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Amazon.co.jp ・本 (240ページ) / ISBN・EAN: 9784004315698
みんなの感想まとめ
科学と信仰の対立を描いたこの作品は、ガリレオの裁判を通じて、歴史の真実に迫ります。ガリレオが「それでも地球は動いている」とつぶやいたという神話の裏には、実際の裁判が形式に則って進められていた事実があり...
感想・レビュー・書評
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「それでも地球は動いている」
ガリレオは、旧態依然のローマ教会と戦い、裁判の家庭でこうつぶやいたという。
科学者であることを捨てなかったガリレオは、ヒーローだった、この話は後世の私たちにそんなことを想像させる。
しかし、ガリレオの裁判記録が明るみに出ると、この「物語」はどうも様子が違っていたことがわかった。
と言っても、この裁判記録は多くが失われてしまったため、その全てを知ることはできない。
できないが、神話化されたガリレオ裁判を当時の状況に照らし合わせ、丁寧に見ていくと、裁判そのものは決してめちゃくちゃなものではなく、それなりに形式に則ったもので合ったことがわかる。
宗教裁判というと、一方的な決めつけがなされ、ろくな審議もしないように思えるが、ガリレオ裁判においては、第三回まで審問があり、軽い処分と厳格な処罰のどちらにするかという意見の対立すらあった。
また、そもそもの裁判にかけられた理由も、「禁止命令に背いたから」であって、名目であったとしても、神の御意志に背いた、というこじつけのような理由ではなかったようだ。
現代に照らせば、もちろんおかしい部分、足りない部分などもあろうが、少なくとも一定の基準に則って裁判が進められていたという事実は興味深い。
そして、現代人の、古人に対する偏見も感じさせるのであった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
先日、映画『薔薇の名前』を見て、当時の宗教裁判の仕組み(裁判の結果無罪というのはあり得ない)を知ったところだった。あの時代の人がカミサマから自由になるのは難しいことだと思った。
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226P
田中 一郎
(たなか いちろう、1947年 - )は、日本の科学史学者。金沢大学名誉教授、金沢医科大学教授。専攻は科学技術史。神戸市生まれ。1969年神戸大学理学部卒業。1973年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了。日本大学理工学部助手、1994年金沢大学理学部自然科学研究科教授[1]、2012年定年退任、名誉教授、金沢医科大学教授(嘱託)[2]。2010年「近代ヨーロッパにおける特許制度の起源と技術革新の研究 1474年のヴェネツィア特許法の成立を中心として」で学術博士(金沢大学)。
「一七世紀のもっとも優れた科学者のひとりが、太陽のまわりを地球が回っているという意見を撤回することを強いられたのです。 開明的でもあり敬 でもあったガリレオは、「聖書」を適切に読めばこの意見がそれに反しないということを証明しました。しかし、神学者たちはそれが彼らの利益に反することに気づき、かたくなに彼を有罪にしようとしました。もっと驚くべきは、これら神学者たちには一八世紀の末近くまで擁護者がいたのです。 多くの人びとと多くの国を従えた閣下の勝利は、有名な裁判を捏造した文書をも我がものとしたのです。それらは学識ある天文学者の良き信仰と啓蒙を示すと同時に、彼に対する告発人の背信と無知をも明らかにしています。これらの文書の出版は、閣下の統治にふさわしいものです。いくつかはラテン語ですが、多くはイタリア語です。各文書の反対のページにフランス語訳を載せるのが適切でしょう。」
—『ガリレオ裁判-400年後の真実 (岩波新書)』田中 一郎著
