独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
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本棚登録 : 1218
レビュー : 147
  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004317852

作品紹介・あらすじ

「これは絶滅戦争なのだ」。ヒトラーがそう断言したとき、ドイツとソ連との血で血を洗う皆殺しの闘争が始まった。日本人の想像を絶する独ソ戦の惨禍。軍事作戦の進行を追うだけでは、この戦いが顕現させた生き地獄を見過ごすことになるだろう。歴史修正主義の歪曲を正し、現代の野蛮とも呼ぶべき戦争の本質をえぐり出す。

感想・レビュー・書評

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  • 不可侵条約を結んでいたはずのドイツとソビエトによる戦争、その起承転結が綴られた一冊です。
    何故、条約を破ってまでドイツがソ連侵攻を決断し、最後の最後まで戦うことになったのか。
    第二次世界大戦は早期講和が可能である戦争でしたが、ドイツも日本も時期を見誤りました。
    戦況悪化に伴った対話を頑なに拒む内部の存在、ドイツにおけるNSDAPと日本における軍部は大変似ています。
    戦争と対話は外交政策上では表裏一体ですが、齎す結果は全く違います。
    独ソ戦は飢餓や虐殺が日常の地獄と化したのです。
    外交を軽んじた場合の高額なレッスンを枢軸国は受けましたので、同じ轍を踏むことのないようにしたいものです。

  • 各所でも非常に評判が高い『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』。特に読書サイトHONZで成毛眞さんが大絶賛していた。

    この本の素晴らしいところを挙げていくと、第一に何よりコンパクトであるということ。第二に、独ソ戦の過程をその目的から「通常戦争」「収奪戦争」「世界観戦争」に分類して次第に後の二つの位置づけが占める割合が増えていったという陰鬱だが的確な分析を与えてくれること。最後に、実際に起きた事実に対する真摯さとその追究への意志、さらにそのための読者へのガイドが丁寧で適切あること、となるだろう。著者はすでに多くの関連書籍の翻訳もしていて、その資料面での網羅性や論考の確かさには信頼がおける。今後、さらに他にも翻訳の予定があるとのことで楽しみである。

    独ソ戦の特異性は、その人的・物的損害の数量的甚大さであるが、それに加えて相互憎悪から来る徹底した残酷さを挙げることができる。

    「ナチス・ドイツとソ連のあいだでは、ジェノサイドや捕虜虐殺など、近代以降の軍事的合理性からは説明できない、無意味であるとさえ思われる蛮行がいくども繰り返されたのである」

    実際にそこで何が行われたのかについては、ヒトラーが何も語らずに死んだことを利用して、国防軍の上層部が自己保全のために過度にヒトラーの責にするために事実をゆがめてきたこと、また世間もその物語を求めたことによって長く隠されてきたものがあるという。またソ連側も、戦後のスターリン体制による抑圧によって、正しい情報が明らかにされるまでの時間がかかった。そのため、二十一世紀に入った今もまだ新しい事実の発見があるという。本書は、そういった最新の新事実をもとにした独ソ戦への道案内である。

    中学生のとき、社会科の教科書に第二次世界大戦におけるソ連の死者が2,000万人と書かれていて、それが群を抜いて多かったことを不思議に思ったことを覚えている。情報を統制する社会主義国家なので、過度に多めに見積もることで戦後賠償などを有利に進めようとしたんだろうかと思っていた。しかし実際は、逆にそれは国威のため低めに見積もった数字ですらあるとのことだ。独ソ戦については、アントニー・ビーヴァーの『スターリングラード 運命の攻囲戦 1942-1943』『ベルリン陥落 1945』を読んでいたので大枠の流れやその過酷さは知っていたが、この本であらためてそれが並大抵のものではないことがわかった。

