ドキュメント 〈アメリカ世〉の沖縄 (岩波新書 新赤版 1921)

著者 :
  • 岩波書店
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感想 : 22
  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004319214

作品紹介・あらすじ

戦後、沖縄はアメリカの施政権下にあり「軍事植民地」状態に置かれていた。基本的人権が保障されない中で、人々は厚く巨大な壁にどのように立ち向かったのか。琉球新報の大型企画「沖縄戦後新聞」を読み解きながら、日米琉の視点を盛り込み、さらに同時代を生きた三人の政治家の歩みを重ねてたどる〝もう一つの現代史〟。

感想・レビュー・書評

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  • <書評>『ドキュメント〈アメリカ世〉の沖縄』 日・米・琉の視点から考察 - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト
    https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1503229.html

    ドキュメント 〈アメリカ世〉の沖縄 - 岩波書店
    https://www.iwanami.co.jp/book/b600983.html

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「記者のおすすめ」宮城修著「ドキュメント〈アメリカ世〉の沖縄」 米統治下の人権侵害と抵抗|信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県のニュースサイト...
      「記者のおすすめ」宮城修著「ドキュメント〈アメリカ世〉の沖縄」 米統治下の人権侵害と抵抗|信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県のニュースサイト(有料会員記事)
      https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022072600557
      2022/07/27
  • 「<アメリカ世>の「世」とは、しまくとぅばで「時代」を指す」。

    サンフランシスコ講和条約で日本が主権を回復すると同時に、沖縄の日本からの分離が決定した1952年を起点とする。施政権がアメリカから日本に返還されるまでの約20年間について、米国統治下の沖縄で起きた政治的に重要な出来事を時系列順に十二の章に分けて綴る。本文約260ページ。巻末の略歴から、著者自身が沖縄で生まれて長く在沖のジャーナリストとして活動してきた人物だと知る。

    戦時中に本土の楯として大きな犠牲となった沖縄だが、昭和天皇による米側への恒久的統治の提案ひとつをとっても、戦後も引き続き本土にとって「明確に「捨て」られる対象」であることに変わりはなかった。米国統治下にあって軍事拠点であることが生活よりも優先され、米兵による民間人にたいする暴行は途絶えることがなく、その罪を裁くこともできない。本書はそのような主権を奪われた現実にあって、主体性の回復、本土への復帰と基地の撤去を求めて行動をつづけた人々と過程を記録する。

    情報のソースは当時の新聞報道や、沖縄をはじめ日米の政治家による回想が主となっている。序文では当時の重要な沖縄の政治家として三人の名前が挙がる。なかでも沖縄教職員会会長に始まり、初代公選主席、復帰後初の県知事を歴任した屋良朝苗氏(1902-1997)が第一の中心人物といえるだろう。各章は基本的に時間軸に沿って、本土復帰の過程として重要なポイントとなった個々の事件や運動、政治的な駆け引きなどを伝え、約20年にわたる沖縄の人々の抵抗の足跡を記す。

    沖縄の本土復帰について従来の認識と大きく違っていた点がふたつあった。まずひとつは、本土復帰が日米間で早い段階からの規定路線として予定調和的に実現されたものだと考えていた。しかし本書を読むかぎり、1952年の分離以降の沖縄の人々の行動や選択いかんによっては、沖縄で永続的に米国統治がつづく可能性さえあったのではないかと想像させられる。沖縄を軍事拠点として維持しつづけたい米国だけではなく、日本政府も安全保障のために沖縄をいけにえのように差し出す方針が色濃い。終章で「<アメリカ世>を終わらせた最大の要因は、沖縄の人々の民意である」とする著者の結論は、各章で描かれる抵抗の歴史によって印象づけられる。

    もうひとつは、沖縄の本土復帰をもっとシンプルに善き出来事として捉えていた点だ。実際には、施政権の返還にともなう日米間の密約を含む諸々の決定事項によって、日本の米軍施設面積の七割以上が沖縄に集中する現実が生まれ。これには、返還直後の時点で「今日の復帰は県民に引き続き差別と犠牲を強いる"沖縄処分"だ」と、本土復帰を祝福するではなく、むしろ憤りを表明する声があがっていたことを知る。

    沖縄の返還は本土復帰を望む沖縄の人々によって達成されたかけがえのない成果であることを知らしめるとともに、米国統治下からあった大きな問題はいまも変わらず、返還時の決定が様々な禍根を残していることを、本書は伝える。そしてこの問題の本質は著者が末尾にて示すとおり、1970年代と1995年の少女暴行事件で沖縄撤退も検討したという米国にあるというより、米軍を引き留めつづけている日本の決定にあると思える。問題の根本は、「対米従属的日米関係の矛盾を沖縄にしわ寄せすることによって、日米関係(日米同盟)を安定させる仕組み」にある。沖縄からの視点で、そのことを説得力をもって伝えているのが本書だろう。

