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Amazon.co.jp ・本 (268ページ) / ISBN・EAN: 9784004319436
作品紹介・あらすじ
およそ二五〇〇年前、古代ギリシアに生まれた民主政。順ぐりに支配し、支配されるという人類史にかつてない政体は、いかにして考え出され、実施されたのか。公共性を、一人ひとりが平等にあずかり、分かちあうことを基本にして古代の民主政を積み重ねた人びとの歴史的経験は、いまを生きる私たちの世界とつながっている。
みんなの感想まとめ
古代ギリシアの民主政の誕生とその評価を深く掘り下げた本書は、現代の民主主義の課題を考える上で非常に示唆に富んでいます。アテナイにおける民主政の形成過程や、その盛衰の歴史を具体的な人物や出来事を通じて描...
感想・レビュー・書評
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社会保険料と社会保障費を混同している立候補者、食料自給率が何なのかも分からない政治家、外国人問題の本質が理解できていないまま危機感を覚えて立ち上がったという、付け焼き刃な出馬。政治家には無教養であって欲しくないが、しかし、教養の比較的高い層は既に抜けられない社会的立場にあって、立候補のコストに見合う人たちは「無敵の人(選挙版)」である事が比較的多い。あくまで傾向の話で、全てを否定するものではない。
古代ギリシアでの民主制を衆愚政治だと揶揄する声もあるが、それは、識字率の低さによる教養が行き渡らぬ層も影響しているのではないか。更に、演説の印象がそれを誇張させる。著者は、この衆愚政という評価について、下記のように述べている。
― ギリシア民主政を愚支配とする固定観念が、どのように生まれ、後世に継承されたのかは、本書の重要なテーマの一つである。だがさしあたって指摘したいのは、「衆愚政」ということばが、もともと民主政を非難するためのレッテルであって、ものごとを客観的に記述するためのものではないことである。
― ギリシアの民主政は、ローマによる征服とともに姿を消した。一方、民主政を批判したプラトンやアリストテレスの理論は、その後長きにわたり権威ある古典として伝え受けつがれた。歴史的現実としての民主政が忘れ去られるとともに、「衆愚政」のレッテルだけが残った。衆愚政という語をはじめて著述に用いたのは、ローマのギリシア制覇を目の当たりにしたギリシア人歴史家ポリュビオス。ローマの興隆に新時代のうねりを見てとった彼にとって、民主政が衆愚政に堕するのは歴史の必然であった。
民主政はなぜ、どのようにしてギリシアで生まれたのか。どのような骨格で、どのような評価を受けたのか。何を修正すべきだったのか。本書を読むことで、現代の民主主義の課題を考えさせられる。最後にこう結ばれる。非常に有益な著書であった。
― 個人であれ集団であれ、自分の生き方を自分の意思で決めるということには、かけがえのない価値がある。そのことに、はやくから気づいたのがギリシア人であった。彼らがエレウテリア(自由)と名づけたその価値は、今も色あせることがない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
また最高に良い本に巡り会えた。
ソクラテス、プラトンそしてアリストテレスなど、教科書的には伝説の哲学者のように扱われるが、アテナイにおいて政治に経済に深く関わり、血の通った姿が鮮やかに現れてくる。アテナイの民主政を現代の代表制の民主政は認めていないようだが、いかがなものか?少なくとも、情報の透明性を強く訴えた時点で、現代より素晴らしかったのではないか。文明、科学ではまだ未熟で、奴隷制のような非人道的な部分もあるが、民力としてはアテナイのほうが成熟していたように感じる。
碑文習慣が発達していたというくだりでは、「そんなに識字率が高かったのか?」という私の疑問にも、成人男性で15%ほどで、理解した人が口伝で伝えていたと、すぐに答えをくれた。
ソロン、ペイシストラトス(僭主)を経てクレイステネスで民主政は萌芽を見て、ペリクレスで確立したが、じつはペロポネス戦争でスパルタに敗北した後の方が、アテナイの民主政は絶頂期であったとは驚きだった。 -
古代ギリシアの民主政について、最新の知見に基づいて書かれた概観書である。古代ギリシアにまったく詳しくないため僭越ではあるが、とてもよくまとまっており、おもしろく読めました。
