トルコ 建国一〇〇年の自画像 (岩波新書 新赤版 1986)

  • 岩波書店 (2023年8月21日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (286ページ) / ISBN・EAN: 9784004319863

作品紹介・あらすじ

オスマン帝国崩壊と過酷な独立戦争を経て、世俗主義の国家原則をイスラム信仰と整合させる困難な道を歩み、共和国建国一〇〇年を迎えたトルコ。度重なる軍事クーデタ、議会政治の混乱、膠着するEU加盟問題、未解決のクルド問題など様々な課題に直面しつつ、新たな自画像を模索した波乱の過程をトルコ研究の第一人者が繙く

みんなの感想まとめ

トルコの複雑な歴史と現状を深く掘り下げたこの作品は、オスマン帝国の崩壊から共和国建国100年に至るまでの波乱の過程を描いています。著者は、トルコが直面する多様な課題—軍事クーデタ、EU加盟問題、クルド...

感想・レビュー・書評

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  • イスラム専門家・内藤正典教授が明かす「トルコ政府が用意した人質交換シナリオ」|日刊ゲンダイDIGITAL(2015/03/09)
    https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/157798

    グローバル社会研究クラスター(内藤 正典)|教員一覧|教員紹介|同志社大学 グローバル・スタディーズ研究科
    https://global-studies.doshisha.ac.jp/teacher/teacher/naito.html

    トルコ 建国一〇〇年の自画像 - 岩波書店
    https://www.iwanami.co.jp/book/b629855.html

  • 親日国として知られるトルコ。イスタンブールやカッパドキアなど、馴染みのある場所も少なくない。しかし、どれだけ等身大のトルコを知っているだろうか。

    トルコ人の友人がいるが、今のエルドアン大統領は、彼にはどう映っているのだろうか?もし自由が制限されている国なら、本音を聞くのは難しいだろうし。クルド人を抹殺しようとしている国では?新聞で時事トピックスの表面ヅラを読むだけで何も分かっちゃいない。しかし興味がそそる国の一つだ。

    この本を読んで、いかに欧米系のリソースに偏った見方をしてきたのかが分かった。(イスラムに対する、ある意味ネガティブなイメージを持つ西側のニュースを読んでいれば、このような色眼鏡で見てしまうのは当然なのかも知れないが)

    あとがきにもあるが、
    2023年5月の大統領選挙では、日本でも報道はエルドアン政権への批判で溢れたが、そのほとんどは、欧米での反エルドアンの論調の焼き直しだった。日本のメディアには、ウクライナ戦争に関連して「NATO加盟国として責任を果たせ」と、アメリカになり代わってトルコに説教する論調も目立った。投票率が85%に達したトルコに説教するよりも、まず日本人の選挙への無関心をなんとかすることの方が、よほど重要ではないだろうか。

    本書を貫くモチーフは、西欧世界から向けられる蔑視や嫌悪とトルコが自ら行ってきた改革との関係であった。
    エルドアン政権の最初の10年は、教条的な世俗主義を採る司法と軍部による政治介人との闘いだった。外から見て、イスラム主義を支持する、支持しないを言うのは自由だが、国の政治を決めるのは国民の意思である。今のトルコにはその意思を表明する自由がある。とあった。

    開かれた国であること、どこかの国のような自己主張のない国でもないことが理解出来た。
    またオスマントルコの敗北においては欧米列強に翻弄された国ではあったが、逞しく国造りをしているとポジティブな印象を持った一方、欧米追随の見方は改めるべきだと、再認識した。

  • 「トルコ 建国100年の自画像」内藤正典著、岩波新書、2023.08.18
    268p ¥1,100 C0236 (2023.11.13読了)(2023.11.03借入)
    近年、トルコとエルドアン大統領がニュースによく登場するようになっています。
    1923年のトルコ革命から今年が百年目ということで、トルコに関する本がいくつか出てきました。図書館にいったときに新館のコーナーにこの本があったので、借りてきました。
    年表を見ると、1952年にトルコは、NATOに加盟しています。1959年には、EECに加盟申請、1987年には、ECに加盟申請、1995年には、EUの関税同盟に合意(1996年に参加)、2004年には、EUに加盟するためのコペンハーゲン基準を達成。2023年現在、EU加盟はまだ認められていない。

    ●トルコとイスラム(123頁)
    トルコは、1923年の建国後から、段階的に、イスラムと国を切り離し、1937年の憲法で明確に「世俗の国家」をうたった。建国の翌24年の最初の憲法では「イスラムは国教」だった。ただし、この年には最後のカリフを廃位させ、シャリーア法廷を廃止、26年には世俗法の民法を制定、28年には「イスラム国教条項」の削除、34年には女性参政権を承認、37年に憲法で「世俗の国」を宣言したのである。
    ●クルド人の望み(191頁)
    多数のクルド人は別の国をつくることなど望んでおらず、彼らの希望は母語の使用、就業機会の増大、平等な処遇にある