「ガリレオ裁判のファイルに関しては、ブラカ氏に要求し、彼が何度もわたしに約束してくれたという事実にもかかわらず、その手がかりすらありません。しかし、閣下にお知らせしますが、他の人たちがすでに述べているのに劣らず、聖下〔ピウス七世〕はこのファイルを取り戻すことに熱心です。これらのきわめて重要な文書を教皇庁に取り戻すことを望んでおられる聖下ともっとも敬 なアルトワ伯爵〔のちのシャルル十世〕の宗教的資質が、それらをすべてわたしの手に戻すことを保証するという宗教的熱意を閣下の心にかき立てることでしょう。それらは不適切に持ち去られ、前述の返還の法令に盛り込まれているのですから。閣下以外のどの大臣にこれ以上の信頼をもってお話しすることができましょうか。あなたは祖先にカトリックのもっとも著名な枢機 がおられるという栄誉をおもちなのですから。」
—『ガリレオ裁判-400年後の真実 (岩波新書)』田中 一郎著
「ローマに異端審問所が設置されたのは、教皇パウルス三世によって招集されたトリエント公会議においてである。一五四五年から一五六三年にかけて北イタリアのトリエントで開催されたこの公会議の当初の目的は、プロテスタントとの融和をはかることだった。しかし、プロテスタント側の出席が実現しなかったために、かえってプロテスタント糾弾の色彩を強めることになり、異端を撲滅するだけでなく、プロテスタントとカトリック教会内部の改革派を抑える結果になった。反宗教改革が始まり、異教の神々ですら絵画や文学作品に登場するルネサンスの自由な雰囲気は、もはや過去のものとなったのである。システィーナ礼拝堂にミケランジェロが描いたキリストその他の「聖書」の登場人物の裸体画ですら、トリエント公会議がまだ何の結論も出していなかったのに、一五五九年に腰布をまとわされてしまった。」
—『ガリレオ裁判-400年後の真実 (岩波新書)』田中 一郎著
「ガリレオ裁判に間接的な形で影響したのは、トリエント公会議がヨーロッパにおける宗教的対立を激化させ、一六一八年に始まる三十年戦争を勃発させる原因のひとつになったことである。ガリレオが宗教裁判にかけられた一六三三年はこの三十年戦争の真ん中の時期に当たり、カトリックとプロテスタントとの宗教的対立であったはずの戦争は、実質的にヨーロッパを支配する二大勢力、つまりスペインと神聖ローマ帝国を支配するハプスブルグ家とフランスを支配するブルボン家との覇権争いとなっていた。プロテスタントの国家であるスウェーデンがカトリック国のフランスと手を結び、イタリアの都市国家の多くを支配下に置くスペインの勢力をそごうとしたローマ教皇がこの陣営に加わるというように、宗教的対立と政治的対立が複雑にからみあっていた。この戦争がなくてもイタリアの都市国家は実質的にいずれかの勢力の属国になっていたから、教皇はなおさら二つの勢力の狭間でもがきつづけねばならなかったのである。とりわけ、プロテスタントによる「聖書」の新たな解釈に対抗して、伝統的な解釈を守り抜かねばならなかった。このような教皇の苦境をガリレオが理解していたとは思えないが、ガリレオ裁判に、そしてガリレオの科学研究の全体にトリエント公会議は深い影を落としている。」
—『ガリレオ裁判-400年後の真実 (岩波新書)』田中 一郎著
「さらに、被疑者は疑いが晴れるまで有罪、つまり囚人とみなされた。現代では有罪が確定するまで推定無罪とみなされて、一定の権利があると考えられているが、推定無罪とか基本的人権という考え方ははるかに新しいもので、当時は知られていなかった。人権、あるいは権利というものがあったとしても、生まれながら身に備わっているものではなく、権力によって認められることではじめて獲得できたからである。国王は貴族の権利を認め、貴族は臣下の権利を認める。同様に、洗礼を受けた者には、神はキリスト教徒としての特権を与える。しかし、異端思想を抱いたり、キリスト教を棄教した者からはその権利は剝奪される。今日では当然のこととして認められているその他の権利、たとえば告発されている罪状を知る権利、告発人の名前を知る権利、弁護を求める権利、これらは宗教裁判にはなかった。たとえ弁護が許されたとしても、異端者を弁護する人物も異端の嫌疑をかけられかねなかったから、誰も弁護を買って出ようとはしなかっただろう。 もっと驚くべきは、裁判の大半が書面で行なわれ、異端審問官を務める検邪聖省の枢機 たちは最後の判決を言い渡す瞬間まで被告と顔を合わせることがなかったことである。実際に被告を尋問するのは検邪聖省の事務官の役目であって、枢機 たちはその報告に基づいて判決を下した(図)。」
—『ガリレオ裁判-400年後の真実 (岩波新書)』田中 一郎著
