現代社会はどこに向かうか 高原の見晴らしを切り開くこと (岩波新書 新赤版 1722)

  • 岩波書店 (2018年6月22日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (208ページ) / ISBN・EAN: 9784004317227

みんなの感想まとめ

現代社会の行く先を探る本書は、社会学的かつ哲学的な視点から、我々の生き方について深く考察しています。特に、脱近代の展望を示し、データを駆使した意識調査が豊富に盛り込まれているため、説得力が感じられます...

感想・レビュー・書評

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  • 脱近代の展望、我々の生き方をさまざまなデータを用いながら社会学的、哲学的に論じた本。類似の本はこれまでも読んできたが、社会の意識調査が豊富に用いられ、説得力はある。

    日本においては逃げ切り世代が引退しつつある中で、ロストジェネレーションが50台になってきている。新しい地表が見える印象はない。そんななかで筆者は若い世代には好意的かなと感じた。すなわち、選ばれた者から選ぶ者へ、価値のある人間から価値を決める人間へ、上流社会から無流社会へ、というくだりは印象的。ハートの世界でも新しいものが行き詰まってきているいうのは興味深い。

    筆者は一貫して、地球は無限であり、かつ閉域でもあり有限性でもある点に触れ、高原状態にあ?資本主義が今のままでは成り立たないと説く。彼が提唱するのが、positive,diverse,consummatory の3つ。20世紀を特徴付けた否定主義、全体主義、手段主義の反省からきており、それぞれ対応している。前の2つはよく聞く言葉であるが、最後の心踊るような感性を重視する部分は大切だと感じる。

    トランプや中国、ロシアの状況を見ると、まだまだ道は遠いと感じるが、頭の片隅に入れて生き方を考えていきたい。

  • 山口周さんの「ビジネスの未来」という本に痛く感銘を受けたのですが、
    その時に主張のベースとなった本という紹介がされていたので、興味を持って読んでみました。

    ※ビジネスの未来
    https://booklog.jp/users/noguri/archives/1/4833423936#comment

    正直、「ビジネスの未来」を読んでいないときにこの本を手にとっても、
    自分の教養レベルだと「何のこっちゃ~」となっていたと思います。
    「ビジネスの未来」を読んで、大体の主張が想定できていたので、
    何とか読み進めることができました。

    正直、主張自体を理解するには、
    「ビジネスの未来」を読むだけで事足りるかと思いますが、
    山口さんがこの本にインスパイア―されて、
    「ビジネスの未来」という名著をを書いたその過程を想像するのは結構楽しかったです。
    自分なりのオリジナリティーのある主張を創っていく過程を空想するという読み方もできる本です。
    (そんな人あまりいないと思いますが。。)

