アナキズム――一丸となってバラバラに生きろ (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004317456

感想・レビュー・書評

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  • 昔はエコの人たちダサくてゆるくて過激さがなくてカッコ悪いって思っていた。日本ではそうでもない(進歩してない)みたいだけど、欧米では、エコの人らが一番の過激派になっていてかなりラディカルなことしてる。それはそれでなんか違和感。その違和感をすっきり解消してくれてるとこなんかいいね。たとえば、
    今やられているのは、人間による人間の支配だ、それがより強力になっただけなんだ、「地球」って言葉が使われて、みんなのためにお前ら従えよって言われてるだけなんだよと。

    ほかにもいろいろ抜粋。気分爽快なところや、ゴロが良かったところ。

    例えば、今、ぱっと思い浮かんだのが、三里塚闘争だ。もともと、三里塚、成田周辺てのはめっちゃ農業が盛んだった。でも、ある日、突然、そこに成田空港を作りますよって国が言ってきて、そんでもって嫌だったら、てめえら邪魔なんだよ、立ち退かないやつは、国益に反しているんだよ、非国民なんだよって言って、農民たちを排除しにかかったわけだ。チキショウ国家、マジヤクザ。

    くそでも何でも武器にして、いつだって、何度だって叩き潰してやれ。我々は都会のインディオだ。CO2削減って叫びながら、車を燃やし、マックを焼き討ちにしては、マックグリドルソーセージエッグを食らう。

    てめえの自然を手放すな。てめえの体を制御させるなてめえの理想にだって縛らせちゃいけない。何度でも何度でも振り出しに戻って生きていきたい。

    フランスのアナキスト集団 不可視委員会の文章をよく読むんだけど、彼らに「いまこそ(仮)」って本があってね、その中に、「経済は尺度の警察ポリスである」ってフレーズが出てくる。これ文字通りなんだよね。金は生きる尺度だって言っておいて、従わない奴らを取り締まっていく、使えない奴は、こき下ろして、働かない奴が叩き出せポイポイってね、アナルコ・キャピタリズムの精神だ。みんな警察だよ。

    それまで自分ができないって思っていたことができるようになる、あれもできる、これもできる、何でもできる、もっともっとって、自分じゃない自分を手にすることが大事なんだ、そういう力を示すことが大事なんだって。それを自分で感じとることが大事なんだって、それだけが大事なんだ。もっとアホになれ、もっとアホになれ!もしもそれ以上の何かをさせようとするならば、コンセンサスだろうと男だろうと、そんなもんは、ただの政治だ、支配だ、権力だ。(ブラックブロックの精神)

    サイバネティクスの論理=絶えず無駄を除去して適正化、自動修正。サイバネティクスはファシズムの土台である。

    リュック・ボルタンスキー、エヴ・シャペロ「資本主義の新たな精神」資本主義批判には2つの方がある。
    1社会的批判 2芸術家的批判
    社会的絆は、この世の中に貧富の格差があるのはおかしい不平等を正しくましょうって言うもの。労働組合の運動のようなもの。
    芸術家的批判は、支配はいらない、この社会のヒエラルキーをぶち壊してやれ、大事なのは、自立と自己統治だ、命令なんていらない、自ら進んで面白いことをやっていく、新しいものを創造していくんだ。一人一人がアーティストになるだと言う若者の動き(60年代)

    1966年、ベトナム反戦直接行動委員会(ベ反委)
    ベトナム反戦運動におけるアナキストの団体
    ないものを発見する
    アナキストは無駄がいのち。

    アナルコ・サンディカリズム、結局カネなんかに縛られないで、メタクソに好きなことをやりまくって来て言ってやるぜって言うこと
    プルードン
    「あなたがされたくないことを他人にしてはいけない。いつでもあなたがされたいと思った良いことを他人にするのです」(労働者階級の政治的能力)

    ジョン・ホロウェイ(革命‐資本主義に亀裂を入れる)
    為すことドゥーイングと労働レイバーをはっきり分けて考えましょう。なすことはこれをやったら面白いとかこれをやったらあいつが喜ぶだろうなと言う事労働とは見返りをもらうために何かをするってこと。=大杉栄の「生の拡充」
    レイバーのほうは、工場の中の主人と奴隷みたいな関係。
    アナルコ・サンディカリズムの山で1日とはフランス語で労働組合のことサンディカリズムで労働組合主義。資本家がいなくても、政治家がいなくても、労働者だけで労働組合だけでやっちまおうぜというのがサンディカリズム、労働組合の組織作りも会社みたいなヒエラルキーにしない。統一された組織である必要もない。どこの組合とか関係なくゆるやかにつながっていつでも支援に入ったり駆けつければ良い。大正時代に日本でサンディカリズムをガンガンやっていたのが大杉栄。
    アナルコ・サンディカリズムは、労働組合の自主と言う縛りがあるため、純正アナキズムと論争になる、日本の大正時代なら、サンディカリズムの大杉栄と純正アナキズムの八太舟三。

