生きて帰ってきた男――ある日本兵の戦争と戦後 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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レビュー : 93
  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004315490

作品紹介・あらすじ

とある一人のシベリア抑留者がたどった軌跡から、戦前・戦中・戦後の日本の生活面様がよみがえる。戦争とは、平和とは、高度成長とは、いったい何だったのか。戦争体験は人々をどのように変えたのか。著者が自らの父・謙二(一九二五‐)の人生を通して、「生きられた二〇世紀の歴史」を描き出す。

感想・レビュー・書評

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  •  慶応義塾大学教授の小熊英二氏が、自らの父親である小熊謙二氏から聞き取った戦前・戦中・戦後の体験を記録した本です。当時の人々の暮らしや考え方などが誇張されることなく淡々と描かれています。「現実は映画や小説と違う」(p172)という謙二氏の言葉どおり、それらはあまり劇的ではないけれど、事実ということの重みを感じさせます。

     謙二氏が六〇歳を過ぎてから社会運動といえるものに関わり始めたことには、さすがに「社会を変えるには」の著者である英二氏の父親だと思いました。

     社会問題に対する謙二氏の言葉には、どきりとさせられるものがありました。
    「現実の世の中の問題は、二者択一ではない。そんな考え方は、現実の社会から遠い人間の発想だ」(p211)
    「自分が二〇歳のころは、世の中の仕組みや、本当のことを知らないで育った。情報も与えられなかったし、政権を選ぶこともできなかった。批判する自由もなかった。いまは本当のことを知ろうと思ったら、知ることができる。それなのに、自分の見たくないものは見たがらない人、学ぼうともしない人が多すぎる」(p377)

     それにしてもすごい記憶力ですね。いつか失われていく貴重な記憶を本にしてしっかり残すことは大切だと思いました。

  • ここで書かれていることが本当のことなんだろうなと思う。戦争とその後のある平凡な男性の話
    実は平成になってもまだ戦後が残っていたんだなあと思った。

  • 第二次世界大戦へ参加し、シベリア、帰国を経てきた人のオーラルヒストリー。筆者の父親。
    一般市民が戦争をどのように感じていたのかを知ることができる。
    1937年にはタクシーがなくなり、ガソリンが不足していた。配給制がはじまり、物資が不足していた。
    アカザはアク抜きすると食べられる。

  • 400ページ弱、新書としては厚い方だろう。
    「生きて帰ってきた」というタイトルの通り、ひと言で言えば、シベリア抑留を体験して帰国した元日本兵の一生ということになるのだが、本書はそれだけには留まらない。
    地味な体裁、淡々とした語りの奥に、昭和初期以降の庶民の暮らしが詳細に活写されている。
    大上段に振りかぶらず、地に足がついた、そして激情に流されることのない、一市民の人物史である。

    主人公は著者の父。息子がインタビュアーとなって父の語りをまとめている。
    このお父さんという人は、学があった人ではないのだが、観察眼があり、記憶力にも抜きん出たものがある。加えて、冷静で、自分に酔うようなところがない。
    著者は歴史社会学者である。父の語りを補足する形で、その時々の政治状況、国際情勢の流れを解説する。
    主体は庶民の生活ぶりを詳細に捉える「虫の目」、ときに社会全体を眺め渡す「鳥の目」といったところである。

    父・謙二の生まれは大正14(1925)年、北海道常呂郡佐呂間村(現・佐呂間町)である。その父の雄次は新潟県の素封家に生まれたが、家が零落して半ば流れ者のようにして佐呂間の旅館に入り婿となった。やがて謙二の祖父母は旅館を手放し、東京に出てきて零細商店を営む。謙二もそこに引き取られることになる。

    故郷に確たる根を持たない、上流階級でも知識層でもない、「表」の歴史に残りにくい庶民史が非常に興味深い。
    昭和初期に各地に建設された公設市場。「月給取り」と「零細商店」の子供たちの間にあった見えない壁。娯楽としての紙芝居や映画。地方出身者が増えて以降、目立つようになった盆踊り。
    時代は戦争へと向かい、経済状況が悪化していく中、物資の流通が滞り、人々の暮らしにも影響が出てくる。そうした社会情勢と庶民の肌感覚が複眼的に昭和初期という時代を捉える。

