性からよむ江戸時代――生活の現場から (岩波新書 新赤版 1844)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004318446

作品紹介・あらすじ

小林一茶はなぜ妻との交合をつぶさに書き留めたのか。生まれた子は自分の子ではないと言い張る夫と妻の裁判の行方は。難産に立ち合った医者の診療記録にみる妊婦の声や、町人が記す遊女の姿……。史料の丹念な読み込みから、江戸時代に生きた女と男の性の日常と、それを規定する「家」意識、藩や幕府の政策に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • そう言えば、江戸時代の「性」が出てくる小説は、大抵は「遊郭」モノばかりだ。この新書には「買う男、身を売る女」の章もあるが、大半は人口的に最も多い百姓の性実態を描く。封建社会で表に出てこない人たちに焦点を当てた、新しい江戸時代史料の読み解き本。

    一章目には比較的有名な小林一茶の「七番日記」(1810-1818年)を紐解く。妻との交合を克明に記録したのは何故か。そして何が判るのか。
    48歳でやっと土地と家を手に入れた一茶は初めて妻を娶る。子供を持ち、家を存続させたい。その目的のために、一茶は民間の知恵を参考にしながら徹底的に「妊活」をした。そのための克明な記録である。しかし、よく見ていくとそれだけではない。妻との間にもうけた三男一女をすべて夭折させたこともあるかもしれない。記録からは、民間療法では「忌日」に当たる日にも一茶は妻に交合を強要している。閨の中の真実はわからないとは言え、日記からも一茶の要望が強いことはわかる。妻は産後の肥立ちが悪くて若死にする。一茶は気の良い俳人ではない。それは知っていったが、これを読んで更に嫌いになった。

    二章目は、本書のメインイベント、村の夫婦の不倫疑惑に端を発する離婚訴訟(1805)である。生まれてきた子供の認知をどうするか、が問題になったために藩のお裁きが必要になり、克明な裁判記録が残された。
    著者は出来るだけ現代読者にも判るように、サスペンス形式で叙述する。歴史書なので限界はあるが、私は楽しめた。
    ここからわかるのは、村の三役(肝煎、欠代、長百姓)の端っこにいる両家の当事者の力関係とそれに翻弄される女性、並びに特定の人口政策をもつ藩の要望である。夫婦の思惑、家の思惑、藩の思惑が交錯して、結果的には現代的に見ても妥当な判決が下される。しかし、このことが本人たちの幸せに結果的に繋がっていないのが哀しい。

    その他、多くの出産・堕胎・間引きに立ち会い啓蒙書も著した医師の記録(第三章)、遊女の史料的検討(第四章)を経て、第五章「江戸時代の性」で著者は以下のようにまとめる。

    (1)幕府は特に人口減少地域で、18世紀末から妊娠・出産の管理政策を取るようになった。そして、現代とは少し違う「性規範」が作られる。

    「男も女もフェミニストでなきゃ」を読んだばかりということもあり、私は当初ジェンダー論の視点から本書を読もうとしたが、ムリだった。そもそもガチガチに型にはめ込む社会の中で、それに抵抗する人たちを見つけるのは困難である。ただ、19世紀になって、都市部に逃れて「馴合ひ夫婦=恋愛結婚」と男の「遊郭」通いが増えているという情報は抑圧の帰結と見えなくもない。

    (2)江戸時代前期から貝原益軒「養生訓」が人々の性意識に大きな影響を及ぼす。「長生きのためには性欲をコントロールせよ」一言で言えばそういう内容。類似書は19世紀に武士から民衆へと広まってゆく。

    (3)百姓の名主が書いた「農書」(1808)には、家と土地の存続を大事とし、妻に求めるのは「労働能力と生殖能力」だけとなっていた。反対に言えば、そうではない現実があったから書いたのだろう。

