日本の近代とは何であったか――問題史的考察 (岩波新書)

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  • / ISBN・EAN: 9784004316503

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     本書は「政党政治」、「資本主義」、「植民地」、「天皇制」の4つの視点から日本の近代を描いた1冊です。日本がモデルとしたヨーロッパ近代を参照し、日本の「近代」の特質へと迫っています。

     本書の冒頭では、福沢諭吉らに影響を及ぼした英国の政治・経済ジャーナリストW.バジョットの著作である『自然学と政治学』、ときには『英国の国家構造』を参照し、ヨーロッパ近代の特質を明らかにしています。その結果、「議論による統治」を鍵概念とし、併せてその系概念として「貿易」および「植民地」という2つの概念を抽出しています。さらにヨーロッパの君主制と似ても似つかない天皇制をも取り上げています。

     本書に目を通すことで、日本の「近代」について、単に明治維新によって始まった時代としてではなく、さらに一歩進んだ把握ができると思います。
     

    本書の目次は、以下の通りです。

    序章 日本がモデルとしたヨーロッパ近代とは何であったか
    第一章 なぜ日本に政党政治が成立したのか
    第二章 なぜ日本に資本主義が形成されたのか
    第三章 日本はなぜ、いかにして植民地帝国となったのか
    第四章 日本の近代にとって天皇制とは何であったか
    第五章 近代の歩みから考える日本の将来
    あとがき

    -----
    三谷太一郎『日本の近代とは何であったか:問題史的考察』(岩波新書、2017年)
    所在:中央館2F 請求記号:081//I95//NR1650
    https://opac.lib.niigata-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB23314905?caller=xc-search

  • 明治期に近代化を進める中で、近代化には欧州におけるキリスト教が果たした役割を、天皇に求めた。それにより、明治憲法の立憲民主主義と天皇の存在に矛盾が生じた。
    教育勅語が天皇の神性を強め、立憲君主の枠を超越する存在にしてきたとしている。
    であれば、その内容に関わらず、二度と教育勅語を復活させてはならない。

  • 近代とは?果たして日本は近代を受容できたのか?「三四郎」を読んで取りつかれた疑問に思考の枠組みを与えてくれました。不平等条約は、その後の日本に大きなくびきを与えます。西洋の近代という大きな津波を前に溺れるか浮かぶか、一瞬一瞬ごとに選択を迫られるような時代に立ち向かった先人の気概が伝わります。初めて知ることも多く非常に刺激的な読書でした。

  • 日本政治外交史の泰斗による日本の近代論考。政党政治、資本主義、植民地に加えて天皇制についても述べられています。
    日本に憲法を導入しようと渡欧した伊藤博文に対し、プロイセンの公法学者グナイストは、社会の結びつきを強める機能を宗教に認め、「日本は仏教を以て国教と為すべし」と勧告します。
    対して伊藤は、既存の日本の宗教にヨーロッパにおけるキリスト教の機能を見出だすことはできず、「我が国にあって機軸とすべきは独り皇室あるのみ」との断を下します。「神」の不在が天皇の神格化をもたらしました。
    この伊藤の判断が、戦前においては天皇の神聖不可侵性に、戦後には日本国民の象徴へとつながっていきました。

    筆者は宮内庁参与として、象徴天皇を誠実に務められた平成天皇を間近で見てこられました。
    平成から令和へと時代は移っても、平和を願い国民の象徴を模索され続けた陛下の思いは大切に守っていかなければならないと再認識させてもらえた著作でした。

  • 途中で挫折しそうになったら、是非「あとがき」を読んで欲しい!

    筆者の目指す「青年期の学問」を経た「老年期の学問」について述べられており、その学問の大成として一般的なテーマについて〝総論〟を書き上げようと試みることが書かれている。

    また、かつて筆者が病を患った際に夏目漱石に触れたこと。
    大患期の漱石がウィリアム・ジェームズの『多元的宇宙』やレスター・ウォード『力学的社会学』を読み通し、批評までしていることに驚き、筆者自身も今回のテーマに繋がるバジョットの『自然学と政治学』を読んでみよう、と考える。
    こういう偶然の連なりってあると思うし、一冊の本を世に出す姿勢として、感動させられた。

    「序章 日本がモデルとしたヨーロッパ近代とは何であったか」
    「第一章 なぜ日本に政党政治が成立したのか」
    「第二章 なぜ日本に資本主義が形成されたのか」
    「第三章 日本はなぜ、いかにして植民地帝国となったのか」
    「第四章 日本の近代にとって天皇制とは何であったか」
    「終章 近代の歩みから考える日本の将来」

