女の一生 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004315049

感想・レビュー・書評

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  • 過激!!
    でも、納得できることがたくさんありました。

  • 女性「性」のことから、人生で直面する出来事に対する考え方まで、著者の経験に基づき語られている。

    印象的だったのは、男性との付き合い方や(理不尽なこと(特に女性だというだけで出くわす)に対しての対処方法などなど

    経験からの考えだからか、とても読み応えがあってよかった。

  • 伊藤比呂美氏の人生相談を初めて読んだのは30年前の『鳩よ!』だった。その頃の皮肉っぽい回答も好きだったが、この本は彼女の過ごした30年分の重みを増した直球がスパッと胸に入る好書だと思う。

  • 結婚ほど面倒なものはないとおっしゃる。
    そして結婚しても仕事は続けることを推奨される。離婚できなくなるから。
    離婚などしたくなくても、それは大いに起こり得る、と。

    そして、何より大事なのは「あたしはあたし」で生きることであると。
    しかしその「あたしはあたし」で生きられなくなることが結婚の最大の苦労であると。実感として非常によくわかった。このくだり(↓)。

    本人だけじゃない、家族もひっくるめて引き受ける。それが日本の伝統的な結婚観でありました。今も、ある程度、そんな感じ。女は格下。女は家に。そういう考えも、まだある。女の子を育てる文化と男の子を育てる文化の違いも、まだある。違わなくていいのに、違ったまま、まだ直されていない。悲しいことですが。
     結婚の最大の苦労はココです。今まで「あたしはあたし」が人生の命題だった。はじめは他人だった夫も、いつのまにか日々の暮らしの中で慣れて、彼の前で「あたしはあたしよ」と生きる方法をつかめてきた。ところが、姑をはじめとする夫の家族の前に出てみたら、自分ははじっこのすみっこに追いやられ、「あたしはあたしよ」で生きられないというところなんです。
     対処の方法は、古典的な方法ですが、やはりこれしかありません。すなわち、相手は変わらないと思い切ること。まず、自分が変わること。
     盆に正月、法事に慶事と顔を合わせ、文句を垂れ流しながらやり過ごしているうちに、自分も姻戚も老いていく。死んでいなくなる人もいる。新しく加わる人もいる。老いて、穏やかになってつきあいやすくなっているか、頑なになってつきあいづらくなっているか。いずれにしても、人も、人の関係も、変わっていくはず。時間はかかりますが、その変化が救いです。(P142)

  • 「女」を知らなきゃ、、、

    岩波書店のPR
    https://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?head=y&isbn=ISBN4-00-431504

  • 伊藤比呂美が何者か知らなかったけど、詩人だったのか。
    なるほど、人生相談の形式を取っているとはいえ、表現が詩人ぽい。

    幼児から老人まで様々な年代の女たちが直面する悩みに相談形式で答えるエッセイ?なのか?

    各種の人生相談や詩集から抜粋してまとめたようなので、なんとも不思議な形態。

    驚くのはほぼすべての年代の女に、「女の装い」と「母と娘」という項目があること。
    “女は装うべき”という呪いと、母から娘への呪いはこうも業が深いものか……と思った。

    本書をブクログに登録したのが2015年だった。
    手に取るまで9年もかかってしまった。。。

    巻末の著者年表を読んだら、私の母と1歳違いだった。

  • 792

    伊藤比呂美
    1955年東京都生まれ。詩人。1978年現代詩手帖賞を受賞し、新しい詩の書き手として注目される。第一詩集『草木の空』(アトリエ出版企画)以後、『青梅』、詩集を発表、『河原荒草』(思潮社)で2006年高見順賞、『とげ抜き―新巣鴨地蔵縁起』(講談社)で2007年萩原朔太郎賞、2008年紫式部文学賞を受賞する。1997年に渡米後、カリフォルニア州と熊本を拠点として活躍

    この本めちゃくちゃ面白かった。伊藤比呂美みたいなキャラの女性、ブスでも男に激モテしてるイメージなんだけどわかるかなこの感想...