    一方では生きるのが厳しい時代ではあった。研究によれば、出生児の20%近くが一歳未満で死に、五歳までの幼児の死亡率は20-25%。10-15%が死産。産後死と難産死は21歳から50歳の女性の死因の25%を上回っていた。平均余命は18世紀は男女ともに30代半ば、19世紀には30代後半。よって「家」は「いのち」を支える最初にして最後の砦ではある。性のコントロールは藩の思惑であると同時に民衆の願いでもあったろう。

    平均余命が50歳を超えるのは、1947年以降。ジェンダーを論じることができるのは、こういう時代的背景もある。反対に言えば、現代は昔と違ってみんなが「フェミニスト」になるべき時代なのだ。現実は遠の昔に変わっているのだから。

    著者は「江戸時代の性はおおらか」という一般的な学者の常識に異議を唱える。確かに明治以降の「家」制度で管理される時代よりはおおらかだったかもしれないが、決して現代よりもおおらかではなかった。それよりも、明治時代には江戸時代の民衆意識が、現代には過去の性規範が我々の意識を囲んでいるように思える。歴史を学ぶことは、現代を考えることである。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      kuma0504さん
      図書11月号の「著者からのメッセージ」に沢山美果子が、此の本のコトを書かれていましたが、
      その時は余り食指が動かな...
      kuma0504さん
      図書11月号の「著者からのメッセージ」に沢山美果子が、此の本のコトを書かれていましたが、
      その時は余り食指が動かなかった。
      ただ、他の本を調べたら「江戸の乳と子ども」「江戸の捨て子たち」(どちらも吉川弘文館)の方が猫向き(?)な気がしたので、チェックを入れています。

      本当は、一茶のコトが書きたかったのでしが、今日は時間切れ。。。
      もう一寸考えてからにします(取るに足らないコトなので、書かないかも)、、、
      2020/12/22
    • kuma0504さん
      11月号を読んで私も読むことを決めたのです。
      岡山大学客員研究員なので、これからは岡山資料も増えると思えます。
      11月号を読んで私も読むことを決めたのです。
      岡山大学客員研究員なので、これからは岡山資料も増えると思えます。
      2020/12/22
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      kuma0504さん
      一茶についても、「おおらか」についても、纏まらず。
      著書やkuma0504さんに異を唱えたいのではなく、単なる疑問符で...
      kuma0504さん
      一茶についても、「おおらか」についても、纏まらず。
      著書やkuma0504さんに異を唱えたいのではなく、単なる疑問符ですが上手く表現出来ませんでした。
      2020/12/22
  • 江戸時代の女と男の性の営みは、まさに生きることだったのだと感じました。生殖としての性の特権化、婚姻・性・生殖の一致という性規範の浸透、家の維持・存続への人々の願いによる家の価値化の一方で、快楽としての性は抑圧されるようになり、家と遊所の区別と遊所の広がり、性売買の大衆化が進んだと筆者は指摘します。それは、江戸時代は性に「おおらか」という常識に大きな疑問符をつけてくれました。また、難産のときには母の体を守ろうとするが、妊婦にも厳しい農業労働が求められること、幕府・藩は妊娠・出産管理政策と教諭を実施するが、公娼制度が維持され遊女は過酷な日常を強いられることなど、女性の視点に立てばさまざまな矛盾を抱えた社会だったと感じました。

  • 江戸時代の性について当時の資料を元に読み解くというもの。取り上げられている資料は小林一茶の日記や、農村で起きた不義の子をめぐる裁定に関する記録や、町民の日記など、どれもなかなか興味深い。ただ新書で紙幅がそうないためであろうか、やや展開に強引な箇所があり、結論ありきで資料を自分の都合の良いように読み解いている印象を受けるのが残念。

