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Amazon.co.jp ・本 (208ページ) / ISBN・EAN: 9784004320029
作品紹介・あらすじ
自分の人生に意味はあるのか、自分に存在価値はあるのか…。誰にでも訪れる「むなしさ」。便利さや快適さを追求する現代では、その感覚は無駄とされてしまう。しかし、ため息をつきながらも、それを味わうことができれば、心はもっと豊かになるかもしれない。「心の空洞」の正体を探り、それとともにどう生きるかを考える。
AIがまとめたこの本の要点
この本を表す言葉
みんなの感想まとめ
「むなしさ」というテーマを深く掘り下げた本書は、現代社会における心の空洞や喪失感を理解する手助けをしてくれます。精神科医としての視点や作詞家としての経験を交え、著者は日本人の美意識や言葉の持つ力につい...
感想・レビュー・書評
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パラ読みと熟読を繰り返している最中ですが、この本は私の人生の中でもマイベストに入るんじゃないかと思うくらい刺さっています。
「むなしさ」を感じるのは、「いきがい」や「人生の使命」がないからかも知れない。それらをまだ見つけられていない自分は、半人前で恥ずかしい存在なのではないか。
……という考えに囚われてしまうことが多かったのですが、本書を読んで、必ずしも心の穴である「むなしさ」を、何か「生き甲斐」や「使命」で埋める必要はなく、「むなしさ」があることは恥でもなんでもなく当たり前ですらあるとわかり、心が軽くなる思いがしました。
というか、「むなしさ」を「生き甲斐や使命で埋める」どころか、YouTubeやSNSを見ることで際限なく埋めてしまっていたのですが、本書ではスマホによって「間」の埋めることの問題点にも言及されていたので、それらを自覚させてもらえる機会にもなりました。
他の方も書かれていますが、著者の音楽仲間が自死したことなどにも触れられており、ヒット作を生み出さなくてはならないというプレッシャーについても述べられています。
これは、仮に私たちが「いきがい」や「使命」を見つけたとして、その領域で結果を出せずに絶望する「むなしさ」はもちろん、大ヒットを出したことがある人でも、さらに次が生み出せないという「むなしさ」も待っているわけで、結局は成功者もくすぶっている人も「むなしさ」から逃れるのは難しいということなのかも知れないと思わされました。
ところどころフロイトなどの専門的な難しい記述も出てきますが、基本的にはかなり読みやすいです。
あとがきによると、「むなしさを感じたなら、情報収集による穴埋めを控えて、これを味わい、できれば自分で考えてみたらと提案」しているため、理論やテーマの先行研究には細かく言及していないとのこと。その代わり、専門用語の項目について学べる専門書や自著の紹介なども載っているので、心理学的な専門知識を得たい人はそちらも参考にするといいかも知れません。
【熟読後の疑問点】
人生の中のベスト本の一つになるかも、という感想に変わりはないのですが、繰り返し出てくる「母と胎児の一体だった頃がユートピアである」という記述には、妊娠経験(特につわりの酷かった経験)がある自分にとっては、引っかかる点でした。著者のきたやま氏の意見というよりは精神分析学全体の問題かも知れません。
母と胎児は一体などではなく、母体側から言わせてもらうと、胎児は半分他者の遺伝子を持つ「異物」であるのは明確です。だからこそつわりがあるのだと思っていました。私自身が身をもってそれを経験したので、「自分の母もこんな苦労をして私を産んだのだな」という「他者としての母の奉仕に感謝」するようになります。そこからの「胎児だった頃に戻りたい」という願望は、記憶喪失にでもならない限り起こらない気がします。そして、これは経験をしなくても妊婦の体験談が精神分析学に反映されていれば容易に取り込める視点じゃないかなぁと思ったりします。母親を神聖視する割に、当事者にまったくヒアリングしてない感じはなんとかならないものなのか。。
というわけで、「失われたユートピア」というよりは、「そもそもユートピアはなかった」ってことなんじゃないかな。それはそれで「むなしさ」の発生に繋がるのだろうから、本書の内容や結論が何か変わるわけではなさそうです。 -
