人権と国家 理念の力と国際政治の現実 (岩波新書 新赤版 1912)
- 岩波書店 (2022年2月21日発売)
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感想 : 44件
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Amazon.co.jp ・本 (252ページ) / ISBN・EAN: 9784004319122
作品紹介・あらすじ
今や政府・企業・組織・個人のどのレベルでも必要とされるSDGsの要・普遍的人権の理念や制度の誕生と発展をたどり、内政干渉を嫌う国家が自らの権力を制約する人権システムの発展を許した国際政治のパラドックスを解く。冷戦体制崩壊後、今日までの国際人権の実効性を吟味し、日本の人権外交・教育の質を世界標準から問う。
みんなの感想まとめ
人権という複雑で重要なテーマを扱った本書は、普遍的人権の理念や制度の発展を追い、国際政治のパラドクスを解き明かします。特に、すべての人間に人権が保障される普遍性と、他国での人権侵害を無視しない内政干渉...
感想・レビュー・書評
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これ読み始めたんだけど、めちゃ面白い。スタンフォード大学教授が書いた人権についての本。人権って普通にあるものとばかり思ってたけどそうでもないというのと、人権の成り立ちから、人権という言葉自体が海外からの輸入物だから意外と日本で有るけど何を指してるのか曖昧なものだと思った。サントリー学芸賞、石橋湛山賞をダブル受賞してるらしい。
筒井 清輝
Kiyoteru Tsutsui
スタンフォード大学 教授。1971年東京生まれ。93年京都大学文学部卒業、2002年米スタンフォード大学で博士号(Ph.D.)取得(社会学)、米ミシガン大学社会学部教授、同大学日本研究センター所長、同ドニア人権センター所長などを経て、現職。著書に『人権と国家―理念の力と国際政治の現実』、『Rights Make Might: Global Human Rights and Minority Social Movements in Japan』などがある。理念や制度、歴史といった様々な角度、世界標準の視点で「人権」のあり方を問い続けている。
「現在我々が当然のことと考えている人権理念や制度はいつ生まれたものなのか? 人権の起源に関するこの問いに答えるべく、 2000年代半ば以降、歴史学者や法制史学者を中心に、多くの研究者が意欲的な研究を発表してきた。そこではまず普遍的人権の前段階として、現在の人権観念につながる古代ギリシャやルネッサンス時代のヨーロッパでの人間の尊厳や自由に対する考え方の発展、啓蒙主義と市民革命の時代における国家権力制限の動き、 19世紀以降の奴隷制度廃止運動、女性の権利拡大運動など、現在の人権運動と直接つながる政治運動の展開が扱われる。そして、人権の歴史にとって最も重要な転機として、国連憲章と世界人権宣言が生まれた第二次大戦前後、国際社会で人権への関心が急激な高まりを見せた 1970年代、冷戦後に人権制度が実効性を持ち始めたとされる 1990年代などが取り上げられる。 人権の歴史に関する近年の研究を最も活気づけたのは、歴史学者サミュエル・モインの『ラスト・ユートピア』であろう( Moyn 2012)。様々な物議を醸したこの本で、モインは国際人権が生まれたのは 1970年代であるというラディカルな主張を行い、人権の歴史の連続性と非連続性に関する論争を喚起した。モインを中心とする修正主義者は、それまでの 1940年代を国際人権誕生の時代とする正統的な歴史的見解に対して、 1970年代以降の国際人権は、その国際性、普遍性において、それまでとは決定的に異なるものであるという議論を展開し、正統主義的な研究者から大きな批判を受けた。」
—『人権と国家 理念の力と国際政治の現実 (岩波新書)』筒井 清輝著
「人権の起源について考えるにあたっては、まず人権の定義を考えなくてはならない。弱者救済や平等、正義、自由、尊厳などの人権とも通底する人道主義的な価値観であれば、人間社会に古くから見られたものが多くある。例えばメソポタミア文明のハンムラビ法典などのように、相手を自分と同様の存在と見て、自分がされたいのと同等の対応を相手にもするという発想は、紀元前から見られるものである。また、権力者の力を制限し、法の下で弱い立場にある者の権利を守るという考え方は、 1215年のマグナ・カルタなどに見られるように中世の社会でも存在していた。 しかし、現在の人権理念は、これらの人道主義的な観念を超えたものである。そしてこの理念を国際社会で最初に規定したのは、 1948年の世界人権宣言( Universal Declaration of Human Rights)(本章扉写真)である。この時生まれた普遍的人権( universal human rights)は、相当に革命的な思想で、人類の歴史の中でも画期的なものであった。では、それはどのようにそれまでの人道主義的な思想と違うのか?」
