- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004318460
感想・レビュー・書評
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シェイクスピアの各作品での「暴君」の描かれ方をうまく抽出してあると感じた。
項目立てが絶妙なのか、各論的になりすぎず、一貫した書きぶりで読みやすい。
シェイクスピア作品に目を通したうえで再読してみたい。
トランプ政権誕生を明らかに意図しているはずだが、本文に指摘のシェイクスピアのやり方と同様、「直接的な状況から遠くへ想像力を飛ばし」て書かれていたため、自らの政治主張の押し付けめいたものはそこまで感じられなかった。
暴君を放置、時には支持してしまう民衆らへの指摘についても、なるほどと思わされた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
シェイクスピア研究の泰斗、と知っていた。
でも、自分の予備知識なんていい加減。
著者はアメリカ育ちで、所属もアメリカの大学。
そう思って読むと、四章冒頭の暴君の性格は、もしかして有名なあの人に当て書きしたのかと思えてくる。
(謝辞を見ると、その理解でよさそうだ。)
取り上げた作品は、『ヘンリー六世』『リチャード三世』『マクベス』『リア王』『冬物語』『ジュリアス・シーザー』『コリオレイナス』など。
これらの作品群を通して、暴君の特質、背景、そして周囲の人間のありようなどを分析する。
リチャードは、絵にかいたような暴君。
コンプレックスや愛情欠乏を権力で補償しようとする、ある意味わかりやすい悪者。
マクベスには「近代」的男性の悲劇が滲む。
妻から男性性を証明することを迫られ、正統な王殺害に追い込まれ王位を簒奪するが、狂気に陥る。
忠義の臣下や召使、親族は迫害される。
鶏まきは追従するか、沈黙する。
人々は、というと一筋縄ではいかない。
このあたりは古代ローマに材を取った『ジュリアス・シーザー』や、『コリオレイナス』から分析される。
混乱しながらも、民主制を守るためにシーザー殺害を決意するブルータス。
彼の理想主義は仲間のデマゴーグに踏みにじられ、肝心の市民から理解されることはない。
コリオレイナスは英雄軍人で、友人の貴族たちに執政官の候補として担ぎ上げられる。
彼自身は庶民を侮蔑しているが、貴族たちに選挙に勝つために、庶民に迎合せよと薦める。
しかし生来の性格から、その戦略を貫き通せず、結局ローマは内戦状態になる。
人々はコリオレイナスを憎んでいるはずだが、彼がローマを攻めてくると聞くと、彼の評価に「歴史修正主義」を適応しはじめる。
結局彼はローマから離れ、やがて死ぬことになるが、この暴君から民主制を救ったのは、庶民――とはならない。
私利私欲に走る俗物として描かれる護民官が、結果的には民主制を救う、という何とも皮肉な結末。
シェイクスピアの生きた時代の弾圧を思いやる。
けれど、「人民がいなくて、何が街だ?」というシェイクスピアのメッセージは、なかなか自分が作品から読み取ることは難しいとも思う。 -
『ヘンリー六世』、『リチャード三世』、『マクベス』、『リア王』、『ジュリアス・シーザー』、『コレオレイナス』……。シェイクスピアは作家人生を通じて何度も〈暴君〉の有様を書き続けた。政治批判が直接命に関わるエリザベス一世の統治下で、シェイクスピアは〈暴君〉の政治をどう描いたのか。2020年の今につながる刺激的な一冊。
北村紗衣先生と鴻巣友季子さんがアメリカ大統領選にあわせておすすめしていたので、絶対に間違いないと思い手にとったがやっぱり面白かった。
グリーンブラットがこの本を書いた発端は2016年の大統領選でのトランプの勝利に絶望し、食卓で妻と息子に現代政治とシェイクスピア劇の〈暴君〉との類似性を語ったことにあるという。つまり本書は、女王の専制政治下で当時の劇団がさまざまな逃げ口を用意しながらどう政治劇を上演したかについての本であると共に、トランプの名前をださずに痛烈にトランプを批判する一冊でもある。その二重写しが読んでいて楽しいし、ときに背筋を正される。
元は食卓での会話だったと言うとおり、研究書ではなく世間話の延長のように軽快にシェイクスピアを語るので、エリザベス朝がとても身近に感じられる。時折「シェイクスピアは〜」という主語で明らかに自身の主張を語っている節もあるがそれも愛嬌のうちだろう。
ハッとさせられたのは、シェイクスピア作品のほとんどに種本があるのは、お上からクレームがついたときに「我々の創作じゃないですよ、元ネタに書いてあったんですよ」と言い逃れするためだったという説。他にも専制君主に対して反抗的な台詞は作中の狂人に言わせるなど、劇団はさまざまな逃げ道を用意していたらしい。現代のオリジナリティ至上主義と異なる視点から、社会学的にシェイクスピアを読んでみるのはとても面白そう。エリザベス女王が「リチャードは私だ」と言ったというエピソードも初めて知った。すべてに勘づきながらシェイクスピアとその劇団を泳がせ続けたのだとすれば、やっぱり賢い人ではあったのだろう。
あからさまにトランプ批判のためにシェイクスピアをダシにした一冊ではあるのだが、ちゃんと戯曲も読みたくなるのがグリーンブラットの面目躍如。最終章で扱われている『コリオレイナス』は未読だが、紹介されているあらすじからするに毒母とバイオレンスマザコン野郎の成り上がりと敗北の物語で、三島みたいなので興味が湧いた。コリオレイナスを束縛しておいて最後には棄てる母・ヴォラムニアが元老院議員たちの手でローマ救済のシンボルに持ち上げられるくだりは、直前に読んだ『イメージの歴史』でやったとこ!と進研ゼミ気分だった。
単純に「実はシェイクスピア劇には専制政治批判のメッセージが隠されていた!」などと言えるものではないが、少なくともシェイクスピアとその劇団は演目の解釈可能性を広く保ち、多義的であることによって観客ごとの感想の違いを許し、〈物語の専制君主〉にはならなかったのだと思う。だからこそ、2020年になってもこんなシェイクスピア本がだせるんだもんね。 -
2020年10月1日購入。
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シェイクスピアといえば悲劇、くらいの認識しかなく、リア王・マクベス・ハムレットくらいしか読んだことがなかったが、「暴君」という切り口で鮮やかに切り取られた史劇群は非常に魅力的だと感じた。
シェイクスピア作品自体の面白さを伝えながら、暴君が生まれ来るメカニズムを読み解き、現代において我々が直面しているものごととの連関を考えさせられる。 -
東2法経図・6F開架:B1/4-3/1846/K
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シェイクスピアにみる、「王」と「政治」のありようについて。
シェイクスピアの戯曲の読み方本として面白かった。
そして、言及される内容に、現行の特定の人物の顔が浮かんだりしてくる感じの。
権力を持った人間と、権力の周囲の人間と、大衆たち、古来よりずっと誰もみんな勝手だし不出来。
そう考えると、人類はよくここまで生きながらえてきたものだなぁとか思ったり。
フィクションとして読む分には、暴君、非常に魅力的なんですよ。フィクションとしてなら。 -