近代日本一五〇年 科学技術総力戦体制の破綻 (岩波新書 新赤版 1695)

  • 岩波書店 (2018年1月22日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (320ページ) / ISBN・EAN: 9784004316954

みんなの感想まとめ

明治期から戦後に至るまでの日本における科学技術の導入と発展の歴史を、政治や経済、社会の変動と交差させながら描いた本書は、近代日本の複雑な側面を浮き彫りにします。福沢諭吉の思想を背景に、国家主導で進めら...

感想・レビュー・書評

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  • 本書は明治期から戦後に至るまでの日本における科学技術の導入と発展の歴史を、政治・経済・社会の変動と交差させながら描く。西洋流の科学と技術が明治期に一気に流入した光と影を理解するのに役立った。

    福沢諭吉の「文明=工業と商業の発展」とするに思想に象徴されるように、近代日本では欧米に追いつく手段として科学技術が強く意識され、国家主導での導入と制度化が進められた。しかし西洋で科学と技術はもともと別の営みだ。学はなくても腕のある技術者が蒸気機関を発明した。後に「科学技術」として結びつけられたにすぎない。もう一方の鍵は電気をはじめとするエネルギー。これも日本は一気に会う勢を追い上げる勢いで整備を進めた。

    明治期の職人的発明家の話は読んで心躍る面はあるが、時代の要請は軍事主導の技術開発だ。さらに帝国大学の研究者が自然に軍と連携していた実情など、科学と国家の密接な関係性が全体を通して描かれる。特に戦時体制下では、科学動員が自由な研究環境を保証し、戦後にはその人材と技術が高度成長の礎となったという指摘は説得的。原爆はじめ科学の力でアメリカに負けたことで、自動車や鉄道などの技術者が移る転換点を迎える。

    戦争が社会を近代化し、技術の基盤を作ったという逆説的構図は、単なる「戦争=悪」の図式に収まらない現実を浮かび上がらせる。

    原爆開発に携わった仁科芳雄の葛藤や、岸信介の「潜在的核武装」論なども、科学と倫理、政治の交錯を象徴する事例だ。それは福島現場事故につながると筆者は説く。

    全体として、いわゆる科学技術の導入が日本の近代化に果たした役割と、科学の価値中立の難しさ、そしてその代償とを深く考えさせられる一冊だった。

  • 明治維新から150年。日本的近代化を一貫した流れとして捉え、惹起した歪みを必然と論証する労作。戦後社会も国家総動員体制を引きずっているという指摘は重要。山本氏が問題の柱に据える科学技術なる言葉も近代特有の概念です。科学は元来、自然の真理を探究していましたが、技術という言葉が付き資本主義の道具と成り果てました。限りなき成長を神話とする近代は限界を見せています。今こそ、歪んだ富の偏在を正すポスト近代たる理念の確立が待たれます。

  • 難しくて…

  • 明治維新以降、科学技術総力戦体制を、見え方が違えどずっと繰り返していることを認識させられました。福島第一原発の事故が「科学技術の進歩によってエネルギー仕様をいくらでも増やすことができ、それにより経済成長がいくらでも可能になるというようなことがありえないことを示した」という著書の指摘に感化されざるを得ないです。

    拡大・成長の追求が必ずしも人間の幸せや精神的充足をもたらさないこと を我々がより強く感じ始めている、、、 という広井氏の引用も感覚的に同意。

    低成長下での民衆の国際連帯の追求 は、斉藤先生の人新世時代のコミュニティ社会の実現に繋がるのか?

