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Amazon.co.jp ・本 (270ページ) / ISBN・EAN: 9784004317975
作品紹介・あらすじ
戦争とファシズムの時代に生きた思想家ヴァルター・ベンヤミン(1892―1940)。蹉跌の生涯のなかで彼が繰り広げた批評は、言語、芸術、歴史を根底から捉え直しながら、時代の闇のただなかに、何者にも支配されない生の余地を切り開こうとした。瓦礫を掻き分け、捨て去られたものを拾い続けた彼の思考を今読み解く。
みんなの感想まとめ
時代の闇を生き抜いた思想家の言葉は、深い洞察とともに心に響きます。彼の批評は、戦争やファシズムの影響を受けながらも、言語や芸術、歴史を新たに捉え直し、私たちに生の余地を切り開く視点を提供します。作品に...
感想・レビュー・書評
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ヴァルター・ベンヤミン
Walter Benjamin
1892-1940。ベルリンに生まれる。高校時代からドイツ青年運動に参加、ベルリン大学とフライブルク大学で哲学を学ぶ。1925年フランクフルト大学に提出した大学資格教授論文が拒否されて以降、雑誌や新聞への寄稿、ラジオ放送の脚本執筆、翻訳に従事。33年ヒトラー政権樹立とともにパリに亡命。35年、フランクフルト大学の国外に出た社会科学研究所の所員となり、パリの国立図書館に通いながら研究活動を行なう。39年9-11月、第二次世界大戦の勃発にともないヌヴェールの収容所に入れられるが釈放された。40年パリ陥落のため逃亡、ピレネー山中で服毒自殺。著書に『ベンヤミン著作集』(全15巻、晶文社)『ベンヤミン・コレクション』(全6巻、ちくま学芸文庫)など。
柿木伸之(かきぎ のぶゆき)
1970年鹿児島市生まれ.上智大学文学部哲学科卒業.上智大学大学院哲学研究科哲学専攻満期退学.博士(哲学).上智大学文学部哲学科助手,広島市立大学国際学部准教授などを経て
現在―広島市立大学国際学部教授
専門―ドイツ語圏の近・現代の哲学と美学
著書―『ベンヤミンの言語哲学――翻訳としての言語,想起からの歴史』(平凡社,2014年),『パット剝ギトッテシマッタ後の世界へ――ヒロシマを想起する思考』(インパクト出版会,2015年)など
訳書―『細川俊夫音楽を語る――静寂と音響,影と光』(アルテスパブリッシング,2016年),テオドール・W・アドルノ『自律への教育』(共訳,中央公論新社,2011年)など
「神話との対決。これがベンヤミンの思考を貫いている。たしかに太古からの神話は、それが人間と世界の原初的な関係を規定してきたことを示している。しかし神話は、思考を眠らせながら生に浸潤し、やがて神話の世界の犠牲になることを、人に運命として強いるようになる。そのような神話の暴力を見抜いていたベンヤミンにとって批評とは、神話からの覚醒の方法であり、神話の結界に閉じ込められていたものを、そこから解き放つ技法でもある。クレーの《新しい天使》と雑誌『新しい天使』の計画 ベンヤミンは、このような批評の言葉を生きることへの省察を、彼の分身とも言うべき天使の像に結晶させている。一九二一年の五月にミュンヒェンのゴルツ画廊で、パウル・クレーの水彩画《新しい天使》を手に入れて以来、彼は生涯の節目ごとに、著作に天使を描き出している。ただしその姿は、人間に優しく寄り添って、その魂を神の許へ導くといった一般的な「天使」のイメージからすれば、異様に映るかもしれない。 ベンヤミンが描く天使は儚く、無力であるが、まさにそのような脆さにおいて、天使は地上で起きたことを、それに巻き込まれた被造物のことを証言している。自分を地上へ遣わした神へ向けて、救済への祈りを込めて。天使とは、地上の被造物の生をその特異性において救い出す言葉の寓意である。しかも、この言葉には「時」が刻印されている。」
—『ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評 (岩波新書)』柿木 伸之著
「一九三〇年代の初頭、離婚訴訟のために財産のほとんどを失ったことや、その背景にあった恋の不首尾、世界の破局の予感などが重なって、ベンヤミンは憔悴していた。一九三一年の夏からは、自殺を考え始めている。四十歳を迎える一九三二年の夏には、遺言状もしたためていた。しかし、彼はイビサに滞在した後、パリでの苦しい亡命生活のなかで、パサージュの歴史的研究や、これと関連したシャルル・ボードレールの詩作の批評に心血を注ぐようになる。」
