新・現代アフリカ入門――人々が変える大陸 (岩波新書)

著者 : 勝俣誠
  • 岩波書店 (2013年4月20日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004314233

作品紹介・あらすじ

「アフリカの年」から約半世紀、グローバル化が進展する中で、人々の生活、社会や環境に何が起きているのか。欧米日による資源奪い合いの構造を浮き彫りにし、中国など新興国とのかかわりの実情に迫る。四〇年あまり現地に寄り添い、そこに生きる人々と密に触れ合ってきた著者が、「人々のアフリカ」の課題と可能性を熱く説く。

新・現代アフリカ入門――人々が変える大陸 (岩波新書)の感想・レビュー・書評

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  • 勝俣誠『新・現代アフリカ入門』岩波新書、読了。アフリカの年からおよそ半世紀、冷戦の崩壊から20年。経済のグローバル化は南北問題の解消を夢想した、南の貧困と北の支配現象は拡大するばかり。本書は四十年近くアフリカに通い続けた著者が歴史と現状、現在の課題と可能性を纏めた一冊だ。

    アフリカと言っても非常に広大だが、筆者の後を追跡するだけでも実像は見えてくる。そこには数字でも理念でも浮かび上がらない「生身の人間」が登場する。特別異常でうまくいかない訳でもない。なぜ、そうなるのか。筆者は南北問題に力点を置き説明する。

    アフリカの不幸と問題は私たちの切り離された異常ではなく、程度の差こそあれ『北』の問題である。しかし私たちは気づきだしている。終章「人々が変えるアフリカ」の一節が染み渡る。「人は市民として生まれない。尊厳への戦いを通じて市民になるのだ」。

  • 本書は、アフリカ諸国の歴史と現在を著者の視点で綴った書。

    アフリカ諸国が植民地からの独立を果たした後、何故、混乱と紛争が絶えず、貧困からなかなか抜け出せないでいるのか。著者は、欧米先進国や中国を始めとする新興国が、アフリカの資源を安定的獲得するとともに、その購入資金を自国製品を売り付けることによって回収する「古典的南北間貿易」を続け、アフリカ諸国に国内産業を育てようとしないことが原因だという。かつての宗主国であるイギリス、やフランスは、アフリカ諸国独立に際し、革命勢力を駆逐して自国に都合のいい政権を立ち上げたというし、その後も欧米先進国は援助の名の下に自国の都合に合わせて政治や経済に介入してきたようだ。

    まあ、先進国にしろ新興国にしろ、グローバル企業にしろアフリカの政治家にしろ、それぞれが利己的な行動をとってしまうのはやむを得ない。ただ、目先の利益を追うのではなく長期間持続的に利益を得るには、結局win-winを目指さなければならないってことが分かって行動できるかどうかなんだろうなあ。

    本書、文章がちょっと読みにくかった。

  • 良かった。
    アフリカの貧しさは、北、つまり、欧米、中国など利権の問題。

  • 読了。

  • 前回、私のブログ(http://blog.goo.ne.jp/gankai2664/e/528945014a9a062ae60d2dde1b1a1238)の方でマンデラ氏の死去について意見を書いた際、隣国ジンバブエの指導者ムガベ氏について「国の経済を失政により混乱させた独裁者」といったニュアンスで紹介してしまいました。おそらく、それはそうなのでしょうが、私が彼を語るのに一方的な見方しかしてないなと、つまりムガベ側の論理も考えずに書いてしまったな・・・と反省しました。彼を擁護するつもりはありませんが、でも私は政治家でもジャーナリストでもなく一教員であり、周囲の人を感化するのが仕事ではなく、生徒たちにさまざまな見方や考え方を伝え、知識や視野を広げるのが仕事ですから、この手順を踏まえずしてムガベを語れないと思い、本書を手にしました。

    著者は長年アフリカ(とくに西アフリカ)に通い詰め、現地の人々と深く交流し、議論を重ね、生のアフリカを理解しようと努めた人です。「基本的にこの南北関係の中のアフリカの立ち位置を描写し、その課題、その展望を明らかにしてみることが狙い」(ⅴ頁)と書いてあるとおり、南北問題の中の「“北”に搾取される“南”」という本書の立ち位置に、読む前は少々違和感を持ってました。“被害者”と“加害者”、“搾取者”と“被搾取者”という固定概念は、多様な社会や階層、重層的な人間関係を見ていくのにときとして誤らせることがあるのでは・・・と思っているからです。もちろん、アフリカに一度も行ったことなく、またアフリカの人と話したこともない私が、アフリカをホームグラウンドとして長年研究を続けている著者へ上記のような「釈迦に説法」をする資格はなく、実際著者は私の懸念の遙か上にいるのであり、固定概念に縛られていたのは私の方だとまたまた反省しました。

