターといえば、教会の悪習を糾弾して新たな理論を打ち立てた神学者で、農民の一揆などには冷淡だったという印象もあるが、実際は民衆のために聖書をドイツ語に翻訳したり、讃美歌を作ったりと、民衆のことを大切に考えていたのだろう。本書でも、ルターは人々の魂の救済を第一に考えていたとあった。

    また、ルターは初等教育にも尽力した。当時子どもは働き手であって、教育を受けさせようと考える親が少なかったなか、ルターのおかげで初等教育が広まったそうだ。

    この本を読んで、もっとルターのことが知りたくなったので、少し勉強してみようと思う。

  • 宗教改革を展開し、現在のプロテスタントに繋がるマルティン・ルター。非常に読みやすい文体で、スラスラと読めました。
    この本で描かれているルターには、キリスト教に対する深い理解と、熱心な信仰、そして自身に向き合う誠実な態度がありました。それらのどれか一つが欠けても宗教改革に辿り着くことはなかったでしょう。

  • 全180ページのマルティン・ルターに関する小振りの評伝。ルターといえば、世界史の授業で、95か条の論題を教会の扉に貼りつけて、ローマ・カトリックに真っ向から喧嘩を売った人と思われているだろう。しかし、貼りつけた事に関しては、ルター自身は何ら言及しておらず、同時代の人々の目撃証言に当たるものもないとのことである。

    神の「義」の再解釈
    ルターの業績は、当時のキリスト教的統一世界において何が画期的だったのか? それは神の「義」を再解釈したことである。ルター以前は、神の「義」とは、「努力を怠る人間に対して、怒りをもって裁きを下すもの」として捉えられていたが、ルターは、神の「義」を「神からの『恵み』であって、イエス・キリストという『贈り物』として人間に与えられたもの」と解釈した。ルターによって、神は恐ろしい「裁きの神」から慈しみ深い「恵みの神」として再解釈されたと言える。

    十字架の神学
    ルターは「十字架のみが我々の神学である」と説いた。中世では、十字架とそこに磔にされたキリストの姿は、”忌むべき象徴”として捉えられていた。その像を180度逆転させて、むしろ無残に磔にされたキリストの姿こそ、神が人間に与えた「義」であり、人間の救いとは、キリストの受難と十字架の姿を、”神のあるがままの姿”として受け入れることで成就するとした。

    聖書というテキストの再翻訳
    ルターの大きな業績の一つとして、聖書をドイツ語に再翻訳したことも挙げられる。当時、聖書はラテン語に翻訳されていたが、民衆はラテン語を理解できず、単にローマ・カトリックから派遣された司祭の言葉を聴いているだけだった。ルターは民衆が日常で使っていたドイツ語に再翻訳したことで、聖書を大衆と共に「読む」行為が生また。それにより、ローマ・カトリックによる独占的な解釈が打ち破られ、民衆が各自で信仰と向き合うようになった。これが後の宗教改革へとつながったとする。宗教改革の元の語は、”Reformation(再構成)“である。本書では、Reformationにより、「キリスト教的統一世界であった西欧が、ルターの始めた運動をきっかけにして細分化し、キリスト教世界であることは変わらないものの、従来のあり方とは全く別の多様なキリスト教世界に再形成された」 (P.117) とまとめている。

    他にも、ゲルマン世界においては、損害に対して等価の賠償を必要として、その賠償には代理を持って当てられるという慣行があった。これが「贖宥」の起源である話も面白い。ルターを通して、中世の歴史と当時の社会が熟練の筆致で書かれており、大変おすすめである。日本人には解りにくいルターの思想を初めて知るには最適な新書であろう。

    評価 9点 / 10点

  • 【宗教改革とは、そのルターが、聖書のことばによってキリスト教を再形成した出来事であった】(文中より引用)

    16世紀ヨーロッパにおける「宗教改革」を語る上で、決して欠かすことのできない人物であるマルティン・ルター。その半生を「ことば」というテーマで切り取りながら描いていく作品です。著者は、ルーテル神学校名誉教授を務める徳善義和。

    マルティン・ルターの簡潔にしてわかりやすい伝記として評価できるだけでなく、現代を生きる我々にも通底するテーマである「ことば」を軸とすることにより、その半生が今日的意味を持って迫ってくる作品でした。難解な解説といった趣もなく、非常に手に取りやすい一冊だと思います。

    目からウロコがたくさん☆5つ

  • 宗教改革者ルターの生涯と思想を「ことばに生きた人」という視点で描いた格好の入門書

    ・「自由であって僕」という逆説的意味をもつ「ルター」という名を自身の覚悟として用いる

    ・「恵みの神が授ける義という贈り物を心から受け止めることによってのみ救われる」という「一点突破」から神学的諸問題を解決する

    ・「宗教改革=リフォーメーション」は土台だけ残して建物全部を建て替える意味をもつ

    ・教会に集まって人びとが歌う賛美歌を始めたのがルターであり、生涯で五十編ほどのコラールを作詞、いくつかは作曲もした

    ・律法による絶望の下で福音が新しく姿を現す、「律法から福音へ」というルターの発見が「福音の再発見」と呼ばれる

    宗教改革500年の年にルターを、プロテスタントを、教会を、キリスト教を再発見できる本

    同じ著者による『ルターと賛美歌』(日本キリスト教団出版局、2017)もあわせてどうぞ

  • お父さんのハンスは「俺は息子を大学にやるぞジョジョーッ!」と言ったそうで。
    ルターさんが雷にうたれそうになったところは石碑がたっているんだとか。「歴史の転換地」っていう名前で。
    確かにルターさんが雷にうたれなかったとしたら宗教改革はなかったわけだから、なんだかそうすると神様の意思とかそういうものを信じそうになってしまう。
    ルターのいいところは宗教者に厳しく民衆に優しいところだと思う。知識はあるのにそこから目をそむけている神学者や司教にはきつい口調で説き、無知の状態にある民衆へは優しく教えを説いてやるっていうスタンスがかっこいい。いつか神学者たちもわかってくれるはずだって信じてたんだろうなあ。
    けどやっぱり苦しむ宗教っていうのは理解できない。
    ルターは「翻訳の父」といってもいいと思うんだけどなあ。

  • ルターの生きていた頃の時代背景についてよく書かれていて、宗教改革の始まりについてよくわかる一般書です。歴史では軽く勉強したけど何故こうなったのかわからない…って人にお勧めです。

  • ルターの業績を追いながら、宗教改革の本質について書かれた本。「ことば」というコンセプトでルターと宗教改革を説明している点がよい。

  • おもしろかった!わかりやすいっ!

著者プロフィール

1932年東京に生まれる。東京大学工学部卒、立教大学大学院博士後期課程中退。日本ルーテル神学校卒、日本福音ルーテル教会牧師。ハンブルク大学とハイデルベルク大学神学部留学。神学博士(名誉、アメリカ、ワルトブルク神学大学院)。ルーテル学院大学/日本ルーテル神学校で38年教授、現在名誉教授。

「2017年 『ルターと賛美歌』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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