  •  生殖と快楽、言い換えれば家と非日常という性の二面性とその交錯を本書で改めて感じる。前者は奨励され、後者は戒められるものだ。小林一茶は両方を求めつつ妻と交わる。妻子を持つ町人太助は、子供に気を配り家の存続を願う一方で、罪悪感なく遊女を買い自宅を性売買の場所に提供する。ただ、この二面性はそもそも買う男性の論理なのかもしれない。都市下層民の遊女や淫売女にとっては性売買という非日常こそが日常だった、と著者はいう。
     また著者は、「江戸時代は性におおらか」という現代の常識に異を唱える。家と生殖を重視する性規範が幕府と藩の政策もあって民衆に入り込んでいく。そこからはじき出され、別世界で肥大化したのが非日常としての性売買、というわけだ。
     なお、18世紀後半の米沢藩で女児間引きが禁じられた結果人口が増加したとあるが、同じ岩波新書『人口の中国史』によれば、同時代の中国でも同様の状況だった。

  • 歴史研究の論文集というような構成。文系の文献研究というのはまさにこういうやりかたをするのだというお手本ですね。ちょっと間違った読み方すると博論を出版したの?と思ってしまうかも。領域は違うが研究者の端くれとしては、このような執筆活動は見習わなければならない。

  • 江戸時代の性はもっとおおらかであった、という認識でいた。そう思って、どんなびっくりするような記述があるのかと期待しながら読んだ。しかし、著者自身も書いているが実はそうでもなかったようだ。家の存続、人口減からの回避、そういったことのために堕胎や間引きは戒められることであったようだ。とはいえ、現在とはやはり考え方に大きな差があったようだ。というか、それは技術的なことというべきか。江戸時代の堕胎の方法はよくわからないが、それは今以上に母体を危険にさらすことになったのだろう。それよりは、産んでから間引くほうがいくらかは安全だったのかもしれない。もちろん、手から生まれてくるとか、出産は常に死と隣り合わせではあっただろう。(江戸時代末期に帝王切開が行われたとどこかで読んだ覚えはあるが。)さらに、成長する前に子どもが死んでしまうということも多かったことだろう。一茶は50歳を過ぎて20代の女性と結婚し、次々に子どもができるが、次々に死んでいる。妻も10年ほどで死んでいるようだから、性感染症も含めて、いろいろ問題はあったのかもしれない。ところで、この一茶の日記。五交、三交、三交、・・・、四交と続いている。著者による詳しい説明はないが、これはいかに読むべきなのか。新婚である、早く子どもが欲しかった、さまざまな理由はあれども、52歳である。うーん、不思議だ。ちなみに「養生訓」には五〇歳代は二〇日に一回「泄(もら)す」とあるそうだ。

  • 性にまつわる話しは敬遠されがちだが、江戸時代からの性の営みを通して現代の性を見つめ直すのも良い機会ではないか。江戸後期は、性の営みやいのちの問題を考えるときに、大きな画期をなす時代。家を守り子孫に引き継ぐために子どもと子どもを産む女いのちを守ろうとする意識が高まり、医者や産婆が各地域に誕生する。一方で、家を維持するために、飢饉等の食糧難により、子どもの数を減らしたり、出生間隔をあけたり、時には堕胎、間引き(出生後赤子を殺す)、捨て子をする、など少子化への志向がみられる。幕府や藩は、人々の出生への意識を取り締まり、人口を増やすために、妊娠出産を把握し。堕胎・間引きを監視する仕組みを作った。

    おわりに(引用)
    1995年に北京で開かれた第四回世界女性会議では、「強制や差別を受けることなく、性について自由にコントロールする女性の権利」が「性の権利(sexual rights)として提起される。女性たちは、性の権利を守れているか、自由に行使できているかといえば、性の問題は現在も大きな課題であり続けている。
     生きることと切実に結びついていた江戸時代の女と男の性の営みは、私たちに、生きることの原点から性の問題を考えることに、歴史に学ぶことを求めているのではないだろうか。
     本書がそのささやかな手がかりになればと願っている。