  • 見田宗介氏(1937年~)は、現代社会論、比較社会学を専攻する社会学者。真木悠介の筆名でも多数の著書がある。東大の著者のゼミは抜群の人気を誇り、その出身者には、大澤真幸、宮台真司、小熊英二、上田紀行といった、現代日本を代表する思想家・社会学者がいるのだという。
    本書は、初出2011年の序章のほか、いくつかの著作、学会やシンポジウムでの講演内容に加え、本書のための書下ろしをまとめたものである。私はこれまで見田氏(真木氏)の著作に縁がなかったのだが、本書の題名と上述のような構成から、著者のこれまでの論考のエッセンスがまとめられたもの、即ち「集大成」と考え、手に取った。
    本書の論旨は以下のように明快である。
    ◆人間は、地球という有限な環境下に生きる限り、生物学でいう「ロジスティック曲線」から逃れることはできない。人間はこれまで、原始社会<定常期>から、カール・ヤスパースのいう「軸の時代」(古代ギリシャで哲学が生まれ、仏教や儒教が生まれ、キリスト教の基となる古代ユダヤ教の目覚ましい発展があった時代)<過渡期>を経て、文明化による人口増加<爆発期>を経験してきたが、近代はその<爆発期>の最終局面だったのであり、現代はその後に訪れる<過渡期>、即ち未来社会<定常期>への入り口にある。
    ◆それは、人間は、「軸の時代」以降、貨幣経済と都市社会の勃興を前に、世界の“無限性”を生きる思想を追求し確立してきた(その究極の姿が資本主義であろう)が、現代において、グローバル化が極限まで進み、環境的にも資源的にも、人間の生きる世界の“有限性”を生きる思想を確立しなければならなくなった、ということである。
    ◆そして、その思想とは、経済成長を追求しない、生きることの目的を未来に求めない、他者との交歓と自然との交感によって「生のリアリティ」を取り戻すことである。
    ◆その思想は、シンプル化、ナチュラル化、素朴化、ボーダーレス化、シェア化、脱商品化、脱市場経済化という現象として現れつつあり、価値観調査における若い世代の幸福感の増大のような結果も併せると、新たな世界が広がりつつあると言えるのかも知れない。
    これは社会学者・広井良典氏のいう「定常型社会」と共通するものであるが、私はこの思想に深く共感を覚えるし、人類の進むべき方向はこれしかないと考えている。しかし、現実に目を転じると、政治家は「一億総活躍社会」などとぶち上げて「経済成長」を錦の御旗にし、少なからぬ人々が「経済成長」の呪縛に捉われたままである。現在の課題と進むべき方向が明らかな今、どのようにしてそれを実現するのかにこそ、人類は知恵を絞る必要があるのだと思う。我々に残された時間は多くはない。
    (2018年9月了)

  • 鶴見俊輔さんから、連綿と続くポジティブでラディカルな道が伸びていく。

    よく考えればわかること、がなかなかわかられなくてそちらの方向に行かない。

    2022年に読んでも新しいというか、10年前から見据えておられたことが今やっと一部の人にとどき共感とひっ迫を持って今まさにの感性として受け止めらる。
    よく考えればわかることなので10年あればラディカルにもポジティブにもリベラルにも進んだであろうによく考えない人よく考えない人に支配されているクニ、セカイ。

  • 日本人の意識の大きな変化として,①近代家父長制家族の解体,②生活満足度の増大,結社闘争性の鎮静,③魔術的なるものの再生 を挙げている.地球という限られた空間に住む現代人は,未来を失っているとも述べている.これらの事象はp122-123に上手く集約されていると感じた.曰く「日本の青年たちの価値の感覚が,シンプル化,素朴化,ナチュラル化という方向に動いていること,フランスの急速に増大している"非常に幸福"な青年たちの幸福の内容を充たしているのが,他社との交歓と自然との交感とを基調とする,"幸福の原層"の素直な解放であるということは,環境容量のこれ以上の拡大を必要としない方向で,無数の"単純な至福"たちの一斉に開花する高原として実現するという方向で,生きはじめているように思われる.」これからの生き方の指針として,肯定的であること,多様であること,現在を楽しむということ の3つ,それぞれ英語ではpositive, diverse, consummatory.考えさせられた.

  • 社会学者・見田宗介の名前は、料理研究家・辰巳芳子の著作『いのちと味覚』で知った。
    本書において著者は、人類史的な大局の視点から「これからの社会のあり方と幸福の形」を展望する。近年の状況は、人類が減速期に入ったことを示しており、経済成長こそが最高であるという今までの価値観・考え方とは異なる創意工夫が必要であるという。
    世界全体の人口増加率の変遷を見たときに、1970年を先鋭な折り返し点として、それ以後は急速にかつ一貫して増殖率を低下している、というデータには、説得力がある。(「序章 図4」)

    日本には、すでに”縮小”の現実がある。持続可能な世界を実現するためにも、いま世界が必要とするのは、実は、ゆるやかな”縮小”を受け入れ、著者の言う「高原(定常・安定)」を狙ってゆくことではないかと考えさせられた。
    日本が直面している”縮小”の現実を、最も軽やかに、かつ肯定的に生き始めているのが「いま、ここ」を大事にする現代の若者たち(物欲に縛られず、シェアや他者とのつながりを重んじる世代)だとする、著者の分析はおもしろい。