    ソ連側では、スターリンの猜疑心から来る軍上層部の大量粛清に加えて、ドイツのソ連侵攻の情報を得ていながら、現実を顧みることなくそれを陽動作戦であるとして退けて準備を怠ったことが事態の深刻化を招いた。一方、ドイツ側ではヒトラーが陸軍指揮権を握ることになり、最終的にヒトラーの思い込みと楽観から来る非合理な作戦指示により戦争の泥沼化を招いた。軍事でもビジネスでも、システムの中で適切な権限移譲がなされているかどうかはことの成否を大きく左右する。また、それ以上に両トップによる「世界観戦争」-ドイツでは「東方植民地帝国の建設」、ソ連では「大祖国戦争」と呼ばれた - は、互いに限界のなさを兵士に強いることになり、そのためお互いに必要以上の残酷さを引き出すこととなった。ドイツがソ連兵の捕虜を過酷に扱い、捕虜となったら命の保証がないとの認識がソ連側で拡がることで、ソ連兵士の抵抗はさらに激しくなり、泥沼化を極めていったのは皮肉でもある。兵站が伸び切ったドイツが食物の略奪を始めてしまったことも現地で敵を作ることになり、住民の憎悪を煽る原因ともなった。ドイツ側から見ると、そもそもが収奪戦争の側面もあったのだ。想像を超えた惨禍となったことにはある種の必然性があったとも言える。

    「筆者の試みが、未曾有の戦争である独ソ戦を「人類の体験」として理解し、考察する上での助けとなることを期待したい」という書く意味を、果たして私たちはどこまで理解することができるだろうか。

    ナチスやスターリンが権力を握る前の1919年に出版された本の中で、ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーは次のように警鐘を鳴らした。それは警鐘であったが、処方箋はなく、またそれが必要な人たちには決して届くことのない警鐘であった。

    「とてもたくさんのドイツの若い世代の人たちが預言者を探し求めていますが、まさにそんな預言者などいない。これは決定的な事態です。この事態についての知が、この事態の十全な重みをもっては、若い世代の人たちに生々しく受けとられない。これが、みなさんがしてしまうことです」
    (『仕事としての学問』マックス・ヴェーバー)

    「近代国家では、実際上、政治を行う手段すべてを思いのままに動かす権力は単一の頂点に集積していく。自分が使うカネ、あるいは思うままになる建物、貯蔵、道具、戦争の装備を個人として所有する役人は、もはや誰一人としていない。行政スタッフ(行政官僚や公務労働者)は、実質的な行政手段から「切り離される」。この「切り離し」が完遂されるのが近代国家で、これこそが近代国家に特徴的なことなのです」
    (『仕事としての政治』マックス・ヴェーバー)

    最後に著者は、ドイツ国民の「共犯性」についても厳しく指摘する。ナチスは、ドイツ国民の優越感をくすぐり、また実態としても当時ドイツ国民は他国民からの略奪によって得られた富で比較的恵まれた待遇を享受していた。少なくとも将来他国よりも恵まれた待遇を享受する可能性を期待していた。おそらくはその待遇を満たすものがどこから来るものなのかを彼らは知っていた。そうであるがゆえに、彼らは多かれ少なかれナチスの共犯だったのだ。著者は、そのことについて明確に次のように指摘する。

    「彼らは、初期帝国主義的な収奪政策による利益を得ていることを知りながら、それを享受した「共犯者」だったのである」

    なぜ、西にイギリスという敵を抱えながら、ドイツが対ソ戦に踏み切ったのかの理由のひとつがソ連から食料を収奪し、国民および国防軍の食料を与えることにあった。そのために、ソ連の住民が飢餓によって死ぬことも承知の上であったのだ。

    著者によると、「絶滅・収奪戦争を行ったことへの贖罪意識と戦争末期におけるソ連軍の蛮行に対する憤りはなお、ドイツの政治や社会意識の通奏低音となっている」という。第二次世界大戦は、文明という観点において最も進んでいた欧州で、人類がどれほど野蛮になることができるのかを示した。それは人類として正しく知るべき史実であると思う。
    また改めて、日中戦争含めた日本の戦争についても深く知っておくべきものだと思う。当時の多くの日本人も、同じ意味において軍部との共犯者であったと言えるのかもしれない。歴史を学ぶというのは、単に史実を知るということではない。そういうことを教えてくれる本でもあった。

