人類哲学序説 (岩波新書)

著者 : 梅原猛
  • 岩波書店 (2013年4月20日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004314226

作品紹介

日本には、「草木国土悉皆成仏」という偉大な思想がある-。原発事故という文明災を経て、私たちは何を自省すべきか。デカルト、カント、ニーチェらを俎上に近代合理主義や人間中心主義が置き去りにしてきたものを吟味、人類の持続可能な未来への新たな可能性を日本の歴史のなかに見出す。ここに、「人類哲学」が誕生する。

人類哲学序説 (岩波新書)の感想・レビュー・書評

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  • ヘレニズムやソクラテスなどの省察がまとめ終わっていないけれど、ひとまずまとめてみた。
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    前提として、哲学は古代ギリシアで生まれ近代西欧で発達した。
    インド哲学や中国哲学は思想について語ったもので、哲学は一部地域に偏っており、普遍的なものとは言えない。
    そして近代の哲学に支えられた、現代の科学技術や資本主義は行き詰まりを見せている。
    したがって、今の哲学(西洋近代哲学)を見直す必要がある。
    ———

    日本の『草木国土悉皆成仏』という思想が解決の糸口となる。
    万物すべてに魂が宿っているという思想で、日本の思想であると同時に、世界の原始的文化の狩猟採集・漁労採集文化の共通思想でもある。
    cf. アニミズム etc.

    ———

    近代の哲学に支えられた、現代の科学技術や資本主義は行き詰まりを見せている。
    つまり近代の哲学は行き詰まりを見せている。

    その近代の哲学を支えたデカルトについて省察してみる。

    ・・・・

    デカルトの「コギト・エルゴ・スム(われ思う、ゆえにわれあり)」は、懐疑によって哲学を突き詰めた結果、
    「疑っている自分が存在する」ということだけは否定できない、つまり実在する、としたことを言い表している。

    「疑っている自分の存在」を肯定することは、理性(疑っていること)を肯定すること。
    つまり理性をベースとする、近代の西洋哲学の理論がこれに支えられている。

    加えて、デカルトはこの世界に存在する実体は三つであるとした。
    ①神という完全な実体
    ②内側による思惟を本質とする実体
    ③外側にある延長と本質とする物質という実体

    デカルトは自然の本質を延長と考え、数式によって表現された法則によって機械的に把握されるとした。
    この思想が、近代科学技術文明を裏付ける理論となった。

    ・・・・

    このデカルトの自然を機械的に把握できるという思想と逆の思考が、
    『草木国土悉皆成仏』、「自然は生きている」という思想なのではないのか。

    原子力発電、異常気候、エネルギー資源問題など、自然を征服することが人類を滅ぼす危険性を持っているとわかった今、
    生きとし生けるものすべてと共存する哲学、『草木国土悉皆成仏』が、人類の哲学の根本にならなければならない。

    ———

    『草木国土悉皆成仏』の考えを表してる文化人
    ・宮沢賢治
     :『草木国土悉皆成仏』→「いちょうの実」、「利他行」の考え→「なめとこ山の熊」
    ・伊藤若冲
     :「動植綵栽」

  • 結局人類哲学とは何かいまいちはっきりとしなかったが、日本、西洋などの大まかな思想の潮流が、作者の主観を通じて平易な語り口で説かれていて非常に読みやすかった。デカルトの流れをくむ西洋科学文明は限界に達しており、日本の草木国土悉皆成仏という思想が現在必要なのではないか、ということがいいたいらしい。