    低成長下の日本でどう共感を呼べるか?一度大きな失敗、価値観の大転換的打撃を受けないと無理か?そうなったらそうなった時に、再び潜在的強者の官産学が総力戦的発想で社会を復興させようとするのか?虐げられるのは知識と富のない弱小たる小市民なのか? 堂々巡り、、、

    ただ、この度の選挙結果を違う角度で見られ、今後の展開を予見できる知識を得られたことは、大きな収穫。

    問題意識の高いヒトにオススメしたい素晴らしい新書と思います。

  • <全共闘時代の問いを50年間持ち続ける、頑ななまでに生真面目な男のメッセージ>

    著者は東大安田講堂に立てこもった元全共闘委員長。
    物理学者としての輝かしい人生を棒に振り、駿台予備校のカリスマ講師を務める傍ら、「磁力と重力の発見」と言う科学史の大著をものした在野の研究者。

    本書では、日本近代150年の科学技術史を辿ることで、学術が担っている歴史的存在被拘束性を実証的に暴く。
    学術も決してwelifrei(価値自由)ではなかった。

    明治から現代に至る近代150年の科学技術は、独立維持と国内統治のための富国強兵、海外進出のための軍事強化によって発展して来た。
    モデルとなったのは、ドイツで発明された空気窒素固定法。
    資源のない日本の近代科学にとって、空気から窒素を取り出す「錬金術」こそ理想の技術だった。

    順調に発展を遂げて来たかに見えた日本近代科学は原子力発電の事故という科学技術のオーバーランによって<国富>概念の根本的転換を迫られることになった。
    原発の持つ<不都合な真実>が明らかとなり、原発推進を担って来た東芝は崩壊、増殖炉の不可能性が白日の下に晒されることになった。
    この状況にあって安倍政権(当時)には、「潜在的核兵器を持ち続けるのか」という問いが突きつけられていると述べる。

    本書は、全共闘時代の問いを50年持ち続ける頑ななまでに生真面目な男のメッセージと言える。

  • 科学と技術という視点で近代日本を振り返った一冊。
    科学技術という言葉にあるように、日本人には科学と技術を混合してしまっている人が特に多い。その理由を歴史的な背景から分かりやすく説明してくれる。

  • 岩波新書
    山本義隆 近代日本150年


    近代の軍事技術や戦後の原子力開発など 国策と結びついて発展した科学技術を批判した本


    近代批判というより、現代の原発批判の元に 近代の国策と結合した科学技術の姿を見出して 批判の対象としている


    戦後の原子力開発を いつでも核武装できるという意味で、潜在的軍事力として位置づけ、近代の軍事技術の流れを引き継ぐという論調


    科学者が政府の言いなりになったことや、科学技術が 日本を大国化させたこと の責任を問うのは無理があると思う









































  • ふむ

  • 502-Y
    閲覧新書

  • 日本の技術開発の経緯がどのような積み重ねや研究土台・開発環境の下で今日に至っているのかをまとめてくれており、過去から現在に至るまで研究開発の成果が実際に戦争、政治、搾取等に利用されている現実に対して強く問題提起している一冊である。

    技術開発は恩恵を生み出したその一方、兵器、原子力問題、自然破壊、利権等、多くの損害を生み出していることは理解しておくべき良識である。なのにソーシャルメディアからの発言を見る限り、現代人でそれを理解できていない人というのが随分と多い気がしてならない...。

    産業革命からたった150年でこの技術進化...、自分は死んでるけど100年後の地球がちょっと心配な感じが少しあるかな...。

  • 黒船到来から始まった近代日本は2018年に150年を迎えた。本書はその歴史と2011年の福島第一原発事故での科学技術幻想の終焉を描く。日本がこれから取るべき方向はどこなのか。

  • 明治から現代にかけて、科学研究体制がどのように・誰に担われてきたのかを史料や関連著作から読み解く本。科学と広い語が使われているけど、工学、物理学を中心に、重工業系の産業との関係性がメイン。医学・生物学は本書の範囲外。
    経済発展のちに戦時の富国強兵を目的に、政府主導で作られてきた体制が、福島原発事故などをきっかけに破綻しつつあるとの指摘がされている。
    「科学盲信」という表現がされているのだけど、科学を発展させることで国富がかなうと、「国富」とはなんなのかを省みなかった。それが公害や原発事故につながっていると。
    だからといって科学研究の推進を否定するものではないと思うのだけど、研究倫理やリベラルアーツに目が向けられるべき時代になっているということなのかと解釈しました。重工業産業からの切り口がメインなので、もう少し別の角度からも見てみたいかも。

