- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004314226
作品紹介・あらすじ
日本には、「草木国土悉皆成仏」という偉大な思想がある-。原発事故という文明災を経て、私たちは何を自省すべきか。デカルト、カント、ニーチェらを俎上に近代合理主義や人間中心主義が置き去りにしてきたものを吟味、人類の持続可能な未来への新たな可能性を日本の歴史のなかに見出す。ここに、「人類哲学」が誕生する。
感想・レビュー・書評
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日本には「草木国土悉皆成仏」という偉大な思想がある−。デカルト、ニーチェらを俎上に近代合理主義や人間中心主義が置き去りにしてきたものを吟味し、持続可能な未来への可能性を日本の歴史のなかに見出す。【「TRC MARC」の商品解説】
関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40183110 -
これまでの科学技術文明が人類の生活水準を劇的に押し上げてきた反面、環境破壊を通じて地球への負荷も目に見えて大きくなっています。そのような中で本書では人類全体が指針とすべき新たな「哲学」として、天台思想の「草木国土悉皆成仏」を挙げておられます。これは生きとし生けるものすべてが仏の本性を持っている、という仏教の思想の1つで、神道にもそのルーツをたどることができます。この本の大きな特長は、梅原氏が世界の様々な「哲学」と「草木国土悉皆成仏」思想を比較しその優劣を論じているところで、仏教でいうところの教判論だと思いました(注:様々な教えの違いを分析しその優劣を述べるのを仏教では教判と呼びます。例えば空海は「弁顕密二教論」という書の中で、密教と顕教というカテゴリーのもと、密教が優れていることを論じています)。その意味で本書は世界の哲学(思想)の教判書である、と認識しました。
このような哲学の教判書をかける人物は世界でもほとんどいないのではないでしょうか。さすがに梅原氏も、本書のタイトルを「序説」とした理由として、梅原氏自身が西洋哲学から離れてだいぶ年月が経っていること、よって西洋哲学の面での論述が不十分である点を挙げておられが、それでも非常に中身の濃い本だと感じました。大変勉強になりました。 -
最澄に連なる比叡山中興の祖である良源は天台宗本覚思想を完成した。日本文化の本質を解く鍵はこれにある。本覚思想とは、草木国土悉皆成仏、一木一草のなかに大日如来が宿っているという思想である。本覚思想は鎌倉仏教の共通の前提となっている。
さらに遡ると縄文文化に行き着く。縄文とアイヌには連続性があり、アイヌの貝塚思想は生きとし生けるものの再生を願うものである。
草木国土悉皆成仏、アミニズムは世界の原初的文化である狩猟採集文化共通の思想である。
デカルトは世界を変えるのではなく自分を変えろと考えた。これはストア派と類似する。アリストテレス以来自然とは神の意思の実現であるとされていた。デカルトは自然とは数学的公式により把握されるとした。ここにデカルトの偉大さがある。
ニーチェは血でもって書けと言った。頭でも情でもない、血である。自分に味方のないことを確認した後、勝ち誇る者に論争を挑め。ニーチェはデカルトの理性万能主義を否定して、最も重要なものは意志であるとした。
ハイデッガーはニーチェ研究に始まり実存主義哲学を創始した。死を自覚することで初めて自己が生まれるとした。のちにザインの哲学へ移行する。凶暴な意志が世界を支配しており、それに隠れた「存在」が重要とした。
世阿弥は鶯も蛙も歌を詠むと言った。草木思想である。
ソクラテスとプラトンは人間中心主義の祖である。人間中心主義、科学万能主義はいずれ裁きを受ける。 -
西洋哲学が主流になったのは、その言葉による構成力だと思います。
しかし、世界には東洋をはじめ、色々な知恵が点在しています。
それらを統合して哲学を新しくしていく、それこそが人類哲学、多様化の時代の哲学です。
本書はそのものでは有りませんが、読むとその姿をほんのりとイメージできます -
【由来】
・図書館の岩波アラートで
【期待したもの】
・(図書館の本紹介文)日本には「草木国土悉皆成仏」という偉大な思想がある−。デカルト、ニーチェらを俎上に近代合理主義や人間中心主義が置き去りにしてきたものを吟味し、持続可能な未来への可能性を日本の歴史のなかに見出す。