    本書を読んでいくと、いかに“北”の都合に“南”が振り回されてきたのかがよく分かります。例えば、「日本のような先進国では、しばしば、アフリカにはまだ自然が残っている、だからその自然は守っていかなければならない、とされる。・・・しかし人口増による耕地のニーズの高まりや都市化の進行、さらに様々な経済活動の広域化によって、従来の自然保護の発想は、もはやアフリカ社会の新たなニーズと合致しなくなった。そのため、アフリカだけがまず先進国並みの先端産業を目ざすことを禁じられ、ひたすら自然を保護しなければならないのかという、アフリカ側からの反発がよく聞かれるようになってきている。」(19頁)という指摘は、温暖化防止会議のときの途上国側の声とも相まって、私たちに強く突き刺さります。
    また、アフリカは(とアフリカを一括りにするのは誤謬を招きそうですが、ここでは一般的な見方という意味でアフリカを一括りにします)選挙のたびに、不正と暴力がはびこる、換言すれば、権力者側は不正選挙を行い、敗者側は選挙は不正だと認めず武力蜂起をする、つまり選挙が混乱を治める手段ではなく、混乱を招く要因となっているように見えてしまいます。これについても著者は「こうしたしばしば暴力に充ち満ちたアフリカにおける民主化の(1980年代以来)20年の、筆頭に挙げるべき特徴は、民主化とは、なるべく早く野党を認めて選挙を行うことだと、アフリカ側の政治家や欧米日政府が考えたことである。すなわち、複数政党のもとで外国の監視団が見守る中ほぼ「自由で公正で透明な」選挙が行われれば、それだけで民主化は実現したとみなさられがちだったということである。かくして、この「民主化」の20年は、相次いだ選挙の栄光と悲惨の20年と言っても過言ではないであろう。」(30頁)としています。この原因として、混乱した地域の選挙は「国民が果たしてどんな社会を選び取っていくのかといった争点が不明確で、候補者の個人的資質ないしカリスマ性が投票行動に大きく反映されていた」(31頁)からだとします。さらに遡れば、冷戦構造のもと、西側、東側それぞれ都合の良い指導者が大統領となるよう、大国の思惑の中アフリカ各国の指導者が後押しされてきました。例えば独裁者として悪名高いザイール(現コンゴ民主共和国)のモブツは、アメリカとフランスのこの国の「“スキャンダラスなまでの”豊富な鉱物資源を何としても東側に渡してはならない」(72頁)という思惑により維持されてきました。これについても著者は「モブツ体制の汚職、特に大統領個人の権力欲や資質を批判することは容易い。しかし、根本的に問われなければならなかったのは、むしろそういったモブツ体制の存続を支えていたのはいったい何であったということではないか。探るべきは政治指導者個人の行為に対する道徳的判断を越えて、その行為を見てみないふりをしたり、可能にしてきた国際的仕組みの方ではないか。金を渡す側なくして、受け取る側は存在しえない」(78頁)と指摘しています。
    さらに著者は、アフリカの冷戦後の武力紛争の特質について「単純化を覚悟で」現象面に絞って4つに分類します。まず第一に「国家間の明確な国益追求の結果として、領国の軍隊が明確な指揮系統のもとで戦闘を開始したり停戦したりするものではないという点である。むしろ国内外の反政府勢力と政府軍による武力行使によって内戦という形をとることが多く、しかも内戦と対外戦争が明確に識別しにくい」(121頁)こと。第二に「戦闘の当事者が二者に限らず、そのことが停戦交渉を難しくしている点である」(122頁)こと。第三に「従来の国家間の戦争では明確な開始と休戦という事実上の戦闘行為の終了が認定できたのに対し、現代アフリカの内戦はしばしば始まりと終わりが明確でないということが言える。戦闘の区切りが曖昧で、戦争とも平和とも言えないグレーゾーンが存在してきている」(123頁)こと。そして第四に「冷戦後の反政府武装組織には闘争の目的ないし勝利後の明確な政治経済ビジョンが欠如している」(124頁)です。これは上記の「争点なき選挙」と通底してます。そして「それどころか内戦状態こそが支配地域の鉱物資源を不法に輸出でき、巨大な利益を生むので、紛争が自己目的化してしまっていることさえる。シエラレオネ内戦では「紛争ダイヤ」とも呼ばれたダイヤモンド、コンゴ東部内戦では希少金属のタンタル鉱石などが主要な軍資金減となった」(125頁)としています。こうした見方は現代アフリカを見ていく上で絶対に必要ですし、問題を理解しようとするあまり“一元化”しようとする私たちに警鐘を鳴らすものです。じゃあ、どうすれば戦争はなくなるのか。著者は「現代アフリカで戦争を繰り返さないためには、紛争のルーツを歴史的、文化的、経済的、社会的につきとめていく作業は不可欠であろう。・・・何よりも平和教育や人権教育を学校やコミュニティで広めていくことが大切であろう。」(152頁)としていますが、私はこれは少々楽観過ぎるかなというか、甘い考えなのではないかと思います。じゃああなたはどう考えているのか? と問われると何とも言えませんが・・・。
    次に著者は、経済問題について深く観察しています。アフリカには、ODAをはじめ多くの援助がなされて、貧困の解消がはかられてきました。しかしそれがうまく機能してこなかったのは誰しもが感じているところです。氏は「外から持ち込まれた新テクノロジーを大量投入すれば、一挙に増産が見込まれるといった「ビッグバン型変革」は、その成果が現れないと、対象とされた農民よりも圧倒的な発言力を持つ国際機関や援助国の側が農民の無知や動機の不足などに責任を転嫁」(163頁)しがちであることを指摘しています。つまり「外部からの介入の仕方そのものが、地域の実情に適合していなかったのではないかという反省が見落とされ」(163頁)るということです。
    さらにアフリカは「国籍を問わない民間の資金を導入し、市場を活性化させる『より小さな国家で、市場をより大きくする』開発ないし経済政策を実現する」(188頁)ための「構造調整」という経済改革を行います。これはワシントンに本店のあるIMF(国際通貨基金)と世界銀行が採用させようとしたので「ワシントン・コンセンサス」と呼ばれますが、結果は情報通信部門を筆頭に「民営化は、結局、旧宗主国の民間企業がアフリカ市場をほぼ自然独占する、つまり民営化を通じた「再植民地化」現象」(192頁)となってしまいました(民意を反映されない民営化は皮肉って「公営企業の損失は国民化(nationalization)され、その利益の方は、政府内の側近によって民営化ないし私物化(privatization)されてしまった」と評された)。
    しかし2000年代にはいると、今度は「北京コンセンサス」と呼ばれる新しい支援方法が入ってきます。「この変化の背後には、冷戦後の「北」の保護者的振る舞いや説教にうんざりしてきたアフリカ諸国の政府と、手段を選ばない国策資源ビジネス公正に踏み切った中国政府との利害の一致がある。すなわち、20年あまりにわたり、援助条件と引き換えに自国の政治・経済運営に細部にわたって口出しされて、しばしば屈辱感をさえ味わってきたアフリカ諸国の政権にとって、内政干渉は一切行わず、アフリカ側の欲する物と中国側の欲する物とをひたすら取引する単純明快な“ビジネス・プラクティス”(商売の仕方)は、またとないビジネス機会となった」(203頁)いうことです。これにより中国は「それまで綿々と稲作技術指導など地域のニーズにあった国際協力をしてきた台湾の承認国を次々に駆逐し、2000年以降、中国―アフリカは共栄共存というレトリックで蜜月関係を迎えていく。13年現在、アフリカ内の台湾承認国はわずか4カ国に減ってしまっている」(204頁)成果を上げ、またアフリカ側もそれまでのように「援助供与にあたって交換条件として人権擁護やビジネスの透明性の実現を次々と要求」されることもなく、「もしも国際社会で自国が「人権侵害」などの非難によって孤立することがあっても、国連安保理で拒否権を有する常任理事国の中国がついてくれれば、経済制裁を回避できるという政権維持の外交上のメリット」も享受することとなりました。
    (うまくまとめることができませんでしたが)以上のようにアフリカをつぶさに見てきた著者は「アフリカ社会のダイナミズムを形成する複雑なヒダを解読しようとする営為を蜂起し、単純化したアフリカ人像から今日の「混乱」を説明しようとする主張や、ことあるごとにアフリカ側の統治能力を根本的に否定するような「破綻国家」を連発する説明も、アフリカ側の人々の主張を無視ないし見過ごしている」(220頁)とします。そしてさまざまな課題を抱えてるアフリカは「市場原理といういわば各人の欲望を解放することによって結果として物質的な富が増大するというシナリオは、あまりに楽観的で機械的」(225頁)であり、「本来の開発を再起動させるためには国家の役割を再定義し、活性化する」「下からの「公」の秩序の復権」を強調します。そして「このアフリカ国家再生論は、決してかつてのアフリカ社会主義なる強力なカリスマ的な政治リーダーシップのもとでの統制経済に戻ることでも、独裁を開発のために正当化することを目ざしているのでもない。・・・求められているのは、市民の監視と参加の下で、何よりも国民の福祉やセーフティーネットを持続的に拡充することを可能ならしめる国富を生む生産的投資を、中長期的開発展望に立って方向づけできる国家である。そしてそのために外国資金だけでなく、自国民の租税と貯蓄をまずは活用できる国家である。」(225頁)と主張します。そして最後に著者は“北”の義務ないし責任を、ロンドン大学東洋アフリカ学院教授のベン・ファイン氏の言葉を引用して本書を締めています。つまり「援助の指針となる原則は、対象となる国の能力づくりに貢献すること。金融を政策に従属させ、決してその逆にならないこと。現実に誰の利益に役立つのかを点検すること。そして、見返りを期待しないで与えることだ」