    【目次】
    はじめに――トルコの「表の顔」
    第1章 トルコの地域的多様性――沿岸と内陸
    第2章 1990年代──不安の時代
    第3章 エルドアン政権への道──障壁と功績
    第4章 EU加盟交渉の困難な道のり
    第5章 世俗主義をめぐる闘い──軍部と司法の最後の抵抗
    第6章 エルドアン政権、権力機構の確立──権力の集中はなぜ起きたか
    第7章 揺らぎなき「不可分の一体性」と民族問題──クルド問題の原点と和解プロセスの破綻
    第8章 直面する課題──いかにして難題を乗り切るか
    終章 建国100年の大統領
    あとがき
    関連年表

    ☆関連図書(既読)
    「古代への情熱」シュリーマン著・村田数之亮訳、岩波文庫、1954.11.25
    「埋もれた古代帝国」大村幸弘著、日本交通公社、1978.04.01
    「鉄を生みだした帝国」大村幸弘著、NHKブックス、1981.05.20
    「古代アナトリアの遺産」立田洋司著、近藤出版社、1977.01.10
    「埋もれた秘境 カッパドキア」立田洋司著、講談社、1977.10.30
    「トルコ史」ロベール・マントラン著・小山皓一郎訳、文庫クセジュ、1975.10.10
    「スレイマン大帝」三橋冨治男著、清水書院、1971.09.20
    「シルクロードの幻像」並河萬里著、新人物往来社、1975.03.10
    「地中海 石と砂の世界」並河亮著、玉川選書、1977.12.25
    「トルコという国」大島直政著、番町書房、1972.08.30
    「遊牧民族の知恵」大島直政著、講談社現代新書、1979.06.20
    「遊牧の世界(上)」松原正毅著、中公新書、1983.03.25
    「遊牧の世界(下)」松原正毅著、中公新書、1983.03.25
    「オリエントから永遠の都へ」大島直政・加藤久晴著、日本テレビ、1983.08.19
    「ケマル・パシャ伝」大島直政著、新潮選書、1984.05.20
    「トルコ民族主義」坂本勉著、講談社現代新書、1996.10.20
    (アマゾンより)
    オスマン帝国崩壊と過酷な独立戦争を経て、世俗主義の国家原則をイスラム信仰と整合させる困難な道を歩み、共和国建国一〇〇年を迎えたトルコ。度重なる軍事クーデタ、議会政治の混乱、膠着するEU加盟問題、未解決のクルド問題など様々な課題に直面しつつ、新たな自画像を模索した波乱の過程をトルコ研究の第一人者が繙く

  • 2025.11.20
    この30年のトルコがよくわかる良書
    トルコは親日国なのだし、もっとトルコとうまくやったほうがよいと思う。日本国内ではクルド人の問題もあるが東海地方ではさほど話題となっていない。

  • トルコって何でEU加盟したがってるんだろう。イスラム教プライド、オスマン帝国が昔凄かったプライド無いのかね?アヤソフィアとかのモスク凄いのに、キリスト教連盟に入れて欲しがる意味が分からない。もっとイスラム教にプライド持てよ。

    内藤 正典
    (ないとう まさのり、1956年9月29日- ) は、日本の社会学者・地理学者。専門は多文化共生論[1]、国際移動論、現代イスラーム地域研究。同志社大学大学院グローバルスタディーズ研究科教授、一橋大学名誉教授。学位は博士(社会学)(一橋大学)。日本中東学会会員。専門はトルコの国際関係、特に西ヨーロッパにおけるムスリム移民の研究、9・11以降はイスラムと西欧世界との関係、現代トルコの政治と社会。80年代まではシリアを中心としたアラブ地域での研究を行ってきたが、政治的な事情でヨーロッパ在住ムスリム移民研究を始める。9・11以降は西欧とイスラームの衝突を抑止するための研究を、近年はイスラーム法学者の中田考とともに日本を含めた非イスラーム社会のゼノフォビア、イスラーモフォビアに関する著作も発表している。東京都生まれ。
    学歴
    編集
    1975年 東京教育大附属駒場高校卒業、東京大学理科二類入学
    1979年 東京大学教養学部(科学史・科学哲学分科)卒業。東京大学大学院理学系研究科地理学専門課程進学
    1981年 同課程修了。修士(理学)。同博士課程進学、のちダマスカス大学文学部へ留学[2]。
    1982年 東京大学大学院理学系研究科地理学専門課程(博士課程)中退
    1997年 一橋大学より博士(社会学)の学位を取得。学位請求論文は『アッラーのヨーロッパ:移民とイスラム復興』[3]。
    研究歴
    編集
    1982年 東京大学教養学部人文地理学講座助手(文部教官採用)
    1986年 一橋大学社会学部社会地理学講座専任講師(文部教官、配置換)
    1989年 同助教授。
    1990-92年、トルコ共和国アンカラ大学政治学部客員研究員。
    1997年 一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻教授。
    2010年 同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。
    2020年 一橋大学名誉教授[4]。




