ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書 新赤版 2059)

  • 岩波書店 (2025年3月22日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (220ページ) / ISBN・EAN: 9784004320593

作品紹介・あらすじ

生態系の頂点に立ち、近づきがたい野生動物ヒグマ。ヒトはいつどのような進化をたどってユーラシア大陸でヒグマと出会い、なぜ文化的に共存することになったのか? ヒグマの動物学的・生態学的な特徴から説き起こし、時代と地域を超えた進化上の展開を追い、クマ送り儀礼に見る人間と自然との豊饒な文化の意味にまで迫る。

みんなの感想まとめ

ヒトとヒグマの関係は、生態学的な側面と文化的な側面が交錯する深いものであり、本書ではその独特な結びつきを探求しています。ヒグマは大型の雑食性哺乳類で、物理的には遠く離れていても、精神的にはヒトと近い存...

感想・レビュー・書評

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  • ヒトとヒグマ 増田隆一著 精神文化 近く深遠な関係 - 日本経済新聞 2025年4月5日 会員限定記事
    https://www.nikkei.com/article/DGKKZO87822880U5A400C2MY6000/

    生態や歴史深掘り 共存考える
    <ほっかいどうの本>「ヒトとヒグマ」増田隆一著(岩波新書 1012円):北海道新聞デジタル 2025年4月20日
    https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1149518/

    多様性生物学分野・増田隆一特任教授が、著書『ヒトとヒグマ ―― 狩猟からクマ送り儀礼まで』(岩波新書)を出版しました。 – 北海道大学 理学部 生物科学科(生物学)
    https://www2.sci.hokudai.ac.jp/dept/bio/news/4802

    増田 隆一 – 北海道大学 大学院理学研究院
    https://www2.sci.hokudai.ac.jp/faculty/researcher/ryuichi-masuda

    ヒトとヒグマ/増田 隆一|岩波新書 - 岩波書店
    https://www.iwanami.co.jp/book/b658513.html

  • 「怖い」だけじゃない。ヒグマという存在から見えてきたこと

    ──『ヒトとヒグマ』(増田隆一)を読んで

    最近、熊出没のニュースをよく耳にします。
    特に山の近くに住んでいると、「またか…」とちょっと他人事ではいられない。
    秋は紅葉を撮りに山に入りたいし、滝の写真も撮りに行きたい。でも、熊に遭遇するかも…そう思うとちょっと怖い。

    そんな気持ちで手に取ったのが『ヒトとヒグマ』(増田隆一 著)です。
    「熊は怖い」だけで終わらせたくない。そもそもどんな動物なのか?どう人と関わってきたのか?その背景を知ることで、見方が変わるかもしれない。そんな思いで読みました。

    ヒグマのリアルな生態に驚きの連続

    読み進めるうちに、ヒグマという存在がどんどん立体的に感じられてきました。
    まず驚いたのが、200kmを移動することもあるという広大な行動範囲。
    そして、雑食性であること。植物も食べるし、エゾシカの幼獣を食べることもある。人が自然環境を変えてしまったことで、熊の食性も変化してしまっているというのです。

    特に印象に残ったのは「冬眠」の話。
    詳しい説明は本に譲りますが、体の水分を循環させながら何ヶ月も活動を止めるなんて、人間には到底マネできない神秘的なシステムです。
    自然界の奇跡というか、思わず「すごい…」とつぶやいてしまいました。

    「共存」がテーマになってくる理由

    一方で、ヒグマの個体数は増えているとのこと。
    北海道などでは、広大な農地に家畜用のデントコーン(トウモロコシ)が栽培されており、ヒグマにとっては手軽に食べ物が手に入る“餌場”になってしまっているそうです。
    結果として、森の中よりも人里近くで過ごす「都市型ヒグマ」が生まれてきた。

    でも、ただ「危ないから駆除しよう」という話にはしたくない。
    本書では、アイヌ民族に伝わるクマ送り儀礼の話も紹介されています。
    冬眠から目覚めたヒグマは、カムイ(神)界から地上に降りてくる存在。
    その熊を敬い、豊かな肉や毛皮をもたらしてくれることに感謝する文化がある。
    それが「クマ送り」です。

    感受性と寛容性のバランス

    この本でとても共感したのが、「感受性と寛容性」に関する考察。
    子どもは好奇心が旺盛で、感受性も高い。でも寛容性はまだ低い。
    一方で、大人になると文化的な経験を重ねて寛容性は高まるけれど、感受性は鈍っていく。

    この“交差点”のような時期に、ヒグマのような存在と出会い、考え、体験することの大切さ。
    なんだか今の社会にもつながる話だなと感じました。

    熊を知って、備えるという姿勢

    今回この本を読んで、「熊が怖い」という感情の裏にある、“知らないことへの恐れ”に気づきました。
    ちゃんと知れば、どう備えるべきかも見えてくる。
    そして、ヒグマという存在はただの野生動物ではなく、人間の文化や精神にも深く関わってきた、特別な生き物だということも分かりました。

    自然との関わり、異文化との接点、生物多様性の意義。
    ヒグマ文化には、そういったさまざまなテーマが凝縮されています。

    筆者は「ヒグマ文化は、集団の結束を促し、他文化との絆を強める力がある」と語っていましたが、まさに同感です。
    人と自然、人と人との距離感を考え直すヒントがここにはある。

    これから紅葉狩りや写真撮影で山に入るときは、熊鈴だけでなく、こうした知識や敬意も一緒に携えていたいと思いました。

  • 面白い。

    クマ送り儀礼、

    クマってよく考えたら本当に怖くて怖がられては居るけど、可愛いキャラ化にも一番なってる謎な生き物でもあるよね。そこが凄い不思議。クマって。

    近づき難さが神秘性を産むって今の会いに行けるアイドルはクマを参考にした方がいいよ。

    鬼は姿を見せないから魅力的だ。魅力的の魅は鬼が未だ現れてない状況を表すってほんとそうだよ。アイドルは下界に降りて来ないで欲しい。神秘性が薄れる。

    『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書 新赤版 2059)』 増田隆一 #ブクログ #読書 #KindleUnlimited
    https://booklog.jp/item/1/4004320593