  • 主に気になったところや勉強になったところを以下に記します。

    ・インドでは、命を持っているのは動物までで、植物に命はない。仏教者はベジタリアンで、命あるものを食べない。……P14
    ・アイヌの再生の祭り。……P29
    ・アイヌの思想はまさに「草木国土悉皆成仏」。山も川も人間も生きている。昔の日本人もそう考えていた。……P33
    ・神道は多神教。明治以来の神道は一神教的。本来の神道ではない。……P36
    ・デカルトの『方法序説』第5部は「人間機械論」。「医学の発展で、人間は100歳まで生きられるようになる」とデカルト。……P58。今、確かにそうなった。
    ・イギリスの歴史学者 トインビーによると、西洋近代文明の源流はギリシャ哲学とキリスト教。……P63
    ・動物や植物の命を食べることに罪の意識を持つか持たないかで、ずいぶん異なる。……P73
    ・ニーチェの「ツァラトゥストラ」はゾロアスター教の教祖 ゾロアスターで、ニーチェ自身。……P84
    ・ショーペンハウエルは仏教、インド哲学に大きな関心を寄せた。……P95
    ・「神は幻想である。弱い人間が強い人間に復讐するために神をつくった」(ニーチェ)。ニーチェの思想はヒトラーに引き継がれた。ヒトラーはキリスト教に批判的だった。その思想的根拠をニーチェの哲学に求めた。……P96
    ・ヨーロッパ哲学の伝統には人間中心主義がある。……P96
    ・四聖人のうち、ソクラテスとイエスは不遇の死を遂げる。一方、シャカと孔子は生を全うした。……P97
    ・ソクラテスとプラトンによって理性の支配が始まった。……P110
    ・ハイデガーはキリスト教をほとんど信仰していなかった。……P113
    ・サルトルは選択することを実存と考えた。これは完全に人間中心主義。P114
    ・日本では、ウグイスもカエルも和歌を詠む。天地自然のすべての声が歌である。まさに「草木国土悉皆成仏」の思想。「言葉を持ち、詩を作るのは人間だけ」というハイデガーの思想と100%反する。……P116~117
    ・ギリシャの自然破壊は凄まじい。プラトン時代に始まり、キリスト教で決定的になった。南ヨーロッパ文明は自然破壊によって滅んだ。……P119
    ・『旧約聖書』の「創世記」。人間が動植物を支配することに。近代西洋の基になったデカルトの思想を先取りしている。……P125
    ・ゼウスは残忍で乱倫な神。ギリシャ神話は日本の神話と大きく異なる。……P128
    ・神話は歴史の反映。……P129
    ・「無知の知は無知の無知より上だ」(ソクラテス)……P134
    ・ニーチェとハイデガーはプラトンに始まる理性の哲学にノーを突きつけた。ニーチェとハイデガーはソクラテス以前、イオニアの自然哲学に帰れ、と言った。……P142
    ・吉村作治によると、古代エジプトのアメンホテプ4世の一神教はモーゼの一神教に引き継がれている。……P147~148
    ・世界四大文明はすべて小麦。しかし、長江文明は稲作。……P152
    ・小麦農業と稲作農業の違い。……P165
    ・中国の北半分には、森はほとんどない。……P167
    ・長江文明の国が滅ぶと、一部が日本に来て、稲作を伝えたと考えられる。……P168
    ・先進国こんなに森が残っているのは日本だけ。……P170
    ・宮沢賢治と「草木国土悉皆成仏」。……P171
    ・鉱物も植物も動物も、すべて同じ生き物(宮沢賢治)。……P171
    ・伊藤若冲……P178
    ・かつては豊かな森の国だった、ギリシャ。人間中心主義のキリスト教。森の破壊によって古代文明は滅んだ。……P199
    ・レバノンの森は残っていない。……P200
    ・ユーラシア大陸の西側は森を破壊する文明。そこでデカルトが生まれ、産業革命が起きた。……P200
    ・ヨーロッパ人が侵入してわずか200~300年で北米大陸の森の8割が失われた。……P200
    ・龍樹の思想「空」。欲望を肯定も否定もせず、欲望にとらわれない。……P202

