生きて帰ってきた男――ある日本兵の戦争と戦後 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004315490

作品紹介・あらすじ

とある一人のシベリア抑留者がたどった軌跡から、戦前・戦中・戦後の日本の生活面様がよみがえる。戦争とは、平和とは、高度成長とは、いったい何だったのか。戦争体験は人々をどのように変えたのか。著者が自らの父・謙二(一九二五‐)の人生を通して、「生きられた二〇世紀の歴史」を描き出す。

感想・レビュー・書評

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  • 著者の父である小熊謙二に対し、2013年5月から12月に行われた聞き取りからなる民衆史・生活史であり、出版時点で89歳の謙二氏の来歴を辿るものである。タイトルからすれば戦争体験に焦点を当てた内容を予想させられるだろう。戦争・捕虜体験も本書の重要な要素ではあるのだが、約380ページのうちその時期に該当するのは第2章から4章の全体の三割弱であり、けっして戦争体験だけを切り取る意図で綴られたものではない。戦前と戦後から高度経済成長にいたるまでの日本の社会や風俗を、自らを「下の下」と称する謙二氏の記憶を通して鮮やかに映し出す。

    戦争に関する一人の兵士の記録を期待していたが、早い段階でそのような著書ではないことに気付いた。だからといって当てが外れて裏切られたかといえば全くそんなことはなく、謙二氏が入営するまでの家族の来歴や庶民生活を読んだ時点でも期待以上で、戦争にまつわる情報だけを得たいという意識は早々に薄れた。とくに戦記ということに関しては、戦争末期の1944年11月に召集された謙二氏には実戦の機会は一度もなく、当人が言うようにシベリアに抑留されるためだけに満州に送りこまれたような結果となっており、明らかに戦記を期待するような読者に向けられた内容ではないため、その点は改めて注意したい。

    あとがきにあるように、高学歴中産層による各種の記録は多く残されていても、著者の父のように貧しく学歴もコネもない民衆による記録を読む機会は限られており、あったとしても短い証言を集成したアンソロジーのようなもので、一生涯を貫くまとまった形の生活史は貴重ではないだろうか。本書は一人の名もない平凡な民衆が見た、昭和元年から戦争を経て豊かな時代に至る日本社会を知る格好の内容である。謙二氏の記憶と比較すれば、一般に知られている個々の時代の日本社会の様子は、やはり高学歴であったり公的組織や大企業に属する人々の「高い」視点からもたらされた偏ったものだと改めて思わずにいられない。

    著者自身が指摘しているとおり、何といっても謙二氏が終始淡々としており、思い入れによってフェアな視点を崩されることがないうえに、優れた洞察力と記憶力を兼ね備えた人物であることが本書に資するところが非常に大きい。そのような人物は先述の通り、往々にして高い立場にあったり学歴を備えているケースが多く、結果的に地に足のついた民衆の視点から社会を見渡したような記録は残りにくいはずだが、謙二氏の人間性によって本書ではそのことが可能となっている。そんな謙二氏の視点で語られる80年ほどの日本社会を身近に感じ、抑留と結核療養でフイにした20代の十年間も、その後の高度成長期を背景にした仕事や家庭生活の様子にも強く引きつけられた。

    生涯を語るということでは多くの伝記作品などが残されているが、功績が偉大すぎたり、環境の隔たりの大きさによって、結局は別世界の人間のお話だと鼻白むことが少なくなかった。その意味で本書は伝記作品の対極に位置する。語り手はあくまで一人の民衆であり、違う時代にありえた等身大の自分としてまさに身近に感じることができた。偶然から、私が求めていた生活史に出会えたという思いである。

  • とある一人のシベリア抑留者がたどった人生の軌跡から、著者の父(小熊謙二)へのインタビュ-を通して、戦前から戦後の生活模様や世相を浮き彫りにしたドキュメンタリ-。▷サイパン陥落後、東条内閣が倒れたが「背景の情報はないし、何も分からなかった」▷最初の冬は飢えと寒さの闘いだったが、二年目からは少しずつ別の苦痛、捕虜たちの間で、共産主義思想に基づいてお互いを糾弾する民主運動が始まった。「母上様お元気ですか。私もしごく元気で、スタ-リン大元帥の温かいご配慮のもと、何不自由ない毎日を過ごしています...」