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    日本人にとってクマは出来るだけ遠ざけて生きていきたいとされつつも、精神的、文化的には強く影響を与えてるみたいな嫌われてるのか好かれてるのか分からないアンビバレンスさが面白かった。今の所マイベストクマ本。

    『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書 新赤版 2059)』 増田隆一 #ブクログ #読書KindleUnlimited
    https://booklog.jp/item/1/4004320593

    増田 隆一
    (ますだ りゅういち、1960年 - )は、日本の動物学者。北海道大学大学院理学研究院自然史科学部門教授。1960年、岐阜県関市生まれ (日本科学未来館 2006)。1989年北海道大学大学院理学研究科博士課程修了(理学博士)、学位論文の題は「Genetic, cytogenetic, and biochemical studies of LEC strain rats associated with spontaneous development of hepatitis and hepatocellular carcinoma(肝炎および肝細胞癌を自然発生するLEC系ラットの遺伝学的、細胞遺伝学的ならびに生化学的研究) 」[1]。 1989年~1991年アメリカ国立がん研究所研究員、1991年~2001年北海道大学助手、2001年から北海道大学助教授、のち北海道大学大学院理学研究院自然史科学部門教授(担当科目:多様性生物学I・II、基礎生物学実習、系統進化学、動物系統分類学実習、生物科学研究実習)(北海道大学 2013)。著書として2005年に「動物地理の自然史」(増田隆一 & 阿部永 2005)、2006年に「ヒグマ学入門」(天野哲也, 増田隆一 & 間野勉 2006)、2013年に「生物学」(高畑雅一, 増田隆一 & 北田一博 2013)がある。1997年 - 1998年日本動物学会北海道支部委員、1994年 - 1996年日本哺乳類学会種名・標本検討委員、Mammal Study編集長、1996年国際自然保護連合(IUCN) 国際ネコ科専門委員(Cat Specialtist Group Member)。

    「また、ヒグマの尾は短く、成獣の体サイズはヒトより大きいが、全般的な形態はヒトに近い。私は、有害獣駆除で捕獲されたヒグマの解体作業現場に立ち会ったことがある。その際、毛皮を剝がされ、白い皮下脂肪に覆われたヒグマの全身の姿は、遠くから見たらヒトと見間ちがえられるのではないか、と思われたほどである。「ヒグマは毛皮を着たヒトである」という古来の考え方もあるが、その所以はわかるような気がする。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著


    「ヒグマが広大な分布域を獲得した要因として、主に以下の三つをあげることができる。 ①大きな体サイズをもち獰猛であること、 ②食性が雑食性であること、 ③冬眠すること。  まず、大きな体サイズをもち獰猛であるヒグマにはほとんど天敵はいない。頻度は高くないが、大型ネコ科のトラがヒグマを襲った例が報告されている(ブロムレイ 1972)。一方、ヒグマの幼獣は、大型ネコ科に加え、キツネ、オオカミなどの食肉類やワシ・タカ類の猛禽類の獲物になる可能性はあるが、母グマに守られているため捕食される頻度は低いと考えられる。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「クマとサケの関係は、何千年、何万年をかけて形成されてきたものであるが、ダムの設置による河川生態系の人為的改変、および孵化放流事業による河川下流部でのサケの捕獲による影響などが懸念されている(小泉 2020)。現代のヒグマの食性  第 2章で詳述するが、ヒグマは草食性に傾いた雑食性である。また、現在の北海道では、人間活動の影響を受け、主に草本を食す草食獣エゾシカが急増しており、生息域での餌資源について、ヒグマとの競合が起きている。エゾシカの個体数が増加すると、ヒグマは植物を十分食べられなくなるという問題が生じている。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「クマ類の一般的な行動の特徴として、オスの広域性かつメスの狭域性が見られる。別の言葉でいうなら、メス定住性・オス移動性の繁殖パターンである。現在は変わりつつあるが、従来の日本社会では、男性定住性・女性移動性の婚姻形式の傾向が見られた。婚姻形式に関して、クマ社会と従来の日本人社会では逆の傾向であったといえるかもしれない。  なぜ、メスグマの行動圏が狭いのか?  エネルギーの経済から考えると、妊娠や子育てに時間と労力を要するメスは、あまり移動しない方がエネルギー効率がよい。また、前述したように、体形の性的二型も移動に関連していると思われるが、小型のメスは体の生命維持のためにエネルギーの負担を少なくできる(つまり、摂取する餌資源量を少なくすることができる)。オスは、移動や体形の維持にエネルギーが多くかかることになるが、その分、広範囲でメスと出会う機会が増えるので、繁殖の面からメリットがあるのだろう。いずれにしても、エネルギーの経済面から考えると、行動圏の性差もトレードオフの関係の上に成り立っているように思われる。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    増田隆一『ヒトとヒグマ』#読了
    北海道旅行で見たヒグマに心を奪われ、手に取った。ヒグマの生態やヒグマを中心とした文化論、ヒグマに対する儀式など、初めて知る情報ばかりで心が躍った。特に、道内のヒグマのルーツが生息地ごとに異なることにびっくりした。
    もっとヒグマについて知りたくなった。

    ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで

    増田隆一/岩波書店
    新書 220ページ

    生態系の頂点に立ち、近づきがたい野生動物ヒグマ。ヒトはいつどのような進化をたどってユーラシア大陸でヒグマと出会い、なぜ文化的に共存することになったのか? ヒグマの動物学的・生態学的な特徴から説き起こし、時代と地域を超えた進化上の展開を追い、クマ送り儀礼に見る人間と自然との豊饒な文化の意味にまで迫る。

    bokenbooks.com/items/102233731

    『ヒトとヒグマ』を読んでるんだが、興味持ってヒグマを解体してる写真検索してる。
    マジで体型とか毛皮を剥がした姿が人間そっくりでゾワゾワ感ある。

    「ヒグマが含まれるクマ科は分類学的に食肉目(一般的に食肉類)に位置づけられている。他の食肉類であるネコ科、イヌ科、イタチ科に比べ、クマ科の食性は雑食性が強い。ただし、ホッキョクグマは海獣類を餌資源にしており、ほぼ肉食性である。  北海道の民芸品として、木彫りのクマが有名であるが、しばしばサケを咥えている姿のものを見かける。確かに、知床半島などの北海道沿岸域に生息するヒグマは、夏から秋にかけて河川を大群で遡上してくるサケ・マス類を川の浅瀬のなかへ入って捕食し、その姿がよく知られているので、木彫りでそれが再現されているのであろう。ヒグマは、アリ、ハチ、セミの幼虫などの昆虫も好んで食べる。また、最近では、生きたエゾシカを襲ったり、交通事故などで死亡したシカ、冬季に死亡した仔ジカを食べることも知られている。このような餌資源の構成を見れば、ヒグマが食肉類であることもうなずける。第 1章で述べたように、北海道では、個体数が急増しているエゾシカをヒグマが捕食したり、狩猟後に放置されたエゾシカの死体を食べた経験のあるヒグマが、ウシなどの家畜を襲うことにつながることも懸念されている。これは、元来の食肉類の特徴である肉食性への復帰であるともいわれる。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「このようなヒグマの雑食性は、ヒトの食性と共通する面がある。このことはヒトがヒグマに精神的な親近感をもつ要因の一つになっていると考えられる。  食性を反映する身体的特徴として、歯の形態があげられる。ヒグマの歯の特徴として、犬歯が鋭く発達する一方、後臼歯の咬合面(上顎と下顎の歯がかみ合う面)が平たく大型化している。このように、ヒグマの歯は肉食性と草食性の両面を備えていることがうかがえる。おそらく、進化の過程で、いったん肉食性を獲得した後に、草食性にも適応したのではないかと思われる。雑食性であるヒトの後臼歯の咬合面も平たい特徴が見られる。クマ科のジャイアントパンダは主にタケやササを食し、食性は大きく草食性に傾いているため、その後臼歯はさらに発達し大型化している。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    動物地理学者の増田隆一さんによれば、人間にとってヒグマは自然と結びついた崇高な存在であり「物理的には遠くにいてほしい反面、精神的には心の深くに入り込んでいる」

