ロシア革命――破局の8か月 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004316374

感想・レビュー・書評

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  • ロシア革命というときに、1917年に2段階の革命があり、2月革命はメンシェビキ・ケレンスキーをリーダーとして民主主義、そして10月革命はレーニンをリーダーとするボリシェビキによる共産主義革命という漠然とした知識しかなかった。しかし、この8カ月の連合政権がいかに集合離散の混乱の繰返しであり、10月革命前夜にはレーニンを中心とした暴力革命が起きることは既に確実視されている状況にあったなど、あまりにも無知であった私自身だったかを知った。ニコライ2世が子息の皇太子も含め、皇帝の座を放り出して、弟ミハイルに譲位しようとしたが、弟も辞退などは驚くべき状態である。そして2月革命後の諸政党としてメンシェビキは社会主義者であり、自由主義者の立憲民主党、進歩党などの連立勢力は左派であったのだ。10月革命へ向かう中で、レーニン以上にトロツキーの的確な判断が革命成功に導いたかも知らない事実だった。1917年におけるロシアはウクライナとは全くの一体であり、フィンランドでさえ、ロシアとは自治の大公国であり、この両国が臨時政府に激しく抵抗していたとは100年後の現在を重ねると、皮肉な事実が見えてくるようで感慨深かった。
    特に次の文章!「3月28日、首相リヴォフ公の名で市民への宣言が出された。「自由ロシアの目的は、他の 諸国民を支配することでも、彼らから国民的財産を奪うことでも、他国の領土を力ずくで奪う ことでもなく、諸民族の自決に基づく堅固な平和を確立することである」。 領土の奪取に関する部分は、当初の案になかったものが、ソヴィエト側の要請でつけ加えられたのである。こう してペトログラード・ソヴィエトに押される形で、「無併合、無賠償、民族自決」が革命ロシ アの公式外交路線となった。だが、この宣言は妥協の産物であり、ミリュコーフ外交の核心部分も残していた。そもそも それが市民への宣言に過ぎず、公式の外交通牒にならなかったのも、ミリュコーフが頑張った からであった。「だがロシア国民は、この大戦争のなかで、自らの祖国が卑しめられ、その生 命力を損なうことも許容するものではない」という一節は、彼が盟友ココシキンの力を借りて挿入したもの」

  •  1917年の二月革命から十月革命に至るロシアの政局を、「臨時政府」を構成した人々の動きに焦点を当てて、ドキュメント風に叙述している。ソ連時代には十把ひとからげに「反動」として否定され「忘れられた」自由主義者や穏健な社会主義者らに同情的で(他方で暴力的な民衆には冷淡)、必然性の欠如を認識しつつも、ロシアにおいて議会制民主主義が制度化されなかったことを惜しんでいるのは明らかだ。歴史学者の著作にしてはジャーナリスティックなのが若干気にはなる。

  • こちらも、ロシア革命の勉強に。
    ここで心に残ったエピローグ。

    レーニンがその訪れを確信していたヨーロッパ革命は起こらず、ボリシェヴィキは、ドイツ・オーストリア・オスマン帝国との単独講和を余儀なくされた。1918年3月3日、現ベラルーシのブレスト=リトフスクで講和条約が締結された。ウクライナを手放し、オスマン帝国に領土を割譲し、巨額の賠償金を課された事は、新政府にとって大きな痛手であった。だが、ともかくもロシアだけは第一次世界大戦から離脱できた。「労働者と農民の国家」に関するレーニンの他の諸々の約束はさておき、こと戦争終結に関しては「一瞬、嘘が真実になった」(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』エピローグ)のである。

  • 2017.04―読了

  •  ロシア革命の2月革命と10月革命の間の8カ月をまとめた新書。

     ロシア革命は最初に様々な勢力が協力して行った緩やかな革命があり、その政権が8カ月で瓦解して急進的な改革が起きた。新体制から見れば真の市民による蜂起となるだろうが、この本を読むと連立政権が難しい状況で何とか新政権を漕ぎ出そうとしてうまくいかず、極端な主張をする勢力が一気に政権を取ってしまったように感じた(その後は強権を発動して権力を盤石にした)。
     特にレーニンは安全な外国から扇動して、最後に国に帰ってきておいしいとこ取りという感じでいい印象がなかった。

     私はこれはソ連のつまづきの最初に見えた。今の日本を考える上でも大事なことが書かれていたと思う。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/706068

  • ロシア帝国からソ連にどのように変わっていったのかについて、その主となるきっかけであるロシア革命を詳細に追いかけることで記述されています。2月革命から10月革命へと、1年に満たない時間の中で、これほど多くの出来事が目まぐるしく起こったということに、その歴史の濃さに驚かされました。そしてそこに居た人々がどのように苦しみながらも、前に進んで行こうとしたのかを知ることができます。それを知ることで、ここで何が起こったのかを理解することができると思います。
    人々の身勝手さや、そうでない面などが、究極の状態で、遠慮なしに出てくるものだということを、歴史は冷静に語るものだと思いました。

