独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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レビュー : 140
  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004317852

作品紹介・あらすじ

「これは絶滅戦争なのだ」。ヒトラーがそう断言したとき、ドイツとソ連との血で血を洗う皆殺しの闘争が始まった。日本人の想像を絶する独ソ戦の惨禍。軍事作戦の進行を追うだけでは、この戦いが顕現させた生き地獄を見過ごすことになるだろう。歴史修正主義の歪曲を正し、現代の野蛮とも呼ぶべき戦争の本質をえぐり出す。

感想・レビュー・書評

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  • 不可侵条約を結んでいたはずのドイツとソビエトによる戦争、その起承転結が綴られた一冊です。
    何故、条約を破ってまでドイツがソ連侵攻を決断し、最後の最後まで戦うことになったのか。
    第二次世界大戦は早期講和が可能である戦争でしたが、ドイツも日本も時期を見誤りました。
    戦況悪化に伴った対話を頑なに拒む内部の存在、ドイツにおけるNSDAPと日本における軍部は大変似ています。
    戦争と対話は外交政策上では表裏一体ですが、齎す結果は全く違います。
    独ソ戦は飢餓や虐殺が日常の地獄と化したのです。
    外交を軽んじた場合の高額なレッスンを枢軸国は受けましたので、同じ轍を踏むことのないようにしたいものです。

  • 各所でも非常に評判が高い『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』。特に読書サイトHONZで成毛眞さんが大絶賛していた。

    この本の素晴らしいところを挙げていくと、第一に何よりコンパクトであるということ。第二に、独ソ戦の過程をその目的から「通常戦争」「収奪戦争」「世界観戦争」に分類して次第に後の二つの位置づけが占める割合が増えていったという陰鬱だが的確な分析を与えてくれること。最後に、実際に起きた事実に対する真摯さとその追究への意志、さらにそのための読者へのガイドが丁寧で適切あること、となるだろう。著者はすでに多くの関連書籍の翻訳もしていて、その資料面での網羅性や論考の確かさには信頼がおける。今後、さらに他にも翻訳の予定があるとのことで楽しみである。

    独ソ戦の特異性は、その人的・物的損害の数量的甚大さであるが、それに加えて相互憎悪から来る徹底した残酷さを挙げることができる。

    「ナチス・ドイツとソ連のあいだでは、ジェノサイドや捕虜虐殺など、近代以降の軍事的合理性からは説明できない、無意味であるとさえ思われる蛮行がいくども繰り返されたのである」

    実際にそこで何が行われたのかについては、ヒトラーが何も語らずに死んだことを利用して、国防軍の上層部が自己保全のために過度にヒトラーの責にするために事実をゆがめてきたこと、また世間もその物語を求めたことによって長く隠されてきたものがあるという。またソ連側も、戦後のスターリン体制による抑圧によって、正しい情報が明らかにされるまでの時間がかかった。そのため、二十一世紀に入った今もまだ新しい事実の発見があるという。本書は、そういった最新の新事実をもとにした独ソ戦への道案内である。

    中学生のとき、社会科の教科書に第二次世界大戦におけるソ連の死者が2,000万人と書かれていて、それが群を抜いて多かったことを不思議に思ったことを覚えている。情報を統制する社会主義国家なので、過度に多めに見積もることで戦後賠償などを有利に進めようとしたんだろうかと思っていた。しかし実際は、逆にそれは国威のため低めに見積もった数字ですらあるとのことだ。独ソ戦については、アントニー・ビーヴァーの『スターリングラード 運命の攻囲戦 1942-1943』『ベルリン陥落 1945』を読んでいたので大枠の流れやその過酷さは知っていたが、この本であらためてそれが並大抵のものではないことがわかった。

    ソ連側では、スターリンの猜疑心から来る軍上層部の大量粛清に加えて、ドイツのソ連侵攻の情報を得ていながら、現実を顧みることなくそれを陽動作戦であるとして退けて準備を怠ったことが事態の深刻化を招いた。一方、ドイツ側ではヒトラーが陸軍指揮権を握ることになり、最終的にヒトラーの思い込みと楽観から来る非合理な作戦指示により戦争の泥沼化を招いた。軍事でもビジネスでも、システムの中で適切な権限移譲がなされているかどうかはことの成否を大きく左右する。また、それ以上に両トップによる「世界観戦争」-ドイツでは「東方植民地帝国の建設」、ソ連では「大祖国戦争」と呼ばれた - は、互いに限界のなさを兵士に強いることになり、そのためお互いに必要以上の残酷さを引き出すこととなった。ドイツがソ連兵の捕虜を過酷に扱い、命の保証がないとの認識がソ連側で拡がることで、ソ連兵士の抵抗はさらに激しくなり、泥沼化を極めていったのは皮肉でもある。兵站が伸び切ったドイツが食物の略奪を始めてしまったことも現地で敵を作ることになり、住民の憎悪を煽る原因ともなった。ドイツ側から見ると、そもそもが収奪戦争の側面もあったのだ。想像を超えた惨禍となったことにはある種の必然性があったとも言える。