題名が気になりたまたま手に取ってみたが、本文を読むうちに「あの素晴らしい愛をもう一度」作詞の北山修氏の著書とは知らず驚いた。
「むなしさ」について、精神科医として、また作詞家としてからの見聞で書かれており、大変興味深い。
特に、古事記から引用して“不浄のもの”に対する日本人の美意識について考察したり、日本語の語源の解説が面白かった。
前述の歌は自死した加藤和彦氏との愛の物語だと言う言葉に、著者からの言い知れない虚しさを感じた。
「間」を嫌い、行き過ぎた効率を求める現代ではあるが、虚しさを味わいながら生きていくほかないと言う「すまなさ」を抱えながら生きていてもいいと思え、気が楽になった。 -
作者、言わずとしれた、フォーク・クルセダーズのメンバー、「俺は死んじまった」「戦争を知らない子どもたち」「あの素晴らしい愛をもう一度」などの作詞家,精神科医、九大大学院教授、白鴎大学学長。
フォークルメンバーの加藤和彦が自死したとき近くに北山修という存在があったのにどうしてと思った。
むなしさの多方面からの分析とともにむなしさはもっているのが正常で、それをもって考え味わうのを幸せと思いなさいと言ってるようです。
加藤和彦の死に対する、北山修の対応、接し方、答えが書かれている。
むなしさを感じ鬱ぽくなる自分への元気つけの本です。
北山修は人生のくれなずむころにさしかかっていると書いてますが、僕の中学高校のころの憧れでした。もっといい歌、いい本を発信してほしいです。 -
文章は、テーマが「むなしさ」のせいか、どこか雲をつかむような
起承転結があるのかないのかよくわからないものだった。
しかしキーワード、押さえておくべき言葉は多かった。
間 と 魔
母と子
ち 血 乳 膣 父
むなしい みなし 身なし
イザナギ 醜い
心の沼
泥む なずむ
ゆ ゆったり よゆう 湯
そして、、
フォーククルセダーズ
帰ってきたヨッパライ
イムジン河
悲しくてやりきれない
加藤和彦
自死
北山修
あの素晴らしい愛をもう一度
風
なんて情報量が多いんだろ。
言葉は大事だ。
心に沼を持つことも大事だ。
誰にも訪れるむなしさ。
喪失感。間。
きたやまおさむは精神科医でありながら、
加藤和彦の自死願望には目を向けなかったという。
彼との間にそれを挟むことはできなかったという。
そりゃそうかも、あんな素敵な歌を作るコンビ、
そこに 死 はないのだ。
そういうものを理解しながら生きていこう。
序 章 「むなしさ」という感覚
第1章 「喪失」を喪失した時代に
第2章 「むなしさ」はどこから――心の発達からみる
第3章 「間」は簡単には埋まらない――幻滅という体験
第4章 「むなしさ」はすまない――白黒思考と「心の沼」
第5章 「むなしさ」を味わう
おわりに−悲しみは言葉にならない
あとがき -
日々の中に感じる「むなしさ」についてかつてミュージシャンであり、精神科医でもある著者がその構造について思うところを記している。
元ミュージシャンという事もあり、華やかな芸能生活を送る人がその舞台を降りているときは全く特別でない日常を過ごしていたり、むしろ苦しい生活をしている事が大半でその非日常な舞台上の経験があるだけに虚しさに苦しむというのは新しい見方で良かった。
しかしながら肝心の虚しさの構造の説明については、ちょっと言葉遊びが多すぎて辟易してしまった。
日本語の同音異義語に拘泥して、現実はホントにそうなのか?と思う事が多かった。
精神医学の基礎としてはフロイト理論に根差しており、ちょっと珍しいかなと感じた。 -
むなしさを感じた時、私たちはそれを解決しようとしてしまうけど、そうではなくむなしさがあることを認めた上で生きていこうという話。解決しようとするから苦しくなる。むなしさはあって当たり前で共に生きていくものだと諦めると少し気持ちが楽になる。
おわりに 199p〜200pにかけてが響きました。 -
蔓延している「むなしさ」について、自己分析を踏まえ、日本語・日本文化や現代社会を見据えながら書かれた一冊。
以下読書メモ
「むなしさ」の話をするとニーチェのいう「ニヒリズム」の思想を連想する人がいるかもしれないが、生の虚無を認める点において、筆者が提唱する「むなしさ」と付き合うということと共通する点もあるかもしれないけれども、筆者は「むなしさ」と付き合えるのは「超人」とは考えないとのこと。誰にも「むなしさ」は当たり前のように訪れるから。誰もが付き合えるし付き合わざるをえないものだと。
