- 本 ・本 (268ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004320234
作品紹介・あらすじ
本書は「政治的中立性」という曖昧な概念によって人々の言論活動を制限することの危険性を説くものである。公務員や放送への要求であるこの言葉は、いつしか独り歩きし、自由であるはずの私たちの言論空間が委縮して久しい。「何となく、これを言ったらまずいのではないか」という空気は、この国のそこら中に漂っている。
感想・レビュー・書評
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「政治的中立性」を理由に、行政が公務員の政治活動や公の場を使う市民の表現活動を規制したり、地上波テレビ放送に公平を要求したりすることを著者は批判する。このような表現の自由の制限は、現状肯定や現状の無批判な需要に繫がったり、市民の政治から遠ざけたりする、という危惧だ。
一律の線引きが難しい以上、無謬性重視や事なかれ主義の行政が過度に規制するのはあり得る。それに対し訴訟を提起して示される司法判断が基準になるのだと思うが、行政の主張を認める判決には最終審であっても著者は批判的だ。もちろん最高裁判決を批判してはならないとは思わないし、世論により司法が動くこともあるだろうが。
また、本書の事例の全てが左派側の表現活動。もし保守右派の事例があれば、行政そして著者はどう判断するのだろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
政治的中立性を理由に言論の自由が制限されるという問題意識から書かれた本。
なんとなく冒頭から偏りを感じてて、そういう感情を抱いたままあまり丁寧によんでないから自分の理解が浅いということもあるんだろうけど。
岡口判事の件で、訴えを起こした人に対して洗脳されているという表現が侮辱じゃないとかって論理はムリがあるように見えるんだが。んで結果裁判官は息を殺して私生活を送らなきゃならないってのも、岡口の書き込みからは話が飛躍し過ぎてるんだけど。
でも公園や広場の利用について筆者のいっていることに異存はない。表現の自由についてもちゃんと考えたことはあまりなかったので勉強になった。萎縮的効果とか公務員の政治的行為禁止とかも。 -
316.1||Ic
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ネットでの情報の氾濫で社会の
ステージが変わっているのに
前のステージの議論が
延々と続く感じ。
あまり参考にならなかった -
難しかったが、知らないことが多く勉強になった。
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日本には民主主義が根付いていない。多様な意見を表出させつつも共同体として同意可能なものまで昇華させていくプロセスを軽視するからこそ政治的中立性を権力側から発信するような事態になるのであろう。
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女子栄養大学図書館OPAC▼https://opac.eiyo.ac.jp/detail?bbid=2000071686
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「政治的中立性(公平性)」とは何か、規制権者(公務員)の政治アレルギーを背景に、ようするに、政治的なものは扱わないのが政治的中立性である、という風潮を剔出している。また、一歩進んで、国や地方公共団体の見解に沿うものは問題なし、沿わないものは「政治的である」との扱いも?そして「物議をかもす」発言を回避するようにと。たしかに政治に関する話しは人前でするものではないという空気あり。終章で「日本の民主主義を健全に発展させていくためには、『政治』の忌避という傾向を克服することが重要な課題となっている」(P234)とされている。
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市川正人『表現の自由 「政治的中立性」を問う』岩波新書 読了。「政治的中立性」を理由に表現の自由が制限されることについて問題提起するもの。身近な事例を通じて、曖昧で多義的な概念で制約される危険性を明らかにしている。批判的な言動を「政治的」とし、現状を肯定することは「中立」だろうか。
著者プロフィール
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