ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書 新赤版 1945)
- 岩波書店 (2022年10月24日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (270ページ) / ISBN・EAN: 9784004319450
作品紹介・あらすじ
教育とは何かを問い、人びとがともに生きる民主主義のあり方を探究し実践した、アメリカを代表する思想家デューイ。彼の構想したコモン・マン、すなわち一般の人のための哲学は現代の教育や社会にも大きな影響を及ぼしている。広範な学問分野に亘るその思想をデューイ研究の第一人者が丹念に読み解き、今日的意義を展望する。
みんなの感想まとめ
教育と民主主義の関係を深く探求した内容であり、著者はアメリカの思想家デューイの影響力を丁寧に解説しています。デューイは「コモン・マン」という概念を通じて、一般の人々がより良く生きるための哲学を提唱し、...
感想・レビュー・書評
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アメリカの哲学者・教育学者のジョン・デューイの足跡を辿り、彼の思想に迫った内容。新書一冊では何もわかった気にもならないほど、その足跡と哲学(思想?)は奥深い。デューイのアメリカの公教育への取り組みや足跡は本書を読めば概略を掴めるが、なにより注目する点は彼の民主主義と教育に対する考えだろう。
民主主義とは政治の具体的な制度や政策に収まらない。コモン・マン=一般の人がより良く生き、学ぶことそのものであるという。そして一般の人が集い互いに協力と依存する自発的なコミュニティーのなか、開かれた討議を通して合意を作っていく。
コモン・コミュニティー・コミュニケーションの3つの概念を軸に、「他者とともに生きる方法」を教育と民主主義の根幹と考えたデューイの哲学は、今日においてはやや牧歌的な趣さえある。近年のアメリカ国内の分断や、ポピュリズムやフェイクニュースに苦しむ西側民主主義国を日々目にする21世紀においてはなおさらだ。なんというか、あなたの哲学とはほど遠い地に世界は辿り着いてしまった、といえば、デューイ本人はずいぶん嘆くかもしれない。
それでも、生きることと学ぶことを基礎とした「ともに生きる方法」を探求したデューイの民主主義と教育の哲学は、今日のあれかこれかの二元論的な世界観を相対化させ、問い直し、再考する手立てをもたらしてくれるかもしれない。と、無責任な希望を込めてこの文を書いておこう。
デューイの著書「民主主義と教育」はいずれは読んでいこうと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ジョン・デューイ
(英語: John Dewey, 1859年10月20日 - 1952年6月1日)は、アメリカ合衆国の哲学者。チャールズ・サンダース・パース、ウィリアム・ジェームズとならんでプラグマティズムを代表する思想家である。また米国では機能主義心理学[1]に貢献したことでも知られている。20世紀前半のアメリカ哲学者のなかでも代表的且つ進歩的な民主・民衆主義者(ポピュリスト)だった[2]。リチャード・ローティは「最も敬愛する哲学者」として評価し、「われわれをプラトンとイマヌエル・カントの呪縛(ドグマ)から解放した[3]」と指摘したうえで、17世紀の哲学者がスコラ哲学に対して「革命」を興したように、「正確な表象」というそれまでの知識理論を拒絶した点でルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインとマルティン・ハイデッガーに並ぶとしている[4]。またヒラリー・パトナムもデューイをヒーローとしている[5]。
上野正道(うえの まさみち)
1974年生まれ.上智大学総合人間科学部教授.
東京大学大学院教育学研究科博士課程修了.博士(教育学).大東文化大学准教授,教授,山東師範大学,済南大学,西北大学客員教授などを経て,現職.著書に『学校の公共性と民主主義──デューイの美的経験論へ』(東京大学出版会,2010年),『民主主義への教育──学びのシニシズムを超えて』(同,2013年)など.訳書に,ガート・ビースタ『教えることの再発見』(監訳,東京大学出版会,2018年),『デューイ著作集6 教育1 学校と社会,ほか』(訳者代表,同,2019年),『デューイ著作集7 教育2 明日の学校,ほか』(訳者代表,同,2019年)など.
