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Amazon.co.jp ・本 (208ページ) / ISBN・EAN: 9784004314370
みんなの感想まとめ
富士山の魅力を地学的視点から深く掘り下げた一冊で、観光案内を超えた内容が特徴です。各エリアの情報が整理されているだけでなく、特に貞観と宝永の大噴火についての詳細な分析が印象的で、歴史的背景を理解する手...
感想・レビュー・書評
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274P
火山学者が書いた『富士山』めちゃくちゃ面白かった。地学、民俗学、地政学は趣味の読書で好きになった学問領域。日本て地学的にハワイに似てるんだよ。だから日本人ハワイ好きが多いんだと思う。よくアジア系として一緒にされる中国とは全然違うと思う。
富士山 大自然への道案内 (岩波新書 新赤版1437)読んで、日本て活断層とか火山噴火で出来た列島だし、地球の活動がむき出しの場所だから、自然災害の国と言っても過言では無いというか、冷静に考えてよくこんな自然災害が多い国に人が住んでるなと思った。
『富士山 大自然への道案内 (岩波新書 新赤版1437)』 小山真人 #ブクログ #読書 #KindleUnlimited
https://booklog.jp/item/1/4004314372
小山 真人
(こやま まさと、1959年 - )は、日本の火山学者。静岡大学防災総合センター副センター長、同大学教育学部教授。静岡県浜松市生まれ[1]。うさはかせの愛称も持つ[2]。静岡県立浜松北高等学校卒業。静岡大学理学部卒業。静岡大学大学院理学研究科修士課程修了。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。理学博士(東京大学 - 地質学)[3]。日本地震学会普及行事委員、日本災害情報学会学会誌編集委員、歴史地震研究会広報委員、富士山火山砂防計画検討委員会委員、伊東市史編集委員などを務めている。また、地元静岡県の富士山や伊豆東部火山群に詳しく、伊豆半島ジオパークの設立に尽力し最高顧問を務めた[4]。2015年には、NHKの番組「ブラタモリ」で数回の放送に亘って富士山を案内し、その後ある時期までは同番組で最も登場した案内人でもあった[5]。
「 「富士山は日本最大の火山である」とよくいわれるが、あまり正確な言い方ではない。海底部分も入れた山の体積を考えれば、じつは硫黄島(一四〇〇立方キロメートル)や北硫黄島(三三〇〇立方キロメートル)の方が、富士山(五五〇立方キロメートル)よりもはるかに大きい山体をもつ。噴出したマグマの総量でみれば、富士山は、阿蘇山などにも遠く及ばない。たとえば、約九万年前に阿蘇山から噴出した火砕流の体積だけで、富士山の体積を上回る。陸上部分の山の体積と標高に注目した場合に限り、富士山は日本最大の火山であるといってよいだろう。 地球の表面は厚さ数十キロメートルの大小の岩板(プレート)におおわれている。プレートは、地球内部のゆっくりとした対流によって、一年に数センチ程度の速度で少しずつ移動している。その運動方向や速度はプレートごとに異なるため、プレートの境界付近では、プレート同士がこすれ合うことによる地震がたくさん発生する。 さらに、プレート境界では岩石が溶ける条件が満たされるために、大量のマグマも発生する。発生したマグマは、周囲の岩石より軽いために、浮力によって徐々に地表へと上昇し、地表に達した場所で火山をつくる。 日本にはプレート境界に沿ってできた火山の密集帯が二つある。ひとつは北海道から東北・関東地方をへて伊豆諸島へと連なる。もうひとつは山陰地方から九州をへて南西諸島に連なっている。富士山は前者の中にある一火山である。 富士山付近の地下構造(図 0‐ 1)に注目すると、日本列島の中でも、やや特殊な場所であることがわかる。本州側のプレートと伊豆半島側のプレートの境界が、ちょうど富士山付近の下を通過している。プレート境界には、たくさんの活断層が密集する。こうした断層がときおり動いて地震を起こし、プレート運動によって蓄積した地殻のひずみを解消している。」
—『富士山 大自然への道案内 (岩波新書)』小山 真人著
