ミャンマー現代史 (岩波新書 新赤版 1939)

  • 岩波書店 (2022年8月22日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (312ページ) / ISBN・EAN: 9784004319399

作品紹介・あらすじ

ひとつのデモクラシーがはかなくも崩れ去っていった。――2021年におきた軍事クーデター以降、厳しい弾圧が今も続くミャンマー。軍の目的は? アウンサンスーチーはなぜクーデターを防げなかった? 国際社会はなぜ事態を収束させられない? 暴力と分断が連鎖する現代史の困難が集約されたその歩みを構造的に読み解く。

みんなの感想まとめ

現代のミャンマーにおける民主主義の崩壊とその背景を深く掘り下げた作品は、2021年の軍事クーデター以降の厳しい現実を構造的に理解する手助けをしてくれます。著者は、アウンサンスーチーがなぜクーデターを防...

感想・レビュー・書評

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  • 『ミャンマー、優しい市民はなぜ武器を手にしたのか』を読んで、2012年の軍事クーデター前後のリアルな状況がよく分かったけど、同時になぜせっかくアウンサン・スーチーが国家顧問になっていたのにこんなことになってしまったのか疑問に思いこの本を読んでみた

    2011年まで23年間も続いた軍事政権
    2016年にスーチー政権が発足したときは、改革へ大きな期待を持つ市民からの要請に応えなければならず、一方でなお強い力を持つ軍部とうまくやっていく必要があったし、軍の協力が必須な武装少数民族紛争もあった

    そんな状況下でロヒンギャ危機(無国籍のイスラム系少数民族への掃討作戦)が起こり、世界からジェノサイドとの非難の声が上がるなか、スーチーは軍を擁護する発言をする
    『多くのひとびとには、人権のシンボルだったはずのスーチーが、権力者となるや豹変して、軍によるムスリムのジェノサイドを肯定しているように映っただろう。』

    軍とうまくやろうとすれば国際社会や市民から失望され、改革を進めれば軍から反発されるという板挟み状態の難しい政権運営のなか、それでも2021年の選挙で大勝するスーチー側

    これで権力をさらに奪われることに危機を感じた軍によりスーチーは再び拘束され、2026年の不公正な選挙にも軍は勝利して今日まで彼らの政権が続いている

    軍事政権側には過去の成功例があるから現状に自信があるのかもしれない(-_-;)
    『ミャンマーの軍事政権は、国民から反発を受け、欧米の制裁で国際的に孤立し、経済も停滞したが、それでもなお、二三年間続いた。』

    After reading "Why Did Myanmar's Gentle Citizens Take Up Arms?", I gained a clear understanding of the real situation before and after the 2012 military coup, but at the same time, I wondered why things turned out this way despite Aung San Suu Kyi having become State Counsellor, so I picked up this book.The military regime lasted for 23 years until 2011.

    When the Suu Kyi administration took office in 2016, it had to respond to the huge expectations from citizens for reform, while also needing to get along with the still-powerful military, and military cooperation was essential for the armed ethnic minority conflicts.

    Amid such circumstances, the Rohingya crisis (a sweeping operation against a stateless Muslim minority) occurred, and as voices calling it genocide rose around the world, Suu Kyi made statements defending the military.
    "To many people, Suu Kyi, who was supposed to be a symbol of human rights, seemed to suddenly transform into a power holder affirming the military's genocide against Muslims."

    In an unstable dilemma where cooperating with the military led to disappointment from the international community and citizens, while pushing reforms provoked backlash from the military, the Suu Kyi side still won a landslide victory in the 2021 election.

    However, sensing a threat to their power, the military detained Suu Kyi once again, and even in the unfair 2026 election, the military emerged victorious, allowing their regime to continue to this day.

    The military regime might feel confident in the status quo because of past success stories.
    "Myanmar's military regime faced opposition from its citizens, international isolation due to Western sanctions, and economic stagnation, yet it still lasted for two or three decades."

  • オンラインで日本語を学びたい外国人と日本語で交流している。ミャンマーの20代女性が政権が変わり大学進学をあきらめ日本での仕事探しをしているという話を聞きミャンマーの現状をしりたくてお取り寄せ。

    市民に暴力をふるう軍はミャンマーの何をどうしたいのか、スーチーはなぜクーデターを防げなかったのか。民主化勢力に勝機はあるのか。国際社会は事態をなぜ収束させられないのか。これからこの国はいったいどこに向かうのか。近代史を振り返りながら考察。
    民主化、自由化、市場経済化、グローバル化の試みがクーデターによって頓挫している状況。
    軍は常にミャンマーの政治経済社会あらゆる領域で強い影響力を保持、脅威であるスーチーを断続的にも合計15年ものあいだ自宅軟禁、英国人の夫とふたりの息子はロンドン在住、1999年には夫と死別。
    ヤンゴン大学、マンダレー大学、ダゴン大学学生運動潰しで大学そのものを閉鎖
    2007年サフラン革命 サフラン色の袈裟が埋め尽くすほどの数十万人の僧侶と一般市民参加の反政府運動に対する軍の弾圧
    ロヒンギャ危機 仏教徒とムスリムとの宗教対立が2017年ラカン州北部で大規模な武力衝突
    軍企業と縁故資本主義の成長あり
    多民族国家で8つの主要民族(ビルマ人、チン人、カチン人、カイン人、カヤー人、モン人、ラカイン人、シャン人)あわせて135の民族
    2021年2月1日軍事クーデターは、国民民主連盟NLD最高指導者アウンサンスーチーに対してミャンマー軍最高司令官ミンアウンフライン上級大将が首謀者。
    選挙運動に制限がかけられたがオンラインだとスーチーのような視覚的シンボルの戦略価値があがり、Facebookなどでキャンペーン強化したが一方で軍の孤立化、軍の欧米諸国や国連との敵対関係、選挙前の世論調査が軍に共有されてなかったなどの理由で、2020年NLDの圧勝。軍はそれを不服とし、クーデターが起こる前1月30日に軍はNLDによる選挙不正を脅しに近い訴えで、「選挙管理委員会の交代、議会招集の延期、票の再集計」を要求したという。政変後も一般市民のデモや公務員・医療従事者らの不服従運動、国民統一政府NUDなど軍への抵抗運動に対し、軍は弾圧を強化。