—『人権と国家 理念の力と国際政治の現実 (岩波新書)』筒井 清輝著
「人間は多くの場合、外集団に対しては無関心であるか、一定の友好関係を保つか、あるいは脅威として敵対心を持つかであった。内集団と外集団の区別は現在でも当然残っており、内集団を優先する場面が多いことも変わりはないが、普遍的人権思想の普及した現代では、外集団の構成員に甚大な人権侵害が行われている場合には、それに無関心であったり、それを許容することは、道徳的に許されないこととされている。ウガンダで同性愛者が迫害されていることやカザフスタンで反政府勢力が弾圧されていることなどは、普遍的人権思想が確立される前の時代であれば、遠い国の出来事として無視されていたことであろう。しかし、今日の世界では、これらの外集団の人権問題に直接関係を持たない日本人でも、関心や意見を持ち、何らかの行動を起こすことが求められているのである。」
—『人権と国家 理念の力と国際政治の現実 (岩波新書)』筒井 清輝著
「この外から干渉する必要があるという点が普遍的人権思想の第二の革新である。 20世紀半ばまでの世界では、 1648年のウェストファリア条約で定式化された国家主権の原則の下で、国内での政治的・宗教的な事案について、外からとやかく批判したり、何らかのアクションを起こすことは、内政干渉であるとして多くの場合、避けられてきた。これは支配者にとって相互に都合の良いシステムであり、自国がその規範を破って他国の国内政治に干渉すれば、後から他国が自国の内政に干渉してくる事態を招く恐れがあるので、なるべくこれを忌避するのが得策であった。それでもフランスのようなカトリックの国が、他国でのカトリック信徒の弾圧に抗議するとか、ドイツが東欧の国にいるドイツ人の権益を保護するなどの、自国の利益を守る形での干渉は以前からあった。しかし、普遍的人権思想の下での内政への干渉は、しばしば国際社会の連帯の中で、直接の利益を持たない国も巻き込んで行われるのである。 例えば、ミャンマー政府がロヒンギャに対して民族浄化政策を行っているとなれば、直接の権益に関わりなく、多くの国が国際社会としてこの問題に対応することが求められる。また、中国政府が新疆でジェノサイドとも言える人権侵害を行っているということになれば、中国との経済関係などでの権益を失う可能性があっても、この問題を無視することは許されないということになる。」
—『人権と国家 理念の力と国際政治の現実 (岩波新書)』筒井 清輝著
「普遍的人権思想の根底にあるのは、他者への共感である。しかも、自分もした同じ経験をもとにする他者との共感・同感( sympathy)ではなくて、見知らぬ他者の、自分ではしたことのない経験に思いを馳せて感じる他者への共感( empathy)が重要になってくる。多くの人間が、家族やその延長線上にある内集団の構成員の痛みや苦しみに共感する能力は持っている。しかし、自分とは異質な外集団の構成員に対する共感は、特に政治的・宗教的な距離があればあるほど、難しくなってくる。 近代の国民国家形成の歴史の中で、内集団の拡大が重要であったことは、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』などで広く指摘されてきたところである( Anderson 2006[ 1983])。同じ生活空間で日常的に顔を合わせる者との間に限られてきた共同体の概念を、「国民」という観念に拡大し、一生会うこともない見知らぬ他者でも、同じ国家に属しているという一点で内集団の一員と考えさせるのが、国民国家の思想である。こうして醸成されたナショナリズムは、新聞などのメディアや教育、文化をはじめ、美術館、博物館、地図、歴史、「創られた伝統」などを媒体に、近代国家を構成する国民の形成に貢献してきた( Hobsbawm and Ranger 1983)。」
—『人権と国家 理念の力と国際政治の現実 (岩波新書)』筒井 清輝著
筒井清輝『人権と国家』(岩波新書)を読んでいるのですが、人権とは偶然の産物かもしれないみたいな話が多くてとても意外だ。人権が尊重されることを当たり前だと思いすぎていた
筒井清輝『人権と国家-理念の力と国際政治の現実』読了。今年読んだ社会科学の本で暫定トップの面白さ。一見「きれいごと」である人権が、なぜ国際的に普及し、政治経済という現実のなかでそれなりの影響力を発揮しているのか。その歴史とメカニズムを掘り下げた好著。めっちゃ勉強になった。
筒井清輝『人権と国家』(岩波新書)を読了。
