文庫解説ワンダーランド (岩波新書)

著者 : 斎藤美奈子
  • 岩波書店 (2017年1月21日発売)
3.72
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004316411

文庫解説ワンダーランド (岩波新書)の感想・レビュー・書評

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  • この840円の本を書くため、斎藤さんがどれほどたくさんの本を精読したか考えると、本当にすごいと思う。そして、本当に面白かった!
    わかりやすいところでは、例えば、「走れメロス」の解説。角川文庫のカバーの紹介文みたいに、「メロスがんばれ!」と、私は一度も思ったことはないが、太宰治を知らない純粋な小中学生なら思うのだろうか、そしてそういう「読み」が正しいのか、とずっと疑問に思ってきたが、それを否定するような解説もなく、太宰作品の中では最も嫌いな一つとなっていたのだが、

    「<メロスは激怒した>ではじまり<勇者はひどく赤面した>で終わるテキストは、心身ともに「裸」だった若者が「見られている自分」に気づいて最後に「衣」を手に入れる物語である。この瞬間、メロスはコドモ(赤子)からオトナ(赤面を知る)に変わるわけで、『走れメロス』は「裸の王様」ならぬ「裸の勇者」の物語とも言えるのだ。」(p35~36)

    という斎藤さんの「読み」に初めて納得できる「メロス」の解説を読んだ気持ちになった。心から納得した。
    難解と言われる小林秀雄については

    「小林秀雄はかつて「試験に出る評論文」の代表選手だったのだ。試験に出る評論文の条件は名文であることではない。「論旨がわかりにくいこと」だ。」(p148)

    で、また納得。そして

    「そうだった、思い出したよ。コバヒデの脳内では、よく何かが「突然、降りてくる」のである。こういった箇所を読むと(少なくとも私は)鼻白む。しかし、小林にとってはこの「突然、降りてくる」が重要で、こうした一種の神秘体験を共有できるかどうかで、コバヒデを理解できるか否かが決まるといっても過言ではない。」(p150)

    でさらに納得。
    『少年H』については

    「もしかして、妹尾河童も「こうありたかった少年像」を描いたのではないか。戦争の欺瞞を鋭く見抜き、母を雄々しく守り、敗戦の日に天皇の戦争責任に思いを致すような少年を。このような物語は読者に歓迎される。「日本人はみな本当はHのように戦争に反対したかったのだ」という気分を共有することで、庶民の戦争責任は免責されるからである。」(p234~235)

     当時を生きた人でないとわかりにくい安保闘争やバブルの頃のベストセラーの読み解きも面白いし、もちろん渡辺淳一の部分は笑える。
     納得しないまま読んできた作品やその解説を、この本で初めて納得できた。
     こんなに面白くて中身が濃くて840円か。30分で読めて中身スカスカで、他の文献を当たったのか大いに疑問の本が倍の値段することもあるんだから、大いにお買い得の本。
     今度は翻訳読み比べをやってほしいなあ。
     ついでに言うと、この本のあとがきに引用されている、著者の恩師、浅井良夫の文章がまたわかりやすくて面白く、この師にしてこの弟子ありってことだなと深く感心したのであった。

  • 子どもの頃から本の虫を自認していたのだけれど、人生も後半に入って最近は「こんなに本ばかり買って置いておいたら自分がいなくなったあと子どもたちにどれだけ迷惑かけることになるんだろうか」とか思い始めてしまい、仕事で書籍を買わざるをえない現状も手伝って専ら電子書籍を買うことにしていたのだけれど、美奈子さんの本だけは(いや"だけ"ではないんだけど)店頭にあったら反射的にレジに持って行っちゃうよ!

    驚くような角度から本の読み方を見せてくれる美奈子さんだけど、なんと今回は文庫解説についての本。最初から最後まで全部、解説について書かれている。それでもってこれが滅法面白いのですよ。

    古典的な日本文学の解説合戦(戦ってないけど)に始まり、著名人による謎解説を斬り、返す刀でそもそも解説にすらなってないエッセイもどきが一体どこから生まれてきたのかを解体してみせる。
    さらには、これぞ読者のための解説でしょ!という"お手本"もちゃーんと紹介してくれています。