—『ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評 (岩波新書)』柿木 伸之著
「このように時代と斬り結ぶベンヤミンの批評的な思考は、言語、芸術、そして歴史への根底的な問いに収斂するにちがいない。これらの事柄への問いを掘り下げることは、二十一世紀の今ここにある危機を見通しながら、歴史のなかで言葉に生きる可能性を模索することであり、かつ芸術の美が生きること自体を見つめ直させる力を発揮する回路を、現代における芸術との関わりのうちに探ることでもある。ベンヤミンが残した書を読むことによってこそ喚起されうるこうした思考へ読者を誘うのが、本書の狙いとするところである。 そのために本書では、せむしの小人とともに、そして天使を分身として歩んだ生涯の危機的な局面において、ベンヤミンがどのように歴史的な状況と対峙したか、またそのなかからどのような問いが生じたかを、彼の著述にそくして辿ることにしたい。その際、言語、芸術、歴史を焦点とする思考の展開に注目し、ベンヤミンの思考が、これらをそれ自体としてどのように捉える可能性を示しているかを伝えるよう努めたい。」
—『ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評 (岩波新書)』柿木 伸之著
「 「青春の形而上学」によると、社会的関係によって商品化された娼婦の生は、人間が物品と化し、金銭を介した交換の対象になる「文化」の現実に目覚めさせるだけにとどまらない。娼婦は、「文化」のなかで「自然」とされている規範を超越した次元において、官能の悦楽に開かれた性をも生きている。この点で娼婦の身体は、レスボス島のサッポー〔紀元前七〜六世紀に活躍した古代ギリシアの女性詩人〕を中心とする、子を作ることのない性愛の共同体に属する。 その共同性を支配する深い沈黙に耳を澄ますなかから、新たな対話が生じ、青春が輝き始めると述べるとき、ベンヤミンは、異性愛の規範を乗り越える性の解放を、青春の理念に含めていたのかもしれない。しかし、現在読むことができる「青春の形而上学」では、「対話」をめぐる議論がこれ以上の展開を見ないまま、「日記」の章が始まっている。その冒頭に銘記されているのは、日記を書くことが、青春を謳歌することの不可能性の自覚にもとづいていることである。」
—『ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評 (岩波新書)』柿木 伸之著
「 ベンヤミンは、このドストエフスキー論のなかで、「不滅である生を表わす一つの純粋な言葉」こそ、「青春」であるとも語っている。すでに「青春の形而上学」において青春は、「日記」の言葉を媒体とする想起のうちに、不滅の生として甦ってくるとされていた。今や青春は、死者の「忘れがたい」生のうちにあり、それはハインレのことを想起し続けるところから考えられている。 友人のシェーンに宛てた一九一七年二月二十五日付の手紙でベンヤミンは、自分のヘルダーリン論について、歴史的で批判的なヘルダーリン全集を編集していたノルベルト・フォン・ヘリングラートに読んでほしかったと語っている。しかし、ヘリングラートは、一九一六年の十二月十四日に戦死していた。戦争が長引くなか、ベンヤミンの周囲も死の影に覆われつつあった。彼は、そのような「夜」のただなかにあって、言葉をもって闇に抗って闘っていた。」
—『ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評 (岩波新書)』柿木 伸之著
「一九六九年にアドルノが亡くなると、この絵はベンヤミンの遺言にもとづいて、ショーレムの許に送られた。彼が亡くなった後、《新しい天使》は、イェルサレムのイスラエル博物館に寄託されている。一方、《奇跡の上演》はどうなったかと言うと、ベンヤミンは、亡命生活の資金繰りのために売却してしまったようだ。一九三七年に、ニューヨークのニューマンという画廊のカタログに現われた記録がある。この絵は現在、ニューヨーク近代美術館に収蔵されている。 《奇跡の上演》と《新しい天使》は、二〇一六年四月から八月にかけてパリのポンピドゥー・センターで行なわれた大規模なクレー展「パウル・クレー──作品におけるイロニー」の一角で再会している。それまで、これらが一つの展覧会で同時に展示される機会はなかった。 その意味でも画期的だったパリでのクレー展に際しては、彼の画業を新たな視角から考察する国際コロックも開催された。その発表の一つは、《新しい天使》の台紙に用いられている、十九世紀に制作されたルターの肖像の版画に着目していた。その隅には、この肖像のモデルとなった有名なルター像の作者ルーカス・クラナッハ〔父〕のモノグラムを、クレーが模造した跡が残っているという。」