「宗教裁判の目的は何かということについても、今日の裁判の目的とするところとは異なっていた。特定の犯罪行為を究明して処罰するのではなく、被告に異端思想を抱いていることを自覚させるとともに、贖罪のための機会と手段を与える 現実には量刑を確定すると言い換えることもできる ためのものだった。だから、宗教裁判はキリスト教の正統から逸脱した思想の持ち主の魂の救済を助け、教会との和解を実現するのである。」
—『ガリレオ裁判-400年後の真実 (岩波新書)』田中 一郎著
「二重の意味で、告解 自白と言い換えてもよい は不可欠だった。異端思想を抱いているという自覚のない被告には贖罪は無意味で、救済はないからである。もうひとつは、異端の多くが思想信条の領域に属し、物的証拠が乏しかったからである。率直に自白しないばあい、被告は牢獄に戻されて再考を促された。どのような尋問手段でも自白が得られないばあいは、拷問もありえた。現代のわれわれには合法的手段ではないと思われるにしても、この拷問も制度化された正式の取り調べ方法であって、異端審問官の裁量に任せられていたわけではない。基本的には四段階あり、拷問器具を見せることから、牢獄で裸にして縛ること、尋問中に枠に縛りつけること、実際に痛めつけることまであった。」
—『ガリレオ裁判-400年後の真実 (岩波新書)』田中 一郎著
「ガリレオ・ガリレイが生まれたのは、一五六四年二月一五日、トスカナ大公国のピサにおいてである。 一五七四年、ガリレオは母親と妹とともに、家族をピサに残してフィレンツェに移っていた父親で音楽家のヴィンチェンツィオと合流した。ガリレオは初等教育をこのピサとフィレンツェで、さらにフィレンツェの東方にあるバロンブローサの修道院付属学校で受けたのち、一五八一年にピサ大学医学部に入学した。しかし、三年半在学しただけで、この大学を中退している。だから、彼は上級学部に進学するための準備教育を行なう学芸学部で学んだだけで、医学教育を受けることはなかった。のちに彼の主要な研究テーマとなる力学や天文学については、学芸学部で初歩的なものを学んだ可能性はあるが、本格的に学ぶ機会はなかった。」
—『ガリレオ裁判-400年後の真実 (岩波新書)』田中 一郎著
「大学を中退してフィレンツェに戻ったガリレオは、アルキメデスの著作を手掛かりとして力学研究に専念することになる。その成果は、一五八六年に貴金属の重さを量る天 の改良を内容とする『小天 』として、翌年には『固体の重心について』として発表された。 これらの力学研究が認められ、彼は一五八九年にピサ大学の数学教授に就任した。このピサでも力学研究は続けられた。ただし、大学での彼の講義は力学とは何の関係もなく、ユークリッドの幾何学と二世紀の天文学者クラウディオス・プトレマイオスの著作の注釈だった。この天文学の講義は、彼が数学教授だったことを考えると、幾何学的な内容に限られていたと思われる。宇宙の構造について考えるのは、哲学者の領分だったからである。彼を天文学の最前線に立たせるような出来事はまだなかった。」
—『ガリレオ裁判-400年後の真実 (岩波新書)』田中 一郎著
「一五九二年にパドヴァ大学に移ったあと、偉大な発見がなされることになる。彼は、振子の等時性と落体の法則を発見したのである。振子の長さが一定なら、その揺れ方の大小に関係なく周期は一定であるという振子の等時性は、一七世紀後半に時計の調速器に応用されることになる。自由落下する物体の速度は出発からの経過時間に比例し、落下距離は時間の二乗に比例するという落体の法則は、近代科学の発展の出発点となった。ガリレオが天文学の研究に本格的に取り組むのは、のちに述べるように、このパドヴァ時代が終わろうとする頃に望遠鏡という最新の科学器具を手に入れてからのことである。 望遠鏡による天文学的発見によって、とりわけ木星の衛星をメディチ星と命名したことで、彼は一六一〇年にメディチ家が支配する故郷のトスカナ大公国に、トスカナ大公付き首席数学者兼哲学者として迎え入れられた。この哲学者という肩書きは彼が熱望していたもので、彼には、これで晴れて宇宙の構造について論じる資格ができたと思われただろう。」
—『ガリレオ裁判-400年後の真実 (岩波新書)』田中 一郎著
