言葉と歩く日記 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
4.15
  • (29)
  • (29)
  • (14)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 395
レビュー : 44
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004314653

作品紹介・あらすじ

熊の前足と人の手、ドイツ語では表わす単語が違う。では人の言葉で語る熊は、自分の手を何と表すのだろう-。日独二カ国語で書くエクソフォニー作家が「自分の観察日記」をつけた。各地を旅する日常は、まさに言葉と歩く日々。言葉と出逢い遊び、言葉を考え生みだす、そこにふと見える世界とは?作家の思考を「体感」させる一冊。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 「雪の練習生」という日本語で書いた自著をドイツ語に翻訳するまでの間に、言葉について起こったことや考えたことを中心として綴られている日記。
    多和田さんの小説はいくつか読んだけれど、なんてすごい言葉を持っている人なんだと、どの作品を読んでも思う。鋭いけれど、刃物の鋭さではなく紙の鋭さのような、温かみのある鋭さ。
    いろいろな国に行って朗読イベントや自著の解説をする講習会や討論を行っている(よばれている)んだけど、そのなかでメガポリスを描く文体を模索しなければならないという話題が出てきたというくだり。とある海外の作家がメガポリスの例として東京を上げたことに多和田さんは驚く。あの「トーキョー村」かと。ヨーロッパにお住いの多和田さんにとって、特殊な場所以外では聞こえてくる言葉のほとんどが日本語である東京という都市は「村」であるという感覚だそう。
    東京をメガポリスの例として出したこの方は日本語はあまりできず、東京に行ったときは意味の分からないことだらけで驚いたらしい。
    「あんなに大きな看板を点滅させてどんな商品を売ろうとしているのか」「自動販売機の点滅の意味もわからない」とか。ただその中で世界的な企業のロゴマークだけははっきりとわかる。
    日本語をわからないまま歩いたら、見えてくる東京という街は随分違うものなのではないかというこのエピソードが印象に残った。

  • 日独二カ国語を操るエクソフォニー作家が言葉と戯れる。僅か三ヶ月強ほどの日記なのだが、毎日毎日微細なひっかかりがあれば自身に問いかけ立ち止まる真摯な姿勢に惹かれた。母国語しか知らないに等しい(それすらも覚束無い)私の脳内組織にとっては未知の領域でありながらも大変興味深く、その思考の綾取りに絡められ少しほぐれた。この日記を読んだ上で改めて著者の作品を読み返せばまた違った感触を得られるのではなかろうか。真面目な考察から自由な言葉遊びまで、日本語とドイツ語のくっついたり離れたりの戯れ模様がとても面白かった。

  • 作者が特に言葉について気になったこと、作家として呼ばれていったイベントのことなどについて記録した日記。イベントのためにさまざまな国に旅行に行ったり、歩いて行ける距離にいくつも映画館があったり、そういう生活が羨ましくなった。あまり人を羨んだりしないほうなので、個人的に事件である。

    もちろん多和田さんが呼ばれていくのは日独2つの言語での文芸活動に実績があって、朗読のイベントであればきちんと準備をし、参加者の質問に真剣に対峙し、常に言葉について考えを巡らせているからだ。そして自分はそういうことはひとかけらもしていないのだ。羨ましがっていないで、旅行は貯金して休暇に行くしかない。

    本の内容について。多和田さんが思いつくことはひとつひとつ興味深くて、なるほどねえ、と脳がマッサージされるような気持ちよさがあった。彼女が読んだ言語学の本の感想も、自分はまず読まないジャンルなので、代わりに読んでもらって面白いところだけ教えてもらうような良さがある。ただこの本を読んで面白かったことを、自分はどんどん忘れてしまう気がする。面白いのだけど、脳の表面をひっかいて滑り落ちていく情報。自分は言語について考え続けていないから、言語の知識を育てる畑の土ができあがっていないのだと思う。言語について興味を持っている読者であれば、わたしの何倍も面白い本だと思う。

  • 22年前(執筆当時)からドイツに住み、日本語とドイツ語でそれぞれ小説を書き、その双方で(それ以外の国でも)評価の高い著者の「ことば」に関する随想。エッセイと呼ぶには(この語の本来の意味はそうではないのだろうが、日本語で言うエッセイには軽すぎるような響きがあるので)、ずっと思索的な内容を持っている。それには、あるいはドイツ語の持つ構造も関係があるのかもしれない。しかも、ここには日本とドイツだけではなく、言語をめぐる著者の様々な体験が注意深く、著者のことばに置き換えられて語られる。言葉の熟成を思わせる如くに。
     なお、未見の映画だが、本書に2回『ハンナ・アーレント』のことが出てくる。ナチスの高官だったルドルフ・ヘスは、けっしてカリスマ軍人だったのではなく、ごく普通の、しいて言えば任務に忠実な人に過ぎなかったらしい。自分の言葉で思考しないことの恐ろしさが語られる。

