- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004313977
作品紹介・あらすじ
19世紀前半、儒教的民本主義に基づく政治システムの朝鮮社会で、身分制が解体してゆく状況から説き起こし、1910年日本に併合されて大韓帝国が滅亡するまでの朝鮮近代通史。政治文化に着目して日本社会と比較しながら、日朝修好条規、甲申政変、甲午農民戦争、大韓帝国誕生、日本の保護国化、国権回復運動等を描きだす。
感想・レビュー・書評
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朝鮮王朝と日本、朝鮮の開国、開国と壬午軍乱、甲申政変と朝鮮の中立化、甲午農民戦争と日清戦争、大韓帝国の時代、日露戦争下の朝鮮、植民地化と国権回復運動、韓国併合。1875年、日本の軍艦が江華島を侵犯する。1876年、軍艦6隻の圧力で日朝修好条規を締結。これは不平等条約であったが、その頃の朝鮮側は条約に疎かった。それから歴史は韓国併合に向かうのであるが、併合その時点ではすでに韓国は日本の植民地化されてしまっており、大韓帝国は併合の圧力にもはや抵抗できる状態ではなかった。帝国主義の時代だとはいえ、日本は隣国に酷いことをしてきたのだな。今の政権の人たちはこの歴史を分かっていて韓国に強くでているのだろうか?
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岩波新書
趙景達 近代朝鮮と日本
統一王朝成立から韓国併合までの日朝関係史の本。日本の目線で読むと、日朝関係の失敗が 太平洋戦争につながっている
失敗の元凶は 征韓論だと思う。征韓論さえなければ、日清日露戦争もなく、空疎な自己肥大をして 太平洋戦争に向かうこともなかった
ロシアの脅威に備えることに征韓論の必要性があったとしても、征韓論の先にある韓国併合がロシアからの防衛の効果があったのか疑問。検証した本があったら読んでみたい
韓国の目線で読むと、高麗から李氏朝鮮まで 千年続いた統一王朝が、滅亡した原因は、儒教国家としての硬直性、清の弱体化、日本やロシアの外圧、腐敗政治と身分制崩壊にある
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日本の近代史を学ぶ際し避けて通れない朝鮮との関係。
何故、日本が近代化に成功し、何故、(中国と)朝鮮の近代化が遅れたのか?
本著には、その理由が説明されている。
ポーランドがドイツとロシアに挟まれ苦難の歴史を歩んだように朝鮮も中国、日本、ロシアに囲まれ苦難の歴史を歩んだ。ただ、大国に挟まれた国だからこそ、民族的なアイデンティを強く持ち続けたのだろうし、それを過小評価した結果が韓国併合の失敗だったのだろう。
また、朱子学は漢民族の明時代に国家教学となったもので、朝鮮がその正統性を引き継いだともいえる。その意味で満州族の清朝に対して優位性を感じていたのであろうし、下級武士が作った明治政府に対しても同様に優位性を抱いていたと思う。
自らを誇り高い民族としていた。
以下引用~
・松陰がこうした「征韓」論を正当化した論理が、「国体」論である。朱子学が原理化されていなかった近世日本では、仏教や神道も儒教と併存して大きな力をもち、蘭学されも許容されていた。従って、日本では守るべき絶対的な「道」が存在しなかった。そこで、ウエスタンインパクトの脅威に対抗するために、護持すべき何者かを創出する必要があった。それこそが「国体」であった。
・松陰の立場は、「道」と「国」を画然と分離し、「道」の上に「国」を位置付けることであった。ここに万世一系の天皇が統治して億兆が絶対的に忠を尽くす「万邦無比」の「国体」思想が創造される。以降、「国体」思想は長州藩の彼の弟子たちによって広められ、明治憲法において近代日本の国家原理として確立を見ることになる。
・「道」を守ることこそ、「国」の存亡を超えた絶対的な行為であるとして、儒教文明の絶対護持を峻烈に説いた。このことは、現実の朝鮮王朝が尊いのは「道」の実践を行っているからであり、その実践を放棄するならば、そうした王朝は意味がないということを意味する。
こうした思想は、日本の「国体」とはまるで違っている。日本では「国体」思想の台頭によって「国」が絶対化されたがために、「道」は二義的なものとなり、西欧化への転回が容易にできた。西欧への徹底抗戦は「国」を滅ぼすことにしかならない。西欧にかなわないと認識されるやいなや、攘夷論が開国論に急転回した秘密はここにある。それに対して朝鮮では、「国」を滅ぼしても「道」に殉ずることこそが、人倫の正しい行為とされた。これが儒教原理国家ともいえる朝鮮の現実であり、仏米への徹底抗戦を可能にさせた理由であった。
・一般に近代国家は政教分離を原則とするが、大韓帝国はあえてそれに反する近代国家作りを選択した。