古代ギリシアにおけるポリス群も出てくるが、本書における主役はやはりアテナイである。アテナイにおいて、どのように民主政が生まれ、盛衰を繰り返しながら、歴史のなかに溶暗していったかが書かれている。
本書の終盤でも触れられているが、思想史にすこし詳しい方なら、いかに民主政が嫌われてきたかを知っているかと思う。それは、民主政を衆愚政治と捉えたり、君主制や貴族制が支配的であったり、最終的にアテナイがローマに支配されたこともあってアメリカやフランス革命がローマ共和政を範としたり、ソクラテスの処刑やプラトンの民主政批判が影響していたり、理由は様々である。現代の民主主義は恐ろしく歴史が浅い。
われわれが馴染みのある民主主義は間接民主主義だが、アテナイの民主政は直接民主主義である。代議制などといったまだるっこしいことはせず、抽選で選ばれた民衆たちが政治の意思決定をし、権力の行使をする。
そのため、本書でも個人名が頻出する。陶片追放(現代でもなぜ行われていたのかはっきりとはわからないようだが、特定の人物を投票によってアテナイから10年間追放する制度である)の話では、追放された人物たちもほぼ判明しているらしいが、なかにはなぜ追放されたのかわからない人物もいる。(おひとよしのメノン。特に有名人でもないらしく、いくつもの陶片にわざわざ「おひとよし」と書かれているらしい。おひとよしなのに、なぜ追放されたのかもよくわかっていない)
民主政とタイトルにあるが、抽象的な概念の話は少なく、固有名詞で話が進んでいくので具体性をもってイメージができ、わかりやすいと思う。 -
古代アテナイについての優れた概説書。
塩野七生氏の物語や伊藤貞夫氏の概説書をとおして、古代ギリシア史についてある程度知っている方が読むことにも耐えると思う。
(むしろ、そういう方こそ、今まで馴染んできた話との違いをとおして楽しめるかもしれない)
古代ギリシア史は、圧倒的な文字資料が残っているアテナイを中心にした記述にならざるをえない。その状況は、ここ数十年で考古学的知見が大量に取り入れられるようになっても変わらない。
そして、アテナイは、土地や人口の規模が類を見ないほど大きな都市国家であった。そんな例外的な存在をもとにして、古代ギリシアの全体像を描かなければならない。そのため、アテナイと古代ギリシア全体とをバランスよく見通すことは難しい。
しかし、本書は、古代ギリシアの民主政というテーマにおいて、それに成功しているように思える。
アテナイ民主政の成立にも影響したアテナイの特殊的例外性を考慮する一方、
アテナイにおける民主政のノウハウが他の都市国家に影響した考古学的な痕跡に言及して、古代ギリシアの他の民主政との関連も視野に入れている。
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橋場 弦
(はしば ゆづる、1961年1月 - )は、日本の歴史学者。専門は古代ギリシア史。東京大学大学院人文社会系研究科・文学部教授[1]。北海道札幌市生まれ。北海道札幌西高等学校を経て、1984年東京大学文学部西洋史学科卒業、1990年同大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学、同助手、1991年「アテナイ公職者弾劾機構の研究」で、文学博士(東京大学)。1993年大阪外国語大学助教授、2006年東京大学助教授、2007年同准教授、2010年同教授。日本西洋古典学会常任委員。
「まずそれは、想像以上にこぢんまりした「国家」である。標準的なポリスの領土面積は二五 ~一〇〇平方キロメートル、人口は三〇〇〇人ほど。面積だけなら東京の世田谷区くらいと思えばよい。いわば町村規模の都市国家が、エーゲ海を中心に、北は黒海沿岸、西は南イタリア・シチリア島、さらには南仏やイベリア半島にいたる地中海沿岸に、常時一〇〇〇ほど散らばっていた。 大河や大平野がなく、せまい土地が山々のあいだに散らばるギリシアには、もともと巨大な権力の育ちにくい風土があった。プラトンの表現を借りるなら、「ちょうど池の周りに蟻や蛙が住んでいるように」(『パイドン』一〇九 B、納富信留訳、以下同)地中海周辺に散在するポリス諸国は、つねに小国分立して戦争状態にあり、政治的にはついに統一されることがなかった。ギリシア人は、たがいに争いながらそれぞれの小さな都市国家に平和と秩序を築きあげるという課題を、最初から負わされていたのである。」
—『古代ギリシアの民主政 (岩波新書)』橋場 弦著