    「筆者の試みが、未曾有の戦争である独ソ戦を「人類の体験」として理解し、考察する上での助けとなることを期待したい」という書く意味を私たちはどこまで理解することができるだろうか。

    ナチスやスターリンが権力を握る前の1919年に出版された本の中で、ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーは次のように警鐘を鳴らした。それは警鐘であったが、処方箋はなく、またそれが必要な人たちには決して届くことのない警鐘であった。

    「とてもたくさんのドイツの若い世代の人たちが預言者を探し求めていますが、まさにそんな預言者などいない。これは決定的な事態です。この事態についての知が、この事態の十全な重みをもっては、若い世代の人たちに生々しく受けとられない。これが、みなさんがしてしまうことです」
    (『仕事としての学問』マックス・ヴェーバー)

    「近代国家では、実際上、政治を行う手段すべてを思いのままに動かす権力は単一の頂点に集積していく。自分が使うカネ、あるいは思うままになる建物、貯蔵、道具、戦争の装備を個人として所有する役人は、もはや誰一人としていない。行政スタッフ(行政官僚や公務労働者)は、実質的な行政手段から「切り離される」。この「切り離し」が完遂されるのが近代国家で、これこそが近代国家に特徴的なことなのです」
    (『仕事としての政治』マックス・ヴェーバー)

    最後に著者は、ドイツ国民の「共犯性」についても厳しく指摘する。ナチスは、ドイツ国民の優越感をくすぐり、実態として当時ドイツ国民は他国民からの略奪によって得られた富で比較的恵まれた待遇を享受していた。もしくは少なくとも将来他国よりも恵まれた待遇を享受する可能性を期待していた。おそらくはそれがどこから来るものなのかを彼らは知っていた。それがゆえに、彼らは多かれ少なかれナチスの共犯だったのだという。なぜ、西にイギリスという敵を抱えながら、ドイツが対ソ戦に踏み切ったのかの理由のひとつがソ連から食料を収奪し、国民および国防軍の食料を与えることにあった。そのために、ソ連の住民が飢餓によって死ぶことも承知の上であったのだ。

    「彼らは、初期帝国主義的な収奪政策による利益を得ていることを知りながら、それを享受した「共犯者」だったのである」

    著者によると、「絶滅・収奪戦争を行ったことへの贖罪意識と戦争末期におけるソ連軍の蛮行に対する憤りはなお、ドイツの政治や社会意識の通奏低音となっている」という。第二次世界大戦は、文明という観点において最も進んでいた欧州で、人類がどれほど野蛮になることができるのかを示した。それは人類として正しく知るべき史実であると思う。
    また改めて、日中戦争含めた日本の戦争についても深く知っておくべきものだと思う。当時の多くの日本人も、同じ意味において軍部との共犯者であったと言えるのかもしれない。歴史を学ぶというのは、単に史実を知るということではない。そういうことを教えてくれる本でもあった。

    お勧め。

    ---
    『ベルリン終戦日記―ある女性の記録』(アントニー・ビーヴァー)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4560092087
    HONZレビュー「『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』2019年のNo1新書」 (成毛 眞)
    https://honz.jp/articles/-/45311
    『仕事としての学問 仕事としての政治』(マックス・ヴェーバー)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4065122198
    『「砂漠の狐」ロンメル ヒトラーの将軍の栄光と悲惨』(大木毅)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4040822552

  • 第二次世界大戦といえ自国のことを中心にし知らないことが多い。独ソ戦によっていかに人が死んだか。恐ろしすぎる。通常戦争ならまだ人としての倫理もあるが後に収奪戦争となり、さらに世界観戦争となると地獄そのもの。悲劇としかいえない。