    • keinoharaさん
      ゆるやかな”縮小”を受け入れる、まさにそう思います。これからは「国際競争力」ではなく「国際共存力」を考えるべきではないかと思います。
      ゆるやかな”縮小”を受け入れる、まさにそう思います。これからは「国際競争力」ではなく「国際共存力」を考えるべきではないかと思います。
      2026/06/16
    • 山崎三才さん
      「国際共存力」という言葉は、まさにこれからの時代に必要不可欠な視点ですね。 利便性や効率よりも、「自然」や「いのち」の視点での豊かさを優先す...
      「国際共存力」という言葉は、まさにこれからの時代に必要不可欠な視点ですね。 利便性や効率よりも、「自然」や「いのち」の視点での豊かさを優先するような実践(辰巳芳子さんや志村ふくみさんのような)が、今後はより一層価値を高めていくと思います。 そうした足元からの「いのちへの感性」を整えることこそが、めぐりめぐって他者や世界とつながる「共存力」の確かな土台になる気がしています。
      2026/06/17
  • 増殖する欲望の終着点を私たちは探らなければいけない。
    倒さなければいけない敵ではなくて、高歓し得ることのできる相手として捉えたい。
    共存共栄を今後実現できるのではないかと少しポジティブに未来を見つめることができた。

  • ロジスティック曲線、という生物学的な繁栄と衰退の曲線を土台として、今の現代社会について論じられていた。

    若者の意識調査、を1973年と2013年で比較したり、

    欧米諸国と比較したり、

    そして見えてくるものなどなど。

    10年ちょっと前に書かれたものなので

    その後の展開を考えるとなかなか楽観的な展望といえるかもしれない。

    成長曲線の安定期に入ったところにある社会をどう説明できるのかなど、

    いろいろと視点を学べた。

  • 2021.10.13 久しぶりに見田先生の本を読んだが感銘を受けた。とてもとても頭の整理がついた。これからの大きな糧になった。いろんな方にも勧めたいと思う。心からありがとうございますと言いたい。

  • 子育てで迷った時に読みたい本。

    他者との交歓と自然との交感をたくさん経験させてあげよう。
    positive 肯定的であるということ。
    diverse 多様であること。
    consummatory 現在を楽しむ、ということ。
    自分自身でも大事にすることで子どもに伝えたい姿勢。

    自分の親たちやさらにそのずっと前から無限を信じて築いてきてくれたもののおかげで生存のための物質的な基本条件の確保が達成され、それによって「現代」だけに固有の、二重のリアリティの喪失という経験をするが、有限と向き合い解放を実践することで、自分がここに一つの花を開かせることができるかもしれない。

    私は宇宙への興味や挑戦する勇気もなければ、原子に造詣が深くもない。だからこれからの未来に何もできないのかというと、そうでもなさそう。
    私にも私の思考と行動で一つの胚芽を作ることができる。そう前向きに励ましてもらい勇気までもらった。

    ”今ここに一つの花が開く時、すでに世界は新しい。”
    なんて美しい言葉なんだろう!

  • f.2018/7/6
    p.2018/6/24

  • 筆者によれば、原始社会から、「貨幣」と「都市」という新たな発見によって近代化と人口増大を果たしてきた人類が、ポスト近代に入り、「成長の限界」論に見られるような「世界の有限性」による人類史上第二回目の変曲点を迎えているという。

    このような大きな変曲点にあっては、これまでの成長局面で信じられてきた多くの価値観や生き方が、転換を迫られる。また、それにより生きる意味の喪失や疎外感が、社会の中に蔓延することも起こり得る。それらは、現代がこのような大きな変曲点に立っているということを前提に考えると、決して不可解なことではない。