「デューイは、食料品とタバコの販売店を経営するアーチボルト・デューイと、その妻ルシナ・アーテメシア・リッチの三男として生まれた。長男は幼くして亡くなったため、次男のデイヴィスと弟のチャールズと一緒に公立学校に通っていた。 父親のアーチボルトは農家の生まれで、共和党員でもあった。学校にはほとんど行かなかったが、英文学に親しみ、教養と知性を磨くことに熱心だった。 一八六〇年の大統領選挙で、奴隷制の拡大に反対する共和党のエイブラハム・リンカーン(一八〇九─六五)が勝利し、第一六代大統領に就任すると、南部は合衆国からの分離を主張し、南北戦争へと発展した。アーチボルトは、南北戦争の志願兵となり、六一年には食料品店を売却してバーモント州の騎兵隊に入隊した。南北戦争の際にバーモント州から北軍に従軍したのは二万八〇〇〇人以上ともされ、戦死した兵士の比率も他のどの州よりも高かった。アーチボルトは、南北戦争から生き延びて帰還すると、六七年にバーリントンで店の経営を再開した。 母親のルシナは、バーモント州のショアハムで生まれた。ルシナの祖父はワシントンで国会議員を務め、父のデイヴィス・リッチは裁判所で働いた経験があり、ルシナの兄弟はみな大学で学ぶなど、社会的、経済的に比較的裕福で、教育水準も高い家系だった。ルシナは、福音主義のプロテスタントの信仰に情熱を傾け、敬虔な会衆派の会員として活動した。より快適かつ合理的でリベラルな信仰にもとづく宗教的雰囲気とは対照的に、道徳的意識が強く、重々しさを残す信仰であった。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「デューイは、三年次になると自然科学の勉強のおもしろさに目覚めた。生理学の授業では、イギリスの生物学者トマス・ヘンリー・ハクスリー(一八二五─九五)の著書がテキストに使われた。ハクスリーは、「ダーウィンの番犬」と呼ばれるほど、ダーウィンを信奉していた。大学の図書館にはイギリスの進化論論争について論じた最新の雑誌が置かれていた。デューイは、あらゆる生命が一つの全体として相互に関係し依存しあっているという知見に感銘を受けた。 最終学年の四年次には、哲学の勉強に打ち込んだ。バーモント大学の哲学科では、他の大学よりも早い時期に、イマヌエル・カント(一七二四─一八〇四)、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(一七六二─一八一四)、フリードリヒ・シェリング(一七七五─一八五四)、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(一七七〇─一八三一)らのドイツ観念論の研究に力を入れていた。 一九世紀半ばのニューイングランド地方を拠点に広まった、ラルフ・ウォルドー・エマソン(一八〇三─八二)らの超越主義者(超越主義については後述)にカントの観念論を引き合わせたのは、バーモント大学のジェイムズ・マーシュ教授であった。デューイが四年次に出席した精神哲学と道徳哲学の授業は、同大学のカント研究の系譜を引き継ぐ H・ A・トーリー教授が担当した。トーリーのカント研究は、デューイにとって哲学の勉強の導きとなった。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「ダーウィニズムの影響は、政治学や経済学の分野にも及んだ。アダム・スミス(一七二三─九〇)やミルらに牽引されたイギリスの古典派経済学者は、商工業などの国家の産業を保護する重商主義政策への批判から、労働価値説にもとづいて、自律的、自然発生的、予定調和的な市場における個人の経済活動の自由を強調した。スミスは、自由競争を通じた個人の私的利益の追求が「見えざる手」の働きによって社会の繁栄と調和をもたらすと唱えた。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「教育における興味について論じたデューイの心理学は、教育の倫理、シティズンシップ、コミュニティにかんする考察へとつながっていった。一八九七年の「教育の根底にある倫理的原理」( EW 5;デューイ 2019 a)という論考で、デューイは、学校の役割が「シティズンシップの形成」にあると述べている。シティズンシップの観念は、投票に行き、法の主体になるという政治的な内容だけではなく、身体的にも、知性的にも、社会的にも、道徳的にも「有機的な全体」として把握することを意味している。学校の責任は、子どもにもそのような「生活」を維持し、「社会の幸福」を発展させることにある。 そのために、それぞれに固有な子どもたちが自分とは異なる他者と協同して学ぶコミュニティとしての学校を組織しようとした。デューイは、教室の子どもたちが一斉に、同じ課業を、同じやり方で、同じ結果が導かれるように学ぶだけの画一的な授業のあり方を問題にした。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「四〇人の子どもたちが来る日も来る日も同じ本を読み、同じ課業を練習し暗唱していることを想像してみよう。このことが、およそ大部分の子どもたちの活動を構成し、そして勉強の時間に何かを覚え、暗唱の時間にそれを復唱できるかという観点から絶えず評価される、ということを想像してみよう。そこには、いかなる社会的、道徳的な分業の機会もないに等しい。