    進学率が上がりつつあった時代にあり、中学への進学を果たす。しかしさほど向学心に燃えることもないまま卒業・就職。時代が時代ならばそのまま「サラリーマン」人生を送るところだったのだろうが、ここで召集。父の本籍地だった新潟に配属され、満州に送られる。初年兵としてこき使われるうちに終戦。
    このあたりの内側からの軍隊生活の描写も、一兵士の実感と観察眼が生きていて興味深い。いわく、軍隊生活ではとかく連帯責任が問われ、あるはずの備品が足りないと隊が罰せられるため、余所の隊からの盗みやごまかしが横行していたとか、「軍人勅諭」といったものを暗誦させられるが、大意を汲んでもダメで一字一句暗記していないと殴られる等。
    敗戦時、体をこわしていた謙二は部隊から切り離され、あぶれものの集まりとしてシベリア行きとなる。この際、命を落としたもの、辛くも日本に帰ったもの、シベリアに行ったもの、収容所で帰国を待った年数は、それぞれの境遇でさまざまだったが、ちょっとしたことが運命を分けたようである。

    シベリアでは極寒の地で厳しい収容所暮らしを送る。最初の冬は極限状態で、栄養失調から、人としての感情もなくすような日々だったという。その後は生活状態自体は徐々に改善されていくが、一方で「民主運動」が起こってくる。ソ連人に気に入られようという狙いもあってか、「アクチブ」と呼ばれる共産主義礼賛者が幅をきかせ始めるのだ。こうした運動に心底熱中していたものもいたが、冷静に距離を置いているものも多かった。

    先が見えないと思われた収容所生活だが、帰国できる日がやってきた。
    しかし、帰り着いて父の故郷・新潟を訪ねたが、極貧の暮らしで、食べるものも満足には食べられなかった。職を転々とするうち、戦中戦後の無理と栄養不足がたたり、謙二は結核になってしまう。当時、結核は非常に恐れられた病気で、特効薬も出てきてはいたが、貧しいものに行き渡るほどの供給はなかった。金がなかった謙二は病巣に冒された肺胞をつぶす、苛酷な外科手術を受ける。もう少し前であれば死んでいたかもしれないが、もう数年後であれば、薬の供給が改善され、大手術を受けずに済んだかもしれない。その境目にあったのが、1950年代前半だった。

    何とか病棟を出た後、高度経済成長の波に乗り、謙二はスポーツ店の営業として、徐々に頭角を現してくる。時代の波に乗ったことに加え、冷静な観察眼が営業職には向いていたようだ。後には自身の会社も興している。
    現役を引退した後は、ふとしたことから戦後補償裁判に関わることになる。このあたりの経緯も非常に興味深い。

    全般として地に足のついた昭和・平成の庶民史で、読み応えがある好著である。
    時代に揉まれたとも言える人生、シベリア収容所や結核療養所など先の見えないときに、何が一番大切だと思ったかとの息子(聞き手)の問いに謙二が答える言葉は重く深い。
    必ずしも表の歴史に残ることはなくとも、人は生きていく。そのことの強さを思う。

  • 戦争は始まりがあって、終わりがない。

    これまで
    いろいろな 戦争を経験された方のものを読んできた

    ものすごく 悲惨なことの連続であったり
    妙に おもしろおかしく書かれていたり
    はたまた 極端に主観的に書かれたものであったり
    どこかで
    自分の中で コトンと気持ちの中に落ちてくるものは
    なかなか 少ない