    著者の考えには共感する点が多かったです。ただ、文章はやや単調で、盛り上がりに欠けるところがあり、ときおり眠くなってしまった・・。

  • とても分かりやすい本。初めてふれる人でもとっつきやすいし、理解もしやすい。

    科学技術の発達は哲学にも影響を与えている。
    その中で日本人には、日本人らしい哲学があうのではないかなと思うし、これを証明するのにもいいのはうれしい。

  • 読了。

  • 梅原猛さんは、本書を執筆した所以を2011年の秋、京都造形芸術大学東京芸術学舍において行なった秋季講座「人類哲学序説」(全五回)の講義録をもとに、書かれたものであることを「あとがき」に述べている。
    そして、本書を書いた動機とタイトルにつけた「序説」の意味について続けている。
    一つ目の動機として、「本書には西洋哲学への厳しい批判がある」と述べる。「それは、近代西洋文明に疑問を感じ、人類文化を持続的に発展せしめる原理が日本文化の中に存在せしめるのではないかという予感を抱いたからである」と続ける。そして、日本文化の原理が「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」という思想であることを見いだした。そのことを考え続けてきたところ、2011年3月11日に東日本大震災が発災し、東京電力福島第1原子力発電所の事故を伴ったことで、被害が拡大した。それをきっかけとして、今までは、西洋哲学への批判をしないできたが、「私は西洋が生み出した科学技術文明を基礎づける西洋哲学を批判しなければならないと思った」と語る。
    二つ目は、タイトルの「序説」について述べている。梅原さんは、若い時分は西洋哲学を研究していたが、40歳頃に研究対象を主に日本文化に変えた。この著書で語った日本文化の理論は、日本文化を研究の対象にしてから、今日までの研究成果であることは間違いないと述べる。この著書を書くのにあたり特に西洋文化、西洋哲学をまた研究しはじめた。この著書では、まだ不十分であることは免れないと述べ、今後の研究の成果を元に論じた著書を書かなければならない。そして「その書が、「人類哲学」の本論になるはずであり、本書はその序説であるというわけである。」と語る。
    人類哲学とは一体どのような哲学であるのだろうか。梅原さんは、次のように述べます。「人類哲学というのは、今まで誰にも語れたことがありません。人類ではじめて、私が人類哲学を語るのです。これまで、人類には人類哲学がなかった、と私は考えています。」
    「「人類」については、この講義全体から理解していただき、…•」と話してる。この本で述べていることを理解することで、「人類」について考えられる工夫がされているのでしょう。
    「哲学」という言葉について、梅原さんは、次のように説明します。「哲学とは、愛知(フィロ・ソフィア)-「知を愛する」ことでありますが、これは、ただ漠然とした好奇心というのではありません。もっと厳しいものです。知というのは、真実を明らかにする、ということです。真実を明らかにする知を愛する。その知というものは、ある種の歴史性を持っている。また、普遍性を持っている。哲学とは、歴史の中で人間はどう生きるべきかと問い、その思索を体系化するものです。しかも、それを自分の言葉で語る必要があります」。このように、梅原さんは、哲学とは、人間がどう生きるべきかということを問い、自分の言葉で語るものであるといいます。そして、現在の哲学者と呼ばれる人たちに、厳しい批判を述べます。「ところが、日本の哲学者といわれる人びとは、その多くが自分の思想を語ることをしていません。自分の思想を語る、という哲学で最も重要なことをせず、西洋哲学を研究し、翻訳をして紹介し、その研究を一生の仕事としている方々が多い。本書の意味の哲学といえません」。このような厳しい意見ですが、梅原さんの年齢を考えると、梅原さん流の叱咤激励なのかもしれません。
    「草木国土悉皆成仏」という思想はどのような思想であるかというと、「生きとし生けるもの」さらに国土までが成仏できると説明します。生きとし生けるものをみる思想であると語ります。梅原さんは、日本文化の原理としての本質を「天台本覚思想」に見当をつけ研究してきたそうです。なぜこの思想が日本の文化の原理になったかについては、梅原さんは、次のように話します。「私は、伝来した仏教に、それまでの日本の伝統思想が影響を与えたからだと考えます。ここでいう日本の伝統思想とは何か。これは、神道です。…•」。そして、起源を縄文時代にさかのぼります。日本の縄文時代は、狩猟採集文化であったと考えられていますが、梅原さんは次のように話しています。「結論として、「草木国土悉皆成仏」が日本文化の根本思想ですが、それは日本の思想にとどまらず、同時に世界の原初的文化の狩猟採集・漁労採集文化の共通の思想ではないかということです。そして、そのような原初的文化の思想から、現在の西洋文化の思想をどう見るかということを、私は問わなければなりません。それは、つまり、人類の原初的な文化の原理からみて西洋文化はどのような長所と欠点を持っているかという問いです。そして、それは、人類存続の危機といわれる現代において、どうしても問わなければならない問いであるように思うのです」。
    梅原さんは、この書籍で、デカルトにその始まりを見出す西洋科学技術文明を基礎づけた西洋哲学に対して省察します。次のように語っています。「確かに、デカルトが理論的に基礎づけた科学技術文明に、現代の日本が大変な恩恵を受けています。しかし、その科学技術文明は、必ずしも人類に幸福な未来を約束するものではありません」。

    最後に、梅原さんは、40年前に、歴史学者のトインビーが来日した際のエピソードを話しています。トインビーは梅原さんに次のように言ったそうです。「21世紀になると、非西欧諸国が、自己の伝統的文明の原理によって、科学技術を再考し新しい文明をつくるのではないか。それが、非西欧文明の今後の課題だ」。そして、梅原さんは、トインビーに質問したそうです。「私が、「では、どういう原理によってそのような文明は出来るのですか」と尋ねたら、「それはお前が考えることだ!」と一喝されました」。梅原さんは、40年前にトインビーに言われたことの答えを自分の言葉で、その「序説」を表したということなんでしょう。