それぞれの子どもが他者の成果にかかわり共通の蓄積に貢献し、なおかつ自分にとって固有な何かを生みだすような機会は、与えられていない。すべての子どもは、まさに同じ作業をおこない、同じ結果を得るように仕向けられている。そこで、社会的精神が涵養されることはない。実際、この方法が採られるかぎり、それは、活用されないので、退化してしまう。 (EW 5;デューイ 2019 a)」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「デューイのなかで、子どもの「生活」とされているのは、「ライフ( life)」や「リビング( living)」の訳であるが、言い換えるとそれは「生命」であり、「生き方」であり、「生」そのもののことである。「生活をする場」としての学校は、教師と子どもたちがともに生きる場であり、またつねに豊かな学びがあらわれ、生成する場であることを意味している。生きることと学ぶことを基本とする、デューイの民主主義と教育の哲学もここから生まれてくる。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「学校は、将来予想されるある種の生活とどう結びついているのかが抽象的でわかりにくい授業をただ受ける場所ではなく、生活と密接に結びつき、子どもがさまざまなことを教えてもらいながら、生活するなかで学んでいくという、言わば子どもにとっての住みかとなる可能性をもつ。学校は、小さなコミュニティとなり、発達の芽を宿す社会となる機会を得るのである。 (MW 1;デューイ 2019 a) 学校が「小さなコミュニティ」になり、「発達の芽を宿す社会となる機会」を得るというのは、どのようなことだろうか。『学校と社会』はしばしば、学校を社会に開くことを提唱したというように読まれている。しかし、ここで留意すべきなのは、学校がいますでにある社会に子どもを順応させることではないということだ。この点で、デューイの言い回しは慎重である。学校と社会生活を有機的につなぐというとき、そこでの「社会」とは、これから発達していくだろう「芽」をうちに宿した社会であり、そのような「芽」とかかわる「機会」となることを示している。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「このようにいうと、デューイは知性的な教科や学問的な探究の意義を軽視していたかのように読まれるかもしれない。だが、実態は反対である。図 1の左側には、学校が大学、専門的調査研究、図書館、博物館と自由な相互作用がなされるべきことが示されている。そこは、「探究の精神」や「探究する姿勢」をもって、子どもたちが「自分にとって意味のあること、自分の視野を広げてくれること」を学ぶ場でもある。 デューイが教科における探究的な学びを重視していたことは、『学校と社会』で示される実験学校の教室配置からも確認できる。図 2と図 3が示すように、食堂、調理室、木工室、織物室が四方に突き出る学校の建物の中心に、図書室が設置され、書物をとおして探究的な学びをデザインすることが奨励されていた。また、物理実験室、化学実験室、生物学実験室、美術室、音楽室のある建物の中心には、博物室がある。中央に図書室や博物室があるのは、みながそこに集まってくる構造になっていることを示している。図書室は、多様な経験や活動の交流がおこなわれ、疑問、発見、事実、探究が集まる場所であり、知性的な探究が生成する場所でもある。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「デューイは、書物は経験を代用するというよりも、経験を理解し、発展させるためにきわめて重要であるとみなしている。図書室は、子どもたちがさまざまな経験、課題、疑問、自分たちで発見した事実を持ち込んで、「新たな光を投じるための議論を重ねる場」であった。子どもたちは、他者の経験や知性の集積をもとに「理論と実践との有機的な関連」を見出し、自分たちが専心して取り組むことで物事の「観念」を獲得するのである。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「こうして、デューイは、子どもの生きることと学ぶことを重んじることから、コミュニティとしての学校をつくろうとした。学校は、家でも、社会それ自体でもなく、両者のあいだにある第三の場所であった。言い換えれば、学校は、子どもたちの「住みか」となる「小さなコミュニティ」であり、「発達の芽を宿す社会」であった。彼は、学校と社会生活とのあいだに「自由な相互作用」と「有機的な結びつき」が生まれることで、子どもたちが世界のなかで豊かに学ぶネットワークが形成されると考えた。学校は、子どものなかにある「活動したい」「表現したい」「実際に何かをしたい」という要求に応えることによって、「建設的で創造的」な場所になるのである。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「ここには、しばしば対立的に論じられる教科か子どもかの二元論を超える方法が示されている。伝統的な教授法やカリキュラムは、子どもたちの生き生きとした学びとのつながりからデザインされ直すことが求められる。それは、教科を子どもの経験の外部にある固定したものと見ることをやめて、流動的で、活気のあるものととらえ直すことである。子どもとカリキュラムは、一つのプロセスで連続する「二つの区域」であるとされる。