科学者と戦争 (岩波新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004316114

感想・レビュー・書評

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  • 池内了『戦争と科学者』読了

    最近、めっきりペースが落ちました。
    これも風呂に入りながら読んだ一冊。
    これを読むと、最近の文系学部廃止論には真っ向から反対を唱えたくなると思います。
    僕の感覚では、何が正しいかを求めるのが社会科学、正しいとされたことを追求するのが科学、といった感じです。
    最後のガンジーの言葉、「人間性が欠けた学術にどんの意味があろうか」がこの本を表している一冊。

  • 豊橋の技術科学大学の学長が、軍事化研究の長になったというニュースを聞いていたので、本書はとてもタイムリーな出版である。ぼくは、戦後の日本は戦争研究、軍事研究をしなさすぎたと思っているが、一旦やるとなると、それは科学者の倫理と大きくぶつかるものになることが本書からわかる。科学というのは本来デュアルユースで、なんにでもなる可能性がある。自分は純粋に真理を追い求めているのだと言っても、容易に軍事に利用される。原爆一つとってもそうで、考えて見れば、軍事に応用できないような科学はないし、軍事研究が民間の役に立つということもいくらでもある。今日日本では武器輸出が認められ、軍事研究への参加が呼びかけられていて、科学者はその選択を迫られている。研究費が少なく、科研費等の外部資金の獲得がなければ研究ができなくなっている現状を見ると、ついつい誘惑にのってしまいそうだが、そうなると、途中から機密扱いされ、個人の研究ではなくなってしまう可能性も大きいという。ではどうするか。池内さんは、少なくとも防衛庁などの機関から出る金はもらわないほうがいいと言っている。

  • たまには新書もいいかなと思い読んでみた。そしたら内容は専ら政治批判。好奇心も萎えるというもの。良いところは著者が自分の立場をはっきりさせているところ。でも、どうせ標榜するならタイトルもそれと分かるようにつけて欲しかったな。それに、政策を批判して将来を嘆くばかりでなく、その政策がとられなかった場合や、別の道がとられた場合どうなるかという視点が欲しかった。そうすれば、読んだ人ももっと未来について考えたり、関心を持てるだろうに。読書中に感じたのは、自由に使える研究費がもっと必要だというシンプルなことを訴えるために、著者がやたらめったら政治に噛み付いているという印象。でも、著者が読書に本当に考えてもらいたいのはそうじゃなくて、本書でも繰り返し問われている科学の発達と戦争についてだろうから、それを心に留めておいて、これから自分の意見を持てるように努めていきたいと思った。

  • ●→本文引用

    ●軍事研究が科学を進めると科学者が誤認することである。科学は戦争によって発展したという人すらいる。しかし第4章で述べるように、軍事研究によって発展するのは技術であって、決して自然の法則を追い求める科学ではない。(略)軍事研究は軍需品の開発のために行なうものであるから、純然たる技術なのだ。

  •  タイトルと著者を見ただけでおおよその内容の想像がつくようなものだが、まさにそのとおりだった。そのうえで今の時期ということを加味すれば、防衛予算による軍事研究拡大への警鐘が主題というのも予想通り。科学研究の成果をどう利用するか(できるか)は予測がつかないので、純粋な学術研究と軍事研究を切り分けることは不可能だ。ではどうするかという点で、机上の空論や精神論ではなく、資金の出所によって区別するという簡明な解決法が提示される。なるほどである。ひも付きの金はもらわない。李下に冠を正さず。われわれの分野でいえば食品企業からの研究費が似たような意味で要注意だなと思う。

  •  科学者の戦争協力の歴史と日本でも急速に進む「軍学共同」の現状レポート。アメリカ軍からの資金流入や自衛隊装備開発への癒着、デュアルユース=軍民両用を隠れ蓑にした偽装など、新聞報道や雑誌記事で断片的に伝えられた既知の情報がほとんどであったが、改めて通時的・歴史的に軍学癒着の拡大を俯瞰すると、もはや致命的な状況にあることがわかる。衝撃だったのは、敗戦から未だ日の浅い1951年の時点で日本学術会議が科学者に行ったアンケートで、過去学問の自由が最も実現されていたのはアジア・太平洋戦争期という回答が最も多かったという事実で、潤沢な資金さえあればそれを研究の「自由」と錯覚する自然科学者の病理性を象徴的に示している。戦争=絶対悪、研究公開の不自由な軍事目的研究はどの科学者も本来は好まないという前提で本書の内容は立論されているが、すでにこの国では、科学者に限らず、特に年齢が下がるほど平和主義に対するシニシズムがマジョリティとなっている現実を考慮すると、5年ももたずして「負け犬の遠吠え」として本書は捨てられる悲観的な未来しか見通せない。

  • 昨年のニュースだったか。防衛省は2017年度の防衛予算のうち、
    108億円を軍事研究費に充てるとあった。2016年度の実に18倍
    の予算である。膨れ上がっている。

    この研究費は防衛装備品の開発や安全保障の充実の為の研究
    費用として、「安全保障技術研究推進制度」に応募した大学、研究
    機関、企業等に割り当てられる。