「 とはいえ、ポリスは最初から民主政だったわけではない。生まれたばかりのポリスは、貴族が参政権を独占する貴族政から始まるのである。 貴族とはエウパトリダイ、すなわち「善き父祖をもつ人びと」と呼ばれ、神々や英雄の血を引く(と称する)家柄のエリートである。生まれながらに特権を許された門閥貴族とも言える。貴族は高価で重い青銅製の武具を身につけて騎馬で戦場まで移動し、一対一で戦闘する主力戦士であった。血統と富、そして軍事力が、貴族の支配を正当化していた。 政治と裁判をつかさどる役人組織、それに助言する長老会は貴族に独占され、市民全員が集まる民会は無力であった。つまり貴族政とは、血統によって定義された出生エリートが多くの平民を支配する体制だった。」
—『古代ギリシアの民主政 (岩波新書)』橋場 弦著
「ギリシア最古の文学であるホメロスの叙事詩(前八世紀後半)には、支配者層としての貴族の自意識を、あからさまに物語る場面がある。トロイア戦争を題材にした『イリアス』第二歌では、民会でテルシテスという一人の平民が立ちあがり、遠征の中止を求めて大声でわめく。だがたちまち彼は、身のほど知らずの愚か者として、王侯の一人オデュッセウスに笏杖でしたたかに打ちすえられる。そして「恐れをなして坐りこみ、痛みを堪えつつ途方にくれた面持で涙を拭う」(松平千秋訳、以下同)。しかも同席する他の平民たちは、同情するどころか、そのあわれな姿をあざけり笑うのである。」
—『古代ギリシアの民主政 (岩波新書)』橋場 弦著
「改革の時点で各区に代々居住していると認められたすべての自由人は──つまり外国人や奴隷ではなく、その村や町の正式な住民と認められた人は──ここであらためてアテナイ市民であると認定された。以後その地位は、男系をとおして子孫に継承された。つまり区民として認められれば、自動的に市民としての身分、すなわち市民権を得ることになったのである。 これ以後アテナイ人は、区に所属することで直接に国家の一員、つまり市民となったから、地元の貴族の権威に服することなく国政に参加できるようになった。中間権力だったピラミッドによる人身支配の鎖は、まずここで断ち切られたのである。」
—『古代ギリシアの民主政 (岩波新書)』橋場 弦著
「だが、こうした数量的な問題に対し、古典史料はあまりに無力である。貧乏学者のソクラテスは、家計のことでいつも妻から小言を言われていたというが、では彼のような市民が全体の何パーセントを占めていたのか。また彼は、弟子で裕福な貴族のアルキビアデスが三〇〇プレトロン(約二九ヘクタール)たらずの土地の持ち主だと述べているが(プラトン『アルキビアデス』一二三 C)、この程度の資産家はどのランクに属したのか。あるいは民会の多数を占めたとされる、いわゆる無産市民の割合はどれほどだったのか。こうしたことについて、古典史料は何も語ってくれない。」
—『古代ギリシアの民主政 (岩波新書)』橋場 弦著
「侵入したスパルタ軍は、市民たちが城壁の上から望見するなか、愛する故郷の耕地をこれ見よがしに破壊しはじめた。オリーブやブドウの木は切り倒され、刈り取るばかりになっていた麦は火を放たれた。ペルシア戦争の痛手からようやく立ち直ったばかりの農民たちには、胸をえぐられる光景であった。 城外に撃って出るべしという市民たちの悲痛な声を、ペリクレスはかろうじておさえ、逆に敵方の留守をついてペロポネソス半島沿岸を一〇〇隻の軍船で攻撃した。侵入から五週間後、破壊略奪の限りを働いたスパルタ軍は、糧食が尽き、引きあげていった。」
—『古代ギリシアの民主政 (岩波新書)』橋場 弦著
「数ヶ月の後、メロスは無条件降伏した。アテナイ人は、一〇年前にミュティレネ市民に対し思いとどまった処置を、今度はためらいもなく実行した。捕虜となった成年男子市民全員を処刑し、婦女子を奴隷に売ったのである。のちにヘレニズム彫刻の傑作「ミロのヴィーナス」を生むことになるこの島も、こうして全島がアテナイの領有下におかれた。」
—『古代ギリシアの民主政 (岩波新書)』橋場 弦著
「ゆがんだ歴史像と言えば、それはアルギヌサイ裁判を記録したクセノポンにもあてはまる。彼は騎士級の富裕市民で、二〇代のころソクラテスに出会って影響を受けたのち、何らかの理由でアテナイを追放となり、生涯を外地で過ごした。スパルタの熱烈な賛美者であったことから、その歴史記述『ギリシア史』は、トゥキュディデスよりもさらに独善的な価値判断に偏り、教訓的性格が強い。 アルギヌサイ裁判での民衆を「衆愚(オクロス)」という強いことばで非難していることからも、クセノポンが確信的な寡頭主義者であることがわかる。刑死した師ソクラテスを正義の闘士として弁護する立場からも、この裁判をことさら異常なものとして描き出したかったのであろう。 多くの将兵が海の底に消え、故国の土に適切に埋葬されないことへの市民たちの憤りは、ギリシア人の宗教観に照らせば、けっして不条理とは言えない。彼らを突きうごかしたものは、遺族の被害者感情以上に、「埋葬されない死」が神々の怒りを買い、国家を破滅に導くことへの恐れと不安であった。クセノポンは、こうした背景には口をつぐんでいる。」