  • 再読(3ヶ月にわたって本書を紹介したもの)
    その1
    梅原猛とは何者か。哲学者というのが一番正しいのか。私には、柿野本人麻呂論とか法隆寺論とか、藤原不比等のこと、怨霊のことなどなど、日本の古代研究を最もわくわくしながら読んだ記憶がある。本書は、最澄や空海、法然や親鸞と宗教家の研究を重ねて来られた上で出来上がった人類哲学の書である。しかし、これは序説に過ぎない。すでに90歳を越えてはいるが、おそらくまだこれから大きな1冊を仕上げて来られることと期待している。
    本所の一貫したテーマは「草木国土悉皆成仏」。このことばがざっと数えたところ26回登場する。200ページほどの本であるから、平均すると8ページに1回くらいは登場することになる。それは、一体何を意味するのか。実をいうとこのことば「そうもくこくどしっかいじょうぶつ」と入力すると、一発で変換できるので、一般的なことばということになるのだろう。(私が無知なだけです。)このことばの意味を本当に理解したとき、原発事故という文明災を経た我々が、今後どう生きていけばよいのかのヒントが得られるのだと思う。
    よく言われることであるが、「哲学」についての著者の考えを引用してみよう。「人間はどう生きるべきかという問題を自分のことばで語るのが哲学だとして、そのような学問として西洋哲学が存在していることは間違いありません。ソクラテス、プラトン、アリストテレスに代表されるギリシャ哲学、そして近代では、その幕開けとなったデカルトにはじまり、カント、ヘーゲル、そしてニーチェ、ハイデッガー・・・。これらはやはり素晴らしい哲学者たちです。彼らのように、哲学はまず、自分の思想を自分の言葉で語らなければなりません。ところが、日本の哲学者と言われる人びとは、その多くが自分の思想を語ることをしていません。・・・」そして、数少ない、自分の言葉で自分の哲学を語る日本の哲学者として、西田幾多郎、田辺元、和辻哲郎、九鬼周造を挙げている。(ここに出てくる哲学者たちの書物は読んでおきたいところですが、なかなか手を出す勇気がありません。「善の研究」は数ページで挫折しました。)梅原は西田の哲学に魅せられて京大に来るわけですが、一方で言葉が難し過ぎることを批判もしている。さらに、西洋哲学についても批判がはじまる。「西洋哲学がはたして人類哲学であると言えるでしょうか。西洋が生んだ科学技術文明は、まったく誤りのないものであるか、その文明を基礎づけた西洋近代哲学は絶対に正しい哲学であるか、ということが問題にならざるを得ない。現在、近代科学技術の発展によって生じた環境破壊の危機が叫ばれている。・・・西洋近代哲学が、どこかに誤りを抱えているからではないか。・・・」そこで、40歳まで西洋哲学を学んでいた梅原は、日本研究に転向する。日本の文化の原理のなかに、西洋文明の行き詰まりを解決し、そして新しい人類の指針になるような思想が潜在しているのではないかと考えてのことだ。そして、50年近くも日本文化を研究した結果、「天台本覚思想」に日本文化の本質を解く鍵が隠されているのではないかと思うようになる。これは、平安時代末期に、天台宗と真言宗が合体してつくられた天台密教から出てきた思想だ。天台密教を完成したのが良源である。そして、この「天台本覚思想」は、およそ「草木国土悉皆成仏」という言葉で表せられる。動物の成仏は当然で、草木さえも成仏する。それどころか、国土すら成仏できる。国土も「生きとし生きるもの」に含まれるという。この考えが鎌倉仏教にも受け継がれていく。これこそが、日本仏教の根本思想と言えるだろう。仏教はもちろん中国やインドから伝わったものだが、そこにどうして日本独特のこういう考え方が生まれてきたのか。そこには神道、さらには縄文文化の影響があるという。縄文時代は狩猟採集文化あるいは漁労採集文化である。日本人の一番好きな料理は寿司だろう。生魚を好んで食べる先進国は日本しかない。米は稲作農業を営む弥生文化の産物。したがって、寿司は弥生文化の上に縄文文化がのっているわけで、これこそまさに日本文化と言えるだろう。縄文土器が芸術としても素晴らしいということを発見したのは岡本太郎だが、このような縄文文化が日本文化の基層文化として存在している。それが、6世紀に輸入された仏教に大きな影響を与え「草木国土悉皆成仏」という日本独特の思想を生み出した。
    このあと、縄文文化を伝えるものとしてアイヌが紹介されますが紙数がつきました。次回以降、西洋哲学の紹介を経て、再び森の思想「草木国土悉皆成仏」にもどってきます。