    美奈子さん曰く、解説とは結局端的にいうと「これって、あれでしょ」である、と。
    他にも、作品を貶すためだけのものであってはいけないが、読み込んだからこそ発見できる瑕疵についてきちんと考察できている解説にはお得感がある、とも。なるほどなあ。

    とにかく、最初から最後まで面白いです。好きすぎる。

  • 中学から高校にかけて、ヘヴィメタルを愛好していました。
    CDも随分と買いました。
    今はどうか知りませんが、当時、ヘヴィメタルのCDを買うと、ライナーノーツ(解説文)を書いていたのは必ずと言っていいほど伊藤政則でした。
    そして、この伊藤政則の書くライナーノーツを読むのが楽しみでした。
    早く読みたくて、封を開けるのがもどかしいほど。
    時にはライナーノーツを読みたくてCDを買うなどという暴挙に出たこともあり、あのころは本当にどうかしていました。
    ただ、ライナーノーツというのはCDに付いている「おまけ」などではない。
    少なくとも、私にとってはCD本体と並ぶ1個の商品だったような気がします。
    文庫本の最後に付いている「解説」も同じではないでしょうか。
    自分は本も割と読みますが、この解説が結構大好物。
    その文庫解説に焦点を当てたのが本書です(前置きが長い)。
    著者は切れ味鋭い論評が身上の文芸評論家、斎藤美奈子さんですから、面白くないわけがない。
    たとえば、先年亡くなった渡辺淳一の項なんて、何度も吹き出しました。
    ナベジュンの作品の文庫解説は、ナベジュンが選考委員を務めていた頃に直木賞を受賞した(あるいは大変世話になった)女性作家が担当していることが多い。
    つまり、ナベジュンには頭が上がらないんですね。
    ただ、「ナベジュンが描く女性像や恋愛像は、ぶっちゃけ男の幻想か妄想の賜で、今日の女性読者には違和感のほうが強い」(213ページ)。
    しかも、人並み外れて感性に優れた女性作家たちです、おいそれと褒めるわけにはいかない。
    どうするか。
    斎藤さんいわく、「褒めず殺さずの高等テク」を使っているのだそうです(笑)。
    谷村志穂も桜木紫乃もみんな苦し紛れといった筆付きで、角田光代の解説にいたっては「もはや半分ヤケッパチである」というから笑います。
    夏目漱石の「坊ちゃん」は解説を担当した人たち間でも大きく見解が分かれていたのだなとか、太宰治の「走れメロス」は解説に恵まれなかったのだなとか、個人的には得るところ大の本でした。
    CDのライナーノーツもそうですが、小説の解説も「おまけ」ではないのだと再確認した次第。
    これからも文庫本は解説と共に堪能したいと思います。

  • 古くは『坊ちゃん』から、最近の『永遠の0』までの文庫本解説を、著者の独断と思い切りの良さで一刀両断し、まるで凄腕の剣豪小説を読んでいるかのよう。
    楽しく爽快感をもって、たちまち読み終えた。
    解説とは読者のためであるべきはずが、しばしば「著者のため」、あるいは解説者自身の「自分のため」に陥っていると看破する。
    確かに何を言いたいのか理解できない解説や、ちょうちん持ち的解説をよく目にする。
    本文で偉そうに断言した著者が、自分自身も解説を書いていることに思いを致し、冷や汗タラタラ、プレッシャーを感じてしまったと、あとがきで書いているのはご愛敬(笑)

  • 文庫の解説が大好きだ。
    わけのわからない解説がついているとがっかりするし、本文に劣らぬ輝きのある解説もある。
    そんな解説好きはきっと珍しくないはずだ。
    本書はそんなニッチな、マニアックな、「解説」にスポットライトを当てた珍しい本。

    まずは名作から。
    『坊ちゃん』の解説だ。
    実は読んだことがないが、「痛快な勧善懲悪劇」(13頁)という認識はあった。
    しかし、だ。
    それを覆す悲劇として読んだ解説があるそうだ。
    奇をてらいすぎじゃないか、何でもかんでも本流に逆らえばいいってもんじゃない。
    あるいは、赤シャツがうらなりからマドンナをとったのではなく、マドンナの方から赤シャツに近づいたのだとした解説もある。
    物事というのはここまで違った見方ができるものか。