「ガリレオには大学で天文学を本格的に学ぶ機会がなかったと述べたが、たとえ学ぶことができたとしても、彼の役には立たなかっただろう。彼の時代に大学で教えられていた天文学は、古代の権威者たちの学説をオウム返しに教えるだけで、宇宙を観測して新たな知見を付け加えることはなかったからである。ガリレオがピサ大学とパドヴァ大学で教えていた講義内容のほうも、変わるところがなかっただろう。 当時の大学で教えられ、また一般にも信じられていたのは天動説だった。地球が宇宙の中心にあり、太陽、月、そして惑星がそのまわりを回っていると考えたのである(図)。この天動説は、われわれの日常経験に合致しているというだけでなく、ギリシア時代の哲学者アリストテレスによって哲学的な裏付けを与えられていた。彼によると、神聖な天体には完全な図形である円あるいは球と、完全な運動である等速運動がふさわしい。だから、この宇宙は地球を中心とする同心状に入れ子になった天球から構成されており、太陽、月、そして惑星はそれら天球によって運ばれ、地球のまわりを等速度で回転している。さらに、この宇宙は月より上と下の二つの異質な世界から構成されており、生成消滅が起こるのは月より下の世界に限られており、月より上の神聖な世界ではすべてが不変であるとしていた。このアリストテレスの説は、その異教的内容をそぎ落とされ、キリスト教に受け入れられたのである。」
—『ガリレオ裁判-400年後の真実 (岩波新書)』田中 一郎著
「しかし、ガリレオ以外の誰も、彼が最終的に作ったような三〇倍という高倍率の望遠鏡を作ることができなかったし、ましてや望遠鏡を空に向けるという発想をほとんど誰ももたなかった。この望遠鏡による天文学上の発見が、彼を一躍ヨーロッパを代表する天文学者の地位に押し上げてくれたのである。同時に、この発見は彼を宗教裁判という不幸へと導くことにもなるが、それはまだ先のことである。 天文観測を始めてすぐに発見できたのは、月の山や谷だった(図)。もちろん、月に模様があるというのは誰にでもわかるが、アリストテレス以来、神聖な天体にも完全な図形である球がふさわしいと信じられていたから、この模様は表面の密度の違いであると解釈されていた。ところが観測の結果、月の表面はなめらかでも完全な球形でもないということがわかったのである。」
—『ガリレオ裁判-400年後の真実 (岩波新書)』田中 一郎著
「あとで詳しく述べるが、ガリレオはすでにパドヴァ大学教授時代、潮の満ち引きの観察から地動説が正しいと考えていた。月や木星の観測を通じて、地球が特別な星ではない、つまり月にも地球と同じように山や谷があり、地球が木星同様に月という衛星を従えて太陽のまわりを回っていると考えてもおかしくないと知って、地動説への確信を強めていくことになる。 これまでの発見はパドヴァ大学教授時代になされた。ガリレオは木星の衛星をメディチ星と命名し、『星界の報告』出版直後に、それをいわば手土産としてトスカナ大公付き首席数学者兼哲学者として故郷のトスカナ大公国に錦の御旗を飾ったことはすでに触れたとおりである。」
—『ガリレオ裁判-400年後の真実 (岩波新書)』田中 一郎著
「実際に、教皇とバルベリーニの憂慮が正しかったことは、その後の歴史が示してくれる。フランスの哲学者、ルネ・デカルトはガリレオ裁判の結果を見て、すでに書き上げていた『世界論』が地動説を認める内容だったため、その出版をとりやめた。しかし、一六三七年に『方法序説』を出版したとき、彼はそのなかで、神は「混沌としたカオスを合成し、あとは自然に対して通常の協力をするだけで、神自身が打ち立てた法則に従って自然を動くにまかせた」と高らかに宣言している。つまり、宗教は物質的世界に立ち入るべきではなく、自然についての研究は科学に譲るべきだと言っているのである。」
—『ガリレオ裁判-400年後の真実 (岩波新書)』田中 一郎著
「ガリレオが『偽金鑑識官』のなかで自然を「聖書」と並ぶもう一冊の書物になぞらえたように、神が宇宙を創造したときに打ち立てた法則を探究することによっても神の宇宙創造計画の完璧さ、つまり神の偉大さは証明できる。キリスト教がデカルトの主張に従うなら、「聖書」の解釈にとどまらず、教義の多くを変更せざるをえなくなるだろう。また、神の奇蹟など起こりようもないということになる。だから、キリスト教がその主張を受け入れるはずもなかった。宗教が科学の発展を阻んでいると非難する人びとが現われ、宗教が科学と対立していると考えられるようになるのは、これ以降のことである。」
—『ガリレオ裁判-400年後の真実 (岩波新書)』田中 一郎著