  •  慶応義塾大学教授の小熊英二氏が、自らの父親である小熊謙二氏から聞き取った戦前・戦中・戦後の体験を記録した本です。当時の人々の暮らしや考え方などが誇張されることなく淡々と描かれています。「現実は映画や小説と違う」(p172)という謙二氏の言葉どおり、それらはあまり劇的ではないけれど、事実ということの重みを感じさせます。

     謙二氏が六〇歳を過ぎてから社会運動といえるものに関わり始めたことには、さすがに「社会を変えるには」の著者である英二氏の父親だと思いました。

     社会問題に対する謙二氏の言葉には、どきりとさせられるものがありました。
    「現実の世の中の問題は、二者択一ではない。そんな考え方は、現実の社会から遠い人間の発想だ」(p211)
    「自分が二〇歳のころは、世の中の仕組みや、本当のことを知らないで育った。情報も与えられなかったし、政権を選ぶこともできなかった。批判する自由もなかった。いまは本当のことを知ろうと思ったら、知ることができる。それなのに、自分の見たくないものは見たがらない人、学ぼうともしない人が多すぎる」(p377)

     それにしてもすごい記憶力ですね。いつか失われていく貴重な記憶を本にしてしっかり残すことは大切だと思いました。

  • どうしても詳しく話を聞けない祖父の体験をなぞるような気持ちで読んだ。自分が生まれる前の話とはいえ、こんなに近い過去のことをこんなにも知らないのだということを改めて認識し、恥じ入った。

  • 良書である。読み進むうちに、今までの歴史書にはない発見の喜び、語り手や著者への驚き、そして尊敬がひしひしと湧いてくる。

    語り手は著者の父上、小熊謙二さん(現在89歳)。北海道に生まれ、子どものころは戦前の東京下町で育ち、終戦間際の満州に駆り出されてシベリア捕虜として3年を過ごす。戦後、職を文字通り転々として極貧生活を過ごし、朝日茂と同時期に結核療養所で5年を過ごす。片肺になって出所後に東京で貧乏生活をするも、経済成長の波に上手く乗ってスポーツ店の社長として安定した生活を得る。90年代から2000年代にかけては、ボランティアで環境を守る会や、元兵士のとしての平和活動に参加する。また、シベリア外国人捕虜の補償を求める裁判を支援した。

    と、書けば何か特別な一生のように思えるが、要は普通の「都市下層の商業者」の一生であるに過ぎない。そういう人の、詳しく、時代との関連を明らかにした記録は、しかし珍しいだろう。私には新鮮な記述が幾つも幾つもあった。

    戦前下町の地方からやって来てあっという間に、生活必需品が間に合う下町が出来る事情と店の経営者の記録。庶民の戦争の受け止め方。シベリア抑留の実態。戦後の生活。「共産主義は嫌いだが、戦争や再軍備はまっぴらだ」という信条。60年安保時の心情賛成派のデモの見方。昭和30年代の住宅事情。高度経済成長の雰囲気。そして、この辺りから私の体験とも合致する所多いのだが、誕生日ケーキやカラーテレビ導入時期、レジャー・娯楽体験、新築の家。

    実は謙二さんは去年亡くなった私の伯母の夫、おじさんと境遇がとても似ている。伯父は歳も一歳上。7人兄弟の真ん中で、早くから家を出て様々な職業についた途端に戦争に出て、シベリア抑留。帰って水道管の工員として地道に生活。バツイチの私の伯母と結婚。その後肺気腫を患い、静かな年金生活。晩年は鬱で食事が出来なくなった妻の代わりに家事をこなしていた。しかし、大の共産党嫌いというのは、違っていた。この本にあるようにシベリアは場所によってかなり民主運動や監督官のあり方は違っていたのだろう。私は伯父から何も聞くことができなかった。著者も言っているように、もっと親や親戚から「聴き取り」をするべきだ。そのためにこの本はかなり役立つだろう。

