構造災 科学技術社会に潜む危機 (岩波新書 新赤版1386)

  • 岩波書店 (2012年9月20日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784004313861

みんなの感想まとめ

科学技術と社会の相互作用が引き起こす災害について深く考察した本書は、特に東日本大震災を契機に発生した福島第一原発の事故を通じて、現代社会が直面する複雑な問題を浮き彫りにしています。科学的な欠陥がもたら...

感想・レビュー・書評

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  • カテゴリ:図書館企画展示
    2016年度第9回図書館企画展示
    「災害を識る」

    展示中の図書は借りることができますので、どうぞお早めにご来館ください。

    開催期間:2017年3月1日(水) ~ 2017年4月15日(金)
    開催場所:図書館第1ゲート入口すぐ、雑誌閲覧室前の展示スペース

  • 【由来】
    ・アテネの最終日で

    【期待したもの】


    【要約】


    【ノート】

  • 構造災の要素
    ①先例が間違っているときに先例を踏襲して問題を温存させてしまう。
    ②系の複雑性と相互作用性が問題を増幅する。
    ③小集団の非公式の規範が公式の規範を長期にわたって空洞化する。
    ④問題への対応においてその場限りの想定による対症治療法が増殖する。
    ⑤責任の所在を不明瞭にする秘密主義がセクターを問わず連鎖する。

    ファシリテータ、インタープリターなどの「つなぎ目」の提案


    構造災はこのような対症治療法の対症治療法の対症治療法・・・といった、つぎつぎに対症治療法が増殖し、本来解決すべき問題が帰って視界から遠のいてしまう状態を含む。
    そして対症治療法はそのように増殖する傾向を元来もちやすい。なぜなら、問題の対策を考える際に頻用されている費用ー便益分析の流儀に従うと、便益が一定の場合、対症治療の費用のほうが構造差異の解決に必要な構造改革の費用よりつねに桁違いに安いことは想像にかたくないないからである。

    秘密主義も連鎖


    うーん。たしかにそうなんだけど、どれも変えるのがとても難しい問題ばかりなのと批判の仕方がちょっと神話めいたものもはいっていてあんまり好きじゃない。
    費用便益の評価の偏りについて要調査。
    先日テレビで片山さつきがB/Cの問題点について討論していたが、今はB/C以外の評価軸の開発と多元的な評価を目指しているらしい。またライフサイクルコストや住民意向の観点なども徐々に取り入れてはきている。対症治療法の無限循環、手段の目的化の無限循環的なところ、生物学的に行けば順機能なのでそれをいかに大前提の目標達成のルートにのせられるかというデザインが必要なのかも知れない。
    そもそもその大目的みたいなものも他のなにかの手段であったりするわけで、何が目的かっていうところは決定不能なんだよな。。。それが一見自明そうな人間の命を守る、幸福にするということであってさえもその自明性は揺らいでいる。その目標さえも複雑化縮減のためのモデルであったりするわけだし。
    どこまでの内部観測地点で全体を「俯瞰している」といえるか、ということを考えだすと人工知能の難問フレーム問題にも通じる途方もなさを感じる。

  • 卒論でそのまま利用するのは難しいかもしれないが、風力発電は日本ではできないという神話、戦前と戦後の科学技術の連続性、構造災公文書館の設立などの記載は、震災をテーマに社会学関連の論文を書くために、なんらかの役に立つと思われる。






















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  • 東日本大震災による津波によって発生した福島第一原発の事故から、科学技術と社会とが交差するところで生じうる問題について解説している。この問題は、科学的な欠陥があって生じたものであるが、それを除去するプロセスがない(or機能しない)ことによって生じうる。
    構造災については本書で「簡単に言うと、科学と技術と社会のあいだの界面(インターフェイス)で起こる災害」と解説されている。科学/技術と社会とが交差する場合には、技術的な欠陥を補完する機能が社会には求められるが、その逆に欠陥を見過ごす(技術的な問題をクリアしたとみなされる)機能となっていることが問題であろう。技術者としてはよく考えなければならない問題である。

  • 筆者が「構造災」と呼ぶのは、福島第一原発の事故や放射性廃棄物の処理の問題など、科学、技術、社会の間で起こる災害のことである。

    過去の歴史的経緯、専門的で複雑な技術体系、助成や補償といった社会制度などが、それぞれに絡み合い、責任の所在があいまいなまま、先例の踏襲を続けていくうちに後戻りできないところまで事象が進んでいくことが多いという。

    筆者の論点のうち重要であると感じたのが、責任の所在があいまいというのが、単に当事者意識の欠如といったレベルで片づけられる問題ではないということだ。

    構造災に伴う責任は、時間、因果関係の面などで無限責任となる場合が多く、どこかのセクターに責任を取らせれば片が付くというものではない。このことを、放射性廃棄物の処理の問題で、説明している。

    筆者は、構造災が起こることを避けるためには、「無限責任を有限化するしくみづくり」が大切だという。わたし自身も、「放射性廃棄物の地層処理が果たして責任ある対応なのだろうか?超将来のことが不確実なのであれば、地上で厳重に管理しながら次世代に継いでいくことも選択肢の一つなのでは?」とふと思ったこともあり、筆者の論点に共鳴できるところがあった。

