流言のメディア史 (岩波新書 新赤版 1764)

著者 :
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  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004317647

作品紹介・あらすじ

流言蜚語、風評、誤報、陰謀論、情報宣伝…….現代史に登場した数々のメディア流言の「真実」を見極め、それぞれの影響を再検証するメディア論。ポスト真実のデジタル情報化時代に求められる、「バックミラーをのぞきながら前進する」メディア史的思考とは何か。「あいまい情報」のメディア・リテラシーがいまここに。

感想・レビュー・書評

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  • 久しぶりにメディア史関連の本を読んだ気がするが、随所で目からうろこが落ちる思いをし、非常に面白かった。「流言」という素材は、社会史やメディア史ではちょいちょい扱われているものであるが、そうした流言研究史をきちんと批判的に摂取し、新たな分析を加えている。

    構成は全9章プラス「はじめに」と「おわりにかえて」。1章から9章までそれぞれ具体的な「流言」が扱われている。簡単に紹介しておくと、第1章が有名な火星人襲来の話。第2章は、関東大震災時の流言。第3章が「キャッスル事件」、第4章が二・二六事件、第5章が「造言飛語」、第6章が従軍慰安婦問題などから「歴史のメディア化」が論じられ、第7章は(反体制ではなく)半体制のメディア、第8章が原子マグロの話し、そして第9章が「ヒトラー神話」の戦後史と続く。

    メディア史的思考こそ、メディア・リテラシー涵養にとって最重要という著者の主張は、これらメディア史的思考実践によって裏付けられていると言えよう。

  •  最近いろいろ新書を読み漁っているうちの一冊。あまり考えないで手に取ったが例によって予想がはずれた。ぼくはタイトルを読み取る能力がないのかもしれない。ふーんと思って装丁を見直したら岩波新書だった。なるほどそうだったか。ここのところの新型コロナウイルス問題で、あることないこと虚言妄言流言風説無責任メディア情報が氾濫しているので、その辺の問題提起を期待したのだが、全然違って新聞を代表とするメディアの意図的あるいは意図せざる輿論操作の歴史をたどったまともな論考だった。それはそれで興味深いが古い話が多いので、最近のニュースのワイドショー化とか似非評論家の跋扈とかSNS情報の信頼性とかは出てこない。そういう向きには「おわりにかえて」だけ読めばいいかな。

  •  多くの事例が挙げられているが、とりとめがないというか読みにくい。所々に著者の個人的体験が入っているから尚更だ。
     他方、メディアを通じた流言の流布はSNS時代の今に始まったわけではなく、20世紀前半には既に多くの事例があった。デマを悪意で拡散させたわけではなく、裏取り不足や推定に基づく、結果的に誤報だったものだ。しかも、大新聞も少なからず加担していた。
     現代では大手メディアの報道姿勢は過去より厳密になった、と信じたい。それでも著者は、情報の伝播は大メディアであれSNSであれ口コミであれ人と人とのコミュニケーションである以上、メディア流言はなくなることはない、と末尾で述べている。

  • 過去のメディア流言事例を紹介した本。戦前からある既存メディア、特に新聞というのがどういう位置づけのものだったか理解できる。ありていに言えば、新聞に載っているからといって鵜呑みにしてはいけないということ。
    第1章:アメリカで火星人襲来のラジオドラマを行ったらパニックが起きたという逸話が、そもそもラジオという新興メディアの影響力を強調するためのフェイクであったことの指摘。
    第2章:震災時の朝鮮人虐殺事件は、パニックというよりも、自警団という名の大衆による主体的な行為であったという指摘。
    第3章:戦前の政治スキャンダル。裁判で事実無根とされたにも関わらず、新聞と一部政治家への不信という形で後々まで影響を残した。
    第4章:中山忠直の著書はここで全文読める。[ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1443774 ]
    第9章:戦後のヒトラー神話。

  • メディア流言を単に批判するのではなく、ニュースはそもそも曖昧なものであり、その中で思考を停止せずに、最善の行動を考えることがメディア・リテラシーとして重要、という最後に示されている考えは、新鮮で興味深いものでした。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/721033

  • 真実を見抜く力というより,あいまい情報に耐えてのらりくらり生きる力がメディアリテラシー

  • 佐藤卓己氏の史実資料を基にしたメディアと流言の歴史。

    メディアと流言が切っても切れない関係にあったことが多くの事例を通して示されている。

    かなりマニアックな事例が多く理解するために一定の知識が必要になるだろう。



    やや揚げ足取りになるが、「パニック」に関する定義がないまま、いくつかの「パニック」が語られている箇所がある。そのため、個人のパニックと社会的なパニックの違いが明確でなく、佐藤氏の主張がくみ取れない箇所がある。

  • 【電子ブックへのリンク先】※スマホ・読上版です!

    https://elib.maruzen.co.jp/elib/html/BookDetail/Id/3000085183

    ※学外から利用する場合は、「学認アカウントを・・・」をクリックし、所属機関に本学を選択してキャンパスIDでログインしてください。

  • メディアはどうあるべきか、「何をどのように伝えたのか」から考える。

    フェイクニュースは、SNSが発展したから生まれたのではない。SNSがすべての悪の権化ではない。とかく新しいもの=悪者にしたがる自分を反省した。史料の引用も多く、簡単には読み進められなかったが、筆者の言わんとするところは明確に説明されている。

    新聞やラジオ・TVなどのマス・メディアが「正しい」と思うから、事実でないことが報道されているのに神経をとがらせてしまう。知識があれば、誤った情報に飛び付かない、それは間違いだ。皆が望むものを報道してしまうマス・メディアの一面という視点は、今まで自分の中になかったので、特に新聞に関して、事実を伝えるだけでなく、望むもの/望まれるものを伝えるという性格について考えていきたい。知識がある人こそ、「知りたい」という思いから、トンデモ情報を入手していくということも、改めて指摘されればその通りである。そして、AIによって「真実」のみしか流通しない社会になってしまえば、逃げ場がなくなるという恐怖も感じる。

    メディア流言はあるものという前提で、あいまいな情報に耐えながら、それでも何が信じられるのかを情報の受信者でもあり発信者でもある一人ひとりが考えていかなくてはならない。でも、変わったのは、そこではない。量やスピードが変わったのであって、本質は変わっていないのだ。

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著者プロフィール

佐藤卓己(さとう・たくみ):1960年生まれ。京都大学大学院教育学研究科教授。

「2023年 『ナショナリズムとセクシュアリティ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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