    謙二さんの記憶力の確かなことと、その観察力の鋭さには、驚くばかりである。学問的な裏付けがないのに、言っていることは、例えば加藤周一とあまり大差ない。人間を真っ正面から観察していたから出来たことなのかもしれない。これはもう「人間的な能力」と言っていいのだろう。小熊英二さんのルーツをしっかり見させて貰った。
    2015年8月13日読了

  • ここで書かれていることが本当のことなんだろうなと思う。戦争とその後のある平凡な男性の話
    実は平成になってもまだ戦後が残っていたんだなあと思った。

  • 『感想』
    〇日本兵の上層部から語られる本は多々あれど、一日本兵の視線で語られる本はそうないのでは。

    〇淡々と描かれているため読むのに疲れてくる時があるが、同時に真実の重みも感じられる。

    〇このお父さんだけでなく、その時代を生きた日本人それぞれに現実があって、つらくとも踏ん張って生き、そのおかげで今がある。感謝です。

  • 第二次世界大戦へ参加し、シベリア、帰国を経てきた人のオーラルヒストリー。筆者の父親。
    一般市民が戦争をどのように感じていたのかを知ることができる。
    1937年にはタクシーがなくなり、ガソリンが不足していた。配給制がはじまり、物資が不足していた。
    アカザはアク抜きすると食べられる。

  • 社会学者の小熊英二氏が、父親、小熊謙二氏から聞き取りを行いまとめた1925年(大正14年)から今日の記憶。戦争、シベリア抑留、結核療養所、高度経済成長、未精算の植民地支配。ひとりの、平均的ではないにせよ平凡な男の個人史を大きな文脈に結び付ける作業を通して、東アジアと日本の大きな変動、その中における都市下層商人の生活や意識、移動が浮かび上がる。
    晩年には朝鮮系中国人とともに戦後補償裁判の原告にもなり、今も人権団体の活動を支援しているという謙二氏も興味深い人物だが、その人生と絡めて語られる社会事情の細かい話が知らないことが多くてとても面白い。たとえばホワイトカラーとブルーカラーの間には城詰めの侍と農民の間のような身分差別があったとか、結婚式が宗教化したのはつい最近のことであるとか。
    本書のもつ大きな意味は、このように一人ひとりの人生がいかに異なる形で大きな文脈と結びついているのかを明らかにすることによって歴史を多様な視点から立体化することが可能であること、そして私たち一人ひとりが身近な人々を通して歴史と接近することが可能であることを示したことにあるといえるだろう。とはいえ身近な人が必ずしも謙二氏のように細部を鮮明に記憶しているとは限らないのだが…

  • 400ページ弱、新書としては厚い方だろう。
    「生きて帰ってきた」というタイトルの通り、ひと言で言えば、シベリア抑留を体験して帰国した元日本兵の一生ということになるのだが、本書はそれだけには留まらない。
    地味な体裁、淡々とした語りの奥に、昭和初期以降の庶民の暮らしが詳細に活写されている。
    大上段に振りかぶらず、地に足がついた、そして激情に流されることのない、一市民の人物史である。

    主人公は著者の父。息子がインタビュアーとなって父の語りをまとめている。
    このお父さんという人は、学があった人ではないのだが、観察眼があり、記憶力にも抜きん出たものがある。加えて、冷静で、自分に酔うようなところがない。
    著者は歴史社会学者である。父の語りを補足する形で、その時々の政治状況、国際情勢の流れを解説する。
    主体は庶民の生活ぶりを詳細に捉える「虫の目」、ときに社会全体を眺め渡す「鳥の目」といったところである。

    父・謙二の生まれは大正14(1925)年、北海道常呂郡佐呂間村(現・佐呂間町)である。その父の雄次は新潟県の素封家に生まれたが、家が零落して半ば流れ者のようにして佐呂間の旅館に入り婿となった。やがて謙二の祖父母は旅館を手放し、東京に出てきて零細商店を営む。謙二もそこに引き取られることになる。