    お勧め。

    ---
    『ベルリン終戦日記―ある女性の記録』(アントニー・ビーヴァー)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4560092087
    HONZレビュー「『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』2019年のNo1新書」 (成毛 眞)
    https://honz.jp/articles/-/45311
    『仕事としての学問 仕事としての政治』(マックス・ヴェーバー)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4065122198
    『「砂漠の狐」ロンメル ヒトラーの将軍の栄光と悲惨』(大木毅)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4040822552

  • 第二次世界大戦といえ自国のことを中心にし知らないことが多い。独ソ戦によっていかに人が死んだか。恐ろしすぎる。通常戦争ならまだ人としての倫理もあるが後に収奪戦争となり、さらに世界観戦争となると地獄そのもの。悲劇としかいえない。

  • 2020新書大賞第一位。

    失礼ながら、このタイトルにして一位になるのだから、只者ではないんだろうなと予感していたのだけど、非常に分かりやすく読めて驚いた。

    「新書でスタンダードな独ソ戦通史を書くという大きな課題が、はたして達成されたかどうか。落ち着かない思いのまま、読者の審判を待つしだいである。」

    筆者のあとがきより。

    これまで言われてきた独ソ戦史観を改めながら、その「通常戦争」「収奪戦争」「世界観戦争(絶滅戦争)」の三つの目的の輪が、戦局の後半になるに至って「絶対戦争」と化していく姿を論じている。

    ヒトラーさえいなければ、ではなく、そもそも独ソ戦の初期設定からして国防軍も噛んでおり、そして見誤っていたということ。
    また、収奪戦争かつ絶滅戦争の色合いから、ルール無視の暴虐と報復をお互いに繰り広げながら、戦後ソ連の隠蔽が行われ、オフィシャルな見解までも歪められていたということ。

    そのヴェールを一枚一枚剥がしていった時、イデオロギー的勝利って、劣等人種の絶滅って、結局何だったんかな、とポツリと思った。
    物資の獲得という目に見える利益だけではなく、思想的な、ヒトとしての優越を得たところで、何が満たされるんだろう。(当然、支配権を持っているという自負?)
    不勉強ですいません。

    私は2001年に公開された「スターリングラード」という映画が割と印象に残っていて、独ソ連についても、そのイメージと、その後ドイツが分割統治されていくイメージしか持っていなかった。

    なので、こういう、ビギナーに優しい一冊は本当にありがたいし、そういった本が脚光を浴びる舞台があって良かったなと思う。

  • この最新の独ソ戦研究は、例えば、ドイツ人はヒットラーの狂気に振り回されたなどという俗説を完全に否定します。ヒットラーは初めからロシアの資源を収奪し民族を絶滅させ、そこに生存圏を確保するという冷酷で独善的なプランがあり、ドイツ人はその恩恵を目当てに加担していました。桁違いのジェノサイドや捕虜虐殺、ユダヤ人虐殺を引き起こした世界観戦争とは何か。コンパクトにまとめていますが、酸鼻の極み、眼から鱗のオンパレードです。優れているというロシアの用兵思想、そしてそれを踏まえた満洲侵攻の詳細も知りたくなりました。

  •  独ソ戦といわれても、不勉強な自分は特にピンと来るものもなく、話題作だからということで読み始めたのですが、これはかなりの力作だと感じました。

     軍事、戦術面の解説はもちろんのこと、当時の指導者のイデオロギー、独ソそれぞれの国内、国外政治や経済状況、戦後の戦史の語られ方と、様々な観点から独ソ戦の全体像を描き出します。

     戦争での上層部の失策でその割を喰らうのは、兵士と市民だと常々思っているのですが、この本でも改めてそれを感じました。
    敵を過小評価し補給を考えず、進撃を続けたドイツ。優秀な指揮官を次々粛清し、重要な情報から目を背けたソ連。