    20世紀にはこれらの閉塞感を打破するべく、「革命」という形で様々な社会変革が試みられた。しかし、筆者によれば、それらは以下の3つの要素を持っていたために破綻した。

    ①否定主義(とりあえず打倒)
    ②全体主義(三位一体という感覚)
    ③手段主義(終わり良ければすべてよし)

    これに対して、21世紀の我々は、新しい世界を作るための新たな公準として、以下の3つを重視すべきであると筆者は述べている。

    ①positive 肯定的であること
    ②diverse 多様であること
    ③consummatory 現在を楽しむ、ということ

    緩やかではあるが、前向きな提言であると思う。

    筆者は、前回の変曲点は紀元1世紀から6世紀ごろまでの約600年をかけて達成されたものであるという。それを考えれば今回の変曲点も、数百年の時間をかけて形になっていくものであるという。

    筆者の述べている緩やかな転換への公準を大切にしながら、着実に歩んで行きたいと思える本であった。

  • 新たな時代には新たな生きる指針を、という趣旨ながら、目指すべきはユートピア…みたいな話になってしまっているし、ロジックの飛躍や、深掘りが足りないと感じることが多々あり、少しがっかり。30年前と現在の30代の志向の比較は面白かった。

  • 『現代社会はどこに向かうか』見田宗介
    見田宗介さんの『現代社会の理論』は、消費社会の仕組みをわかりやすく、取り出してれる感銘を受けた本だった。
    今回の著書は、2000年以降を描こうとしたようだけど、正直、ロスジェネ世代、団塊ジュニアのわたしには、言い尽くされたことばかりに思えた。
    見田さんは1937年生まれ、団塊世代より上の世代だ。その世代にとって、この現状が事件なのかもしれない。でも、われらにとっては当たり前だし、それをメタな視点で解説してくれるわけでもなかった。自分自身や同世代に伝えようとしているのかもしれない。

  • 背ラベル:361-ミ

  • ビジネスの未来で紹介されていたのでいつか読もうと思っていた。とても未来に希望の持てる内容だった。そう。今問うべきは人の根源的な幸福とは何か、それを享受できる日々を過ごせるように何ができるかということ。確かにそんな未来は来る気がする。今の合理性からの移行が難しいところ。

  • 人口のロジスティック曲線を紹介しながら、人類の発展過程をまず押さえる。
    徐々の変化から爆破的時期に至る。爆発は世界、資源の発見による。しかし、その資源の有限性に突き当たるとき、曲線は徐々に増加をやめ定常状態に至る。この定常状態を論じたのが、本書だ。

    最後に、否定主義(批判主義)、全体主義、手段主義に対して、肯定主義、多様性、コンサマトリーという指針を打ち立てるものの、まだ社会構想にはいたっておらず、この手の本の陥りがちな理念のみでロードマップや具体例なしという結末になってしまっている。

    問題意識は切実で正しいので、読む価値が全くないわけではないのだが。

  • 昔と現代における考え方の変化をもとにした内容で面白かった。それを踏まえて今の時代、新しい時代を作るために必要なことを最後に整理されていたので考え方として参考になる。

  •  四○年間の青年たちの精神変容についての実証的なデータに密着しながら、前節で深めてきた理論的な考察を、この節ではいっそう大きい歴史的な視界の中で、徹底した原理論的な水準において、再確認しておきたいと思う。
     くりかえし確認してきたように、近代の根本理念は〈自由〉と〈平等〉ということであった。 他方確認してきたように、近代の現実原則は〈合理化〉ということであった。社会のすみゃみ、生のすみずみの領域までもの、生産主義的、未来主義的、手段主義的な合理性の浸ということであった。手段主義的とは、現在の生を、それ自体として楽しむのではなく、 未来にある「目的」のための手段として考える、ということである。「レクリエーション (再創造)」という言い方がよく示しているように、現在の生をそれ自体として楽しむべき活動さえも、将来の労働のためのエネルギーの補充(再創成)のようなものとして正当化されてはじめて安心して楽しまれるという倒錯が、日常の生の自明の感覚となる。この感覚が、社会と集団と個人のあらゆる水準のシステムにしみわたりつくすのが近代である。あるいは成熟しつくした近代の典型像である。
    「近代家族」の歴史的に一般的な標準型であった近代家父長制家族が、このような近代の現実原則による、近代の理念=自由と平等の「封印」ということを、現実の社会の基底において実行する装置であったということを前節において見てきた。