  • 2020新書大賞第一位。

    失礼ながら、このタイトルにして一位になるのだから、只者ではないんだろうなと予感していたのだけど、非常に分かりやすく読めて驚いた。

    「新書でスタンダードな独ソ戦通史を書くという大きな課題が、はたして達成されたかどうか。落ち着かない思いのまま、読者の審判を待つしだいである。」

    筆者のあとがきより。

    これまで言われてきた独ソ戦史観を改めながら、その「通常戦争」「収奪戦争」「世界観戦争(絶滅戦争)」の三つの目的の輪が、戦局の後半になるに至って「絶対戦争」と化していく姿を論じている。

    ヒトラーさえいなければ、ではなく、そもそも独ソ戦の初期設定からして国防軍も噛んでおり、そして見誤っていたということ。
    また、収奪戦争かつ絶滅戦争の色合いから、ルール無視の暴虐と報復をお互いに繰り広げながら、戦後ソ連の隠蔽が行われ、オフィシャルな見解までも歪められていたということ。

    そのヴェールを一枚一枚剥がしていった時、イデオロギー的勝利って、劣等人種の絶滅って、結局何だったんかな、とポツリと思った。
    物資の獲得という目に見える利益だけではなく、思想的な、ヒトとしての優越を得たところで、何が満たされるんだろう。(当然、支配権を持っているという自負?)
    不勉強ですいません。

    私は2001年に公開された「スターリングラード」という映画が割と印象に残っていて、独ソ連についても、そのイメージと、その後ドイツが分割統治されていくイメージしか持っていなかった。

    なので、こういう、ビギナーに優しい一冊は本当にありがたいし、そういった本が脚光を浴びる舞台があって良かったなと思う。

  • この最新の独ソ戦研究は、例えば、ドイツ人はヒットラーの狂気に振り回されたなどという俗説を完全に否定します。ヒットラーは初めからロシアの資源を収奪し民族を絶滅させ、そこに生存圏を確保するという冷酷で独善的なプランがあり、ドイツ人はその恩恵を目当てに加担していました。桁違いのジェノサイドや捕虜虐殺、ユダヤ人虐殺を引き起こした世界観戦争とは何か。コンパクトにまとめていますが、酸鼻の極み、眼から鱗のオンパレードです。優れているというロシアの用兵思想、そしてそれを踏まえた満洲侵攻の詳細も知りたくなりました。

  •  独ソ戦といわれても、不勉強な自分は特にピンと来るものもなく、話題作だからということで読み始めたのですが、これはかなりの力作だと感じました。

     軍事、戦術面の解説はもちろんのこと、当時の指導者のイデオロギー、独ソそれぞれの国内、国外政治や経済状況、戦後の戦史の語られ方と、様々な観点から独ソ戦の全体像を描き出します。

     戦争での上層部の失策でその割を喰らうのは、兵士と市民だと常々思っているのですが、この本でも改めてそれを感じました。
    敵を過小評価し補給を考えず、進撃を続けたドイツ。優秀な指揮官を次々粛清し、重要な情報から目を背けたソ連。

    結果、互いに決め手を欠き、いたずらに戦火は広がり、戦況は泥沼化。それでも撤退命令を出さないドイツに対し、反撃するソ連、そして犠牲者は増え続けて……。

     この本で語られる三つの戦争観の概念は、個人的に新鮮でした。軍事的合理性にもとづき、敵の戦闘継続の意思をくじき、戦争の終結を目的とする「通常戦争」
    しかし独ソ戦はその「通常戦争」が徐々に「収奪戦争」そして「絶滅戦争」の色合いが濃くなったと、著者はしています。

     資源不足に悩んでいたドイツは、食料などの資源、さらには奴隷による労働力も戦争に勝利し、占領によって獲得しようします。これが「収奪戦争」
    そして、国内の分断の回避、政治の安定化のため、ナショナリズムを高め、他の人種や国家を絶対的悪とするイデオロギーを、戦争に埋め込んでいきます。これが「絶滅戦争」

     敵や劣等人種であれば何をしても構わない、そうした高慢さが「収奪」に拍車をかけ、また過剰なナショナリズムが戦況を見誤り、結果、戦争は泥沼化の一途を辿ったのか、と個人的には思います。
    ヒトラーをはじめとしたドイツの上層部も、国民を操るためのナショナリズムに、自分たちも知らぬ間に囚われてしまったんじゃないかなあ。