人権とはなにかを考える機会は小中高を通して設けられていたが(公民と道徳の授業)、自分が受けてきた人権教育を振り返ると、肝心な「人権とはなにか」については教わらなかった気がする。
本書は人権と国家の関係を論じた本である。
「奴隷制反対運動には少なからぬ女性運動家も参加していたが、彼女たちは、白人と黒人との間の差別に対する憤りに動機付けられていたこの運動の中で、男性と女性との間の差別が無批判に受け入れられていた矛盾に強く反発した。例えば、 1840年の世界反奴隷制会議で、女性の参加者が男性と同じように席につくことが許されなかったことや、解放された奴隷に参政権などを与えるように主張する中で、それが男性に限られており、女性の場合は奴隷の地位から解放されても同じような権利を与えることが支持されなかったことなどが、その顕著な具体例である。こうした矛盾にあちこちで触れる中で、女性運動家たちは団結を強め、それが女性の権利獲得運動の契機になった。奴隷制反対運動という一つの国際人権運動の中での権利主体の範囲を拡大する議論から、女性の権利という違う国際人権運動の種が芽生えたのであった( Keck and Sikkink 1998)。このことは、この時期の人権感覚の段階的な広がりを象徴すると同時に、人権観念やそれに基づく社会運動が、当初のターゲットを超えて、様々な集団や個人を力づけ、人権運動へと向かわせる力があることの最も古い実例の一つである。」
—『人権と国家 理念の力と国際政治の現実 (岩波新書)』筒井 清輝著
「こうして、男女の権利の明確な違いという矛盾に憤った女性運動家たちが、 19世紀半ば以降、運動を組織化し、参政権に焦点を絞って女性の権利の拡大を進めていった。この時期、財産権や、教育を受ける権利、婚姻にまつわる権利など、女性の権利に関わる論点はいろいろあったが、中でも参政権は、男性社会からの反発を最も買う問題であった。民主主義的な価値観が広がり、宗教的マイノリティーや一部の人種的マイノリティーにも、限定的ながらも何らかの参政権が与えられていく中で、女性に参政権が認められないことは明らかな矛盾であった。しかし当時は、選挙に参加し政治のあり方を決めるという行為は、知識と教養に恵まれた一部の男性にしかできない社会行為であるという考え方が強く、その男性の範囲は宗教・階層・人種も超えて少しずつ広まっていったが、その「特権」が女性にまで拡大されるのにはさらに長い時間を要した。女性の役割は家庭にあるという偏見が根強く、公共の場に積極的に出て、政治的決定に関する議論に加わることは、女性にはできないというような議論が公然と受け入れられていたのであった。もちろん、一部のアメリカ植民地や、ハワイ、先住民のコミュニティーなどの例外はあったが、欧米の近代民主主義国家の仕組みの中では、女性を政治に参加させて個人としての自立を認めるというのは、半ば革命的な発想であった。そこで女性運動家たちは、あえてこの問題に運動の焦点を絞り、民主主義および平等の理念と、政治参加の現実とのギャップをつき、女性の権利の広範な拡大を図った。」
—『人権と国家 理念の力と国際政治の現実 (岩波新書)』筒井 清輝著
帰りの飛行機で、筒井さんの「人権と国家」を読む。
今の時代は、人権について意識が低いと、政務官を更迭されたり、総理秘書官を辞めたりと、公の立場の人は強く求められる。
では、人権とは何か?と問われるとなかなか難しい。
サントリー学芸賞、石橋湛山賞をダブル受賞も納得の必読です。
新書っていうのは自分が専門にしてる分野の本を読むと細かい点が気になってあまり楽しんで読めない。自分が詳しくない分野の方が新書らしく楽しめる。今は筒井清輝さんの「人権と国家」を読んでいる。普遍的人権の概念が歴史的には偶発的な過程も含めて広がっていくという社会学的な分析が新鮮
筒井 清輝『人権と国家 理念の力と国際政治の現実』読了
サントリー学芸賞受賞本。18世紀に生まれ、世界大戦や冷戦を経る過程で大国の思惑と誤算によって発展してきた人権。その普遍性は冷戦後試され挫折や揺り戻しを経験するも、着実に広がり国際政治の一要素である事を述べた本。
「この二つの慣習はいずれも当該社会・文化に深く根付いていたものであったが、反対運動の結果は対照的なものとなった。中国での纏足反対運動は、 19世紀から 20世紀初頭の中国の、国としての後退の中で、中国人のリーダー自体が改革の必要性を認識し、古い慣習が中国の進歩を阻害しているという理解の下、自発的な形で纏足をやめる動きが広がった。この運動では、欧米の運動家がまず中国人の精神的・宗教的指導者を説得して、地域の指導者を主体として運動を広げたことが功を奏した。」
—『人権と国家 理念の力と国際政治の現実 (岩波新書)』筒井 清輝著
サントリー学芸賞が出ていた。未読だが読みたい本リストに入れていた筒井清輝『人権と国家』は、評判も良いので取るかなと思っていた。あと邵丹『翻訳を産む文学、文学を産む翻訳』も読みたい本リストに入れていた(こちらも未読)。