「近代初期の科学の歴史を扱おうとすると、あるジレンマに陥ることになる。一方で、われわれの科学はガリレオ・ガリレイからアイザック・ニュートンにいたるまでの一七世紀のヨーロッパで生まれたと語る。つまり、近代科学はキリスト教世界の産物であると示すことになる。他方で、キリスト教はガリレオを弾圧し、科学の進歩を阻んだということにも触れざるをえない。ガリレオ裁判を科学と宗教の闘いと見ると、話は単純化されてわかりやすくはなるが、われわれの科学がキリスト教世界で誕生したというほうは説明されないままになってしまう。」
—『ガリレオ裁判-400年後の真実 (岩波新書)』田中 一郎著
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2度の「ガリレオ裁判」の本当の姿について,新しく公開された裁判資料や往復書簡などを丁寧に読み解き,これまでの通説とはやや違う視点で見せてくれた。
1600年代のキリスト教徒の立場というのもなかなか複雑で,キリスト教の指導者の一人一人の話なんて余り興味を持てないかなと思ったけれど,けっこうついて行けたのが自分でも不思議。文章がうまいのか,ガリレオが関係しているからなのか。おそらくその両方なんだろうな。
「それでも地球は動いている」なんて言葉が,どこからきたのかまで調べていて――結局分からないのだが――,これもまたおもしろい。
ピサの斜塔から落下実験をしたなんてものも,あとで作られた話なんだろうし。ちゃんとした歴史(科学史)と,単なる噂話とは,ちゃんと区別しないといけないよな。 -
NHKでアニメ「チ。」が放映されていることを契機に、当時のカトリック公認天動説と異端審問について知識を得るべく、積ん読本の中から本書をピックアップしました。
ガリレオ裁判の記録は、主にナポレオンがヴァチカンから記録を運び出したせいで多くが失われ、しかも、ヴァチカンが全ての記録を公表したのは2009年になってからのことのようです。本書は、この公表記録を渉猟して書かれた労作ですが、書き振りは平易であり、始めの方で異端審問制度が概説され、巻末近くには人名一覧もあって、読みやすい一冊になっています。
本書を読んで分かるのは、地動説を仮説として、あるいは天体の運動を計算する便宜のために用いることは、さほど厳しく禁止されていたわけではないこと、また、ガリレオは当代の名士の一人であり、有力者の知人も多く、言われているほど酷い目には遭っていないということです。
ただ、時の権力機関であるローマ教皇庁のさじ加減で運命が大きく変わることは避けられず、ガリレオが最終的には「異端誓絶」(異端思想を抱いたことを認めて、これを放棄する宣誓)をさせられたことは周知のとおりです。
なお、異端誓絶後、ガリレオが「それでも地球は回っている」と言ったかどうかについては、確たる証拠はなく、都市伝説に近いもののようですが、本書の最後に語られるガリレオの肖像画をめぐるエピソード(絵画の後ろの壁に地球の公転軌道の絵が描かれ、これに「それでも動いている」旨の文章が添えられていた)は興味深いものがあります。 -
知りたかったこと、どのあたりまで資料か明らかなのかわかる、痒いところに手の届くような良書
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ガリレオは地動説を提唱して宗教裁判にかけられたことから、宗教界と真っ向から闘った学者として一般に知られています。しかし著者は、この見方は後生の創作ではないのかと疑問を呈しています。当時の宗教裁判の記録の大半が、ナポレオンの襲撃などで散逸してしまったからです。
本書は宗教裁判から400年後、今世紀に入ってようやく公開された裁判記録に基づき、当時の真実の姿を描写したものです。宗教界がガリレオの地動説を当初はそれほど危険視していなかったことや、裁判に至るまで様々な紆余曲折が存在したことなど、新たな事実が次々と明らかにされています。知られざるガリレオ裁判の裏側に迫ります。
京都外国語大学付属図書館所蔵情報
資料ID:605800 請求記号:440.2||Tan -
われわれは、科学はガリレオからニュートンに至るまでの17世紀ヨーロッパで生まれたと語る。つまり、近代科学はキリスト教の産物であることを示す。他方で、キリスト教はガリレオを弾圧し、科学の進歩を阻んだということにも触れざるを得ない。ガリレオ裁判を科学と宗教の闘いと見ると、話は単純化されるが、われわれの科学がキリスト教世界で誕生したことの方は説明されないままになってしまう。
