百年前の日本語――書きことばが揺れた時代 (岩波新書)

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レビュー : 29
  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004313854

作品紹介・あらすじ

漱石が自筆原稿で用いた字体や言葉の中には、すでに日本語から「消えて」しまったものがある?-百年前の書きことばが備えていた、現代では思いもつかない豊かな選択肢。活字印刷が急速に発達した時代の、私たちが知らない"揺れる"日本語の姿を克明に描き、言葉の変化の有り様を問う、画期的な日本語論。

感想・レビュー・書評

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  • P.82
    明治期とは、「和語・漢語・雅語・俗語」が書きことば内に一挙に持ち込まれ、渾然一体となった日本語の語彙体系が形成された「和漢雅俗の世紀」であった。

    100年前の日本語」というより「表記、語種が統一されていない明治時代の新聞」という感じになるのかなー。旧字新字「憺」「舊」や、変体仮名「志」「ハ」といった表記の話が多かった。
    夏目漱石の直筆原稿や、明治時代の新聞、辞書などの写真が多用されていて、これからこういう情報が読み取れるのか、当時の「感覚」が伝わるし、参考になりました。明治時代の新聞の、振り仮名の活用されぶりがすごい。

    一般人向けにわかりやすい、かもしれないけれど言葉遣いや語が論文を読んでる気がした。とても理解しやすかったですが。

  • 祖父母の家で本を漁ると、
    出版社謹製の栞やら広告やらが、頁の間にはさまっていた。

    そこにイロハ番付なんかが書かれていて、
    たしかそこに「し」が「志」として記されていた。
    これは一体なんとよむ字なの?
    なぜひらがなではないの?なんて、聞いたことがあったのを、
    些細な思い出で忘れていたのだけれど、なんとなくふっと思い出した。

    著者は云う、
    何かを得て何かを失っているわけではない、
    どちらが良く、どちらが悪いなどということはない、
    そうなんだろう。時間の経過、時代の変化に罪はない。

    しかし、使わない文字や言葉など、
    記憶とともに忘れられ消えていくことは、
    自然なこととはいえ、なんだか色々な知識や機会を
    日々失っていくようで、気惜しくかんじる。

    語彙が増えて、分かる字も増えて、漢字が得意になった気がして、
    せっせと辞書を持ち歩いては
    難しい言葉をつかってみた、などという記憶が蘇る。

    若年寄のただの感想。

  • 日本では漢字、ひらがな、カタカナを自由自在に使って文書を作るのですが、世界のなかでこのような国があるのでしょうか。小学校から英語を教えるということですが、日本語教育のほうが大事であると思います。今回のノーベル物理学賞を受賞された教授が仰られたと記憶するのですが、日本語のほうが深く物事を考えることができたようです。日本語は素晴らしいと思います。柳瀬尚紀著『日本語は天才である』を読んだ時もそう思いました。

  • 【書き方の選択肢が幾つも存在した時代】
    について当時の辞書や文学作品をもとに考察されている。

    この時代を「豊か」と捉えるのか「乱れている」と捉えるのかは読者に任すと書かれている。
    私は「揺れ(書き方の幅)」を面白いと感じた。

  • 非常に興味深く読んだ。<揺れる>こと・多様であることを捨ててきた結果、現在の日本語が失ってしまったものについて考えさせられる。明治の人がもっていた漢語に対する鋭敏な感覚には驚いた。「普請」を『言海』は漢語と見てなかったなんてね。しかし、漱石は手書き原稿までこれだけ緻密に分析されて大変だ。混淆(ごたまぜ)、動揺る(ゆすぶる)のようなるびの振り方は、なんとぜいたくな・豊かなことばの使い方だろう。日本語は”るび”標準装備で教えて、解答文には”るび”を自由に振っていいよ、っていう大学入試が現れるとおもしろいかも。

  • 明治時代の日本の「書き言葉」について。多くの具体例を挙げながら現代との違いを説明している。現代の書き言葉は細かくルールを定め使用法を一つに収斂しようとする傾向にあるが、明治期においては選択肢が多く言葉の使用法に“揺れ”があった。現代には無い熟語の読み方が興味深い。俳優【やくしゃ】、準備【したく】、商量【そうだん】など。和語を漢字で書き表すための試行錯誤が窺える。いま話題のキラキラネームを連想した。日本語としておもしろいと思うけど、氏名への振仮名記入が義務化されないかぎり社会生活への支障が大きいだろうな。

  • 漱石の「それから」の手書き原稿(1909年)で、漱石はどのような漢字を書き、禁則処理などをしていたのか。変体仮名の「し(志)」などがいつまで多く使われていたのか?「っ」、「ん」、濁音などが広まっていった経緯。活字印刷の普及、また教科書で50音の仮名文字を定めたことが書き言葉が確立していく上で大きな役割を果たしたことは当然のことながら大きい。しかし、漢文式の表記が明治期にかなり残っていたとは面白い。日本語文の書き言葉には明治維新はなく、長い揺れた時代があり、明治の終わりごろが、その収斂の動きが始まっていた時になるというのは、その結果によるもの。著者が言うように、今の書き言葉が定着しているのが、歴史上むしろ珍しい時代であるということは普段あまり意識できないことである。

  • 一つの語の書き方は一つ。それが当たり前でなかった百年前、すなわち明治時代。「揺れ」=選択肢が許容されていた当時の書き言葉に焦点をあてる。その頃は送り仮名に悩まずにすんだのかなぁ…

    It's amazing that Japanese writing about 100 years ago was totaly different from today's!

  •  書きことばが、だんだん振れなくなってきている、と言うのは何となく理解できました。送り仮名のつけ方がいろいろあったら、グーグルで検索するとき大変ですから。

  • ことばが収斂するものを考える。

    したほうがいいのか、わるいのか。

    百年前の日本語について、主に書きことばにおいて、統計的、というよりは、幾つかの資料にぐぐっと絞って、とはいえ結構な量だと思うが、いかにいまの日本語と、どのように違うのか、そしてどうして違ってきてしまっているのか、ということを考察した本。

    まあ、ことばは生き物だもんね、そりゃその時々場所世代で違ってくるの当たり前だもんね、というのはまあその通りだが、書きことばにおいては、それを必要とするひとびとの数が増えてくることによる、よりわかりやすい共通認識の構築のための書きことばの多様性の収斂、単純化、というおおきな理由があるのではないか、と書いてあった。たしかにそうだと思う。

    で、いまを足場にして百年前をみてみると、みえてくるいまがあって、だからこそこういう本は書かれるべきなのだと思うのだけれど、(主に公的な文書の上での決まりごととして単純化していった)書きことばは、ことばが書かれる「公的な」場所の多様化(インターネッツというやつだ、主に。そこにあるだけでそれはほぼ「公的」と同義になるはずだと思う)と、無言化、と言い切れるまでではないにしろ、あまり用いられなくなっているように個人的に感じる「公的な」「話しことば」の現状(というのはまあ予想、でしかないのだけれど)とあいまって、たいへんに多様になってきているのではないか、と思う。

    と、考えていると、そういう書きことばの多様化による共通認識のずれの多発という意味でも、「炎上」というダメ出しが反動として発生しているのかもな、と思ったりもする。それがいいか悪いかは、うーん、どうだろ。どうなんだろう。うーん。

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プロフィール

1958年生まれ。清泉女子大学教授。日本語学専攻。『図説 日本語の歴史』『図説 日本の文字』『戦国の日本語』『ことばあそびの歴史』『学校では教えてくれない ゆかいな日本語』など著書多数。

「2018年 『ことばでたどる日本の歴史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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