    日本との関係
    太平洋戦争勃発後日本軍は1942年ミャンマー侵攻、8カ月ほどで制圧し軍政、新国家「ビルマ国」樹立。アウンサンスーチーの父アウンサンは祖国独立のため日本軍に協力、ビルマ独立軍BIA結成後、ビルマ国ではビルマ国民軍BNA幹部と防衛大臣就任。日本軍による統治が続き不満を募らせ、日本軍の戦況不利の中秘密裏に統一戦線バサパラ結成、ビルマ共産党BCP組織化し対日抗争。1945年3月27日タッマドーネ国連の日として記念式典が行われているとのこと。

    1954年平和条約と賠償及び経済協力に関する協定 2013年5月安倍首相がミャンマー公式訪問し910億円の資金協力約束。2016年安倍首相とスーチー国家顧問会談で経済発展国民和解と都市部地方の発展実現の支援表明、2019年援助総額15憶ドル超える。ミャンマーへの援助の日本が占める割合が大きい。

    軍統治を承認せず軍と接触はするというあいまいな態度を戦略的に貫く姿勢が必要。
    民主化が進むと国民国家の統合が不安定になり軍の警戒心刺激して危機統制型の統治強化の悪循環が続いている。民主化と経済発展の好循環はしばらく起きない。
    日本でできる支援として、難民、労働者、留学生の受け入れなど経済開発中心から人道支援へ転換が望ましい、インド洋と中国大陸をつなぐミャンマーへの支援が地域戦略に対するアジア外交の構想力と覚悟を示すのではと締めくくっている。

  • 民主化・自由化・市場経済化してこれからというミャンマーが、なぜクーデターによってまたも軍事政権時代に逆戻りしてしまったのか。このような疑問に答えるために、ミャンマーの現代史と現在を解説する新書、本文は約280ページ、序章・最終章を含めて全八章。

    本書が扱うのは主に1988年から23年間続いた軍事独裁政権から、「上からの民主化」時代を経て、アウンサンスーチーが最高権力者の座に就いた短い五年間を挟み、2021年のクーデーターで再び軍事政権に逆戻りするまでの約34年間。日本軍に抵抗した戦時中など、それ以前の時代についても必要に応じて部分的に言及される。

    本書が取り扱う主な期間はスーチーが政治活動を開始して以降と重なり、四つの時代とともに、スーチーを含む四人の最高権力者たちを中心に語られる。

    1988~2011年:タンシュエ
    2011~2016年:テインセイン
    2016~2021年:アウンサンスーチー
    2021~現在 :ミンアウンフライン

    26年もの間、国家元首だったタンシュエについては、著者からも「世界で最も目立たない独裁者のひとりだったかもしれない」とされるとおり、就任期間のわりには影が薄い。タンシュエ時代は「収奪的で低位安定型の経済が持続」し、「民主化や経済成長が進んだ東南アジア諸国を尻目にミャンマーは停滞した」と評される。元首が寡黙だったことを除けば、典型的な軍事政権時代といえそうだ。

    2011年に開始された民主化への「上からの移行」とともに、タンシュエに推されて大統領に就任したテインセインの活躍は、タンシュエやその後のスーチーと比較しても目ざましい。就任前は国のナンバー2ですらなく、期待は高くなかったというテインセインだったが、「政治、経済、社会、外交、あらゆる面で、ミャンマーはほとんど別の国になったかのようだった」とされる2011年以降は、テインセインの柔軟性と決断、指導力によってもたらされたものといえそうだ。

    つづいて、ついに、スーチーが率いる国民民主連盟(NLD)が総選挙で大勝して与党となり、スーチーが実質的な国家元首の座に就く民主政権時代へと移行する。スーチーの時代は地方への民主化の浸透といった変化もあったが、テインセイン時代に比べるとロヒンギャ危機を含む少数民族の統治の失敗を中心に、期待が高かったスーチーへの失望の声も多かったことがわかる。また、憲法上、軍部の意向が大きく反映されるミャンマーの法制度もあって、軍部、民間の支持者、国際社会の板挟みに苦慮していた様子も窺える。

    最後に、昨年のクーデターで選挙結果の無効を訴えて大統領に就任したミンアウンフラインについては期間も短いため情報量も少ないが、野心家としての一面や、民主勢力への弾圧下における巨大仏像の建立といった行動からは、自己顕示欲の強さを印象づけられる。

    本書を通して、ほとんど知識がなかったミャンマー現代史の基本的な流れに触れることができた。圧倒的な長期間を民主的勢力ではなく、四度ものクーデターを成功させてきた軍部によって統治されてきたミャンマーにおいては、むしろ2010年代の急激な民主化が浮き上がってみえてしまう。この点、ミャンマーの民主化は「強権的な統治者の誤算」によって進んだという著者の分析がしっくりとくる。併せて、軍幹部出身である「上からの民主化」後の初代大統領テインセインが予想以上に民主化への指針が明確なうえに優秀であったことがミャンマーの急激な民主化に拍車をかけたようだ。統治者としての功績としては、明らかにスーチーより、このテインセインのほうが目立っている。

    スーチーについては初めから軍部との軋轢があったうえに、周囲と自身の双方によるスーチーへの期待が高すぎたという著者の指摘に納得する。国際的な非難にさらされたロヒンギャ危機については、国内のマジョリティに配慮した指導者の立場としてはやむを得ないといった見方もできる。軍部を弱体化させるための性急な方針も災いしたかもしれない。ただ、そもそもミャンマーの民主化がスーチーという一人のカリスマに依存し過ぎてきた側面は否定できなさそうだ。スーチーというアイコンが旧態依然とした性質の軍部を結果的に刺激してしまった点も大きかっただろう。個人的には、民主化勢力はスーチーを国家元首ではなく、あくまで象徴的な立場に戴いたうえで、実質的な為政者を別に立てることができれていれば2016年までの民主化を途切れさせない展開もありえたかもしれないとも思えた。