—『ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評 (岩波新書)』柿木 伸之著
ベンヤミンの本読んでたら、「レズビアンの愛は、精神化を女性の胎内にまで行き渡らせる。妊娠も家族も知らない“純粋な”愛という百合の旗印を、そこに立てるのである」という百合オタクみたいなこと言ってて笑った
GW後半を使って柿木伸之「ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評」を読了。読了と言いつつ九分九厘何言っているのかまるでわからない内容だった。抽象的で例え話が全くない、辛うじてベンヤミンが対峙したファシストについての言及にどういう事か朧げに掴めてそこを定点にその反対を想定して
柿木伸之さんの『ヴァルター・ベンヤミン』、じっくり読んでしまった。新書サイズで、ここまでベンヤミンの人生に分け入りながら、生涯の思索を通覧した本って稀有では。各章扉の裏にある引用もズシリとくる。
柿木伸之『ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評』(岩波新書)。ベンヤミンの生涯を辿りつつ、主な著作を概観し、その思想のエッセンスを抽出してくれる入門書。冒頭に置かれた「歴史の天使」に象徴される、過去を拾い集めて救おうとするベンヤミンの歴史哲学が二つの大戦下の暮らしとともに語られる
柿木伸之著『ヴァルター・ベンヤミン—闇を歩く批評』読了。彼の足跡を辿りながら、その量に比してあまりにも多岐にして広大な射程を持つ著作から要点を見出しそれらを結び、星座を描く様にその思想の輪郭を描き出していく稀代の批評家でもあったベンヤミンを知るのに相応しい作品だと思います。
柿木伸之『ヴァルター・ベンヤミン』を読了。ベンヤミン自身を文化財化することなく、彼の問いのアクチュアリティを読み取ろうとする著者の姿勢に共感する。
柿木伸之さんの『ヴァルター・ベンヤミン』を読了。良書。ベンヤミンが第一次大戦からファシズムへと向かう時代に立ち向かうためにどう思考したのかを中心に据えているので読みやすい。現代の日本でこそベンヤミンを読む意義があるという思いを強くする。iwanami.co.jp/book/b473158.h…
柿木伸之『ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評』(岩波新書)を読み終えた。この謎の多い文学者/哲学者/翻訳者に惹かれてもう30年が過ぎているが、本書は私にとっての彼の謎を見事に解いてくれた。エピローグ第三節などは、ミステリの解決編のようでさえあった。
iwanami.co.jp/book/b473158.h…
柿木伸之「ヴァルター・ベンヤミン」(岩波新書)を読み始めてるんですが、まずサブタイトルかっこいいですね。「闇を歩く批評」。ベンヤミンというと、アレントの「暗い時代の人々」のベンヤミン論がおもいつくのですがそのあたりが関係してるのかしら、というわけでよもう。
「 「言語一般および人間の言語について」を執筆した一九一六年の秋、ベンヤミンはミュンヒェンで哲学を学んでいた。彼はその一年前から、決定的な挫折を味わった青年運動からの距離を明確にする意味も込めて、ベルリンを去ってミュンヒェンの大学へ転学していたのだ。彼がバイエルンの都を選んだ理由の一つは、婚約者のグレーテ・ラートがそこで学んでいたことである。 ベンヤミンは、この地に住むルートヴィヒ・クラーゲスと接触しようとも目論んでいたようだ。ベンヤミンは、クラーゲスの筆跡学に関する著作を、並々ならぬ関心を持って読んでいた。しかし、ベンヤミンが来たとき、クラーゲスはすでに戦争を避けてスイスに移り住んでいた。 ちなみに、ミュンヒェンで出会った一人に詩人のリルケがいる。彼とベンヤミンは、一緒にカントの『判断力批判』を検討するグループに加わったこともあった。その頃からベンヤミンの才能を認めていたリルケは、一九二〇年代の半ばにサン =ジョン・ペルスの詩の翻訳の仕事を斡旋したりもしている。」
—『ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評 (岩波新書)』柿木 伸之著