—『古代ギリシアの民主政 (岩波新書)』橋場 弦著
「ギリシア人にとって信仰とは、個人の内面にとどまる問題ではない。それはポリス全体の安危にかかわる公的問題であった。不敬神という宗教上の罪が、国家共同の利害にかかわる「公訴」で訴えられた理由もそこにある。」
—『古代ギリシアの民主政 (岩波新書)』橋場 弦著
「ところがこのスキタイ人弓兵は、市民から恐れられるどころか、むしろ軽侮すらされる存在だった。 同じくアリストパネスの『女の平和(リュシストラテ)』(前四一一年上演)では、アテナイの女性たちがスパルタとの和平を要求してアクロポリスに籠城するという、驚天動地の非常事態が起こり、聞き付けた役人が弓兵たちを連れて現場に駆け付ける。彼は必死に弓兵を 咤督励し、謀反人の女たちを逮捕しようとするが、弓兵どもはまったくもってたよりない。役人は二人の弓兵に向かってどなる。」
—『古代ギリシアの民主政 (岩波新書)』橋場 弦著
「では、市民にひろく情報を公開するためには、どのような手段があったのか。まず口頭による情報伝達が主であったこの時代、市民たちが国内外の情勢について知識を仕入れるもっとも身近な場は、民会であった。彼らは民会で見聞きしたことを、帰宅すれば家族や隣人にも話したことだろう。だが民主政アテナイに特徴的であったのは、口頭の伝達に加えて、文字による情報伝達と記録の保存にきわめて熱心であったことである。 アゴラの西縁には、長い基壇の上に一〇部族の名祖像が並んでおり、全体が柵で囲まれていたが、これは公的な告示を一般市民に知らせる掲示施設でもあった(本章扉)。長さ一六メートル以上高さ一八七センチもある大きな基壇の前面には、白い木板に文字が書かれた掲示板が何枚も掛けられていた。たとえば次回民会の予告と議題の掲示は、市民たちがあらかじめ政策について熟慮し議論するために必須の情報であったし、また遠征に際しては部族ごとに召集兵名簿がかかげられた。民衆裁判所の公判日程も掲示されたから、裁判員はもちろん、傍聴を希望する一般市民もかならず足を止めたことであろう。テレビもネットもなかった時代に、文字媒体を使って効率よく多くの市民に情報を伝達する方法であった。」
—『古代ギリシアの民主政 (岩波新書)』橋場 弦著
「 ギリシアの民主政は、ローマによる征服とともに姿を消した。古代民主政の系譜は、そこで途絶えた。ふつうの人びとが積み重ねた民主政の経験は、体系的な政治理論を残さず、それゆえその記憶は急速に失われた。 他方、民主政を批判したプラトンやアリストテレスの理論は、その後長きにわたり権威ある古典として伝え受けつがれた。歴史的現実としての民主政が忘れ去られるとともに、「衆愚政」のレッテルだけが残ったのである。 衆愚政と言えば、この語をはじめて著述に用いたのは、ローマのギリシア制覇を目の当たりにしたギリシア人歴史家ポリュビオス(前二〇〇~一一八年ごろ)である。ローマの興隆に新時代のうねりを見てとった彼にとって、民主政が衆愚政に堕するのは歴史の必然であった。 ギリシア民主政とローマ共和政は、ひとくくりに理解されることがあるが、両者は似て非なるものである。ギリシアでは一人に一票の投票権が与えられたのに対し、ローマの民会は財産別に分けられたグループ(ケントゥリア)ごとに投票し、しかも貧富の差によって投票権の重みにいちじるしい格差があった。無産市民は人口の上で最大多数を占めるにもかかわらず、たった一つのグループ枠、つまり一票しか与えられなかったのである。その上、国政の実質的な主導権は、一部の最富裕市民からなる元老院が握っていた。あらゆる意味でローマは富裕者による寡頭政であり、古代民主政の系譜には連ならなかった。」
—『古代ギリシアの民主政 (岩波新書)』橋場 弦著
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”近代民主主義の基本が「代表する」ことにあるならば、古代民主制の基本とは何か?それは「あずかる」、あるいは「分かちあう」ことであると思う” p237
と本書で強調される古代ギリシャ人の政治参加のあり方に、とても共感しました。
