太平天国――皇帝なき中国の挫折 (岩波新書 新赤版 1862)

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  • Amazon.co.jp ・本 (278ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004318620

作品紹介・あらすじ

「滅満興漢」を掲げて清朝打倒をめざし、皇帝制度を否定した太平天国。その鎮圧のために組織され、台頭する地方勢力の筆頭となった曽国藩の湘軍。血塗られた歴史をもたらした両者の戦いの詳細を丹念にたどり、中国近代化へと続く道に光をあてるとともに、皇帝支配という権威主義的統治のあり方を問い直す。

感想・レビュー・書評

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  • 岩波新書って地味だよね・・。ドラマチックに書けそうなテーマだけどわざと退屈させようとしてるかというくらい淡々としている?太平天国の初めのほうは男女が別れて生活させられたのに洪秀全は1000人の女官とたくさんの妻に囲まれて生活していたとか、内容はショッキングなのに、読者を煽らずアッサリとした文章でむしろ好感持てるくらい。
    アヘン戦争が終わったばかりのぼろぼろの中国で、1843年、科挙試験に挫折した洪秀全は初期の中国人キリスト教徒が書いたプロテスタントの伝道パンフレットを読んで自分なりに目覚め(?)、自分が上帝(キリストの当時の中国語訳)に選ばれた末裔と思い込む。偶像崇拝の誤りや上帝が唯一の神であるという考え方は清朝支配下で惨めな生活を送ってきた洪秀全にとって、世界が180°変わって見える希望が持てるものだったのだろう。上帝が中国にいると思い込んでいるあたりは中華思想が大前提で生きてきた人間の限界なのか。清朝の軍隊が略奪や暴行で人民を苦しめていたこともあり、規律正しく、基本的に略奪などもしなかった太平天国は人々に受け入れられる。
    しかし、1855年、武昌では住民を味方につけられず、結果、太平天国が敗北した歴史からは学ぶべき。わずか19歳の太平天国軍官、陳玉成は無秩序な取り立てを行って、住民を敵に回し、この頃は清軍で住民への略奪をしないよう徹底が図られるようになってきていたので、住民は清軍に連絡を取った。陳玉成は怒って住民を虐殺するが、逆に太平天国軍人の清軍への投降につながり、太平天国は敗北する。住民に支持されることで拡大した太平天国が、住民を苦しめ、結果、没落が始まる。
    5章、イギリス公使たちの太平天国との接触はおもしろい。キリスト教の影響を受けた太平天国はいかばかりかと南京にやってきた公使に、太平天国の王のひとりは「天条を知っているか」と聞きイギリス人が「それは十戒のことではないか」と暗誦すると「我々の信仰と同じだ!」と喜ぶ。しかし、西欧では真の君主は全世界共通の神だと考えて、主権国家同士は対等な条約関係を結ぶのに対し、太平天国は天帝は中国にいると言う中華思想。また、洪秀全が88人の妻、他の王も36人、14人と多妻制なのもヨーロッパ人が太平天国を異端と論じる根拠となった。
    太平天国の乱での死者は江蘇だけで2000万人を超えたという。この後も、ずっと中国は内乱が続くわけだが、王の一人は太平天国の乱失敗の理由を、「洪秀全が部下を信じず、兄を補佐役にしたが能力がなかった」とのこと。すごく属人的な見方と言うか、組織の中の人の狭い考え。著者は、洪秀全がキリスト教に出会って、全ての人が大家族となって救済される理想を持ったが、自らが救世主と言う考えは専制君主と変わらず、結局自分の権力が脅かされるという不安で猜疑心から逃れられなかったこと、意見の異なる相手を排除する不寛容な教義を克服できなかったことが原因と分析する。巨大な中央政府がどのように社会の多様性を確保するか170年前から続いている中国の課題、と最後はウイグルや香港で圧力政治を行う習金平政権につなげてきれいにまとまった。