心の空間には無限のスペースがあると考えているからモヤモヤやイライラといった割り切れない未消化物を、気持ち悪いとすぐに吐き出すのではなく、心の中に置いておくことができる。つまり、汚点も濁った気持ちも不純な考えも心に置いておける。これは心の「溜め池」。
さらに「溜め池」の奥、つまり心の内奥には「沼」がある。腹のイメージ。きれいにしようとせず、沼は沼のまま置いておくのが良い。都会のように埋めておくことはできない。沼は創造の場でもある。
「むなしさ」そのものに意味はないかもしれないけど、「むなしさ」をかみしめ、味わうことには意味があるのかもしれない。
白か黒かとか、生か死か、といった二分法的な世界観をかき回し、無意識かもたらす混乱にも身を任せてみる。
情報で埋めたりするのってやっぱよくないかも、と再認識を得た。
そして、「むなしさ」は無駄ではなくて、ため息をつきながらでもいいからそれを味わってみればいいかも。
自己の存在意義にむなしさを感じがちだけど、なぜか、まあそれでもいいかも、と肯定を得た一冊。 -
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「心の空洞」との付き合い方、「間」との付き合い方、それは白黒を付けるのではなく、中途半端な状況を許容する力となる。はやりの「ネガティブケイパビリティ」といえる。
筆者にとってのむなしさには、加藤和彦の影がついて回る。
ため息をついても、幸せは逃げない。 -
空しさに深く悩まされていた自分が救われるかと思い読んでみましたがよけいに泥沼にハマりました。坂崎さんと歌っている北山さんは楽しそうだけど本の内容はかなりきつかった。
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どうして読もうと思ったのか思い出せないですが、ほぼ毎日コツコツ読んで読み終えました。
自分が立ち止まってしまった根本が見えてきました。
そして自分を客観視することは、自分を見失わないためにも必要だということを改めて考えさせられました。 -
普段感じている「むなしさ」の原因を「間」や「心の沼」という著者の用語で解説してくれていて、なるほどと思いながら読んだ。「むなしさ」はなくならないから無理に埋め合わせようとせず付き合っていくことが大事とのこと。ただ、「むなしさ」と「間」は関係がわかったが、これら2つと「心の沼」の関連がいまいち読み取れなかった。「心の沼」ははっきりしない未処理のものがあるという説明だったが、未処理のものがある状態と「間」の関係をどう考えたらいいのか。
日本語の表現や成り立ちと関連させて論じている部分が多くあり、興味深かった。 -
【目次】
序章「むなしさ」という感覚
第1章「喪失」を喪失した時代に
第2章「むなしさ」はどこからー心の発達からみる
第3章「間」は簡単には埋まらないー幻滅という体験
第4章「むなしさ」はすまないー白黒思考と「心の沼」
第5章「むなしさ」を味わう
おわりにー悲しみは言葉にならない
あとがき -
「あの素晴らしい愛をもう一度」のザフォーククルセダーズの方と後から知った。
親友、戦友の加藤和彦氏の自死を踏まえて書かれた本であると知り、また見方が変わった。
「加藤君には2人の人間がいた。1人は楽しく明るく前向き。もう1人は厳しく完全主義で怒ると怖い人。今回はそのもう1人が自分を殺してしまったんだと思う。曲を制作する時は人の意見も聞いてくれたんだけど、最後の幕引きでみんなの意見を聞いてくれなかった」Wikipedia参照
むなしさを生きがいで埋めなくていい。あやふやなものがあってもいいし、許容してあげる自分がいればいい。
我々現代人も間を嫌い、ネットに入り間を埋める。
むなしさを感じた時、それが人生に必要な間であると考え、自らをむやみに消費することがなくなれば、人生はより良いものになりそうだ。 -
同じ話しの繰り返し むなしい内容
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第126回アワヒニビブリオバトル テーマ「エフェメラ」で紹介された本です。ハイブリッド開催。
チャンプ本。
2025.4.1
著者プロフィール
きたやまおさむの作品
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