    「 北の黒海はトルコ語でカラ・デニズ( Kara Deniz)というが、文字通り、黒い海の意味である。「黒い」という呼称の由来については諸説ある。夏にはさほど感じないが、秋から冬にかけて、この地域は雨季にあたり天気が悪い。その時期にこの海を眺めると、たしかに灰黒色で「黒い海」という感じがする。冬に雨が降り、夏は乾燥するのがトルコ全域にわたる気候特性である。黒海沿岸地域は、そのなかでも年間降水量が多い。さらに、東西に長い沿岸の東部では、より降水量が多く年間で二五〇〇㎜に達し、西部では一〇〇〇㎜、中部では八〇〇㎜程度とされている。雨と霧がこの海の沿岸を特徴づけているのだが、東に行くにつれ、一年中、いつでも雨が降るのに対し、それ以外の地域では、雨は夏に少なく、秋から冬に多い。  雨が多いために緑が多いことは、黒海沿岸地域に特徴的な景観をつくりだしている。アナトリア半島の内陸部、西部、東南部はいずれも乾燥していて、日本的な濃厚な緑を見ることは少ない。黒海沿岸には平野部は少なく、背後の山は、低いところで栗やプラタナスの木々からなる森があり、高いところに行くにつれ、松や樅などの針葉樹が増える。東部のリゼ周辺の斜面は茶の栽培が盛んで、トルコのチャイの茶葉は主にこの地域の産である。畜産についても、黒海沿岸はトルコの他の地域と大きな違いがある。羊よりも牛の飼育が盛んなことである。そのため、食文化でも牛肉が中心で、油脂もオリーブ油よりもバターを使う。パンも小麦のものだけでなく、トウモロコシを挽いた粉でつくる独特のものがある。」

    —『トルコ 建国一〇〇年の自画像 (岩波新書)』内藤 正典著

    「南のブルサも工業生産の中心で、県内に一七の工業団地をもつ。繊維、建設、食品、機械、電気・電子など、集積している部門は多岐にわたる。繊維は、絹織物が原点で、市内の古いハーン(隊商宿、キャラバン・サライ)には、イペキ・ハーン(絹のハーン)やコザ・ハーン(繭のハーン)の名前をもつところがあり、今でも繊維製品を商っている。一九世紀の半ばには三七の製糸工場と五〇〇〇軒にのぼる機屋があったという。現代では衰退したが、いまはブルサ市が中心となって桑の栽培から養蚕、そして製糸と織物まで再興している。  ブルサは、オスマン帝国最初の都が置かれた歴史的な都市でもある。イェシル・ブルサ(緑のブルサ)と呼ばれるように、気候は温暖で年間降水量も七〇〇㎜程度、平均の湿度も六七%と乾燥していない。気温は夏でも三〇℃前後までで、地中海沿岸や東南部ほど高温にはならない。町の南には二五四三 mのウルダーという山があり、マルマラ地域では最も高い。トルコ有数のスキーリゾートとしても知られている。山麓には堂々たる湯量を誇る温泉(カプルジャ)がある。トルコの温泉には基本的に温水プール型と伝統的な公衆浴場がある。公衆浴場ではタオルを身に巻き付けて入浴するのが作法で、全裸になってはいけない。」

    —『トルコ 建国一〇〇年の自画像 (岩波新書)』内藤 正典著

    「エーゲ海地方は、経済的な先進地域である。機械、化学から家具まであらゆる工業が集積している。歴史的には、オリーブ油の生産やブドウからのワイン生産のように、農産加工が盛んな地域だった。今でも花卉園芸や種苗生産の拠点である。他に、繊維産業も盛んで、ヨーロッパの高級ブランドの生産拠点がイズミールにはいくつもある。  農産物としては、オリーブ、ブドウ、イチジク、そしてイズミールからさらに西のチェシュメ半島ではアーティチョークの栽培が盛んである。日本に輸入されている干しイチジクの多くはイズミール産である。オリーブは秋に収穫し、搾る。大規模な工場もあるが、農村では共同の搾り場に持ち込んで自家用の油を搾る家も多い。このような精製しないオリーブ油は、非常に香りと味が強く、日本人向きとは言えないが、野菜や魚料理にかけると個性を発揮する。  アーティチョークは八月末に種をまき、乾燥しているときには水を十分に与える。あとは冬の雨季をへて早春二、三月に収穫する。つぼみを茹でて、葉のようなガクを剝き、花芯の部分をオリーブ油とともに食べる。フランスではガクの元を歯でそぎながら食べるが、トルコの人はもっぱらガクのところを食べる。ずいぶん効率の悪い作物だが、茹でたアーティチョークは百合根のようにほくほくした味わいがあり、春先の季節ものとして高値で取引される(章扉写真)。  夏は乾燥しているが、北風(ポイラズ)が吹くので爽快である。逆に冬は、ねっとりと湿気を含んだ南風(ロドス)が吹いて雨をもたらす。この気候が夏の乾燥からは想像もつかない豊かな恵みをエーゲ地方にもたらしている。漁業も盛んだが、目の前の島もギリシャ領であるから領海は狭く、沿岸での漁が中心となる。有名なリゾート、ボドルムの向かいにはギリシャ領ドデカネス諸島のコス島があるが、わずか四キロしか離れていない。イズミールから西に向かってチェシュメ半島を進んだ突端には、チェシュメという町がある。その沖合一三キロには、ギリシャ領ドデカネス諸島のキオス島がある。」