「ベンヤミンはこの文芸の発展を、「中動態にある〔媒体をなす〕とともに質的」な発展と規定している。文芸としての芸術は、批評という反省とともにあくまで内発的に、より多様な表現形式を包括していくことによって自己を実現させる。しかも、その過程はそのまま、不断に「中動態にあるもの」としての言語の生成過程でもある。だからこそ彼は、博士論文のなかで、ノヴァーリスが批評と翻訳を結びつけているのに注目しているのだ。 そして、文芸の発展を動かす優れた意味での「反省の媒体」を形成する表現形式としてシュレーゲルらロマン主義者がとくに重視したのが、「小説」にほかならない。小説では無限に多様な表現が可能だが、小説そのものは個々の表現の反省としての批評を含むかたちで、基本的には散文で構成される。ベンヤミンは論文の末尾近くで、ヘルダーリンが語った散文の「冷静」こそが、反省を批評として展開させる表現形式の理想であることも見届けている。」
—『ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評 (岩波新書)』柿木 伸之著
「この頃ベンヤミンは、彼にとって都市の遊歩の導き手でもあったヘッセルと協働しながら、プルーストの小説『失われた時を求めて』の翻訳を進めていた。また、彼と一緒にパリに滞在した経験を踏まえて、『パサージュ論』の最初の構想を深めてもいた。さらにベンヤミンは、一九二〇年代半ばから、次章で触れるようにバロック悲劇論の執筆中にある女性と出会ったことや、ルカーチの『歴史と階級意識』を読んだことをきっかけに、マルクス主義に接近している。」
—『ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評 (岩波新書)』柿木 伸之著
「 ベンヤミンがアーシャと最初に言葉を交わしたのは、彼女が島の広場へ買い物に出たときのことである。買い求めようとしたアーモンドをイタリア語で何と云うか分からずに困っていたときに、助けてくれたのがベンヤミンだった。彼はアーシャの住まいまで荷物を運び、また訪れてもよいかと尋ねた。翌日本当に現われたベンヤミンに、アーシャはプロレタリアートの子どもの演劇のことを、さらには彼女が演劇を学んだモスクワで輝いていた演劇人や詩人のことを語った。ベンヤミンも、プルーストの小説をはじめ同時代のフランス文学の魅力を語った。 その後急速に魅かれ合った二人は、しばしば行動を共にするようになり、一緒にポンペイの遺跡やナポリの街を見て回るなどしている。六月半ばにベンヤミンは、「リガの出でロシアから来た革命家の女性と知り合ったが、彼女は、今までに知り合ったどの女性よりも抜きん出ている」と、すでにパレスティナに移住していたショーレムに伝えている。このとき、ライヒは所要あってミュンヒェンにいた。」
—『ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評 (岩波新書)』柿木 伸之著
「そのような歴史的状況の下、伝統的な芸術の作品も技術的な複製、すなわち写真やレコードのかたちで鑑賞されるようになっている。レンブラントの肖像画も、ベートーヴェンの交響曲も、作品が唯一無二のものとして立ち現われていた「今ここ」から切り離されながら複製され、身近な場所で断片的に消費されるようになっている。ここにはもはや、「本物」の作品がその全体像において、かつ手で触れられないような神々しさをまとって姿を現わす余地はない。」
—『ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評 (岩波新書)』柿木 伸之著
「 「この日にはニースにいようと思っている。そこでかなり変わった奴と知り合ったが、こいつとはもうあちこちでしょっちゅうすれ違っていた。独りでいるのに気乗りがしなければ、奴を祝杯に呼ぶつもりだ」。一九三二年六月二十五日の日付が記されたショーレム宛の手紙で、ベンヤミンは思わせぶりにこう語っている。後にショーレムは、「この日」がベンヤミンの誕生日で、「かなり変わった奴」が死であることを悟ることになる。すでに触れたように、ベンヤミンは、四十歳の誕生日に、ニースで自殺しようと考えていた。 すでに一九三〇年の十一月三日付の手紙でベンヤミンは、ショーレムに母親の死──父親はその四年前に亡くなっていた──を伝えながら、「自分をめぐる状況がストレッタ〔楽曲の急速な結尾〕に入った」と語っていた。彼は、蔵書やクレーの絵画をはじめとする美術作品などの行き先を記した遺書のほか、親しくしていた母方の従弟で医師のエーゴン・ヴィッシング──彼に遺言の執行を依頼している──らへの別れの手紙もしたためている。」
—『ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評 (岩波新書)』柿木 伸之著