suntory.co.jp/news/article/1…
面白い本です。内政干渉を嫌うはずの国家が自らを縛る「人権」というシステムの発展を許し、国を超えたビジネスのルールの基盤に人権がどっしりと置かれる。加えて、人権力は国の外交パワーにも直結する。スタンフォード大教授の筒井清輝さん『人権と国家』岩波新書。迫力があり、今読むべき本でした。
筒井清輝「人権と国家」(岩波新書2022年)#読了
人権を掲げることが、強力で普遍的なものになるまでにはどんな経緯があったのか、国際社会でどれほど実効性があるのかといったことが書かれている。色々なところで、差別や人権侵害が問題になる今の時代、社会規範としての人権を考えるのに役立つ一冊。
「こうした時代の要請に応える形で、ローズベルト米国大統領が 1941年1月の一般教書演説で四つの自由を訴える。ローズベルトはすでにこの時、表現の自由、信教の自由、欠乏からの自由、恐怖からの自由の四つの自由は「世界中どこでも」守られるべきものであると述べていた。「どこでも」は必ずしも「誰でも」と同義ではないが、ローズベルトはさらに 1942年のラジオ演説で、四つの自由が人種や宗教に関係なく世界中誰にでも当てはまるという普遍性の原則を明確に述べている。 さらにアメリカは、 1941年8月にはイギリスとともに大西洋憲章で、第二次大戦後の世界についてのビジョンを発表した。これは、ローズベルト大統領とチャーチル首相が会合を重ねて練り上げたビジョンであり、両国が領土拡大を求めないこと、全ての国民が民族自決の権利を持つことなどが規定されている。この短い文書には人権に関する言及はないが、その延長線上にある、翌年1月に出され、最終的には連合国 47カ国が署名した連合国共同宣言には、「自分たちの領土及び他国の領土でも、生命、自由、独立と宗教的自由を守り、人権と正義を確保するためには我らの敵に対する完全な勝利が必要である」という文言が入っている。こうして人権と自由は、連合国の大義として頻繁に持ち出されるようになる。」
—『人権と国家 理念の力と国際政治の現実 (岩波新書)』筒井 清輝著
「例えば、 1961年のジョージア大学での演説で、ロバート・ケネディ司法長官は同大学が初めての黒人の学生を受け入れたことに触れ、このことが「世界的な……共産主義勢力との闘いの助けになることは間違いない」と述べた。この理解は党派的なものではなく、同じ時期に共和党のリチャード・ニクソン大統領候補も黒人の平等な権利の要求に応えることは、「共産圏の指導者たちのアメリカとアメリカが体現する価値観に対する批判」を封じ込めるものであり、国益に資することだと述べていた。当時のアメリカのリーダーたちは、黒人の受ける人種差別そのものに対する関心はそれほどなかったとしても、プロパガンダ戦略の一環として、公民権運動を黒人の要求に応える形で収束させる必要があると考えていたのだ( McAdam 1999)。 1964年の公民権法などのこの運動の成果は、もちろん黒人の人々自身の命をかけた抗議行動によって勝ち取られたことは間違いないが、政府の側ではこのような国際戦略も頭にあったことは見過ごしてはならない。ただし、公民権運動では経済権・社会権への関心は薄れていき、キング牧師などの中心的指導者が市民権・政治権の獲得を最優先する選択をした結果、法的平等はかなりの程度達成されたが、現在に及ぶ黒人社会の貧困や差別というレガシーも残してしまったと言われる( Anderson 2003)。」
—『人権と国家 理念の力と国際政治の現実 (岩波新書)』筒井 清輝著
「国際刑事裁判所の実現に至るまでには、大規模な人権侵害や暴力的紛争の後にどのような移行期の正義が適切なのかという、今も続く長い議論があった。紛争後の国内の平和と安定を守るという観点からは、人権侵害や暴力行為の加害者を片っ端から処罰していくというのは必ずしも望ましいことではないが、かと言って被害者の立場からすると何の反省もない加害者と同じ社会で共生するのは簡単なことではない。様々な国で様々な移行期の正義の手法が採用されてきたが、大きく分けて、加害者の粛清や訴追、伝統的な紛争解決の方法や儀式、賠償金の支払い、真実と和解の委員会、そして何もしないことなどがある。加害者を一掃し処罰することは、被害者心情に寄り添うものではあるが、その範囲を広げ過ぎると社会の安定が崩れてしまう場合がある。伝統的な紛争解決法は、例えばルワンダで虐殺の後にガチャチャ法廷という地元に根付く裁きの場が使われたように、指揮系統の下の方で加害者になった人の社会復帰には適したものであることが多い。賠償金の支払いは、アメリカ政府が第二次大戦中に強制収容所に入れられた日系アメリカ人に行った例などがあるが、その範囲と適正額の決定には困難が伴う。真実と和解の委員会( Truth and Reconciliation Commission)はアパルトヘイト後の南アフリカで用いられて有名になった方法で、加害者がその罪を洗いざらい告白することで被害者の許しを請う場である。委員会にはしばしば一定の恩赦の権限があり、紛争後の和解に有効であると考えられている。」