    結果、互いに決め手を欠き、いたずらに戦火は広がり、戦況は泥沼化。それでも撤退命令を出さないドイツに対し、反撃するソ連、そして犠牲者は増え続けて……。

     この本で語られる三つの戦争観の概念は、個人的に新鮮でした。軍事的合理性にもとづき、敵の戦闘継続の意思をくじき、戦争の終結を目的とする「通常戦争」
    しかし独ソ戦はその「通常戦争」が徐々に「収奪戦争」そして「絶滅戦争」の色合いが濃くなったと、著者はしています。

     資源不足に悩んでいたドイツは、食料などの資源、さらには奴隷による労働力も戦争に勝利し、占領によって獲得しようします。これが「収奪戦争」
    そして、国内の分断の回避、政治の安定化のため、ナショナリズムを高め、他の人種や国家を絶対的悪とするイデオロギーを、戦争に埋め込んでいきます。これが「絶滅戦争」

     敵や劣等人種であれば何をしても構わない、そうした高慢さが「収奪」に拍車をかけ、また過剰なナショナリズムが戦況を見誤り、結果、戦争は泥沼化の一途を辿ったのか、と個人的には思います。
    ヒトラーをはじめとしたドイツの上層部も、国民を操るためのナショナリズムに、自分たちも知らぬ間に囚われてしまったんじゃないかなあ。

     アメリカの参戦で潮流が変わり、ソ連もドイツへの報復心から防戦から「絶滅戦争」的なイデオロギーを、打ち出すようになります。そして、戦後の占領地の拡大「収奪」目的で、ドイツ侵攻も積極的に行い……。そして結果ドイツは東西に分かれ、戦後の冷戦につながっていくわけですね。

     著者によると独ソ戦は、歪められた視点で語られることが多かったそうです。戦後ドイツ、ソ連はともに、国威の維持などの政治利用のため、戦争被害を過少に報告したり、ヒトラーなど一部の指導者に、責任をなすりつけたりしました。
    ソ連解体によって徐々に情報公開が進み、ようやく全体像が明らかになりつつあるそうです。

     人種差別、ナショナリズムによるイデオロギーの危険性は、日本を含めて今も世界で燻り続けているように思います。だからこそこうした戦争の悲惨さから学ぶことは、重要だと思います。

     軍事的な読み物としても、大変読み応えがあったのですが、願わくばその先にある、平和のための一冊にこの本がなってほしいな、と思います。

  • ヒトラーの公共事業など失業対策について以前からずっとひっかかっていたのだが、本書第3章第1節のうち「大砲もバターも」という小見出し(p.85)以降の経済政策上の議論を読んで腑に落ちたところがあった。つまり、ヒトラーの経済政策は、「平和を維持する経済成長」ではなく、その後の初期帝国主義的な、国外からの収奪を安定の肝とするような sustainable でない政策になっていた、ということが示されている。
     このくだりを読むことで、「ヒトラーは邪悪だが、経済政策には見るべきところもあったのではないか」というような観点をほとんど捨て去ることができた。時代遅れの、自国民への富国強兵的な甘やかし(大砲もバターも)が、WW2ドイツ末期の「特権の停止、収奪への報復」(p.212)を恐れる国民の醜悪さをその帰結として生み出したのだとしたら、他者や他国を虐げない経済政策を市民ないし国民の手で考えることは、より平和な国際秩序を目指す上で、とても大事なことになるのだろう。

  • 独ソ戦は「世界観戦争」であった。これは、ドイツ側がスラブ人を劣等民族とみなし、共産主義を根絶するための絶滅戦争を行うべきという認識でいた。世界にゲルマン人のための帝国を作るべく、まずはソ連を占領し農業・工業・軍備の自給自足を達成し、その後アメリカとイギリスに打って出る。
    対し、ソ連側はファシズムを滅ぼしドイツを消滅させ、共産主義の地盤を固めるべきと考えた。
    こうした双方のナショナリズム的イデオロギーにより、独ソ戦は相手を滅ぼす絶滅戦争として認識され、残虐行為を産んだ。
    最初、対ソ戦は通常戦争、収奪戦争、世界観(絶滅)戦争の3つが並行する形で進められたが、通常戦争での優勢が危うくなると、収奪戦争と絶滅戦争の比重が大きくなる。そして敗勢が決定的になると、通常戦争が「絶対戦争」に変質した。