    故郷に確たる根を持たない、上流階級でも知識層でもない、「表」の歴史に残りにくい庶民史が非常に興味深い。
    昭和初期に各地に建設された公設市場。「月給取り」と「零細商店」の子供たちの間にあった見えない壁。娯楽としての紙芝居や映画。地方出身者が増えて以降、目立つようになった盆踊り。
    時代は戦争へと向かい、経済状況が悪化していく中、物資の流通が滞り、人々の暮らしにも影響が出てくる。そうした社会情勢と庶民の肌感覚が複眼的に昭和初期という時代を捉える。

    進学率が上がりつつあった時代にあり、中学への進学を果たす。しかしさほど向学心に燃えることもないまま卒業・就職。時代が時代ならばそのまま「サラリーマン」人生を送るところだったのだろうが、ここで召集。父の本籍地だった新潟に配属され、満州に送られる。初年兵としてこき使われるうちに終戦。
    このあたりの内側からの軍隊生活の描写も、一兵士の実感と観察眼が生きていて興味深い。いわく、軍隊生活ではとかく連帯責任が問われ、あるはずの備品が足りないと隊が罰せられるため、余所の隊からの盗みやごまかしが横行していたとか、「軍人勅諭」といったものを暗誦させられるが、大意を汲んでもダメで一字一句暗記していないと殴られる等。
    敗戦時、体をこわしていた謙二は部隊から切り離され、あぶれものの集まりとしてシベリア行きとなる。この際、命を落としたもの、辛くも日本に帰ったもの、シベリアに行ったもの、収容所で帰国を待った年数は、それぞれの境遇でさまざまだったが、ちょっとしたことが運命を分けたようである。

    シベリアでは極寒の地で厳しい収容所暮らしを送る。最初の冬は極限状態で、栄養失調から、人としての感情もなくすような日々だったという。その後は生活状態自体は徐々に改善されていくが、一方で「民主運動」が起こってくる。ソ連人に気に入られようという狙いもあってか、「アクチブ」と呼ばれる共産主義礼賛者が幅をきかせ始めるのだ。こうした運動に心底熱中していたものもいたが、冷静に距離を置いているものも多かった。

    先が見えないと思われた収容所生活だが、帰国できる日がやってきた。
    しかし、帰り着いて父の故郷・新潟を訪ねたが、極貧の暮らしで、食べるものも満足には食べられなかった。職を転々とするうち、戦中戦後の無理と栄養不足がたたり、謙二は結核になってしまう。当時、結核は非常に恐れられた病気で、特効薬も出てきてはいたが、貧しいものに行き渡るほどの供給はなかった。金がなかった謙二は病巣に冒された肺胞をつぶす、苛酷な外科手術を受ける。もう少し前であれば死んでいたかもしれないが、もう数年後であれば、薬の供給が改善され、大手術を受けずに済んだかもしれない。その境目にあったのが、1950年代前半だった。

    何とか病棟を出た後、高度経済成長の波に乗り、謙二はスポーツ店の営業として、徐々に頭角を現してくる。時代の波に乗ったことに加え、冷静な観察眼が営業職には向いていたようだ。後には自身の会社も興している。
    現役を引退した後は、ふとしたことから戦後補償裁判に関わることになる。このあたりの経緯も非常に興味深い。

    全般として地に足のついた昭和・平成の庶民史で、読み応えがある好著である。
    時代に揉まれたとも言える人生、シベリア収容所や結核療養所など先の見えないときに、何が一番大切だと思ったかとの息子(聞き手)の問いに謙二が答える言葉は重く深い。
    必ずしも表の歴史に残ることはなくとも、人は生きていく。そのことの強さを思う。

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著者プロフィール

慶應義塾大学総合政策学部教授。
専門分野:歴史社会学。

「2023年 『総合政策学の方法論的展開』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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