「音楽の都」ウィーンの誕生 (岩波新書 新赤版 1962)

  • 岩波書店 (2023年2月24日発売)
3.36
  • (1)
  • (6)
  • (5)
  • (1)
  • (1)
本棚登録 : 133
感想 : 23
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (254ページ) / ISBN・EAN: 9784004319627

作品紹介・あらすじ

ウィーンはいかにして「音楽の都」になったのか。十八世紀後半のウィーンでは、宮廷や教会などによる支援、劇場の発展、音楽教育の普及と聴衆の拡大、演奏会や舞踏会の展開など、多彩な要素が相互に作用しながら、音楽文化が重層的かつ豊かに形成されていった。膨大な同時代の史資料を駆使して描かれる「音楽の都」の実像。

みんなの感想まとめ

音楽文化の形成過程を深く掘り下げた本書は、ウィーンが「音楽の都」として成長する背後にある多様な要素を解明しています。18世紀後半のウィーンでは、宮廷や教会の支援、劇場の発展、音楽教育の普及が相互に作用...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ウィーン勉強本!開いてみるとマーラーとか云々の話の前に、という感じで、期待していたものとは違ったけど笑。でも知らない話ではあったので、勉強になりました。
    ウィーンは当時のロンドンやパリに社会経済的に遅れている側面もあり、遅れて何かが開かれているということは改めて知りました。

    第1章 「音楽の都」を誕生させた都市―ウィーンの社会、宗教、生活
    貴族、教会(カトリックとして、「民衆の識字率の向上を目ざす知育よりは、児童に教義と祈りを暗記させ、音楽を伴う礼拝、行事、行列などに参加させることを通じて、幼い心に信仰心を養うことが重視された」>知育や学問より、芸術を偏愛する市民の態度)、貴族に倣いたい市民

    第2章 権力者と音楽―ウィーンの皇帝、貴族、教会
    音楽家としての皇帝たち、宮廷楽団=ホーフカペレ

    第3章 ウィーンの劇場と音楽―オペラ、バレエ、ジングシュピール、ヘッツ
    ヘッツ=動物闘技場

    第4章 ウィーンの音楽教育と聴衆の形成
    第5章 音楽演奏の普及
    当時、ウィーンのような大都市において、厳然たる階級の違いを超えた真の社会的共同体の実現は、およそ望むべくもない幻想にすぎなかった。しかしながら、この都市においては、さまざまなレベルの音楽が後半にわたる社会階層間に相互にさようし、普及して行ったことによって、そうした幻想があたかも音楽文化に支えられて実現化したかに見えたのであった(p.178)

    第6章 舞踏会と公開演奏会の展開
    レドゥート=大規模の舞踏会。なかでもとくに仮面舞踏会のこと。

    終章 「音楽の都」誕生の後
    …ホーフカペレふかぺれの勤務形態の改革、貴族に仕えた楽団の雇用条件の変化、劇場とホールの運営の民営化、音楽教育の普及と多様化、楽器制作・販売量の上昇、ダンスとコンサート文化の飛躍などにより、ウィーンの音楽文化は十八世紀後半までに、大きな構造転換を遂げた。とともに、それまではもっぱら社会の権力者たちが享受していた文化は、一般市民にも開かれてゆき、中産階級や下層民も以前には縁のなかった音楽ジャンルに参入するようになった。(p.208)

  • ウィーンがなぜ音楽の都になったのか?バッハ、ヘンデルたちはそれぞれ他の町で活躍していたし、イタリアがバロック音楽やオペラなど音楽先進国だった。グルックはパリ、ハイドンはロンドン、モーツアルトはプラハで、サリエリはミラノすでに成功していたが、彼らの時代から既に音楽の都となり、この人たちやベートーベン、シューベルトなどを引き寄せた町だった。ハプスブルク家の皇帝一族や上流階級だけでなく、一般市民にまで音楽が愛されるようになったその時代背景を庶民レベルの音楽教育の状況などまで触れて解説してくれており、目が開かれる思いであった。北ドイツの諸都市が疲弊した七年戦争(1756~)も影響したというが、欧州の都市では類を見ないような民族構成の多様性、ハプスブルク家の皇族たちの音楽的才能を発揮したこと、ウィーン市民の社交ダンス熱などが、関係ありそうに感じた。ドイツ語圏でウィーンだけが、学問より芸術がはるかに深く尊敬、評価、支援され、文豪・哲学者はウィーンからは出ていない!とは気が付かなかったが面白い。絵画分野でもクリムトを始め、著名画家が多いという。