    片思い
    「片思いばっかり。男子のことばかり考えている自分がいや」〇12歳 いずれ、もう少し大きくなったときに、男子と二人、親密で楽しい、ときには苦悩 だらけの、ときにはこの上なく幸せな、関係を結ぶことになるでしょう。でも、 まだそういう関係になだれ込む準備ができていないから、片思いで、そのときの練習 をしているんです。アイドルとか俳優とか漫画の主人公とか、片思い以前のものにも 思いっきりハマっておくのもタメになります。(つづく)

    子が、どんなセクシュアリティをアイデンティティとしても、うむ、わかりにくい ので言い直します。自分が性的にこういうのが好きだということ、それがたとえ、世 問一般ではなじみのないかたちのセックスや性的な興味であっても、「それがあたし だ」と子どもが言い出したら、親は「あなたはあなただ」と、それを受け入れる。 それからもちろん、コンドーム。防ぎたいのは、性感染症と、したくもないときに してしまう妊娠です。 セックスは、しないではいられません。十代の女の子は(実は二十代も三十代でさえ も、性欲というより、自分を確認するために、親から逃げるために、生きのびるため に、やむにやまれず、セックスという手段をとることがある。それはもう、多々あ る。親の日には、他に手段はあるとわかっていても、子どもにはわからないから、む やみにつき進む。

    子どもは、この時期、むやみに反抗的です。反抗しているのはたしかにその子です が、何かにあやつられているようでもある。荒ぶる魂に取り憑かれたようである。数 か月、あるいは数年間経つと、すうっとその荒ぶる憑き物が落ちていく。そしてそこ に、前にいた純真な子ではない、一段階おとなに近づいた子が、すっくと立っている のであります。 わたしも最初のときこそ驚いたのですが、二人日、三人日となりますと、この年頃 のひとつの型のように見えてくるようになった⋯⋯というのは、過ぎたから言えるこ とです。実際は途方に暮れてました。こっちを攻撃してきますから、攻撃されれば、 身構え(防御)言い返す(反撃のは、生き物として当然です。

    人は群れます。群れてない人も、群れてないと自覚するってことは、群れの動物だ からです。中学生の頃の群れとは、小学生の頃のような、何も疑わない群れではあり ません。なんだかすべてが疑心暗鬼、すべてが不安定、群れるそばから、違う、こん なふうに群れるのはわたしの本意じゃないと思っているような。群れの中には、人を 傷つける残酷さと無神経さがはびこっていきます。一人一人はどんどん繊細になって いく時期なのに不思議なことです。

    同級生はだれもが下心なく楽しそうに群れている と思ってましたが、ほんとはみんな、わたしと同じような違和感を持ってたのだと、 おとなの女になってから知りました。

    遠距離恋愛
    恋が終わるのは関係そのものの問題であり、離れていること は、その遠因にはなっても、直接の原因にはならないものです。 その上で遠距離恋愛のひけつを伝授しますと、まずマメであるこ と。メール、電話、各種の5NSをフルに使ってマメに連絡する こと。マメに出かけて行ってマメに会うこと。そういうことを おっくうがる人や出費をもったいながる人にはできないから、あ きらめたほうがいい。 しかしそもそも、歩く速度が人によって違うように、マメの概 念は人によって違うので、マメな方がつねに待ち、メールや電話 やらNSという手段がマメな方を追いつめて、依存症みたいな苦 しみに追い落とす。 それを避けるためには、信じることです。相手を信じる。相手 の心を信じる。相手の性欲がこっちが思うほどたけだけしくない ことを信じる(離れ離れでも我慢できる、と)。自分たちの将来も信 じる。ただ、信じることです。宗教みたいなものです。

    自分が誰か、何をしたいのか、セクシュアリティも、アイデン ティティも、自分の中でも、理解するのに時間がかかります。計 算やミステリーなら結論が出ないといけませんけど、なにしろ人 生ですから、結論は、いつ出ても、ついに出なくても、0Kで 理想的な世界とは、カミングアウトしようがするまいが、誰も なんとも思わない世界。異性愛者が、あたしセックスしたい相手 は男なのよなんて、ことさら言わないで済んでるように、レズビ アンやトランスジェンダーの女も、ただありのままに暮らせる世 界であります。

