給食の歴史 (岩波新書)

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  • 岩波書店
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  • / ISBN・EAN: 9784004317487

感想・レビュー・書評

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  • 仔猫の頃は偏食虎でしたので、給食は苦痛だったなぁ、、、

    藤原辰史【インタビュー】
    「自由を訴え、リベラリズムと言っていながら、かなりの部分を 善意や無償労働に依存しているのが新自由主義の本質なんです。」

    小冊子『熱風』2021年2月号の特集は「給食の歴史をひもとく」です。 - スタジオジブリ出版部
    https://www.ghibli.jp/shuppan/np/013432/

    給食の歴史 - 岩波書店
    https://www.iwanami.co.jp/book/b378374.html

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      goya626さん
      身体に良くて、美味しいとは、羨ましいです。
      上のコメント一文字抜けてる、お粗末。。。
      goya626さん
      身体に良くて、美味しいとは、羨ましいです。
      上のコメント一文字抜けてる、お粗末。。。
      2021/02/16
    • goya626さん
      うふふ、「す」かな?
      うふふ、「す」かな?
      2021/02/17
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      goya626さん
      にゃー!
      goya626さん
      にゃー!
      2021/02/18
  • 揚げパン、カレー、ソフト麺に冷凍みかん…。給食の様々なメニューが思い出される。私の通っていた小学校は自校方式で、給食室があり、ガラスケースにはその日の献立が飾られ、赤の食品、黄色の食品、緑の食品に分類されていた。著者の藤原さんは給食にあまりいい思い出がないというが、同世代の私には逆に悪い思い出はない。ああ、懐かしい。

    本書は誠に労作で、とても面白く読み通した。学校給食の歴史、考えたこともなかったが、政治、利権、運動史とも無関係ではないということがよくわかった。よく戦後の給食はアメリカによる「小麦戦略」「味覚の欧米化」の狙いがあったと言われるが、実はそんな単純な話ではないという。

    戦前から給食はあり、当初からパン食、牛乳の導入が検討されていたのは興味深い。また池田隼人が、給食は生徒が同じものを食べることを強制する「社会主義だ」と批判したことも初めて知った。

    とはいえ、給食の最大の意義は貧困生徒の救済にある。それはこの制度開始当初から変わらない(それがまた凄い)絶対不変のテーゼである。
    コロナ禍にあって学校閉鎖が行われた際、学校関係者や貧困問題の研究者等から懸念されたのは、給食がなくなることだった。給食が唯一の食事だという貧困家庭の子どもが少なからずいるという。つい先日、横浜の新市長が完全給食を実施すると報道された。今も昔も、給食の存在意義は変わらない。

    給食にいい思い出がある人もそうでない人も、どちらも興味深く読めると思う。本書読了後、思わず自分の小学校のホームページで給食を確認してしまった。私の昼食よりよほど豪華だった。