    太宰の解説をした井伏鱒二。
    智恵子抄の解説をした草野心平。
    信じられない豪華さだが、思い出話に終始する。
    それはわかった、しかしあなたが今すべきは「解説」であって思い出話じゃない。
    背景が主人公でどうする。
    紙幅がそれで占められてしまい、消化不良この上ない。
    結構あるんだ、この手の解説。

    小林秀雄の文章は難解で大学受験の試験問題にも頻繁に使われる。
    教科書にも載る。
    でもいまだに私はよくわからない。
    解説もわかりにくい。
    あれはなぜあんなに難解なままなんだろうか、私の読解力がないのか。
    しかし著者は言う、「権威による権威付け」と。
    なんでも簡単にすることだけがベストではないが。

    奥深い解説の世界。
    著者はそんな解説にエールを送るが、私も同様に声援を送りたい。
    「出でよ、戦う文庫解説!解説は作品の奴隷じゃないのだ。」(238頁)

    蛇足:本書は文庫ではなく新書だ。

  • 著名な作品につけられた「解説」。適当に読み流しがちな解説はよく読んでみると実はかなり面白い。独りよがりな解説、作品には殆ど触れず作者の生き様模様ばかり書かれた解説、似たり寄ったりの解説、話があらぬ方向にぶっ飛んじゃう解説、、、。笑える本でした。

  • 名作とベストセラーが綺羅星の如く並ぶ文庫本。その巻末に併録されている、所謂「おまけ」である解説。本書はこれを主役に据え、毒ある筆致で寸鉄釘刺す「解説の解説」書。誰しもが知っている不朽作品のあらすじと作風と時代背景をさらりと舐め、いよいよ“なっとらん解説”の中枢へ。筆法はあくまでも鋭く容赦なく遺漏なくぶった斬り。その多くの指摘は至極尤もで、作家先生ご指名の御用文芸評論家によるものも多く、解説の解説が必要とする「屋上屋を架す」ような難解極まりないものに出くわし、著者は原理主義的命題に辿り着く。「はたして、解説はだれのためのものか」。初読者への理解促進をミッションに掲げるわけでもなく、読書の愉しみをプロモートする任務を買ってでることもなく、言辞遊戯に没入する独善的文芸評論家に筆誅を喰らわす。中々痛快な本ではありますが、文芸に明るくないと、その小気味さを玩昧できないという絶対条件があることを付記しておきます。

  • いくら素晴らしくても、いくら「なんだよこれ」な内容でも評価されず放っておかれることがほとんどの文庫解説を、こんなにきっちり読んで評するなんて。相変わらずすごい人です。

  • やはり著者の「文芸評論」はひと味もふた味も違っていて、抜群に面白い。妊娠や紅一点に着目したり、名作を後ろから読んでみたり、なるほどねえと楽しませてもらってきたが、今回取り上げているのは文庫解説。

    いやまったくさすがの目の付け所で、文庫解説についてまとめて論じたものって目にしたことがないような。単行本を読んでいても、解説を楽しみに文庫を買うことがあるくらい、面白いのがある一方で、なんだか身内でのホメ合いに終始していたり、全然やる気のなさそうな「読んでないんじゃ?」というのがあったり、いろいろ突っ込みどころがありそうだ。

    ここのところちょっとなりを潜めてた気もする、著者の鋭い舌鋒(「悪態」といった方がいいかも)が久々に快調で、実に楽しい。笑いながら読んだ。

    唸ってしまったのは、庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」2012年新潮文庫版についた、苅部直による新解説。この作品にはじまる四部作には、強い思い入れがある。私は子どもの頃から本の虫だったが、高校生の頃これを読んだとき初めて、本の中の世界を自分とつながったものとして感じたと思う。軽々とした文体の底に、なにかしら切実な焦燥のようなものが感じられてならず、旧解説に書かれていたような「機知とユーモアにあふれた愉しい風俗小説」とはまるで思えなかった。苅部は書く。

    〈これは戦いの小説である。あえてもっと言えば、知性のための戦いの〉
    〈ひたすら「感性」の解放のみを称揚して「知性」を嘲笑するような「狂気の時代」〉に対して〈「薫」がひたすら守ろうとしているのは、「ぼくの知性を、どこまでも自分だけで自由にしなやかに素直に育てていきたい」と語る、知性にむけた願いである〉

