- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004316916
作品紹介・あらすじ
西洋中世において最大の神学者であり哲学者でもあるトマス・アクィナス(一二二五頃‐一二七四)。難解なイメージに尻込みすることなく『神学大全』に触れてみれば、我々の心に訴えかけてくる魅力的な言葉が詰まっていることに気づく。生き生きとしたトマス哲学の根本精神の秘密を、理性と神秘の相互関係に着目して読み解く。
感想・レビュー・書評
-
四ツ谷のドンボスコだったか、書棚の上段の方にズラッと並べられた「神学大全」から発せられたまばゆい光彩は、幼少のころ図書館で分厚い聖書に心を奪われた経験を想起させた。
その著者がトマスアクィナスである事はいつの間にか知っていたが、手に取るには明らかに力量不足を自覚しており、しばらくは書棚を眺めて憧れるにとどまった。
それから数年が流れ、ある日YouTubeで神学大全全巻邦訳完了した出版記念の映像を発見。
「学問と出版 トマスアクィナス 『神学大全』全訳の歩み」
稲垣良典先生の朴訥で、穏やかな中に芯の強さをにじませるお人柄に惚れ込み、このエンゼル財団の動画は繰り返し視聴させていただいた。
その動画のひとつ、神学大全 全巻邦訳完成記念フォーラムの 「ダイアローグ みんなのためのトマスアクィナス 」の中に今回の「トマスアクィナス」の著者、山本芳久氏が質問者として登場する。
山本氏を知ったのはここが初めてであったが、その後雑誌 Nyx(ニュクス)で稲垣良典氏との対談を読み、信頼を深めたところに本著書の発売である。
本作の序にて、
「可能な限りの分かりやすさを心がけて執筆されている。
だが、分かりやすくするために、トマスのテクストに登場する分かりにくい概念や馴染みにくい要素を切り捨てるようなやり方は採用しない」
よって、天使も天国も登場するのだと氏は続けて書いている。
私はそこに真骨頂があるのだと思ったのだ。
新書はとかく軽く読める、あくまでもザックリとかかれた、本編における案内書程度の位置付けだと認識されがちだが、この本はしっかりと歯ごたえがある。
その歯ごたえが心地よい。
難解なモノは難解なまま、読者は分からなければ何度でも読み返して考えたら良い。
ほかの本など読んだ後、また手を取り読み直し、または神学大全そのものに挑戦してみたり。
私は山田晶氏 責任編集の世界の名著20「トマスアクィナス 」や稲垣良典先生の「トマスアクィナス 」も読みつつ、時間をかけ、合間、若松英輔氏との共著である「キリスト教講義」を読んだり、出版記念イベントで直接お二方のお話を聴かせていただいたりしながらじっくり読ませていただいた。
それだけ時間をかけてじっくりと取り組んで読むだけの価値のある一冊である。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
中世スコラ哲学の大御所、トマス・アクィナスの入門書。アリストテレス主義者として知られるトマスの、思想のポイントを、いくつか説明していますが、素晴らしい。トマスが素晴らしいのか、著者の山本さんがすばらしいのかわかりませんが、読ませます。
そして、神学大全読みたくなります。
多少キリスト教の知識と、アリストテレス哲学の知識があった方が良いですが、基本的には古き良き新書らしい概説、そして道標といった本です。こういった新書が減ってきて辛い。 -
アリストテレスとアウグスティヌスを結び付けたと理解されているスコラ哲学の大家トマス。やはり難しい本だった。経験と理性に基づき、「神の啓示」を認めないキリスト教の世界観と両立しないように思われるアリストテレスの哲学(倫理学)に洗礼を受けさせたようなものとの著者の説明が適切な譬えのようで、面白い。しかし、「神が降ってきて人間との積極的な交流を求めている」との考えはトマスという人が思っていたよりはプロテスタンティズムとは遠い存在でないことは解ったように思う。しかし理性と信仰を対立的に捉えるのではなく、絶妙な仕方で統合されているとのこと。理性で神を認識できるのか!とのテーマは重要な論点だと思うので、安易に賛成できないとの警戒心で最後まで読んだ。「希望のない、信仰のないキリスト自身」との表現はドキッとさせられるが、完全な存在であるキリストには不完全な在り方は必要がないからとの説明を見て、理解した。いずれにしても論理先行の考えの人のようだ。
