天下と天朝の中国史 (岩波新書)

著者 : 檀上寛
  • 岩波書店 (2016年8月20日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004316152

天下と天朝の中国史 (岩波新書)の感想・レビュー・書評

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  • 伝統的な中華帝国の行動原理を「天下」と「天朝」というキーワードで読み解くこと、中国の歴史を天下と天朝の歴史としてとらえ直すことを目的に、「天朝」と「天下」「天子」、「中華」と「夷」といった概念やシステムを中心に据えて、通史的に論じられた著作。

    先の概念やシステムの仕組みについて単に歴史上の遺物として説明するだけに終始せず、かつ短絡的にでもなく、近代以降の歴史や現代へ脈々と連なっていく様子が読み取れる。その論旨は鮮やかで、その点において「現代中国の行動を理解するためにも」「「天下」と「天朝」というキーワードで歴史的に読み解いてみようというのが本書のねらいなのである」というテーマ設定は達成されていると言える。

    本書では、単なる概念の紹介に留まらず、実証的に具体的な例を挙げつつ天朝と天下の歴史が描かれていく。学界や先行研究の動向を視野に入れている点も評価できる。全時代を通して密度が濃く、労作であると言えるだろう。

    (歴代王朝による「華」と「夷」の区別の解釈は、民族の違い、地域の違い、文化の違いの観点からなされたという。注目したいのは文化の違いであり、これを裏返せば「民族的には漢ではなくても、中華文化、いわゆる「礼・義」を体得すれば華になれる」という見方に繋がる。これが中華世界の膨張、浸透や漢民族以外の民族の華化、漢化による王朝建設を促した一因であると言うこともできよう。個人的に興味深い観点であった。)

  • 公平で崇高な漢族を越える立場の天子と天下を私する皇帝。正に中華思想を表す概念だ。それが書のタイトルでもある。夏から始まった中華(夏)という概念。周の時代にも、自らを夏と呼んでいたとは面白い。そして秦や楚も夷とされていたのが、中華(中原)が拡大していった様子。南北朝時代の前秦の符堅、北魏・孝文帝などが文化面で漢族に後れを取っていたことを認識しつつ、善政を敷いていた。「中国」という言葉は1901年に梁啓超が天下の中心にあって文明の高い地域を指す歴史を一貫して呼び習わす用語として初めて使用したのだそうだ。元明清の近世の3国名は、いずれも理想を表す一般用語から来ており、過去の名称と全く異なるものであること。「大元、大明、大清」のように大が付く名称であったとは初耳だった。清の雍正帝が反女真の立場から謀反を企てた曾静を処刑せず、自ら厳しい尋問により完膚なきまでに説服、その後は彼を全国に派遣して徳を称揚させる生きた広告塔にした!もの凄い話である。繰り返された華民族と夷民族の鬩ぎ合いの歴史が面白い。なお、600年に隋・文帝への倭国の使者が「倭王は天を兄とし、日を弟としております。」と答えたとの隋書の記事。中国では天は父なので、倭王から隋帝は「甥」になってしまう!倭が尊大な姿勢で臨んでいたとは吃驚である。「漢」が、人を見下す場合に用いられるのも繋がりがあるよう。

  •  春秋戦国や魏晋南北朝、五代十国の個別国家まで取り上げており細かい部分もあるが、全体を通じる内容は伝わってくる。筆者は「天下」を、狭義(実効支配が及ぶ「華」の地)と、広義(狭義にその外側の「夷」も合わせた地)に分ける。また、天の代理者「天子」と、天に等しい独裁者でありその一家が地位を継ぐ「皇帝」は、本質的には異なるはずだが、漢の初期までには、両者の立場を使い分けたほか、「天下一家」という概念によって、天下を皇帝を親とする皇帝の私的領域と見ることによって矛盾を解消したと述べている。
     そして、やがて遼・金・元・清といった元々の「夷」(さらに筆者は、隋と唐も、「北朝から出た隋」「(唐は)鮮卑族拓跋系国家である北朝の後継王朝であり、もともと夷と華の両様の性格を持つ」と、「夷」性を認めている)も、中国中心部に入るにあたり、「華」かどうかは民族ではなく礼儀の有無だとして「華」の外被をまとうのに腐心したとのことである。他方で、これら「夷」出身国家(特に唐・元・清)は、その版図の広さも相まって多民族国家であったとも指摘している。
     中華思想の類を安易に現在の中国に結びつけたくはないが、中華人民共和国の「中華民族」思想は、本来の民族性よりも狭義の「天下」の中にいるかどうかを重視して「民族」と呼んだ点で、やはり歴史の影響を受けているとは言わざるを得ない。旧東側国家では共産主義思想で各民族を結び付けていたところ、中国では大きな民族概念を生み出したのである。また、鄭和の大遠征が現在時折もてはやされるのも、広義の天下思想の再来だろうか。
     一方、周辺の日本・朝鮮・ベトナムも、中国との距離は一様ではないがやはり独自の天下概念を持っていた。筆者はそれを、中国を中心とする大天下と周辺の複数の小天下がゆるやかに連結する「天下システム」と呼んでいる。
     こう見ると、東アジアでの「天下」とは、実に融通無碍のファジーな概念のようだ。近代国家や国際法の概念が入ってくる前まではそれでよかったのだろう。

  • 現代中国の世界観は、伝統的に引き継がれる、大天下感、そのものだ。天朝、天下の概念のコアと変化を通してみる、中国通史。

  • 中国の歴史を、その天下と天朝という考え方を中心にして紐解いていかれています。それによって現代の中国の違和感ある行動への理解を得ることができるのではないかと思います。古代から丁寧に時代を遡り、中国が決して一つの国であったわけではないこと、その範囲は夷狄との兼ね合いによってドラスティックに変化していたこと、臨場感をも感じながら読ませていただきました。徳を持った君主が統治する国であるという強迫観念にも似た伝統といえるものが通底にあるのだなと、今の中国を理解することができそうに感じています。

  • 面白かった。異民族の王朝のおかげで中国の現在の領土が出来上がったことが分かる。それなのに中共政府の非漢人に対する扱いは酷すぎる。

  • 通史もざっと浚えて、おもしろく読んだ。

  • 書籍についてこういった公開の場に書くと、身近なところからクレームが入るので、読後記は控えさせていただきます。

    http://www.rockfield.net/wordpress/?p=8093

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