    ただ、そのような社会制度を設計するために必要な社会的意思決定の在り方は、非常に難しいものになるだろう。不確実性に伴う責任の有限化は、先送りと紙一重であり、現時点の判断だけではなく将来の進め方につてもある程度制度的に担保していく必要があると思われる。

    そのようなことができるようになるまで社会的な議論が成熟するには、非常に時間がかかると感じた。

    もちろん、時間がかかるからといって取り組まなくてよいということではなく、筆者がその一端を提言している、構造災を防いでいく社会の在り方について、議論を深めていく必要があると思う。

  • 新しい概念というのは、書くほうも試行錯誤するのでしょう。その試行錯誤に多少とも付き合うことになるので、なかなか理解が遠い。それでも・・・・、何か変だ・・・と思っていることへの解答として魅力ある概念だという感じはした。
    構造災としての原発事故だとすれば、なぜ現在もなお廃炉を惜しむ声があるのだろうか。
    当事者こそ、しっかり構造災を学んでほしいものだ。

  •  難しい名前の本だが、自分なりに理解すると、科学技術の問題が、社会構造の問題に波及・反映して問題を複雑化、困難化していくこと、それ自体災害ととらえる考え方だと思う。

     構造災の特性
    (1)先例が間違っているとときに先例を踏襲して問題を温存してしまう。
    (2)系の複雑系と相互依存性が問題を増幅する。
    (3)小集団の非公式の規範が公式の規範を長期にわたって空洞化する。
    (4)問題の対応においてそのば限りの対処療法が増殖する。
    (5)責任の所在を不明確にする秘密主義がセクターを問わず連鎖する。(p46)

     著者は社会科学系の学者だが、原子力を中心に様々な事故について、この4つの問題がからみあう問題を明らかにしている。

     ふと、疑問に思った。

     被災地で過大な面整備を計画しているのも、実はこれに似ているのではないか。

     人口減容、少子高齢化の時代に、これまでの高度成長、人口増加の時代の手法をそのまま使ってしまう、事業手法の細かなやり方は、特定グループの職業知になっていまって、いつのまにか、法律ではそこまでもとめていない立派な道路や公園ができてしまう、受け皿となる住宅や産業がそんなにないのに、適当な対応でごまかして事業がとまらない、最後にその事業を実質決めた責任の所在がはっきりしない。

     ああ、これって日本の技術と社会の狭間にある、様々な問題に共通する課題だなと思う。

     解決策は、やはり、狭い人間に閉ざされている専門知識なるものを翻訳して、それをオープンな場で戦わせて、解決策を地域住民と一緒にみつけることだなと思う。原子力の問題に比べればまだまだ先は明るい。

     そう思って読むと、いろいろ知的興味がわく本。タイトルがいまひとつ。

     直せるものは少しずつでも直して、いい街を復興したい。

  • 東日本大震災にともなう福島原発のこと…さらには、
    これから、原発をどう考えればよいか…を自分なりに
    整理したくて、本書を手にした。
    「構造災」とは、はじめて聴く言葉だった。

    著者によれば「構造災」とは、
    ―科学と技術と社会のあいだの界面(インターフェイス)で起こる災害
    …なのだそうで、つまり、
    ―科学と技術と社会をつなぐ複数のさまざまなチャンネルの
     制度設計のあり方や、そこに登場する複数の異質な
     主体がおりなすしくみの機能不全に由来する失敗
    だという…東日本大震災以前の事例をもとに論は進められる。

    本書で展開されているのは、まったく魅惑的な論述なんだけれど、
    はたして現実性のあるものなのかというと、
    ボクには、どうにも絵空事のように思われてならない。
    たとえば、著者は、こんな提案をしている。

    ―社会的受忍を社会全体で受け止めるしくみを創出することは
     無限責任を有限化する需要な一歩である。
     被災の現地に、原発政策を立案した官僚、産業人、
     学者のうち意のある人が居住して、モニターと除染データの管理、
     疫学的研究、関連する地域に密着した技術開発を行う

    ここで云う「無限責任」とは、「高レベル核燃料廃棄物処分」をさす。
    それを「有限化」するとは、できることから進め、
    そこから先のつけはあとまわしにする…ということだ。
    ほぼ、ボクらの子孫が続く限り、この問題は、
    あとまわしにならざるを得ないことは周知のことだろう。

    ふと…思う…夢は現実ではないことを。
    かなわないものが夢であることを知りつつ、
    絶望しても夢を見続けようとすることこそが肝要なのかもしれない。
    ボクは生きたい。できることなら、みんなと生きていたい。

    そうした夢に、本書は、なんらかの示唆を与えてくれただろうか?
    正直、わからない。レビューをアップしてきて
    はじめて「評価しない」とした…「しない」のではなく「できない」のだ。
    ただ、判断をしながら、生き続けなければならない現実が
    厳然としてあることは、ひしひしと感じる。

  • 402||Ma

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著者プロフィール

東京大学名誉教授/事業構想大学院大学教授

「2021年 『科学社会学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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