    『日本経済新聞』10/31の「春秋」で、増田隆一『ヒトとヒグマ―—狩猟からクマ送り儀礼まで』(iwnm.jp/432059)が紹介

    「一方で、生態ピラミッドにおける元来の姿を顧みることも必要ではないだろうか。ヒトとヒグマが共存する生態ピラミッドが成り立てば、生態系、ひいてはヒトの生活環境を将来にわたって維持できる。ヒグマと同様に、ヒトも自然生態系の構成員である(あった)ことを認識し、両者が共存できるような、人間社会と生態系の相互依存の関係を創出することが必要である。これが、将来あるべきヒトの生き方につながるのではないか。この課題を考えることは、第 3章以降で述べる異なる文化の共存への道へとつながるものである。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「北海道では、増加したエゾシカの交通事故死体やハンターによって放置されたエゾシカの死体の一部がヒグマの餌となっていることは前述した。そのようなシカ肉は、ヒグマにとって手っ取り早く食べることができる餌資源となる。そのため、雑食性であったヒグマに、肉食性を呼び覚ます結果となっていると考えられている。  「オソ 18」と呼ばれたヒグマが、北海道東部(道東)で約四年間のうちに放牧中のウシ六十六頭を襲ったことで全国的なニュースになった。呼び名のオソとは、最初、二〇一九年七月にウシが襲われた牧場の所在地(釧路管内標茶町オソツベツ)、そして、 18は現場に残されていたヒグマの前足の足跡の幅が一八センチだったことに由来する。その後、二〇二三年七月に有害獣駆除された個体について体毛の D N A分析が行われ、オソ 18と一致したと報告された(内山 2023)。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「二〇二四年に北海道がホームページで発表している統計によると、直近の十年間(二〇一四年度から二〇二三年度)の人身事故は三十七件あり、そのうち九名の死者が出ている。二〇二三年度だけを見ると、六件の人身事故があり、二名の死者、七名の負傷者があったと報告されている。さらに、後述するように、ヒグマは札幌の市街地にも出没し、ヒトに傷害を負わせる事態も生じている。  過去の重大な人身事故については、当時の新聞記事などに基づき、中山茂大著『神々の復讐』にまとめられている。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「ヒグマとはどんな生き物か、そしてどんな特徴をもっているかを知ることは、ヒトとヒグマとの摩擦をなくすためにまず必要なことである。そのために、本書では、ここまでヒグマの生物学や現代社会との関係について語ってきた。  また、北海道は、ヒグマの事故を防ぐため、様々な取り組みを行っている。そのなかで、子どもから大人まで幅広く正しいヒグマの生態や対処方法について知ってもらうために、二〇二三年十一月から、クイズで学べる「ヒグマ検定」がホームページで公開されており、パソコンやスマートフォンでアクセスできる(北海道環境生活部自然環境局 2023)。この検定は「ここだけは!編」、「入門編」、「一般編」、「上級編」の四編、全九十問のクイズで構成され、気軽に取り組めるようになっている。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「 「正しくヒグマの知識を身につけ、正しく恐れる」ことが大切であり、ヒグマ検定はそのきっかけになることが期待されている。みなさんにも一度、挑戦してみることをお勧めする。  ここまでは、ヒグマの生物学およびヒトとの摩擦について述べてきた。  ヒグマは、ヒトとある程度の物理的距離を置くべき存在であると認識されたことと思う。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「現在、ヒグマは、ユーラシアと北米を含む北半球の亜寒帯に広く分布しており、哺乳類のなかで最も広い分布域をもつ一種である。その理由は、第 1章と第 2章で見てきたように、主に、ヒグマに備わった自然環境への高い適応力に起因していると考えられる。  ところで、ヒグマが進化した起源地、つまりかれらの故郷はどこだろうか?    現時点では、それに対する明確な答えはないが、ヒグマの最も古い化石が中国の約五十万年前(更新世中期)の堆積物から発見されている(クルテン 2015)ので、その故郷はユーラシア内陸部である可能性が高い。  また、北米のヒグマ化石の年代は、ユーラシアのものよりも新しいため、ヒグマはユーラシア大陸から最終氷期のベーリンジア(氷期にベーリング海峡に存在した陸橋)を経て北米大陸へ渡ったものと考えられている。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「ここで、ホモ・サピエンスとヒグマとの関係についての議論に入っていきたい。  両者はともに絶滅しないで、現代に生きる種である。これまでに登場したネアンデルタール人とホラアナグマはともに絶滅種。これら四者は、進化の時間のなかで、互いに出会っていたと考えられる。  しかし、生物学的特徴の違いや絶滅の経緯があるため、精神文化に関わるクマ送り儀礼への道筋を考えると、四者の関係はそれほど単純ではない(図 3-3)。ただ、現在、はっきりいえることは、ホモ・サピエンスは、ヒグマという動物を対象として、狩猟からクマ送り儀礼を発展させたことである。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「第 2章で見てきたように、ヒグマはヒトにとって、危害を加える恐ろしい動物でもある。現代では、ヒグマとは十分な物理的距離をとりたいと誰しもが思っている一方、進化・歴史上は、両者の偶然的出会いがヒグマの文化を生み出し、精神的距離が極めて接近したことを述べた。  この二面性の間にあるギャップが大きければ大きいほど、ヒグマに対する神秘性が増し、ヒトが感じる文化的な感情の深みは増大するのではなかろうか。北半球の精神文化のなかで生き続けるヒグマについては、次の第 4章で詳述する。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「第 1章で紹介したように、ヒグマは北方系であるのに対し、ツキノワグマ(アジアクロクマ)は南方系で、極東の沿海地方とヒマラヤの一部が共存地帯となっている(参照図 1-2)。特に、チベット周辺のヒグマはずんぐりむっくりした体形、比較的長い体毛、首の周囲をぐるりと囲む月輪を有し、亜種 Ursus arctos pruinosusに分類されている。中国語ではチベットヒグマを「馬熊」と記す。一般的には、ヒグマは「棕熊」、ツキノワグマは「黒熊」または「狗熊」と表記される。両種が分布するチベット周辺では、次のように区別されて呼称されている。  チベット・ビルマ語派の言語が話される地域では、北部に生息するヒグマは「テット」(チベット文字の転写表記では dred)、南部に分布するツキノワグマは「トム」(チベット文字の転写表記では dom)などと呼ばれ、クマ二種の呼び名の分布と生息地の分布がほぼ一致している( Ebihara et al. 2022; Tourmadre & Suzuki 2023)。また、両種の呼び名が重なる地域は、両種が共存する地域にほぼ相当するので、呼び名の分布と生息地の分布域との対応を地理的に詳細に検討することは、言語地理学と動物地理学の接点として興味深い課題である。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「人々にとって、ヒグマは亜寒帯の季節変化と同調しながら、自然の神秘性を象徴する動物ととらえられてきた。野生動物のなかでこのように認識された動物は他にはいないであろう。  一方で、古来より、ヒグマは北方民族の間で狩猟対象となってきたことも事実である。大型獣のヒグマからは、豊富な肉や脂肪、有用な毛皮、そして、薬用としての胆のうを得ることができる。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「アイヌ文化においては、ヒグマがカムイ(神)の世界から、動物の姿を借りてこの世に現れたものであると考えられてきた。  特に、ヒグマは山の神「キムンカムイ」として高い地位にあり、それを捕獲して食すに際して、そのカムイに礼を述べ、ヒグマの再来を願いながら、丁重に山々(天上界)に送り返すクマ送り儀礼が行われてきたのである。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「アイヌ文化においては、ヒグマがカムイ(神)の世界から、動物の姿を借りてこの世に現れたものであると考えられてきた。  特に、ヒグマは山の神「キムンカムイ」として高い地位にあり、それを捕獲して食すに際して、そのカムイに礼を述べ、ヒグマの再来を願いながら、丁重に山々(天上界)に送り返すクマ送り儀礼が行われてきたのである。  ヒグマが自然の神の世界からやってきた神の化身であるという考え方は、ユーラシア北部の先住民の間でも広く共通するものである。ヒグマは自然と結びついた崇高なもので、畏怖の念をもって認識されている。  よって、ヒグマを送る儀礼では、ヒトから見れば、ヒグマは人間界(地上界)で生きた後、死して元来のカムイ界(天上界)に戻るのである(宇田川 1989)。ヒグマに対する畏敬の念と狩猟することの間の矛盾や葛藤を和らげるために、クマ送り儀礼が発達したのではないかと、天野( 2020)は述べている。そして、再び、ヒグマとして戻ってくる再生・復活の概念にもつながっている。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「従来の文化人類学および考古学の研究により、北ユーラシアおよび北米の先住民において、ヒグマを対象としたクマ送り儀礼が広く行われていたことが知られている。特に、人類学者 Hallowell( 1926)が発表した英文論文(ハロウェル著「北半球におけるクマ送り儀礼」)は一七六ページにわたるもので、クマ送り儀礼の研究者にとって古典的文献となっている。その論文のなかで、北米とユーラシアの多くの民族に共通してクマ送り儀礼が行われていることが指摘されている。  第 3章で述べたように、ヒトが有史以前にヒグマと出会った当初は、ヒグマは他の大型動物と同様に、単に狩猟の対象と見なされていたであろう。しかし、ヒトが北半球の亜寒帯において移動しながらヒグマを狩猟する過程で、その動物としての生態的特徴、自然環境との関わり合いを認識することにより、ヒグマがヒトの心のなかに精神的存在としてニッチを得ていく。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「そして、ヒトは、ヒグマに対して単なる狩猟の対象ととらえることに終わらず、精神的に深く接近し、儀礼の対象にするようになったのではないかと考えられる。  これは、ある日突然、ヒグマが自然の神(精霊)の化身と認識され始めたというよりは、ヒトとの間で徐々に精神的な距離が近くなったのではなかろうか。つまり、ヒグマについて狩猟対象と儀礼(儀式といってもよい)の対象という見方に明確な境界があるのではなく、緩やかな連続性をもっていたものと推察される。  その過程を通して、ヒトは、ヒグマの神秘性の中に畏敬の念を感じるようになった。宗教学者ルドルフ・オットー著『聖なるもの』において、神となるものには、畏怖の念、力、神秘性があると述べられている(参照河合 2009)。  まさに、ヒグマはそれらの三要素を兼ね備えた存在であり、ヒグマが自然の精霊の化身、または神からのメッセンジャーととらえられる所以がそこにあるのだろう。