ガリレオ裁判――400年後の真実 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004315698

作品紹介・あらすじ

地動説を唱え、宗教裁判で有罪を宣告されたガリレオ。彼は本当に、科学者として宗教と闘った英雄だったのか。二一世紀に入り、ヴァチカンの秘密文書庫から新たな裁判記録が明るみに出された。近代へと世界観が大きく変貌していく中で、裁判の曲折した進行の真実が浮かび上がる。ガリレオ裁判の見方を根底から変える決定版。

感想・レビュー・書評

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  • 「それでも地球は動いている」

    ガリレオは、旧態依然のローマ教会と戦い、裁判の家庭でこうつぶやいたという。
    科学者であることを捨てなかったガリレオは、ヒーローだった、この話は後世の私たちにそんなことを想像させる。

    しかし、ガリレオの裁判記録が明るみに出ると、この「物語」はどうも様子が違っていたことがわかった。
    と言っても、この裁判記録は多くが失われてしまったため、その全てを知ることはできない。
    できないが、神話化されたガリレオ裁判を当時の状況に照らし合わせ、丁寧に見ていくと、裁判そのものは決してめちゃくちゃなものではなく、それなりに形式に則ったもので合ったことがわかる。
    宗教裁判というと、一方的な決めつけがなされ、ろくな審議もしないように思えるが、ガリレオ裁判においては、第三回まで審問があり、軽い処分と厳格な処罰のどちらにするかという意見の対立すらあった。
    また、そもそもの裁判にかけられた理由も、「禁止命令に背いたから」であって、名目であったとしても、神の御意志に背いた、というこじつけのような理由ではなかったようだ。

    現代に照らせば、もちろんおかしい部分、足りない部分などもあろうが、少なくとも一定の基準に則って裁判が進められていたという事実は興味深い。
    そして、現代人の、古人に対する偏見も感じさせるのであった。

  •  ガリレオは地動説を提唱して宗教裁判にかけられたことから、宗教界と真っ向から闘った学者として一般に知られています。しかし著者は、この見方は後生の創作ではないのかと疑問を呈しています。当時の宗教裁判の記録の大半が、ナポレオンの襲撃などで散逸してしまったからです。
     本書は宗教裁判から400年後、今世紀に入ってようやく公開された裁判記録に基づき、当時の真実の姿を描写したものです。宗教界がガリレオの地動説を当初はそれほど危険視していなかったことや、裁判に至るまで様々な紆余曲折が存在したことなど、新たな事実が次々と明らかにされています。知られざるガリレオ裁判の裏側に迫ります。

    京都外国語大学付属図書館所蔵情報
    資料ID:605800 請求記号:440.2||Tan

  • われわれは、科学はガリレオからニュートンに至るまでの17世紀ヨーロッパで生まれたと語る。つまり、近代科学はキリスト教の産物であることを示す。他方で、キリスト教はガリレオを弾圧し、科学の進歩を阻んだということにも触れざるを得ない。ガリレオ裁判を科学と宗教の闘いと見ると、話は単純化されるが、われわれの科学がキリスト教世界で誕生したことの方は説明されないままになってしまう。

    著者のあとがきでの上記のコメントは、そうだなあと思わされた。

    第二の聖書として、自然を観察し、近代科学を産み出した科学者たちにとって、科学と宗教は対立するものではなく、お互いを補完するものだったのだろう。そのような状況のなか進められたガリレオ裁判。判決としては、教会内の原理主義者を納得させる厳しいものにした一方で、(おそらく)、教皇のもと実態としては刑の大幅減免が行われた。

    単純な科学対宗教の闘いという構図に毒されている、日本の中には、このような本が必要だと思う。

  • 【電子ブックへのリンク先】※スマホ・読上版です!

    https://elib.maruzen.co.jp/elib/html/BookDetail/Id/3000073146

    ※学外から利用する場合は、「学認アカウントを・・・」をクリックし、所属機関に本学を選択してキャンパスIDでログインしてください。

  • 文章が読みやすい!実際の裁判でのやり取りも掲載されていてわかりやすいです。

  • 本屋でみかけて衝動買い。頑迷で愚鈍なカトリックの教職者どもにいじめられた科学界の英雄……というありがちなガリレオのイメージに一石を投じてくれた労作。人口に膾炙されている「地球はそれでも動いている」との言葉が、18世紀になってから啓蒙主義者たちによって広められたデマらしいという話は特に興味深かった。

  • 近年明らかになった証拠からガリレオ裁判の真実を客観的に推測している。私たちが学んでいる宗教裁判=悪、それに立ち向かうガリレオという印象とは少し違うのではという論調。

    ローマ教皇側、ガリレオそれぞれの当時の正義に基づいての結果だったのかと感じた。地動説が当然と考えている私たちの認識から少し距離を置いて考える必要がある。ガリレオを徒に英雄化するものではないということ。

  • 配置場所:摂枚新書
    請求記号:440.2||T
    資料ID:95160590

  • 先日、映画『薔薇の名前』を見て、当時の宗教裁判の仕組み(裁判の結果無罪というのはあり得ない)を知ったところだった。あの時代の人がカミサマから自由になるのは難しいことだと思った。

  • 1633年のガリレオ裁判について書いている本である。特徴は、2009年に公開された『ガリレオ・ガリレイ裁判ヴァチカン資料集』増補版にしたがって、宗教裁判(異端審問、ローマでは検邪聖庁)の推移を克明にかいている点である。
     結論としては、ガリレオ裁判では、法廷外で陰謀の噂はあったが、通常の宗教裁判の論理にしたがっており、この点で冤罪とは言いがたいとしている。その罪状も1616年に枢機卿ベラルミーノからだされた勧告に違反したという点が問題になっている。ちなみに、ガリレオはこの勧告のあと、異端誓絶をしたという噂がながれたため、ベラルミーノに証明書を書いてもらい、コペルニクス説を支持してはならないと知らされただけであるという内容の証明書を書いてもらっている。
     しかし、『天文対話』(1632年、初版1000部)では、やはり、両論併記とはいえ、コペルニクス説を「抱いている」としていると考えざるをえない。教皇も枢機卿も、イエズス会にもドミニコ会にも、ガリレオに同情的な人々はいたが、30年戦争の最中でもあり、フランスにくみしていた教皇に対して、ガリレオ支持者の側近がスペインにくみしたことから、教皇に猜疑心が生じて、裁判を行うべきかという審査が行われる。
     裁判は三回にひらかれたが、異端審問は「推定有罪」であり、基本的に無罪はなく、どのように罪を告解させ、改悛させるかという点にあった。ガリレオは周りから抗弁しないように勧められていたが、質問にうまく答えることができず、結局、審問官の追究をよびこんでしまう。これがなければ軽微な不注意として処理する方法もあった。結果、投獄と禁書の判決がでて、異端誓絶をさせられる。ただし、投獄は翌日に軟禁に減刑され、最後は自宅で軟禁のまま没した。ただし、カトリック教徒として没した。ガリレオ自身も宗教と科学を対立するものとはみず、両者を保持しようとしたし、カトリック教徒として没することを望んだ。
     「それでも地球はうごく」という有名な言葉は、基本的に18世紀にできた言葉で、ガリレオ自身が言ったという史料はない。
     本書では、ナポレオンのローマ進攻にともなう教皇庁の文書接収とそれにともなう、ガリレオ関連記録の運命も書いており、本文にも多数史料の翻訳が引かれており、歴史をしるうえでたいへん貴重な本であると考えられる。

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