    本書は その中の 落ちてきた興味深い一冊です

    類い希なる 優れた 語り手 と
    類い希なる 優れた 聴き手 がとが
    打ち揃って 本書が生まれている

    あらためて
    一人の古老が亡くなる のは 一つの図書館が無くなる
    のと 同じことだ
    という 言葉を 改めて 思い起こしました

    ※蛇足ですが、筆者の父上はまだご存命です。

    あまりに面白かったので
    一気に読んでしまった
    もう一回読んでみようと思っている

  • 2015年8月1日、図書館から借り出し。8月16日読了。実質2日間で読み切った。小熊氏の日本語は読みやすいので、頭に入りやすくて助かる。内容的には、父謙二氏の個人史に、当時の生活史と客観的な社会情勢を加えた、新しいタイプのオーラル・ヒストリーといえる。私を含めて敗戦後第一世代が怠ってきた戦争体験を次代に伝えるという作業を、この新書本一冊で果たしている。しかも高学歴中産階級の手による戦争経験が多かったのに対し、これは都市下層階級の、むしろ平凡な市民の個人史を中軸に据えているところが、内容的な迫力を増している気がする。右傾化が進みこの国では、この本が大々的に読まれることは期待しがたいが、着々と戦争準備が進むいま、歴史修正主義に疑問を感じている若い人たちに読んでもらいたい好著。

  •  著者の父で、「立川スポーツ」創業者・経営者でもあった小熊謙二の戦争体験・戦後の生活史体験の聞き取りの記録。1925年生まれの小熊謙二は、北海道・佐呂間に生まれ、北海道に残った父と離れて東京の祖父母のもとで育ち、早稲田実業学校卒業後に富士通信機に勤めるが、1944年に徴兵のため召集。電信第17連隊の二等兵として満洲に送られる。敗戦後は牡丹江でソ連軍に投降、シベリア送りとなり、1948年3月に帰国するまでチタの収容所で強制労働を強いられた。
     日本敗戦後は貧困にあえぎ、職を転々とする中で結核に罹患。1956年に退所後は東京学芸大で職員として勤務していた妹・秀子を頼り、多摩に向かう。その後、つてをたどって立川ストアに就職、高度成長期にスプロール状に拡大していった住宅地に出来ていく中学校・高等学校にスポーツ用品を売り込むセールスマンとしてようやく生活の安定を得ていった。退職後は地域の住民運動を手伝う傍ら、シベリア抑留のわずかな縁から再会した朝鮮人元日本軍兵士の国賠訴訟を支援、自らも共同原告として裁判に参加した。

     「立川スポーツ」という社名には記憶がある。高校教員時代、クラブ活動の関係でお世話になったことがあったかもしれない。小熊は父親の生活史をある種の典型性というレベルで捉えているが、父親のコメントの周囲に当時の文脈や資料を紹介していくというスタイルは、確かに政治史や社会史の記述ではすくい取れない生の実感というか、生きた人間がそこにいる、という感覚を与えてくれる。
     しかし、「あまりにもよくできている聞き取りの記録」という気がしないでもない。いかにも典型的な日本敗戦後の社会党支持者という父親のイメージだが、聞く側の姿勢というか、聞く側の質問やコメント(どんな質問をしたかは記録されていない)が引き出される記憶に無視できない作用を及ぼしているとは思う。

  • 書評はブログに書きました。
    http://dark-pla.net/?p=1341

  • 大熊氏(1862年生)と同世代の人は読まれたし。

  • 仕事のスタイルは
    時代が求めるものによって変化する。
    当たり前のことだけれど
    社会はどんどん変化していく。

    戦中、戦後
    激動の時代に求められた「生きる力」は?
    全体を俯瞰的に見ること。
    ニーズを把握すること。
    ニッチな分野に目を向けること。
    人と繋がり合うこと。
    ご縁を大切にすること。

    今求められる力と、同じ。

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著者プロフィール

1962年、東京都生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。
専攻は歴史社会学。著書に『単一民族神話の起源』、『〈日本人〉の境界』、『〈民主〉と〈愛国〉』、『1968』(いずれも新曜社)、『社会を変えるには』、『日本社会のしくみ』(いずれも講談社現代新書)など。

「2020年 『日本は「右傾化」したのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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