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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784004315483
みんなの感想まとめ
数学の深遠な世界を人物を通じて探求する内容で、古代から近代にかけての数学者たちの挑戦や発見が描かれています。特に、古代ギリシアの三大作図問題に対するデカルトらのアプローチを通じて、数学の進化が理解でき...
感想・レビュー・書評
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ドイツにライプニッツとか凄い数学者は輩出してるけど、ライプニッツの時代は数学と言えばフランスで、数学を学ぶ為にわざわざパリに留学しなきゃ話も理解してもらえなかったぐらい数学の発展で言うとドイツとフランスでは差があったらしい。
『人物で語る数学入門 (岩波新書 新赤版1548)』 高瀬正仁 #ブクログ #読書 #KindleUnlimited
https://booklog.jp/item/1/4004315484
数学を人物ベースで学ぶ方が、その人の人生ドラマが見れて面白いし、無機質に見える数学も、あくまでも人間が考えた事だと思うと凄さが分かるし、面白く感じると思った。
• デカルト
• ディオファントス
• フェルマ
• ライプニッツ
• ヤコブ・ベルヌーイ
• ヨハン・ベルヌーイ
• オイラー
• ガウス
• ラグランジュ
• ルジャンドル
• コーシー
• デデキント
• ディリクレ
• リーマン
• カントール
『人物で語る数学入門 (岩波新書 新赤版1548)』 高瀬正仁 #ブクログ #読書 #KindleUnlimited
https://booklog.jp/item/1/4004315484
フェルマーって数学趣味でやってたらしい。私も数学物理習い事としてやりたい。自分でゴリゴリ一般向けの本読んでるだけだから。
高瀬 正仁
(たかせ まさひと、1951年1月23日[1] - )は、日本の数学者・数学史家。専門は、多変数関数論・数学史。学位は、理学博士(九州大学・論文博士・1993年)(学位論文「虚数乗法論と多変数解析関数論の史的研究」)。九州大学基幹教育研究院教授、大正大学非常勤講師。群馬県勢多郡東村(現・みどり市)生まれ。東京大学教養学部基礎科学科卒業。九州大学大学院理学研究科数学専攻博士前期課程修了、同博士後期課程中退。1993年「虚数乗法論と多変数解析関数論の史的研究」で理学博士の学位を取得。九州大学助手、講師、九州大学大学院数理学研究院准教授、九州大学基幹教育院教授。歌誌『風日』同人。
「 ユークリッドは紀元前三百年前後を生きた古代ギリシアの人で、当時の数学的知識を集大成して『原論』を編纂しました。 古代ギリシアでは、はじめ直線と円を用いて角の三等分を実現しようとする試みがなされた模様ですが、これは成功しませんでした。パップスは円と双曲線を用いてこの問題を解きました。パップスはアレクサンドリアに生れ、四世紀の前半を生きた人といわれています。『数学集録』(全八巻)の編纂者として知られ、回転体の表面積と体積に関する「パップス─ギュルダンの定理」、三角形の辺の長さと中線の関係を明示する「パップスの定理」にその名が刻まれています。『数学集録』は古代ギリシアの幾何学の知識を集大成した作品で、デカルトの幾何学的思索のための貴重な手掛かりとなりました。」
—『人物で語る数学入門 (岩波新書)』高瀬 正仁著
「T・ L・ヒースの『ギリシア数学史』には、この問題の起源として、数学に無知な一詩人による物語が紹介されています。それによると、クレタ島の王ミノスがグラウコスのために墓を建てさせたところ、その墓はどの方向にも百フィートしかなかったので、ミノスは大きさを二倍にせよと命じました。そして、そのためにはそれぞれの方向の寸法を二倍にすればよいと、まちがったことをミノスは付言したというのです。 別の話もあります。デロスの人びとが神託を受けて、ある疫病にかかりたくなければ、祭壇の大きさを二倍にしなければならないと告げられました。そこでプラトンを訪ねて相談したところ、プラトンはこれに応じ、神意は二倍の祭壇を望んでいるのではなく、ギリシア人が数学をおろそかにして幾何学を軽 するので、それを恥ずかしいことと思わせるためにこの問題を考えさせようとしたのだというのでした。」