    —『トルコ 建国一〇〇年の自画像 (岩波新書)』内藤 正典著

    「【コラム】  トルコ憲法にみる国のかたち  トルコという国は、「一体性」を絶対的に重視する。前身のオスマン帝国が第一次世界大戦で敗北し、領土を分割されるなか、徹底抗戦して今の共和国を建てた。そのため、憲法前文は「トルコの国土と民族の永続的存在と崇高なるトルコ国家の一体不可分性を規定するこの憲法」という文言で始まる。  現在の憲法は、 1980年のクーデタ後の軍事政権によって 1982年に制定されたが、 2000年代の初期に、民主化、人権、法の支配などを前進させるために、条文の削除、修正、追加が行われた。ここでは、国家の基本的性格を規定する条文( 2023年現在)の一部を紹介する。第 1部  一般原則 Ⅰ  国家の形態第 1条  トルコ国家は共和国である。 Ⅱ  共和国の基本的性格第 2条  トルコ共和国は社会の平安、国民の団結と公正の理解に基づいて、人権を尊重し、アタテュルクの民族(国民)主義に従い、前文で規定した基本原則に依拠する民主的、世俗的、社会的な法治国家である。 Ⅲ  国家の統一性、公式言語、国旗、国歌、首都第 3条  トルコ国家は、その国土及び国民と不可分の統一体である。言語はトルコ語である。国旗は法で定められた深紅色の地に白い月と星の旗である。国歌は「独立行進曲」である。首都はアンカラである。」

    —『トルコ 建国一〇〇年の自画像 (岩波新書)』内藤 正典著

    「当時の国内状況は、トルコ全体をとらえて言うならば、政治、経済、社会のすべてが混迷のなかにあった。一九九〇年代の前半がいかにひどい時代だったかを、簡単に振り返ってみよう。  一九九〇年一〇月、アンカラ大学イスラム神学部のバフリエ・ウチョク准教授が家に届いた小包爆弾で暗殺された。彼女はヒジャーブ(ムスリム女性の被り物、後掲イラスト参照)着用について女性の義務とは言えない等の発言でイスラム勢力から脅迫されていた。女性でイスラム神学部の教員を務め、かつ、本人はヒジャーブを着用しないことで、リベラルなイスラム学者とされていたが、保守的なムスリムからは嫌われていた。犯人不明。」

    —『トルコ 建国一〇〇年の自画像 (岩波新書)』内藤 正典著

    「もちろん、トルコの憲法は女性の服装を規定していない。単に、トルコ共和国は「世俗」の国だと規定している。当時の刑法三一二条は、宗教を理由に社会の分断を図ってはならないとしていた。しかし、被り物が社会を分断し、世俗国家を破壊するというのは無理がある。国家がイスラム法を唯一の法体系とするなら、被ることを義務にする。イランやアフガニスタンのタリバン政権はそれを強制している。しかし、逆に、世俗国家だと宣言する場合に、着用を禁じることができるかどうかは自明とは言えないのである。  ちなみに、この問題は、トルコがフランスの世俗主義を模倣したことと関係が深い。フランスも世俗主義を採用し、公的な空間で宗教的な「印」を身に着けることを禁じる。フランスの場合、ヨーロッパにあって、啓蒙主義の流れの中で、教会から離れ、宗教からも離れていくなかで、この原則を立てた。しかし、ヨーロッパの他の国々は、個人が宗教的な「印」を身に着けて公の場に出ることを禁止していない。ムスリムの国で唯一、フランス型の規制をかけてしまったことが、トルコにとって重い課題となったことだけは確かである。」

    —『トルコ 建国一〇〇年の自画像 (岩波新書)』内藤 正典著

    内藤正典「トルコ」(岩波新書、2023)を読む。100年前に長くイスラムの地であったトルコが世俗主義の国家としてスタートするが、その後も西欧的価値観とイスラムの伝統との間に確執が生じていくところは日本も他人事ではないなと思った。それでもトルコはEU加盟を望む親西欧の国なのが興味深い。

    内藤正典『トルコ』岩波新書
    #読了
    英国は石油利権を理由にローザンヌ条約でオスマン領東部をトルコから切り離した。トルコ人にとってこれは憎むべきことであった。かつクルド人にとってもセーブル条約の通りクルド人国家が出来ていたほうが幸せだったのではないか。