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「デューイは、この時期に活発化した職業教育をめぐる論争にもコミットした。全国産業教育振興協会をはじめとする団体が、一二歳か一四歳で学校を卒業する子どもたちに職業教育と産業教育を実施すべきだと提言していた。というのも、多くの子どもたちが自分の就く仕事に慣れることができないでいたり、職業にかんする知識を十分にもっていなかったりしたからだ。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「デューイによれば、思考のプロセスは、探究のプロセスである。彼は、子どもの学びが子ども自身のものであり、子ども自身が考えるようにしなければならないと主張する。それは、子どもたちがみずから学び、考えるプロセスを尊重することであり、リフレクションの経験を大切にすることでもある。リフレクションとは、「反省的思考」「反省的経験」「反省的探究」などと論じられるものでもある。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「エヴェリンは、一九一三年から一四年に母親でデューイの妻アリスと一緒に、イタリアのモンテッソーリ・スクールを訪問し、一四年一月にはマリア・モンテッソーリ(一八七〇─一九五二)と直接会っている。モンテッソーリは、イタリアで医学を学んだ最初の女性として、ローマ大学医学部に入学し、卒業後、大学の附属病院で、精神発達障がいの子どもの治療と教育をおこなった。そして、一九〇七年に「子どもの家」を創設し、就学前教育に取り組んだ。 モンテッソーリは、子どもの「自由」を重視し、子どもの自発的な発達を援助する教育を実践した。「子どもの家」は、衛生や環境が不十分なサン・ロレンツォ地区で、社会的に恵まれない貧困家庭の三歳から七歳の子どもを対象に、子どもの感覚を重視した援助をしようとした。モンテッソーリの教具には、教師の直接的な指導ではなく、間接的な援助によって自己教育をおこなうという考えが貫かれている。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「 第二に、「未成熟」には「可塑性」があるということである。私たちは未成熟だからこそ、自己や他者の経験から学び、柔軟に行動を修正し、変化を起こし、新たな習慣や性向を形成する。私たちがさまざまな力を働かせ、成長することができるのは、すべてが満たされた完成状態なのではなく、「未」の状態が残されているからなのだ。 このような理解は、教育を、子どもの内部からの自然な発達や、外部からの形成作用として見る教育観とは一線を画している。前者は、たとえばルソーの『エミール』のように、子どもの「内なる自然」を重んじ、社会や文明の発展から子どもを遠ざける消極的な教育観であり、後者は、ジョン・ロックの精神白紙説(タブラ・ラサ)のように、子どもはもともと観念や理念をもって生まれるのではなく(精神は白紙である)、教育によって正しい観念や理念を獲得させるという教育観である。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「デューイは、子どもたちに「よい思考の習慣」が生まれることで、「思考する力」が形成されるという。リフレクションを単なる経験から区別するのは、「思考することそのものを一つの経験にする」ことである。そのような思考の経験は、何でも経験や体験をすればよいというのとも、「思考力」を鍛えるための反復練習を繰り返すのとも異なり、思考を呼び起こすような問題状況とそれ以後の探究の活動から構成されるものである。 要するに、デューイのいう経験とは、問題状況から思考、探究、リフレクションをとおして確実な知識や認識へと至る動的で連続的なプロセスのことであった。経験の連続的なプロセスが子どもたちの思考し、探究する習慣を形成し、それに付随する結果として、「思考する力」が芽生えるのであって、その逆ではない。ここに、問題解決的な学びやプロジェクトの学びの重要なポイントがあるといえるだろう。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「デューイによれば、「仕事」とは、個人に固有な力を「社会的な奉仕(サービス)」に調和させる、「目的をもった連続的活動」のことである。彼は、仕事や職業を、ある人にとって有意義なものが他の人にとっても有意義なものになる「社会的なサービス」と位置づけ、そのような活動を支えるプロジェクトの学びやリフレクションを教育に取り入れようとした。このことから、デューイの理論は、今日の大学や学校で広く導入されている「サービス・ラーニング」の方法を提示したというように論じられてもいる(唐木 2010)。それは、何か特定の職業に従事するのに必要な知識、スキル、態度を身につけることではなく、民主的な社会における知性や参加、教養の形成に主眼を置いたものだった。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「さらに、デューイと渋沢にはつぎのような接点もあった。渋沢は、一九一二年に、日本女子大学校の創立者で初代校長の成瀬仁蔵(一八五八─一九一九)らと一緒に帰一協会を設立した。帰一協会は、「万教帰一」という信念から、さまざまに異なる宗教の相互理解と調和を唱えた。