     アメリカの参戦で潮流が変わり、ソ連もドイツへの報復心から防戦から「絶滅戦争」的なイデオロギーを、打ち出すようになります。そして、戦後の占領地の拡大「収奪」目的で、ドイツ侵攻も積極的に行い……。そして結果ドイツは東西に分かれ、戦後の冷戦につながっていくわけですね。

     著者によると独ソ戦は、歪められた視点で語られることが多かったそうです。戦後ドイツ、ソ連はともに、国威の維持などの政治利用のため、戦争被害を過少に報告したり、ヒトラーなど一部の指導者に、責任をなすりつけたりしました。
    ソ連解体によって徐々に情報公開が進み、ようやく全体像が明らかになりつつあるそうです。

     人種差別、ナショナリズムによるイデオロギーの危険性は、日本を含めて今も世界で燻り続けているように思います。だからこそこうした戦争の悲惨さから学ぶことは、重要だと思います。

     軍事的な読み物としても、大変読み応えがあったのですが、願わくばその先にある、平和のための一冊にこの本がなってほしいな、と思います。

  • ヒトラーの公共事業など失業対策について以前からずっとひっかかっていたのだが、本書第3章第1節のうち「大砲もバターも」という小見出し(p.85)以降の経済政策上の議論を読んで腑に落ちたところがあった。つまり、ヒトラーの経済政策は、「平和を維持する経済成長」ではなく、その後の初期帝国主義的な、国外からの収奪を安定の肝とするような sustainable でない政策になっていた、ということが示されている。
     このくだりを読むことで、「ヒトラーは邪悪だが、経済政策には見るべきところもあったのではないか」というような観点をほとんど捨て去ることができた。時代遅れの、自国民への富国強兵的な甘やかし(大砲もバターも)が、WW2ドイツ末期の「特権の停止、収奪への報復」(p.212)を恐れる国民の醜悪さをその帰結として生み出したのだとしたら、他者や他国を虐げない経済政策を市民ないし国民の手で考えることは、より平和な国際秩序を目指す上で、とても大事なことになるのだろう。

  •  書店を訪問するといつも新書コーナーに立ち寄ります。
     新書はパフォーマンスが良いんですよね。1冊が2時間そこらで読めてしまうので、流行をとらえるのに時間がかからない。サクッと呼んで興味のわいた分野があればより厚めな専門書にあたる、というアプローチが取れます。

     ある日いつものように新書コーナーに立ち寄ったら信じられない光景が目に飛び込みました。
     独ソ戦をテーマにした新書の帯に「新書大賞 第1位」と書かれている。「おいおい誰だよ、別の本の帯を巻いた奴は。」と思いましたが、よくよく見ると本当にこの本が第1位を取った模様。

     いったい何が起こったのか理解できませんでした。独ソ戦てのはマニアだけしか目を向けない、血生臭くともニッチの極みともいえるテーマです。
    何か民放で独ソ戦を扱ったドラマだか映画が製作されて、ジャニーズや人気若手俳優が出演したんだろうか、と現実離れした考えが思わず頭に浮かびました。
     よくよく調べると有名な書評サイトで本書が激賞された模様。ああ、そういうこと。

     第二次世界大戦の欧州戦役は普通の人よりも「少しは知っている」と自認していました。
     パウル・カレルの書籍はどれも読んだし、マンシュタインの書籍にもあたりました。学研社の「歴史群像シリーズ」は挿絵が豊富でおっさんでもワクワクしながら読めますし、E・クライネのティーガー戦記は戦車乗りの過酷さを生々しく表現しています。
     それなのに改めて本書を購入したのは大木さんの著書だから。
     「砂漠の狐、ロンメル」では正確な事実にもとづいて歴史を描写する姿勢と、枢軸軍と連合軍を分け隔てなく(なんだか変な表現ですが)公平に評価する姿勢に感心しました。「この人の著書なら損はしないかな」と思わせてくれます。

     読んでみた感想はやはり損をしない内容でした。
     本書で感じた読みどころは大きく2つで、一つは正確な史実の提示。
     本書の骨子となっている戦局推移はすでに知った内容ですが、ディテールを見ると「えっ、そうだったの!?」を感じる事実が豊富に紹介されています。
     なまじ独ソ戦に関する情報を玉石混交な形で仕込んでいただけに、それが実は事実に反する、あるいは異常に脚色されたものと知った時の衝撃はなかなかのものでした。
     「私は独ソ戦について知っている」というのは思い込みにすぎず、『坂の上の雲』を読んで「私は日露戦争を知っている」と吹聴しているに等しい行為だったと思い知らされました。ああ、恥ずかしい。
    (ただ、クルスク戦役であれほど手に汗握って読んだプロホロフカ大戦車戦が史実に反すると聞かされたときの残念さと言ったら。。。「ケンプフはよっ!」と焦れていた私はいったい何だったのか・・・。)