    ソ連は、冬戦争での消耗により独ソ戦の可能性から目を背け、奇襲に対抗する準備を怠っていた。対し、ドイツはソ連を潰し東方に植民地を建国することで、イギリスのドイツ攻撃を挫こうとした。

    【開戦時】
    ドイツのバルバロッサ作戦では、優先目標がモスクワなのか道中の敵の殲滅なのか、長大な距離にわたる機動を維持するための兵站はどうするのか、といった重要なことが蔑ろにされた。

    ドクトリン…軍隊のあり方、作戦、戦闘の遂行を規定する基本原則
    ドイツは、大国ソ連の練度と物量を過小評価した作戦プランを立てており、ソ連は攻撃偏重のドクトリンを有し、装備と人員の量は優秀であったものの、大粛清により指揮官の能力や兵站といった欠陥を無視した反撃を行い、自滅していった。

    緒戦においてドイツ軍は勝利していったものの、ドイツ軍の目標は工業・資源の中心地群を「迅速に」占領することである。ソ連の抵抗と戦線の伸びによって、勝利は収めているものの損傷は多く、次第に戦争に勝つ能力を消耗していく。

    バルバロッサ作戦(モスクワまでの国境周辺の短期決戦でソ連を倒す)は失敗に終わり、独ソ戦が長期化することが決定した。

    ドイツの戦争は、通常の純軍事的な戦争に加え、資源や労働力の不足を穴埋めするための「収奪戦争」の性格を残していた。
    また、この後から全く非合理な「絶滅戦争」の体裁を帯びてくる。ナチ政権は、当初ユダヤ人への締付けにより、ユダヤ人が「自らドイツを去る」よう仕向けていたが、開戦と占領地拡大により必然的にユダヤ人が増え、避難先も無くなってきて、自国内のユダヤ人を虐殺する方針に切り替えた。
    対してソ連も、ナショナリズム的イデオロギーから、ドイツ軍の捕虜に対する扱いは劣悪であった。

    ドイツ軍の敗北は、スターリングラード攻防戦から決定的になる。スターリングラードの占領に固執するあまりに逆方位され、ヒトラーが撤退を許さなかったことで、ソ連を打倒する力を永遠に失った。

    ソ連軍の硬性に対し、ヒトラーは撤退を許可せず、現在位置を死守することに固執した。世界観戦争とそれを維持するための収奪戦争の必要から、後退という選択肢を採ることはできなかった。
    やっと撤退するにあたり、ソ連軍の補給を容易にする食料や資源人を全て破壊する「焦土作戦」が実行された。加えて、収奪戦争の目的のため、周辺地域にいる民間人を捕虜とし、強制労働にぶちこまれた。

    こうした合理性なき絶対戦争は、ヒトラーの「世界観」がスラブ人の殲滅を掲げていたからである。
    同時に、ソ連側も、米英への貸しを作り戦後の東欧を植民地化する目的と、ドイツの残虐に対する復讐から、より一層の残虐行為を行っていた。

    敗戦確実になってもドイツ国民が蜂起しなかった理由は、領地の拡大による収奪で獲られたドイツ国民だけの特権にしがみついていたからである。いよいよ戦争の惨禍に直撃される事態になっても、交戦を放棄するわけにいかなかったのだ。