「基本的人権」「個人主権」「自由意志」といった観念が形成される以前の人類社会のあり様を、近現代の視点から断じることが、いかに視野狭窄であるか。
”意思”や”権利”が個々人に根差すのではなく、世界全体(cosmos)のなかに根差しているという思想(理論的体系的にはその後のストア派の思想が参照される)が、今日の公共性、社会倫理を考えるうえで十二分に参照されてよいと思います。
本書で知った「アムネステイア」(「記憶の抹消」の意、英語アムネスティーの語源)という言葉が、とても印象に残りました。30人政権の恐怖政治の後、改めて共生の道を模索するなかで「大赦玲」に踏み切ったアテナイ。復讐の連鎖を断ち切るという非常な困難をともなう方法へ向かう人々の勇気を見いだせた。 -
古代ギリシアの民主政に関する最新の入門書。最近の成果も反映し、時代の幅や地域の広がりにも目が向けられている一冊。これをまずよみましょう。
https://historia-bookreport.hatenablog.jp/entry/2022/09/27/084528 -
古代ギリシアの民主制と言えば我々が現代に続く民主的な政治体制を思い浮かべる時、それが世界史上初めて確立されたものとして、世界史で習った記憶を思い浮かべるだろう。現にこれまでの歴史研究に於いて、古代ギリシア、特にアテナイ(アテネ)では紀元前5世紀頃には、民主政(デモクラシー)が確立された。若干今と違うのは、それが全男性市民が参加する直接民会であり、参加者全員が投票並びに審議する(権利を持つと言うよりはそれが当たり前にされている状態)直接民主制であった。現代でいう議長、進行役などの様々な役割・役職は抽選によって選ばれており、それこそ運のみが左右する、誰にでも平等に支配と被支配の関係が生まれる制度であった。ひとつ特徴的な面では、参政権が成人男性市民のみに限定されていたことで、女性や当時は当たり前に存在していた奴隷、そして外国は除外されていたことだろう。因みに本書タイトルにある「民主政」とは本書で説明される様々な制度を通して確立された民主的な政治そのものを指し、それを支える仕組みや制度が「民主制」である。よって古代ギリシアは民衆が全員参加する民主政であり、投票や議会などの民主制により支えられていた、という事だ。
本書は民主政について、それが生まれた起源から、制度としてどの様に確立していくかの様を説明する内容となっている。私は世界史先行だったから難しいカタカナに当時は悩まされた記憶があるが、それを成し遂げた今で言う政治家のような優れた人材や制度を一つずつわかりやすくおさらいする内容となっている。特に古代の(人々が集まり徐々に共同生活を営む規模が大きくなっていくような)都市の成り立ちや周辺都市との関係性(争いを含む)の中で、現代に生きる我々にも当然必要となっていく話し合い、そして意見を集約するという当然の流れが分かりやす描かれている。物わかりの良い家族だけの共同体から、農耕技術や海運技術の発展に伴い次第に家族と隣人に共同体が拡大し、それに伴い生まれてくる利害関係。人々がそれらを調整し争いなく平穏な生活を送るためには話し合いが必要だ。我々が単純に民主的と考える際は多数決ばかりに目が行きがちだが、基本的な多数決だけではなく少数意見を無視しない現代風な制度も当初からあったようだ。全員参加、議場となる広場、陶片追放や任期の考え方など様々な工夫が凝らされながら発達してきた民主政。選挙権を持ちながら政治に不審を抱いている事を理由に選挙に行かない現代人。当時(古代ギリシア)の人々に習う部分も多いのではないか。
今世界は混乱し、世界情勢の影響を強く受けながら強い政党に牽引されながら劇的に変わろうとしている日本の政治。永らく日本の平和の礎となってきた日本国憲法も、改正される可能性もある。働き方も産業構造も様々なものが変化の兆しを見せ始める。良い方向に向かうかその逆に行ってしまうかは、数年後にならないとわからない。だがその推進力を与えているのは我々国民の投票であり考え方にある事は間違いない。民主制を選んでいるのも我々自身だ。投票したのは別の党とか、自分は投票していない事を理由に、この社会変化を受け入れない姿勢は無責任だ。そうならばより深く考え、一層声を上げるべきではないだろうか。自分一人の声では届かないと諦めてはいけない。
本書を読み改めて自分で考え、意見を表明し、自分たちが社会を作っていく主体である事を学ぶ必要性を感じる。 -
民主政はどのように生まれ、発展し、消え去ったか。どんなしくみで動いていたのか。2000年以上も前に史上から消えたとされる民主政が、どのような形で近代に復活し、現代に至ったのか。研究成果を織り込みながら論考する。【「TRC MARC」の商品解説】