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「アイヌ語には、ヒグマの雌雄を区別した呼び名があること、さらに、年齢に基づいた仔グマの呼び名もあることが報告されている。  北海道とサハリンでは、地域によって方言があるが、オスグマには「シユク、ピーネイソ、ピンネカムイ、ピーネヘ」、メスグマには「クチャン、クチャンユク、マッネカムイ」などの呼称がある。  また、仔グマは、一歳をヘペレ、二歳をリヤプ、三歳をシスラプと呼んで区別されている。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「ここに述べてきた遺伝学と考古学の学際研究により、当初、予想しなかった成果が得られ、以下のことが考察された。  まず一つめは、オホーツク文化期からすでにクマを使った儀礼が行われ、人々の絆を強める機能を果たした可能性があることである。  二つめは、オホーツク文化圏内だけにとどまらず、北のオホーツク文化と南の続縄文・擦文文化という異文化間に仔グマに関する共通の価値観が見出され、異文化間の絆を強めるという交流が行われたことである。  三つめは、本章の図 4-6に示した現代の先住民による飼育型クマ送り儀礼においても、民族間で仔グマの授受が行われ、その絆を強める役割を果たしてきたのではないかというものである。仔グマに関する共通の価値観は、古代のオホーツク文化と続縄文文化の間だけではなく、極東の現代の諸民族の間に広く普及していた可能性がある。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「そこで、私は、クマと夢の関係をさらに知りたいと考え、ユング心理学について学ぶこととした。  ユングは多くの著書を出版しており、『自我と無意識』は著名なものの一つである。さらに、私は、ユング心理学を日本に紹介した臨床心理学者・河合隼雄の多数の著書にも出会った。本節では、河合とユングの心理学に基づいて、クマと夢の関係を考えていきたい。  河合は著書『無意識の構造』において、古代人にとって夢は神の声に等しいものであった、と述べている。つまり、前節 1で紹介した神話や民話は、最初は人々の夢で感覚されたものだったということになる。  個人的に見たクマの夢の記憶は、まずは近いところにいる家族や親族の間に伝えられる。その話が口承により集落周辺の人々に広まり、さらには、民族の口承伝承となり、人々の文化的記憶となったと考えられる。このように、夢は単に個人のものではなく、人々と世代をまたぐ文化として発展することもあるのだ。  では、ヒトはなぜ、クマの夢を見るのだろうか?」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「西洋の人々からすると、東洋の人々の物事のとらえ方は曖昧に見えるという。  その大きな円は小さな円を包み込んでおり、それがヒトの心であると理解される。  さらに、無意識は、意識に近いところにある個人的無意識の層、さらにその奥底にある普遍的無意識の層に分けられるという。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「このように、心のとらえ方の学問である心理学は、概念的・哲学的な考え方が多くを占めているため、実証主義の生物学を専攻してきた私にとって、当初、ユング心理学とは接点がなく、理解するのが困難であるように思われた。  しかし、ヒトとヒグマの夢の関係を考えていくうちに、ヒグマの存在の精神性を理解しようとするうえで、ユング心理学が私に新しい見方を示してくれることとなった。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「また、中南米には、中型ネコ科のジャガランディのほか、オセロットを代表とする小型ヤマネコ類七種が分布するが、その体サイズはイエネコと同じくらいか、またはもう少し大型である。  中南米の先住民の間では、山々の神への信仰が発達した。そこでは、右記のジャガーやピューマに加え、大型の猛禽類であるハヤブサやコンドルが神の使いとして考えられてきた。  ユング心理学に基づいて考えると、中南米ではヒグマがいないため、ジャガーやピューマが元型に優位に投影された原始心像となったのではないかともいえよう。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「毎年、送り盆を行って河原から帰宅する時には、「どうして鬼はいないの?」と祖母に尋ねるのだが、祖母は「朝暗いうちに鬼は来ているけれど、日が昇って明るくなるとどこかへ行ってしまう。来年のお盆にはもっと早起きしてまた来ようね」といっていたことを思い出す。  もちろん、この世で鬼は姿を見せないであろう。鬼を見ることは怖いけれども、子どもにとってそれは魅力的で心躍る冒険なのだ。なるほど、魅力の「魅」という文字は、「鬼は未だ」と書くではないか。姿を見せない鬼とは、前述したユング心理学でいうところの「元型」に相当するのかもしれない。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「ヒグマに対するヒトの意識の変遷を考えていく過程で私が感銘を受けたことは、第 4章と第 5章で述べたように、ヒグマは天上界(カムイ界)から地上界(人間界)へ送られた使者であり、その持ち主は自然の精霊または森の精霊であるという考え方である。つまり、ヒグマは、天上界と地上界を結ぶメッセンジャー(伝言者)としてとらえられたのだ。このような考え方が、ユーラシアと北米の先住民に共通して発展したということは極めて興味深く、心に留めておくべきことである。  さらに、ヒトの心の構造を考えた場合、ユング心理学では、意識(地上界)と無意識(天上界)の間は、睡眠中の夢を介して往来できると考える。無意識の中心にある元型や自己は明確には認識できないものだ。同様に、クマ送り儀礼で想定される天上界に住む精霊の存在も明確に把握することはできない。儀礼を通してヒグマが往来する世界は、ヒトの心と対称的であるといえる。クマ送り儀礼の世界を探求することは、まさに、ヒトの心の構造を探求することにつながるのだ。  ヒグマが二つの世界を往来するという考え方がもたらされた要因として、夏と冬の間の自然景観がまったく異なるという二面性をもつ亜寒帯気候のなかで、偶然か必然か、ヒトとヒグマがともに関わりながら生きてきたことによることが大きい。特に、大型動物であるヒグマが地上から姿を消す冬眠は、古代の人々にヒグマに対する神秘性を増長させたのであろう。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「さらに、長い年月において、ヒトがヒグマと対峙するなか、「近づきがたい感覚」と精神的には「親しみがわく親近感」という相対する感覚が共存している。  成獣になると獰猛で危険な動物である一方、幼獣はぬいぐるみのようにかわいらしい。このようなヒグマに対する感情の二面性というか感覚のギャップが、さらにヒグマがヒトの心の奥底に眠る無意識を刺激し、特別な動物と意識されるようになったといえるだろう(図終-1)。この図は私が主観的に描いたものであるが、動物のなかでヒグマのような特異的な位置にあるものはいない。つまり、ヒトから見れば、ヒグマは物理的には遠くにいてほしい反面、精神的には心の深くに入り込んでいる存在なのだ。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「 一方で、これまで何度も述べてきたように、北半球の亜寒帯という自然環境のなかで生活する人々は、物理的にはるか遠く離れていても、ヒグマが生息する社会―生態システムで生活してきたため、クマ送り儀礼を収束的に発達させることができた。または、ユーラシアから北米への移動の期間も社会的記憶として、クマ送り儀礼の挙行を維持・伝承したのかもしれない。いずれにしても、クマ送り儀礼は生得的なものではない。しかし、第 5章で述べたように、ヒグマに対する感受性は、心理学や脳科学から考えても、元来、人間の無意識の奥底に秘められたものと思われる。  さらに、文化に関するもう一つの特徴は、世代間の伝達過程において変化することである。この変化は、発展型・複雑型になる場合が多いが、退化的に進むこともありうる。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「海外の地名には、ヒグマに関連するものがある。  ヘルシンキ市内を走る路面電車の駅名には、「クマ公園 Karhupuisto( Björnparken)」がある。前者がフィンランド語の表記で、 karhuはクマ、 puistoは公園を意味する。カッコ内はスウェーデン語で、 björnはクマ、 parkenは公園である。二つの地名が併記される理由は、両語がフィンランドの公用語であるからだ。  また、スイスの首都ベルンの語源はドイツ語のクマを意味し、市の紋章にはクマが描かれている。  人名においても、アーサー(英国)、ウルス、ビョルン(北欧)、メドベージェ(ロシア)はクマを意味する。  このように、ヨーロッパ社会ではヒグマの呼び名が様々なところで見られ、その語源をたどると、やはりその力強さに起因しているようである。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「さらに、ヨーロッパにおけるヒトとクマの歴史的・文化的関係について、もう少しだけ述べておきたい。文献や海外の共同研究者からの聞き取りによって、私自身も情報を報告してきた(増田 2022)。  まず時代をさかのぼると、文化といえるかどうかわからないが、ローマ時代、クマどうしや剣闘士とクマを戦わせる闘技会が行われていたという歴史がある(ブルンナー 2010)。イタリア・ローマのコロッセウムにおいても闘技会が行われ、地下にはクマを含む大型獣の集団飼育場跡がある(前田 2020)。  一方、東欧のブルガリアやルーマニアでは、ウルサリと呼ばれるクマ使いがヒグマを飼い慣らし、街頭でクマに踊り(ベアダンス)をさせる大道芸が行われていた。ブルガリアでは、動物愛護の観点から現在では行われていないという(シャブウオフスキ 2021)。  クマの大道芸は、東欧に加え、ロシア、中東、南アジアにおいても行われてきた。第 5章において、近世のスペイン支配期以降の南米では、ヨーロッパからクマ使いが船舶で渡ってきたと述べたが、このような背景があったのである。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「東欧のクラシック音楽のなかにもヒグマが登場する(赤羽 2020)。これは、前述したクマの大道芸とも関係するものである。  まず、ハンガリーの作曲家ベーラ・バルトークの組曲「ハンガリーの風景」(一九三一年)では、ハンガリー各地で収集された民謡に基づき、ハンガリーの様々な風景を想像させるピアノ曲が管弦楽に編曲されている。その構成のなかの第二曲「熊踊り」では、クマ使いに連れられたクマが踊っているような足音や動きを真似て、種々の管楽器の低音が響く。  次に、ロシアの作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」(一九一一年)にもクマの踊りが登場する。この物語は、わら人形の主人公が命を吹き込まれ、人間の感情を抱くというストーリーである。このバレエは四部構成で、最後の一場面に「熊を連れた農夫の踊り」がある。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著


