ガリレオ裁判――400年後の真実 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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本棚登録 : 85
レビュー : 12
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004315698

作品紹介・あらすじ

地動説を唱え、宗教裁判で有罪を宣告されたガリレオ。彼は本当に、科学者として宗教と闘った英雄だったのか。二一世紀に入り、ヴァチカンの秘密文書庫から新たな裁判記録が明るみに出された。近代へと世界観が大きく変貌していく中で、裁判の曲折した進行の真実が浮かび上がる。ガリレオ裁判の見方を根底から変える決定版。

感想・レビュー・書評

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  • 「それでも地球は動いている」

    ガリレオは、旧態依然のローマ教会と戦い、裁判の家庭でこうつぶやいたという。
    科学者であることを捨てなかったガリレオは、ヒーローだった、この話は後世の私たちにそんなことを想像させる。

    しかし、ガリレオの裁判記録が明るみに出ると、この「物語」はどうも様子が違っていたことがわかった。
    と言っても、この裁判記録は多くが失われてしまったため、その全てを知ることはできない。
    できないが、神話化されたガリレオ裁判を当時の状況に照らし合わせ、丁寧に見ていくと、裁判そのものは決してめちゃくちゃなものではなく、それなりに形式に則ったもので合ったことがわかる。
    宗教裁判というと、一方的な決めつけがなされ、ろくな審議もしないように思えるが、ガリレオ裁判においては、第三回まで審問があり、軽い処分と厳格な処罰のどちらにするかという意見の対立すらあった。
    また、そもそもの裁判にかけられた理由も、「禁止命令に背いたから」であって、名目であったとしても、神の御意志に背いた、というこじつけのような理由ではなかったようだ。

    現代に照らせば、もちろんおかしい部分、足りない部分などもあろうが、少なくとも一定の基準に則って裁判が進められていたという事実は興味深い。
    そして、現代人の、古人に対する偏見も感じさせるのであった。

  • 近年明らかになった証拠からガリレオ裁判の真実を客観的に推測している。私たちが学んでいる宗教裁判=悪、それに立ち向かうガリレオという印象とは少し違うのではという論調。

    ローマ教皇側、ガリレオそれぞれの当時の正義に基づいての結果だったのかと感じた。地動説が当然と考えている私たちの認識から少し距離を置いて考える必要がある。ガリレオを徒に英雄化するものではないということ。

  • 配置場所:摂枚新書
    請求記号:440.2||T
    資料ID:95160590

  • 先日、映画『薔薇の名前』を見て、当時の宗教裁判の仕組み(裁判の結果無罪というのはあり得ない)を知ったところだった。あの時代の人がカミサマから自由になるのは難しいことだと思った。

  • 1633年のガリレオ裁判について書いている本である。特徴は、2009年に公開された『ガリレオ・ガリレイ裁判ヴァチカン資料集』増補版にしたがって、宗教裁判(異端審問、ローマでは検邪聖庁)の推移を克明にかいている点である。
     結論としては、ガリレオ裁判では、法廷外で陰謀の噂はあったが、通常の宗教裁判の論理にしたがっており、この点で冤罪とは言いがたいとしている。その罪状も1616年に枢機卿ベラルミーノからだされた勧告に違反したという点が問題になっている。ちなみに、ガリレオはこの勧告のあと、異端誓絶をしたという噂がながれたため、ベラルミーノに証明書を書いてもらい、コペルニクス説を支持してはならないと知らされただけであるという内容の証明書を書いてもらっている。
     しかし、『天文対話』(1632年、初版1000部)では、やはり、両論併記とはいえ、コペルニクス説を「抱いている」としていると考えざるをえない。教皇も枢機卿も、イエズス会にもドミニコ会にも、ガリレオに同情的な人々はいたが、30年戦争の最中でもあり、フランスにくみしていた教皇に対して、ガリレオ支持者の側近がスペインにくみしたことから、教皇に猜疑心が生じて、裁判を行うべきかという審査が行われる。
     裁判は三回にひらかれたが、異端審問は「推定有罪」であり、基本的に無罪はなく、どのように罪を告解させ、改悛させるかという点にあった。ガリレオは周りから抗弁しないように勧められていたが、質問にうまく答えることができず、結局、審問官の追究をよびこんでしまう。これがなければ軽微な不注意として処理する方法もあった。結果、投獄と禁書の判決がでて、異端誓絶をさせられる。ただし、投獄は翌日に軟禁に減刑され、最後は自宅で軟禁のまま没した。ただし、カトリック教徒として没した。ガリレオ自身も宗教と科学を対立するものとはみず、両者を保持しようとしたし、カトリック教徒として没することを望んだ。
     「それでも地球はうごく」という有名な言葉は、基本的に18世紀にできた言葉で、ガリレオ自身が言ったという史料はない。
     本書では、ナポレオンのローマ進攻にともなう教皇庁の文書接収とそれにともなう、ガリレオ関連記録の運命も書いており、本文にも多数史料の翻訳が引かれており、歴史をしるうえでたいへん貴重な本であると考えられる。