—『人物で語る数学入門 (岩波新書)』高瀬 正仁著
「ルネ・デカルトは一五九六年三月三十一日、フランス王国トゥーレーヌ州の町ラ・エーに生れました。現在の地域表示では、ラ・エーはサントル =ヴァル・ド・ロワール地域圏のアンドル =エ =ロワール県に属しています。父はジョアシャン・デカルト、母の名はジャンヌ・ブロシャール。デカルトの生後十三か月がすぎて、一五九七年五月十三日に母が亡くなりました。一六〇七年、デカルトはラ・フレーシュ学院に入学しました。ラ・フレーシュ学院は一六〇四年にイエズス会がアンリ四世の支援を受けて創設した学校ですが、所在地がアンジュー地方のラ・フレーシュでしたので、その名をとってラ・フレーシュ学院と呼ばれるようになりました。『方法序説』には「ヨーロッパでいちばん有名な学校の一つ」と書かれています。現在の地名表記ではラ・フレーシュはペイ・ド・ラ・ロワール地域圏のサルト県のコミューンです。」
—『人物で語る数学入門 (岩波新書)』高瀬 正仁著
「一六一八年、オランダ国境の要塞都市ブレダの軍事学校に入りました。イザーク・ベークマンという人と出会い、数学や力学を学び始めたのもこの年です。 一六一九年、三十年戦争に参加するためにドイツに向かい、バイエルン公マクシミリアン一世の軍隊に入りました。同年十月、ウルム市近郊の村の炉部屋にこもり、十一月十日の昼、「素晴らしい学の基礎」( G・ロディス =レヴィス『デカルト伝』)を発見し、夜になって三つの神秘的な夢を見ました。デカルトはこのとき満二十三歳でした。 その後、旅に出て、ボヘミア、ハンガリー、ドイツ、オランダ、フランス、イタリアと遍歴を重ねました。パリ滞在中に、メルセンヌと出会いました。一六二八年、オランダに移住。一六三七年、『方法序説』を刊行しました。デカルトは四十一歳になっていました。」
—『人物で語る数学入門 (岩波新書)』高瀬 正仁著
「 『方法序説』という書名は略称で、書名を完全に表記すると、『自分の理性を正しく導き、いろいろな学問において真理を求めるための方法について述べる話』(白水社版『デカルト著作集 1方法序説』)と非常に長大です。本書中の「私は考えている。だから私は有る」(同上。フランス語原文は Je pense, donc je suis.ラテン語訳は Ego cogito, ergo sum, sive existo.われ思う。ゆえにわれあり)は広く知られています。現在『方法序説』として刊行されている六部構成の序説に続き、名高い三つの試論「屈折光学」「気象学」「幾何学」が続きます。デカルトは、自分が発見した学問の方法を実際の学問に適用しようとしました。幾何学への応用に際して具体的に現れたのが、代数計算を根底に据えるというアイデアでした。」
—『人物で語る数学入門 (岩波新書)』高瀬 正仁著
「デカルトにとって、真に幾何学的と呼ばれるのに相応しい曲線とはどのような曲線だったのでしょうか。デカルトはこう言っています。幾何学とは的確で精密なもの、機械的とはそうでないものと解し、また、幾何学はすべての物体の測り方を知る方法を一般的な仕方で教える学問であると見るならば、最も複雑な線もひとつの連続的な運動、または互いに連係していて最後の運動は先だつ諸運動によって完全に規制されるような多数の運動によって描かれると想像しうるかぎり、それらの線を最も単純な線以上に退けねばならぬ理由のないことは、きわめて明らかであると私には思われる。なぜならば、この方法によって、常にそれらの線の測り方について精密な知識をもちうるからである。 幾何学に受け入れうるか否かの判断はひとえに「精密に測定しうるか否か」、言い換えると、「精密に描くことができるか否か」が分かれ目になっていると、デカルトは考えている模様です。実際の例について、デカルトの思索を具体的に追ってみたいと思います。」
—『人物で語る数学入門 (岩波新書)』高瀬 正仁著