宗教、人種、国民の違いを越えて、あらゆる多様性の調和と一致を探ることで、戦争や紛争を回避し、世界平和を推進しようとした。 成瀬仁蔵の思想に影響を与えたのが、ジェイムズやデューイのプラグマティズムである。成瀬は、一九一二年に帰一協会への協力を得るために渡米し、デューイと面会している。そこで、成瀬は、デューイに、日本女子大学校附属豊明小学校・幼稚園の子どもたちがつくった作品を贈呈した。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「デューイが来日した一九一九年前後の日本は、大正デモクラシーのただ中にあった。そのなかで、大正デモクラシーのリーダー的存在である吉野作造(一八七八─一九三三)とデューイとの接点も興味深い。新渡戸は、吉野と東京帝国大学で同僚であり、一九一八年に吉野が組織した黎明会(民本主義の啓発団体)のメンバーでもあった。 吉野は、一九一六年の「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」で、「民本主義」としての「デモクラシー」を提唱していた。彼の「民本主義」は、デモクラシーの訳語に「民主主義」の訳語を使用しないことによって、大日本帝国憲法のもとで、主権が人民にあるとする議論を回避し、主権の所在が君主か人民かについてはこれを問わず、一般民衆の「利福」と「意向」の尊重を強調するものであった。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「旧来の画一的、一方的な教授や、受動的で詰め込み型の学習を批判し、子どもの個性や関心、生活、経験、自発的活動、創造性、協同性、問題解決を全面的に取り入れた「子ども中心」の教育が隆盛をきわめた。それらは、一般に「大正新教育」あるいは「大正自由教育」と呼ばれている。一九一七年に澤柳政太郎が設立した成城小学校、二一年の羽仁もと子の自由学園、二四年の赤井米吉の明星学園、野口援太郎と教育の世紀社による池袋児童の村小学校、二九年の小原國芳の玉川学園の設立など、子どもの興味や自主性、生活を積極的に取り入れ、自由で活動的な学びと学校をつくる挑戦が広まった。 文部省の官僚だった澤柳が設立した成城小学校は、進歩主義教育者のヘレン・パーカーストが開始したドルトン・プランの理念に共感して設立された学校である。ドルトン・プランは、パーカーストがデューイやモンテッソーリの思想から着想を得て開始したものであり、「自由の原理」と「協同の原理」のもと、ハウス、アサインメント、ラボラトリーの三つから構成される学習プランである。このプランを取り入れた成城小学校でも、画一的な一斉授業よりも、子どもの個性が尊重され、子どもの興味や関心にそって学習を展開する自学自習が重視された。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「 『コモンの信仰』のなかで、デューイは「宗教」と「宗教的なもの」を区別している。それによって、宗教を絶対的、究極的、固定的な真理や制度としてではなく、知性や科学、経験、民主主義、コミュニケーションと連続する「コモンのもの」として理解しようとした。彼は、神を超自然主義的に解釈することには反対したが、無神論者だったわけではない。この点はよく誤解されてきたことだが、彼は無神論には異を唱えた。デューイは宗教を放棄して科学を擁護したのではなく、科学や知性と矛盾することのない「宗教的なもの」について考察した。宗教と科学を対立させる二元論に対する違和感は、若いころから一貫して保持されたものだった。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「一九三〇年代に文化への思索を深めたデューイは、アートを人びとが生きることと学ぶことの課題につなぎ、アート教育と民主主義を架橋する構想にも着手した。『コモンの信仰』と同じ一九三四年に出版した『経験としてのアート』( LW 10;デューイ 2010 b)で、アートを一般の人びとの経験やコミュニティ生活に関連づける視点を提供した。この著作は、三一年の春と秋にハーバード大学でおこなわれた一〇回の連続講義をもとに書かれたものである。この講座は、ウィリアム・ジェイムズを記念して設けられたものだった。 デューイがアート論の着想を得たのは、世界有数の芸術作品のコレクターで、デューイの友人でもあるアルバート・バーンズ(一八七二─一九五一)との交流をとおしてである。バーンズは、もともと薬学や実験化学の研究に関与し、アージロールという消毒薬の合成に成功して多大な利益を得た。それをもとに、一九二二年一二月、フィラデルフィア近郊のメリオンにバーンズ財団を創設し、印象主義やポスト印象主義などの絵画の蒐集に乗り出した。デューイはこの財団の教育部門の責任者となり、その経験をもとにアートに対する理解と関心を深めていった。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「第四は、アートを探究として認識し、反省的思考によるリフレクションを奨励したことである。デューイは、学習とは「思考することを学習すること」であり、教育の知性的な側面とは「反省的思考」を育成することであるという。ここで、「反省的思考」とは、不確実な困惑、混迷、疑問から、結果に向けて探究に従事することである( LW 8)。