    序章の時点で著者が「この国がクーデター前の状況に戻ることはない」と断言するとおり、ミャンマーの民主化への早期の復帰は困難であろうことが読み終えて実感できた。度重なるクーデターの成功と長期にわたる軍事政権によって、軍部中心の社会と政治が定着しきっている国の性質そのものが、ミャンマーの民主化を阻む要因として大きく立ちはだかっていると理解した。ただ、周囲の東南アジア諸国が民主化し経済成長するなかで、ミャンマーただのみ、軍部に牛耳られる状況がつづく理由についてはわからない。地政学的に中国をはじめとした大国に影響されやすい点などは指摘されているが、他の東南アジア諸国でも同様の条件の国はある。他国と比べて極端に民主化と経済発展が遅れるミャンマーの特殊性については、結局は歴史的な偶然の積み重ねの結果と思えなくもない。

    終章で提示される、日本によって可能なミャンマーへの支援は、ミャンマーを一気に民主化へと動かすような劇的な内容ではなく、漸進的で現実的な提案となっている。「政府も企業も、ミャンマーの実態に目をつぶってはいなかっただろうか。もっといえば、ミャンマーのような困難な国と付き合う覚悟が欠けていたのではないだろうか」という指摘はもっともだと思える。東南アジア最後のフロンティアという「バスに乗り遅れるな」という、掛け声だけが虚しく残響しているように感じる。

  • 291P

    ビルマ、アウンサンスーチー、東南アジア、クーデター、仏教、軍、中国との関係、対中関係、マラッカジレンマ、

    東南アジア諸国の大部分は、モザイク状に少数民族の居住地が入り組んだ多民族国家なのだね。政府が民主主義でも全体主義でもそれは同じらしい。

    『ミャンマー現代史 (岩波新書 新赤版 1939)』 中西嘉宏 #ブクログ #読書 #KindleUnlimited
    https://booklog.jp/item/1/4004319390

    中西嘉宏
    (なかにし よしひろ、1977年- )は、日本の政治学者。京都大学東南アジア地域研究研究所教授。専門は東南アジア研究、比較政治学[1]、ミャンマー政治外交史。兵庫県尼崎市生まれ。2001年東北大学法学部卒業。2007年京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了、「ネー・ウィン体制期ビルマにおける政軍関係 1962-1988」で博士(地域研究)。日本貿易振興機構・アジア経済研究所研究員、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院客員研究員などを経て、2013年より京都大学東南アジア研究所准教授。名称変更により、2017年より京都大学東南アジア地域研究研究所准教授。2017年−18年ヤンゴン大学客員教授。2025年より同研究所教授。2010年に『軍政ビルマの権力構造――ネー・ウィン体制下の国家と軍隊1962-1988』で第26回大平正芳記念賞を受賞[2]。2021年『ロヒンギャ危機――「民族浄化」の真相』でサントリー学芸賞、アジア・太平洋賞特別賞、第16回樫山純三賞(一般書賞)受賞[3][4][5]。


    最近読んだ本と言へば、この「ミャンマー現代史」もその一つ。民主主義を根付かせることが、どれほど大変なことなのかを実感させられます。ミャンマー現代史を少しでも知ると、日本だつて民衆が勝ち取つたのではないから、本当の意味で民主主義が根付いてないのではないかと疑念を抱いてしまひます。


    中西嘉宏 著『ミャンマー現代史』
    2019年に民主政権時代の一番良い時代に旅行したときなら4年。どうしてミャンマーはもう何度目かのクーデターによる軍事独裁政権になってしまったのかを知るために読んでみた。日本統治下やアウン=サン将軍と娘のスーチー女史、軍の歴史などなど非常に読み応えあり。


    「ミャンマー現代史」を読んでいたが、他民族に分かたれたミャンマー国家にとって民主主義は不適であり、軍は党派性を超越して国家特に「民族・文化・仏教」を護る存在であるという軍相手にデモとテロと外圧で民政移管させるのは予測可能な短期間においてはほぼ不可能では。


    「ミャンマーという国は根本的に不安定である。ここがすべての出発点だと考えて欲しい。その原因はこの国の成り立ちにさかのぼる、国家と社会との間の齟齬にある。  まずは原理的に考えてみよう。国民国家とは何か。国民国家とは、政治共同体(それへの帰属意識も含む)である国民と、統治のための組織である国家(ここでは近代的な国家のこと)、これらが組み合わさって、社会に秩序を与えるシステムである。  国民国家を英語で nation-stateのように、国民を意味する nationと、国家を意味する stateをハイフンでつないで表現することがあるが、両者は、集団と機構という本来別のものである。ここで集団とは、国民として同胞だと感じたり、みなされたりするひとの集まりのこと。機構とは、一定の基準で出入りする成員がいて、規則にもとづき目的をもって集団行動にパターンを与える制度のことである( Anderson 1991)。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著


    「当時、ミャンマーはフィリピンと並んで東南アジアにおける民主主義の優等生とみなされていた。たしかに制度面をみれば、独立後のミャンマーは、英国型の議会制民主主義で、市場経済を採用し、少数民族地域に配慮した連邦制を採用してはいた。ところが実際は、英国型の民主制を偽物だと考える急進派が、野党はもちろん、与党内にも多くいた。また、連邦制といっても、一部の少数民族州には一〇年後の分離権が憲法上で保障されていた。独立から一九六〇年代初頭までのミャンマーは、模索と混迷の時代だったといえる。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著

    「民主化勢力、なかでもスーチーが軍にとって脅威だったのは、こうした危機管理型の統治に真正面から挑戦する指導者だったからである。  カリスマといわれるように、スーチーの演説の才と人気は際立っていて、遊説のたびに老若男女、実に多様で大勢のひとびとが、彼女の話を聞きに集まる。これは社会を統制したい軍にとっては、脅威にほかならない。また、ノーベル平和賞をはじめ、人権と民主主義の象徴として、彼女がしばしば欧米の国々や団体から受けた賞賛は、軍の目には内政干渉と映る。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著



