学力喪失 認知科学による回復への道筋 (岩波新書 2034)

  • 岩波書店 (2024年9月24日発売)
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本 ・本 (330ページ) / ISBN・EAN: 9784004320340

作品紹介・あらすじ

乳幼児は驚異的な「学ぶ力」で言語を習得できる。しかし学校では多くの子どもたちが学力不振に陥り、学ぶ意欲を失ってしまう。なぜ子どもたちはもともと持っている「学ぶ力」を、学校で発揮できないのか。「生きた知識」を身につけるにはどうしたらよいのか。躓きの原因を認知科学が明らかにして、回復への希望をひらく。

感想・レビュー・書評

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  • 県の学力診断のためのテストや全国学力調査が現場に大きなプレッシャーを与えている。そしてそれらのテストが自ら学ぶ力という学力を培うのにマイナスになっている。
    筆者は教育批判のためにこの本を著したのではなく、認知科学の観点から学力喪失を分析し、論じている。

    「死んだ知識」を「生きた知識」にする。
    言葉にするのは簡単だが、実際は簡単ではない。
    子どもの躓きを解消するために、類題を何題も解かせることがプラスになるとは限らないとは。学力テストの類題を繰り返し解いたり、丁寧にわかりやすく教えたりして点数をあげたとしても、学力は向上しない。
    言語化できない暗黙の知識、学び手が経験から身につけた無意識につくりあげた知識=スキーマに目をつける必要がある。つまり、深い学びを身につけるには学び手のスキーマの修正が必要なのだ。
    著者は、言葉と数のスキーマなどを調べる「たつじんテスト」を研究仲間とともに開発して、子どもの躓きを見つけやすくしている。
    例を挙げれば、「等しい」「比較する」「曲線」の言葉を正しく理解していない子、時間と時刻の混同、一年か何ヶ月かなどの時間の概念がよくわからない子が多かったことがわかった。
    今まで何に躓いているかが朧げながらわかっても、なぜ躓くのかがわからなかっただけにこの本の分析は深い。
    プレイフルラーニングは興味深い。
    家庭、学校など教育に関わる人にとってこの本は必読書だと思う。「たつじんテスト」が、学力調査や診断テストの代わりに実施されることを望む。

  • 新書大賞から一冊選んで読むことにしていますが、今回は『言語の本質』で知った今井むつみさんの著書にしました。新書大賞は第8位、おめでとうございます!

    小中学生が主な対象だったので、高校教師としては出番なしかなと思いつつ読み進めていく。「学力・知識」といった基本的な概念について、私たちの認識を正すところから始まる。たつじんテストにはすごく興味をそそられた。実物を見てみたい!
    国語教師的には第5章「読解につまずく」あたりから本番を迎えた。読む作業で私たちがしていることが言語化されていたのが面白く、読むことは一種の運動能力だという意見に大賛成。練習しないと力がつかない。
    思考力についても、質の高い思考とは何か、なぜ間違えるのか、など面白く読めた。

    前提となる知識がかなり必要で、専門用語も慣れていないと厳しい。サブタイトルにもなっている「回復への道筋」になかなか行きつかないので、もどかしいと思う人は多いかも。そしていざ回復の章に来ても、特効薬はないのでがっかりするかもしれない(生徒集団がそれぞれ違うから、特効薬はなくて当たり前だと思うけど)。
    それでも、小学校でのプレイフル・ラーニングの例はとても面白かったし、今後の授業づくりのヒントになった。遊びながら古典文法を学べたら、すごく楽しいし最高。じゃあどうやるか、というところが問題ではあるけれど、夏休みに試行錯誤してみようかな。

    また、生成AIについても触れられており、そちらも興味深かった。便利だけれど、生成AIがしていることを理解して使っている人は少ないのではないか。知識や意味を「理解する」ことのない生成AIに、思考させてその場限りの答えを得ていることは、思考できる私たちがきちんと「理解して」使わないといけないなと思った。

