- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004315971
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背ラベル:517-オ
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大阪樟蔭女子大学図書館OPACへのリンク
https://library.osaka-shoin.ac.jp/opac/volume/640613 -
気候変動問題に並ぶ環境問題としての水資源問題について。著者は、水危機を必要以上に煽ることは危険であるが、楽観していて良いとも思っていないという立場から、水資源について問題になっていることを様々な角度より論じている。最も興味深かったのは、牛肉を例に、生産に多くの水を使う食品が必ずしも環境に影響が大きいとは言えず、逆にオーガニック食品の生産の方が環境負荷が大きい場合もあるということを論じた118-119頁であった。環境問題には様々なバイアスがかかるので適切に勉強していきたい。
第1章は水問題についての総説となっている。
2014年までの世界経済フォーラム(ダボス会議)では、気候変動問題が最大のグローバルリスクだと認識されていたが、2015年のダボス会議では気候変動問題を所与の問題とした上で、水危機が第一位のグローバルリスクだとされている(2-3頁)。
著者は、水リスクの本質的な問題を、とりわけ低開発国において、水汲み労働によって他の労働や教育に充てるべき時間が無くなってしまう機会損失の問題であり、そして水が問題になる社会ではその他の社会基盤サービスも供給されていないからこそ水が象徴となっているのだと捉えている(8-9頁)。
“ 安全な水を手軽に利用できない場合には、遠くどこまでも水汲みに出かけてなんとか水を確保するか、健康リスクを冒してでも身近だが安全とは限らない水を飲むしかない。
水汲みは重労働である。一人一日あたり必要な最低限の水の量は二〇~三〇リットルであるが、一度にそれだけしか運べないと、毎日家族の人数分往復しなければならない。”(本書8頁より引用)
“ 人は水さえあれば生きていけるというわけではなく、食料や衣服、住居もなくてはならない。車や船などの移動手段や、物流とそれを支える道路・水路・港湾・空港、電気やガスなどのエネルギー供給、教育や医療、現代では携帯電話やインターネットなどの通信、それに金融決済手段も必須である。それなのに水問題がしばしば中心的に取り上げられるのは、水が十分に利用できない地域では、こうした社会の基盤的サービス全般が不十分な場合が多いからである。すなわち、「水」はあるべき社会基盤サービスの象徴なのである。”(本書9頁より以女)
また、著者は、水は使ってもなくならないことを強調している。風呂やトイレなどの生活用水を使ってもなくなるわけではなく、汚れて使えなくなるだけである(16頁)。地下水の涸渇や先細る川、干上がる湖などにしても、地球全体の水の流れで考えれば、使った水はどこかに消えてしまうわけではなく地球表層の水循環に加わることになる(26-27頁)。それなのになぜ水が足りない事態が生じるかと言えば、まず第一に水はどこかを流れている循環資源であること(27-28頁)、水の所在が季節的にも地理的にも偏在していること(28-29頁)、最後に水は単価が安いために、貯めておくと不経済で運ぶと高額になるため、ローカルにしか使うことができない(30-32頁)という三点にまとめられるとのことである。
“ 水は単価が安いため貯めておくと費用が高くつき、運ぶのも不経済であるためローカルにしか利用できない。結果として、化石燃料や鉱物資源、穀物のような国際価格が水には存在しない。そのため、水そのものは投機の対象になりにくい。水を使う権利、あるいは取水する権利は売買できても、水そのものの売買は、同一流域内、せいぜい隣接流域内に限られるのが普通である。それは。同じ流域内であれば、追加的なエネルギーをほとんど使用せず、重力のみを利用し、水路などを通じて安価に水を融通できるからである。
水はローカルな資源であるため、世界のどこかで水が足りずに困っている人々がいても、残念なことに水そのものを送るのは現実的ではない。そして、同じ水源を共有しているのでなければ、どんなに普段の暮らしで節水したところで、遠くの流域で水が利用できずに困っている人が水を使えるようになるわけではない。そもそも、誰かが水を使いすぎているために水を使えない状態に陥っているわけではない状況の方が一般的である。”(本書32頁より引用)