    「時おり挟まれる冗談や、髪に飾られる生花、いつもピンと伸ばした背筋、そうした見た目が説法の権威的な要素を中和する効果があったようにもみえる。年齢を重ねるにしたがって彼女を「アメー・スー」(スー母さん)と親しみを込めて呼ぶひとたちも増えていった。現地でのスーチーの力の源泉は、ミャンマー社会の精神的土壌のなかにあったのである。彼女に対する国際的な支持は、こうした地場の文脈とはやや切り離されて形成されていた。  当然、彼女の言説にも弱みはある。民主主義は本来、政治的な正しさに関する理念であると同時に、個人の自由と集団内の秩序を両立する仕組みでもある。価値観の相違や利害を前提にしたうえで、その違いを平和的に調整する手段だ。ところが、制度へのスーチーの関心は一貫して薄い。それゆえに、理念が先走った理想主義にもみえた。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著

    「 とすれば、ここで疑問が浮かぶだろう。スーチーは長く自宅軟禁下にあり、党の運営に携わることはできない。幹部にも自宅軟禁や長く投獄された者が少なくない。一般党員も監視と弾圧の対象である。合法政党ではあったものの、活動停止に追い込まれてもおかしくはなかった。いくらスーチーの思想が優れていても、また、いかに国民から人気があっても、組織がなければその影響力には限界がある。どのように NLDは党組織として生き延びたのだろうか。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著


    「NLDの幹部には結成当初から知識人グループと元軍人グループがいて、それぞれに特色がある。前者は思想と闘争心はあるが協調性に欠け、後者は、思想はないけれども組織を維持する能力に長けていた。軍は文民の党員については容赦なく逮捕して刑務所に送ったが、一部の軍幹部出身者には温情を示した。おかげで、アウンシュエ(元准将で、長く N LDの議長を務めた)や、ルウィン(元軍情報部長で社会主義時代には副首相を歴任)が党本部に残ることができた。彼らがスーチーのいない間も NLDを組織として存続させた。彼らのスーチー軟禁時の生き残り戦略はただひとつだったと思う。なるべくことを荒立てないように活動を控えることだ。  このアウンシンの説明は的を射ているように思える。 NLDの存続は静と動の組み合わせで、動はもっぱらスーチーが担った。彼女のカリスマと指導力なしには続かない政党である。他方、静の部分もまた重要だった。スーチー不在のなかで過激化させず、ただ存続させるためだけに党組織を運営することである。その役割を担ったのは、軍の行動原理を知り、また、軍が「手加減」をする元軍幹部たちだった。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著

    「ネーウィンマウンは一九六二年にピンウールウィン(当時はメイミョー)で生まれた。ピンウールウィンは軍関連の施設が集まる場所で、植民地期に避暑地として発展した町だ。ネーウィンマウンの父親はここにある士官学校の教員だった。  彼は学業が優秀で医学校を卒業したあと、医者にはならず、実業の世界に転じた。一九九〇年代初頭、ちょうどミャンマーの市場経済化がはじまった頃だった。木材を扱うビジネスからはじめ、一九九七年に雑誌『リビング・カラー』を創刊。ビジネス情報やライフスタイル、海外情報を扱った月刊誌である。当時のメディア産業は、言論統制が少しずつ緩むなかで広がったフロンティアだった。ただし同時に政府の統制があり、神経を使う事業でもあった。そうした事業を彼が手がけられたのは、実業家マインドはもちろんのこと、士官学校の教員であった父親が持つ軍将校への広いコネクションが事業を守ったためでもあった。『リビング・カラー』は成功して、実業界や芸能界、国際社会への広い人脈形成を助けた。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著


    「都市部を中心に、僧侶を主体として軍に抗議の意思を示す行進が広がっていく。メッタ・スッタ(慈悲の経)を唱えて歩く姿は、デモ行進というよりも祈りの行進である。僧侶たちのまわりを一般市民が手をつないで「人間の鎖」をつくるのが定型になっていた。  若年の見習僧も含めれば、僧はミャンマーに三〇万人以上(男性人口の一〇〇人に一人以上)いるといわれるが、このときほど街頭をサフラン色の袈裟が埋め尽くす光景を見た者はいないだろう。そのため「サフラン革命」とも呼ばれる。全国二五の地域で僧侶と一般市民を合わせて、数十万人が反政府運動に参加したとされる。  僧侶の訴えともなれば、軍もその行動を変えるのではないか。にわかに期待が高まったが、まもなくその期待の甘さをわたしたちは思い知る。軍は実弾の発砲も含めて弾圧を強め、僧侶に対する暴力や拘束、仏像や施設の破壊、金品の強奪すら報告された。一連の弾圧による死傷者数は、兵士に撃たれた日本人ジャーナリストも含めて一五〇人を超えたとされる。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著


    「この選択の結果は第 3章で検討する。その前に次章では、軍事政権の実態をみていきたい。軍がどのように国家や経済を再編していったのか。その原理と体制持続のメカニズムを明らかにしよう。さまざまな評価があるにしても、ミャンマーという国の秩序をつくってきたのは軍である。軍による統治を知らずに、現代ミャンマーを理解することはできない。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著

    「まだ何も知らない筆者は、書店を出た後、現地の大学で教えるミャンマー人の友人の家を訪れた。彼女は地理学を専門とする学者で、夫は不動産取引専門の弁護士である。二人に話を聞く。中国資本が流れ込み、現地の華人名義で土地の買収が進んでいることなど、興味深い話を聞いた。そして、いったんホテルに戻った。  ホテルの部屋に着くやいなや電話が鳴る。ついさっきまでいっしょにいた友人からだった。「軍人が家に来て、君について聞かれた。日本人の研究仲間で友人だとか、ただ遊びに来ただけだとか、当たり障りのないことを言っておいたけど、行動を監視されているみたいだから気を付けて」という。たしかに思い当たるふしはあった。数分前、ホテルの受付の女性がひきつった笑顔で筆者に部屋の鍵を渡した。言葉も少なめで、どうしたのかなと思っていた。電話を切って部屋を見回す。ここにも誰か入ったのだろうか。そう思うと血の気が引いた。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著