「三次と四次の代数方程式の解法は十六世紀イタリアの代数学の大きな成果で、カルダノの著作『大技術、あるいは代数学の諸規則について』(一五四五年)に記されています。三次方程式の解法は、シピオーネ・デル・フェッロとタルタリアが発見しました。 次数が四をこえると、代数方程式の解法はたちまち困難になります。パップスの問題の場合のデカルトの成功はまったくの僥倖でした。」
—『人物で語る数学入門 (岩波新書)』高瀬 正仁著
「ヴァティカンの図書館において、代数学に関連して、アレクサンドリアのディオファントスという人によって著されたギリシア語の文献が再発見された。ローマの数学講師アントニオ・マリア・パッツィ氏が私にそれを見せた。私はこの著者は数についてすぐれていると判断した(無理数論において、また演算の完全性において多少の問題はあるが)。このような大切な著作は世界を豊かにするという考えをもって、我々は、しかし二人とも多忙なので六巻あるうちの五巻を翻訳した。」
—『人物で語る数学入門 (岩波新書)』高瀬 正仁著
「フェルマの生地はフランス南西部のボーモン =ド =ロマーニュです。今日の地名表記ではタルヌ =エ =ガロンヌ県のコミューンで、地域圏はミディ =ピレネーです。近くにトゥールーズという大きなコミューンがあります。 フェルマはトゥールーズ大学とオルレアン大学に学び、故郷のトゥールーズで法律関係の職業に就いて生涯をすごしました。数学は独自に学びました。デカルトはパップスの著作『数学集録』を参照して古代ギリシアの数学的世界に入っていきましたが、フェルマはアポロニウスの『円錐曲線論』に示唆を得て古代ギリシアの曲線論に親しみ、ディオファントスの『アリトメチカ』を読んで数論の復興を試みました。」
—『人物で語る数学入門 (岩波新書)』高瀬 正仁著
フェルマーは、法律家としての職務の傍ら、数学の研究を趣味としていた。数学においては、パスカルと共同で確率論の基礎を作り、デカルトと文通を交わしながらデカルトとは独立に解析幾何学を創案するなどの功績を残す。解析幾何学については、デカルトが二次元での理論にとどまったのに対し、フェルマーは三次元空間でも考えていた。その他、幾何学、微分積分学といった諸分野においても先駆的な仕事を遺しており、特に数論における仕事は独創的で後世の数論家たちに大きな影響を与えたらしい。
言語にも堪能であったフェルマーは、母語のフランス語の他、スペイン語やラテン語で詩を作り、高い評価を得ている
「 当然のことながらフェルマは『原論』を知っていました。そのフェルマが、一般に必ずしも素数とは限らない 2 1という形の数に着目したのは瞠目に値します。 前項で紹介したフェルマの「三つの美しい命題」はディオファントスは関係がありませんが、そこにはさらに遠くユークリッドの影が射しています。」
—『人物で語る数学入門 (岩波新書)』高瀬 正仁著
「ユークリッドは素数の無限性を示しましたが、素数が生成される仕方は考えていませんでした。誤りはしましたが、フェルマは素数が生成される様式に関心を寄せていたのでしょう。ギリシアから出てギリシアを越えようとするところに、近代数学の黎明が感じられます。」
—『人物で語る数学入門 (岩波新書)』高瀬 正仁著
「これを言い換えると、「どのような数もたかだか 個の 角数の和の形に表される」という命題になります。フェルマはこの命題を発見したことがよほど自慢だったようです。その証明は数々の多彩な、奥深い場所に秘められている数の神秘から導き出されるが、それをここに書き添えることはできない。なぜならわれわれは、この仕事を成し遂げて一冊の完全な書物を著し、このアリトメチカの領域において昔からよく知られている限界を越えて、目を見張るまでに押し進める決意を固めたからである。 この「定理」の証明を初めて試みた人は、またもオイラーでした。オイラーは一七五四/五年の論文において四角数に関するフェルマの定理の証明を試みたのですが、完全ではなく、そこをラグランジュが一七七〇年の論文で補いました。完全に一般的な場合の証明はやはりむずかしく、コーシーが一八一三年に成功しました。」
—『人物で語る数学入門 (岩波新書)』高瀬 正仁著
「ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツは一六四六年七月一日、ドイツのライプツィヒで生れました。その時はまだデカルトもフェルマも健在でした。一六六一年の秋、十五歳のライプニッツはライプツィヒ大学に入学し、法律を学びましたが、同時に哲学に強く心を惹かれました。各地の大学を遍歴し、その途次、ニュルンベルクではマインツ選帝侯の前首相ヨハン・クリスティアン・フォン・ボイネブルクに会っています。一六六七年から一六七二年まで足掛け六年、マインツ選帝侯ヨハン・フィリップ・フォン・シェーンボルンに仕えました。」
—『人物で語る数学入門 (岩波新書)』高瀬 正仁著
「一六七二年三月、ボイネブルクとライプニッツはフランス王ルイ十四世にエジプト攻略を建策し、その説明のためにパリに向かうことになりました。この時点でライプニッツは満二十五歳です。本来の目的とは別に、パリ 留の最大の収穫は、名高い数学者、物理学者、天文学者クリスティアン・ホイヘンスとの出会いでした。ライプニッツはホイヘンスの影響を受けて数学に心を寄せ始めました。 パリ 留前後のライプニッツの消息に触れて、下村寅太郎はこんなふうに言っています。彼が初めてパリに出て来た時には近世数学には全く無識であった。未だ無限級数やデカルトの「幾何学」やその解析的方法を知らなかった(そして事実上それがドイツの学問の水準に他ならなかった)。ロンドンへ渡ってからいよいよ自己のドイツ以来の数学的教養が仏、英の学界の水準に比しはるかに低いことを自覚した。彼の数学的労作への没頭はロンドンから再びパリに帰ってきてからである。そして一六七六年には既に微分法の構想がほぼ成功した。彼は近世数学には無縁な者としてパリに来たが、数年にして近世数学の支配者となり、征服者として去った。ライプニッツのこの天才的な飛躍ほど目覚ましいものは学問の歴史の中にその比を見ないであろう。(下村寅太郎『ライプニッツ研究』)」
—『人物で語る数学入門 (岩波新書)』高瀬 正仁著
「ライプニッツは積分という言葉を使わずに「深い場所に秘められた幾何学」と言っています。意味を むのがむずかしい不思議な表題です。 二論文が掲載された『学術論叢』( Acta eruditorumアクタ・エルディトールム。「学者の活動」の意)は、一六八二年にライプツィヒでオットー・メンケが創刊したドイツの最初の学術誌で、月刊誌です。メンケが編集を担当し、ライプニッツも協力しました。一七三一年まで、刊行は足掛け五十年に及びました。」
—『人物で語る数学入門 (岩波新書)』高瀬 正仁著
ライプニッツは哲学、数学、科学など幅広い分野で活躍した学者・思想家として知られているが、政治家であり、外交官でもあった。17世紀の様々な学問[注釈 1]を統一し、体系化しようとした。その功績は法典改革、モナド論、微積分法、微分記号、積分記号の考案、普遍記号法の創始、ベルリン科学アカデミーの創設等、多岐にわたる。
ライプニッツは、1672年、マインツ選帝侯からパリに赴き、フランス王ルイ14世にエジプト遠征を勧めるよう命じられるが、フランス側からなんの関心も引き出せないまま、1673年に庇護者であるマインツ選帝侯が没すると、ライプニッツは職を失う。その後はパリに留まり求職活動をしながらクリスティアーン・ホイヘンスなど多くの学者と交流を深めていき、1675年に微積分法を発見。
ライプニッツは、「モナドロジー(単子論)」「予定調和説」を提唱した。その思想は、単なる哲学、形而上学の範囲にとどまらず、論理学、記号学、心理学、数学、自然科学などの極めて広い領域に広がる。また同時に、それらを個々の学問として研究するだけでなく、「普遍学」として体系づけることを構想していた。
ライプニッツは、微積分法をアイザック・ニュートンとは独立に発見・発明し、それに対する優れた記号法すなわちライプニッツの記法を与えた。現在使われている微分や積分の記号はこれによるところが多い。しかし、それと同等か、あるいはそれ以上に重要な業績は今日の論理学における形式言語に当たるものを初めて考案したことである。ライプニッツによれば、それを用いるとどんな推論も代数計算のように単純で機械的な作業に置き換えることができ、注意深く用いるなら誤った推論を原理的に起こり得なくできるという。