—『人権と国家 理念の力と国際政治の現実 (岩波新書)』筒井 清輝著
「日本の近代国家としての歩みは明治維新から始まったのであり、近代的な人権との関係も明治時代から始まったと考えるのが通例である。もちろん江戸時代以前の日本でも、大名の権力を制限したり、武士の横暴を防ぐ社会的な仕組みはあったし、異なる身分の間でお互いの人間性を尊重する規範もあり、これらを江戸時代の「人間尊重思想」と再評価する向きもある。そして、この思想の長所とされた「主情的、自然的、没我的なるところ」と短所の「合理性、人格性、個人の尊厳性の軽視」は日本での人権のあり方に一定の影響を与え続けているとも言える(高坂 1968)。とはいえ、近代的な法体系に基づく人権の確立は、明治維新を経て封建制の軛から人々が解き放たれ、 1889年に大日本帝国憲法が制定されるまで待たなければならなかった。」
—『人権と国家 理念の力と国際政治の現実 (岩波新書)』筒井 清輝著
「明治期の人権思想は欧米の啓蒙思想に大きな影響を受けており、ロックやルソーの議論を吸収したリーダーたちが、「門閥制度は親の敵」と記した福沢諭吉や、被差別部落の解放にコミットして活動した中江兆民などのように、自由と平等、民主主義、人権などの啓蒙思想のキーワードを使って日本社会を欧米並みの近代社会にしようとした。目標としていた欧米社会が必ずしも理想を実現していたわけではないが、民主主義的な政治制度を整え、自由で平等な社会を作ることが、日本が一等国の仲間入りをするための近道だと考えられていたのだ。 ただし、欧米のブルジョワ革命のように、王が権力の座から下ろされて国民が主権者となるという場合と違って、明治維新においては徳川将軍の代わりに天皇が統治権を持ったことは、日本での人権の考え方に大きな影響を与えた。天皇が大権を持って国を支配するという形式をとったために、国民の権利も天皇によって与えられたものという形になったが、明治憲法の第二章では制限つきながらも、集会・結社の自由や財産権など近代的な人権が保障されていた。明治憲法の下で天皇が主権者かどうかに関しては、天皇機関説との関わりで様々な法学的議論があったが、少なくとも明治憲法起草を主導した伊藤博文の考えでは、天皇でさえ国民の政治的権利を侵すことはできず、「その権利を駆使して国家を盛り立てることが天皇に対する国民の義務である」のであった(瀧井 2010)。」
—『人権と国家 理念の力と国際政治の現実 (岩波新書)』筒井 清輝著
「日本が継続的に国際人権機関から批判を受けてきた人権問題は、大きく分けて、代用監獄問題や死刑制度などの司法の問題、難民認定や移民制度、人身取引などの問題、人種差別やヘイトスピーチの問題、ドメスティック・バイオレンスや婚姻制度など女性の権利に関わる問題、 LGBTQコミュニティーの権利に関わる問題、体罰など子どもの権利に関わる問題、障害者の権利に関わる問題、国内人権機構の設立などがある。こうした問題のうち、報告書審査の過程で政府が具体的に残した成果として、例えば、婚姻可能年齢が男女で違うことに対する指摘に応えて民法を改正し、男女とも 18歳に揃えたこと、ハンセン病差別にあった人々に補償をし、さらには国連人権理事会でハンセン病差別撤廃決議を提案して採択に至ったことなどがある。また、人身取引やドメスティック・バイオレンスなど政府の努力だけでは解決できない問題でも、様々な啓発活動やプログラムなどでこの問題の解決に取り組んでいることを報告書に記している。一方で、法律で達成可能だがなかなか手がつけられない問題、例えば死刑の廃止や、国内人権機構の設立、同性婚や夫婦別姓を認めることといった問題では、国内の事情や国民感情などを挙げて、簡単には変更できないという弁明を提出している。 これらの問題の多くは申惠丰著『国際人権入門』で詳しく取り上げられているので、詳細はそちらに譲る(申 2020)。ここでは、日本の国際人権との関わりが一定の成果を見た例として、アイヌ民族の先住民権獲得への歩みと在日コリアンによる指紋押捺拒否運動の経過を検証する。」
—『人権と国家 理念の力と国際政治の現実 (岩波新書)』筒井 清輝著