    「さらに目立ったのは仏教ナショナリズムへの傾斜だ。ミャンマーは国民の約九割が仏教徒で、僧侶の数は一時的な出家も含めて三〇万人以上いる。一般信者から仏教関連施設や僧侶への寄進の額も多く、世界でのチャリティの普及を図る国際 NGOによると、寄付行為の普及度ではミャンマーが二〇一〇年代で米国に続いて世界二位とされた( CAF 2019)。その多くは仏教にまつわる寄進だ。  軍はこの仏教の庇護者であるイメージや言説を流布しようとした。そもそもミャンマーのナショナリズムは仏教思想や仏教の擁護という意識とは切っても切り離せない。「アミョー・バーダー・ターダナー」という概念がある。これは二〇世紀初頭からナショナリストや仏教僧の間で使われたスローガンのようなもので、「民族、文化、仏教」と訳せる(「バーダー」は直訳すれば「宗教」や「言語」だが、ここでは文化一般を意味するものと解釈する)。これらを護ることがミャンマーという国を護ることだとみなされた。本来、植民地支配による文化危機への反発をあらわす反植民地主義のスローガンだったものが、独立後は国家が担うべき義務、すなわち、仏教護持型のナショナリズムを示す用語に転化した。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著

    「 経済の特質をみると、ミャンマーはそもそも農業国である。 GDPの構成比でみると、一九九〇年代初頭で農業が六三%と高い。人口でいえば、八割近くのひとびとが農村部で暮らしていた。この構成比も一九六〇年代から二〇〇〇年代まで大きく変わらなかった。つまり、都市への移動を促す各種産業の発展がみられなかったということである。  実際、市場経済化から一〇年たっても、製造業の GDP構成比は七%程度に過ぎない。成長のエンジンとなる海外直接投資も、投資先となったのは、ホテル・観光、建設、石油・ガス、鉱山開発といった非製造業部門が中心であった。労働集約型の製造業が伸びなければ、都市部での雇用拡大には限りがある。農村部で人口が滞留して貧困が再生産された。  ところが、二〇〇〇年代はじめから貿易収支が急速に改善する。一九九〇年代から開発が進んでいたアンダマン海のオフショア天然ガス田からタイへの輸出が本格化したのである。天然ガスの輸出額は輸出総額の一%以下だったが、二〇〇一年に二四・八%に跳ね上がり、二〇〇〇年代半ばには四〇%近くを占めるようになった。資源依存型経済への転換である。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著

    「たとえば農業をみてみよう。ミャンマーの農村経済を長く研究してきた 橋昭雄によると、軍事政権の農業政策は三つの柱によって成り立っていた( 橋 2000)。土地の所有権を認めずに耕作権だけを農民に与える農地耕作権制度、生産された農産物の一部を政府に供出させる農産物供出制度、生産する作物の種類を政府が定める計画栽培制度である。なかでもコメに軍事政権は異常なほどのこだわりをみせて介入を続け、コメ至上主義とも呼ばれた。  こうした政策は合理性を欠いていた。何よりも農民たちのインセンティブを奪った。岡本郁子の実証研究が示すように、軍事政権の介入が乏しかったリョクトウ(もやし)などの豆類については、輸出用の農産物としてその生産力が向上している( Okamoto 2008)。条件さえそろえば、農民の経済合理性が働いて、農業が発展する余地は十分にあったのである。成長の芽を詰んでいたのは、軍事政権の統制的な経済政策だった。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著

    「軍が所有するもうひとつの企業グループはミャンマー経済公社( MEC)である。こちらは UMEHLよりもやや遅れて一九九七年に設立された。銀行、鉄鋼、セメント、大理石、砂糖、メタノール、石炭、ビール、貿易、金融など事業分野は多岐にわたる。両会社の違いは根拠法と所管する国防省内の部局くらいだ。  両グループともに表向きの企業活動の目的は現役・退役軍人の福利厚生である。二〇〇〇年代半ばの一般兵卒の給与は月額で一五〇〇円程度と低い。宿舎に居住するなど、組織の福利厚生なしに生活は難しい。軍系企業グループの収益は、国家予算とは別口の歳入として軍構成員の給与を補塡する手段になっていた。 UMEHL株の利回りは国債や銀行での預金金利よりも高く設定され、軍人たちに貯蓄を励行させるための手段でもあった。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著

    「テインセインが本当に大統領就任を望んでいなかったのかについては留保が必要だが、政権中枢にいるひとたちにとって二〇一一年は、タンシュエの後継指名のタイミングだったことが伝わる。昇進争いを勝ち抜いてきた将軍たちが、権力継承に強い関心を持つのは不思議なことではない。  そして、タンシュエが選んだのは、作戦将校として出世コースの王道を歩んだトゥラ・シュエマンではなく、控えめで調整と組織管理に長けたテインセインだった。シュエマンは与党党首で下院議長になる。これも決して低い地位ではないが、本人はひどく落胆していたという。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著


    「検閲の廃止や既存メディアへの民間参入と並行して進んだのは、インターネットの普及である。スマートフォンが急速に広がって、携帯電話を通じた情報通信、なかでもソーシャル・メディアの利用が短期間のうちに日常化した。インターネットを含めた通信事業は、長らく運輸・通信省下のミャンマー郵便・電話公社( MPT)が独占していたが、二〇一三年の新通信法の施行にともなって、海外企業二社、国内企業二社に新規ライセンスが発行されることになった。ノルウェーのテレノール社とカタールのオーレードゥ社が競争入札で落札し、通信ネットワーク敷設と携帯電話サービス業に参入する。国営の MPTは日本の住友商事と KDDIが共同事業運営をすることになった。各社の競争で通信サービスの利用料金が大きく下がった。  かつて二〇万円は必要だった携帯電話の購入も、安価な SIMカードと中国から輸入されたスマートフォンで、都市、村落問わず、手軽にできるようになった。スマートフォンと、ソーシャル・メディアとして最も利用されたフェイスブック、両者がこの国の市民社会を大きく変えた。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著