    その2
     まずは400年ほど前に活躍した「近代哲学の父」とも呼ばれるルネ・デカルトを見ていこう。「デカルト以降の哲学は、たとえデカルトの理論に反対する哲学者であっても、デカルトが提供した問題の内側で動いているにすぎないと考えられます。それほどに、デカルトは偉大な哲学者と言えます。確かに、デカルトが理論的に基礎づけた科学技術文明に、現代の日本は多大な恩恵を受けています。しかし、その科学技術文明は、必ずしも人類に幸福な未来を約束するものではありません。それは地球環境の破壊という現象で明らかです。・・・科学技術文明を100%謳歌(おうか)するという思想でよいとは言えないのではないか。そういう眼で見ると、デカルトに対しても厳しい批判をせざるを得ないと思います。」以降、『方法序説』に対する批判が続きます。そこに登場する4つの学問の方法―直観(まったく疑いないということ以外は真実と認めない)、分析(問題をできる限り多くの、できる限り細かな小部分に分割する)、総合(簡単なものから順に、だんだんと難しいものにいたる)、枚挙(見落としがないか注意して、その理論を完全にするよう再検査する)―について、梅原先生は100%賛成している。また、そういう方法で学問を進め、著書も執筆してこられた。次に有名な命題が登場する。すなわち、「われ思う、ゆえにわれあり」。まず、デカルトは感覚的認識を疑った。そして、理性で考えた推論も疑う。ではいったい「疑えないものとは何か」。最終的にこれは、「疑っている自分が存在する」という一点に絞られる。これが先の命題となる。デカルトはこの疑う「われ」を場所も肉体も持たないものと考えた。まさに「他の者の存在によらないもの」と考えたわけで、ここに梅原先生は疑問をもつ。「この言葉にある「われ」は、場所も肉体も持たない精神を指します。場所も肉体も持たない精神というものがいったい、ありうるのか。私は大変疑問です。」そして、「小倉百人一首」なども例にあげながら、心と身は不可分のものであるという。また、デカルトは信頼できる確かな知識とは何かを探究していた。確実な答えを導ける学問は何か。それは数学である、というわけです。「自然というのはまったく機械的に数学的公式によって把握されるものだ、とデカルトは考えたのです。実体には3つがある。1つは神という完全な実体。そして2つめが内側にある、思惟を本質とする精神という実体。そして3つめが、外側にある延長を本質とする物質という実体・・・。このような自然観のもとに自然が研究されたならば、自然は解明される。・・・自然は召使のように唯々諾々(いいだくだく)(いわれるがまま)として人間に従うようになる・・・。」また、人間の身体もやはり機械であるから、機械的な分析によって肉体も解明される(「人間機械論」)とデカルトは言う。確かにデカルトは、自然科学および医学の飛躍的発展の大いなる予言者であった。これによって人類には大変な幸福がやって来るとデカルトは考えた。しかし、そこには何か見落としがないだろうか。「私は、この自然に恵まれた日本に生まれたせいなのかもしれませんが、「自然は生きている」と強く思うのです。人間とともに、動物も植物も生きている、あるいは地球そのものが生きている、と思うのです。」「デカルト哲学のおかげで人類は自然を征服することができた、と言っていいでしょう。しかし、征服した今、その征服がやがて人類そのものを滅ぼす危険性を持っていることが明らかになってきたのです。」そこで、梅原先生は「草木国土悉皆成仏」の思想が必要だと確信するわけです。(ここで、最近読んだ小説、伊与原新著「磁極反転の日」(新潮文庫)について触れると、そこでは、人間の力なんて無力であるということが思い知らされます。地磁気がなくなる、太陽風の影響をもろに受ける、そのとき現代文明はどうすることもできない。地球にとっては何度も経験したこと。何でもない。人類もおそらく存続するだろう。現代文明がどうなるか、ただそれだけのこと。)
    次に、デカルトに対して批判的であったニーチェ、ハイデガーの哲学について見ていきましょう。デカルトは「人間にとって最も重要なのは理性である」と言った。それに対してニーチェは、人間にとって重要なのは理性ではなく意志(権力への意志)だと言う。「権力への意志」(=支配しようとする意志)こそが人間の本性であるとニーチェは言う。王は支配する人であり、強い人間である。ところが、支配される側の奴隷もまた支配しようとする意志を持っており、ひそかに王を倒そうとする。そこにルサンチマン(うらみ)が生まれる。ルサンチマンこそが弱い人間の屈折した意志であると言う。そして、キリスト教における「神の国」という思想に弱者の復讐(ふくしゅう)の思想が込められていると考えた。キリスト教はルサンチマンの宗教であり、デカルトの理性の哲学もキリスト教の呪縛(じゅばく)からは抜け出ていないとニーチェは批判する。そして、神が死んだこの時代に生きるべき人間のことをニーチェは「超人」(=意志の塊のような人)と呼び、それを目標にした。そして、この超人にもっとも必要な思想が「永劫(えいごう)回帰」であると言う。永劫回帰とは、現在の世界と同じことが、遠い昔にも、遠い未来にも存在する、この世界は何も変わらない、同じ世界が永遠に続く、という思想である。ここから、世界はまったく変わらない、人生はまったく意味がない、という思想=ニヒリズムにもつながる。ハイデガーは、ニーチェのことを次のように評している。すなわち、デカルトなどがおし進めた西洋の「理性の哲学」の裏には、すでに人間が自然を支配する「意志」が存在していたということをニーチェが見破ったのだと。ハイデガーは現代を「凶暴な意志が支配する狂気の時代」と考えた。さらに、現代人は大変豊かな、便利な生活を営んでいるようで、何か欠けている、大きな欠如がある、それを「乏しき時代」と呼んでいる。この「乏しき時代」を救うのは何か。それは、心情的内面空間への回帰である。長い間忘れられていた「存在」への回帰である。ソクラテス以前の古代ギリシャにはあって、それ以降、西洋では自我の凶暴な技術的支配のため隠蔽(いんぺい)されてきた「存在」。それがいままた必要なのである。(「存在」って何だろう。分かるようで分からない。)しかし、梅原先生は言います。ニーチェにしても、ハイデガーにしても、やはり人間中心でものごとを考えていることに変わりはない。この、自然環境が破壊されてきた現代において、人間中心主義では問題は何ら解決しないのではないか。そこで、「草木国土悉皆成仏」なのです。次回はヘレニズム(ギリシャ文明)、ヘブライズム(ユダヤ文明)を振り返った上で、「森の思想」へと移っていきましょう。