「例えば、日本での夫婦別姓・別氏に関する議論について考えてみよう。国際社会でこの制度が女性差別であると批判され、国連女性差別撤廃委員会から何度も改善勧告を受けていることや、日本以外でこの制度を持つ国がほとんどないことなどは、制度廃止の十分な論拠となりうるように思える。しかし、反対派は夫婦別姓・別氏を認めれば日本の伝統的な家族制度が崩壊し、国家の基盤をも揺るがすという論陣を張っている。このような議論に対しては、国際基準の議論だけでなく、近代以前の日本社会で氏を持った一部の人々の間では夫婦別氏が普通であったこと、明治時代に入ってからも最初の 30年以上にわたって夫婦別氏制度が取られており、 1898年の民法で初めて夫婦同氏が法制化されたことなどの、日本の伝統を踏まえた夫婦別姓・別氏のための議論をする方が有効であろう。反対派は、夫婦同姓・同氏を日本的な人権のあり方として認めてもらいたいのであれば、ただ日本の伝統だからとか、これまで続いてきた慣習だからというだけではなく、その必要性を国際社会で理解が得られるような形で説明できなければならない。 今後も日本が国際社会で名誉ある地位を占めようとするならば、国家・企業・市民社会・メディア・大学・個人などあらゆる行為主体が、適切に人権問題と向き合い対応する力、言わば「人権力」を身につけなければならない。それは、例えば政府がミャンマーでの人権侵害に対して制裁を加えるべきか、北京オリンピックでの外交ボイコットに踏み切るべきかと言った判断に際して、国際人権規範を念頭に、また人権以外の国益との兼ね合いも考えながら総合的に判断する力である。政府だけでなく、企業であれば、サプライチェーンの先でスウェットショップ労働が行われていないことを確認する人権デューディリジェンスの実行。学校であればブラック校則と呼ばれるような理不尽な規則で、例えば生まれつき茶色い髪を黒髪に染めさせるといった、生徒に対する人権侵害をしていないか。個人であれば、周りで人種差別的発言を聞いた時にそれに同調するのか、それを批判するのか。それぞれの立場で「人権力」を強化する努力が求められる。様々な人権関連の失言などで、関係者が開催直前に辞任に追い込まれた東京五輪実行委員会や、アイヌに関する報道の中で、典型的な差別発言をそうと認識できずに後に謝罪を余儀なくされた民放の情報番組などは、「人権力」のなさが現れた典型的な例であろう。こうした事態を防ぐためには、組織のレベルでは、日頃からリスク・マネージメントとして人権関連の案件に対応する準備をし、個人のレベルでも人権関連の報道に目を向け、遠い国での問題にも関心を払い、自分にも関わる問題であるという意識を持つことが重要である。」
—『人権と国家 理念の力と国際政治の現実 (岩波新書)』筒井 清輝著
「人権の進歩は直線的でスムーズなものではない。キング牧師が言ったように、倫理道徳の世界の弧は長いが、それは正義の方向へと向かっている。ここ数世紀の人権の発展の歴史は、この言葉を信じさせてくれるに足る証拠を提供してくれている。数々の失敗を経て、少しずつ「人権力」の時代が開け始めているのだ。この時代の未来にも多くの悲劇は待っているだろうし、明らかな後退もあるだろう。このような様々な限界、問題点は認識しなければならないが、近年のポピュリズムの跋扈やリベラルな世界秩序への挑戦にもかかわらず、歴史の大きな流れとしては「人権力」の重要性が簡単に減じることはないだろう。それは、世界中のあちこちで普遍的人権規範を内在化した個人が増え続けているからであり、そのことを認識し、また今でも国家の力が圧倒的に強い国際社会の現実も踏まえつつ、日本はリベラルな普遍的人権の価値を重視する国のグループの中心的存在として、外交、内政を進めていくべきであろう。欧米でポピュリズムの台頭によって国際人権へのコミットメントが揺らぐ中で、日本は比較的ポピュリズムの影響を受けていない。これをチャンスと捉えて、日本が国際人権のリーダーとなり、国際社会でルールメイキングの中核を担えるような日が来ることを願いつつ本書を閉じたい。」
—『人権と国家 理念の力と国際政治の現実 (岩波新書)』筒井 清輝著
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完全に門外漢ではあるのですが、書店で見かけたので購入してみました。とても満足しています。人権という、わかっているようでよくわからない概念を扱っているということで、読む前はどうかなと思っていましたが、岩波新書ということもあってか、この分野の素人にもわかりやすいように記述されていると感じました。
本書で印象に残った点を備忘録で記載すると、現代の国際人権とは①すべての人間に人権が保障されているという普遍性、②他国での見知らぬ人々への人権侵害に対して無視してはならないという内政干渉肯定、の2つの原理があるということです。
そして普遍的人権の背景には、見知らぬ他者に対する共感(empathy)能力があり、それは写真やテレビといったメディアの登場によって引き出されたのです。他国の市民の惨状について言葉で聞くだけでなく、写真や動画を見ることで、まさに相手の感情を一緒に体験できるようになったからです。しかし、2026年4月現在の我々は共感能力がマヒしつつある気もします。ウクライナ、イランなどあまりに多くの惨状を目にしているからです。心理学でいう「アラーム疲れ」(注:病院のER勤務のお医者さんが、ひっきりなしに鳴るアラームに対して鈍感になっていく現象)のようなことが、一般人の共感能力に起こっている可能性はないでしょうか。