    「一九七五年六月一二日、ギリシャが E ECへの加盟を申請し、八一年一月一日に認められた。この時期から、トルコがヨーロッパ・ファミリーの一員になろうとすると、高度に政治的な問題が障壁として立ち塞がるようになる。  一九七四年、トルコはキプロスに出兵し、島の北半分を事実上占領した。その直前に、ギリシャの軍事政権の意を受けたギリシャ系キプロスの極右武装組織 EOKAがクーデタを起こし、大統領だったマカリオス三世を追放した。その状況下で、トルコ系住民への大虐殺が起きるのは必至とみられていた。  この問題についてイギリス政府からも、アメリカ政府からも支援を得られなかったトルコ政府は、軍を出してギリシャ系キプロスの国家防衛隊やギリシャ軍と交戦し、島の北部を制圧した。旧宗主国のイギリスが登場するのは、一九五九年のチューリッヒ・ロンドン協定によって、キプロス問題については、イギリス、ギリシャ、トルコの三国が「保証国( guarantor states)」となることが決まっていたことと、イギリスはいまだにキプロス島内に二か所、直轄の軍事基地を持っていたからである。だが、ギリシャ系とトルコ系との大規模な戦闘を収拾するだけの力を、当時のイギリスは持っていなかった。」

    —『トルコ 建国一〇〇年の自画像 (岩波新書)』内藤 正典著

    「 トルコの EU加盟交渉中断には、政治的側面が大きく作用していた。二〇〇五年一一月、トルコの加盟を強く推してきたドイツのシュレーダー首相が、加盟交渉開始の直後、選挙に敗れて首相を退任した。代わって首相となったアンゲラ・メルケルは、一貫してトルコの正式加盟には否定的で、オーストリアやフランスが主張する「特権的同盟関係」にとどめるべきだと主張することになる。フランスも、シラク大統領は力を失い、二〇〇七年にはニコラ・サルコジが大統領に就任する。彼もまた、トルコの加盟には否定的だった。  トルコは、もちろん、「特権的同盟関係」の提案を拒否した。 EUには、加盟国というステイタスしかない。トルコが初めて「特権的同盟関係」を受け入れるなら、それもまたアキ(蓄積)の一ページとなっただろう。しかし、二〇〇五年の交渉開始の時点で、一九六三年の協議再開から四二年も待ち続けたトルコは、ここでセカンド・クラスのステイタスを作ってやると言われて応じることなどありえなかったのである。」

    —『トルコ 建国一〇〇年の自画像 (岩波新書)』内藤 正典著

    「トルコは、二〇〇二年以来、大変な勢いで改革を進めた。なにより重要なのは、トルコ国民にとっての EU加盟の意味が劇的に変わったことである。それまで、 EU加盟はトルコのエリート層、イスラム嫌いで親西欧の世俗主義者の「見果てぬ夢」だった。それが、大都市だけでなく、地方の農業従事者、漁業従事者、酪農従事者をはじめ、あらゆる産業で働く労働者の希望、言い換えれば国民の希望へと変わったことである。」

    —『トルコ 建国一〇〇年の自画像 (岩波新書)』内藤 正典著

    「トルコは世俗の国である。世俗の国というのは、第一に国が宗教的な規範を国民に強制しない。トルコでは世俗主義のことをライクリキ( laiklik)と言う。本書でも、他に適当な訳語がないので世俗主義と書くが、世俗主義と言っても内容にはかなり幅がある。日本の憲法でも規定している政教分離も、世俗主義に基づく原則の一つである。  トルコの世俗主義は、かなり厳しい。ムスリムが圧倒的多数を占める国で世俗主義を適用するのは、最初から、ひどく困難だった。そもそも、トルコ語には世俗主義に相当する単語はなかった。ライクリキという単語も、フランス語のライシテ( laïcité)からの借用である。根本的なところで、イスラムの教えは世俗主義と両立できない。  イスラムでは、超越的絶対者であるアッラー(唯一神)は、森羅万象、もちろん人間社会のあらゆる細部にいたるまで、あるいは個々の人間の運命にいたるまで、すべての現象を支配し、決定する存在である。そのアッラーの手が及ばない領域を人間社会につくりだすのが世俗主義という思想である。アッラーが関与できない領域というのは、立法、行政、司法、公教育など「公」の領域である。当然、国家もそれに含まれる。」

    —『トルコ 建国一〇〇年の自画像 (岩波新書)』内藤 正典著

    「 ◉西欧諸国でも数百年の論争を経て、世俗主義は議論の主題ではなくなり、いくつかの西欧の国の憲法では、その重要性を改めて論じるまでもないほどのものと理解されている。  ◉トルコは人口の大半をムスリムが占めるにもかかわらず、世俗主義を憲法に採用した最初の国である。  ◉ヨーロッパで最も多数のムスリム人口を擁するフランスにおいて、ムスリム女性の被り物は学校と公共の場で禁じられている。ドイツにおいては、いくつかの州で禁止され、またいくつかの州では禁止のための議論が行われている。スイス、ベルギーでも類似の禁止があり、最近ではスペインやオランダでも被り物の禁止が決定されている。」