  • 沖縄がら戦後にアメリカによる占領政策がどのようにして行われたかについて、エピソードをもとにいくつか区切って、説明したものである。それほど新しいことはないが、うまくまとまっているので、読み易いであろう。

  • 戦後沖縄の苦悩がよくまとまっていてわかりやすかった。

  • 2022年5月読了。

  • 沖縄と日本と。独立して台湾と統合して中国とアメリカの間で何とかやっていけたりしそうな気もする。日本側からは北海道よりも四国よりも小さい一つの島だよね。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/771236

  • 伊藤潤「琉球警察」きっかけで手に取り。あらためて、こうして米軍統治下の1945-1972年の沖縄の歴史をふりかえり、まとめてもらうと、いかに米軍基地に対する沖縄の人々の怒りが、深いところに根ざしているかがわかるように思った。戦時中からの沖縄を切り捨てるような目線。軍事最優先で沖縄の土地を横暴に収容していき。「民主主義のショーケース」などと謳っていたのに、反対する意見や運動には、瀬長亀次郎への対応も一例だが、とても民主主義的とはいえない高圧的な態度、政策でのぞみ。米兵が市民の安全や生命を失わせるような事件があっても、無罪や軽微な罪で済まされ。日本の1%以下の広さの沖縄県に、70%以上の米軍基地がある、沖縄の犠牲の上に、日本の繁栄がある、という思いは、日米の政策がかわらない限り、いくら時が経っても薄れていかないように思った。日本返還時にも"日本復帰前に日米合意に基づき国政参加が実現したが、返還協定の審議という重大局面で、沖縄代表と住民の声は無視された。"(p.232)といった状況であったことも描かれ。"ドル・ショックは日米経済の谷間にあるこの小さな島の経済を直撃して、末端の県民生活まで打撃を与えた。県民は戦後のイバラの道につづく経済的イバラの道を歩まされたのである"(p.211)といったことについては今回初めて知った。まずは知ることから。

  • 日本復帰に至るまでに,沖縄の人々が強い民意を軸にアメリカの暴政への対抗を続けていたと知ることができた.
    それに対して
    ・経済界はアメリカとの協調で得られる利益から,行政(瀬長市政)へは非協力的であった
    ・アメリカは,『「民主主義のショーケース」と位置付ける沖縄で,露骨な非民主的手法は使えなかった』(p.59)とはいうものの,市議会経由での市長降ろしやら,『沖縄での「自治は神話」』という高等弁務官(沖縄に関して大統領から大幅な権限が与えられた軍属)が居たり,相次ぐ軍事的事故・基地外での事件など,アメリカによる統治は救いのない状況でしかなかった.
    ・日本政府は返還交渉にあたっては,返還の実績を重視し,質はアメリカとの交渉や,自己都合を考慮していく過程で落ちていった模様.『日本復帰前に日米合意に基づき国政参加が実現したが,返還協定の審議という重大局面で,沖縄代表と住民の声は無視された.』(p.232)『岩国基地か三沢基地に移転すると「政治的な問題を生じさせる」という理由からだ.岩国は佐藤の選挙区である』(p.236) 返還にあたっての色々な交渉は難しいことではあったろうが,結局他人事として考えていたのではないか.

    孫引きになってしまうが,1970年のコザ事件(米兵が歩行者を撥ねた・その数時間後に沖縄人と車両同士で事故を起こしたことをきっかけに起こった暴動)に際して,それまでに積もった
    『沖縄のこの二十五年間の犠牲.何万という人が死んでいて,沖縄はどうしたらいいのか.沖縄人は人間じゃないのか,ばかやろう.この沖縄人の涙をわかるのか.』

    ・1967年の首脳会談で『「両三年内」に沖縄の返還時期を確定するとの約束を取り付けた』p.147

    ・『返還交渉に際して日本政府は「核抜き本土並み返還」を常套句として使っていた.「本土並み」の政府見解は,基地を日本の国内並みに軽減する意味ではない.米軍の駐留を約束する日米安保条約を「本土並み」に沖縄に適用することを意味する.(中略)沖縄の苦難の歴史を理解しない一方的な主張だった.日本が「栄えてきた」のは,日本から切り離した沖縄に配備された米軍の「核の傘」で守られながら,高度経済成長を実現したからではなかったか.』『沖縄の将来を決める変換交渉過程で,沖縄は一貫して蚊帳の外に置かれた.』p.223

    ・『―県民が復帰を願った心情には,結局は国の平和憲法のもとで基本的人権の保障を願望していたからに外なりません.(中略)沖縄はあまりにも国家権力や基地権力の犠牲となり手段となって利用され過ぎてきました.復帰という歴史の一大転換期にあたって,このような地位からも沖縄は脱却していかなければなりません.―「犠牲」とは,日本が始めた侵略戦争の果てに沖縄県民の四人に一人が犠牲になった沖縄戦と,米国統治下で「軍事植民地」のような状態に置かれたことを指すのだろう』p.229

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