  •  なぜ子供たちはもともと持っている「学ぶ力」を、学校で発揮できないのか。「生きた知識」を身につけるにはどうしたらよいのか。躓きの原因を認知科学が明らかにしていく。

     新聞で紹介されていたので、即購入、私にとって必読の書となりました。

     子供たちができるか、できないかではなく、どこで躓くのかを把握し、学ぶ力を発揮させていくという視点に、今の現場にまさに必要な学力観だと感じました。

     また、認知科学の視点から豊富なデータをもとに論じられているので、とても説得力がありました。

     まさに、自ら学ぶ力が生きる力になるのだという学力観を実践していくためにも大切なことだと再認識しました。

     ぜひ、今後も研究を進め、現場に還元していただき、子供たちの未来の可能性を広げていってほしいですし、私たちはそのための努力を惜しんではいけないと改めて心に誓いました。

  • 子どもたちが学校での学習の何につまずき、そしてなぜ学ぶ力を発揮できないのかについて認知科学の面から解説している。
    そしてその上で、子どもたちが学ぶ力を発揮できるような学習の方法を、大人たちが提供するヒントについても触れられている。

    インパクトの強いタイトルではあるが、まえがきにもあるように当書は子どもたちの学力が昔に比べて失われているというテーマで書かれてはいない。
    むしろ、本来子どもたちが乳幼児の時期から言語を獲得するために発揮していた学ぶ力を学校で学ぶようになるとなぜ発揮できなくなるのか、という視点で書かれている。
    読み始めてまず印象的だったのは、学力調査を得点化し、順位づけすることに意味があるのかという問題提起。
    自分も学生時代にテストを受けると平均点を超えているか否か、順位は何位かということを気にしていたし、何も疑問に思うことはなかった。
    けれど当書を読むと、確かに入試等の選抜のためではないテストは順位づけよりももっと大事なことのために使われるべきだと感じた。
    また、著者が作成し実施した子どもたちのつまずきを把握するためのテスト、通称「たつじんテスト」の誤答を紹介し、子どもたちのつまずきを考察している点も興味深い。
    大人が思っている以上に小学校低学年の子どもたちにとって、抽象的な概念の理解が難しいということ、大人が何気なく使っている言葉の使い分けで混乱が生じているということに気付かされた。
    子どもの視点に立って学習について考えるというのは、こういったところから始まるのかもしれない。
    メタ認知やスキーマといった、心理学の分野で出てくるイメージの概念が、学習において重要だというのは意外だったけれど、当書を読み進めるととても納得だった。
    子どもたちの学習のあり方について考えさせられると同時に、おそらく学校の先生たちは子どもに授業を教えること以外にも様々な業務を抱えており、こういった学習のあり方について考え試行錯誤をする時間や余裕は持ちにくいのではないかと想像する。
    子どもたちのつまずきやすさを反映した学習指導要領や、先生たちが学習の仕方を工夫できる余裕を持ちやすくなるように負担を減らす等、制度が変わっていく必要もあると感じた。
    他の著書について触れている部分も多かったので、今後今井さんの他の本も読んでいきたいと思った。

  • 昔と今、子ども達の学力は変化しているのだろうか?
    子ども達の宿題の量などをみていても、どう考えても私が子どもの頃より勉強させられて(笑)いるように思える。
    昔と違うことは、調べたいなと思ったらネットで検索したり、AIに色々調べてもらったり何かを作成して貰っていて…これからどんどん、自分で調べて分かったときの喜びとか達成感、意欲等なくなってしまうのかな~っと便利な世の中ではあるけれど…っと考えさせられた。

  • 目から鱗が落ちたようだ。
    1 はさわれないのだ、概念です、だなんて。
    触れることができるのは、1個のモノのみ。

    大雨の日に外出できずに読むには
    もってこいな一冊でした。ありがたい。

  • 以前、専攻が同じだった人が、算数の研究をしていた。

    詳しくは忘れてしまったのだけど、内容を図に表す所から始めることで、理解のファーストステップを助けるといった内容だったように思う。

    その時に、図に表せる内容ならば、確かに理解の手助けになるが、図に表せない概念を理解しなければならなくなった時に、どうすれば良いのだろう?と疑問に思った気がする。

    本書では、子どもたちの解答から、例えば分数であれば1/2と1/3の違いを「理解できていない」ことをどう明らかにし、さらに「理解」に持っていくにはどのようなステップが必要かまでを、言及している。