-
本屋でタイトルに惹かれて衝動買い。キリスト教嫌いが多いこの国では珍しい「神学者トマス・アクイナス」の入門書である。一般には無視されがちな「神」や「天使」の問題にも正面から扱っているところに好感が持てる。個人的には特に第三章の「徳論」は大いに知的刺激を受けた。近代のカトリック思想に大きな影響を与えた神学者であるだけに、”カトリック入門”としても読める一冊だと思う。
-
岩波新書で読んだ『ルター』と『アウグスティヌス』がよかったので、これも間違いないだろうと思って買ったらやはり間違いなかった。
理性、感情、意志よりも知性を重んじる、アクィナスの考える信仰する態度の考えがとてもわかりやすく書かれている。そして「信仰」とは?「信じる」とはどういうことか?「希望」とはなにか? という神と自分自身の存在の仕方へのアクィナスの考えもわかりやすい。
また、力、愛、自己肯定という日常的な感情や思考についての記述が多く、現代の例えも多くとにかく読みやすかった。
ざっと読んでしまったので、そのうちにもうすこし時間をかけて再読したい。
https://twitter.com/prigt23/status/1132951624492564480 -
『二コマコス倫理学』を読みたくなる
-
キリスト教と言っても長い歴史の中で変遷がある。
その中での積み重ねを知ることは今でも十分に意味のあることだろう。
トマスは中世の神学者として活躍した人物である。
宗教改革などをしたわけでもないし、黎明期になにかを決定づけたわけではない。
しかし、それでもなお彼の主著である「神学大全」は偉大な達成である。
本書はそれを中心に、どのようにトマスがキリスト教を整理しようとしたか確認する。
親鸞の教行信証の時でもそうであったが、
大きな遺産に対して敬意を払いながら発展的に展開する時の
「引用」および「編集」というのは現在よりも輝きをもった手法に見える。
テクノロジーはどうもこれらに手垢のついた印象を与えてしまう。
アカデミズムも本来はそうした手法を尊ぶものだが、時代につれて変遷はするだろう。
それはさておき、キリスト教に
ギリシャ哲学を接続していく流れはなかなか読ませるものがあり、
「善き生きる」ことを率直に肯定する教義へとつながっていくのは
キリスト教に対する認識を少し改めるところがあったように思う。
あるひとつの教義からプリズムように生み出される解釈は
宗教というものの多様性、および豊かさを感じさせてくれる。
>>
キリスト教の修道者が性的快楽から距離を置いた純潔な在り方をするのは、性的事柄が醜いことであったり、善からぬことであったり、価値のないことであったりするからではない。正反対だ。善いものであり、価値あるものであるからこそ、それを犠牲にしてまで神にすべてを捧げて生きるところに意味が見出されているのである。(p.97)
<<
なるほどね。
>>
キリスト教の思想史とは、単に、イエス・キリストによって与えられた「答え」を歪めることなくありのままにそのまま受け継いでいくようなものではありえなかった。キリストによって与えられたのは、「答え」というよりは、むしろ、「神秘」だったからである。(p.229)
<<
前半はむしろ神秘主義者であるよりも人間理性や自由意志が強く打ち出されている一方で
キリスト教の根っこに神秘そのものが埋め込まれているというのはとても面白い。
なぜ私が生まれたのかということを考えるのを代替させてしまうような「神秘」だろう。 -
東2法経図・開架 B1/4-3/1691/K