    その3
    近代西洋の文明はヘレニズム(ギリシャ文明)とヘブライズム(ユダヤ文明)の影響を受けている。ヘブライズムとは何か。それを知るには聖書を読む必要がある。旧約聖書はユダヤ教の聖書でもある。それを読むと次のようなことが分かる。「人間は神の似姿であり、神は自らに似せて人間に理性を与えた。そして、理性を与えることによってすべての動物の支配権を与えた。この思想は、まさに近代西洋の基となったデカルトの思想を先取りするものなのです。」次に、ヘレニズムとはどのような文明か。ギリシャに聖書はないが、ヘシオドスが書いた「神統記」というギリシャの神の系図を書いた本がある。そこには、代々、父が子を殺し、子が父を殺す、非常に残酷な神話が記されている。おそらくそれは、ギリシャにおいて民族同士の血で血を洗う戦いが続いたからであろう。神話は歴史を反映している。またホメロスの「イリアス」と「オデュッセイア」も古代ギリシャ人がもっとも重んじた二大叙事詩で、ヘレニズムを語るとき、それらを無視することはできない。これらは戦争を描いた物語である。都市を攻め落としてその財産を奪う。そして捕まえた人々を奴隷とする。ギリシャはまさに海洋民族、あるいは海賊民族であったのだ。ギリシャの人々は労働を奴隷に任せたことで余暇(スコラ)ができた。そこから哲学(学問)や芸術が生まれた。ギリシャ哲学の起源は、ギリシャ本土ではなく、ギリシャの植民地であった小アジアのイオニアにある。イオニアの哲学は自然哲学と言われる。万物の起源(アルケー)を、ターレスは「水」、アナクシマンドロスは「無限なもの」、ヘラクレイトスは「火」、アナクシメネスは「空気」であると言った。そしてこの哲学がソフィスト(弁論士、賢人)によってアテナイへ伝えられる。ソクラテスはそれを痛烈に批判する。ソフィストが教える雄弁術は真理を教えるものではない。ソクラテスは賢人と言われる人のところに行き問答をする。そして、賢人と言われる人も結局は無知であることを暴露する。ソクラテス自身は「自分が無知であること」を知っている。これを「無知の知」という。その後、ソクラテスは、彼によってはずかしめられたアテナイの有名な人々に訴えられ、裁判にかけられる。それでも、自分がまったく正しいということを主張し、死刑となる。ここで、ソクラテスは、哲学の中心を自然から人間に移している。「哲学すなわちフィロソフィアの『フィロ』は愛であり、『ソフィア』は知であり、知を愛することである。しかし知というのは、真実の知であります。それは常識的な知ではありません。そういう常識を疑い真の知を求めるのが哲学です。この点、真の知を求める精神において古代哲学の創始者であるソクラテスも近代哲学の創始者のデカルトも、ともに同じことを語っています。」ソクラテスの弟子であるプラトンは「人間の魂を不死としました。それがイデアの思想であり、それによって人間は不死という永遠の存在となりました。このように人間を不死とすることによって、人間はすべての動植物よりはるかに優位を獲得しました。その人間優位はまさに西洋哲学の主張となりました。」ニーチェやハイデガーはこのプラトンにはじまる理性の哲学の伝統にノーを突き付けた。そしてソクラテス以前の哲学、すなわちイオニアの自然哲学に帰れと言った。しかし、ここでこの自然哲学に抜けているものがある。それは「太陽」だ。(その理由は本書では追求されていません。)それが古代エジプトにはある。そして日本の神話にもある。太陽の神、すなわちアマテラスオオミカミ。また、日本人はもともと「お天道様」をとても大事にしていた。これは農耕民族としての日本人のもともとの信仰である。日本の農業である稲作には太陽と水が重要であり、それらを神としてまつった。稲作農業文明の起源は中国にある。黄河文明より古い長江文明である。この長江文明は小麦農業中心の黄河文明に滅ぼされた。が、その流れが日本に伝わったと考えられる。原発事故を踏まえて、われわれは近代合理性の限界を知らなければならない。「もう一度、人間が太陽と水の恩恵を肌で感じ、太陽の神、水の神に対する尊敬を取り戻すことが必要ではないかと思うのです。この問題はただのエネルギーの問題のみではなく、エネルギーの問題以上に文明の問題であり哲学の問題であり、宗教の問題であると思います。」
    いよいよ最終章「森の思想」である。梅原先生のことばに耳を傾けよう。強い思いがほとばしっている。「私は、日本文化の中核的な思想として『草木国土悉皆成仏』という天台本覚思想を指摘しました。日本文化の思想は、この言葉によって十分説明できる。この『草も木も、国土もすべて仏になれる・・・』という思想は、縄文時代以来の日本文化の特徴を示す思想ではないかと私は考えます。」「『草木国土悉皆成仏』というのは、縄文時代以来の思想であると思いますが、一方の太陽と水の神仏の崇拝というのは、稲作農業が日本に入ってきた弥生時代以降の信仰であろうと考えています。」「水を蓄えてたえず川に水を供給するのは森です。稲作農業には森は必要欠くべからずものです。日本の稲作農業を支えたのは日本の豊かな森なのです。」「小麦農業には雨を必要とせず、それゆえ森は必要とされません。これは小麦農業と稲作農業の大きな違いでしょう。」「東アジアの中心地である中国では、麦作と稲作の農業が存在しました。黄河流域はおおよそ小麦農業地帯で、長江流域および以南は稲作地帯です。・・・中国の北半分には、ほとんど森が存在しません。」「千年の日本の都京都は、周囲を山と森に囲まれています。・・・都が森の中にあるというのは、やはり日本特有のことなのではないでしょうか。」「現在、日本の国土面積の約三分の二が森林です。その約六割が天然林で占められ・・・先進国で、こんなに多くの森が残されているのは、日本だけでしょう。私は、これは日本が大いに誇りにすべきことではないかと考えます。」「『草木国土悉皆成仏』という思想は、森の文化の思想です。」このあと、梅原先生は、この思想を文学によって表現した宮沢賢治と絵画によって表現した伊藤若冲にかなりのページを割かれています。それから、話は仏教に及び、再び西洋文明の批判となります。「ユーラシア大陸の西側の文明は原則的には、このように森を破壊する文明であると言ってよいと思います。このような文明のなかでデカルトの思想が生まれ、そして産業革命が起こったわけです。産業革命のエネルギー源は、最初は木材でした。そのために、大量の森が破壊されることになりました。そしてそのうちに石炭・石油が発見されました。『森を破壊する思想』というのは、今の人類の環境破壊の大きな問題です。この思想の発生は、あるいは古くは、ギリシャにまで遡るのですが、このような文明の原理と、森を大切に守っていく本来の東アジアの文明の原理はまったく違う。」「われわれは、もう一度森の文明の意味を再考すべきではないかと思うのです。『草木国土悉皆成仏』という思想、そしてそれを説いた賢治やそれを描いた若冲は、いまや世界的に評価されるべきではなかろうかと思うわけなのです。」「私が考えている哲学というものは、生きとし生けるものと共生する哲学であり、科学や科学技術も、そのような哲学に裏づけられなければならない、と強く思うのです。」
    梅原先生は今年で92歳になられます。これまでに三度もがんを患い、しかし近代医学のおかげで助かってこられました。そのうえでなお、もう科学の進歩を謳歌する思想が通用するような時代ではないと言われています。本書は序説。これからさらに西洋哲学を(批判的に)研究し、より正確でより体系的に論じた著書を書きたいともおっしゃっています。その著書が「人類哲学」の本論になるはずだと。早く、その著書を手にしたいものです。(その前に、先日文庫になった「親鸞『四つの謎』を解く」を読まないと。)
    今回で「人類哲学序説」は読了です。読み取れていない点、理解しきれていない点、あるいはきちんと論じられていない点などなどいくつもありますが、梅原先生の言いたいことははっきり伝わったのではないでしょうか。こういう考え方があるということをぜひ心に留めておいてもらいたいと思います。