  • 評価が難しい本。戦時中までは概ね肯ける内容だが、戦後それも最近になるほどイデオロギー色が強く、プロパガンダになる。
    戦前戦中の話は初めて知ったが興味深い。科学者が戦中が最も良かったと評価しているのは有名だが、科学振興体制がその頃に出ていたとは知らなかった。
    著者の評価軸は二つあり、戦争⇔平和、合理的⇔封建的となっているが、戦争までは戦争平和を問わず封建的で人民を搾取、戦中は合理的な面はあるが戦争しているとして、兎に角否定している。
    一方、戦争中に科学や工業が進んだこと、平等化合理化が進んだこと事実はしっかり書かれている。特に平等、各個人の尊重が進んだことは、戦争という非常時でなければ起こらないのではないのかということを考えさせる。
    いずれにせよ、戦争の効果意味をもっと深堀りしてもらえれば面白いものになったと思う。

  • 戦後の高度経済成長の核となるものが「戦時中」にある、というのが一番インパクトが大きかったかな。具体的には1942年の食糧管理制度、1938年の国民健康保険法。戦争するには合理的な編成が必要となり、貧富の格差は是正され平等化・一元化される。これが戦時動員体制であるが、実はこの体制と福祉国家体制は類似しているのだ。


    士族を由来とする技術エリートは、江戸時代から続く「職人」とは別格におかれ、軍事技術の必要性から特権的立場を得るようになる。学徒出陣で文系の学生は戦地に送られたが、理系の学生の多くは出陣を免除されていた。敗戦直後、科学者の内部からその反省は語られず、「科学戦で敗北した」という戦争指導者による口実から、敗戦の受け入れをすり抜けているのである。


    平時とは来るべき戦争の準備期間であり、敗戦により軍隊はなくなったものの、総力戦思想は継続し科学研究や技術開発を推し進めることになった。そしてその契機となったのが、朝鮮戦争やベトナム戦争による特需(沖縄への米軍基地の押しつけなど、またしてもアジア人を踏み台にしている)であり、総力戦体制を維持することになった。その最たるものが「原子力」である。




    なぜ1億総中流時代となったのだろう?と思っていたが、実は「戦後」の性質ではなく「戦時中」  をどんどん膨らませていったものだったのだ。

  • 知識量がすごい。本書では特に、各章のまとめ方が予備校講師だけあってうまい。
    「福沢(諭吉)自身、その過大な科学技術幻想にとらわれていたのであり、その幻想は以降150年にわたって日本を呪縛することになる」
    「(滝川事件や天皇機関説論争を経て、)天皇や国体を盾にとれば、どんな不条理もまかり通る時代になっていったのである」
    「科学技術の急速な振興と、それによる急ピッチの生産拡大は、その背後でつねに弱者に対する犠牲をもたらしてきたのである」
    「憲法改正が日本を戦争の出来る国に導くのに加えて、軍需産業の重視は、それをこえて日本を戦争を望む国へと誘うことになる」
    自由世界で米国に次ぎGNP2位になったのが1968年、その後の日本丸のかじ取りを冷静に分析して、評価&反省することにも意味がある。

    著者プロフィール:
    1941年、大阪に生まれる。1964年東京大学理学部物理学科卒業。同大学大学院博士課程中退。現在 学校法人駿台予備学校勤務。
    著書『知性の叛乱』『重力と力学的世界』『演習詳解 力学』(共著)『新・物理入門』『熱学思想の史的展開』『古典力学の形成』『解析力学』(共著)『磁力と重力の発見』(パピルス賞・毎日出版文化賞・大佛次郎賞)『一六世紀文化革命』『福島の原発事故をめぐって』『世界の見方の転換』『幾何光学の正準理論』『原子・原子核・原子力』『私の1960年代』『近代日本一五〇年』(科学ジャーナリスト賞)『小数と対数の発見』(日本数学会出版賞)。
    編訳書『ニールス・ボーア論文集(1)(2)』『物理学者ランダウ』(共編訳)。
    訳書 カッシーラー『アインシュタインの相対性理論』『実体概念と関数概念』『現代物理学における決定論と非決定論』『認識問題(4)ヘーゲルの死から現代まで』(共訳)ほか。
    監修 デヴレーゼ/ファンデン ベルヘ『科学革命の先駆者 シモン・ステヴィン』中澤聡訳ほか。

