- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004315452
作品紹介・あらすじ
沖縄で、硫黄島で、南洋諸島で、シベリアで、いまも親族の遺骨を探し続ける人々がいる。空襲や原爆では、身元不明のまま、多くの市民が「仮埋葬」されたが、その後どうなったのか。戦争の結果、遺骨となった三一〇万人の「未完の戦後」を現地に探ったルポ。戦争とは?国家とは?遺骨から日本の戦後が見える。
感想・レビュー・書評
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遺骨から見る日本の戦後
所蔵情報:
品川図書館 文庫/新書コーナー 369.3/Ku61 -
↓利用状況はこちらから↓
https://mlib3.nit.ac.jp/webopac/BB00532926 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/687464 -
知らないことも多く、遺族の無念さが伝わってきた。
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『ガマ 遺品たちが物語る沖縄戦』は沖縄の地下壕・ガマから掘り出され
た遺品から、沖縄戦の凄惨さを描いたモデル小説だった。
原爆が落とされた広島には、身元不明は勿論のこと、氏名が分かって
いても引き取り手のない遺骨が原爆供養塔の地下に眠っている。それ
をつまびらかに描いたのが『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』だ。
この2作を読んだ上で、本書を読んだ。こちらは国内・国外に眠る戦没者
の遺骨全般についてを追っている。
海外の戦地で亡くなった兵士が、白木の箱で帰京した時、そこには遺骨
ではなく石が入っていたという話は何かで読んだ。
遺骨となって家族の下に還れた兵士はまだよかったのだろう。しかし、
多くの兵士の遺体は現地に放置され、土に埋もれた。
戦後、大規模な遺骨収容作業が行われたが、いかんせん、遅すぎた。
日本が敗戦国だったこともあるのだろうが、もう少し早くに手を付ける
ことは出来なかったのだろうか。
兵士だけではない。東京大空襲で犠牲になった多くの市民、敗戦により
大陸や朝鮮半島に置き去りにされ自力で帰国しようとしながらも果たせず
に亡くなった人々。
家族の下へ還れぬ遺骨があまりにも多過ぎる。
今年は戦後70年。これまでも毎年の終戦記念日には「戦後○年」との
言葉が繰り返されて来た。だが、何年、何十年経とうとも、本来戻るべき
場所へ戻れない遺骨は「、それぞれの「あの時」で時が止まっているの
ではなだろうか。
経済白書が「もはや戦後ではない」と書いたのは1956年だ。だが、還れぬ
遺骨がある限り、私たち日本人の戦後は終わっていやしないんだ。
尚、本書ではイギリスとアメリカの戦死者の遺体・遺骨に関する考え方
も記述されており、文化や歴史の違いが死者を弔うことにも表れるの
だなと参考になる。 -
沖縄で、硫黄島で、南洋諸島で、シベリアで、いまも親族の遺骨を探し続ける人々がいます。東京大空襲をはじめとする各地での空襲や、原爆のあと、多くの市民が身元不明のまま、まとめて公園や学校、寺の敷地などに「仮埋葬」されました。戦後、改葬のために掘り起こされた遺体は、そのほとんどが身元を特定できず、無縁仏として合葬されています。戦争の結果、「遺骨」となった310万人の「未完の戦後」を探るルポルタージュ。
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第二次世界大戦でなくなたった方の未帰還の遺骨。といえば、フィリピンなどの海外を思い浮かべる。しかしながら沖縄戦、東京大空襲や原爆によって大量に虐殺された民間人を含む方の遺骨の戦後史がどうだったかを知る人は少ない。この本は、そんな遺骨の戦後史を丹念にルポ。戦争の節目となる日にメディアを含めて、「先人の痛みをおもいやり平和に感謝して決意しよう」を繰り返すが、それ以前に、たとえば沖縄で20万人のヒトが骨になってしまったのは、自然災害のような不可避なことではなく、為政者による意思決定の結果であるということを考えねばならない。だから彼ら、彼女たちの遺骨に対してはやるべきことがあるというのが著者の立場。
遺骨収集の仕事は、戦地や現地をしる人が鬼籍にはいり、いまは大学生などの若手にうつりつつある。
人は二度死ぬ。身体的に死ぬときとすべての人に忘れ去られるとき、といいう言葉がたしかヘミングウェイであったんだけど、国家の意思決定で死においやられたヒトが、二度目の死を迎えるというのは残念すぎるしあってはならない。 -
戦争て亡くなられた未だ故国へ帰ることができない遺骨、国内で埋もれたまま遺骨がこれほどあるとは。
日本人は須らく知っておくべき事実と思うし、祖父がシベリア抑留帰還者であるため、一層重く感じた。
皆に読んで欲しい一冊。