後醍醐天皇 (岩波新書 新赤版 1715)

  • 岩波書店 (2018年4月23日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784004317159

みんなの感想まとめ

歴史的な視点から後醍醐天皇の生涯を探る本作は、彼が日本の歴史に与えた影響を深く掘り下げています。天皇としての彼の親政の理想と、当時の武士たちが求めた政治体制との間に存在した大きなギャップが、建武の新政...

感想・レビュー・書評

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  • 平成から令和に元号が移り変わったこんにち
     天皇の中でもこの後醍醐天皇も日本の歴史に影響を与えた人物の一人ではないでしょうか。
    儒教などやいろいろなことについて趣味多彩で勉強熱心であり、鎌倉幕府の倒幕の企ての張本人、足利尊氏との決別により南朝・北朝の二つに天皇が別れて動乱が起るなど慌ただしい人生を生き抜いてきた人物である。

    今後も研究されていくことだと思います

  • 後醍醐天皇の目指した親政、足利氏を筆頭に武士が望んだ政治体制、それぞれに大きなギャップがあったことが建武の新政が瓦解した理由である事は理解していたが、天皇と臣下である貴族との間にも乖離があった事は知らなかった。
    さらにこの時代に興味が深まった。

  • 大覚寺統の亀山法皇の死、後二条天皇の急逝、その子邦良親王の病弱などの偶然が重なって、尊治親王(=のちの後醍醐天皇)に皇位継承の可能性が巡ってきた。
    おりしも時代は宋学が流行したとき。モンゴルの侵攻による南宋の衰退で、蘭渓道隆や無学祖元が来朝していた。
    後醍醐天皇が理想とした新政は、宋学に裏付けられた中央集権的な政治だった。天皇とその官僚機構にすべての権力を集中させる統治形態である。それは逆に言えば、門閥や家格の序列を解体するような人事であった。そんな後醍醐天皇のイデオローグとなったのが、日野資朝や日野俊基といった、宋学を修めた中流以下の貴族層だった。
    天皇は身分や序列が無化される場として無礼講を開き、討幕の謀議を重ねる。大学時代内部の後醍醐派・邦良派の対立からスタートした正中の変(1324年)は倒幕計画に加わった土岐頼員が密告して失敗。日野俊基は鎌倉に拘禁されたあと、すぐに釈放されたが、日野資朝は佐渡へ流罪となった。
    31年、再度の倒幕計画が露見(元弘の変)。笠置山の戦いで敗れた天皇は、隠岐に流される。日野俊基は鎌倉に送られて斬首、資朝は佐渡で処刑。幕府が送り込んだ足利高氏は反旗を翻して六波羅を攻略、新田義貞は鎌倉を攻略。鎌倉幕府の滅亡である。
    天皇の新政は、平安後期以降の貴族の既得権を打破し、天皇が臣下を介さずに人民に君臨するものであった。だが、その理想は14世紀の日本の政治的現実を前に挫折せざるを得なかった。

  • <目次>
    序    帝王の実像と虚像
    第1章  後醍醐天皇の誕生
    第2章  天皇親政の始まり
    第3章  討幕計画
    第4章  文観弘真とは何者か
    第5章  楠正成と「草莽の臣」
    第6章  建武の新政とその難題
    第7章  バサラと無礼講の時代
    第8章  建武の「中興」と王政復古

    <内容>
    学習院大教授。日本文学・芸能論が専門だが、後醍醐天皇を身贔屓的にしている気がする。ただ時代背景として「バサラ」とかよくわかった。特に佐々木道誉。第8章は江戸から明治期の情勢をまとめているが、現代と後醍醐を結びつけるのにも違和感が…

  • 16頁の天皇系譜図にしおりしておくと便利ですー。

  • 逃げ上手の若君を読んで室町時代に興味を持った。本書での後醍醐天皇はもっとまともな人物像で、これまでの後醍醐天皇像は異形の王権みたいなオカルティックなイメージは払拭される。