  •  もうそろそろエネルギー政策をはじめとして無批判に科学技術を享受するだけではいけないとぶっといメッセージが伝わって来る。

     日本は、明治維新以後、西欧の科学技術を輸入し、帝国主義を背景に軍事力を高め、日清戦争や日露戦争を通じて自らの科学技術に自身を深めた。
     その後日本は、大陸の植民地化を推進し、さらに無謀な太平洋戦争へと突き進み、2発の原子爆弾で降伏を選択した。
     この間、西洋の科学技術を取り入れるため、多くの科学者や理系の技術者を育成するとともに、軍事産業につながる産業の育成にも尽力していた。
     産官学の総力戦は戦後になっても、経済戦争にとって変わっただけであり、戦前戦中に育成した技術者等が自己批判のないまま民間会社に流れ、さらに公害が織り込み済みの経済戦略が押し進められ、朝鮮戦争やベトナム戦争の特需を背景として、奇跡の高度経済成長を成し遂げてきた。公害においては高尚とされる専門家の根拠のない見解が行く手をはばんだ。
     さらに、自身を深めた日本は、安全根拠のない原子力政策を押し進め、さらにフクシマその他の事故を発生させてもなお、その方針を変えようとしない。

  • 2020/2/8購入
    2021/7/5読了

  • 著者の名前は団塊世代には様々な事象を想起させる.p236に次のような総括がある.「明治から大正にかけての経済成長、すなわち富国化・近代化は、主要に農村の犠牲のうえに行われ、昭和前期の大国化は植民地と侵略地域の民衆の犠牲のうえに進められたのだが、戦後の高度成長もまた、漁民や農民や地方都市の市民の犠牲のうえに遂行されたのである.生産第一・成長第一とする明治150年の日本の歩みは、つねに弱者の生活と生命の軽視をともなって進めてきたと言わざるをえない.」第6章以降は小生の記憶と合致する部分もあり、さらに筆者の筆も佳境に入った感じで的確な視点で問題を暴き出しているのが、非常に面白かった.戦時中に優遇された科学者が他の分野で戦後に出てきた戦争責任の問題を無視あるいは軽視して、そのまま高度成長期に突入したことを厳しく指摘している.このような発想が公害を隠蔽してきた科学者の行動に繋がったという論考は傾聴に値するものだ.

  • 明治から始まる歴史の流れを科学技術に絞って展開
    原発を推進する、核不拡散条約に同意しないスタンスの人達が持っている思想や背景をイメージする助けになる

    経済成長を目指すべきかそもそも違う視点を見出していくのか。
    いろんな意見はあるけど国を国民一人ひとりと見るのか俯瞰して国という記号を見るのかによって考えは大きく変わる。自分は前者でいたいが後者にも共感してもらえる話を展開できるようになりたい

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著者プロフィール

山本 義隆(やまもと・よしたか):1941年、大阪府生まれ。東京大学理学部物理学科卒業。同大学院博士課程中退。科学史家、駿台予備学校物理科講師、元東大闘争全学共闘会議代表。著書に、『重力と力学的世界』、『熱学思想の史的展開』、『古典力学の形成』、『磁力と重力の発見』、『一六世紀文化革命』、『世界の見方の転換』、『小数と対数の発見』、『解析力学Ⅰ・Ⅱ』(共著)、『幾何光学の正準理論』、『近代日本一五〇年』、『ボーアとアインシュタインに量子を読む』、『私の1960年代』、『核燃料サイクルという迷宮』、『物理学の誕生』ほか多数。訳書に、カッシーラー『実体概念と関数概念』、ニールス・ボーア『因果性と相補性』『量子力学の誕生』などがある。

「2025年 『物理学の発展 山本義隆自選論集Ⅱ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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