“ 時間的な変動を均して平準化するために一時的に貯留したり、空間的な偏在を調整するために長い距離を輸送したりするのが水資源開発である。水資源の単価が極端に安いため、大規模でないと経済効率も悪く、初期投資は大きくなりがちである。つまり、それなりの初期投資により時空間的な偏在を平準化して水を確保し、安定して水を供給するシステムを構築して適切にマネジメントできているからこそ、多くの先進国では使いたいだけで水を使用できている。そして、そうした取り組みが不十分なために、安全な水を安定して利用できない状況にある国や地域がまだまだ存在している。繰り返しになるが、安全な水、改善された水源が使えないのは、乾燥した気候のせいで水が足りないからではなく、それを可能とする社会基盤施設や政府、社会の適切なガバナンスが不足しているからである。”(本書33頁より引用)
“ 今後、世界人口が九〇億人、一〇〇億人と増えた場合に水が足りるのかどうかを考えるのは、非常に難しい。(←33頁34頁→)
地球全体の水資源賦存量は、地球上を循環する水のうち、全大陸から全海洋への河川流出量だと考えてよく、年間約四万立法キロメートルと推計される。そのうち、人類は一割程度しか利用していない。この数字だけみれば、まだまだ余裕があるという見方もできる。流出量が季節的、地理的に偏在しているとしても、貯留したり輸送したりする技術は確立している。さらに、海水淡水化のコストも十分に下がって、すでに実用化されている。
他方で、水需給が逼迫していて思うように水が使えない地域の人々や、豊かとはいえないと都市住民に対して、適切な投資と維持管理がなされて安定した水供給が確保されるかどうかも重大な論点である。これは科学や技術の問題というよりは、われわれがどんな社会を実現しようとしているのか、という意志の問題である。”(本書33-34頁より引用)
第2章では、「水に関連する潜在的な環境影響を定量化する指標」としてのウォーターフットプリント(ISOによる定義、本書58頁より)について論じられている。ただし、この推計手法はまだ発展途上とのこと(63-64頁)。また、ISO以外にもWFNによる「グローバル標準」としてウォーターフットプリントを推計する手法もあるらしいが、この手法は低開発国を中心に反発があるとのことである(74-79頁)。
第3章では仮想水(ヴァーチャル・ウォーター)と食糧について述べられている。
仮想水貿易(バーチャル・ウォーター・トレード)という概念を提唱したのはキングス・カレッジ・ロンドンのトニー・アラン教授であり、深刻な水不足にもかかわらず水を巡る国際紛争は多くはない理由を、必要な水の多くは食糧生産に用いられるため、乾燥した地域であっても食糧を輸入するという形で必要な量の水を輸入しているのと同様な現象が起きている点に求めたことにある(86-87頁)。アラン教授は1990年代にこの言葉を用いはじめ、最初に論文のタイトルでこの言葉が出てくるのは1998年とのこと(87頁)。
著者は第三章で、低開発国の飢饉の原因について、市場経済から切り離されている自給自足の農村部で不測の年の場合、外部から食料を購入する方法がないために飢饉が発生すると論じている(113-118頁)。この視点は重要なので記憶しておきたい。
“ 素朴に考えると、食料を自給自足していれば食べるものには困らないような気がするかもしれない。しかし、市場経済から切り離されている自給自足の場合、不作の年には食べるものが足りなくなり、他所から買うお金もなく、絶体絶命の危機を迎えざるをえなくなる。平均的には世界の全人口が十分に食べるだけの食料を生産できるようになった現在、食糧不足で死ぬおそれがあるのは、そういう地域に暮らす人々である。そしてそういう人々の割合が高いのは、市場を利用できる都市人口の割合が低い国なのだと解釈される。なお、都市人口割合は、国連食糧農業機関が推計している栄養不良人口割合との負の相関も高い。つまり、都市に住み市場を利用できる人口割合が少ない国ほど、飢餓で死なないにしても栄養不良で苦しむ人が多いという関係が観察される。”(本書116頁より引用)
また、冒頭で述べた通り、牛肉を例に、生産に多くの水を使う食品が必ずしも環境に影響が大きいとは言えず、逆にオーガニック食品の生産の方が環境負荷が大きい場合もあるということも第3章で論じられている。
“ 第2章でウォーターフットプリントに関して何度も繰り返したように、水を大量に消費するからといって環境負荷が大きいとは限らない。あるいは、牛肉の水消費原単位が大きいからといって、他の食品よりも環境影響が大きいとは一概にはいえない。