    —『トルコ 建国一〇〇年の自画像 (岩波新書)』内藤 正典著

    「 一九九〇年代、まさにイスラム主義政党が台頭しつつあったころ、共和人民党や同系統の左派政党の支持者たちがいかに保守的なムスリムを蔑視していたか、よく覚えている。被り物を着用する女性をカパル( kapalı) =視野が閉ざされているという差別的表現で呼ぶことは日常的であった。保守的な女性が黒衣を身に着けていると暑苦しくて不潔で、そばに寄りたくないと公言する女性教授もいた。国立大学では、あんなものを身に着けていたら自分の講義には絶対に出席させないと言う教授もいた。これらはすべて、私自身が見聞きした範囲の話である。」

    —『トルコ 建国一〇〇年の自画像 (岩波新書)』内藤 正典著

    「一九六〇年、クーデタ後の軍事政権の方針で、クルド人に対する同化政策は強化された。クルド人だと自認している人びとをトルコ人化するというのである。そのためにはクルド人の多い地域にトルコ人を移住させ、クルド人を排除するという、人口構成の強制的な変更をも含んでいた。イランとイラクの国境地域は、隣国のクルド人と連携する可能性があるため、国境地域のトルコ人化は特に強化するべきとされた。同化に積極的なクルド人には高等教育の機会を与えるため、村の学校から職業訓練校にいたるまで、拡充を図ると同時に、トルコ人化教育を徹底させた。同時に、世界の知識人やジャーナリストに対して、トルコにはクルド人問題は存在しないというプロパガンダを徹底させる政策をとるようになる。この流れのなかで、クルド人を「山のトルコ人」と呼び、クルド語はトルコ語の一方言にすぎないという言説を国家が強化していった。かつてアルメニア人の住んでいた村、クルド人の住んでいる村の名前をトルコ語に変更させるための法制化も一九六一年になされた(法一五八七号、一九六一年一月五日付)。」

    —『トルコ 建国一〇〇年の自画像 (岩波新書)』内藤 正典著

    「①アヤソフィアはオスマン帝国以前にはビザンツの教会であり、トルコ共和国においては博物館としてキリスト教美術を残していた。にもかかわらず、モスクに「転用」して日常的に礼拝に使うのは、キリスト教世界に対する挑発であり、異なる宗教文明の共存を否定するものである。 ②モスクへの「転用」によって、壮麗なモザイクをはじめキリスト教美術の作品群が毀損される恐れがある。 ③ユネスコの世界文化遺産に登録された施設であるのに、宗教施設に「転用」するのは人類共通の文化遺産としての世界遺産の趣旨に反する。 ④トルコ共和国の国是である「世俗主義」の憲法原則に反し、トルコがイスラム国家に傾斜するという懸念。  これらの批判には共通点がある。アヤソフィアのモスクへの転用は、最高行政裁判所の判決に基づいていたにもかかわらず、その判決の内容は一切検討されていなかった。」

    —『トルコ 建国一〇〇年の自画像 (岩波新書)』内藤 正典著

    「国家とイスラムとの関係には、オスマン帝国とトルコ共和国の違いが最も鋭く現れる。しかし、イスラムを公的な領域から排除したのは建国一四年後の一九三七年のことだった。一九二四年の最初の憲法では、トルコは共和国であり国教はイスラムと規定していた。一九二八年の改正で国教の文言が削除され、一九三七年の改正でトルコは「世俗的( laik)」な国家と規定されたのである。  それ以降、トルコにとって世俗主義(ライクリキ、 laiklik)は国家イデオロギーの主柱となったが、実は、世俗主義とは何かについて憲法は細かく規定していない。その結果、イスラムが公的領域において可視化されてはならないという点が、建国の父ムスタファ・ケマル・アタテュルクが決めた国家の絶対的な原則として強調されたのである。」

    —『トルコ 建国一〇〇年の自画像 (岩波新書)』内藤 正典著

    「アヤソフィアをモスクに戻すことを求めた本件の原告は、「常設ワクフ、歴史遺産および環境奉仕協会」という保守的なイスラム団体である。被告はトルコ共和国首相府(大統領制への移行に伴い現在は存在しない)である。原告の訴えは、一九三四年一一月二四日付、二/一五八九号閣議決定によって、ファーティヒ・スルタン・メフメット・ワクフのワクフ施設の一部とされていたアヤソフィア・ジャーミー(ジャーミーはモスクのこと)がモスクから博物館に転用されたのは違法であり、モスクに戻さなければならないという趣旨であった。  その理由として原告は、この閣議決定にあるムスタファ・ケマル(初代大統領アタテュルク)の署名の真贋に疑義があること、閣議決定によってアヤソフィアが博物館にされると同時にワクフ財源であった商業施設等を破壊したことの不当性、ユネスコによって世界遺産に指定されたことがモスクとしての使用を妨げるものではないことなどを挙げた。」