  • こーれは、面白かった。考えること=言葉。生活すること=言葉。
    映画「ハンナ・アーレント」を観た日に読んでいたら、「〜ゆうべは友達と近所の映画館で『ハンナ・アーレント』を観た。〜」という文章が出てきてビックリ。なんたる共時性!

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「ハンナ・アーレント」来週観に行く
      つもりだけど、、、、
      「ハンナ・アーレント」来週観に行く
      つもりだけど、、、、
      2014/01/20
    • ミラコさん
      「ハンナ・アーレント」良かったですよ〜!
      楽しんできてください。
      「ハンナ・アーレント」良かったですよ〜!
      楽しんできてください。
      2014/01/20
  • 多和田葉子は何しろ、言葉への執着と愛着と自覚が半端ではないので、この日記は「アサガオの観察日記」ならぬ言葉(日本語、ドイツ語)の観察日記となっている。言葉とはよく言ったもので、日本語なら日本語、ドイツ語ならドイツ語という木が枝をのばし、言の葉を繁らすというイメージが、ぴったりだ。
    いや、でも筆者は移動してばかりだから、その言語植物の種を世界中にばら撒いているというイメージも似合う。

  • 2019年3月31日購入。

  • 単なる「ドイツに住んでいる小説家の日記」ではない。
    言葉と歩いている多和田葉子さんの日記、なのである。

    多和田さんは小説を
    日本語で書き、ドイツ語で書く。
    日本語作品をドイツ語に翻訳もする。

    自作品を日本語、ドイツ語、英語で朗読し
    さまざまな言語に翻訳された自作品を聞くために
    世界各地を旅している。

    そんな人生があるとは。。。
    まさに理想的な人生である。
    それができる才能が実に羨ましい。

    あまりに面白いので
    私が勤める日本語学校の先生たちに
    熱烈推薦してしまった。

    何が面白いか、その面白さを説明すると
    多分すごくつまらなくなるので書かないが
    言葉に興味ある人はとにかく読んでみてほしい。

    この本の中で多和田さんが読んでいた本も
    読んでみようと思う。
    「日本人の脳に主語はいらない」
    「英語で日本語を考える」などなど。

  • 「日本語を忘れることができたなら、」という一文に、そうか、私は生きている限り日本語を忘れる事は決してできないのだ、と、気づかせてもらった。そして忘れる事ができないもの=自分、だ。そう思って改めてタイトルを見返してみると、言語と歩く、という言葉がまた違った響きに感じられる。

  • 『雪の練習生』と合わせて読んでいたのだけど本当にすばらしい羨ましいとしか言いようがない日々で、こんな美しい日々のことを本にまとめて発表してくれてありがとうという気持ちしかなかった。
    言語も国も水のように揺蕩い、ここは泳げる世界なのだ、少なくとも葉子氏には。
    伝え伝えられることの喜び、息をする喜び、書くことへの無常のよろこび。

    朗読イベントとか、参加したくもなってしまうね。

全44件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

多和田葉子(たわだ ようこ)
1960年、東京都生まれの小説家、詩人。早稲田大学第一文学部ロシア文学科卒業後、西ドイツ・ハンブルクの書籍取次会社に入社。ハンブルク大学大学院修士課程修了。長年ドイツに暮らし日本語・ドイツ語で執筆する。著作は各国で翻訳されており、世界的に評価が高い。
’91年「かかとを失くして」で第’34回群像新人文学賞。’93年「犬婿入り」で芥川賞受賞。’96年、ドイツ語での文学活動に対しシャミッソー文学賞を授与される。’11年、『雪の練習生』で野間文芸賞、’13年、『雲をつかむ話』で読売文学賞と、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
世界的な賞も数々獲得している。2016年ドイツの文学賞「クライスト賞」を日本人として初めて受賞。そして2018年『献灯使』がアメリカで最も権威のある文学賞「全米図書賞」翻訳文学部門を受賞している。

多和田葉子の作品

言葉と歩く日記 (岩波新書)を本棚に登録しているひと

ツイートする