言葉と歩く日記 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004314653

感想・レビュー・書評

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  • 作者が特に言葉について気になったこと、作家として呼ばれていったイベントのことなどについて記録した日記。イベントのためにさまざまな国に旅行に行ったり、歩いて行ける距離にいくつも映画館があったり、そういう生活が羨ましくなった。あまり人を羨んだりしないほうなので、個人的に事件である。

    もちろん多和田さんが呼ばれていくのは日独2つの言語での文芸活動に実績があって、朗読のイベントであればきちんと準備をし、参加者の質問に真剣に対峙し、常に言葉について考えを巡らせているからだ。そして自分はそういうことはひとかけらもしていないのだ。羨ましがっていないで、旅行は貯金して休暇に行くしかない。

    本の内容について。多和田さんが思いつくことはひとつひとつ興味深くて、なるほどねえ、と脳がマッサージされるような気持ちよさがあった。彼女が読んだ言語学の本の感想も、自分はまず読まないジャンルなので、代わりに読んでもらって面白いところだけ教えてもらうような良さがある。ただこの本を読んで面白かったことを、自分はどんどん忘れてしまう気がする。面白いのだけど、脳の表面をひっかいて滑り落ちていく情報。自分は言語について考え続けていないから、言語の知識を育てる畑の土ができあがっていないのだと思う。言語について興味を持っている読者であれば、わたしの何倍も面白い本だと思う。

  • 大学の頃、言語に強い関心のある人が周りにちらほらいたが、私自身はそういった話に関心をそれほど持てなかった。なので、この本を読んで面白いと思えるとは最初そこまで期待していなかった。
    ただ、実際読んでみたら、ことばとは思考であり、それを考えることは広い世界に繋がっているのだと気づくことができれとてもよかった。

    特に共感したのは、よくある表現、悪く言えば手垢のついた表現から脱したいと思うこと。私はもともと人に説明するのも得意ではないし、自分の頭にある考えや感覚をことばにする不自由さを感じることが多い。でもそれを不器用ながら自分にできるだけ腑に落ちる表現を作り出すことは大切にしたい。

    ことばにすることは思考することであり、私もこれから文章を書く時やことばを口にする時、焦らずに時間をかけてことばを発したい

    それにしても多和田さん忙しすぎない??!?ほぼ毎日何かしら予定が入ってびっくり。フリーランスで成功して生活するとはこういうことなのか...?

  • 日本語とドイツ語で小説を書き、英語やロシア語も出来る多和田葉子さんが、
    日本語で書いた小説をドイツ語に翻訳する期間、言葉について考え書かれた日記。
    世界中を旅して朗読活動をされているので、
    様々な国の色々な言語を使う作家や詩人や学者の方々との交流も興味深く、
    知的だと思うけど難解な感じはなく読みやすかったです。
    ヨーロッパでは多言語を話される方も多いけど、
    上海の喫茶店で周りの人たちがそれぞれ
    中国語、日本語、韓国語、英語で話していて、
    ある若い学生の集団は次々と言語を変えて話していたことを思うと、
    アジアもアジアで多言語が交錯する場所ですよね。

  • 日付が入ったタイプの日記。"聞き手にも同じ意見を持つように強制しているわけではないのだから"、言い切ってしまっていいのではないか、のようにところどころじんとする言葉が散りばめられている。決して言葉ひとつひとつに穿っているというかムキになっているとかではなく、向き合う姿勢さえすっとしている感じがする。

  • 自身の著作を日本語→ドイツ語に
    翻訳する仕事をしている期間
    言葉に関する日記をつけてみようと
    思い立ったのだそうです。

    結構、難しかった。
    とても深く深く考えておられるので。
    でも、なんでもそうだけど
    ある事柄を知ろうと思ったら
    内からだけではなく、外からも見るのが大事だと。
    訳せない言葉に出会ったとき
    そこにどんな文化的要素があるか
    調べることで見えてくるものがあるのでしょう。

  • 日本語とドイツ語で著作するというか、文学作品を書く著者の言葉をめぐる日常を描いた本。

    著者の「エクソフォニー」という本をたまたま読んで、自国語以外の言語環境で生きること、さらには文学作品を書くということについての話しが面白かったので、こちらも読んでみた。

    日記という形で、その日その日におきたことを言葉、言語の違いという観点で書いてあって、すっと入ってくる。

    でも、これって、社会構成主義とかでいう「言葉が世界をつくる」ということだな。

    ある名詞が指示するものごとの対象範囲は言語によってことなるし、たまたまある言葉がほぼ程度同じことに対応していても、その言葉がもっている他の意味とか、語源によって、意味というか、イメージのづれは生じる。

    さらには、意味はわからなくても、その言葉が発する音が生み出すイメージもある。

    文学は、まさにそうした言語の微妙さのなかでの実験であるわけで、そういうフィールドで2ヶ国語で創作をするということはちょっと想像できない。

    著者はまさにこの言葉の違いこそが、自国語を違う可能性からみたり、つかったりするということに通じて、そこからなにかが生み出されるという言う。なるほど。。。。でも、すごいな。