    多分うちらが当たり前だと思っている自分は、他人によって強いられた自分である。

    大杉栄たちのサンディカは労働組合ではなく、街の中間共闘集団。得体の知れない無数の集団、無数の生命力。できるできるもっとできる、何でもできる。誰かが行けるところまで行ってみる。やること。成すこと根拠なし。なぜそんなことを始めたのかわからない。制御できない力がある「自然とは暴動である」ので、サンディカとは、人を自然に近づけようとするもの。衝動がある。しかし命令は無い。共鳴はある。しかし統一はない。バラけることを前提にして、人が群れ集まる。人は1人で群れだ。潜在的に人は無数の自分を持っている。アナルコ・サンディカリズムとは、一丸になってバラバラに生きろ。

    そして、第4章で、さすがの船本洲治登場。この人、栗原さん、ここまでもそうだそうだと読み進んできたが、めっちゃ信頼できる。
    「暴動は下層労働者の自己表現である」自らの弱者性を抑圧された存在状況を武器にしろ。トイレットペーパー勝ち取りのための新聞紙トイレ詰まらせ作戦。やられてとやられてなくてもやり返せ。まさかの船本からのアナルコ・フェミニズム展開へ。エマ・ゴールドマン。すごい武勇伝だらけの人生で70歳まで活躍したすごい人。
    魔女狩りの政治性経済性、、、家事労働の担い手確保のための正義。夫、配偶者のことを自分でダンナさまとかダンナとか言ってる人が日本には多くていちいち訂正したくなるけど、この無意識もしくは説教的奴隷マインドは痴漢とか性犯罪の多さや密室性とも関係してそうだ。伊藤野枝、友情はアナーキー。命のダンス、そうさせてやまないもの。
    アナルコ・コミュニズム
    どこにでもではないかも知れないが昔の、伊藤野枝の時代の田舎には普通にあった相互扶助が振る舞いとして自然であったこと。無政府は事実、という。おっしゃる通り。
    最後はドイツのアウトノーメ、スクウォットの話から秩序、奴隷の生、集団の権威からはみ出せ、秩序をはみだし、無償の生をいけ。コミュニズムとは絶対的孤独
    はみ出していこうとする力、相互扶助(無政府)は犯罪であり、アナーキーと 
    こんなにわかりやすく希望に溢れるアナキズム入門はない。しなやかで良いし、好きということがとても良い、大事。

  • アナキズムは自分をルールから自由にし続ける過程なんだなと思った。中指を立てるような文体も岩波新書らしさを抜ける試みなのかな。今度は理論と歴史に関する本も読んでみたい。

    • まめけんしさん
      伊藤野枝による機械という言葉の使い方が気になった。マルクス主義とは全然違う。
      伊藤野枝による機械という言葉の使い方が気になった。マルクス主義とは全然違う。
      2023/01/15
  • 2018年の出版だが、その後取り沙汰されるブルシットジョブ、資本主義リアリズム、人新世の資本論などを見事に先取りしている。

    ハチャメチャな文体の奥に垣間見える著者の誠実さも魅力。

  • いや、やっぱり栗原康は最高です
    自分の中にあるあらゆる支配をぶち壊してくれる
    「岩波新書」は格式高い?そんな知ったこっちゃないと言わんばかりの暴れっぷり
    栗原康の思想の真髄を知る上で、最も適切な一冊目になると思います

    無政府は事実だ!
    あらゆる相互扶助は犯罪だ!
    やられてなくてもやりかえせ!
    できっこないをやらなくちゃ!