    ここで、最初の問に戻ります。なぜ、ジンバブエのムガベは、白人の農地を没収したのか。なぜムガベ政権は失政を重ねてもいまだに権力の座に居続けることが出来るのか。
    まずムガベは「80年代、ムガベ大統領は、首都ハラレに、隣国南アフリカでは非合法とされていたアフリカ民族会議(ANC)の拠点を提供するなど、南アフリカの反アパルトヘイト運動を積極的に支援し、アフリカで絶大な尊敬を得た。これに対して南アフリカの白人政権は、複数回にわたり、ジンバブエのANC事務所への爆弾テロや空爆などで応酬し、ジンバブエの不安定化を図った。南アフリカの反差別運動に対するムガベ大統領の揺るぎなき支援は、南部アフリカでのジンバブエの評価を確固たるものにした。」(41頁)ので、南アフリカのムベキ前大統領もジンバブエの与野党間の調停を図ったが、ムガベのかつての支援へのANCの恩義があったから、強くは言えなかったと推測しています。かつて南アフリカの反アパルトヘイト勢力を支援してきた諸国が加盟するSADCは、英国など欧米諸国によるジンバブエへの経済制裁を批判し、その圧力にアフリカ人のとして毅然と立ち向かっているとして、ジンバブエ支持が満場一致で再確認されたほどだそうです。また土地の収奪に関しても、「1979年のランカスター合意の時点で、ジンバブエでは、わずか6000人の白人入植者がもっとも肥沃な土地のほとんどを所有し、450万人のアフリカ人が、残りのより生産性の低い土地での伝統的農業に押しやられている状態だった。英国政府は同合意で、白人の売り手とアフリカ人の買い手の合意による土地改革を、資金援助によって支援すると公約した」(42頁)が、「しかし実際には、それから10年たっても合意による土地改革は進まず、それに追い打ちをかけるように、97年、英国のトニーブレア政権は、土地改革問題は植民地問題ではないとして土地改革支援の打ち切りを通告し、歴代の政権が継承してきた公約を覆した」ので「政権維持に功績のある軍人や与党関係者と貧農への再配分を強行した」のであり、こうした経緯から「身内への配分は良くないとしても貧農への補償なき土地接収自体は支持する、というジンバブエ人は、今日でも少なくない」(43頁)ということのようです。なので「南部アフリカ諸国がムガベ政権を支持し、欧米諸国が反ムガベ勢力を支持した「民主化のねじれ現象」の背景には、こうした経緯がある。支援公約を覆した英国政府と、ジンバブエを「ならず者国家」に仕立て上げ、反ムガベ勢力に多大な資金援助をする一方で食糧援助への反対さえも辞さなかった米国のジョージ・ブッシュ前政権のパフォーマンスも、一体誰のための援助か疑念を残した」のでした。決して国際社会は善と悪の二元的対立ではなく、だからこそ多角的・俯瞰的視野が必要となります。私の前回のブログで足りなかったのはここです。改めて深い反省が必要だと思います。そうした意味でも本書は非常に読んでいてためになりました。