  • ●→引用

    ●第三に、給食は食品関連企業の市場であること。1988年の段階で「給食は、人件費と食費をあわせて年間1兆400億円のお金の動く大事業」と述べている。ここには、アメリカを代表とする農業大国や、多くの食品産業、食品卸業、農家の利益が直接絡んでくる。調理器具も、食器も、冷凍食品も、小麦も、牛乳も、公的な給食は大企業に、場合によっては地域の小さな八百屋や魚屋や肉屋に支えられている。
    ●つまり、占領を円滑に進めるために、具体的には、日本で病気が蔓延して占領軍やスタッフの健康が脅かされず、占領軍の統治を安定させるために、日本の子どもたちへの給食計画を断行すべし、という意味である。すでに述べたように、食糧メーデーやデモなど餓えに苦しむ民衆の怒りは沸騰し、それをGHQは「暴動」と認定し、沈静化をはかった。共産党の勢力伸長にも警戒せねばならない。こういった給食の持つ治安維持の機能をGHQが考えていたことは、当時の日本の官僚たちはもちろん、従来の給食の研究でもあまり意識されてこなかったように思える。給食は、民衆の統治技法の観点からも有意義な政策であり、警察の任務とも近接する、すぐれて政治的課題なのである。
    ●占領後、MSA協定からPL480にいたるまでの日米外交は、給食の意味合いを大きく変えた。目の前の外貨獲得、経済復興、飢えからの解放という喫緊の課題の裏で、アメリカは日本を食糧輸出先としてお得意先にし、あわせて共産主義の防壁にしようとした。
    ●「この脱脂ミルク給食に反対する先生がクラス担任をおろされたり、左遷されたり、また学校給食栄養士さんが仕事からはずされたり、ビラマキのお母さんが警察にひぱられたり、改善のたたかいをおこしてみると脱脂ミルク給食の権力的性格も」明らかになった。また、「教育委員会や校長のなかには、教師をつかって学童に給食ミルクをのむよう強力な指導をしたところ」もあったが、「そのさい勤務評定体制が物をいった」。(略)もちろん、給食だけが「勤務評定」の対象ではなかったにせよ、これ以降、給食運動に関わろうとする教師は勤務評定を意識せずにはいられなくなる。
    ●一方で、独立後の日本は、対共産主義の防波堤として位置づけ直されることで、アメリカの置土産の代償を払い続けることになる。再軍備および給食とアメリカの余剰農作物の市場開拓はセットであった。
    ●ソフト麺は、正式には「ソフト・スパゲティ式麺」という。1965年頃から給食に使われだしている。硬質小麦の粉、つまり強力粉が使用され、ビタミンB1やB2が栄養素として添加されているものだった。パンだけではアメリカの余剰農作物は解消されなかったので、パン以外にソフト麺が登場した、という言い方もできる。
    ●だが、現在、子どもたちが給食で空腹を満たしている現状、民間業者に払われる委託料の値上がりに自治体が苦しんでいる現状、そして「子どもの貧困」が新自由主義の一つの帰結である現状を鑑みても、子どもの生命がかかっている部門だけにコスト削減一辺倒の給食改革は思慮不足・構想稚拙という批判は免れないだろう。
    ●そして、香川、木村双方とも、いまが飽食の時代であることを前提に考えていることに注目したい。貧困は、ずっと隠されていたのであり、その少なからぬ部分を給食が守ってきたという点を、香川さえ主張できていない。歴史を振り返れば、給食廃止や給食民営化によって何が真っ先に失われるか、明らかであろう。

  • 「給食」というものが生まれた背景と、現代まで続いてきた中での変遷。

    日本でも戦前から給食はあった。農村地帯などで、貧困のため弁当を持たせてもらえない家庭の児童を救うためだ。

    それが敗戦後には全国規模で展開されることになる。そこには日本の食習慣を米食からパン食にシフトさせる事で、自国で余っている麦の売り先を確保しようとするアメリカの国家戦略も見え隠れする。

    またそもそも給食が導入される最初から、弁当は内容に家庭の事情による差が出て、児童自身が謂れのない恥ずかしさを感じてしまうのに比べて、給食は貧困家庭の児童が家庭事情の恥ずかしさから解放される事を目指しており、そのためにも無償支給を目指していた(無償支給は社会主義につながるというアメリカの方針に反対していた)という。

    そういうところから始まって、給食制度の普及、各学校で給食を調理する自校式と、別に設けられた給食センターで何校分もの給食を調理し配送するセンター方式などの変遷、米食の導入、果ては給食の献立を考え、調理を行う栄養士と教職員の対立の話まで、給食の歴史は様々な紆余曲折がある。

    今また経済的な理由などにより満足な食事が取れていない子どもの問題がクローズアップされてきている。給食を巡る問題は、根っこのところでは変わっていないという気がする。

  • 学校給食というとどんな思い出があるだろう。
    学校で一番楽しい時間だった人もいれば、嫌いなものを食べなくてはならなくて苦痛だった人もいるだろう。人気のおかずが余るとお代わりに皆が殺到したり、牛乳の早飲みをする猛者がいたり。
    それは授業とはまた違う、けれどもやはり学校という環境でなくては経験しえない時間であったはずだ。

    「学校で」「皆で」「同じものを」食べる。
    本書はそのことの意味を、その歴史を通じて見直していく1冊である。

    給食成立の背景には、貧困や災害があった。
    戦後の困窮期には、アジアへ向けたアメリカからの支援物資の利用があり、その影響は長く残った。
    学校給食は必要なのかとの議論もあった。
    自校方式でなくセンター方式が広まるにつれ、安全性への疑問や効率重視の弊害も叫ばれた。
    「食育」の観点から給食をもっと魅力的にしようと努力してきた人々もいた。
    一口に給食というが、その背後にはさまざまな事情があり、経緯があった。