  • 教科書でチラっと見て清朝末期の中国でキリスト教系の反乱があった、くらいの認識だったのだけど帯に今の中国の一党独裁はこの事件に起源がある的なことが書いてあったので興味を持った。結果言うと自分の読みが浅いのかなぜそう言えるのか分からなかった、とうのが正直なところ。太平天国の乱とは科挙に落ち続けた洪秀全という男がある日、キリストの啓示を受けて自分たちの国を作るために立ち上がり一時は大都市南京をはじめかなりの勢力を持つに至ったが結局は鎮圧された、という事件である。既に弱体化しつつあった清朝が更に弱くなり、地方に軍閥が生まれるきっかけにもなったようだ。作者は太平天国が権力の分散のきっかけになったのでは、という見立てのようなのだが、洪秀全はキリストの啓示を受けたと言いつつも科挙=儒教の文化が染み付いた人間であって逆にキリスト教に関しては野狐禅レベルとしか思えず...つまり清朝に対しては易姓革命を仕掛けたに過ぎず、自分はキリストの弟だなどと言うに及んで一旦は味方につけられそうだった欧米の勢力からも見放され自滅していった、というふうに読み取れた。反乱の背景には華僑の中でも後発で地位が低くならざるを得なかった客家の鬱屈があったというあたりはなるほど、と思わせられた。それにしても中国の内乱系は死者の数が桁違いでちょっとゾッとする時がある。

  • リーダーシップの分割にともなう緊張をどうにかできるしくみがないと組織は歪む

  • 今こそ中国を見つめ直す。

  • 帯には民主化への分岐点となった「人類史上最悪の内戦」という惹句があり興味を惹かれたが、「最悪の内戦」というイメージはあまりわかなかった。が、期待以上に内容的には面白かった。

    副題にもあるとおり、太平天国は「皇帝なき中国」を目指したが、その理念は実現できず、1851年から1864年まで足かけ14年にわたる内戦で多くの犠牲を出しつつ終結した。

    太平天国の指導者であった洪秀全の特異なキリスト教理解は、それまでの中国の皇帝支配を否定するものであったが、はじめから「滅満興漢」を掲げたものではなく、太平天国が拡大していくなかで作られていったスローガンであった。「つまり太平天国の滅満興漢の主張は旗人(*清代の満洲族の人びと)を偶像崇拝者と見なすことで「創り出された」言説であったと言えるだろう」(p.64)。(*は評者注)

    そうした「排除の論理」は近代ヨーロッパが中国やアジアにもたらしたものでもあった。そして、それは逆にアジアの抵抗運動に報復の暴力をもたらしただけではなく、のちの階級闘争のなかでも抑圧と暴力の連鎖となってながく続くというのが、著者の見立てである(p.73-75)。

    また太平天国の目指した理想社会は儒教的な「貧しきを憂えず、均しからざるを憂う」という倫理観にもとづくものであった。この原理主義的な行き方は世俗的な不平等を抱え込みつつの繁栄というあり方とは折り合いが悪い。毛沢東主義が社会主義の理想を目指す原理主義であり、鄧小平路線が現実主義的なものであるとするならば、太平天国は前者に似通っており、ある意味、現代の習近平の行き方にも近いものがある。

    さて当然のことだが、太平天国を語るときにはそれを鎮圧した曾国藩・李鴻章・左宗棠らの漢人勢力の評価がキーになる。清朝弱体化の中で台頭してきた彼らは外国勢力と結び、民族主義的な太平天国を鎮圧した裏切り者という側面と、中国国内の混乱を鎮め、のちの洋務運動などの近代化路線に道筋をつけたという側面とがあるからだ。

    本書で描かれているような太平天国内部の構造的な問題が根本にあるとするならば、その「挫折」に内在する問題をあらためて中国近代化全体の問題として捉えることが重要である。つまり、専制的で中央集権的な政府の圧力に抗しながら社会の多様性を認め、分権的な支配がいかに可能かという問題である。最後に曾国藩が漢人中心の中央政府を組織することを断り、地方にその地盤を置いて生き延びる道を選んだというエピソードが紹介されているが、現代の中国における共産党支配のあり方を見ていると、非常に重要なヒントがそこには隠されているように思われる。

  • 近代での出来事でありながら、内実が不明であった太平天国のことを知ることができてよかった。

  • (後で書きます)