2つ目の内政干渉肯定原理ですが、このような国家にとってマイナスな原理がなぜ広まっていったのかというパラドクスについても本書で解説しており、こちらも面白かったです(詳しくは本書をお読みください)。足元を見ると国際人権をないがしろにする行為が頻発していますが、本書にも書かれているように、過去においても国際人権はゆきつもどりつしていることから、まだ希望はあるのかなと思っています。
本書を読んで思ったのが、長い目で見たときに(例えば22世紀になったときに)、国際人権はどう進化しているのだろうということでしょうか。一つの方向性として、人の権利だけでなく動物や生き物全般の権利概念が浸透しているのかもしれません。あるいは未来世代の人類にまで人権の範囲が広がるといったSF的な展開もあるのかしら、と想像を膨らませました。 -
簡単に人権がないとか言うもんじゃないね。身体の自由についての人権をもっと知りたい。
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人権の定義の変遷や、人権外交とは何か、などの学問的な話。
「なぜ人権外交がこの時成功したか」「なぜこの国の人権問題は解決しないか」などの話。
ちと退屈だけれど、ためになった。 -
人権という規範がどのように広まり、国家の主権を乗り越えるまでにいたったかを丁寧に紐解く良書。ポピュリズムが蔓延る現代も、人権という規範が弱まることはないので、悲観的にはならずに、それぞれが人権力を磨き続けることの重要性を説く。
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【本学OPACへのリンク☟】
https://opac123.tsuda.ac.jp/opac/volume/683336 -
最近の興味の一つ人権について、新書でざっと把握しようと思って読んでみた。
全体の構成としては、
・人権という思想が「普遍的な価値」として誕生し、国際政治の重要テーマとなるまでの歴史プロセス
・それが国際的なシステムとして設立する過程と内政不干渉の原理とのジレンマ
・人権が世界的システムとしてどこまで有効に機能したか
・それらを踏まえた日本における人権思想と運動の流れ
ということになっている。
これらが新書1冊に入っているので、重要なことも記述はコンパクト。だが、濃縮度が高く、集中を要する本だと思う。
しばしば、人権というのはキレイ事で、現実の政治においては機能しない、偽善的なもの、自国内の人権問題は置いて他国を批判するために戦略的に使われるダブルスタンダードなもの、という批判があるし、私もよくそう思う。
にもかかわらず、これは大切な概念だという思いが同時にある。
本書は、人権は理念で現実との差はあるが、長い目で見ていくと、その理念は少しづつ現実を変えていく力を持っているというスタンスに立っていて、元気が出た。
最終章での日本での人権についての記述は発見が多かった。私たちは、人権は戦後にアメリカから与えられて、自ら勝ち取ったものではないと考えがちだと思う。だが、このディスコースって、本当だろうか?という感覚は常にあった。
改めて、こういうテーマで日本における人権史を整理してみると、明治以降、少しづつではあるが、さまざまな活動を通じて、戦前においても人権が拡大していったし、国際的にも意味のある貢献をしているところもある。まずは、こうした日本における流れを学ぶ必要性を感じた。
また、人権に関連する運動は、社会的弱者、被害者というスタンスで行うと一般的な共感を得ることができないが、「普遍的な理念」として訴えることで、共感が進むというのも示唆に富む指摘だと思った。(一方では、その「普遍性」が軋轢を生むこともあるのだが)
そして、国内における議論だけでなく、他国から見られるということが、人権への取り組みを促進するという視点も大事なことに思える。
例えば、第2次世界大戦時に、反全体主義の国は、人権や民主主義という高次の目的を掲げて、国家の総資源の動員を行なったのだが、戦後になると、それが自分に返ってきて、それぞれの国での人権拡大への要望を受け入れざる得なくなる。
また、冷戦時においては、アメリカはソ連の全体主義を批判するのだが、その批判は、自国内での黒人差別への批判として戻ってくる。当時は、民主主義と社会主義の戦いを理念の上でもしたわけなので、国の安全保障の問題として、黒人差別の改善に取り組まざるを得なくなる。アメリカにおける公民権運動の進展はこうした文脈も考える必要があると思う。
