内村鑑三 悲しみの使徒 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004316978

感想・レビュー・書評

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  • 私にとって難しい本で、一読ではちゃんと感想を書けない‥ていうのが本音。でもまた読みたいし、ちゃんと感想を書けるようになりたい。
    心に残った一文を。
    「死とは、肉の次元においては別離だが、心の次元においては新たな交わりの始まりになる」

  • 序章 回心
    第1章 入信
    第2章 死者
    第3章 非戦
    第4章 再臨
    第5章 訣別
    第6章 宇宙

    著者:若松英輔(1968-、糸魚川市、批評家)

  • 帯に「その霊性はいまも響きつづける」とあるとおり。内村鑑三の言葉を読めば読むほど、その深さが静かに心に染みいる。

    第6章「宇宙」の章の最後に著者が
    「彼はやはり、遅れてきたイエスの直弟子である使徒のひとりだったのではないだろうか」と記している。その言葉に心が震えた。その通りだと私も思う。

  • 著者が昔日経に連載していたコラムが魅力的で、手に取った一冊。本書を読んでも内村鑑三が何を成し遂げたかはわからない(勉強不足でごめんなさい)けれど、様々な切り口で内村鑑三や携わる人々の霊性(著者のキーワード?)には触れられた気がする。本書で書かれた時代と比較して、現代は宗教が力を失った(少なくとも日本では)ことを実感。

  • 内村鑑三はどういう人だったのか。
    何冊も手に取って、読み終えたのはこの本一冊だった。
    内村の言行録を読むべきかと思ったが、近づいて何も見えなくなるよりも、他者の目を通して形作ったほうがよいと思われたので、この本を手に取った。

    内村は無教会の伝道者なんだなと感じた。その言動は多くの人のこころを揺り動かし、さまざまな分野に影響していった。その影響力に戦くと同時に、危機感を感じた。触発されたら最後といったところか。やはり言行録は読まない方がいいと思った。

  • 内村鑑三の大きさは十二分に分かった。かのような人の下で、感化を受け、生を全うできた弟子は幸いである。

    祈りと願い、主義の無二性、再臨(信仰観は違えども、『おらおらでひとりいぐも』との親近感あり)に読みどころがあった。

    彼は聖書を実際にどのように読んだのか。次はそこに興味が移った。

  •  どんな宗教であっても、一つの宗教を「信ずることは非常なことである。一生涯の熱血を濯いだものでなければこれを信ずることはできない。たとえわが宗教でないにしろ、その人がその宗教を信ずるということは容易のことではない。たとえ幾ら欠点があろうが、声を極めて異教の人を罵り合うことはお前たち決して為てはならない」といったというのである(日蓮)。(p.46)

    「教育の精神とは、真実と耐忍と勉励とをもって体中に秘蔵せられ居る心霊を開発するにあり、教育の目的必ずしも学生に衣食の道を授くるにあらず」(p.57)

    「愛するものの失せし時」の最初に内村は、これまで自分は死を知っているつもりでいた。それは生物の生命活動の停止を意味すると思っていた。また、死と死後のあり方をめぐって人々の前で講演をしたこともある。しかし、愛する者を失い、それが、まったく次元の異なるものであることを、身をもって知った、と告白する。
     また、「生命は愛なれば愛するものの失せしは余自身の失せしなり」、生命とは愛それ自身である、愛する者を失うことは己を失うに等しい、と内村は書いている。ここに一切の誇張はない。彼は伴侶を失い、ある時期、自己を見失うほどの悲痛のなかに生きねばならなかった。(p.76)

    「精神の世界のなかで宗教的なものの占める位置が大きいことは今さらいうまでもないことであろう。宗教というものを、既成宗教や宗派の枠にとらわれずに、競技や礼拝形式などの形をとる以前のもの、またそれらを通してみられるもの、つまり、目に見えぬ人間の心のありかたにまで還元して考えるならば、それは認識、美、愛など、精神の世界のあらゆる領域に浸透しているように思われる」(p.107)

     石牟礼は「生類」という言葉を、人間だけでなく生けるものすべてを包含する言葉として用いる。彼女にとって公害は、人間が人間に対して行なった存在への冒涜に映った。
     それは内村も変わらない。石牟礼と内村は、公害問題において共振するだけでなく、いのちの世界観ともいうべき地点で深く交わる。真の意味の「生類」の復活、この地平において二人は深く交わる。(p.132)