    【まとめ】
    ①独ソ戦が凄惨を極めた理由は、この戦いが「世界観戦争」であったから
    独ソ戦は通常戦争の枠を超え、戦闘継続が不合理な場合であっても、相手を殲滅させることを目的とした「殲滅戦争」であった。
    それは、この戦争が、各国のイデオロギーを原動力とする「世界観戦争」であったからだ。
    ドイツは、世界にゲルマン人の優位性を示すことをイデオロギーに掲げていた。ソ連に住むスラブ人を劣等民族とみなし、彼らを奴隷化して世界を単一民族で平定することを目論んでいた。また、戦争の拡大により一国内で資源を自給自足できなくなったため、他国を侵略し収奪することでしか生き残りを図れなかった。
    対するソ連は、ドイツというファシズムを打倒し、世界に向けて共産主義国の優位性を示すことをイデオロギーとしていた。また、ドイツ戦の矢面に立った貢献をアメリカ、イギリスに対してアピールすることで、戦後の東欧諸国へ介入を有利に運ぶ目的もあった。これらに加えて、ドイツから受けた収奪や虐殺を復讐するために、ドイツ人を徹底的に殲滅する選択をした。
    結果、戦争遂行のためには不合理と思われるような、資源の収奪、捕虜と民間人の虐殺、強制労働といった凄惨な行いがされたのだった。

    ②ドイツが自らの補給能力を過信したことと、ソ連の兵力を過小評価したことが戦争の優勢を左右した
    ナチスは戦争の始まりから終わりまで、戦況に対する適切な判断が欠けていた。自らの軍力を過大評価し、独ソ戦勃発から短期間でソ連を降伏させることができると思っていたのだ。
    それは、フランスとポーランドを首尾よく占領したことによる過信のためである。
    量で劣ろうとも質で勝っていると錯覚したドイツは、補給線を無視し、短期決戦によりソ連を打倒しようと目論むものの、戦況は硬直し戦線は伸び切っていく。
    自らの補給能力とソ連の物量を見誤った結果、無理な占領作戦と撤退無しの籠城戦を展開し、貴重な資源を失ってしまった。
    そうして次第にソ連の反抗作戦に押され、最後はアメリカとイギリスから挟撃される形となり、ベルリンが陥落した。


    感想

    戦争の勝敗を決めるのは、「兵站の確保」と、「指揮官の戦況を読む力」にあると思った。
    日本軍もナチスと同様に、戦線を東南アジアまで伸ばし過ぎた結果、補給の分断を招いた。
    また、上に言われたことにNOと言えない組織であった。
    戦争の終盤において、撤退や降伏という考えを持っておらず、無理を通そうと実行不可能な策を掲げる。直面する兵数や軍備の不足は、精神や根性によって実現可能なものとして塗りつぶす。結果、無駄な戦力の消耗を招き、それが少しずつ敗戦に繋がっていく。

    無理といえどもNOを許さない独裁体制と、兵士の士気に乗じた属人的作戦は、局地的には上手くいくものの、大局を揺るがすには至らない。むしろ、局地での成功は、「やはり精神の強さは量を圧倒する」という過信を招き、戦いを泥沼にはめていく。
    指揮官の独裁による負けは、日本軍だけではなくナチスにも当てはまることがよくわかる本であった。

  •  書店を訪問するといつも新書コーナーに立ち寄ります。
     新書はパフォーマンスが良いんですよね。1冊が2時間そこらで読めてしまうので、流行をとらえるのに時間がかからない。サクッと呼んで興味のわいた分野があればより厚めな専門書にあたる、というアプローチが取れます。

     ある日いつものように新書コーナーに立ち寄ったら信じられない光景が目に飛び込みました。
     独ソ戦をテーマにした新書の帯に「新書大賞 第1位」と書かれている。「おいおい誰だよ、別の本の帯を巻いた奴は。」と思いましたが、よくよく見ると本当にこの本が第1位を取った模様。

     いったい何が起こったのか理解できませんでした。独ソ戦てのはマニアだけしか目を向けない、血生臭くともニッチの極みともいえるテーマです。
    何か民放で独ソ戦を扱ったドラマだか映画が製作されて、ジャニーズや人気若手俳優が出演したんだろうか、と現実離れした考えが思わず頭に浮かびました。
     よくよく調べると有名な書評サイトで本書が激賞された模様。ああ、そういうこと。