全ての人には生まれながらにして誰でも持つ権利があるという思想は、自然なものではなく、普遍的なものでもなく、18世紀くらいに誕生した言語による社会構築である。つまり「自然権」みたいなものはある種のフィクションである。
人権は社会構築であるという認識は、人権に関連して、ペシミスティックになったり、シニカルになったりする理由にもなる。
そう考えるのは簡単だけど、それがない世界に住むことは想像したくないこと。これまで、数世紀かけて人類が学び、育ててきた理念は脆いかもしれないけど、それゆえに大切にして、少しづつでもその成長を願っていたいと思った。 -
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【石橋湛山賞(第43回)】【サントリー学芸賞思想・歴史部門(第44回)】今や政府・企業・組織・個人のどのレベルでも求められる「人権力」とは。人権の普遍化の歩みをたどり、内政干渉を嫌う国家が自らの権力を縛る人権システムの発展を許した20世紀の国際政治の逆説を解説する。【「TRC MARC」の商品解説】
関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40288734 -
教科書みたいな本だった。
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現代の人権理念の特徴として
①普遍性
②内政干渉の肯定
の2つがある。
人権はそもそも国家主権を制限する対立した概念であるが、第二次世界大戦や冷戦下においてこの人権が、対立陣営を批判するためのイデオロギーとして利用されることで結果的に力を持つようになってきた、というのは逆説的で面白いと思った。
人権は進歩・拡大を続けているものの、ジェノサイドのような短期間で大規模に広がる人権侵害に対しては無力であることが多かった。今後の国際社会において、一市民としてどのような声をあげていけるかを考えながら生活したいと思った。 -
やっと読みきった。淡々とした歴史記述って感じであんまり読みなれない文体でけっこう苦労した。国際関係となるとやっぱりジェノサイド中心だけど、FGMの話も何度かとりあげられてる。90年代あたりの旧ユーゴやルワンダあたりの話は勉強になった。同時代生きてたのによくわからなかったからねえ。
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細谷雄一2023220twより
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目次
はじめに
第1章 普遍的人権のルーツ(18世紀から20世紀半ばまで)――普遍性原理の発展史
Q.人権理念や制度はいつ生まれたものなのか?
1 他者への共感と人権運動の広がり
2 二つの世界大戦と普遍的人権の理念
第2章 国家の計算違い(1940年代から1980年代まで)――内政干渉肯定の原理の確立
Q.なぜ国家は自らの権力を制約する人権システムの発展を許したのか?
1 国際政治のパラドックス
2 冷戦下の新しい人権運動
第3章 国際人権の実効性(1990年代以降)――理念と現実の距離
Q.国際人権システムは世界中での人権の実践の向上にどの程度貢献したのか?
1 冷戦崩壊後の期待と現実
2 21世紀の国際人権
3 人権実践の漸進的な向上
第4章 国際人権と日本の歩み――人権運動と人権外交
Q.日本は国際人権とどのように関わり合ってきたのか?
1 日本国内の人権運動の歩み
2 同化から覚醒へ
3 日本の人権外交と試される「人権力」
おわりに
あとがき
参考文献 -
国際人権は、普遍性原理と内政干渉肯定原理の2つによって特徴付けられる。
国際人権は、かつての米ソ対立などの大国の状況に左右されてきた(現下ではアメリカ、中国、ロシアの状況)。これからも。
加えて、欧米諸国の人権思想を由来とするため、文化的または制度的に国際人権を受け入れにくい国もある。
色々な困難があるなかで、様々な主体の努力により少しずつでも国際人権の実践が行われてきた。
国際人権の理念の重要性を説きつつ、実践面での限界を指摘する著者の姿勢に好感を持った。
日本や海外の人権の状況をまだまだわかってないから、勉強し続けたい。「人権理念の長い歴史を学び、現在の国際人権が、圧政と戦い、差別を克服し、自由を勝ち取るための世界中での多くの人々の闘いの中で勝ち取られてきたものであり、市民による不断の努力で支え続けなければ、いとも簡単に崩れてしまうものであることを認識しなければならない。」(208ページ)という著者の言葉を意識しつつ。 -
23/01/02読了
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329-T
小論文・進路コーナー
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