    ちなみにここにあるレビューの大概は的外れなので参考にしないほうがいい

    文体?んなこた知ったこっちゃねぇんだよ
    栗原康さんは栗原康さんの書きたいように書くんだよ
    そんなこともわかんねえなら初めから読み直せ
    自分のなにかを捨てる覚悟で読まないならそれは永遠の奴隷です

    • workmaさん
      どらどらさん
      はじめまして。
      『自分のなにかを捨てる覚悟で読まないならそれは永遠の奴隷です』…いいですね~!痺れるワードセンスですね!
      どらどらさん
      はじめまして。
      『自分のなにかを捨てる覚悟で読まないならそれは永遠の奴隷です』…いいですね~!痺れるワードセンスですね!
      2023/03/11
  • (2021/2/18再読)同じ著者が編んだアンソロジー「狂い咲け、フリーダム」を読んでから再読すると、よりわかりみが深い。絶えざる自己変形の欲求、理路整然なんてくそくらえ、そうやってわけのわからない力に身をゆだねてやってやってやりきると、またあらたな生の輝きが身体の奥底から立ち上がってくるから、と。人間による人間の支配は受けない。権力をぶちぬけ。排除なんかしない。それがアナーキーだ、と。そして、支配のかわりに相互扶助を、と。今はまだ何もぶちぬけなくてここにいる自分をかえりみながら本を置き。。//(2018/12/16読了)権力を撃ちぬき、支配をひっくり返し、自分の理想すらひっくり返して、人としてできることを増やしていく、「生の拡充」。弱者は死ぬんだよォーーーーッ!、だから戦うんだろうが、というアナキストの叫び。弱者が弱者を取り締まることの不毛さ。エマ・ゴールドマンと伊藤野枝の著作への興味が深まる。今この瞬間に行動しないなら、もう絶対に行動することなどないのです、という言葉に撃たれながら、ページをとじた。

  • 2018年12月読了。
    この著者の著作を読むのは2冊目(1冊目は『村に火をつけ、白痴になれ』)。
    今回の『アナキズム 』、なにか非常に飛んでいる。
    文体が飛んでいる、というよりも文体以前の問題でイッテしまっている。
    「真面目な岩波新書でございます」てな調子で読み始めたら痛い目に遭う。

    アルケー(arche)がないのがアナーキー(anarchy)、アルケーは「統治」や「支配」という程度の意味で、それがan、つまり「〜がない」のでアナーキーは「無政府主義」と訳されるが、アルケーは哲学用語では「万物の始原」、あるいは「根源的原理」という意味のものであって、アナーキー=無政府主義だけでは足りない。根拠のないことをやる
    という意味も抑えておく必要がある(9ページ)。

    とかく意味や根拠、社会的な評価の尺度に合わせて生きなければならない、もしくはそう生きなければならないかのように思わされている人々にとっては、アナーキズムはそういった発想から解放される手段になる。

    邪推するに、この手の本が新書として出版されるということは、今の世の中に不自由や理不尽に憤っている人が多く、あるいは慣習、因習その他諸々の人の思考や行動を制限する何かによって窮屈な思いをしている人が多いのではないか、と思う。

    もっと群れずに自由に生きる、過去にもそんな人がいて、度々痛い目に遭いながら=時の権力に押さえ付けられたりしながら、どうにかやってきたということを知ることで、より自由な発想で生きるための縁としたい。

  • めっちゃ面白かったし、すごく元気出た。ヒャッハーーー!
    でも、「弱者の〜」という疑問に誠実に答えてるかと言うとそんなことない。例えば、デモとか集会の情報保障にはかなり気を配る。まんべんなくそういうスタンダードを打ち立てる必要があると思うけど、「みんなでやる」とかくそくらえって言われたらそれはそう…。