    太平洋戦争の反省から日本の科学界は軍事研究を拒否して来た。
    しかし、どんな研究にも潤沢な研究費が充てられる訳ではない。
    自由に研究する為にはもっと研究費が必要だと感じたら、防衛省
    の研究をあてにしても不思議ではない。

    だが、防衛や安全保障という聞こえのいい言葉を拠り所として軍事
    研究に名乗りを挙げてもいいのか。民生利用も出来るのだからとの
    言い訳を用意して、結局は人に危害を加えるモノを作り出すだけな
    のではないか。

    先日も日本学術会議がこれまでの軍事研究は行わないとしてきた
    声明を巡ってのシンポジウムを開催した。法政大学をはじめとした
    いつかの大学は既に軍事研究は行わないとの明確な態度を取っ
    ているが、このシンポジウムでも軍事研究否定の意見が多くを
    占めた。

    著者自身、科学者であり軍事研究を拒否する立場を明確にして
    おり、本書は賛成派の言い分をひとつひとつ潰している。

    研究さえ続けられれば資金はどこから出ていてもいいではいけない
    のだ。成果が出るまでは費用も気にせず、やりたいことを自由に
    出来るかもしれない。

    それは本当に「自由な研究」だろうか。軍事利用であるならば、
    自由に公表できるはずもない。機密事項である。基礎的な研究の
    目途が立てば、「あとはこちらでやりますんで。尚、このことは論文等
    で発表するのは禁止です。特定機密に該当しますから」と言われて
    しまったらどうだ?

    これを著者は「研究者版経済的徴兵」と呼ぶのだが、納得したわ。

    研究費という大きなニンジンを目の前にぶら下げて、頭脳だけを拝借
    するのだものね。そうして、研究の成果は取り上げられる。

    ひも付きの費用はどんなものでも胡散臭い。その見本のようだよ。甘い
    言葉の裏に何もない訳がなのだから。

    軍産複合体なんて言葉ある。ここに今度は「学」が加わる危険性がある。
    日本以外の国では軍事研究は当たり前に行われている。それが産業に
    結びついて企業は武器輸出などで儲けることができる。

    既に一部の研究機関ではアメリカ軍から資金提供を受けているところも
    あるが、日本は軍産学が混然一体になっていない特異な国であること
    をもっと意識していいのではないだろうか。

    「軍隊を持って普通の国になろう」とか言った人がいたが、軍産学複合体
    の国になって「防衛の為です」とのお題目の下、開発した武器を輸出する
    国にならなくてもいいじゃないか。

    だって、すべての戦争は防衛から始まっているのだから。

  • 軍と科学者の関わりについて、ドイツの例なども盛り込みつつ解説。どうも軍=悪って信念が強過ぎるのが垣間見えて素直に読めなかった。

  • 2016年刊行。
    著者は総合研究大学院大学及び名古屋大学名誉教授。

     戦前戦後期からの科学者の活動と研究の軍事利用の面、そして研究者の軍事利用忌避の状況(特に戦後~95年頃まで)を素描しつつ、安倍政権及び90年代以降の防衛省の軍事利用目的の研究への侵食・扶植の状況を批判的に検討する。

     本書のように、ここまではっきり言ってやらんと判らんのだなあとの慨嘆。

     そして「研究者版経済的徴兵制」「デュアルユース(=民生・軍事両用利用目的)研究」との造語が振るっている一方、現代の研究者の活動費獲得のための苦悩も垣間見える。
     そもそも、90年代以降進んできた研究費の選択と集中政策、科学技術振興予算の絞込みが、研究の中心である大学他研究機関の基盤的経費を揺るがし、日本の研究力の低下を招来したと言う。

     それは引用論文数の国別ランキングの顕著な低下傾向で表面化してきた。すなわち、引用論文の数が年間で米英に次いでいた日本。ところが、90年代半ばから徐々に、中・独・仏に次々と抜かれていった(92年3位→07年6位)。

     予算の絞り込みを文科省が進める一方、防衛省と経産省が中軸となり、軍事関連事業の予算を大学・研究機関に振り向ける傾向にあり、文科省が歯噛みしながらこれを見送っている現状が、シニカルに指摘される。

     そもそも、軍事協力を前提とする研究活動は、その成果が軍機を理由に公開されない危険があり、また予算の利用実態も公開されない危険がある。
     これが事後的検証を阻害し、最も問題視されるべき事情であると本書は気付かせてくれる。

     具体例で明快だったのが、JAXAと「ロボコン」のスポンサー。ロケットはミサイル。ロボットは無人偵察・攻撃兵器への転用と気付けば当然の仕儀ではあるが…。

     ところで、あの某御用新聞はホント××××だなぁ。全く……。

  • 紀元前から現代までの、戦争とそれに合わせて発明されたものがざっくりまとめられている。
    「(1951年の時点で)社会の動静に対して、学者として毅然とした態度を取り続けることが早くも困難になっていたのである(p44)」とあるように、きっと全ての科学者と戦争が完全に切り離される、ということは困難なのでしょう。
    ただ、最後の章での「軍事研究が科学を発展させることはありえない」の論は「???」だった。ただの言葉遊びでは?
    また、「果たして戦争は技術の発達にとって 必要なのかということが問題になる」に対してもさらに「?」。
    最後は強引な気がするが、科学と戦争を切り離したい、という筆者の気持ちの強さなのかもしれない。

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