    日本で本格的な学校給食が開始されたのは1919年のことである。背景には、不作や貧困で子供たちが十分な栄養が取れていなかったことがある。そうした中で、全校児童に同じものを提供するのは、スティグマ(烙印)を避けるためという意味合いが強かった。弁当の場合、明らかな貧富の差が出たり、そもそも持ってこれない者がいた。子供はそうした差に敏感だ。貧しいものにだけ給食を出せば、「明らかにあの家は貧しい」ということになる。給食実施の当初から、その点には注意が払われてきた。

    戦後の食糧難の時代には、GHQの放出物資や民間慈善団体の支援物資が入ってきた。脱脂粉乳やスープの素、缶詰等、さまざまな物資が送られてきた。
    パイナップルなどの物珍しい材料もある中、教師と父母が一緒になって調理をした学校もあったという。

    復興が進むにつれて、学校で給食を出す必要があるのかという議論も生じていく。
    1950年代はアメリカでも共産主義に対する警戒感が高まっていた頃だが、こうした流れで、児童皆に同じものを食べさせるのは共産主義的ではないのかという主張もあったのである。

    一方で、戦後、アメリカからの物資が入ってきたことは、その後の日本の食に大きな影響を及ぼした。
    そもそもGHQの担当官サムスは米食に批判的だった。給食にパン食を進めたのは、栄養的にそれが正しいという信念があってのことだったようだが、その後、日本の食生活が洋食よりへと大きく変化していくのに、そのことがある程度の役割を果たしたことはおそらく間違いないだろう。それにつれ、アメリカからの肉や野菜など、パン食に合う食材の輸入が増した面も否めないだろう。
    子供時代の食生活はそれだけ大きな影響を持ちうるともいえるのだ。

    経費削減の観点から、学校で作る自校方式から、より合理的なセンター方式に移行する流れが出てきた。しかし大規模に、機械的になるにつれて、食材の切り方や調理法などでよりきめ細かい対応ができなくなる例も出た。配送に時間が掛かるため、調理の時間が削られたり、温かいまま提供したりすることが不可能になったりもした。
    何より大きかったのは、ひとたび食中毒などの問題が出た場合に、影響が広域にわたることである。
    センター方式だけでなく、経費を削ることと子供の食の安心・安全の問題は常に裏表の関係にあった。こうした中から、食品安全に関する運動も生まれた。

    現在に至るまで、紆余曲折を経て発展・変遷してきた給食である。
    皆で一緒にご飯を食べるというのはやはり楽しいことであるはずである。偏食がちの子でも、新しいメニューに触れることで食べられるようになることもあるだろう。マナーを学ぶ面もあるだろう。何より、ともに食事をすることには、どこか心の垣根を払う面もある。
    給食の時間をより楽しい、実りあるものにするために、さまざまな試みもなされている。
    教育と福祉の狭間で、その道のりは平坦でも穏やかでもないけれども、それでもなお、給食には大きな可能性があるのではないか。
    そんなことを思わせる労作である。

  • こんなに給食について考えたのは、給食をいただいていた小学校以来どころか35年の人生初だと思う。

    私の中の給食の思い出に強烈に残っているのは小学2年時、イワシか何かのマリネがどうしても食べられなくてベランダに机ごと出されて食べ終わるまで放課後ずっと残されていた…という苦い記憶。

    そんなような感じで、少なからず各々の給食の思い出を呼び覚まさせる新書。

    が、本書の意義や趣意はもっと広範で、戦時下の強兵育成というところから始まりアメリカによる小麦・ミルク市場としての給食、中曽根首相時代の新自由主義方針と給食の変容、と新たに知った事・考えさせられた事が沢山。まさかソフト麺や先割れスプーンにこんなに背景があったなんて!