「富士山で起きる噴火の場所や様式には時代別の特徴がある。三五〇〇年前から二二〇〇年前にかけては、山頂噴火が圧倒的に多く生じた。しかし、二二〇〇年前に起きた山頂噴火の後、富士山の噴火は、なぜか山腹や山麓でばかり起きるようになって現在に至っている。文字記録の残る歴史時代になってからも、確かなものだけを数えると一〇回の噴火が起きている(表 0‐ 1)。その中でも二大噴火と言ってよい大規模なものが、貞観噴火と宝永噴火である。 貞観噴火は、平安時代の貞観六年(八六四年)に、富士山の北西山腹の大規模な割れ目噴火として生じた(第 2章参照)。その際に流出した一三億立方メートルに及ぶ青木ヶ原溶岩によって湖が埋めたてられ、富士五湖のうちの三湖(本栖湖、精進湖、西湖)がほぼ現在の形になった。このうちの精進湖と西湖は、青木ヶ原溶岩によって分断される以前は、「せのうみ」と呼ばれるひとつの巨大な湖だった。つまり、貞観噴火の前は、富士五湖は「富士四湖」だったのである。その後、青木ヶ原溶岩の上には森林がよく成育し、現在の青木ヶ原樹海となった。」
—『富士山 大自然への道案内 (岩波新書)』小山 真人著
「一方、富士山は、火山噴火による成長をつづけるかたわらで、激しい浸食作用も受けている。冬の初めや春先に大雨が降ると、雪代と呼ばれる雪まじりの土石流がたびたび発生し、毎年のように道路や観光施設に被害を与えている。こうした土砂流出の結果、時代によって異なる位置に谷が刻まれ、その下流の土砂の堆積場である扇状地の場所や大きさも変化してきた(第 5章参照)。富士山で現在もっとも浸食が進んでいる場所は西斜面の大沢崩れであり、その下流には大沢扇状地がつくられている[口絵 2]。掘削調査の結果から、大沢扇状地での活発な土砂堆積が始まったのは約一〇〇〇年前と考えられている。」
—『富士山 大自然への道案内 (岩波新書)』小山 真人著
「明治政府の招きで来日したドイツの地質学者ナウマンが最初に注目したことのひとつに、日本の地震や火山噴火の歴史がある。ティチングたちの年表がすでに念頭にあった彼は、来日後に収集した史料にもとづいて日本の被害地震カタログをつくると同時に、宝永噴火を詳しく記述した。 その後、地震史・噴火史の研究を離れたナウマンの仕事を継続したのが、日本の地震学の父としても名高いミルンであった。彼は日本最初の活火山カタログともいえる大著 『 The Volcanoes of Japan』 (一八八六年)の中で、神話時代の伝説や崩壊記事も含む一八事件を富士山の噴火史年表として掲げた。」
—『富士山 大自然への道案内 (岩波新書)』小山 真人著
「火山は、いったん噴火を始めれば恐ろしい災害をもたらすことがある。しかし、長い目で見ると、かけがえのない恵みを私たちに与えてくれる。富士山の最大の恵みは何かと考えたとき、まず頭に浮かぶのが、その大きく美しい円錐形の山体だ。 富士山の西斜面に、山体を大きく削り込むようにしてできた大沢崩れがある。大沢崩れの中には、たくさんの縞々模様が見える(図 0‐ 3)。この縞の一枚一枚が、富士山から流れ出た溶岩なのだ。しかも、写真からわかるように、縞をなす溶岩流の傾きは富士山の山体表面と平行している。このことは、富士山の山体が、山頂付近から流れ下った溶岩の積み重なりによってできたことを意味する。現在の富士山の表面は、最後に積み重なった溶岩流の上面にほぼ相当する。」
—『富士山 大自然への道案内 (岩波新書)』小山 真人著
「図 0‐ 4の上図は、富士山周辺の立体地形図である。富士山が非常にのっぺりした山であることが一目でわかる。それに比べて、富士山以外の山々の表面は浸食が進んだ結果、ギザギザになっている。隣の愛鷹山や箱根山も火山であるが、大きな山体を成長させる噴火は一〇万年前までに大体終わったために、浸食が進んでたくさんの深い谷が刻まれている。こうした荒々しいギザギザの姿が、日本の山岳の本来の姿である。日本の山地は、隆起速度が速いうえに降水量が多く、その結果として浸食速度も速くなるため、高く険しくなる。」
—『富士山 大自然への道案内 (岩波新書)』小山 真人著