  • 鎌倉幕府を倒し、建武の新政を行ったものの3年足らずで後醍醐天皇の政権は崩壊。

    反旗を翻した足利尊氏の擁立した京都の北朝に対して、奈良吉野で皇位の正当性を主張、南北朝が並び立つ動乱の時代へ。

    1338年、後醍醐天皇は志半ばで非業の死を遂げる。

    骸は奈良の吉野に朽ちぬとも、魂は京の空を見つめ続けると言い残し、激動の人生の幕を閉じることになった。

    当時においても、後世においても、賛否両論のある君主である。

    後醍醐天皇は、伝統的な門閥貴族の合議による政治を否定。

    天皇が一君万民の専制君主として強力なリーダーシップを発揮する政体を目指した。

    未来の新儀を創出する意欲を持った後醍醐の政治方針は、既得権益を世襲的に保持し続けてきた上級貴族の利害や貴族社会の慣習と相容れず、武士のみならず公家社会内部でも天皇の政治を批判する声は少なくなかった。

    また、武家の欲する所領安堵に功のなかった建武政権には足利尊氏は参加しておらず、御家人の意向を背に足利尊氏は武家政権の復活を目指して立ち上がったのであった。

    後醍醐天皇の一君万民の政治構想は、のちに国民国家の建設を目指す明治政府の「国体」のイデオロギーに取り入れられ、大日本帝国の政治を呪縛した。

    また、天皇の存在は、現代を生きる我々の慣習や規範に影響を与えている。

    個性や自分の意思を表現することより、コミュニティ内での公平・平等・均等を良しとする暗黙の空気は、後醍醐天皇の目指した一君万民の政治的イデオロギーによって支えられたものかも分からない。

    天皇という存在自体が、今後も変化していく歴史的な存在なのだなという感想を持ちました。

  • ふむ

  • 仕事の参考資料につきななめ読み。
    歴史学の最新研究を踏まえた概説かどうか、後醍醐天皇についての最新研究の成果を知りたいという点においては、慎重にならなければいけないかもしれない。
    そうではない部分としては、面白く読める内容であった。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/706094

  • 岩波新書 兵藤裕己 「 後醍醐天皇 」

    網野善彦「異形の王権」論への反論も含めて、後醍醐天皇を評価した本。中世史の概要もまとまっていて、とても読みやすい。

    悪党や非人を軍事力として利用したり、後醍醐が自ら法服をつけて 真言密教の祈祷を行ったりする行為は 後醍醐が聖徳太子に傾倒しているだけであり、異形とは言えないという論調。一理ある。

    南北朝の動乱
    *鎌倉幕府滅亡→足利尊氏が 後醍醐天皇から離反→南北朝の対立
    *南朝(天皇による政治を目指す後醍醐天皇)と北朝(武家による政治を目指す足利尊氏)
    *血縁、地縁の共同体の仕組みが変わる→血縁、地縁によらない人の結びつき→一揆、一味同心
    *人や土地の支配と従属の関係の変化
    *女性やマイノリティーの地位の変化、能楽や茶の湯

    後醍醐天皇の評価(物狂の沙汰か 貴族層の牢固たる家格意識を解体しようとした果敢な試みか)
    *文観を介しての密教への傾倒
    *楠木正成ら悪党的な者を政権の要職につけた
    *政治手法の背景にあるのは 密教と中国宋代の儒学
    *臣下(公家、武家)を通さず、天皇が民に君臨する(一君万民)

    天皇親政=後醍醐が 宋代の中央集権的な国家をイメージしたもの
    *天皇が官僚を統括して、直接 民に君臨する=既存の序列が無力化→無礼講がその象徴
    *無礼講で無化する礼=上下の礼→衣冠、烏帽子など身分や序列
    *既得権と世襲制の打破。家柄と門閥の否定

    北畠顕家の諌奏状=後醍醐天皇の不徳を批判
    *任官登用は先祖経歴の先例による
    *当時の公家の政治意識を代弁したもの
    *君臣の上下が 名分をまっとうする秩序社会

  • 自ら密教の秘儀を行ない、悪女阿野廉子や妖僧文観にそそのかされ、側近の貴族を贔屓する悪性を敷き、あっというまに新政が瓦解、という従来のイメージを一新。当時の流行の宋学に影響され、天皇を頂点とした中央集権制を志し、武士たちの所領もすべて流動化、公家も門閥や先例にとらわれず抜擢。しかし、宋にはあった、新たな政治主体として台頭する士大夫層、彼らを官僚として登用する科挙制度などの基盤がなかったため、周囲の中位・下位の公家以外からは総反発をくらい…というもまた自明だったように思う。明治の王政復古に影響をあたえ、そこから今の日本をも呪縛している、という今日性については興味深く読んだ。