    —『トルコ 建国一〇〇年の自画像 (岩波新書)』内藤 正典著

    「ドイツをはじめ EU諸国では、トルコでのバカンスが相対的に安く、インフラも急速に整ったため、高い関心を呼んだ。いまでも観光客の上位をドイツからの人たちが占めている。二〇二三年の一月から四月までの外国人観光客の増加をみると、前年比でロシアからが一三四・九四%増で断然トップ、一一五万三三四一人が訪れている。第二位はドイツで一八・七四%増、第三位はブルガリアで一七・四五%の増加であった(文化・観光省調べ)。ウクライナ戦争開始後、ロシア人は観光でもビジネスでもヨーロッパに行くことは、ほぼできなくなったため、トルコへの来訪者が急増した。ブルガリア人は、リラが安いトルコで商品を仕入れに来るのである。  投下する金額ベースでは、アラブ人、ロシア人、中国人などが上位をしめる。イスタンブールの海外高級ブランドショップをみると、このことがよくわかる。通常、リラの下落が激しいときには、政府は嗜好品の酒やブランド品の輸入を制限する。非常に高い関税をかけるか、そもそも輸入を認めない。二〇一八年に、突如、リラが下落したときには、イスタンブールのブランドショップから商品が消え、閉鎖に追い込まれた店も多かった。しかし、二〇二三年の五月に調べたときには、ブランドショップは復活し、品揃えは明らかに日本よりも多かった。理由は単純で、アラブ諸国、東南アジア、そしてロシアからの外国人観光客がいくらでも買うからである。確実に売れるなら、輸入を制限する必要はない。  二〇一〇年代後半、トルコはサウジアラビア、 UAE、エジプトとの関係が悪化したが、二一年以降、急速に改善した。もともと関係の良かったカタールに加えて、サウジアラビア、 UAE、クウェート、バハレーンなど湾岸産油国からの観光客は大歓迎である。欧米諸国での反イスラム感情の高まりを受けて、近場のリゾートとしてトルコの地位は高まった。それに応えるべく、政府は、道路、橋、港湾、空港、鉄道に巨額の投資を続けた。空の玄関となるイスタンブール空港を二〇一八年に新たに開港し、大幅に発着便のキャパシティを増やしている。」

    —『トルコ 建国一〇〇年の自画像 (岩波新書)』内藤 正典著

  •  主に90年代以降の政治史(クルド問題については共和国建国時から)。イスラム国家化、強権的と批判を受けがちなエルドアン政権に対しては著者は擁護姿勢。
     90年代からイスラム政党が伸長。著者は、従来主流の軍を含む世俗主義側の腐敗や国民からの反感、またイスラム政党側の貧困層向け政策等を挙げる。また、現在の与党にも繋がるこの時の勢力は、女性の社会進出を促す、シャリーア導入を主張するような古い保守的イスラム政党と異なる、という指摘は自分のイメージを修整してくれた。
     EU加盟交渉の困難な道のり。22年の世論調査で、文化的にトルコは欧州の一部かとの問には賛成は3割強だが、EU加盟には6割強が賛成。またクルド問題は、09年頃からの「和解プロセス」は破綻したが、著者は「元がマルクス・レーニン主義」のPKK側の責任を指摘。
     また現在のエルドアン政権への批判に対しては、著者は欧米の側のイスラム嫌悪、対露制裁に同調しないのは国民の意思、といった点を説明。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/791289

  • 東2法経図・6F開架:B1/4-3/1986/K

  • イスラーム色を前面に出す現在のエルドアン政権から、トルコは宗教色の強い国家という印象を抱いていた。しかし建国100年の自画像を見ると、一面的な理解では捉えきれない国の複雑さが浮かび上がる。そもそもエルドアン政権は EU 加盟に積極的で、貧困対策やゲジェコンドゥの住宅改善、交通網整備など生活基盤の向上に力を注ぎ、広範な市民から支持を得ていた時期がある。現在とは異なる実利的で改革志向の「初期エルドアン」の姿を踏まえると、トルコのアイデンティティは宗教、世俗、欧州志向、発展という多層的な要素の中で揺れ動きながら形成されてきたことが感じられた。また、一概に世俗主義政党=善とも言えないものだと思った。

  • ふむ

  • 世俗主義と宗教とか具体的でよくわかる。ごく最近の話。

  • 2023年現在のエルドアン政権がどのように今の内政/外交方針を固め、動いているのかを、時にトルコ建国まで立ち戻りつつ構造的に解説してくれた。

    特にトルコ国政を脅かす要因としての「ギュレン教団」や「PKK」についてはーーそれらの存在があるからといってトルコ政府がクルド人を差別し続けることを正当化しないけれどもーートルコにおけるエスニシティの平等を追求する際の困難をもたらしていることは理解した。