著者のあとがきでの上記のコメントは、そうだなあと思わされた。
第二の聖書として、自然を観察し、近代科学を産み出した科学者たちにとって、科学と宗教は対立するものではなく、お互いを補完するものだったのだろう。そのような状況のなか進められたガリレオ裁判。判決としては、教会内の原理主義者を納得させる厳しいものにした一方で、(おそらく)、教皇のもと実態としては刑の大幅減免が行われた。
単純な科学対宗教の闘いという構図に毒されている、日本の中には、このような本が必要だと思う。 -
【電子ブックへのリンク先】※スマホ・読上版です!
https://elib.maruzen.co.jp/elib/html/BookDetail/Id/3000073146
※学外から利用する場合は、「学認アカウントを・・・」をクリックし、所属機関に本学を選択してキャンパスIDでログインしてください。 -
文章が読みやすい!実際の裁判でのやり取りも掲載されていてわかりやすいです。
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本屋でみかけて衝動買い。頑迷で愚鈍なカトリックの教職者どもにいじめられた科学界の英雄……というありがちなガリレオのイメージに一石を投じてくれた労作。人口に膾炙されている「地球はそれでも動いている」との言葉が、18世紀になってから啓蒙主義者たちによって広められたデマらしいという話は特に興味深かった。
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近年明らかになった証拠からガリレオ裁判の真実を客観的に推測している。私たちが学んでいる宗教裁判=悪、それに立ち向かうガリレオという印象とは少し違うのではという論調。
ローマ教皇側、ガリレオそれぞれの当時の正義に基づいての結果だったのかと感じた。地動説が当然と考えている私たちの認識から少し距離を置いて考える必要がある。ガリレオを徒に英雄化するものではないということ。 -
配置場所:摂枚新書
請求記号:440.2||T
資料ID:95160590 -
ガリレオ・ガリレイ。当時、信じられていた天動説を誤りだと主張した結果、宗教裁判にかけられ、有罪を宣告される。判決の直後、「それでも地球は動いている」と叫んだエピソードは有名だ。
聖書を絶対として、新しい知識を取り入れようとしない権威である教会を悪とし、現実を見る目を持った科学者を正義のヒーローとする見方は非常にわかりやすいが、話としては出来すぎている気もする。本当のところはどうなのか。最近になって発見されたガリレオ裁判の記録から、その真実を読み解く。
裁判記録によれば、ガリレオは激しい抵抗をすることなく、主張する地動説も仮説の一つだと教会に媚びるような発言をしている。世間が知る真実のためには命も惜しまない姿はそこにない。
要するにガリレオは優れた学者であったが、世間を敵に回し、命を犠牲にしてまでも地動説にこだわろうとはしなかった。彼にとって一番大事なのは、研究を続けることだったのだ。身も蓋もない結果だが、ガリレオ本人にすれば、不確かな死後の名誉よりも生きている「今」が重要だよな。 -
「山口栄一『死ぬまでに学びたい5つの物理学』 (筑摩選書)」では、科学はキリスト教の支配にあったヨーロッパでしか生まれなかったことを考察している。この本と合わせて読みたい。
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2015年12月新着
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合点がいく結末ですね。「それでも・・・」なんていう偉人説の方がおかしいので。それにしても・・・とことん自分を曲げていくというのはストレスもあるだろうし、悔しかったことでしょう。
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誰もが知ってるつもりのガリレオ裁判の真実を資料を丹念に追うことから炙り出そうという知的好奇心が掻き立てられる書。オススメ。
田中一郎の作品
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