「冷え固まった溶岩には、冷却した際にできた数多くの割れ目が刻まれている。とくに、溶岩の底部と表層部は、流動の際にガサガサに砕けることが多い。一見、水などを通さないように見える溶岩も、じつは空洞やすき間だらけなのである。富士山に降り注いだ雨や雪どけ水が、これらの空間を満たしていて、富士山全体が巨大な水がめとなっている。そして、これらの水は重力にしたがって下流へと流れつづけ、麓からこんこんと湧き出している。溶岩流の分布図は、富士山の雪どけ水や雨水を効率よく山麓まで運ぶ「水道管システム」の分布図でもあるのだ。 富士山の湧水は、麓で暮らす人びとにさまざまな恵みを与えている。飲料水や農業用水ばかりではない。富士山麓には巨大な工場が数多く誘致・建設されているが、工場の立地のためには広く平らな土地と大量の水が必要である。富士山麓は、その両方の条件が満たされた理想的な土地なのだ。さらに、静岡県三島市などでは、町に湧き出す湧水を利用した魅力的な景観づくりが行われている。」
—『富士山 大自然への道案内 (岩波新書)』小山 真人著
「宝永噴火の後、富士山は今日まで三〇〇年間、静かな状態をつづけている。しかし、このまま永久に噴火しないと考える火山学者はひとりもいない。富士山の風下には首都圏があり、山麓には新幹線や東名高速道路などの重要な交通路がいくつも走っている。もし富士山が噴火すれば、その規模によっては、江戸時代と比べものにならない被害が出ることは間違いない。」
—『富士山 大自然への道案内 (岩波新書)』小山 真人著
「この後、一五時半頃に噴火はいったん小康状態となる。しかしながら、この小康状態は長くはつづかず、日没後に再び噴火が激しくなった。それ以降、降下する火山灰や小石は、マグマの化学成分の変化にともなって、それまでの灰白色から黒色へと変化した。この日の夜間には、火口上空に立ち上る明るい火柱と赤熱した火山弾の放出が山麓一帯で目撃され、やや離れた磐田(静岡県西部)でも夜間に外で書物が読めるほど空が明るかった。 その後も噴火は短い小康期間をはさみつつ引きつづいた。この間、火口上空に立ち上った噴煙は、江戸と名古屋からたびたび目撃されたほか、下伊那、甲府、津(三重県)でも見られた。江戸では、噴煙が火口から東方へたなびいていく様子が、噴火の全期間を通じて詳しく観察された。」
—『富士山 大自然への道案内 (岩波新書)』小山 真人著
「 富士宮口五合目からは、登山道を六合目山小屋の雲海荘・宝永山荘まで登った後、登山道から分岐した遊歩道をほぼ水平に移動すると、宝永火口の縁(標高二四六〇メートル、地点 1‐ 1)にたどり着く。駐車場から片道一時間弱の行程である。たどり着いた地点は、宝永第一火口縁と第二火口縁の接点にあたる高台である。 ここから宝永第一火口の全景と宝永山がよく観察できる。宝永山の山頂(標高二六九三メートル)には、さきほど述べた赤岩が突き出ている。また、ここからは富士山頂もかろうじて眺められ、宝永火口が富士山の南東斜面に開いた「穴」であることも実感できる。」
—『富士山 大自然への道案内 (岩波新書)』小山 真人著
「宝永噴火は、開始から終了まで一六日間という比較的短い噴火であったことと、火砕流や融雪型火山泥流のような危険な現象が起きなかったこともあって、噴火現象そのものによる明確な死者は知られていない。さきに述べた須走と同様、他の場所においても多くの人々が避難によって最悪の状況を脱したと思われる。 しかし、宝永噴火災害の本当の恐ろしさは、むしろ噴火後になってから認識されはじめた。降りつもった火山灰によって農地が深く埋没したことと、山林が荒れたことの二つが主な原因となって、災厄が訪れはじめた。飢饉と洪水である。 家が埋没しても火山灰の上に新しく建てればよいが、農地はそうはいかない。農作物を育てるためには肥えた土が必要であり、火山灰の上には育たないのである。場所によっては厚さ二メートルを超える火山灰を取り除いて、元の農地を掘り出すことは容易でない。このため、富士山の東麓では作物がほとんど収穫できなくなり、さきに述べたように小田原藩や幕府からの援助も手薄かつ後手に回ったために、多数の流亡者・餓死者を出すこととなった。」
—『富士山 大自然への道案内 (岩波新書)』小山 真人著