ライプニッツはアルトドルフ大学より法学博士号(Doctor juris)を授与されている。法学への関心は実務から自然法まで幅広いものであった。法学の後進性や乱雑さに不満を抱き、数学的な法学の改革を志向した。また、主権を研究し、ドイツやヨーロッパの連邦化を構想していた。
ライプニッツは三十年戦争の後遺症がまだ残るドイツという、後進国出身の悲哀を味わわなければならなかった。ライプツィヒ大学の哲学教授であった父には、幼いころから読書を教わり、14歳で父が務めた大学に進んで2年後に卒業するが、当時のドイツの大学はイギリスやフランスに比べて立ち遅れており、ライプニッツの理論を正当に理解・評価できる人は学内にあまりいなかった。
「一四一六年、ハイデルベルク大学に学籍登録。一四一七年、イタリアのパドヴァ大学に入学。一四二三年、教会法博士になりました。この時代の青年の大望は法律を学ぶことにあったようで、ボローニア大学なども有名な法律学校でした。ローマを訪問し、翌年、故郷のクースにもどり、聖職に就きました。著作の中には『幾何学的変形について』『円の求積法について』『数学論文補足』『数学的完全性について』などがあり、数学を重んじていた様子がうかがわれます。 『学識ある無知について』という本は、神学と数学についての不思議な言葉に満ちています。たとえば第十二章には、「敬 この上ないアンセルムスは、最大の真理を無限の「直」になぞらえている」(山田桂三訳)という言葉があります。「無限の「直」」とは「真っ直ぐな図形」のことで、直線で表されます。さらに、「他の優れた人たちも、祝福された聖三位一体を三つの等しい直角を持つ三角形に比している」と続きます。「三つの等しい直角を持つ三角形」は有限の世界にはありえません。そこでクザーヌスは、そのような三角形を「無限の三角形」と名づけることができるであろうと言明します。『学識ある無知について』の訳者の によれば、「他の優れた人たち」とはクセノクラテスや後期プラトン学派を指しているということです。ただし、これも訳 の続きですが、それらの人たちは神性や聖三位一体を「等辺三角形」に比したのであり、「等辺直角三角形」に比したのはクザーヌスだけでした。」
—『人物で語る数学入門 (岩波新書)』高瀬 正仁著
クザーヌス
生涯
編集
ドイツのモーゼル河畔の港町クースに裕福な船主の家庭に生まれる。幼い頃の記録は不明確であるが、父親に理解されず苦しんだようである。領主の援助を得てオランダに遊学、敬虔主義的な教育を受けたとされる。ハイデルベルク大学で自由学科を学び、翌年にはパドヴァ大学に移り、1423年教会法の博士号を取得。1425年再びドイツに戻ってからはケルン大学にて教会法を講じつつ、同時にハイメリクス・デ・カンポのもとで学び、偽ディオニシウス・アレオパギタ、アルベルトゥス・マグヌス、ライムンドゥス・ルルスらの思想に触れる。この頃から写本発見家としても人文学者に名を知られていく。 その後1430年司祭に叙階され、バーゼル公会議(フィレンツェ公会議)では公会議派の立場で活躍、高名を得るが、後に教皇派に理解を示すようになる。この様な姿勢に彼の柔軟性が垣間見えるが、当時としては誤解を生む行動でもあったようである。東西教会の和解のためにも奔走し、教皇使節としてコンスタンティノープルを訪問。またドイツを教皇代理として巡察し、強い抵抗に苦しめられつつも改革に取り組んだ。1448年に枢機卿、1450年ブリクセン大司教。最後は終生の友人である法王ピウス2世の十字軍構想に従い、病身を押してローマを出立するが、トスカネッリに看取られながら1464年トーディにて死去した。
思想
編集
クザーヌスは「知ある無知」や「反対の一致」などという独創的な思想を唱えた。クザーヌスによれば神の本質は、あらゆる対立の統一=反対者の一致である。無限の中では極大と極小(神と被造物)が一致する。すべての被造物は神の映しであり、それぞれの独自な個性を持ちながらも、相互に調和している。中でも人間は自覚的に神を映し出す優れた存在であり、認識の最終段階においては神との合一が可能であるという。