    以後備忘録
    ・南アフリカ南端のケープ地方では、日本でも有名なケープワインが生産され、気候区分は、こってりとしたワインで知られる南欧や北アフリカワインの産出地域と同じ地中海性気候である。
    ・(アフリカ近現代史についてアフリカ人の間での言葉)「アフリカには富はあったが、十字架はなかった。しかし、ヨーロッパ人が来てから、富はなくなり、十字架だけが残った」
    ・(1960年から始まったコンゴ動乱について)西側にとって危険人物とみなされたナショナリストのルムンバは、61年1月17日ベルギー当局と米国の了解のもとに2人の同志とともに殺害された。加えて、事態の収拾に当たろうとした国連の事務総長ダグ・ハマーショルドは、国連軍の介入によってカタンガ州の分離独立はかろうじて中止させたものの、61年9月17日ルムンバ政権の支援要請には応えられないまま、乗っていた飛行機が墜落し、死亡している。
    ・(ルムンバをクーデタで失脚させたモブツについて)「冷戦下に西側への奉仕者として絶大な支援を受ける軍人」
    ・(1998年から始まるコンゴの内乱について)1998年8月、新生コンゴ政権を乗っ取ろうとするルワンダと対立し、内戦が再開する。カビラ大統領は鉱物資源の権益強よなどと引き換えにアンゴラなど6カ国の支援を取り付け、一方、反政府軍のコンゴ民主連合(RCD)はルワンダとウガンダの支援を得た。その結果、アフリカ8カ国以上を巻き込んだ現代アフリカ最大の国家紛争となり、当時のスーザン・ライス米アフリカ担当国務次官補は「初のアフリカ世界大戦」と称した。
    ・(サハラ以南で話されている第一、ないし第二言語として80%以上のアフリカ人が話している主要言語集団はわずか12しかないとするガーナの言語学者クウエシ・プラウの言葉として)よく、アフリカの言語はあまりに多くて、結局、欧米の言語が実用的であるといわれる。この主張に対し、この言語学者は、民族言語の多さは植民地期、キリスト教の宣教師が互いにライバル意識から、自派を伝導しようとするあまり、小規模地域の方言をあたかも成熟した言語であるかのように記述してしまった結果、そうなったと反論している。