教育においては、子どもたちに、判断を保留し、疑い、証拠を求め、観察し、討論し、探究する習慣を形成することが求められる( MW 13)。アートは、完成した作品としてとらえられるだけでなく、そうした探究のプロセスとしても理解される。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「第五に、アートを「民主主義の文化的基盤」として位置づけたことである。デューイは、文学、音楽、絵画、演劇、建築を「文化の装飾品」としてしか見ない人が増えていることを憂えた。彼はまた、全体主義やファシズムの社会では、劇場、映画館、音楽ホール、画廊、スポーツ、娯楽が権力を維持するプロパガンダの一部になることを危惧している。そこでは、アートは、感性、欲望、感情への審美的な力をもつことで、「大衆の忠誠」を生むようにコントロールされるという。それに対して、デューイは、自由な文化と民主主義の基盤としてのアートの意義を強調した( LW 13;デューイ 1975 c)。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「ケーヒルが連邦美術プロジェクトをとおして意図したのは、一般の市民の日常的な経験やコミュニティ生活にもとづくアート政策を進めることであった。彼は、「アート」が、「才能のある人」のものや、「ときどき稀にできる傑作」であったりするのではなく、「いかなる文化計画にとっても重要な機能をもつ」ものであると表明した( Cahill 1936)。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「彼女によれば、オクラホマ市民に必要なのは、アートの経験を拡張し、アートの鑑賞と理解を豊かにすることであった。センターでは、アートの学びをとおしてコミュニティへの参加を誘うことが推進された。強調されたのは、教育施設としての役割であった。そのために、講演やワークショップ、無料のアート教室が開催された。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「デューイは、多様な人びとがともに生きる民主的な社会の形成を追求する視点から、アートを「民主主義の文化的基盤」として位置づけようとした。重要なのは、アートが、美術館やギャラリーの場だけに限定されるものではなく、人間の日常的な生活経験との結びつきから理解されたことである。そこには、アートを一部の特権的な階層の人のためのものにするのではなく、一般の人たちのためのものにするコモン・マンの思想があった。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「アートは、人と人をつなぐ自由な探究や想像的なコミュニケーションを促し、社会的、文化的な基盤としての役割を担うものであった。 先に触れたように、連邦美術プロジェクトにおいて、アートの公共性は都市空間だけで成立するものとは考えられていなかった。ケーヒルが意図したのは、アートの作品や学びに接する機会に恵まれない農村や郊外のローカルな地域で人びとのアートの機会を拡張することであった。デューイもまた、 WPAを支持する市民委員会の委員として、連邦美術プロジェクトを評価していた。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「論争は法廷に持ち込まれた。ニューヨーク最高裁判所のジョン・マックギーン裁判長は、ラッセルの教授就任撤回を求める原告の訴えの正当性を認めた。自由恋愛や婚前交渉、不貞行為、売春などのラッセルの記述は、学問の品位を欠く、道徳的に不適切なものであると判断され、ラッセルのニューヨーク市立大学への任用はニューヨーク市民に対する侮蔑であるとされた。 裁判に際し、デューイはラッセルを支持する活動を展開した。シカゴ大学学長のロバート・ハッチンス、哲学者のアルフレッド・ノース・ホワイトヘッド、物理学者のアインシュタイン、小説家のトーマス・マン、ホーレス・カレン、アルバート・バーンズ、フックらもラッセルを擁護した。多くの大学関係の連盟や学会、市立大学の教員と学生もラッセルの就任を支持した。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「たとえば、同性愛についての記述でデューイが注意を向けたのは、ラッセルが当時のイギリスの法律では、「小説であっても同性愛の知識を広めることはすべて違法である」だけでなく、男性間の同性愛だけを禁じる「法律を改正する議論を提示することも、議論自体はわいせつであるという理由で違法にはならないはずにもかかわらず、とても難しい状況である」と述べていることである。だが、法廷では、こうした主張の中身が取り上げられることはなかった。デューイにとって、裁判で十分な弁明の機会を与えられず、事実が適切に検証されないことは、正義に反することだった。 さらに、この問題の重要性は、思想や考え方の違いが相手を排除する理由にはならないという点にあった。大切なのは、異論を排除することではなく、それについて「公共的な議論」を促すことである。デューイは、「排除されるべき唯一のものは、議論を禁ずるドグマティズムと不寛容である」と明言している( LW 14)。