    「フランスではパリ近郊に住む農民が自らのことを「パリ人(パリジャン)」として認識することはないが、イタリアではどんな山間地域に住んでいようが、農民は自らが属する地域の中心都市の名称(たとえば、ミラノ県であれば「ミラノ人」として)自らを認識すると述べている。  地域社会に対する強固なアイデンティティは、今日においてもイタリアにおける一つの大きな特徴である。歴史のうえで一つの国家であった経験がほとんど存在しない中で、この強固な地域アイデンティティの上位に国民としてのアイデンティティを作り上げることが、いかに困難な事業であるか、彼のこの議論からうかがうことができる。」

    —『イタリア史10講 (岩波新書)』北村 暁夫著

    「ミャンマーはいつも、大国のはざまにあった。  この国の最北端にあるカカボラジ山は、東南アジア最高峰の山である。急峻な山々が連なるヒマラヤ山脈の東端に位置し、標高は五八八一メートル。ながらく立ち入りが許されなかったことから、「アジア最後の秘境」とも呼ばれた。  ここから南東は標高がなだらかになり、ヒトやモノの往来がしやすくなるため、陸路の場合、ヒマラヤ山脈に阻まれる中国文明とインド文明は、迂回してミャンマーを含む現在の東南アジア大陸部で交わった。一九世紀初頭、デンマーク生まれの地理学者マルテ゠ブルンと、スコットランド人の言語学者ジョン・ライデンが、この地域を、それまでの「外インド」( exterior India)ではなく、多分に地政学的なニュアンスを込めながら、インドと中国(支那[シナ])を合わせて「インドシナ」( Indo-China)と呼んだのも、そのためである( Brocheux 2009)。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著

    「ミャンマー政府は独立以来、中国に対して常に警戒感を抱いてきた。約二〇〇〇キロの国境を接する巨大な隣国なのだから当然だろう。ただし、敵対して勝てる相手ではないため、警戒の一方で、ビルマ語で血を分けた兄弟を意味する「パウッポー」(胞波)と呼ばれる友好を維持してきた( Maung Aung Myoe 2011)。友好と緊張が混じり合う関係だ。  一九四九年一〇月に中国で成立した共産党政権を、世界の非共産圏のなかで最初に承認したのはミャンマーだった。一九六〇年には国境が画定して、相互不可侵条約も締結されている。国境の画定については、いまとなっては想像できないが、中国が係争地帯の八二%をミャンマーに譲るかたちで合意していた。隣国との関係構築を急ぐ周恩来の決断だったという( Fravel 2005)。その後、ネーウィンの閉鎖的な中立主義への転換が起き、さらに一九六七年にヤンゴンで反華人暴動が勃発。中国でも文化大革命の混乱があり、両国関係は停滞した。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著

    「経済面での中国の影響が強まったのは主に二〇〇〇年代のことだ。二〇〇〇年時点での最大の輸入相手国は、タイと中国がほぼ並んでいた。その後、輸出入両面で、ミャンマー・中国間の貿易総額は急速に拡大し、ミャンマーの対中依存も高まっていく。結果、二〇一〇年には全貿易の二九・四%が中国を相手国とするものになっていた。背景には、貿易・投資・援助が三位一体となった中国による援助外交があった。多くが国営企業を事業主とする「ヒモ付き」の援助であり、特に途上国での資源開発と中国製品の輸出振興を目的とした(小林 2007)。  中国のミャンマーに対する援助額は、二〇〇一年の約二億ドルから二〇一〇年には一三億ドルを超えたとされる。支援のひとつの柱が、中国国内のエネルギー需要の増大に対応する資源開発と資源の調達経路の確保だった。ミャンマーはオフショアに豊富な天然ガス埋蔵量を持っていた。また、翡翠、銅、レアメタルのような鉱物資源や森林資源がまだ開発途上で、同国が国際的に孤立するなか、先乗りすれば有利な条件での契約が可能とみられていた。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著

    「以上のように、ミャンマー・中国関係は、一方の国際的孤立と、もう一方の政治経済的な影響力の増大を背景に変容してきた。決して一方的な搾取ではなく、双方が利益を得る取引関係ではあった。ただし、ミャンマーの国際的孤立を条件としている以上、非対称的な関係だったことは確かだろう。この非対称性への警戒が、民政移管後のミャンマーの「中国離れ」につながる。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著

    「しかし、そうはならなかった。スーチー外交は予想以上に手堅いものだった。彼女は、最初の外遊先に中国を選ぶ。また、二〇一七年五月に北京で開催された「一帯一路」国際協力サミットフォーラムにも参加し、同年一〇月には中国共産党第一九回全国代表大会にも来賓として出席している。ミャンマー世論に根強い反中感情があるため、中国寄りという印象を国民に与えないように注意してはいたものの、中国との友好関係を強化したといえる。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著

    「また、内政上の施策にとっても中国は鍵だった。スーチー政権が最重要課題とする少数民族武装勢力との停戦交渉を進めるうえで、いくつかの有力な武装勢力は中国国境に本拠地をかまえており、中国の協力が停戦交渉に必要だったからだ。対して、ミャンマーの変化に適応する必要のあった中国も、スーチー政権への協力姿勢を示す。最大の少数民族武装勢力であるワ州連合軍( UWSA)が主導して KIOなど六つの武装組織とともに結成した連邦政治交渉顧問委員会( FPNCC)は、政府が目指す全国停戦合意のための交渉に協力的ではなかったが、中国の要請を受けて出席した。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著

    「他にも、ラカイン州チャウピューにある経済特区の深海港、ヤンゴンの都市開発など、両者の協議が進んだ。政府関係者や実業家だけでなく、 NLDの党関係者が中国に招聘され、筆者の知人にも、中国を訪問してその発展ぶりに圧倒されたものが多くいる。そう簡単に対中警戒や反中感情がミャンマーから消えることはないにしても、新しいミャンマーの環境に中国は確実に適応していた。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著