    著者曰く、〈薫の悩みは、大衆社会を前にした「インテリの悩み」である〉〈知識人/大衆という線引きが失効した時代に、自分は知識人としていかに生きていったらいいのか。それが「赤頭巾ちゃん」の命題だった〉

    ああそういうことだったのかあ、とこれには深く納得。ワタクシ、もともとこういうたぐいの小説にすごくヨワイ。そのことを自覚したのも、著者の「名作うしろ読み」で読んだ「トニオ・クレエゲル」の評だったのだが。あれは「凡人は呑気でいいなあ。インテリの僕は苦しいよ」ってことだとバッサリ斬られていて、ぐうの音も出ませんでした。「赤頭巾ちゃん」もその系譜だったのね。

    田中康夫「なんとなくクリスタル」にも、最近になって高橋源一郎による新解説がついたそうで(なんと「なんクリ」は「資本論」と似てるという内容)、どちらも〈その後の歴史を俯瞰できればこそ獲得した視点〉だと著者は言う。〈こうした解説が出現するまでには三○年四○年の時間が必要だった。事件的作品の咀嚼には意外と時間がかかるのだ〉とあり、確かにそうだと思った。

    このあたりについて、著者は次のようにもまとめている。
    〈思えば日本の青春小説は、あるいは近代文学は、「三四郎」以来、「知識人いかに生くべきか」という、一種ホモソーシャルな問いを一貫して追求してきたのである。だが戦後、空前の大衆消費社会が出現、この問いは急速にリアリティを失う。そうして生まれたのが、一方では「(こんな時代にそれでも)知識人いかに生くべきか」を問う小説であり、一方では「知識人なんかクソ食らえ」とせせら笑う小説だった〉

    その流れで、漱石と鴎外にも触れられている。漱石は門下生と言うべき集団を作ったが、鴎外は作らなかった。山崎正和は「阿部一族・舞姫」の解説の中で、白樺派の同人や漱石の門下たちのことを評して、〈こうした友情の異様な君臨は、一方では、前近代的な「若衆宿」のなごりでもあったろうが、他方では、伝統的な人間関係の崩壊の産物であったことも、疑いない〉と書いているそうだ。若衆宿!思いもよらない見方だよなあ。

    また、高村光太郎が「純愛の人」というイメージでとらえ続けられるようになったのには、草野心平が書いた「智恵子抄」の解説によるところが大きいとあって、これまたなるほど~であった。光太郎が戦争協力詩を書いていたこととか、智恵子の病気はそもそも光太郎のせいではないかと思われることとか、文学好き以外にはあまり知られていなくて、光太郎の清潔なイメージは不動だ。解説恐るべし。

    リービ英雄による原民喜「夏の花」の解説について述べたくだりには、「戦争文学」への新鮮な視点があると思った。リービ英雄は、「夏の花」のような文学が可能になったのは、〈私小説という近代の伝統〉〈「自然現象の中の私を書く」という近代文学の手法が働いているからである〉と指摘しているそうだ。言われてみれば確かに。著者が〈痛いところを突かれた感じ〉〈大きな辛い物語を共有する国民。だから自分にも他者にも国家に対しても戦争責任が追及できないんだ、といわれているような感じがする〉と書いているのも実にその通り。

    えーと、一番笑ったのは、小林秀雄についての章。なんと著者は小林を「コバヒデ」と呼んじゃってる。コバヒデ!なんだか一気にそこらのオジサンみたいな気がしてくるではないか。大体小林秀雄とか江藤淳とか、そのあたりの人を論じるとなると、眉間に思い切りシワを寄せなくちゃいけないような気がするんだよね。そういう「権威」の匂いが斎藤美奈子さん、キライなんだな。教科書で習った「無常という事」、よくわからなかったのを覚えている。センター試験で「鐔」に当たっちゃった人たちには、今でも深く同情してしまう。

    最初の方で、〈批評の要諦とはひっきょう「これってあれじゃん」だと私は思っている〉とある。あ、物真似がしばしば鋭い批評に見えるのもそれかな?とちょっと思った。違うかな…。

  • 普段、文庫の解説は注意して読むことはないが、『こういう楽しみ方もあるんだ』と新発見。読書の別の楽しみ方を教えてもらった。
    ばっさばっさ切りまくる文章は痛快。著者の読書量の凄さも感じることができる。

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