    「学校給食感謝の日」についてはもっときちんと広めた方が良いと思う。

    本書参考文献の『ナチスのキッチン』、フレーベル館『日本全国給食図鑑』とみすゞ書房『味と雰囲気』は一度読んでみたい。



    1刷
    2021.5.18

  •  日本の給食の歴史がよくまとまっている。

     給食は、教育政策、貧困政策、災害政策、健康政策、
    食料自給、地域の発展、地域の活性化と関連がある。
     新型コロナで突然休校になり、保護者や給食関連企業は困っている。
     給食は廃止して弁当にすればいいと思っていたが、安心でおいしい給食の提供を続けていくことの必要性を認識した。

  • 学校給食は子供達を飢餓から救うことから始まった。
    今でも「学校給食が唯一栄養バランスの取れた食事」である子は存在する。給食費の未納を給食の停止につなげて、子供に大きなしわ寄せが行くことはあってはならない。

    センター方式では給食の品質が劣化する。自校方式では人件費がかかるが、食べる人と作る人、互いのの顔が見える。それが調理員のやりがいにつながる。子供達も残しては申し訳ないという気持ちになる。

    中学校の給食提供率が低いこと。

    給食のもたらす意義は大きい。給食は母親の怠慢ではない。弁当では格差が浮き彫りになり子供同士が気まずい思いをする。家庭だけに食育を押し付けることは限界がある。みんなで同じ物を食べることで家では食べられないものが食べられたり、栄養バランスの取れた食事の目安を知ることができる。

    税金はこういう部分に使われるべきだ。子供も大人も、今一度、食の持つ力を見直し、大切にするべきだと思った。疎かにしてしまいがち。

    そんなことを思わせてくれた一冊。

  • 偏食だったので給食には強制とか押しつけとか担任教師の理不尽と横暴とか苦々しい小学校時代の思い出しかありませんが。あの頃はみんな貧乏だったから今ほど貧困問題が取り上げられることもないのだけれど子どもの貧困問題は最近始まったことではないのだということがわかりました。給食も多様化していいと思いますし感覚の過敏性からくる偏食についても教師には理解してもらいたいとも思います。やはり歴史的なところをひもとくところからやらないとこういったことの研究は進まないということもわかりました。よい研究書だと思います。

  • NDC分類 374.94

    「学校で毎日のように口にしてきた給食。楽しかった人も、苦痛の時間だった人もいるはず。子どもの味覚に対する権力行使ともいえる側面と、未来へ命をつなぎ新しい教育を模索する側面。給食は、明暗が交錯する「舞台」である。貧困、災害、運動、教育、世界という五つの視覚から知られざる歴史に迫り、今後の可能性を探る。」

    目次
    第1章 舞台の構図
    第2章 禍転じて福へ―萌芽期
    第3章 黒船再来―占領期
    第4章 置土産の意味―発展期
    第5章 新自由主義と現場の抗争―行革期
    第6章 見果てぬ舞台

    著者等紹介
    藤原辰史[フジハラタツシ]
    1976年、北海道旭川市生まれ、島根県横田町(現・奥出雲町)出身。2002年、京都大学人間・環境学研究科中途退学。京都大学人文科学研究所助手、東京大学農学生命科学研究科講師を経て、京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史。著書に『ナチスのキッチン』(水声社、河合隼雄学芸賞、2012、2016=決定版、共和国)、『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房、日本ドイツ学会奨励賞、2005、2012=新装版)など

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著者プロフィール

1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史、食の思想史。2006年、『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房)で日本ドイツ学会奨励賞、2013年、『ナチスのキッチン』(水声社/決定版:共和国)で河合隼雄学芸賞、2019年、日本学術振興会賞、『給食の歴史』(岩波新書)で辻静雄食文化賞、『分解の哲学』(青土社)でサントリー学芸賞を受賞。著書に、『カブラの冬』(人文書院)、『稲の大東亜共栄圏』(吉川弘文館)、『食べること考えること』(共和国)、『トラクターの世界史』(中公新書)、『食べるとはどういうことか』(農山漁村文化協会)、『縁食論』(ミシマ社)、『農の原理の史的研究』(創元社)、『歴史の屑拾い』(講談社)ほか。共著に『農学と戦争』、『言葉をもみほぐす』(共に岩波書店)、『中学生から知りたいウクライナのこと』(ミシマ社)などがある。

「2022年 『植物考』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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