彼の思索は中世の混沌のなかから近代的思考を準備したと高く評価されている。対立したものに調和をもたらそうという自身の思想の実現の為、東西教会、キリスト教とイスラム教やユダヤ教、公会議派と法王派など、つねにいろいろな立場に理解を示し行動を続けた。また、ジョルダーノ・ブルーノ、ヨハネス・ケプラー、ゴットフリート・ライプニッツ、カール・ヤスパース[1]など、著名な後世の哲学者にも多大な影響を与えた。日本でも生誕600年を期に注目が高まって研究が進んでおり、関連書籍の出版などが続いている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/687463 -
この手の本は、じっくりと紙と鉛筆を持って読まないと面白さが半減する。多分、定年してからの楽しみかもしれないが、その頃に頭がついて行っているかどうかわからない。伝記として読んでも面白く満足であるが、、、
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新書文庫
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とても残念な本.
「人物で語る物理入門」がとてもよくて,そのあと「人物で語る化学入門」が出て,これもなかなか良かった.いつかは数学も出るだろうと当然期待していた.発売されたとき,著者を見てがっかり,目次を見てがっかり,となったので今まで読まずにいた.そして今度は読んでみて,予想通りの残念な内容だった.
内容に関する残念をあげると次のようになる.
その1.取り上げられている分野が微積分と数論だけ.要するに著者が今まで色々な本で取り上げてきたことだけ.
その2.17世紀までで半分.残りで19世紀半ばまで.もう21世紀なのだから,少なくとも20世紀の初めまでは書いて欲しかった.ここまでなら他にもいろいろ本があるし,そしてこの記述だと数学入門というよりは(予想された通りだが)数学史入門だ.ちなみに物理は19世紀以降が3分の2,20世紀が半分の分量.化学に至っては19世紀末からの記述がほぼすべてである.物理,化学と読んでくると,この本の貧弱さが目立つ.文字の密度も違う.数学は対象が抽象的なだけに語る方にも力量がいるのはわかるが,ちょっとあんまり.
その3.題名に偽りあり.まったく「人物で語」っていない.リーマンやカントールの紹介を半ページずつつけても何も情報はない.
私は著者の広汎な訳業をはじめとする数学史の仕事にはいくばくかの敬意を覚えるものの,このシリーズの著者としては残念としか言いようがない.
昔から岩波新書を愛読していた私には,この本はとても残念なレベル.もっとも新赤版以降は読みたい気を起こさせるものが本当に少なくなったので全体のレベル低下かもしれない. -
2015年7月新着
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タイトルからして、数式に関係なく読めるのかと思ったら大間違い。4ページ目からついていけない。
古代ギリシアの三大作図問題にデカルトたちがどう向き合ってきたのか、それらを通じて何がどう解明されてきたのかが語られているらしい。数論と微積が中心なんだけどサッパリだ。 -
微積、級数などなつかしい。
数学は美学であるとあらためて思う。 -
数学の入門にはなっていないような気がする。人物が浮き彫りにもなっていない。そもそも電車の中で読むような想定にはなっていないのかもしれない。頭の中だけで式を追いかけるのはしんどい。歴史として楽しめるほど、人物のエピソードが多いわけでもない。しかしまあ、ガウスの数論はきちんと理解してみたいなあとは思える。きっとおもしろいんだろうなあ。それから、やっぱり虚数はおもしろい。対数との関係などは過去に見た記憶がない。ところで、iという文字は結局1回しか登場しなかったようなのだけれど、これは歴史的に何かあるのだろうか。調べてみないといけない。というか書いておいてほしかった。人物で語るシリーズの物理がとても良かっただけにちょっと残念。
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