  • アフリカの問題を南北問題の、南の問題の一部として書かれている本。

    もちろん、北主導の援助は限界を迎えているし、そもそも援助なのか市場開拓のためのものなのか線引きしにくいところもあるし、水問題などに見る北のグローバル企業の倫理観のなさもある…

    たくさん問題がある中で、私個人としてまで問題を引き下げると、「可哀想なアフリカ」と言うイメージがついている点がそもそも問題かなと思う。食べ物を残すと、アフリカの子供が可哀想、と言われた経験がある人も多いと思うし…

    その、可哀想、と言うのは逆に言えば、下に見ているとも言えなくはない。

    下に見ている限り、同じ立場に立って物事を考えにくい。

    そして下にみられている側も、「無力感の学習」をしてしまっている側面もあると思う。

    膨大な地下資源、横取りされずに済めばいいけれど…

    Oct, 2013

  • ともすればステレオタイプなイメージや欧米の視点のフィルターで語られるアフリカ。本当のアフリカを知るきっかけとなる1冊。本書でアフリカの全てが語り尽くされている訳ではないが、これを起点に色々とアフリカのことを調べてみるのもよいのではなかろうか。

    2013年6月に第5回アフリカ開発会議(TICAD V)が開催されてはや3ヶ月あまり。縁あってその渦中にいた身としてはあのお祭りは何だったのかとふと感じることがある。そんなときに本書を読み返してみてアフリカに思いをはせたい。

    本書の第4章冒頭に紹介されている「井戸を掘ったこの男はそこから水を飲むことはなかった。この井戸の冷たい水で喉の渇きを癒すことになったのは、その後に来た人々であった」がある意味20世紀以降のアフリカを象徴する一節かも知れない。

  • アフリカにはエネルギー最小消費国が集中している。アフリカは世界の原油生産高の一割以上を生産していながら、その消費量は5%とされている。
    南アフリカは今でもアフリカ最大の経済規模を有しながらも、社会全体を見るならば著しい貧困と格差を再生産している。
    アフリカの角ではかつては米ソ間の代理戦争の形をとっていたが、2000年代に入ってからはアメリカの反テロ戦争への参戦協力となった。

    アフリカが本格的な民営化が手掛けたのは1990年代に入ってから。手がけられた業種は電力、電話、水道、農産物流通、加工、農村開発公社など。

  • 20年前に著者が執筆した「現代アフリカ入門」をその後のアフリカ大陸各国の情勢変化を踏まえながら再整理、考察した1冊。先進国がアフリカを陵辱している風の論調が鼻につく人もいるようであるが、これからのアフリカをアフリカ人自身で作っていけるように考えるのであれば、忘れてはならない視点だろう。それまでに中国に食い尽くされないことを祈る。

  • 配架場所 : 新書
    請求記号 : SHIN@312@K102@1
    Book ID : 80100456545

    http://keio-opac.lib.keio.ac.jp/F/?func=item-global&doc_library=KEI01&doc_number=002354605&CON_LNG=JPN&

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