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「すでに紹介してきたように、デューイは、今日の教育や学びの場で普及しているさまざまな実践、たとえば、アクティブ・ラーニング、探究的な学び、対話的な学び、協同的/協働的な学び、問題解決/課題解決学習、生活教育/経験主義、プロジェクト学習、ラボラトリー(ラボ)の学び、学び合い/学び続ける/学びを学ぶ、振り返り/反省的思考/リフレクション、批判的思考/クリティカル・シンキング、論理的思考/ロジカル・シンキング、横断的・総合的な学習、ワークショップ、サービス・ラーニング、主権者教育/シティズンシップ教育、多文化主義/多文化教育、平和教育、環境教育、 SDGsの学習、コミュニティ・スクール/専門家の共同体/学校・家庭・地域の連携とパートナーシップなどの思想的なルーツとなる人物として、あるいはそれらと深いかかわりのある人物としてみなされる傾向がある。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「私がデューイの教育思想の研究をはじめたのは、大学の卒業論文でデューイの人間形成論とコミュニケーションをテーマに執筆してからである。かれこれ、二五年も前のことである。私は、小学生のころに、アメリカ西部のオレゴン州の小さな町に両親と住んで、現地校に通い、それまでの日本での学校体験とはまったく異なる経験をした。そのときの経験が、アメリカの学校や学びの実践の根底にある民主主義と教育の哲学について研究したいという思いを駆り立ててくれた。それ以来、大学院での博士学位論文も含め、デューイや民主主義の教育思想と実践について研究し、折に触れて著書や論考でもその成果を公表してきた。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「しかし、これまでの私の研究では、デューイの思想を初期、中期、後期とそれぞれの時期にあわせて個別に焦点をあてて書いており、また彼の教育論、哲学や思想、芸術論もそれぞれにテーマごとで別々に発表してきた。今回、それらをもとに、デューイの生涯と思想について、より包括的な形でその全体像に迫る一冊の著書にまとめたいと考えるようになった。 したがって、本書では、デューイの思想を、それが生まれた政治的、社会的な文脈や思想的交流に着目しながら、なるべく広範囲に、かつ今日の先端的な教育の議論も視野に入れて記述しようとした。なかでも、デューイの思想が私たちの時代の教育に問いかける課題を中心に、彼がそれらにどう向き合い、どのように応答していったのかを論じるように心がけた。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「デューイは、九二年間の生涯で、約四〇冊の著書と七〇〇本以上の論考を書き残した。それらは、南イリノイ大学出版からデューイの著作集( The Collected Works of John Dewey, 1882-1953)として出版されている。国内では、これまでに数々のデューイの翻訳書が出版されてきたことに加え、現在、東京大学出版会より『デューイ著作集』(田中智志総監修)の刊行が進められてもいる。私もこれまでに、『学校と社会、ほか』(デューイ 2019 a)と『明日の学校、ほか』(デューイ 2019 b)の二冊の翻訳出版に訳者代表としてかかわっており、そのことが本書の執筆を進めるうえでも貴重な手がかりを与えてくれた。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「日本でも、一九五七年に発足した日本デューイ学会は、現在(二〇二二年七月時点)、約三二〇名の会員から構成され、個人の名前を学会名に冠する学会としてはきわめて大きな規模であるといわれている。同学会では、年一回の研究大会の開催やジャーナルの刊行のほか、二〇一六年に『民主主義と教育』刊行一〇〇周年記念を祝う動きが広まり、二〇二〇年に勁草書房より約五〇名の執筆者からなる『民主主義と教育の再創造──デューイ研究の未来へ』を出版するなど、精力的な研究が蓄積され、継承されている。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
「 このように、グローバル時代の今日、デューイの思想は、新たな脚光を浴びて、国際的に研究が進められている。それらは、世界のさまざまな国や地域で、学校と学びの改革に反映され、豊かな教育の実践と政策を支えてもいる。デューイの思想と背景をより深く知ることで、今日、広く浸透し流行している教育や学びのあり方を表面的に取り入れるのではなく、その根底にある思想、哲学、歴史に学びながら、教育について問い直す契機となることに貢献できれば望外の喜びである。」
—『ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学 (岩波新書)』上野 正道著
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難しかった!!けど学びもあった。ゆっくりゆっくり読まないと何が書いてあるか分からなくなってしまう。丁寧に読んだ。
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勉強し直しの本 基本から学ぶ教育の始まり。
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後半はともかく、前半については、無駄に難しく、かつ、とっちらかった印象を受けましたが、あとがきを読んで、著者のこれまでの経緯を知り、それらの理由が少し納得できました。