     第二次世界大戦の欧州戦役は普通の人よりも「少しは知っている」と自認していました。
     パウル・カレルの書籍はどれも読んだし、マンシュタインの書籍にもあたりました。学研社の「歴史群像シリーズ」は挿絵が豊富でおっさんでもワクワクしながら読めますし、E・クライネのティーガー戦記は戦車乗りの過酷さを生々しく表現しています。
     それなのに改めて本書を購入したのは大木さんの著書だから。
     「砂漠の狐、ロンメル」では正確な事実にもとづいて歴史を描写する姿勢と、枢軸軍と連合軍を分け隔てなく(なんだか変な表現ですが)公平に評価する姿勢に感心しました。「この人の著書なら損はしないかな」と思わせてくれます。

     読んでみた感想はやはり損をしない内容でした。
     本書で感じた読みどころは大きく2つで、一つは正確な史実の提示。
     本書の骨子となっている戦局推移はすでに知った内容ですが、ディテールを見ると「えっ、そうだったの!?」を感じる事実が豊富に紹介されています。
     なまじ独ソ戦に関する情報を玉石混交な形で仕込んでいただけに、それが実は事実に反する、あるいは異常に脚色されたものと知った時の衝撃はなかなかのものでした。
     「私は独ソ戦について知っている」というのは思い込みにすぎず、『坂の上の雲』を読んで「私は日露戦争を知っている」と吹聴しているに等しい行為だったと思い知らされました。ああ、恥ずかしい。
    (ただ、クルスク戦役であれほど手に汗握って読んだプロホロフカ大戦車戦が史実に反すると聞かされたときの残念さと言ったら。。。「ケンプフはよっ!」と焦れていた私はいったい何だったのか・・・。)

     もう一つの読みどころは独ソ両陣営のイデオロギー構成の説明。ある意味これが本書の主要テーマなのですが、一般の戦史本とは違う趣を醸し出しています。この戦いが何ゆえに凄惨な殺し合いに発展したのか、理解の端緒になると思います。
    (個人的にはその説明に物足りなさを感じましたが、あとがきにも書かれているように、独ソ戦に興味を持った方の入門書的な位置づけとしては十分だと思います。)

     大木さんの歴史本は平明な表現と構成なのでとても読みやすく、それに加えて正しい史実の理解につながるのでどれも良書です。
     本書もその一つと言えるのではないでしょうか。 

  • 本書では珍しく第二次世界大戦におけるドイツとソビエト連邦の戦いをテーマとしたノンフィクションである。
    恥ずかしながら、第二次世界大戦といえば、日中戦争からの太平洋戦争のイメージが強く、ヨーロッパではナチスドイツによるユダヤ人虐待ばかりが目を引いていた。
    本書では、当時のヨーロッパ各国の思惑、特にヒトラーとスターリンの戦争観から実際の独ソ戦がどのように展開していったのかを史実に基づいて時系列に整理されている。
    本書によりヒトラーが単にユダヤ人だけを差別していたわけではないこと、真の目的がソビエト連邦を植民地化することであったことは驚きであった。
    歴史書を読むと毎回感じることであるが、授業の時間枠という制約はあるにせよ、歴史の授業でこのような内容を伝えるれば、もっと学生たちに歴史に興味を持たせることができるとともに、歴史を学習することの重要性を理解させることができると思うのだが。

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著者プロフィール

現代史家。1961年東京生まれ。立教大学大学院博士後期課程単位取得退学。DAAD(ドイツ学術交流会)奨学生としてボン大学に留学。千葉大学その他の非常勤講師、防衛省防衛研究所講師、国立昭和館運営専門委員等を経て、著述業。『独ソ戦』(岩波新書)で新書大賞2020大賞を受賞。主な著書に『「砂漠の狐」ロンメル』『戦車将軍グデーリアン』(角川新書)、『ドイツ軍攻防史』(作品社)、訳書に『戦車に注目せよ』『「砂漠の狐」回想録』『マンシュタイン元帥自伝』(以上、作品社)など多数。

「2021年 『「太平洋の巨鷲」山本五十六 用兵思想からみた真価』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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