高宗は、儒教的民本主義を回路として近代化と臣民=国民化を推し進めようとしたが、それは大変な困難をともなうものであった。
・初代統監に就任したのは伊藤博文である。統監は韓国駐在軍を使用する権限をもった。文官でありながら軍事権を持つというのは、明治憲法に定められた天皇の統帥権を侵犯するものである。軍部からの反対もあったが、天皇の勅語によって特例的に認可された。 -
「停滞論」と「他律性史観」がいかに誤っているかを見事に論証している。朝鮮にも日本の幕末と同じように尊皇攘夷と近代化のうねりがあった。それを押しつぶしたのは日本だった。
日本が朝鮮支配を目論んだのは明治維新から始まっている。その姿勢は江華島事件から一貫している。とくに、日露戦争以後は猛烈な力で植民地化をおしすすめる(第1〜3次日韓協約)。1910年の日韓併合はその集大成。日本の朝鮮支配は、日韓併合から始まったわけではない。
朝鮮の民衆反乱の激しさ。日本よりもはるかに広範囲であると同時に激烈だった。たとえば東学党の乱や朝鮮併合まで続く義挙の歴史。
江戸時代は日朝友好の時代と描かれることが多いが、実際には確執を覆い隠す側面もあった。とくに明治維新直前。
著者の儒教的民本主義に対する憧憬にちょっとした違和感を感じた。朱子学礼賛につながる? -
19世紀末から1910年の韓国併合までを描く一冊。
わかりやすく、かつ骨太に
朝鮮半島の政情を日本との関係を軸に据えて説明する。
なにぶん慣れない人物が多数登場するため苦労もするが、
巻末に人物名によるインデックスもありゆき届いている。
東学党や天主教の盛り上がりが政治文化の中で解説され興味深い。
また伊藤博文の立ち居振る舞いにも考えさせられるものがある。 -
近代朝鮮で最も民衆を不安にさせたのは飢饉。
併合せずとも朝鮮は完全に日本の排他的な支配領域であるばかりか、ほぼ完ぺきな植民地だった。 -
朝鮮の政治文化を「儒教的民本主義に基づく一君万民体制」として肯定し、これを底流に描いている点が特色。しかし、農民や無職者等が少なくない甲午農民戦争や義兵運動まで儒教では解釈できないのではないか(むしろ同時代の太平天国や義和団との類似性を感じる)。
また、仕方がないかもしれないが日本支配の過酷さや国権回復運動については記述がやや情緒的になっている。「安重根は参謀中将として正規の交戦行為として伊藤を射殺」というのはさすがに無理があるだろう。
とは言えこの時代の朝鮮史を極端に偏ることなくコンパクトにまとめた類書はなかなかなく、通史を頭に入れるには良い本。大院君に対しては排外政策や壬午事変のためマイナスのイメージがあったが、勢道政治を排するというある意味改革を行っていたし、民衆の人気も高かったことを知った。また、朴泳孝や尹致昊は果たして民族主義者か親日派か。開化派と閔妃のどちらが愛国か。本書の範囲を超えるが、そんな様々な問を考えるきっかけにさせてくれる。 -
ロシアが南下して来て日本を侵略するのではないか、という恐怖心から朝鮮半島を日本の防波堤にするという手前勝手な戦略思想と、朝鮮はあらゆる面で日本より劣っているので、日本が朝鮮の開化を手助けしなければならないという傲慢不遜な日本国民の態度が日韓併合に至ったと総括すれば良いのだろうか。歴史は現在の視点から評価するのではなくて、その時代の視点で評価されるべきだというのもご尤もなのだが、時代に関係なくやって良いこととやってはいけないことの分別は国家としてしっかりと自覚すべきだと思うのだが。無理な注文だろうか?
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日本人による朝鮮蔑視の歴史は明治維新にあり。
そもそも欧米帝国主義がアジアの植民の食指を伸ばしてきた時に、たまたま日本はうまく立ちまわって帝国主義側の末席につくことができて、朝鮮や清は餌食となった。そうした歴史認識にたってみれば、朝鮮や清を蔑視するというのはいったいどんな心理に基づくものなのだろうかと考えさせられる。
例えて言えば、クラスの不良グループが同級生をカツアゲしていて、自分もカツアゲされそうになったけど、うまく不良グループに取り入って、自分もカツアゲする側に回ったってことだ。
ただ、帝国主義・植民地主義を肯定的に捉える歴史観であれば、日本はその流れに乗った模範的な国で、朝鮮・清は時代に取り残された国ということになるだろう。歴史教科書は暗にそのように示しているように思える。ま、教科書は余り善悪の色はつけずに客観性を装ってはいるけれど。
だから何が良いとか悪いという議論をしても詮なきことであり、そのような過去を客観的に捉えつつ、それではこれからどうするべきなのか、ということであろう。蔑視思想なんてのは歴史の流れで都合よく創りだされたものなので、客観的な歴史認識をすべきであろう。
しかし、最近の世相を見ると、日露戦争前夜の頃に近いのではないか、と思ったり。ロシア許すまじを中国に置き換えるとしっくりくる。なんだかなぁ。