科学者が人間であること (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004314400

作品紹介・あらすじ

大震災を経てなお変われぬ日本へ-大森荘蔵、宮沢賢治、南方熊楠らに学びつつ"自然""生命"から近代科学文明を問い直す。

感想・レビュー・書評

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  • うーむ
    人間と言うより個人的見解ではないか
    中村さんの意見であればいいが「科学者が」と主語が大きすぎる

  • 言葉は優しいが、厳しい問いかけである。「役に立つ」研究への「選択と集中」が、何をもたらしているのか。研究者が本来持つべき資質とは。

  • 上品で淡々とした筆致だが、考え抜かれた言葉と表現。そして、根底にある信念。見事な本であった。個人的には、宮沢賢治についての、本当の幸せ、本当の賢さ論が発見であった。

  • 震災で露呈してしまったいわゆる専門家といわれる連中の限界。
    そしてそれ以上に彼らの醜態・無責任さ…同じ科学者側の立場として身を切られるような辛さを中村が味わい、焦り、苦しんだのがひしひしと伝わってくる。
    科学者、技術者以前に一人の人間であるということを今の彼らが忘れているという中村の危惧は世の中のあちこちに見受けられる。
    地球の、生命の一部、そして人間であるからには当事者であることは免れないのに、それを忘れているような言動が彼らの、ひいては科学者への不信感につながっている。
    その当事者意識を忘れることなく生命に向き合うという中村の態度は素晴らしいと思う。
    現実の世界での中村に対する障害は予想以上であろうが、敢えてそれを受け止めつつ前に進もうとする彼女の心意気が良い。
    清水と違ってデカルトを現状の科学の様々な問題の遠因とする見方だが、それが意識ある人たちの一般的な見解でもあるのか?(そうでないという見方も大切)
    清水博、蔵本由紀、ベルタランフィ、ジャコブ、中村桂子…彼らの視点は常に謙虚で真摯であり、いかに人間が偏った見方しかできていないのかを十分に理解している。
    だからこそ彼らの言葉が心に沁みるのだと思う。

  • サイエンス

  • ☆大森荘蔵「死物を扱ってはいけない」 機械論から生命論へ。

  • 1 「生きものである」ことを忘れた人間(「生きものである」とはどういうことか;「ヒト」の特徴を考える;近代文明とは何だったか―「生命」の視点から)
    2 「専門家」を問う―社会とどう関わるか(大森荘蔵が描く「近代」;専門家のありようを見直す;社会に対する「表現」;生活者として、思想家としての科学者)
    3 「機械論」から「生命論」へ―「重ね描き」の提案(近代科学がはらむ問題;「密画化」による「死物化」;「重ね描き」という方法;自然は生きている;「知る」ことと「わかる」こと)
    4 「重ね描き」の実践にむけて―日本人の自然観から(日本人の自然観;「重ね描き」の先達、宮沢賢治;「南方曼陀羅」と複雑系の科学;重ね描きの普遍性)
    5 新しい知への道―人間である科学者がつくる(生命科学の誕生;アメリカ型ライフサイエンスの問題点;何を変えていくか;生命誌研究館の二〇年とこれから)

    著者:中村桂子(1936-、東京都、生命誌研究者)

  • 略画と密画を重ねて社会を見ること。

  • 大森荘蔵、和辻哲郎、南方熊楠などを読みたくなった。

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著者プロフィール

1936年東京生まれ。JT生命誌研究館名誉館長。理学博士。東京大学大学院生物化学科修了。ゲノムを基本に生きものの歴史と関係を読み解く「生命誌」を提唱。JT生命誌研究館を開設し、2002年より同館館長。『生命誌の扉をひらく』『自己創出する生命』(毎日出版文化賞)、『ゲノムが語る生命』ほか著書多数。

「2022年 『科学はこのままでいいのかな』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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