    「 ヨーロッパ各地では、現在でもクマに関連した仮装パレードのような祭りが行われる。その由来はヨーロッパで広まったキリスト教の謝肉祭と考えられている。  東欧ルーマニアでは正月に、人々が本物のヒグマの毛皮をまとい、街を練り歩くという。すでに述べたように、ルーマニアではクマ使いによるベアダンスが盛んであったので、それと関連しているのかもしれない。私は新聞記事やウェブサイトでこのクマ祭りを知ったのだが、いつか、このクマの祭りを実見したいと考えている。  このような仮装パレードは東欧のチェコやハンガリー、西欧・南欧のドイツ、フランス、ベルギー、スペイン、イタリアなどでも行われているという(赤羽 2020)。  共同研究のため、何度も訪れたブルガリアにおいても、毛皮でできた仮面や着ぐるみをまとった人々が街を練り歩く、「クケリ」と呼ぶパレードが早春に行われる。その起源は、当地のトラキア文化およびヒグマの神秘性に関係しているという考え方もある(増田 2022)。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「ヒグマ文化論の最後の項目として、ヒグマ文化がもつ魅惑的力について考える。  世界には様々な民族による文化があるが、重要なことは、その間で優劣関係はないということだ。さらに、それぞれの文化にはそれぞれの地域において、人間(社会)と周囲を取り巻く自然(生態)の固有のシステムが長い年月をかけて形成されていることを知ることが大切である。つまり、文化とはそこに住む人々にとってかけがえのない遺産であり、人類全体にとっても貴重なものなのだ。  私の専攻分野は動物地理学であるため、これまで海外で現地の共同研究者とともに、動物の生息地に入って調査することが多かった。そこで種々の文化に触れることがあった。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「たとえば、中央アジアのシルクロードでは、広大な砂漠に囲まれたオアシスのウイグル族の村を訪問したことがある。日本から来たことが先方に伝えられると、突然の訪問にもかかわらずいつも歓迎を受けた。農村の住居は土塀でできていることが多いが、内部は美しい民族織物で飾り立てられている。そして、日本では味わえない中央アジアの美味しい料理を振るまわれることとなる。そこには、民族独自の言葉があり、衣装もある。また、会話の話題も、日本の社会のことに及んだり、現地での日常の生活や仕事のことであり、私たちが日本の社会で生活しているときとほとんど同じなのだ(もちろん共同研究者により通訳された英語で聞くのであるが)。周囲は乾燥気候で日中の日差しが強いが、家の周囲の庭を眺めると、手入れされたブドウ棚があり、木陰が涼しく心地よい。他の文化と比べてもまったく遜色はなく、いにしえの時代から育まれた文化があり、見ず知らずの旅人を厚くもてなすことが習慣なのだ。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「 他者の文化を知ることは、異文化を理解すること、さらには自文化を知ることにつながる。  第 4章で紹介したように、クマ送り儀礼は、集団内の結束を強めるはたらきをもっている。さらに、オホーツク文化期の礼文島香深井 A遺跡から出土した、ヒグマ頭骨のミトコンドリア D N A分析により、オホーツク人と道南の続縄文人(または擦文人)の間で、仔グマの移動があったことが明らかになった。これは仔グマを通した文化交流がなされていたことを示している。当時、すでに互いの集団が、異なる文化によって成り立っていることを認識しつつも、仔グマに共通の価値観を見出し、仔グマを使ったヒグマ文化により集団間の絆を強めようとした証拠である。まさに、異文化を知り、自文化を知る、である。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