「 ここで、「せのうみ」という聞きなれない湖の名前がある。『日本三代実録』には溶岩流が本栖湖と「せのうみ」の二湖を埋めたと書かれているが、現代の地質調査によって、溶岩が流れ込んだのは本栖湖、精進湖、西湖の三湖であることがわかっている。不思議なことに、湖の数がひとつ違うのである。 この数の食い違いは、こう考えるとすっきり解消する。すなわち、かつて富士北麓には「せのうみ」という大きな湖が存在したが、貞観噴火の際、そこに大量の溶岩が流れ込んで二つに分断され、現在の精進湖と西湖になった。つまり、現在の富士五湖は、貞観噴火の前までは、せのうみ、本栖湖、河口湖、山中湖の「富士四湖」だった。 『実録』にある「溶岩は二つの湖に流れ込み、別の流れも河口湖方面に向かっている」という情景描写は、現在の青木ヶ原溶岩の分布状況とほぼ一致する(コース図参照)。別の流れは結局、河口湖に到達できなかったことから、以後の溶岩流の拡大はわずかなものであり、貞観噴火のクライマックスは、「せのうみ」を溶岩が埋め立てた噴火初期にあることがわかった。」
—『富士山 大自然への道案内 (岩波新書)』小山 真人著
「 貞観噴火については合計六四九文字の漢文記述が残されているだけで、自然科学的な情報量は限られている。火口の位置に関する記述はわずか一カ所、「富士大山西峯」という六文字だけである。つまり、富士山の西の峰とされているだけで、のちの宝永噴火のように詳細な場所の記述や絵図は残されていない。そのため、火口の正確な位置や広がりの解明は、明治以降の地形・地質学的調査を待たねばならなかった。だが、青木ヶ原樹海は、長いあいだ地質学者たちの調査をはばみ、なかなか火口や溶岩分布の全容をつかませなかった。 明治時代の研究では、青木ヶ原溶岩は山頂火口から流れ下ったと考えられた。これに対し、昭和初期の研究者である石原初太郎と神原信一郎は、青木ヶ原溶岩の流出口を北西斜面の御庭・奥庭付近(第 6章参照)と考えた。」
—『富士山 大自然への道案内 (岩波新書)』小山 真人著
「前節で述べた大室山の南側を流れ下った貞観噴火の溶岩流は、全体のうちのわずかな一部である。溶岩流の大部分は大室山の北を流れて広大な面積をおおい、最終的には本栖湖、精進湖、西湖の三湖に達している(コース図参照)。この溶岩流の上に育った森林地帯が、「青木ヶ原樹海」である(図 2‐ 1)。 青木ヶ原樹海のすべてが原生林だと思っている人が多いが、じつはそうではない。樹海を調査すると、入り組んだ小道の跡が無数に見つかる場所がある。航空レーザー測量の結果から作成された赤色立体地図(章末コラム参照)の中にも、そうした小道の跡らしいものが見られる。これはどうやら、炭焼きをするために多数の人間が立ち入っていた跡らしい。炭の需要が減って炭焼きがすたれ、以前の深い森に戻ったとみられる。」
—『富士山 大自然への道案内 (岩波新書)』小山 真人著
「青木ヶ原溶岩上の地形の凹凸が激しいのは、いったん冷え固まった溶岩の表面が、流れの圧力によって割れて持ち上げられたり、砕かれたりすることを繰り返したからである。こうした溶岩はハワイにも多くあり、ハワイ語で「アア」溶岩と呼ばれている。」
—『富士山 大自然への道案内 (岩波新書)』小山 真人著
「青木ヶ原溶岩上の地形の凹凸が激しいのは、いったん冷え固まった溶岩の表面が、流れの圧力によって割れて持ち上げられたり、砕かれたりすることを繰り返したからである。こうした溶岩はハワイにも多くあり、ハワイ語で「アア」溶岩と呼ばれている。 それらの中には、流れの方向に対して直角方向に刻まれる溶岩じわができ、そのパターンから流向がわかるものもある。流れの側面が先に冷え固まることによってできた「溶岩堤防」や、流れの末端にできる急崖である「末端崖」が見られる場所もある[口絵 8]。溶岩が枝葉を広げるように複雑に分岐した場所もある。青木ヶ原樹海の赤色立体地図は、こうした溶岩流の複雑な表面構造の宝庫である。 溶岩流の分布範囲内には、かすかな高まりがあったなどの理由で、溶岩におおわれずに残った場所がある。このような場所をハワイ語で「キプカ」と呼ぶ。青木ヶ原溶岩の中にもいくつかのキプカが見られる。鳴沢付近にある大きなキプカには、「焼間」「土間」などの地名が付けられている。「土間」は、そこがキプカであることを的確に表現した名称である。新しい溶岩の上に土壌はほとんど生成しない。つまり、土壌が地表を厚くおおう場所は、溶岩におおわれなかったキプカである。」
—『富士山 大自然への道案内 (岩波新書)』小山 真人著