  • 【請求記号:234 グ】

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/787275

  • 日帰り帰省、往復の車中で読了。

    現在にも続く、音楽の都=ウィーンのイメージ。
    19世紀後半に、ドイツ・ナショナリズムの一面として形成された。
    本書は、そのナショナリズムの中での形成過程ではなく(きっとそれはすでに研究があるのだろう)、時間を17~18世紀まで巻き戻し、この街の音楽文化を解きほぐしていく。

    どちらかというと、都市としてはウィーンの同時代のヨーロッパにあっての後進性が浮き上がる。
    パリやロンドンとの違いとして冒頭部分に挙げられるのが、市街区の小ささから、同じ建物に割と広い階層の人々が密集して住んでいたという条件。
    これが社会階層が異なる人々にも、音楽が共有されやすい基盤になったという指摘が面白い。

    皇帝一家もそれぞれが音楽を嗜むが、ローマ教皇の命を受け入れ、宗教音楽が音楽として自立する動きを牽制する。
    18世紀後半には、音楽文化を庇護してきた宮廷・教会・貴族たちも力を失う。
    劇場、バレエもその動きに翻弄される。
    それ以外にも作曲家、演奏家も職を失い、音楽教師が大量に供給されることになる。
    こうして、ウィーンでは召使の娘でさえ、ピアノを弾くという状況が生まれていく。

    音楽が「業界」となるうえで、教育と楽譜出版、楽器制作にも目配りされている。
    ただ、楽器制作は14世紀から始まっているとされていて、なぜ19世紀ウィーンで、開発競争のようにピアノ製作が盛んになったのかはあまり書かれていなかった。
    これも類書があって避けたのか、とも思うけれど、どちらかというとそこに関心があったので、残念。

    享受の場として、劇場はもちろん、音楽サロンと舞踏会が入っているのは、自分にとっては目新しかった。
    上層階級は、社交範囲も限られ、音楽の楽しみ方も保守的だが、それ以下の人々には割と平等に音楽が楽しまれる機会が開かれていたという。
    音楽文化を享受する裾野の広がりが大変なことになっている。
    現在の高踏的な「クラシック」とはまた違う様相が見られて面白い。

    そういえば、「クラシック」のドイツ語、「クラシッシュ」は、19世紀前半では「模範」「不滅の価値がある」程度の意味合いであって、特定の音楽スタイルや作曲家の作品を指すものではなかったことも、本書に教えてもらった。

  • なんか期待していた内容とは随分違った。こちらは古楽というものをほとんど聞かないから、前提となる知識がさっぱりない。なもんで、出てくる名前が初めて聞くようなものばかりで、かなり流し読みになってしまった。
    最後の段落「ウィーンが再び音楽史に重要な役割を演じるのは19世紀後半のことになろう。ドイツのブラームス、リンツのブルックナー、スロヴェニアのヴォルフ、ボヘミアのマーラーなどが皆ウィーンに渡来し、後期ロマン派の音楽文化の土台を築き上げることになる。しかし、それは「音楽の都」の誕生とは全く別の話といわなければならない。」
    いや、そこを読みたかったんです。

  • 東2法経図・6F開架:B1/4-3/1962/K

  • 234.6||Gr

  • やっぱり芸術には保護者が必要なんだ。
    そのうえで芸術家が保護者に隷属していない環境になれば最高なんだけど、最高の期間は短い。
    ウィーンは宮廷が音楽を愛したから作品を求められた。だから作曲家が集まってきたのだけど、実はその期間は短い。
    かのベートーヴェンでさえ、自らが作りたい音楽と聴衆が求める音楽とのギャップに悩んでいた。けど今も残っているのは作者が作りたかった作品なんだよね。

  • 登録番号:0142020、請求記号:762.346/G87

全14件中 1 - 14件を表示

この本が好きな人におすすめの本

ジェラルド・グローマーの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×