     だがそれにしても現代人はなぜこのように、生きることの意味を失ってしまうのだろか。
     ピーダハーンはその生きることの「意味」などを問うこともなく幸福であった。それは彼らの生の現在が他者との交歓と自然との交感によって、直接に充溢していたからである。 現在の生に不幸な者だけがこの不幸を耐えることの根拠を求めて、意味に飢えた目を未来に向ける。未来にある「救済」あるいは「目的」のための手段として現在の生を考いう、時間意識の転倒を獲得することによって、多くの目に見える成果を達成することできるということを、文明は知る。〈未来のための現在〉=〈目的のための手段〉というこの文明の時間意識の構造によって、第1局面の人間たちの渇望であった、生存のための物質的な条件の確保という課題を追求し、見事に達成して来たのが第Ⅱ局面であった。徹底して合理主義的なビジネスマンとか受験生などの典型像に見られるように、未来にある目的のための現在の手段化という時間の回路は、他者との交歓とか自然との交感から来る現在の生のリアリティを漂白するが、この空虚は未来の「成功」によって十分に補うことができるので、空虚感に悩まされることはない。世界の中で、アメリカや西・北ヨーロッパや日本のような高度産業社会において、生存のための物質的な基本条件の確保という、第局面の課題が、歴史上初めて達成されてしまうと、この自明の目的のための現在の生の手段化という回路が、初めて根拠のないものとなる。
     一章で見てきたとおり、「近代」という時代の特質は人間の生のあらゆる領域における 〈合理化〉の貫徹ということ。未来におかれた「目的」のために生を手段化するということ。現在の生をそれ自体として楽しむことを禁圧することにあった。先へ先へと急ぐ人間に道ばたの咲き乱れている花の色が見えないように、子どもたちの歓声も笑い声も耳には入らないように、現在の生のそれ自体としてのリアリティは空疎化するのだけれども、その生のリアリティは、未来にある「目的」を考えることで、充たされている。序章のはじめに見てきたように、この「近代」の最終のステージとしての「現代」の特質は、人びとが未来を失ったということにあった。図4の尖鋭な分水嶺の示しているように、加速しつづけてきた歴史の突然の減速がどんなに急激なものであったかが分かる。未来へ未来へとリアリティの根拠を先送りしてきた人間は、初めてその生のリアリティの空疎に気付く。こんなにも広い生のリアリティの空疎の感覚は、人間の歴史の中で、かつて見なかったものである。それは第Ⅱ局面の最終ステージという「現代」に、固有のものである。第一に〈未来への疎外〉が存在し、この上に〈未来からの疎外〉が重なる。この疎外の二重性として、現代における生のリアリティの解体は把握することができる。
     すでに現在の生の直接の充実を手放して久しい人びとは、このリアリティを代補してきた未来の〈目的〉の自明性をも失うこととなる。「近代」に至る文明の第Ⅱ局面の輝かしい達成を駆動してきた〈未来にある目的のための現在の生の手段化〉=〈目的への疎外〉の上に、 この課題の完了による目的の消失=〈目的からの疎外〉が重なるという〈二重の疎外〉こそ、 第Ⅱ局面の最終ステージとしての「現代」に広く固有の構成である。人々は〈生きることの目的〉を未来の中に求めるという、この文明の局面に固有の問いにとりつかれたままで、 この未来にある〈目的〉の確固とした自明性と根拠とを除かれてしまう。現在の生のリアリティの直接の充実を手放したままで、このリアリティを補充する未来の〈目的〉を失ってしまう。これが人間史の第Ⅱの変曲点としての「現代」だけに固有の、二重のリアリティ喪失である。