関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40288887 -
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【請求記号:231 ハ】
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現代民主主義のあり方に限界が来ているのは誰もが感じていると思う。今のやり方でいいのか?と。
そんな時代に引き合いに出されるのが、古代ギリシアの民主政だ。ここでは明らかに持ち上げ過ぎだけど(もちろん狙ってそう書いている)、現状の政治システムを見直す機運のきっかけになる一冊だし、そうなって欲しい。
ただギリシアの直接民主政って、そもそも参加できる人間が限られていたんだよねぇ。そこはあんまり知られてないけど。 -
古代ギリシアで民主的な政治が行われていたということについて柄谷行人を読んだときから非常に興味があった。古代イオニアにおけるイソノミア、そこは自由と平等が両立するユートピアのような世界だとイメージしていた。もっと詳しく知りたかった。本書を読んでイメージはがらっと変わった。なんともどろどろしている。暴力は多発していた。繰り返し戦争をしている。民主政から僭主政や寡頭政へと次々と仕組みは変わっている。それでも、2500年前に民主政は確かに存在していたし、存続させようとしていたのだ。不正行為が行われにくくする仕組みが巧みに考えられている。陶片追放などという仕組みがあったことは初めて知った。何よりも少数の人間に権力が偏らないようにと、持ち回りで政治が行われている。そして、本当に多くの人々が政治の場である民会に頻繁に集まっている。もちろん日常のこまごました仕事は奴隷に任すことができたという事情はあっただろう。しかしそれを差し引いても、よくまあ集まって議論をしたものだ。私も、今年度、自治会長をしているが毎月区の協議会に1時間ほど参加するのもおっくうである。他の人たちも、早く終わってほしいから余計な意見を言う人がいようものならみんな舌打ちをしている。そう、他人ごとだから興味もわかないし、楽しくもない。楽しくなければ続かない。だからきっと政治はもっと自分ごとで、議論が楽しい場でなければならないのだろう。大人数なので自分の意見を述べる時間はそれほどなかったかもしれない。きっと、何人か代表の意見を聞いて、近くにいる人といろいろ意見を交わしたことだろう。そうやって盛り上がるのがきっと楽しかったのだろう。祭り気分だったかもしれない。だから、月2回とかでも遠くから歩いてでもやってきたのだろう。さあ、ここで一つ疑問な点がある。それは、やはり最終結論は多数決で決められていたということなのだと思うが、結局少数意見は切り捨てられていたのだろうか。並行して「子どもたちに民主主義を教えよう」(工藤・苫野)を読んでいたので、その点が気になってしまう。それから、歴史的に見て、この古代ギリシアの民主政は否定的にとらえられてきたのだという。いわゆる衆愚政治ということなのだろう。ソクラテスを死刑に追い込み、プラトンが否定した民主政なのだからそれも仕方のないことかもしれない。しかしそれがここ数十年における考古学的研究によって覆されてきている。その事実こそが本書のおもしろさでもあった。著者は軽く見てきたように2500年前の様子を語っているが、おそらく相当多くの碑文と呼ばれるような文章を読み込んできた上での話なのだろう。そう考えると歴史研究というのも本当に大変な作業なのである。頭が下がる。
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知らんことが大量に説明されている。
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312.395||Ha
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東2法経図・6F開架:B1/4-3/1943/K
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女子栄養大学図書館OPAC▼ https://opac.eiyo.ac.jp/detail?bbid=2000059426
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