    正直、すごい本だと思う。

    特に取り上げられているのは、算数ー数学の分野だが、国語でも、言語の理解や、読解のズレがなぜ起きるかにも触れられていて、面白い。

    私たちの人生において、試験(入試)は軽くない意味を持っている。
    だから、ある意味では共通テストに何が問われているかで、学校が、学校を取り巻く社会までが、変化をしている。(あるいは変化出来ずにいる)

    けれど、そこにゴールを置いてしまうがゆえに、見えなくしてしまっている躓きがあるようだ。
    ゴールが変わらずとも、プロセスから変える方法だってある。
    勇気をもらえる本でもあると思う。

  • 興味深く、一気読み。

    赤ちゃんは懇切丁寧に理論を教えてもらわないのに、自らの経験を通じて母語を学ぶ。
    学校教育はなぜそのような学びになっていないのか?
    とっても面白い視点だと思う。
    …部外者としては。

    一方で、学校関係者がこのような指摘を受けたら、、、頭抱えるしかないのでは、とも思う。
    指摘されていることはいちいち面白い。
    文章題に出てきた数字をもれなく使ってとんちんかんな答えを導きだすようすetc.
    概念が「接地」していない(身についた知識になっていない)例がこれでもか、と紹介されている。
    指摘だけでは無責任だと思ってか(?)、分数や少数概念の「接地」に役立つカードゲームなどの提案もある。
    うん、こういうゲームが役に立つ子もいるかもね。
    でも、全てをそういう授業にするのは難しそう。
    学校教育って、難しい、、、、(ように思うけど、案外当事者たちにとっては、そうでもない、のならいいのですが)




  • 自分の幼少期の体験、そして現在進行形の子育ての実体験も考えながら楽しめ、かつ悩ませてくれた本だった。今井むつみさんの「言語の本質」は読んでいたので、アブダクションや記号接地の話しはすんなり入る。また、ダニエル・カーネマンの「ファスト・アンド・スロー」も知っているので興味深く読めた。

    その前提で、今の教育がそもそも学力の意味を履き違えているのではないかとの指摘は重い。自ら学ぶ力と定義して、果たして意欲を引き出す環境を学校も家庭も提供できているのか、との疑問・自戒が沸いてきた。

    知識には「生きた知識」「死んだ知識」があること、子供がどのように認知するかの経路を知ることは実は大人の組織内の合意形成に繋がる話しかもしれない。

    とにくくわたし自身の学びが深く、傍に置いてまた読み直したい。あと、作者が広島県教育委員会と始めた「たつじんテスト」は試してみたいなあ。

  • 職場で、学力向上のための取り組みを何かやれ、というミッションを受けた若い先生にいろいろ質問されるので、私も勉強するんだけど、公立の中学校でやる「何か」というのは朝自習の時間にみんなに共通の課題に取り組ませるとか、学級で勉強に関して何か目標を立てさせるとか、そういうことしかできない。で、それをやったから学力があがる、なんてことは常識的に考えても起こりえないと私は思う。
    だからと言って「公立中学校で学力を上げることは無理」とか言っちゃうと責任の放棄になっちゃう。
    私個人としてはちゃんと答えをもっていて、すべての先生が、自分の専門の教科の授業に責任をもって、ちゃんと授業をするのが一番の「学力向上の取り組み」だと思っている。とにかく中学校は、本来の仕事(プロの授業を作ること)以外の仕事が多すぎて、授業がおろそかになっている先生が多い。