    「君は基督信者ならざるも、世のいわゆる愛国心なるものを憎むこと甚だし。君はかつて自由国に遊びしことなきも、真面目なる社会主義者なり。余は君のごとき士を友として有つを名誉とし、ここにこの独創的著述を世に紹介するの栄誉に与かりしを謝す。(「『帝国主義』に序す」『帝国主義』岩波文庫)(p.136)

    「戦争は人を殺すことである。そうして人を殺すことは大罪悪である。そうして大罪悪を犯して、個人も国家も永久に利益を収め得ようはずはない。世には戦争の利益を説く者がある。然り、余も一時はかかる愚を唱えた者である。しかしながら今に至てその愚の極なりし
    を表白する。(「戦争廃止論」)(p.138)

     祈りの歴史のほとんどは、言葉として記録されない。祈りの言葉は残っても、人が心のなかで行なった祈りの記録が年譜に刻まれることはない。
     思想史は文献をたよりにさかのぼることができる。精神の場合も射程を文字から絵画、音楽、あるいは民俗学や科学にまで広げて考えることができるだろう。しかし、再臨信仰のような霊性の歴史を考える場合、私たちは沈黙のうちに行われる、ベルの祈りのような動きをどこかで感じながら考えを深めていかなくてはならない。語られざる出来事を文字の彼方に見ることが求められる。(p.166)

     無教会、と内村がいうときの「無」は、そこに何もないことを指すのではないだろう。それは英語でいうnon-churchというよりも既存の教会のあり方を超えて、beyond-churchと理解した方がよいように思われる。(p.209)

     内村がいう「十字架」とは教会に掲げられた十字架ではない。内なる十字架である。それは人間が、自らの生でわずかながらでもイエスの受難を引き受けつつ、生きることを指す。それは他者の誤りを批判することよりも、その痛みを引き受けようとすることであり、罪を裁くことではなく、その罪を贖うことだった。内村にとってのイエスの生涯とは、神による「贖い」の奇蹟の実現にほかならない。
    「贖い」とは、神が人の罪を引き受けることを指す。イエスによって罪が贖われることによって人ははじめて神との関係を結び得る、それを信じ、体現すること、それが自分が全生涯を賭して試みたことだったというのである。(p.214)

     人は通常、この世の王、この世の法に従って生きる。内村にとって信仰とは、その「この世」の現実を包み込む「霊の世界」を発見することであり、その王であるキリストに従うことにほかならなかった。非戦、無抵抗主義、文化の独立、あるいは永遠の生命といった問題も「霊の世界」における真実であり、彼はそれを「この世」の常識にだけ従って生きるものたちに伝えようとしたのである。(p.232)

     聖書を読むとは「直接に神に教えられ」ることであると内村はいう。それは神の声ならぬ「声」を聴くことでもあっただろう。また、隠れたものの姿を見た者の言葉が、従来の見解と異なるのは当然の理で、そこに「独創的見解」があるのはむしろ自然なことだという。(p.240)

    「聖書は過去における活けるキリストの行動の記録なり、しかしてわれらは今日彼の霊を接けて、新たに聖書を作らざるべからず。古き聖書を読んで新らしき聖書を作らざる者は聖書を正当に解釈せし者にあらず。聖書はなお未完の書なり、しかしてわれらはこれにその末章の材料を供せざるべからず」(p.253)

  • 【新着図書ピックアップ!】
    ICU図書館には、内村鑑三記念文庫があります。そこには内村鑑三の著作をはじめ、内村に関する研究書がありますが、新しい書籍が入りました。内村の生涯や言葉をたどり彼の思想を読み解きます。あたらめて内村鑑三記念文庫を訪れてみてはいかがでしょうか。

  • 東2法経図・開架 B1/4-3/1697/K

  • 18/01/27。

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著者プロフィール

1968年新潟県生まれ。批評家、随筆家。 慶應義塾大学文学部仏文科卒業。2007年「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選、2016年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』(慶應義塾大学出版会)にて第2回西脇順三郎学術賞受賞、2018年『詩集 見えない涙』(亜紀書房)にて第33回詩歌文学館賞詩部門受賞、『小林秀雄 美しい花』(文藝春秋)にて第16回角川財団学芸賞、2019年に第16回蓮如賞受賞。
近著に、『ひとりだと感じたときあなたは探していた言葉に出会う』(亜紀書房)、『霧の彼方 須賀敦子』(集英社)、『光であることば』(小学館)、『藍色の福音』(講談社)、『読み終わらない本』(KADOKAWA)など。

「2023年 『詩集 ことばのきせき』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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