    「さて、ここで一つ不思議な現象がある。  それは、私はこれまで、人一倍、ヒグマに関する研究に対して体力、時間、精神を費やしてきたつもりであるにもかかわらず、なぜかクマの夢をついぞ一度も見たことがないことである。または、クマに出会う夢を見たとしても、朝に目覚めた時には、意識のなかからすでにその記憶が消え去っているのであろうか?  修行が足りず未熟であるがために、私にはシャーマンになる資格がまだまだないということなのであろうか?  本書でも述べたように、北米先住民の間では、シャーマンや「クマの夢を見たもの同士の結社メンバー」になるための必要条件は、クマの夢を見ることであり、それを望む者は、寝る前には身近なところにクマの夢を見るためのおまじない品を供えていたという。  ならば、私は本書をおまじない品として枕元に置いて、夢のなかでヒグマと出会うのを地道に待つことにしよう。実際の山林のなかではなく、無意識と意識の狭間でならば、私にはいつでもヒグマに出会う準備はできている。どうか夢がかなうとよいのだが……。  本書で述べてきたように、進化・歴史上、ヒトとヒグマとの出会いが、ヒトの世界に様々な精神活動を生み出してきた。一方で、ヒグマ学の師でもある北海道大学の天野哲也先生との出会い、そして、その後の彼との活発な議論は、私に動物学以外の興味深い研究分野にも目を向けさせていただく機会となった。同研究室の小野裕子先生にもお世話になった。ここに深く御礼申し上げる。」

    —『ヒトとヒグマ 狩猟からクマ送り儀礼まで (岩波新書)』増田 隆一著

  • Amazonオーディブルで聴いた。

  • ヒグマはヨーロッパ、ユーラシア、北米に分布しています。
    その中、北海道に分布しているヒグマが単位面積あたりの棲息数が一番多いということです。
    ヒグマは大型の哺乳類で人間のように立って歩くこともできて、肉も植物も食べる雑食性ということで、人間に似ています。
    このような特徴がヒトとヒグマは精神的な結びつきは近く、物理的な距離は遠いという独特な関係性になったということです。
    クマ送りという儀式は狩猟でとったヒグマを神様に捧げるというような儀式ですが、日本以外にもにたような儀式があるそうです。
    ただ、子熊を飼育して、それを神様に捧げるという飼育型のクマ送りはアイヌの人たちだけがするそうです。
    ヒグマは冬眠をするのですが、これが死と再生を連想させて、ヒトにとってヒグマが独特な生き物であるようになった一因とのことです。
    ヒグマとヒトが精神的に距離が近い、という本書を読んで、昔観たディズニーのブラザーベアというアニメ映画を思い出しました。うろ覚えですが、アメリカ原住民の子どもがクマになった、というお話だったと思います。
    この本は文化的な話も理学的な話もあって面白かったです。

  • 第1章 ヒグマとはどんな動物か
     1 ヒグマは陸生の大型食肉類
     2 どこに分布しているのか
     3 どんな生活をしているのか
     4 ヒグマにはどんな仲間がいるのか

    第2章 ヒグマは生態系でどんな役割を果たしているのか
     1 森林生態系の頂点に立つヒグマ
     2 海と森の間の物質循環を仲介するヒグマ
     3 森を広げるヒグマ
     4 生態ピラミッドでの位置づけ
     5 ヒグマと人間社会

    第3章 ヒグマはどのようにしてヒトと出会ったのか
     1 ヒグマはどのようにして分布を広げたのか
     2 ネアンデルタール人はヒグマと出会っていたのか
     3 ホモ・サピエンスとヒグマとの出会い
     4 北方民族文化のなかで生き続けるヒグマ
     5 言語地理学とヒグマ