    さて、本の感想。
    本書ではまず、「たつじんテスト」というオリジナルのテストの分析などを通して、学力が身につかない小学生が、いったい何につまづいているのかを解説している。算数の文章題の意味がわかっていなかったり、数直線や分数が全く理解できていなかったり。これは実感として、すごくわかる。私は専門は数学ではないが、他の教科の問題でも、そもそも問題の意味がわかってないよね、意味が分からないからテキトーにしか答えてない、もしくは最初から考えようとしていない、もしくは全く意味がわかっていなかったり、間違って理解しているまま一生懸命考えていて、思考が全く違う方向に行ってる…とか、そういう生徒を日々目の当たりにしているから、すごくわかる。
    本書では、そういう子どもが「意味がちゃんと分かる」ように、体験・経験を通して「記号接地」させることが重要だと説明している。
    これも私にはすごくよく分かる。というか、私は子育てするときに、そういうことを意識して子供に語りかけてきた。例えば洗濯機に液体洗剤を投入するとき、「0,6杯だから、キャップのこの辺までだよ。半分だと0,5杯だからね」とか。料理や手芸をするときにも算数の概念を使う。子どもが3歳くらいのときから、分数や少数を使う会話は、日常生活で自然と生まれる。
    学校でもそういうふうに、生活に結びつけて教えることが大事と。そういのが、「生きた知識」である。概念がわかり、生活から学び、逆に、学んだことが生活に生かされる。いくら社会科で語句を暗記しても、実際に社会参画に生かせなかったらそれは「死んだ知識」だ。
    すごくよく分かる。

    ここからまた、本の感想じゃなくて愚痴になっちゃうけど、子どものころから親に(大人しくさせるために)スマホの画面をずっと見せられて、暇な時間はずっとゲームのコントローラーを握って育ってきたような中学生は、生活体験が全然ないので、記号接地させるのは難しい。洗剤をキャップの半分まで入れたらそれは「0,5である」ことすらわかっていない中学生が、信じられないくらいたくさんいる。こちらはそれくらいは分かっていることが前提で話を進めるので、もう中学校の授業は成立しない。
    こういうのは公立中学校の一教員ではどうにもならないので、もっと政府や、文科省や、子ども家庭庁?やらが、ゲームやデジタル機器が子育てに及ぼす影響について広報するべきだと思う。
    ↑この頃新書読んだらだいたいこういう結論にしか至らないよ…。

    p226
    子どもは言語の発達の道筋で、このように、身体で感じてすぐわかる類似性を使って、見てもわからない、抽象的で本質的な類似性に注目して一般化ができるようになる。自分で気づくことができる手がかりを使って具体から抽象へ自分の力で登っていく。これがブートストラッピングである。この変化は一度だけでなく、、発達の過程で何度も繰り返して起こるし、実は、ことばの学習だけでなく、すべての学習で起こることである。
    すべての知識の学びにとって、子ども自身で点を面に拡張することは、必要不可欠な過程なのである。

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著者プロフィール

今井 むつみ(いまい・むつみ):慶應義塾大学環境情報学部教授。1994年ノースウエスタン大学心理学博士。専門は認知科学、言語心理学、発達心理学。学力不振で苦しむ子どもたちの学力困難の原因を見えるようにするツール(たつじんテスト)や学習補助教材の開発にも取り組んでいる。著書に、『言語の本質――ことばはどう生まれ、進化したか』(中公新書)、『ことばの発達の謎を解く』(ちくまプリマー新書)、『親子で育てる ことば力と思考力』(筑摩書房)、『言葉をおぼえるしくみ――母語から外国語まで』(共著、ちくま学芸文庫)、『ことばの学習のパラドックス』(ちくま学芸文庫)、『ことばと思考』『学びとは何か――〈探究人〉になるために』『英語独習法』『学力喪失』(以上、岩波新書)、『算数文章題が解けない子どもたち――ことば・思考の力と学力不振』(岩波書店)、『ことば、身体、学び――「できるようになる」とはどういうことか』(扶桑社新書)ほか多数。

「2024年 『AIにはない「思考力」の身につけ方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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