    立つことをおそれない、埋没しない、自分らしいおしゃれのでき る女になる。そのとき、生活が安定しているともっといい。どん な生き方を選んだとしても、どんな家族のかたち、どんなセクシュアリティ、どんな親子関係、どんな仕事を選んだとしても、 自分らしく生きられるようになっているといい。⋯⋯ということ を若い女たちが、考えてくれているといい。

    一切やめる。もちろん、自殺というのが方法の一つです。うつ になったら、誰もが一度は考えることでしょう。でもそれはあま りに周囲を傷つけます。わたしにはとてもできませんでした。出 家について、瀬戸内寂聴先生にうかがったとき、出家というの が、昔は自殺の一手段だったのかもしれないと考えました。それ から、カリフォルニアに移住した、日本語を断ち切ってみたとい うのが、わたしの場合の自殺の方法だったのかもしれないなと考 えました。

    あとは、動く。からだを動かす。 わたしもまた、旅して、旅して、旅して、旅してまわりまし た。日本の古典文芸によく出てくる「道行」というもの。それか ら「漂泊」というもの。あれは、行き詰まり、にっちもさっちも 行かなくなった人たちが、なんとか打開しようと、からだだけで も動かしていったその行為なんじゃないかと思いながら、わたし は必死で旅をつづけました。

    実は、わたしは根っからの汚いもの好きで、ウンコだゲロだと喜ぶ子どもがそのままおとなの女になったようなものです。しかしながら、女の性や生理を考えた上で、胎児について考えつめら、それはうんこと実感したのもたしかです。その後、第二子第三子を産み、育て、他にもいろいろと経験をむだに積み重ね、の介護も犬の介護も経験し、シモの始末もやった末に、わたしはハッキリと見きわめました。生きるということは、排泄である、 と。

    しかしながら、母とはどうもうまくいきませんでした。それがこの本全体の原動力 になってるフシもあります。母からは、いろんな呪いをかけられていたような気がす るんです。母がわたしをすごく大切に思っていたということには、疑いを持ちませ ん。英語で言えば、ラブであります。でも、呪いもいっぱいかけられた。最後は老い 衰えて、呪いをかけたことすら忘れてるふうでしたが、わたしにとっては、呪いを振 り切って生きるというのが人生の命題だった時期もあるわけで、忘れるということは なかったといってもいいのです。

    27歳
    戒厳令下のワルシャワにはウィーンからしか入国できず、コペンハーゲンで乗り換 えてウィーン、Nと再会してワルシャワへ。はじめての海外旅行、はじめての飛行 機、はじめての乗り換え、はじめての外国、はじめての外国語、はじめての社会主 義。Nと二人三脚で、まあなんとか。ワルシャワに住んだのも、日本人学校で働い たこともいい経験だった。休み時間に音楽室でクラシック音楽を聴きまくったのも いい経験だった。ポーランド語はNに頼るばかりで身につかなかった。

  • 遠くからみてる分にはいいけど、あんまり気は合わなそう。親との関わり合い方については参考になった。

  • NHKで紹介されてた
    わたしはわたし あなたはあなた

  • Eテレの「理想的本箱」で、「将来が見えない時に読む本」で紹介されていた。「あたしはあたし」「あなたはあなた」

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著者プロフィール

伊藤比呂美
1955年、東京都生まれ。詩人。78年に現代詩手帖賞を受賞してデビュー。80年代の女性詩人ブームをリードし、『良いおっぱい 悪いおっぱい』にはじまる一連のシリーズで「育児エッセイ」という分野を開拓。「女の生」に寄り添い、独自の文学に昇華する創作姿勢が共感を呼び、人生相談の回答者としても長年の支持を得る。米国・カリフォルニアと熊本を往復しながら活動を続け、介護や老い、死を見つめた『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(萩原朔太郎賞、紫式部文学賞受賞)『犬心』『閉経記』『父の生きる』、お経の現代語訳に取り組んだ『読み解き「般若心経」』『たどたどしく声に出して読む歎異抄』を刊行。2018年より熊本に拠点を移す。その他の著書に『切腹考』『たそがれてゆく子さん』『道行きや』などがある。

「2022年 『伊藤ふきげん製作所』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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