  • もうちょっと穏健なアナキストの方が好感が持てる

  • 大好き!毎日新しく生まれ変わって生きていきたいよ

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/721027

  • 以下、引用
    ●アナキズムというのは、ギリシア語のanarchosからきていて、(中略)ていねいに訳していくと、「だれにもなんにも支配されないぞ」とか、「統治されないものになれ」ってのがアナーキーになる。
    ●権力の暴走はアナーキー?(中略)アナーキーってのは、いつでもそういう権力をぶちぬいてやるぜってことだ。もうちょっといえば、かりに権力の横暴に反対しても、それがまた権力になっちまったら、いつだって、そいつもぶちぬいてやるぜってことだ。
    ●前日のあの大会議はなんだったっていうことさ。だってさ、すんげえ苦労して、何時間もかけて1万5000人で全員一致のコンセンサスをとっておいて、いざ本番になったら、だれもまもらないわけだからね。バカやろうだ、圧倒的なバカやろうだ、てやんでい。でもね、そうじゃなきゃ、アナーキーじゃないんだとおもう。逆にだよ、オレたちはアナキストだから自己統治や水平性をおもんじている、だから、みんなできめたことはまもらなきゃいけないんだ、絶対服従、デモで不規則行動をとるな、したがえ、したがえっていいはじめたら、あたらしい支配がたっちまうからね。アナキズムという名の、民主主義という名の。
    ●アナキストはムダがいのち。
    ●直接行動ってのはテメエのことはテメエでやるってことだよ。この場合、どでかい労働組合とか、クソみたいな政治家なんかにたよらなくても、たとえ少人数であっても、たとえ一瞬であったとしても、自分たちの力でじかに軍需工場をとめてみせる、それができるってことをしめしてみせる、(中略)じゃあ、どういうことをやったのか。10月19日、白昼堂々、東京都田無市、いまの西東京市にある日特金属工業にのりこんだ。(中略)だいじなのは、かれらが物的効果にはこだわっていなかったってことなんだ。だって、日特金属にのりこんで電源を切ったっていっても、工場がとまったのは15分くらいだからね。逆にいうと内容が良くてもダメなんだ。(中略)ちっちゃな軍需工場をとめても意味がないとか、この工場をこれだけの人数をかけて、何時間も何日もとめることが効果的なんだ、それがもっとも革命的なんだ、だからオレたちにしたがってればいいんだとかっていいはじめたら、あたらしい権力がたってしまう。
    ●いつだって、ひとってのは、あいつらこまってんなっておもったら、なにかしてやりたいっておもうものだ。でもなにもできない、でもなんとかしてやりたい、わかりたい、でもわからない。そうおもえばおもうほど、テメエのなかの合理性が錯乱し、もうやめられない、とまらない、異様な力がわきあがってくる。
    ●ふだん、うちらがあたりまえだっておもっている自分は他人によって強いられた自分である。カネをかせぐのがあたりまえ、資本家にしたがうのがあたりまえ。(中略)でも、そうやって生きていると、カネにならなきゃ、なにひとつ好きなことができねえし、カネもちにコキつかわれて、自分の人生をふみにじられちまう。だったら、そのあたりまえだとおもってきた自分の皮をひんむいてやるしかない。でも、むいてもむいても皮がある。だってさ、いろんなあたりまえがあるからね。(中略)でも、そういうのをむいてむいてむきまくって、それこそ自分が理想としてきた自分すらひんむいちまって、かんぜんにゼロになったとき、はじめて本当の自分の人生がはじまる。もうだれにもしばられない。いつだって、ゼロからはじまるいまこのとき。やりたいことしかやりたくない。そのやりたいことにすらしばられない。いつだれがどこで、どんな生きかたをはじめるかなんて、そんなのだれにもなんにもわからない。生きることは爆弾だ。その力が労働によって封じこめられているならば、もういちどその力を爆発させてみるしかない。生の拡充だ。パンパパーン!!!
    ●ひとが明日なんか捨てちまうってのかな。仕事も、自分の命も、革命の大義も、そんなもんはどうでもいい。ぜんぶかなぐり捨てちまって、いまこの場で遊びたい、おどりたい、うたいたい、そうさせてやまない力がある。だいじなのは、その力にふれることだ。だれにもなんにもしばられない力を手にするってことだ。しかも、おもしろいのはそういうときって、もちろんのぞんでやってはいるんだけれども、自分の意志で選択してやっているわけじゃないんだよね。もっと無意識的なものってのかな。だれかが火をつけると、ふっとメロディーがわきあがってきて、ああ、明日、仕事があるのに、ダメなのにってわかっているけどやめられない、とまらないんだ。
    ●えっ、秩序をはみだすのは、犯罪だって?みんなにきらわれてしまうって?上等だよ、上等だよ、ひらきなおるわけじゃねえが。現にあるものをブチこわせ。主人でもない、奴隷でもない、民衆の生をつかみとれ。新天地にむかってあるきだせ。それはとても孤独なことなのかもしれない。おいら、ゴロツキ、はぐれもの。でも、ひとたびその一歩をあゆみだせば、かならずあのメロデイがきこえてくる。もうなんにもこわくない。過去の民衆たちがおどりだす。おいらもいっしょにおどりだす。つられて、だれかもおどりだす。ユートピアだ。コミュニズムとは絶対孤独である。それは現にある秩序をはみだしていこうとすることだ。かぎりなくはみだしていこうとすることだ。あらゆる相互扶助は犯罪である。アナーキーをまきちらせ。コミュニズムを生きてゆきたい。