  • 太平天国の乱は幕末と同時期にあたり、李鴻章やパークスなど、その後日本と関わりを持つ要人達の名も見え、いわばそれほど過去の出来事ではない。そして14年もの間、清と西欧諸国の前に存在し続けていた事実は、この事象が単なる「乱」を超えるものだった事を示している。大国化を進む今日の中国を探る、一視点として太平天国を取り上げたのは、確かに一案かもしれない。日本の一揆が決して役職(身分)を求めて実行されなかったのに対し、太平天国は勢力拡大に伴い、疑似朝廷を作り上げ、(教義上から)皇帝こそ名乗らなかったものの、旧来の権力者を模した。その差異が興味深く、両国を端的に表現しているようにも感じた。

  •  著者はこの事件を、「勝者の物語」から取り戻す、社会的な弱者からの異議申し立ての暴力、と述べる。他方で肯定するわけでもなく、他者への不寛容さがもたらした暴力も指摘する。尤も暴力で言えば清朝側と大差ないが。
     文化・経済的には辺境だろう華南の下層の客家から起きた太平天国。にもかかわらずかなりの地域を支配し、また読書人の参加は限定的であっても統治体制的なものを作っていたのがまず意外だった。キリスト教の影響を受けながらも、古代の「大同」の理想や上帝の下の大家族という中国的な思想だという点も興味深い。
     本書全体としては、始皇帝以降の中国の中央集権制と、皇帝を否定し洪秀全と五王の共同統治体制とした分権的な太平天国を対比させている。しかしそう単純ではないと読んで感じた。むしろ、著者が最後近くに述べるように、清朝でも太平天国でも、中央集権の中での「分権」の可能性、という視座の方が適当なように思われる。
     まず、従来の中国体制下でもどこまで真に中央集権的だったのか。華南の下層には旗人は身近ではなかったことや、出身地別の格差や憎悪という地域主義、田舎出身の太平軍将兵と武昌や南京の都市住民のギャップは本書でも出てくる。曾国藩は政府側だが、新興漢人官僚として皇帝や従来エリートからの信任を得ていたわけではなかった。
     太平天国の側でも、参加者の「官」への上昇思考。また南京に入った後、多数の妃を持ち、「真王」の地位に固執する洪秀全、その地位を狙った楊秀清の姿は専制君主制に見える。著者も、結局は暴力的な専制支配から脱却できなかったと述べている。

  • キリスト教を母体とした独自の宗教を創設した洪秀全の指導のもと、農民らを巻き込みながら独立国家として清の打倒を目指した太平天国の乱を巡る概説書である。

    本書を読むまで高校レベルの世界史で教わる程度の知識しかなかった自身にとってまず驚かされたのは、太平天国の乱による死者数2,000万人という数値である。これは第一次世界大戦の死者数(約1,500万人)を超えており、わずか14年間に中国という一国での死者数ということを考えると、この乱がどれだけのインパクトを後世に与えたかがわかる。

    なぜ、現代において太平天国の乱に注目する必要があるのか?その答えは、現在の習近平指導体制で一層強化された中央集権的体制がここまで中国で存続しているには、太平天国の乱による大混乱が背景にある、というものである。太平天国は当初、一種の地方分権体制を取っていた。しかし、最終的には各地方の権勢が増し、コントロール不全に陥る中、太平天国を危険視した西欧諸国の介入もあり、太平天国は終わりを告げる。そしてその過程で生まれたのが2,000万人もの死者である。

    莫大な混乱と膨大な死者を招いた太平天国の失敗により、中国の後世の人間は「権力を分散させればこのような惨事が再び起こるかもしれない」という危惧を持ち、現在に至る中央集権体制を支えているのではないか。それが太平天国の乱の意味合いであるというのが著者の説である。

    単なる歴史的事実の概説に留まらず、現代に至る中国という国家の政治体制を考える上でも非常に意義深い一冊であった。

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著者プロフィール

1961年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。東京大学大学院修了。文学博士。中部大学国際関係学部講師・助教授を経て, 現在,国際基督教大学教授。主な著書に『広西移民社会と太平天国』(風響社)、『太平天国にみる異文化受容』(山川出版社)、『清代中国南部の社会変容と太平天国』『金田から南京へ――太平天国初期史研究』『北伐と西征――太平天国前期史研究』(汲古書院)、近刊に岩波新書『太平天国――皇帝なき中国の挫折』がある。

「2021年 『中国の歴史10 ラストエンペラーと近代中国 清末 中華民国』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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