デューイについては、「現代の教育は、100年ほど前にデューイが考えていたことを、少しも超えられていないのではないか」という思いを持ち続けていたこともあり、図書館で見つけたこの本を、手に取りました。
デューイについては、その著書である『学校と社会』でしか知らなかったのですが、教科か子どもか、知識か関心か、科学か生活か、などの二元論を踏まえつつ、二律背反・二項対立を超える姿勢を持ち続けた人だったのですね。
そして、教育学者、というだけでなく、哲学者であり、民主主義について考え続け、啓蒙し続けた人だったのですね。
この本を読んで、デューイの考え方や生き方には、改めて感服しましたし、「デューイを超えられていない」という点については、その意を強くしました。
同時に、教育について、新しいとされている様々な動きがある現代は、まさにデューイを見直すべき時であると思いました。 -
探究の構造で、仮説と検証の間に、推論による仮説より精緻化があって、確かにな、と思った。仮説を精緻にすることで、検証後のリフレクションの質も上がる。
学ぶことは社会へ働きかけ、その反応を振り返ること。そして生きることはまさに瞬間瞬間で社会に働きかけ、反応を振り返る、そしてまた働きかける、という相互作用であり、すなわち、学ぶことは生きることである。というのが腹落ちした! -
お勧めします。新書の見本みたいに分かりやすく、かといって浅くない感じ。本業との兼ね合いでデューイがセツルメントに熱心だったことはぜひ覚えておきたい!
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お世話になった大学の学習支援センターの先生がデューイの話をしていたので読んだ
なかなか全部が飲み込めたわけじゃないけど、知性のあるべき姿勢として、二元的な対立を安易に認めないことって大事なんだなと
部分的なことだけど、思考の過程として、まずは判断を保留すること、これも大切にしたい
民主的な知性はどうあるべきなのか、考えるいいきっかけになった -
ジョンデューイのイントロとして
協同学習、ファシリテーション、総合的な探究の時間、ガートビースタ、対話、コミュニケーション、創発。これらは私の教育について関心事だが、これらの書籍の参考文献にあるのが共通してジョンデューイ。いつか彼について学んでみたいと思っていたが敷居が高かったが、新書になっていたのを見つけ読了。付箋ぎっしり。まだまだ理解まで程遠い読後感だが、なんとなくであるが、彼の生涯、彼の生きた社会的背景、彼の思想を表面的に理解することができた。 -
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行動主義
精神は行動することで変わる。
対話は当事者意識を生む。 -
いまさらだけどデューイはすごい。プロジェクト学習(PBL)もリフレクションもぜんぶ書いてある。というかこの時代にすでに実践している。なぜ今まで知らなかったのだろう。
演習が中心のデザインの教育は、世の中でPBLが注目されるずっと前からほぼプロジェクト型だったので、知識として知っていたら授業設計をするのがもう少し楽になったかもしれない。
そして、learning by doing(なすことによって学ぶ)がデューイのことばだったとは!という驚き。 -
【請求記号:371 デ】
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【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/778211 -
【背景】
①なぜ読むか
デューイについて、広く学びたいと思った。
②何を得たいか
デューイの生涯や活動の概要を知る。
③読後の目標
教育実践とデューイの思想を繋げる。
【著者】上野正道
【出版社】岩波新書
【感想】
デューイの中国訪問及びその影響に関する記述については、かなり興味をもって読むことになった。そういった影響を日本以外のアジアに与えているとは初耳だった。
経験主義は「這い回る」と揶揄されることもあるが、彼の目指した教育は決して這い回るようなものではなかった。
彼の目指す教育は、今日においても応用することが可能であり、今の時代だからこそ実践しやすい側面もあると思った。 -
これは必読だな。
宮台真司氏らの「経営リーダーのための社会システム論」ともどこかでクロスする。つまり、公共をどうするかという、実に古くて新しい、根本的でベタな大問題だ。 -
女子栄養大学図書館OPAC▼ https://opac.eiyo.ac.jp/detail?bbid=2000059953
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いままでのデューイについて書かれた本で、一番読みやすいものであったと思う。さらに、日本、中国。ソビエトへの訪問、ニューディールの批判、大統領選挙についてはほとんど語られたことがなかった。
学部生がいきなりこれを読むとよくわからないので、学校と社会のような薄い文庫本を1冊読んでからこの本を読むとよいであろう。
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著者プロフィール
上野正道の作品