    アメリカのクルド人武装組織支援や、イラク戦争&シリア内戦の爪痕、EUのキプロス統一政策の失敗、EUやNATOにおけるトルコへのイスラーム的偏見、さらにはロシアのウクライナ侵略戦争が始まってしまったことなど、トルコ単独で最善を目指すのにもさすがに限界があるだろうとため息をつくような情勢がそこにあり、トルコという国で政治をよくすることの難しさにうんざりしてしまった。エルドアン政権(公正発展党)は、こんな中で一応はEU基準をクリアしようと改革を進め、クルド人等の人権を保護する政策パッケージを打ち出しており、独裁からは程遠い。しかし今後、議院内閣制を捨てたことの弊害が出てこないとも限らないため、引き続き成り行きを中止してゆきたい。

  • トルコの立場に立った視点、トルコを内側から見たトルコ側の論理を知るという意味では、サブタイトルにある自画像を知るにはよい本と思えた。特に、与党議員に確認して、イスラム的な価値に従えば、民族問題など無意味という意見を引き出したり、2023年総選挙で野党6党の統一候補クルチダルオウルの演説が穏健なものから排外的なものへと変貌していく様、その際の選挙ポスターに触れられていた点など。エルドアンの成果は、それまでの政権や政党がなし得なかった、多くの貧困層がまともな暮らしをできるようにしたこと。ゲジェコンドゥ問題の解消や交通渋滞対策は大きな成果をあげ、エルドアン政権が20年存続した原動力となった、と。EUに対しては、トルコ国民はヨーロッパとのつながりを重視し、EUへの加盟を望んでいる、EUスタンダードの法改正もすすめてきた。それなのになぜ、という著者の思いが感じられる。「エルドアン政権は、イスラム主義の限界を知ることになった。強すぎるナショナリズムをイスラムのロジックで緩和し、民族間の融和を図るというイスラム主義の実験は20年間の政権下では成功しなかった。」(p.207)しかし無駄ではなかった、世俗主義やナショナリズムへの挑戦でトルコは新たな経験値を得たから、という論調。そういった意味では今後の展開についても明るいものがあるのでは、といったところか。

  • オスマン帝国崩壊=トルコ共和国建国100年の節目に出された本書。トルコ近代史と内政/外交事情について知ることができたが、この分野初見の私には少々難解だったので、再読の必要性を感じる。

    2023年の大統領選挙。ウクライナ戦争での対応(ロシアへの経済制裁を行わない、フィンランド・スウェーデンのNATO加盟に条件を付ける等)もあってか、エルドアン大統領は特に日本や欧米では「独裁者」「(やや差別的ニュアンスを含む)イスラム主義者」「差別主義者」のようなイメージで批判される報道が多かったように感じるが、本書での解説を読むに、かなりバランス重視のスタンスであると理解した。

    世俗主義とイスラムの両立は絶対的に不可能だが、エルドアン大統領の弱者救済と国民の総意を重視する姿勢は、双方の主義の「いいとこどり」のような感じで、イスラム教徒が大半を占める共和国においては、非常にバランスの取れたやり方なのではないかと思う。欧米諸国からの批判が多いのは、トルコ国内の左派と同じように、イスラモフォビア的な要素がかなり影響しているのではないかと感じた。

    大統領選挙キャンペーン期間中の5月上旬頃にちょうどトルコに滞在していたが、エルドアン大統領の評価は世代によってかなり分かれている印象だった。クーデターが頻発し、血と暴力で支配された暗黒時代を経験している年配層は、インフレで苦しくてもエルドアン支持。逆に経済政策や不法移民・治安問題に不満を持つ若年層は左派支持という感じ。

    エルドアン大統領が難民受け入れを続けていることを当時知らなかったため、特に不法移民にひどく不満を持っている話を聞き、てっきり保守派=右派=エルドアン支持?と思っていたらエルドアン反対のようで混乱していたが、いわゆる日本の左派とは異なり、「トルコの左派=保守派(?)」という特殊な在り方ということが本書内で説明されており、ようやく納得できた。

    トルコのクーデター時代の話を読み、左派=世俗主義・リベラルと言っても、行き過ぎると差別的・暴力的・排外的になるのはどこも一緒なんだなと思った。世俗主義を絶対とするが故に過剰に反応し、イスラム的価値観を持つ人々にかなり排外的な対応を取ってきたことで、現在のエルドアン支持層が逆に強固なものになったのは非常に興味深い。

  • 登録番号:0142361、請求記号:312.274/N29

  • トルコの現代史がよくわかった

  • 【請求記号:312 ナ】

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著者プロフィール

1956年東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学文科卒業。社会学博士。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。一橋大学教授を経て、同支社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。著書に『イスラームから世界を見る』(ちくまプリマー新書)『となりのイスラム』(ミシマ社)『外国人労働者・移民・難民ってだれのこと?』(集英社)ほか多数。

「2022年 『トルコから世界を見る』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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