     もう一つの読みどころは独ソ両陣営のイデオロギー構成の説明。ある意味これが本書の主要テーマなのですが、一般の戦史本とは違う趣を醸し出しています。この戦いが何ゆえに凄惨な殺し合いに発展したのか、理解の端緒になると思います。
    (個人的にはその説明に物足りなさを感じましたが、あとがきにも書かれているように、独ソ戦に興味を持った方の入門書的な位置づけとしては十分だと思います。)

     大木さんの歴史本は平明な表現と構成なのでとても読みやすく、それに加えて正しい史実の理解につながるのでどれも良書です。
     本書もその一つと言えるのではないでしょうか。 

  • 本書では珍しく第二次世界大戦におけるドイツとソビエト連邦の戦いをテーマとしたノンフィクションである。
    恥ずかしながら、第二次世界大戦といえば、日中戦争からの太平洋戦争のイメージが強く、ヨーロッパではナチスドイツによるユダヤ人虐待ばかりが目を引いていた。
    本書では、当時のヨーロッパ各国の思惑、特にヒトラーとスターリンの戦争観から実際の独ソ戦がどのように展開していったのかを史実に基づいて時系列に整理されている。
    本書によりヒトラーが単にユダヤ人だけを差別していたわけではないこと、真の目的がソビエト連邦を植民地化することであったことは驚きであった。
    歴史書を読むと毎回感じることであるが、授業の時間枠という制約はあるにせよ、歴史の授業でこのような内容を伝えるれば、もっと学生たちに歴史に興味を持たせることができるとともに、歴史を学習することの重要性を理解させることができると思うのだが。

  • 史上最も悲惨な戦争であった独ソ戦。その凄まじさは『スターリングラード』など映画には繰り返し描かれてきたし、個々の戦闘に関してはミリオタの関心を満たすような書籍はいろいろとあったようだが、最新研究の成果を反映して、手軽に全貌を掴むことのできるのが本書。

    ペレストロイカ以降に明らかになったソ連=ロシア側の資料を用いて更新された著作が日本語ではこれまでほとんど読めなかった。共産圏の強さを示すためにソ連側の資料は誇張や脚色が含まれていたが、実際にはスターリンにも独断からくる相当の判断ミスや失敗があった。

    なぜ独ソ戦はここまで悲惨な戦争になってしまったのか。それはドイツ側が政治的・戦略的目的を達成するためではなく、特定の思想(例えば共産主義)や属性(例えばユダヤ人)を持った人々を絶滅させるために戦争を行うという世界観を持っていた点にある。そのこと自体は広く知られてきたことだが、これを現場の戦略・戦術・作戦という点から検証しなおしたのが、本書の(あるいは近年の歴史研究の)成果と言えるだろう。

    戦争法に反し現場では野放図な略奪や殺戮が繰り返されたが、それは単なる軍規の乱れではなく、そもそもの戦争の目的だったというわけだ。戦況が悪化すると指揮系統は無理な指令を次々と発し、現場のタガは外れていった。残忍な行為は報復を呼び、殺意はエスカレートしていく。

    ヨーロッパ=ユーラシアは陸続きという点も余計に被害を大きくした。太平洋戦争では、南洋の島々と海戦がメイン、陸上戦で被害が及んだのは沖縄戦のみ、本土は空爆にとどまった。確かに多くの命が失われたが、もし本土決戦をやっていたら、とてもこんなものでは済まなかったろう。本書を読んで慄然とした。

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著者プロフィール

大木毅
現代史家。1961年東京生まれ。立教大学文学部史学科卒業。同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。ボン大学留学。千葉大学その他の非常勤講師を経て、現在著述業。著書に、『独ソ戦』(岩波新書)、『「砂漠の狐」ロンメル』『ドイツ軍攻防史』(作品社)、訳書に、カール・ハインツ・フリーザー『電撃戦という幻』(上下、中央公論新社)、『マンシュタイン元帥自伝』(作品社)などがある。

「2020年 『クルスクの戦い 1943』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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