  • アナキズムとは何か。ぶっ飛んだ文体で紹介している図書。好みは人によってわかれそう。とはいえ、引用文献の紹介や解説は非常にわかりやすい。権力が発生してしまう体制はどんなものであれ認められない!とし、人が自由に生を拡張することの重要性を説く。「一丸となってバラバラに生きろ」という言葉は衝撃的だなぁ…

  • 体型的なアナーキズムが説明されていると思ったけど、そうではなかった。
    実践的アナーキズム、帰納法的にアナーキズムを知りたい方にオススメ。

  • 信州大学の所蔵はこちらです☆
    https://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB2720068X

  • 最低の読後感、いや、読み出しから最低だった。分かりやすい言葉で伝えることと、悪乗りの言葉を連ねるのは違うと思う。岩波新書の安心感からネットで購入したが……

  • うーん。悪い意味で、文才というものに思いを致さざるをえない。つらい。ただし、アナルコ・フェミニズムのところは抜群に面白い。伊藤野枝、すごいなあ (206-7頁)。

  • 序章 アナキズムってなんですか?
    第1章 自然とは暴動である―エコ・アナキズムの巻
    第2章 ファック・ザ・ワールド―アナルコ・キャピタリズムの巻
    第3章 やられなくてもやりかえせ―アナルコ・サンディカリズムの巻
    第4章 われわれは圧倒的にまちがえる―アナルコ・フェミニズムの巻
    第5章 あらゆる相互扶助は犯罪である―アナルコ・コミュニズムの巻

    著者:栗原康(1979-、埼玉県、政治学)

  • いろいろな考えの人がいる。無責任な人がいる。自由を謳歌しつつ、結局は他の人に頼って生きている。なんとなくあこがれるが、絶対にそれで良しとはいかない。

  • あいつは使えない人間だと思われるのを恐れてしまっていたが、そんなの気にしなくていいんだ!と思わせてくれました。長渕剛の歌がちょこちょこ出てきて、それもウケました。
    教室の中にある支配、被支配の関係をぶち壊したい!
    大杉栄の文章もすごい。
    われわれが自分の自我ー自分の思想、感情、もしくは本能ーだと思っている大部分は、実にとんでもない他人の自我である。他人が無意識的にもしくは意識的に、われわれの上に強制した他人の自我である。
    伊藤野枝が翻訳している、女性アナキストのエマ·ゴールドマンがすごい!戦争のために産めよ殖やせよというのならば、子どもは産まない、ゼロ子ども宣言をした!

  • 「大往生」永六輔さんの一冊が
    岩波新書に入った時にも
    「おっ こんな一冊が 入ってくるのだ、
     岩波さんもオツだねぇ」
    と 思った。
    そして、
    まさかの栗原康さんの「アナキズム」
    いつもの調子の
    いつもの文体
    「おっ こんな一冊も 入ってくるのだ
     岩波さんも懐が深いね」
    と 思った。

    私は、好きなのですがね…

  • 2019年1月15日図書館から借り出し。アナーキーなのもいいが、この本は度が過ぎている。ジョイス気取り?買わずに図書館で済ませて良かった。買っていたら頭にくるところ。当然ながら途中で投げ出し。ウッドコックの古い本を読み直して、口直しをしたい気分。

  • 色々毀誉褒貶のかまびすしい著者の文体ですが、それほど読みにくいわけではないので、これはこれでいいのではないか、としておく。
    内容は、正しいことを教えてもらう本ではないので、刺激をもらい参考になる事柄や本を紹介してもらえば良いので、私には参考になった。
    著者の重視する身体性?のようなもの、誰にも支配されないで生きるということ、などを手掛かりに一人一人の読者が考えていけば良いのではないか。
    一つ気になるのは、著者が取り上げているのは欧米と日本の話ばかりで、それ以外の社会においても同様な主張で通すつもりなのか、ちょっと聞いてみたい気がする。

  • 長渕剛の歌詞がところどころに出てくる。実際ファンだとちゃんと公言してた。
    砕けた文体でアナキズムとは何かを語っている。アナルコキャピタリズム、アナルコサンディカリズム、アナルコフェミニズム、アナルココミュニズム等々について、大杉栄、エマゴールドマン、伊藤野枝といった人々を紹介しつつ説明。
    ちょっと自分には理解が難しいんだけど、対価交換が当たり前だとか役に立つ立たないだとかって既存の資本主義の秩序を当たり前と思っている自分に気付かされた。