「ベンヤミンがパリを亡命生活の拠点に選んだのは、当地のパサージュを焦点とする研究の構想を抱いていたからである。今もパリに残るパサージュとは、多くは鉄骨にガラス張りの屋根で被われたアーケード街のことで、十九世紀の前半、とくに一八二〇年代に盛んに建設された。多彩な商店や飲食店を集めたパサージュは、文字通りの意味での「パサージュ」、すなわち公道と公道を結ぶ通過路の役割も担っていて、そのために多くの人々を引き寄せていた。 しかし、一八五二年にルイ =ナポレオンによる第二帝政が始まると、パサージュは早くも衰退する。百貨店が台頭しただけでなく、オースマン知事のパリ再開発によって街路が整備され、連絡路としての役目も失われていったのだ。ベンヤミンは、そのような盛衰の過程に目を凝らし、十九世紀のパサージュに明滅した現象を「根源」として浮かび上がらせ、そこから近代を捉え返そうと考えていた。この構想が凝縮されているのが、「十九世紀の根源史」という彼の言葉である。」
—『ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評 (岩波新書)』柿木 伸之著
「紅茶に浸したマドレーヌを口に含んだ瞬間に、過ぎ去った日々の思い出が全身を貫くようにして甦る。プルーストの小説がこの「無意志的記憶」の体験から紡がれていることにベンヤミンは着目し、それを自身でも『一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代』を綴るのに生かしている。彼はその際、想起が恣意的ではありえないことを踏まえる一方で、幼年期の「大都市の経験」──それ自体としては彼自身にとっても、歴史的にも取り戻しがたく失われてしまった経験──の記憶を、危機的な今を捉えて「像」に定着させる能動性も重視する。 こうして「無意志的記憶」の概念を批判的に受容することは、『パサージュ論』の方法論の精練にも結びついている。そのための覚え書きのなかで、ベンヤミンが『失われた時を求めて』のさまざまな場面に言及していることは、この小説に描かれた身体的な想起の体験を、彼がいかに重視していたかを物語っていよう。彼はこれを、「根源史」としての歴史を描く方法の原点に位置づけようとしたのだ。」
—『ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評 (岩波新書)』柿木 伸之著
「それによって、過去の不正もあらためて問いただされうる。その意味で「科学が「確認したとされることを、想起は正すことができる」。つまり「想起」は、「完結させられたこと(苦悩)を、未完結にすることができる」のだ。歴史は、このような想起の力にもとづいて、出来事の真実に近づくことを含みながら語られうるはずである。それゆえ「歴史は、たんに科学であるだけでなく、それに劣らず想起の一つの形式でもある」。 「科学」、とくに十九世紀以来の「精神科学」であることに安住して歴史を記述する立場を、ベンヤミンは『パサージュ論』のための覚え書きから「歴史の概念について」に至るまで、「歴史主義」と呼んで批判している。この立場から歴史を書く者は、できるだけ多くの史料を集め、因果関係で「史実」を結びつけて一貫した物語を作り上げようとする。そして、そのことに満足しつつ過去の悲劇に「感情移入」することは、結局のところ、今歴史を語りうる支配的な立場に同一化することに行き着く。」
—『ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評 (岩波新書)』柿木 伸之著
「言葉は、過ぎ去ったものが根源の現象として甦る媒体になりうる。その可能性に天使の「幸福」を求めるベンヤミンの眼差しには、「十九世紀の首都」パリに現われては消えたものたちの像を配置して、近代の「根源史」を描き出そうという『パサージュ論』の構想にも貫かれる、言葉に生きることへの意志が滲み出ているにちがいない。 おそらくはこのような生への意志を抱いて、ベンヤミンは、最後の最後までパリに留まっていた。亡命した友人の一部は、パリから、そしてヨーロッパから脱出するよう彼に勧めていた。ショーレムは、すでに一九二〇年代の後半から、パレスティナへ来るよう繰り返し働きかけていた。ベンヤミンは、そのためにヘブライ語を学び始めた時期もあった。 しかし、戦争が始まって敵性外国人収容所に一時抑留された後も、彼は利用者証を更新して、パリの国立図書館に通い続けていた。かつての妻ドーラが一緒にロンドンへ逃げようと説得しても、彼は聞き入れなかった。 こうして頑ななまでにパリにこだわるところには、もちろん十九世紀生まれのヨーロッパ人としての矜恃が働いていたにちがいない。彼は、最終的にアメリカへ逃れることに備えて英語の勉強を始めていたが、合衆国での生活に不安を抱いていたとアーレントが伝えている。しかし、彼のこだわりはそれ以上に、歴史の現場に踏みとどまろうという意志を表わすものであろう。」