  • ●ロシア革命がいかにして起きたのか、どのような経緯をたどったのかを詳しく叙述している。

  • まず自由主義であるカデットの幹部であり、刑法学者であり、
    のちに作家として大成する同名の息子の良き父であった
    ナボコフの言葉より。(1917年)

    「大フランス革命は、全体として、固まりとして受け入れなければいけない、という見方がフランスには存在する。
    この見方は理解できるし、真っ当である。
    おそらく未来のロシアの歴史家も、100年後にはロシア革命を固まりとして受け入れることに同意するであろう。
    だが、われわれ、同時代に生きる者、-われわれ、参加者は、いますぐに歴史的展望の高みに立つわけにはいかないのだ。(略)」

    ちょうど100年前の1917年、ロシアでは二度の革命が起こりました。
    二月革命で何が起こり、どのようにして十月革命に立ち至るか?
    その八か月の叙述を通して、著者は私たちに二つの問いを立てます。

    「なぜ二月革命で生まれた臨時政府は挫折したのか」
    「なぜ十月革命で生まれたボリシェヴィキは成功したのか」

    実は私、半分正解を答えられて(!)しかも著者の最後の言葉がほぼ同じ感想だったのです。嬉しかったので下に記録しておきます。
    もしこれから読む場合、以下は読まないほうがいいかも。
    あ。もともと常識として知っているなら、問題ないですが。

    ●なぜ臨時政府は挫折したのか

    「早期に戦争を終結する」「暴力によって徹底的に民衆の要求を抑え込む」のどちらかしかなかった。
    しかし前者を選ぶには臨時政府はあまりにも西欧諸国と深く結びつき、その政治・社会制度に強く惹かれていた。
    後者を選ぶには臨時政府はあまりにも柔和であった。

    ●なぜボリシェヴィキは成功したのか

    西欧諸国の政府との関係を断ち切ってもよいと考えるほどに、
    彼らはあたらしい世界秩序の接近を確信していた。
    そして、いざ政権を獲得してからは、
    躊躇なく民衆に銃口を向けることができるだけの苛酷さを持っていた。

    ●著者の最後の言葉

    「もとより、1917年のロシアにおいて、臨時政府の弱腰が混乱をおしとどめることができなかったからといって、
    今日の世界においては銃口をとるべき選択肢たりえない。
    一方で、敵を探し、極論が力をもつ「街頭の政治」もまた、避けるにこしたことはない。
    結局のところ、1917年のロシア革命が私たちに伝えるのは単純なことである。
    ひとは互いに譲りながら、あい異なる利害を調整できる制度を粘り強くつくっていくしかないのだ。」

  • ロシアにおける革命で、なぜ臨時政府は失敗し、ボリシェヴィキは成功したのかという問題意識から、「破局の8ヵ月」を描き出す。この問いは、いまよりはるかに広大で多民族が暮らす国家だったのに、革命が分離独立を誘発するきっかけにならなかったのはなぜかという疑問と、あれほど急進的なものではなく、漸進的でよりゆるやかな共和制への移行が進まなかったのはなぜかという問いにもつながる。レーニンとトロツキーという、既存の秩序を歯牙にもかけない「子供」らによって、民衆の反乱も「底が抜けた」混乱状態も、まるごと全肯定されたのだ。

    革命を生んだのは戦争だった。第一次世界大戦という総力戦は、武器を与えられた農村出身の兵士たちを、前線だけでなく帝政政府の喉元にも放った。自己抑制も義務や権利の意識にも乏しく、ただ家長としての皇帝がいるだけだった農民にとって、二月革命は家父長的な規範さえも奪うものだった。「われわれは権力の担い手を倒しただけではなく、権力の観念そのものを倒し、滅ぼしてしまったのではなかろうか」と嘆いてみても後の祭り。「底の抜けた」ロシアでいまさら義務や責任を説いてみても、長く苦しい戦争に疲弊した彼らの耳には届かなかった。

    臨時政府の面々には同情を禁じ得ない。このまま世界革命を目指して混乱が進めばよいなどと無責任に考えず、何とか事態を収拾し秩序を取り戻そうと奔走した。戦争から簡単に離脱すればよいというのも無茶な話で、まずは軍を立て直し、結ばれた秘密協定の遵守も確約しなければ、財政援助や軍事援助を途絶えさせ、ひいては革命そのものの運命も潰えかねない。民衆は確かに、戦争継続を推進力とする臨時政府ではなく、戦争終結を唱えるレーニンらの勢力を選んだのだが、道化師のような仲介者の余計な介在がなければ、必ずしも必然の結果ではなかった。

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著者プロフィール

【監訳】池田 嘉郎(いけだ・よしろう)
1971 年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士(文学)。専門は近現代ロシア史。主著に『革命ロシアの共和国とネイション』(山川出版社、2007 年)、『ロシア革命 破局の8 か月』(岩波書店、2017 年)など。訳書にアンドレイ・プラトーノフ『幸福なモスクワ』(白水社、2023 年)などがある。

「2023年 『ソ連の歴史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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