    初回
    これは読みやすかった。哲学の本と思って覚悟してかかったけれど、あっという間に読みきった。だからと言って内容が薄っぺらだというわけではない。5回の公開講座をもとに書かれているようなので、分かりやすく仕上がっているのだと思う。「哲学とは、歴史の中で人間はどう生きるべきかと問い、その思索を体系化するものです。しかも、それを自分の言葉で語る必要があります。」それができていた哲学者として、デカルト、ニーチェ、ハイデッガーの思想が語られている。しかし、そのギリシアから始まる西洋の哲学では、いま人類がどう生きるべきかは見えてこないという。そこで登場するのが「草木国土悉皆成仏」という言葉で表現される天台本覚思想だ。この「草木国土悉皆成仏」いったい何回本書に登場するのか。ざっと探したところ26回出てきた。これが著者の言いたかったことのすべてなのだろう。それにしても、この「草木国土悉皆成仏」という言葉、「そうもくこくどしっかいじょうぶつ」と打って一気に変換するとちゃんとすべて間違わずに漢字が出てくるから、これは有名な言葉なのだろう。私が無知なだけだ。自分が無知なことはよく知っているので、まだましか。本書は序説。その通り。まだ天台本覚思想の話はしっかりと聞かせてもらっていない。次の本に期待がかかる。