仮想水に換算せずとも、飼料用作物を家畜に餌として与えて肉にするのは効率が悪く、飼料にしないで人が食べるべきだという意見もあるが、トウモロコシの芯やダイズ油の搾りかす、あるいは牧草など人間が普通は食べない・食べられないモノを栄養価の高い食材に変換してくれている、あるいは農作業がしづらい土地の生態系サービス(光合成)を牧草として間接的に利(←118頁119頁→)用できていると考えれば、牛肉をはじめとする肉食にも利点は見出せる。
また、ベジタリアンの方が食料の生産に必要な占有土地面積が広い場合もあり、必ずしもベジタリアンの方が環境負荷が少ないとは限らない。もちろん、環境倫理的側面だけではなく、動物愛護や健康管理といった観点もベジタリアンを志向する大きな理由となるので、環境影響の大小だけでベジタリアンの是非を検討するのは無意味である。オーガニック食品についても同様で、オーガニックだからといって健康に良く環境への影響が小さいとは限らない。危険性が少ないものは良いものだ、あるいは良いものは危険性が少ないと思い込みがちなのは、われわれの多くに見出される認知バイアスである。
あるいは、地元で取れた食料を食べる地産地消の方が環境負荷も低いだろうと感じるかもしれない。しかし、トマトを題材にした推計によると、温室内の暖房に大量のエネルギーが必要な冬から春にかけては温暖な海外で生産して日本まで運んでくる方が生産と輸送に関わる総エネルギー量は少ない、という研究結果も公表されている。”(本書118-119頁より引用)
環境問題にはバイアスが大きいので、しっかり勉強しなければならないと特に感じたのはこの点であった。なお著者は、仮想水貿易により、乾燥した低開発国から先進資本主義国が農作物を輸入することの是非については慎重な判断をしている。
“……水が足りない国で地元農民の希少な水を使って商品作物を栽培したり、工業生産をしたりして製品を輸出しているのは理不尽であるようにも思えるが、もしそういう事例があったとしても、その方が高収入を得られるのであれば、同じ量の水あたりどの程度の付加価値をつけられるか、という水生産性に照らして経済合理的であり、その収益がどう地元コミュニティで分配されているのかという点が着目すべき問題である。”(本書128頁より引用)
第4章では気候変動と水について論じているが、この点で特に印象に残ったのは、2014年の世界経済は3%成長を遂げたが二酸化炭素消費量は増えなかったという点(148頁)であった。 -
SDGs|目標6 安全な水とトイレを世界中に|
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■一橋大学所在情報(HERMES-catalogへのリンク)
【書籍】
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新 書 IS||517||Oki
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平成30年度全日本高校模擬国連大会書類選考の課題図書。平成29年度と30年度で合わせて10校近くが入試の国語や小論文で使っている。確かに良書。もともとローカルな資源である水がなぜグローバルリスクとなるのか、バーチャルウォーターのデータとしての意味合い、SDGとの関連、気候変動のその他の諸問題も含めての緩和策と適応策など、多岐にわたる分野の理解が一気に進む感がある。水問題とはどこかの誰かの水を奪って先進国が使いすぎている、ではなく、社会的基盤の不足と看破、言い切る説得力。
「日本における水分野の適応策」で述べられていることはこの夏の西日本豪雨で、地方自治体が作った浸水マップと岡山県真備町の被害状況がほぼ一致していたことや、大雨の際の行動リストを住民が共有していた愛媛県大洲市の一地区では犠牲者が出なかった事象などと見事に符合する。
8月31日日経新聞電子版「渇水リスク、企業に危機感 世界的猛暑で使用量削減へ」では企業が水削減努力を特に水不足リスクの高い国にある自社工場から始めるなどの取り組みが紹介されており、この本に書かれてある研究機関や専門家の研究調査結果が企業の戦略に活用されていることが伺われる。
同じく最近他紙でも水害リスクに対する適応策がハード面とソフト面に分けて詳しく特集されていた。
2016年出版。タイムリーなトピックのタイムリーな出版。タイムリーに読めて良かった。