    社会構成主義とか議論されていることの生活レベルでの実践がここにあると思った。

    また、途中で、金谷さんの「日本語に主語はいらない」を読んで共感したと言う話しがあって、わたしもそのことに共感した。

    それにしても、この日記が書かれた4ヶ月くらいの時期は、著者は、世界のさまざまなところに呼ばれて、朗読をしたり、シンポジウムに出演したり、かなり忙しそう。

    そのなかで、この新著(日記)を書き、本を読み、日本語の「自作」を自分で初めてドイツ語に翻訳するということにもチャレンジしていて、すごい活動量だなと感心した。

  • 作者は早稲田大学で文学を学び、ハンブルグ大学で学び、チューリッヒ大学で修士を撮った人が、言語の壁を日本語からドイツ語を観察したり、ドイツ語から日本語を観察する際に、感じたことを日記の形で、自作翻訳している期間にまとめられたもの。それは、日本語の「雪の練習生」を和独する作業をされていた時期だと後書きで述べられている。
    作者の琴線に触れた事としてあげられている物の中の一つとして。117項にこんな記述がある。
    「ハンナ・アーレントによれば、ナチスの一員として多くのユダヤ人を死に至らせたアイヒマンは、悪魔的で残酷な人間ではなく、ただの凡人である。上からの命令従わなければいけないと信じている真面目で融通のきかないよくいるドイツ人である。個人的にはユダヤ人を憎んでさえいなかったが、上の命令に従い、自分の義務を果たさなければいけないと信じ、ユダヤ人を殺せと命令されれば殺してしまう。凡人が自分の頭でものを考えるのをやめた時、その人は人間であることをやめる。どんな凡人でも、ものを考える能力はある。考えることさえをやめなければ、レジスタンスばどとても不可能そうに見える状態に追い詰められても、殺人機械と化した権力に加担しないですむ道が必ず見えてくるはずだ。言語を使ってものを考えると言うこと、それが絶望の淵にあっても私たちを救う。」僕はクリスチャンだが、どうも教理にしたがって人に福音を述べ伝えよと言うことが最善の命題ならば、それを疑わずにしてしまう機械の歯車になっていることが楽なのである。自分の信仰を問われる一文であった。
     やはり、文法的なことで、138項に「人称代名詞と一口に言っても、一人称三人称の間には、根本的な違いがある。「ich」という人称代名詞の正体は何なのか。べろんべろんに酔った不良少年も祝日信者たちの前で演説するローマ法王も自分の事を「ich」と呼ぶ。」とある。日本語で「あたし」とか「俺」とかなどの社会のしがらみのなかで体臭をはなつ日本語と比べて、ドイツ語の「ich」無色透明なので、初めのころは本当に三人称で自分の事をしゃべっているような感じがした。」と言う。
    著者は朗読の為に、世界各地を旅行しているのも凄い。昨日、日本からベルリンに帰ったのに明日はアメリカだと言う。驚いてしまう。彼女は僕とどう年配の作家さんなのである。
    あともう一読しなければならないなあと思わせられてしまう。

  • 日本語とドイツ語の両方で作品を発表している作家が、自分の中の言語の感覚について「一種の観察日記をつけてみることにした」もの。様々なことばをめぐるエッセイとして読めます。興味を持ったら、ぜひ、この人の小説も読んでみてください。「雪の練習生」が最近のものではお薦めです。

  • 単なる「ドイツに住んでいる小説家の日記」ではない。
    言葉と歩いている多和田葉子さんの日記、なのである。

    多和田さんは小説を
    日本語で書き、ドイツ語で書く。
    日本語作品をドイツ語に翻訳もする。

    自作品を日本語、ドイツ語、英語で朗読し
    さまざまな言語に翻訳された自作品を聞くために
    世界各地を旅している。

    そんな人生があるとは。。。
    まさに理想的な人生である。
    それができる才能が実に羨ましい。

    あまりに面白いので
    私が勤める日本語学校の先生たちに
    熱烈推薦してしまった。

    何が面白いか、その面白さを説明すると
    多分すごくつまらなくなるので書かないが
    言葉に興味ある人はとにかく読んでみてほしい。

    この本の中で多和田さんが読んでいた本も
    読んでみようと思う。
    「日本人の脳に主語はいらない」
    「英語で日本語を考える」などなど。

  • 『雪の練習生』と合わせて読んでいたのだけど本当にすばらしい羨ましいとしか言いようがない日々で、こんな美しい日々のことを本にまとめて発表してくれてありがとうという気持ちしかなかった。
    言語も国も水のように揺蕩い、ここは泳げる世界なのだ、少なくとも葉子氏には。
    伝え伝えられることの喜び、息をする喜び、書くことへの無常のよろこび。

    朗読イベントとか、参加したくもなってしまうね。

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著者プロフィール

1960年東京都生まれ。小説家、詩人、戯曲家。1982年よりドイツ在住。日本語とドイツ語で作品を発表。91年『かかとを失くして』で「群像新人文学賞」、93年『犬婿入り』で「芥川賞」を受賞する。ドイツでゲーテ・メダルや、日本人初となるクライスト賞を受賞する。主な著書に、『容疑者の夜行列車』『雪の練習生』『献灯使』『地球にちりばめられて』『星に仄めかされて』等がある。

多和田葉子の作品

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