—『ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評 (岩波新書)』柿木 伸之著
「今、ベンヤミンを読むとはどういうことだろうか。十九世紀末に生まれ、二十世紀の前半に多才な文筆家として活動したユダヤ人思想家ヴァルター・ベンヤミン。その生涯を描くとともに思考の歩みを跡づける本書を準備するなかで、絶えず脳裡に浮かんでいたのは、この問いである。それに少しでも答えようともがくなかで、本書の焦点が絞られていった。 ベンヤミンが残した思考の足跡を二十一世紀に辿るとは、彼の言葉を引用する身ぶりが時にそうであったように、そこに問いの答えを求めることではない。彼の言葉に答えを見るなら、それは一種の文化財に石化し、何も語らなくなってしまう。ベンヤミンを読むとはむしろ、彼の思考の軌跡から、今あらためて提起されうる問いを読み取ることであろう。こうして著述の内実に分け入る解読によってこそ、彼の言葉は再び語り始め、思考を喚起するにちがいない。」
—『ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評 (岩波新書)』柿木 伸之著
「とはいえ、そのためにもベンヤミンの問いの徹底性に少しでも迫る必要があった。彼の問いがラディカルなのは、まず問いが、言語、芸術、そして歴史の本質へ差し向けられているからである。これらの事柄を、通念を覆すまでに掘り下げる道筋を開いている点でも、彼の問いはラディカルと言える。しかも、その際に問いは、生そのものへも向かっている。 つまり、ベンヤミンの思考は、そのような徹底的な問いを提起しながら、他者とのあいだで言葉を発して生きることを見つめ直させるのだ。あるいは、芸術に関わる美的な経験が、作品を媒体として生を刷新することへの展望を開こうともしている。さらに彼は、支配的な歴史によって抑圧された過去の側から、歴史を見返して生きる道筋も探っている。こうして生きることをその可能性へ向けて根底から問う点において、彼の思考は優れて哲学的である。」
—『ヴァルター・ベンヤミン 闇を歩く批評 (岩波新書)』柿木 伸之著
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広い意味での体制や時流は手強い。人間をがんじがらめに絡め取っていく。
それにしてもなんという深い闇が感じられる著作だろう。闇を切り抜けるために、根源に降りたベンヤミンの言葉は、静かに心を鎮めてくれる。もちろん癒やしではない。もがいたからこその視点ばかりだ。
彼の最期も象徴的だ。あちら側に追いやられることで、かえって根源性を保ったともいえる。 -
入門書として。皮肉なことに、翻訳が読者に奉仕してしまって、読者の言語によって原作の言葉を窒息させてしまうところがあるので、ここで満足せず、原作にあたることが肝要。評伝及び一つの見方として優れる。
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聖母マリアの奇跡の泉、ルルドでベンヤミンとハンナ・アレント再会
パサージュ:アーケード、商店街
外側のない暮らしが密に詰まった構造物のようなものについて
そのかけらを拾い集めて提示してみせるってことなのかなぁ -
メディア・リテラシーとの関連は見つけられなかった。ベンヤミンの伝記である。簡単にベンヤミンの生涯を知りたい人にはいいと思われる。
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やっぱり、ベンヤミン好きだなー自分と思えました。今回は特に彼の女性遍歴を知って、「もーベンヤミンったら」って思った。ちょうど、暴力について考えていたので改めて彼の暴力論の鋭さに、驚かされるとともによく学びたいと思います。
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プロローグ―批評とその分身
第1章 青春の形而上学―ベルリンの幼年時代と青年運動期の思想形成
第2章 翻訳としての言語―ベンヤミンの言語哲学
第3章 批評の理論とその展開―ロマン主義論からバロック悲劇論へ
第4章 芸術の転換―ベンヤミンの美学
第5章 歴史の反転―ベンヤミンの歴史哲学
エピローグ―瓦礫を縫う道へ
著者:柿木伸之(1970-、鹿児島市、哲学) -
東2法経図・6F開架:B1/4-3/1797/K
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