  • ガリレオ・ガリレイ。当時、信じられていた天動説を誤りだと主張した結果、宗教裁判にかけられ、有罪を宣告される。判決の直後、「それでも地球は動いている」と叫んだエピソードは有名だ。

    聖書を絶対として、新しい知識を取り入れようとしない権威である教会を悪とし、現実を見る目を持った科学者を正義のヒーローとする見方は非常にわかりやすいが、話としては出来すぎている気もする。本当のところはどうなのか。最近になって発見されたガリレオ裁判の記録から、その真実を読み解く。

    裁判記録によれば、ガリレオは激しい抵抗をすることなく、主張する地動説も仮説の一つだと教会に媚びるような発言をしている。世間が知る真実のためには命も惜しまない姿はそこにない。

    要するにガリレオは優れた学者であったが、世間を敵に回し、命を犠牲にしてまでも地動説にこだわろうとはしなかった。彼にとって一番大事なのは、研究を続けることだったのだ。身も蓋もない結果だが、ガリレオ本人にすれば、不確かな死後の名誉よりも生きている「今」が重要だよな。

  • 「山口栄一『死ぬまでに学びたい5つの物理学』 (筑摩選書)」では、科学はキリスト教の支配にあったヨーロッパでしか生まれなかったことを考察している。この本と合わせて読みたい。

  • ガリレオ裁判を資料を丹念に読み解き、真実を導こうと試みる意欲作。

    ガリレオ裁判の一般的なイメージとして、頑迷な宗教人と戦った英雄科学者ガリレオという固定観念があるが、実際は当時の宗教裁判としてはガリレオ裁判は特別に慣例から逸脱しているものではなかった。
    また、ガリレオは裁判で異端であることを認め、科学の正しさを主張し結果的には敗れたというイメージが一般的であるが、実際の裁判でのやり取りを見るとガリレオはむしろ異端ではない、つまり無罪を主張しておりそのイメージとはだいぶかけ離れている。
    さらに「それでも地球は動いている」という有名なセリフは、彼の死後地動説が正しいという事実が明らかになりその英雄性を物語るための逸話として浮上したものであり、本当に彼が言ったセリフであるという確固たる証拠はなくむしろ疑わしい。

    現在では地動説が事実であるということは自明であり、また科学的事実よりも宗教が優先されるということはありえない。そんなことを言ったら変人扱いされるだろう。
    しかし当時は聖書の記述に違反する思想を抱くことは重大な罪であると認識されていたし、神は全能であると教えられていた。
    歴史を見る時に最も重要なことは、現在の価値観で見てはいけないということである。
    これができないと歴史の本質どころか事実そのものを見誤る。

  • 2015年12月新着

  • 科学と宗教の神についての考察結果の擦り合わせの例の有名なやつ。宗教側として守らねばならないと考えた部分があるだろう。当時の社会の感覚からすれば、このような結論になるのも仕方ないだろうと思った。それにしても、宗教裁判の具体的な内容がわかっていないとは意外であった。

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