  • 岩波新書にしては思い切った装丁に惹かれて手に取る。政治思想は元来不勉強分野だが、「アナキズム」についてまとまった形で読むのは本書が初めて。登場する思想家・活動家中、辛うじて名を知っていたのは大杉栄くらい、あとは和洋問わずほとんど聞いたことのない名前の連続でやや戸惑ったが、内容は新書らしくシンプルでわかりやすく、著者の思いがストレートに伝わってくる良書だと思った。

    本書を一読して我が身を振り返れば、自分の信条を体現しているわけでもない国家や組織の価値観をいつの間にやら内面化し、当初は確かにあった衝動を忘れてしまったことに無自覚な自分に思い至り、冷や汗が出る。この「他人の自我」に従属する奴隷状態から「棄脱」するには、衝動に基づく行動や共鳴に基づく無償の「相互扶助」を通じて、自分にも制御できない自分の力を取り戻すしかないというのが著者の主張。

    研究者として書きたいことを書く地位を得るため、その自分の書きたいことの代わりに周りから評価されることを書かねばならないことの矛盾を良しとせず、伝統的な研究者としての地位に甘んじることなく非常勤講師の道を選ぶという実践を、著者自身が踏んでいるだけに一定の説得力がある。しかも、ここには「アナキズム」という言葉から連想されるようなストイックな堅苦しさや偏狭さは感じられない。それは賛否あろうが「個人に開かれたアナキズム」ともいうべき著者の信条をわかりやすく体現する文体に依るところが大きいのだと思う(やや紋切り型な一人称「おいら」や意外にバリエーションに乏しい間投詞は少々気になったが)。

    本書の内容を実践に移すのは簡単ではあるまいが、「ユートピアを志向し続ける意志の力だけはどのような立場に置かれている人間であっても忘れてはならない」という著者のメッセージはクリアーに伝わってきた。今年から高校に行く息子に読んで欲しい。ま、無理に読ませて本当に読むような人間であれば、そもそも本書でいう奴隷根性へ一直線、ということになるのだろうが。

  • 東2法経図・6F開架 B1/4-3/1745/K

  • 309.7||Ku

  • アナキズムとは何かを、まさにアナーキーな文体と
    随所に挿入されるアナキズム文献からの引用、そして筆者の実体験をベースに伝えてくれる。

    繰り返される破綻寸前の文章は自分には合わない、というのが正直なところだが
    反復から浮かび上がってくるものがおそらくアナキズムの本質なのだろう。

    序列を、階層を、作らない。
    コンセンサスを是としながらも、コンセンサスに従うかは結局のところ本人次第。
    読めば読むほど混乱してくるが、
    近年良しとされるボトムアップ型・自律型組織とアナキズムの類似点などアナロジーを駆使してこの本と相対すると中々に楽しい。

  • 完全に自分が悪いのだが、全く分からなかった。
    まず文体については、ラノベ的というより、予備校の出す講義系の参考書の感じに近い(より下品だが、それが面白みでもある)言文一致という感じで、読みやすい、と思いきや、そうとはいかない箇所もある。
    アナキズムについては、千坂恭二的なものを想像していたので、違うのに驚いた。が、人類の積み上げてきた倫理的思索やそれにまつわる秩序を根本から否定してしまいうる思想については、よく配慮する必要があるんだろうと思った。このロジック(というか、「非論理」というロジック?)は確かに敵に回すと厄介。

  • 18/11/18。
    19/02/18読了。

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著者プロフィール

1979年埼玉県生まれ。東北芸術工科大学非常勤講師。専門はアナキズム研究。著書に『大杉栄伝 ―― 永遠のアナキズム』(夜光社)、『はたらかないで、たらふく食べたい ――「生の負債」からの解放宣言』(タバブックス)、『村に火をつけ、白痴になれ ―― 伊藤野枝伝』(岩波書店)、『現代暴力論 ――「あばれる力」を取り戻す』(角川新書)、『死してなお踊れ ――一遍上人伝』(河出書房新社)、『菊とギロチン ―― やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ』(タバブックス)、『何ものにも縛られないための政治学 ―― 権力の脱構成』(KADOKAWA)など。

「2018年 『狂い咲け、フリ-ダム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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