    バジョットの鍵概念「議論による統治」を下地に、自由なコミュニケーションの拡大としての「貿易」と、異質な文化とのコミュニケーションとしての「植民地」の二つの概念を抽出する。

    近代に踏み出した日本は、スタート地点から既に取り返せない程の差が付けられていた。
    そうして、社会的「機能」に重点を置き、国民をその「機能」を全う出来る労働者へと教育する。

    また、アジア唯一の植民地保有国となり、今日までその禍根は残るわけだが、西洋の遠く離れた植民地とは違い、日本のそれにはアジアという「地域主義」に目を向けられたものであった。
    それは冷戦時代には都合良く利用されるわけだが、今日のイスラム世界を見ていると、「国家主義」に席巻する力があるのではないかと考えさせられる。

    更に、西欧諸国におけるキリスト教を日本にはない「宗教システム」と見て、神の代理存在として「天皇」を象っていく。
    こうした「機能」だけを西欧に擬えても、そこに至るまでの時間や過程、つまり成熟?という部分を飛ばしてしまってもいる。
    明治維新で、日本が国として世界に存在意義を問うていかざるを得なくなったこと。
    この時代に生きる人達の、その切実さは胸に迫るものがある。しかし、歴史の流れが一つ断ち切られたように感じるものは何なのか。そこに、根本的な弱さが含まれているように感じてしまう。

    終章の問題提起も、面白い。

    「戦後日本は国民主権を前提とする『強兵』なき『富国』路線を追求することによって、新しい日本近代を形成したのです。……(中略)ところが『強兵』なき『富国』路線の自明性に根本的な疑問を投げかけたのが二〇一一年三月一一日に起きた東日本大震災と原発事故でした。」

  • 新書大賞2018年の第3位。
    第1位は先日読んだ『バッタを倒しにアフリカへ』で第2位は河合雅司さん『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』、この二つは僅差で、第3位以下に圧倒的に差をつけたそうです。

    しかしこの『日本の近代とは何であったか』は、
    有識者票だけのランキングにしたら、なんと第1位なんですって!
    有識者には『中央公論』に登場・寄稿する政治学者・経済学者が多く、その方たちが圧倒的に三谷さんの『日本の近代』を推していたそうです。

    内容は「政党政治を生み出し、資本主義を構築し、植民地帝国を出現させ、天皇制を精神的枠組みとした日本の近代。バジョットが提示したヨーロッパの「近代」概念に照らしながら、これら四つの成り立ちについて解き明かしていく」というもの。

    内容の素晴らしさもさることながら、著者がこの本の執筆を受けたのが出版の14年前で、10年前に大病を患い、12時間に及ぶ大手術と二か月の病院生活を経験、回復期に漱石の『思ひだすことなど』を読み、その姿を自身に照らし合わせ、バジョットを読み直し、無事にこの本を完成させたのです。

    三谷太一郎さんは現在81歳。
    そのあとがきを読んで、「有識者の皆さんは三谷さんの生き方にも共感しているのでは?」と思いました。
    私も、自分の身近の人を思い、物思いにふけっているところです。