【要約】
・「理性=人間」中心主義だったこれまでの西欧の思想潮流を批判的に概観し、日本の縄文文化やアイヌ文化の中にも見られる「草木国土悉皆成仏」に、これからの世界を担う哲学を見出す。
【ノート】
・梅原猛という人の本を初めて読んだ。それまでは、何となく胡散臭さを感じていたのだが、本書を読んでも、やはり、そこここに胡散臭さや自己顕示欲を感じる。
・が、デカルトからニーチェ、ハイデガーを概観しているのは、哲学に馴染みのない人には分かりやすい。飲み屋で、ちょっと哲学に詳しいオッサンが気持よく語っているまとめを聞いてる感じだ。そこから導き出されてる日本的なものの礼賛には、我田引水だなあと感じるものの、魅力を感じないでもない(歯切れの悪い言い回しだが、全面肯定できる類のものではないので、こういう言い方になってしまう)。ある友人からの話で、そのオリジナリティに疑問符がついたのだが、貝塚は縄文人のゴミ捨て場ではなく、再生の祈りの場である、とか、そのような思想はアイヌ文化の中にも色濃く見えるとして熊送りの儀式であるイオマンテの話を出してきたりで、玉石混交な印象。
・哲学の「序説」というには物足りない展開だが、今後どんなものが出てくるのか、ちょっと期待している。 -
一昨日から昨日にかけて、一泊で京都へ――。
哲学者の梅原猛さん、環境考古学者の安田喜憲さん、『岩手日報』編集局長の東根千万億(あずまね・ちまお)さんによる鼎談の取材(で、私がまとめる)。
鼎談のテーマに関連する梅原さんの近著『人類哲学序説』(岩波新書/798円)を読んで臨む。
タイトルだけでたじたじとなってしまいそうな本だが、これがじつに面白い。大学で行われた連続講座をベースにした本なので、全編語り口調のやわらかい文章で書かれているし、「(笑)」も頻出するのだ。
自然を収奪することによって成り立ってきた西洋型文明が、20世紀後半からしだいに限界を見せ、福島第一原発事故という「文明災」によって決定的に行き詰まった。
では、今後の新たな文明の土台となるべき哲学とはなんなのか? 梅原さんはそれを、仏教の「草木国土悉皆成仏」の中に見出す。人間や動物のみならず、草木や国土でさえ仏性をもち、みな仏になり得るという意味。元々は「天台本覚思想」だが、それが自然の中に八百万の神々を見る日本古来の思想と結びつき、「日本思想」となった。「草木国土悉皆成仏」は、鎌倉仏教の共通原理でもある。
自然を支配しようとするのではなく、自然と「共生」する思想。それが日本から世界へと広まれば、21世紀にふさわしい「人類哲学」となり、文明のパラダイムシフトをもたらすのではないか? ……そのような壮大無比の構想の、本書はまさに「序説」にあたる。
そのためにまず、梅原さんはデカルト、ニーチェなど、西洋文明を基礎づけてきた哲学の果たしてきた重要な役割を論じ、その限界を指摘していく。
梅原さんの思想のエッセンスを抽出した入門書としても読める、内容の濃い一冊。 -
大きな題目となった。人類哲学。今までの西洋哲学ではこれからの世界の未来を担えない。その思想が「草木国土悉皆成仏」だそうだ。なんだかアニミズムのような感じがするが。天台本覚思想を一言でいうとそうなるとか(?)。
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結局人類哲学とは何かいまいちはっきりとしなかったが、日本、西洋などの大まかな思想の潮流が、作者の主観を通じて平易な語り口で説かれていて非常に読みやすかった。デカルトの流れをくむ西洋科学文明は限界に達しており、日本の草木国土悉皆成仏という思想が現在必要なのではないか、ということがいいたいらしい。
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中国で密教を学んだ円珍・円仁が天台宗を密教化し、良源が天台密教を完成させた。草木国土悉皆成仏で表現される天台本覚思想は、浄土、禅、法華の鎌倉仏教の共通の思想的前提になったことから、日本仏教の根本思想であるといえる。
釈迦の弟子たちは、人里離れた地にある寺院にこもって厳しい禁欲生活を送ったが、龍樹は、自分だけ悟りを開いて安静の生活をすればよいという自利の仏教では町にいる苦しめる人間は救えないと考え、欲望の有無にとらわれない「空」の立場に立つ仏教を主張し、悩める人間を救う仏教者を菩薩とする大乗仏教を生んだ。