  • 西洋文明により、豊かで便利な生活が生まれ、デカルトの哲学に基礎づけられて自然科学文明が勃興し、近代医学の発展があった。
    著者は、西洋文明の偉大さを認めながらも、「現代は、もうそのような科学の進歩を謳歌する思想がそのまま通用する時代ではない」と近代西洋的な人生観では、駄目であるという。
    確かに今まで人類が歩んできた歴史に、現代人は恩恵を受けているが、果たして受けているのは恩恵だけだろうか。原発にしてもそうだが、その利便性は危険を伴っている。
    本書に何度も出てくる「草木国土悉皆成仏」という、仏教の思想のように、自然も生きていて、その中で人間はどのように生きるかということを考えるべきだと思う。
    人間だけが特別という考え方では、本当の豊かさは得られないのではないだろうか。

    デカルト、ニーチェ、ハイデッガーの思想や、ヘブライズムとヘレニズムについてなど、とても分かり易く、基礎的な情報が得られて、ためになった。
    哲学書とは思えない、平易な文章で書かれていて、本当に読みやすく、面白かった。

  • 人類文化を持続的に発展せしめる原理とは?......

    かつてとんでもないSF映画があった。
    「インデペンデンスデイ(ID)」。
    地球人が宇宙人のマザーシップにコンピュータウイルスを感染させてバリアを破壊、攻撃するというあまりにも想像力プアーなあらすじは、ゴールデンラズベリー賞の最低脚本賞にもノミネートされたほどだ。
    この映画を揶揄したのが「マーズ・アタック!」で涙が出るほど笑える傑作だったが、IDは笑うどころか退屈して寝てしまった。

    IDまでひどくはないものの、宇宙の知的生命体を探している科学者の多くも、それらは宇宙船に乗って来ると思い込んでいる。
    宇宙は気が遠くなる広大さなのに、三次元の人間レベルで考えてよいのであろうか。
    例えば、宇宙のどこかの星には空飛ぶアメーバのような四次元的な生き物が栄えているかもしれない。だが「神は自分に似せて人を作った」と聖書にあるように、人は古来から自分の範疇をなかなか越えられない。

    梅原先生は、デカルトの「われ惟う、ゆえに我あり」に始まった近代の西洋哲学を大まかにおさらいしながら、批判を加え、これからの世の中の核になるべきは仏教由来の「草木国土悉皆成仏」という思想だ、と主張している。

    デカルトの機械論の展開が科学技術を発展させるきっかけとなり、人間社会はここまで来た。
    その究極が原爆であり、原発である。
    だが日本人はその恐ろしさを身を以て知っている。
    地震、火山、台風。
    人や土地を飲み込む自然の恐ろしさも知っている。

    だが西洋哲学では、人間を常に中心に置いて考える。
    自然は人間が征服するものであると考える。
    この思想を明治以降の日本人は必死で学んで来たが、この哲学が日本人を、ひいては人類をよく導いたと言えるだろうか。

    ところで、21世紀に入ってからの、西欧における日本ブームには驚く。そこここでZEN ◯◯という商品が売られ、つい20年前まで「生の魚なんて食べられない」と言っていた彼らが箸を上手に使って寿司のランチを食べていたりする。
    この日本への傾倒は一体なぜなのだろう。

    仏教用語である「草木国土悉皆成仏」に落とし込むことが正しいと私は思わないが、日本のアイデンティティ、日本的価値観を西洋的手法を使って分析し、系統立てて解説することが、日本を知る哲学者、思想家の急務であると思う。

  • 哲学者である著者が、西洋哲学への批判と、日本の伝統思想がもたらす新たな可能性への期待を語っている本です。

    西洋哲学の礎を築いたデカルトの理性中心主義、それを批判したニーチェの主意主義、ハイデガーの実存論、存在論を紹介し、さらに西洋思想の根底にあるヘブライイズムとヘレニズムにまでさかのぼって、西洋の思想、とくにその自然観がいきづまっていることが論じられます。そのうえで、日本の伝統的自然観、とりわけ日本仏教の「天台本学思想」と、親鸞の「二種回向」の思想が、人間と自然、人間と社会の新しい関係を切り開く原理になるのではないかという展望が示されています。

    西洋哲学のあまりにも性急な切り捨てに、不満を感じるところがあります。かなり大雑把な文明批評という印象です。

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