「須走口五合目駐車場から、小富士とは逆方向の遊歩道を南に一キロ進んだ場所の谷(標高二〇五〇メートル付近)の岩場に滝がある(地点 3‐ 3)。ふだん流水はないが、特定の時期のみに出現するため「幻の滝」と呼ばれている。滝の段差をつくる岩盤は、およそ一六〇〇年前の噴火で流れた溶岩である。」
—『富士山 大自然への道案内 (岩波新書)』小山 真人著
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https://libopac.kamakura-u.ac.jp/webopac/BB00253667 -
富士山へ行く機会がある際には読み込もうと思う。
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副題に「道案内」とあるように、富士山のエリアごとのガイドブックの形式を採っているが、内容は単なる観光案内・登山案内とは程遠く、富士山の地学的情報がコンパクトに整理されている。特に貞観と宝永の2度の大噴火に関しては独立した章節を設けて、歴史学的な分析に踏み込んでいる。過不足なく、図版も多く、防災や環境保全・保護への問題意識も明快で、非の打ち所がない著作である。
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富士山の自然誌紹介の決定版と思う。
ちょっと、情報を詰め過ぎだか。 -
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富士山を中心として、空間、時間を広くカバーした、しかし簡潔にポイントをついた、そんな本です。かつて「伊豆の大地の物語」という本を読み、とてもおもしろかったのですが、同じ著者でした。
現時点で累計15回富士山に登っています。この本を読んだあとは、またこれまでと違う視点で登ることができるでしょう。来シーズンもまたたくさん登ろう! -
<目次>
コース案内
序章 富士山の基礎知識
第1章 江戸幕府をゆるがした噴火~宝永噴火コース
第2章 変わる麓の姿~貞観噴火コース
第3章 土砂に埋もれた原野~東麓コース
第4章 火の道、水の道~南東麓コース
第5章 崩れゆく富士山~西麓~南西麓コース
第6章 相模国をおびやかした噴火~北麓コース
第7章 富士山頂~山頂登山コース
<内容>
富士山の火山としての歴史、火山学、そして実際の登山。これが一冊で出来る本。
学校図書館 -
勉強になりました。
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富士山の生い立ちを地質学的に解説しながら、富士山の回りを一周するガイドツアーとなっている。内容的には非常に深いながらも、現在観光スポットとなっている場所から、富士山の歴史に思いを馳せる事が出来る様になっている良書だと思います。
本書を読んでから富士山、富士五湖を始めとするスポットに再度訪れてみれば、確実に視点が変わっていて新たな楽しみが広がると感じます。
容姿端麗な富士山は今だけだということがわかりました。自然の時間軸は人間の営みと比較してかなりゆっくりではありますが、確実に変化はしています。本書を読めば、その変化を恐れるばかりではなく、変化そのものを楽しめる様になるでしょう。
世界ジオパーク認定を目指すべきであるという著者の主張もよく理解できました。 -
まさに大自然は生きていることを実感しました。
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現時点で富士山に登ろうと思った人が、岩波新書を読むだろうとは思えない。
それほど、富士登山は世界登録で「地に落ちた」感じがする。
そもそも信仰の対称になったのですから、庶民的であっても問題はないのですが・・・・。
むしろ、弾丸登山とか、なんでも経験・・・という面白半分の登山を聞くに及んでは、手垢がついた感がしないでもない。
富士山は一度は登ってみるものだと思っている。
できれば体力に自信がある年齢のうちに。
「富士山 信仰の対象と芸術の源泉」というのが正式名称らしい。
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