    「ミャンマー軍に対する国際社会の批判が強まった。ロヒンギャに対する掃討作戦を、ジェノサイドや「人道に対する罪」だとする指摘が国際社会で湧き上がる。対して、スーチーは軍の行動を擁護した。テロの脅威に対処したという軍の説明を彼女も繰り返したのである。多くのひとびとには、人権のシンボルだったはずのスーチーが、権力者となるや豹変して、軍によるムスリムのジェノサイドを肯定しているように映っただろう。  翌年には国連人権理事会が設置した独立国際事実調査ミッション( IIFFM)が大部の報告書を発表し、軍の掃討作戦による国際法違反の可能性を指摘して断罪した。ローマに拠点を置く国際刑事裁判所( IC C)も捜査に乗り出し、オランダのハーグに本拠地のある国際司法裁判所( ICJ)には、二〇一九年一一月にガンビアがジェノサイド条約(正式名称は「集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約」)違反を理由に、ミャンマーを提訴した。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著

    「前述のように、ミャンマーは中国にインド洋に直結するルートを提供する地政学的に重要な位置にある。そもそも東南アジアの海域は、中東・アフリカ諸国、南アジアとの海上輸送貿易が集中する航路である。さらに、マラッカ・シンガポール海峡、ロンボク海峡、スンダ海峡といった、狭い海峡(チョークポイント)を多くの商船が通航する。特にマラッカ海峡は年間九万隻が航行するアジアの海の生命線で、中国の石油輸入の八割がこのルートで東の沿岸部に送られていて、中国経済の生命線だともいえる。海峡の狭さゆえに封鎖時の余波が大きいことから、「マラッカ・ジレンマ」と呼ばれる。  二〇一二年に米国・国立戦略学研究所( INSS)のトーマス・ハムズが、同海域を封鎖する「オフショア・コントロール」を提唱した( Hammes 2012)。中国との武力紛争勃発時に、核戦争のような物理的な破壊を伴う争いを回避しつつ、長期的消耗戦を有利に進めるための戦略である。この戦略の実現が可能かどうかは置くとしても、同海域を含む東南アジア諸国を経済、安全保障面でいかに抱き込みながら、この海域をルールにもとづく国際秩序が貫徹した海とするかが、自由主義圏の対中外交を考えるうえでも重要なポイントとなる。  もちろん、中国がこうした弱みを放置するわけはない。一帯一路構想で、インド洋からアラビア海へとつながる「海上シルクロード」の推進が謳われ、その目的のひとつがマラッカ・ジレンマを回避する代替経路の確保であった。うち、アラビア海からパキスタンを通って中国西部につながる中国・パキスタン経済回廊( CPEC)と、ミャンマーを通ってインド洋と雲南省をつなぐ CMECは、海と中国内陸を連結する重要プロジェクトと位置づけられた。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著

    「近年、民主主義の後退や強権政治の拡大が世界的潮流として議論の俎上にあがる。ミャンマーの危機は、そうした潮流がアジアでも広がっていることを感じさせる事件だった。  民主主義に対する危機感が世界で広がっている理由のひとつは、いうまでもなくポピュリズムだろう。ポピュリズムは、社会を「汚れなき人々」と「腐敗したエリート」というふたつの勢力からなるものだと理解したうえで、自分たちを「汚れなき人々」の唯一の代表として、「腐敗したエリート」による支配の打倒を唱える思想と運動である(ミュデ&カルトワッセル 2018)。長い歴史のある先進民主主義国でもこうした現象が起きていることに危機感が広がっている。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著

    「この意味ではスーチーはポピュリストだ。彼女には頑固な理想主義者という評価がつきまとってきた。妥協を嫌い、政策的な知識に乏しく、政治指導者としての資質を欠くといったものである。的外れな批判というわけではないが、彼女が演説に立つ「場」を観察すると印象は変わる。軍の権威、自由の制限、政党組織の弱さ、経済格差、民族間の不平等を抱える社会で、スマートに政策を語り、交渉に長けた指導者が活きる「場」ではない。まずはひとびとの連帯をつくることが必要だと感じるはずだ。」

    —『ミャンマー現代史 (岩波新書)』中西 嘉宏著

  • 2025/11/24 ざっくり読んだ 平和/民主主義/人権の支持を原則とする姿勢を崩さず、軍の統治を承認せずとも軍と接触する曖昧態度を戦略的にとるのが吉とのこと。

  • 出版後2年半経過した今でも、有効な著作です。それは、全くミャンマーの状況が変わらないにほかならず、悲しいことでもあります。

  • なぜ安定しないのか、スーチーが勝てなかったのはなぜなのかが明瞭。他民族国家は辛い

  • 孤立をやめ豊かになっていくかと思われた国が、何で国民に暴力を振るい仏像を建てるのか。民主化→社会分断表面化→軍の強権統治→国民抵抗→民主化…の袋小路の中でスーチーの時代は終わってしまった。
    日本は調子の良いときだけ金儲けに来る奴のままでいいのかな?再民主化の道程が見えない現在でもできることはあるんじゃないのかな

  • 2021年の軍事クーデター以降、厳しい弾圧が続くミャンマー。軍の目的は? アウンサンスーチーはなぜクーデターを防げなかった? 暴力と分断が連鎖する現代史の困難が集約されたその歩みを構造的に読み解く。【「TRC MARC」の商品解説】

    関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
    https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40288740

  • いまや、ウクライナの方が耳目を集めてしまっているが
    ミャンマーは2021年2月に非常事態宣言を出した
    軍事クーデターのあとそのままである。

    今朝の朝刊では総選挙も回避して現状の暫定的な軍事管理政権が続きそうだという見通しをみた。
    予断を許さない状況で、東南アジアという地理的条件をからすると、
    ウクライナよりも日本にとってより当事者としての立ち位置が強く現れる問題であろう。

    本書はそのクーデターの一年半後に出版されており、
    クーデターの起きた背景を説明してくれるものである。

    第二次大戦後からミャンマーの歴史を見ると民主的な政党政治が行われていたのは
    ごく限られていて、軍が政治に強く関わってきたということが見える。
    軍自身も自らを国家を体現するものとして振る舞おうとするようなところがあり、
    むしろスーチーが表舞台に立てたことの方が端的に希少なことだったということが言えそうだ。