     加速に加速を重ねてきた走行の果てに、突然目的地に到達して急停車する高速バスの乗客のように、現代人は宙を舞う。


     この横浜市立大での最終講義に強い感銘を受けた学生たちが、講義の録音を起こして手づくりの冊子にしたものの一つを、わたしの所にも届けてくれた。この講義の核心は、〈福祉は衝動である〉ということであった。福祉というものの現場の現実の、きびしさ、みにくい部分までをも含めて、そのすみずみまで身体で知りぬいてきた野本三吉=加藤彰彦がそのうえでなお〈福祉は衝動である〉と言い切るとき、それは、きれいごとではないと思った。目の覚める認識であると思った。福祉という仕事は、正義とか善意とかいうことの前に、人間の深い欲望であると。これから福祉や介護の現場に巣立とうとする若い人たちにこの核心は、ストレートに届いて、共振したのだと思う。


     高橋さんの提起の趣旨は、農業ということのとくべつな意味にあったとおもう。自然との直接的な交感。「食」という最も基本的な部分で、人間の社会を支えていること。このことを正しいとして認めた上で、ここでは、もう少し一般的な論点として、高原期の人びとが楽しむことのできる幸福のリストの大きい項目として、「社会的な〈生きがい〉としての仕事」、共存の環としての仕事ということを、一つつけ加えておきたいと思う。
     経済競争の強迫から解放された人びとは、それぞれの個性と資質と志向に応じて、農業や漁業や林業やもの作りや建築や製造や運転や通信や情報や報道や医療や福祉や介護や保育や教育や研究の仕事を欲望し、感受して楽しむだろう。あらゆる種類の、国内、国外のボランティア活動を楽しむだろう。
     依拠されるべき核心は、解き放たれるべき本質は、人間という存在の核に充填されている、〈欲望の相乗性〉である。人によろこばれることが人のよろこびであるという、人間の欲望の構造である。


     二〇世紀の真剣な、そして壮大な試行錯誤の悲惨な成行の根底にあるものとしてわれわれが見出したのは、第一に「否定主義」negativism。実現されるべき肯定的なものの明確なヴィジョンよりも「とりあえず打倒!」という情念。第二に「全体主義」totalitarianism 社会の理想の実現のために特定の政党や指導組織に権力を集中し、思想言論の統制を行うことが必要であるというイデオロギー。第三に「手段主義」instrumentalism。未来にある 「目的」のために、現在生きている人々のそれぞれに一回限りの生を手段化する、という感覚である。
     初めは正しい願いからも出発していたこの回路をくりかえすことのないために、新しい世界を創造する時のわれわれの実践的な公準は、次の三つであるように思われる。
     第一に positive。肯定的であるということ。
     第二に diverse。多様であること。
     第三に consummatory。現在を楽しむ、ということ。

  • 一冊の中でわかりやすくスッと入ってくる部分と、難解でなかなか読み進めないところがある一冊だったような気がする。山登りのような成長時代の終焉と、緩やかな高原的なありようになることは実感や個人的な気持ちとして相関する。何に対して幸福感を感じるのか。世代や年代によって異なるのは当然と思うが、今の社会を考えると高原という響きには共感する。

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著者プロフィール

1937年生まれ。社会学者。東京大学名誉教授。著書に『まなざしの地獄』『現代社会の理論』『自我の起原』『社会学入門』など。『定本 見田宗 介著作集』で2012年毎日出版文化賞受賞。東大の見田ゼミは常に見田信奉者で満席だった。

「2017年 『〈わたし〉と〈みんな〉の社会学 THINKING「O」014号』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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