  • 歴史を、細かいところは置いといて、ざっくりと大きな視点で捉え、おもしろくしよう!という、「絶対に挫折しない日本史」(けっこう話題になっていた)を読んで、私は全然面白くなかったので、逆にものすごぉおおく細かいところに着目した「性からよむ江戸時代」を読んでみました。で、断然こっちの方が面白かったです!
    もう、中学高校の歴史の教科書には絶対載っていない、江戸時代の庶民の夫婦の、離縁するだのなんだの揉めたり、それを領主がどのように裁定したかという記録まで書かれています。そんな記録が残ってるんだ!というのも驚き。
    近代以前、記録が残っている江戸時代に、性はそのまま妊娠・出産に結びつく。庶民の家庭ではそれは「子どもを産み育て、イエの労働力となる」ことにつながるが、子どもの数が多すぎると養っていくことはできず、口減らしをしなければならない。産まれた子を殺したり、里子に出したり、遊女として売られたり…。しかし体を売る女性は、妊娠することはNGだから、現代の医学では考えられないような民間療法で妊娠を避けようとしたり、堕胎しようとしたりした。
    領地を治める武士からすると、農民はしっかり働き、子どもを産み育ててイエを維持させるべしと考え、子育て支援策も行っていた。子育て支援って、今に始まったことじゃないんだー!と、これも非常に興味深いと思いました。
    中学生に歴史・公民(少子高齢化)を教えるときのネタとしても面白いです。
    近代以前は、出産が本当に命懸けだったということも、どれくらいの母親が難産で亡くなったか、今のような帝王切開がない時代に、難産のとき人々がどう対処したかという記録をもとに明らかにしており、これもとても興味深かったです。

  • <目次>
    第1章  交わる、孕む~小林一茶『七番日記』
    第2章  「不義の子」をめぐって~善次郎ときやのもめごと
    第3章  産む、堕ろす、間引く~千葉理安の診療記録
    第4章  買う男、身を売る女~太助の日記
    第5章  江戸時代の性
    おわりに

    <内容>
    江戸時代の後期の庶民の性と家族をさまざまな文献から考えていく本。子供の死が身近だった江戸時代。幕府も藩も結婚と出産を奨励した(一方で、「恋愛結婚」は否定的だったのは面白い)。一方で性が売り物にもなっていた。遊郭などの話も出てくるが、話のメインは庶民の生活である。出産や結婚にスポットを当てつつ、江戸時代の庶民のぎりぎりの生活が見て取れた。

  • タイトルから興味を感じ、この本を選んだ人は多いと思う。自分もその一人だが、実際に読んでみると、性の現場に関する多くの史料を丹念に読み解き、江戸時代の性の全体像と歴史的意味合いをあぶり出す学術書であった。
    著者は、人々が残した史料を読み解いた結果、「おおらか」という江戸時代の性についての常識に疑問を投げかける。仲人を立てた婚姻以外は不義・密通とし、婚姻内の夫婦の生殖のための性を特権化する婚姻・性・生殖の一致という制度規範が民衆の中にも入り込んでいた。一方で、抑圧され行き場を失った快楽としての性への欲望を吸収する性売買の大衆化が起きていく。言い換えると、夫婦の性は子どもをもうける「生殖のための性」であり、快楽としての性は非日常で、暮らしを危機に至らしめるものでもあった。
    途中から難しくなり、味気なさを感じながら読んだが、始めにあった一茶の性の営みの回数の凄さ、「懐胎の腹中の図」には思わずニヤリとしてしまった。また、不義の子をめぐる揉め事が、家だけでなく、村、藩が深く関わるほどの大問題だったという史実には驚いてしまった。

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著者プロフィール

1951年、福島県生まれ。順正短期大学幼児教育科教授。専攻は日本教育思想史、女性史。著書に『出産と身体の近世』『性と生殖の近世』(ともに勁草書房)、共編著に『男と女の過去と未来』『「性を考える」わたしたちの講義』、共著に『成熟と老い』(いずれも世界思想社)など。

「2007年 『「家族」はどこへいく』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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