  • 著者の三谷太一郎氏は、日本政治外交史を専門とし、東大法学部学部長も務めた政治学者・歴史学者。
    本書は、明治維新後の日本の近代化を、政党政治、資本主義、植民地化、天皇制という4つの切り口から考察したものである。尚、「近代」の概念については、19世紀後半の英ジャーナリスト・W.バジョットを引用し、「「慣習の支配」する「前近代」から、貿易と植民地化を変革要因として、「議論による統治」の確立したのが「近代」」としている。
    4つの切り口の主な分析は以下である。
    ◆政党政治・・・明治憲法下での体制原理ともいえる日本の立憲主義は「権力分立制」と「議会制」を基礎にしているが、幕藩体制の中に既に、「合議制」、「権力分散メカニズム」、「相互的監視機能」として、立憲主義を受け入れる条件が準備されていた。更に、明治憲法の特質であった分権主義的な体制を統合するためには、非制度的な主体の役割が求められたが、それは、藩閥と政党が自らの限界を認識した結果相互接近することにより、政党が幕府的存在化し、複数政党制が出現することになった。しかし、大正の終わりに本格作動した政党政治は、1930年代初頭には「立憲デモクラシー」から「立憲的独裁」に変質していった。
    ◆資本主義・・・明治維新後の日本は、外資導入に不利な不平等条約下にあったため、「自立的資本主義」に向かわざるを得なかった。それを可能にしたのは、①政府主導の殖産興業政策、②国家資本の源泉としての租税制度、③資本主義を担う労働力の育成、④対外平和の確保の4つであり、その「自立的資本主義」は、「消極的外債政策」、「保護主義的産業政策」、「対外的妥協政策」という特徴があった。日清戦争後~日露戦争時は、不平等条約の改正、金本位制の確立等を背景に、「国際的資本主義」に移行しつつ、外債依存度が増大したが、その後の世界恐慌、満州事変等により、各国で国家資本・経済ナショナリズムの台頭が起こり、国際的資本主義は崩壊した。
    ◆植民地化・・・日清戦争後、欧米の「自由貿易帝国主義(非公式植民地帝国)」に対し、まだ最恵国条款が得られなかった日本は「公式植民地帝国」を目指さざるを得なかった。満州事変後には、「帝国主義」に代わるイデオロギーとして「地域主義」が台頭してきたが、それは、「民族主義」の対立概念として、東亜新秩序を基礎付け、日本の対外膨張を追認・正当化する役割も担った。
    ◆天皇制・・・日本では、ヨーロッパ近代化の軸となる「キリスト教」に代わるものとして、「天皇制」が位置付けられた。「天皇制」は、聖俗が分離したヨーロッパと異なって、それらが一体化したものであった。天皇の「神聖不可侵性」は、明治憲法では明確化することはできず、「教育勅語」で明示する策をとった。太平洋戦争後は、教育勅語が廃止されるとともに新憲法が施行され、天皇制の役割は変化した。
    そして、これからの日本が進むべき道として、「重要なのは各国・各地域のデモクラシーの実質的な担い手です。また、デモクラシーにとっての平和の必要を知る「能動的な人民」の国境を越えた多様な国際共同体の組織化です。すなわち国家間の協力のもとに、市民社会間の協力を促進する努力が必要なのです」と結んでいる。
    日本の近代化を振り返るとともに、現在世界で進む「立憲的独裁」に対して、「立憲デモクラシー」を取り戻す必要性について考えさせる良書である。
    (2017年5月了)

  • 一般的には「遅れた閉鎖的な時代」と片付けられてしまう江戸時代の環境が、実は細かい合議制で成り立っており、そのことが「近代」としての明治時代の成立に大きな意味をもった、というのは面白かった。また、「幕府」的な存在を排除したことが、分立した権利のまとめ役の不在を生み、そのまとめ役として政党内閣が誕生した、という内容も興味深かった。
    最初の導入部が非常に難解なのがもったいなくは感じたけれど、論の展開を考えるとやむを得ないように思う。

  • 政党政治、資本主義、植民地帝国、そして天皇制。これらの成り立ちから浮かび上がる、日本近代の特質とは。バジョットが提示したヨーロッパの「近代」概念に照らしながら、日本近代のありようについて問題史的に考察する。【「TRC MARC」の商品解説】

    関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
    https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40257573

  • 読んでいて眠くなるので、寝る前に30分本書を読むと快眠出来た。
    途切れ途切れにしか理解は出来なかったけど、近大日本がどのように政党政治を立脚し、どのように資本主義体制を整えて、どんな風に植民地帝国へと進み、どんな風に天皇を位置づけてきたのかを知ることが出来た。
    大日本帝国時代の人はあんな無謀な戦争仕掛けてアホやなあと思ってたけど、当時もやっぱり自分の何倍も賢いインテリ層は存在して、当時なりに色々考えてたんだなあって思った。

    議論による統治 バジョット 慣習の支配からの脱却

    日本に政党政治が成立した経緯 政党政治の成立 江戸幕府からの受け継ぎ 天皇主権を確立するための権力分立 立憲的独裁に

    日本の資本主義導入 大久保利通の殖産興業化 不平等条約改正 対外平和 大久保暗殺
    自律的資本主義 松方正義 非外積依存 明治天皇 グラント大統領 条約改正 日清戦争 外積依存 高橋是清
    井上準之助 金解禁 国際資本主義 世界恐慌 自律的資本主義

    植民地主義
    軍人と文官の朝鮮半島統治を巡るせめぎあい
    美濃部達吉 植民地の法的位置づけ 憲法講和
    異法区域
    民族運動 同化政策 拓務省拓殖務省
    帝国主義から地域主義へ 戦後もアメリカによる地域主義が続いていた

    日本の近代において天皇制おは何であったか
    ヨーロッパ化という課題 機能主義的思考様式
    キリスト教の機能的等価物としての天皇制 グナイストは仏教を 君主観の違い
    教育勅語はいかに作られたか 国務大臣の副著が無い 政治上の命令では無い 立憲主義との整合性 神聖にして侵すべからず
    天皇側近vs官僚の対立
    中村正直vs井上毅 宗教性を入れるべきか 政治要素を入れるべきか

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著者プロフィール

三谷 太一郎
三谷太一郎:東京大学名誉教授/日本学士院会員

「2016年 『戦後民主主義をどう生きるか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

三谷太一郎の作品

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