    第4章 狩猟からクマ送り儀礼へ
     1 ヒグマの冬眠と春の覚醒は死と再生を象徴する
     2 カムイ界と人間界を結ぶヒグマ
     3 クマ送り儀礼の起源と発達
     4 二つのクマ送り儀礼ーー狩猟型と仔グマ飼育型
     5 狩猟型クマ送り儀礼の範囲と文化圏
     6 飼育型クマ送り儀礼はなぜ極東で発達したのか
     7 仔グマに対する価値観の共有が人々の絆を強める

    第5章 ヒグマの夢は何を意味するのか
     1 口承文芸のなかのヒグマ
     2 夢のなかのヒグマは何を意味するのか
     3 意識と無意識を結ぶヒグマ
     4 クマ送り儀礼は文化的に記憶されたのか
     5 精神的な感受性と寛容性とは

    終 章 ヒグマ文化論ーー人間と自然の共存を考える
     1 ヒグマに関する二つのとらえ方
     2 ヒグマへの親近感と神秘性
     3 ヒグマ文化論の展開
     4 「社会ー生態システム」を尊重するソフトパワーの必要性

  • 【電子ブックへのリンク先】
    https://kinoden.kinokuniya.co.jp/hokudai/bookdetail/p/KP00133552

    ※学外から利用する場合は、以下のアドレスからご覧ください。
    SSO-ID(教職員)又はELMS-ID(学生)でログインできます。
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  • 今一度、ヒトとヒグマの関係史を知っておかなきゃなと思って手に取ってみた。

    生物学、動物地理学、文化人類学、神経生理学、ありとあらゆる観点から、人とヒグマの関係を考察して面白かった。
    特にユングの心理学を用いた、ヒグマの生態と人間の心理構造の相同論は新鮮に感じたし、説得力があった。
    自分はヒグマに信仰的な思いを持っているわけじゃないけど、確かになんとなく神聖な感じはする。だって生態系で一番強いから。なので自分は序列的な問題でひよっているだけかもしれないが、一方、本書ではもっと筋の通った説明がなされている。冬眠をするヒグマは、覚醒=生、冬眠=死とおのずと結びつけられた。やがて生と死のシンボルと見立てられて、神聖なイメージが生まれていったという。
    いずれにせよ、「なんとなく凄い感」が、ヒグマへのユング的無意識を刺激し、信仰につながったのだろう。そして信仰は人々の結束を強めて、やがて文化を形成していく。なので、集団的な無意識にある「なんとなく凄い感」は、文化の礎の一つになっているかもしれない。

    また本書では、ハードパワー(=軍事力)とソフトパワー(=文化交流)について繰り返し述べられている。現代は目に見えてわかるハードパワーの時代で、先行きの閉塞感がただならない状況にある。
    しかし、これも一つの文化とも言えちゃうかもしれない。だって「なんとなく凄い感」があるもの。でも「なんか嫌だ」「なんか怖い」というネガティブな無意識反応の方がずっと自然だ。軍事力は人間の結束を強め、一つのれっきとした文化だ、なんて口が裂けても言いたくない。不倫は文化と言ってるようなもんだ。どっちも気持ち悪い。
    どうして気味の悪さが働くのか。その示唆となる考えも本書の中に書いてあって、噛み砕くなら、自然と人間の対称性が崩れるから、と言えよう。ヒグマが文化として成立したのは、人間がでしゃばらなかったから。ヒグマは狩るけど、その分自然を尊敬して、あくまでも対等であろうとしたから。
    軍事力の気持ち悪さは、きっと対等な関係を見いだせないからなんだろう。強さだけを追い求め、弱者を圧倒する。不平等も甚だしい態度だ。対等を重んじるソフトパワーこそ、これからの時代に求められる素養なんじゃないかな。

  • 桃山学院大学附属図書館蔵書検索OPACへ↓
    https://indus.andrew.ac.jp/opac/volume/1578981

  • 入門書、ここから参考文献を辿るべき

  • 啓光図書室の貸出状況が確認できます
    図書館OPACへ⇒https://opac.lib.setsunan.ac.jp/iwjs0021op2/BB50389002
    他校地の本の取り寄せも可能です

  • 人とヒグマの関係は長い。山に暮らす人々は畏れと敬意をもって共に生きてきた。だが都市化と人口減少で里山は荒れ、境界が曖昧になり衝突が増えている。その背景に人間社会の変化を映す。ヒグマは脅威であると同時に豊かな自然の象徴でもある。命を奪う事件は痛ましいが排除だけでは解決しない。共存の道を探ることが地域を守り未来を築く一歩となる。

  • 羅臼岳で東京の会社員が下山途中にランニングしていてクマに襲われた事件の直後である。クマに襲われるということはあまり書いてはなかった。クマと文化について、特にツキノワグマよりもヒグマの神祭りの関係が丁寧。
     北大での授業の記録である。

  • そうかもしれませんが、儀礼は一面では

  • 【配架場所、貸出状況はこちらから確認できます】
    https://libipu.iwate-pu.ac.jp/opac/volume/581090

  • ヒグマを通じて社会を作り、知っていく。翻って現代では自分を相対化して見つめることができなくなり、手当たり次第に破壊が繰り返されているのかもしれない。

  • 女子栄養大学図書館OPAC▼https://opac.eiyo.ac.jp/detail?bbid=2000075617

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著者プロフィール

1960年、岐阜県生まれ。北海道大学大学院理学研究科博士課程修了。アメリカ国立がん研究所研究員、北海道大学大学院理学研究院教授などを経て、現在、北海道大学大学院理学研究院特任教授、北海道大学名誉教授、理学博士。専門は動物地理学、分子系統進化学。研究では、野外で採取した動物の排泄物を用いた遺伝子分析を取り入れてきた。著書に『うんち学入門』(講談社ブルーバックス)、『ユーラシア動物紀行』(岩波新書)、『哺乳類の生物地理学』(東京大学出版会)、『ヒグマ学への招待』(北海道大学出版会)など多数。

「2024年 『うんこの世界』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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