  • 歴史的には後醍醐天皇による建武の新政は短期間で失敗に終わり、リアルな実力を持つ武士たちが再び政権の座につく。が、天皇在任中に武家政権のわずかなスキを見出し、そのチャンスに一気に天皇親政を実現させた判断、勇気、行動力は天皇らしからぬ凄みを感じる。鎌倉時代から江戸時代まで長く続いた武士政権の中で一瞬ではあるが、権力を武士から奪い取ったという点でもっと評価、研究される人物なのかもしれない。

    建武新政の失敗後も、後醍醐天皇は権力欲をあきらめない。天皇の地位を保つために京都を離れ、吉野でもう一つの朝廷を開くという超裏技的発想は武士以上の野心家だ。昭和の日本軍部が利用するほどの強烈なキャラクター。

    天皇でありながら、なぜそこまで柔軟な発想ができるのか、そして、何度捕まっても再起する不屈の闘志を維持できたのか。そんな後醍醐天皇を知るためには、幼少時代から追いかけていくべきだ。が、本書は「太平記」の中の天皇しか紹介しておらず、ちょっと不満。

  • 水戸光圀の大日本史の「南朝正統論」も元来は新田氏の後裔を称する徳川氏の覇権を正当化する目的で現れたものであるという点は初めて知った。

  • 読了 2018/08/10

  • 序 帝王の実像と虚像
    第1章 後醍醐天皇の誕生
    第2章 天皇親政の始まり
    第3章 討幕計画
    第4章 文観弘真とは何者か
    第5章 楠正成と「草莽の臣」
    第6章 建武の新政とその難題
    第7章 バサラと無礼講の時代
    第8章 建武の「中興」と王政復古

    著者:兵藤裕己(1950-、愛知県、日本史)

  •  ここでは一応評伝のカテゴリに分類したが、一般的な意味での「評伝」ではなく、後醍醐天皇個人というより「言説としての『後醍醐天皇』」の形成過程と展開過程を追究し、その脱構築を目指している。最も強調されるのは、その「天皇親政」への意欲が中国の宋学の強い影響を受けていたという点で、既存の身分秩序を流動化させ(君臣関係の再編)、中国風の皇帝専制を新に創出せんとしたとみなし、後期水戸学以来の国体論的な「建武中興」「王政復古」観を説得的に否定している。水戸学の「南朝正統論」も元来は新田氏の後裔を称する徳川氏の覇権を正当化する目的で現れたもので、藤田幽谷によって国体論に読み替えられたという。一方で、一時流行した網野善彦らの「異形の王権」論も否定し、真言密教への傾倒自体は後醍醐特有の個性ではなく、護持僧の文観に関するさまざまな伝承(特に邪教「立川流」をめぐる)も後世の創作として退けている。歴史学と異なる文学畑の方法論に疑問がないではないが、これまで常にイデオロギーに弄ばれたといってよい後醍醐天皇像を見直す契機は供していよう。

  • 建武の新政って知れば知るほどその凄さが見えてくる。一君万民的天皇制を自ら着想し遂行したのは、後にも先にも後醍醐天皇だけ。明治維新の王政復古はそれをパクっただけだし、厳密には同じではない。ただ悲しいかな、斬新な行為には常に副作用がつきまとう。尊氏に裏切られ、観応の擾乱で京都をめちゃくちゃにされ、あげくのはてには武家政治に逆戻り。パクったほうも同じ。軍事政権の台頭をゆるし、皇道派と統制派の対立を生み、226事件で文民にトラウマを植え付け、大戦へと突入して・・・あーーー、これ以上書きたくない。あれ?後醍醐天皇の話がどこかへ行ってしまった。

  • 建武と明治をリンクさせてるのが、とてもわかりやすかったし、興味をひかれた。

  • 本館開架(新書) [後醍醐天皇] [建武中興(1333〜1336)] [日本 -- 歴史 -- 南北朝時代]
    http://opac.lib.saga-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB25936214

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著者プロフィール

学習院大学文学部教授。研究分野○日本文学・芸能 著書等○『太平記〈よみ〉の可能性』(講談社学術文庫、二〇〇五年)、『琵琶法師』(岩波新書、二〇〇九年)、『平家物語の読み方』(ちくま学芸文庫、二〇一一年)など。

「2014年 『『太平記』をとらえる 第一巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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