    また、135もの土着の民族があって、
    主要民族であるビルマ人が68%と多数派を占めているものの
    地形的要因で区切られた地域ごとの自治の傾向が強い。
    彼らの独立活動の動きというのがあると、
    軍隊というものはそれ自体を権力の源泉にしてしまうだろうし、
    軍に反抗する勢力も一枚岩とは言い難い構造になってしまう。

    そして、こういう独立活動という話は管理者側から見ると
    外国勢力がどの程度関与しているかということにも神経を使っているはずで
    とどのつまり、彼らは疑心暗鬼ゆえに閉じ籠りたいのだと見える。

    たとえば、中国は大きなパートナーだが、そこだけの援助に偏らないように
    ロシアを入れてバランスを取ろうとするような動きに現れる。

    この本の中で、具体的な方策が示されるものではないけれど、
    ミャンマーが抱えている問題をより具体的に見るにはよい本だと思う。



    >>
    軍にとって国家顧問ポストの設置が脅威に映ったことはいうまでもない。こうしたことが繰り返されると、憲法改正に実質的な拒否権を持つ軍の権限の意味がなくなってしまう。初っ端からスーチーはレッドラインを踏み越えたのだ。(p.140)
    <<

    民政化までの道のりが長かっただけに、
    スーチーも急いでしまったところはあったようだ。
    それにしても同じく国の中で互いに譲れない仇同士になってしまうというのは、
    ひどくつらいことのように思う。特に中で暮らす人たちがあんまりである。

  • 1988年から2021年のクーデターまでのミャンマーの現代史を描いた本。
     軍部と民主化を目指す団体との対立という単純な構造ではなくて、軍内対立や、少数民族、欧米、ロシア中国の思惑がこんがらがって現在の状況となっていることがわかる。
     この本を読み終わっても、何が正解かがわからなくてもやもやする。
     例えば、統治の形。独裁はトップ次第な部分があって不安定だし、政党政治は党派争いばっかりして自己利益追求してしまう。
     独裁から民主化に舵を取るにしても、急に軍人ポストを減らすと実務が滞るし、残してても軍事政権イメージが拭えない。
     クーデターという結果になる前にどうしたらよかったのかってのを考えさせられる。

     ミャンマーの現代史ではあるけれど、他の国や自分の会社にでもそれとなく当てはまりそうな普遍的なケースに思える。ミャンマーってどうしてこうなったの?っていう疑問は解消されるけど、これからどうしたらいいんだろうと新たな疑問が出てきて、考えさせられる本だった。

  • 1988年の反政府運動とそれに伴う軍によるクーデターから民政移管、民主化を経て2011年のクーデターに至るミャンマー現代史を描き、今後を展望。
    2011年のクーデターをもたらした背景について理解を深めるとともに、ミャンマーの厳しい現実を認識した。カリスマ頼みの急激な民主化の負の側面についても思い至らされた。それにしても、認識の歪みから自国民にも平気で銃を向ける軍は本当に酷いと感じる。

  •  1988年から2021年クーデター後までの通史。テインセイン政権期、予想を超えて改革が進む。続くスーチー期での軍とNLDの微妙なバランスの下での「だましだましの民主主義」を経て、クーデターから混迷に陥る。
     著者は必ずしもスーチーを神格化しない。彼女をある種のポピュリストとしたり、その政権は多数派の意思と少数派の包摂を両立させるバランス感覚には欠けていたとしたりする。また、軍は危機管理型統治を主導という点は、軍事政権やクーデターの是非はさておいてもうなずける。
     本書の直接の範囲を超えるが、権威主義体制から経済発展や民主化を遂げた東・東南アジアの国と比べどう異なったのか、思いを巡らせてみた。テインセイン期のような旧体制内エリート主導の漸進的改革がより長く続いていたら(NLDとて結成当初からある時期までは元軍人グループの存在感があったようだ)。軍事政権下でも一定の政党政治が育っていたら。少数民族が多い他の東南アジア国家と国民国家統合という点で何が足りないのか。更には、これら諸点が不十分なまま民主化を進める要因となったポピュリストのカリスマであるスーチーの存在自体か、とまで考えてしまう。

  • 現地で滞在したときに民主化の影響を「道路のアスファルト工事」に感じた。ということに深く頷けた。民主主義の重みを感じる。こうした部分にも着目し、丁寧にミャンマーの現代史を追っていてよくわかった気分になれる。しかし、スーチーの功罪のうち「罪」についての記述はなぜかあいまいというか、ぼかされたままであり、このぼかし方がミャンマーの風土を反映させたものかと勘繰ってみたり。良い意味でも、批判的な意味でも余韻の残る一冊。

  • 朝日新聞2022910掲載 評者: 三牧聖子(同志社大学大学院グローバルスタディーズ研究科准教授,国際関係)
    日経新聞2022101掲載
    朝日新聞20221022掲載 評者: 藤原辰史(京都大学人文科学研究所准教授,農業史,環境史)

  • ミャンマーについて軍事政権がクーデターを起こして何回も政権を取る、といった経緯を明らかにした本である。科研費を使った研究成果の本であるために、一般向けよりもより専門向けである。ミャンマーについての卒論執筆では基本書となるであろう。

  • 東2法経図・6F開架:B1/4-3/1939/K

  • ふむ

  • 【請求記号:223 ナ】

  • ミャンマーの過去と現在、今後の示唆に富んだ一冊。ミャンマーで検討中の案件があり、それを進めるべきか、止めるべきか、考えるために読みました。

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著者プロフィール

中西嘉宏

1977年、兵庫県生まれ。京都大学より博士(地域研究)を取得。日本貿易振興機構・アジア経済研究所等での勤務を経て、2013年より京都大学東南アジア研究所・准教授、2017年から東南アジア地域研究研究所(組織統合により改称)・准教授。ジョンズ・ホプキンス大学高等国際研究大学院・客員研究員、ヤンゴン大学国際関係学科・客員教授などを歴任。

「2021年 『ロヒンギャ危機―「民族浄化」の真相』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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