海に沈んだ対馬丸 子どもたちの沖縄戦 (岩波ジュニア新書)

  • 岩波書店 (2008年6月20日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (208ページ) / ISBN・EAN: 9784005005994

AIがまとめたこの本の要点

プレミアム

みんなの感想まとめ

戦争の悲劇と人間の強さを描いた物語は、疎開のために貨物船・対馬丸に乗り込んだ子どもたちやその家族、引率教員、船員たちの壮絶な体験を通じて、戦争の残酷さと生き残ることの意味を問いかけます。沈没までの12...

感想・レビュー・書評

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  • 2019年2冊目。教室に置く用に、時々ジュニア新書を買う。中高生向けに書かれているので、とてもわかりやすいし、大枠をとらえるのに最適。
    疎開のために貨物船・対馬丸に乗り込んだ子どもたちやその家族、引率教員、そして船員たち。生き残った人々の中から、7人の方が、その壮絶な体験を語っている。
    一発目の魚雷を受けてから、対馬丸が沈没するまで12分間。事故直後どうにか助かっても、その後の漂流で亡くなったり、事故後の疎開先で空襲を受けたり、沖縄に帰ってあの激戦に巻き込まれたり…戦争に翻弄される人々。
    箝口令によりその苦しみを誰にも話せず、さらには、家族や友達を亡くした悲しみも抱えながら、よくぞ頑張って生きぬいて下さった。
    戦争を知らない私は、子どもたちに戦争を教えている。
    できる限り、具体的で正しい事実を伝え、これからの日本や世界がどうあるべきか、考えさせていきたい。

  • (2014.08.06読了)(2011.11.03購入)
    副題「-子どもたちの沖縄戦-」
    2014年6月27日のニュースで、両陛下が対馬丸の犠牲者の慰霊のために沖縄県那覇市にある慰霊碑を訪れ、犠牲者の霊を慰められました、ということを知り、積読中のこの本を思いだし、この機会に読んでみることにしました。
    学童疎開の子供たちを乗せた対馬丸が、那覇から九州に向かう途中で、アメリカの潜水艦に撃沈されたのは、1944年8月22日の夜のことでした。学童780名を含む1500名以上の方が犠牲になったとのことです。(この本では、学童775名を含む1418名が運命をともにした、となっています)
    この本は、対馬丸に乗船していて、助かった七名の方の評言をもとに時系列に添って書かれています。対馬丸のこと、疎開することになった理由、乗船してからの様子、撃沈された時どうやって脱出し、漂流の末どうやって助けられたか、助けられた後どうやって過ごしたか、戦争終結後どうやって生きてきたのか、と、丁寧に取材して書いてあります。
    対馬丸は、和浦丸、暁空丸と三隻で船団を組み、護衛艦二隻が付いて行きました。撃沈されたのは、対馬丸だけでした。護衛艦は、対馬丸の乗船者を助けませんでした。残った二隻の輸送船を護衛して無事送り届けるのが仕事だったからです。
    対馬丸を脱出して、筏にたどりついた人たちは、何日の漂流した末に民間の漁船などにたすけられました。漂流している間にたくさんの人たちが力尽きて死んで行っています。助かった人たちには、箝口令が敷かれ、対馬丸の沈没は秘密とされました。
    2005年8月から、日中戦争から大東亜戦争、東京裁判、サンフランシスコ条約締結、あたりまでを、少しずつ読んで、もう百冊ぐらい読んだはずなのですが、同じぐらいの積読があります。もうこれぐらいでいいかな、と思えるぐらいなるのは、まだだいぶ先のような気がします。頑張ります。

    【目次】
    はじめに
    第一章 三等甲板員の航海
    第二章 疎開
    第三章 乗客たち
    第四章 撃沈
    第五章 漂流生活
    第六章 上陸後
    第七章 七人のその後
    おわりに
    おもな参考文献

    ●国際法(8頁)
    当時、潜水艦や飛行機で、無差別に商船を攻撃することは、国際法で禁止されていた。しかし現実の戦争を前にして、守られていた一線を越えるのは早かった。
    日本軍の真珠湾攻撃から数時間後、アメリカ海軍省は、無制限潜水艦戦の命令を出した。石油、石炭、鉄、ゴムなどを運ぶ日本の貨物船は、戦艦や航空母艦と同じ、「戦争機械の一部分」として攻撃してよい、という考え方になったのだ。
    ●海運大国(9頁)
    戦争がはじまったとき、日本は630万総トンの船を持つ世界第3位の海運大国だった。戦争が終わるまでに、沈没した日本の商戦は全部で890万総トン、2534隻にのぼる。
    ●暗号解読(10頁)
    1943年の春、沈没した日本輸送船から船舶暗号書を米国が引き上げ、暗号解読に成功すると、沈められる船の数が急増した。
    ●サイパン島陥落(14頁)
    1944年7月7日、サイパンの日本軍が全滅した。
    サイパン「玉砕」の電文を受け取った日本政府は、その日のうちに、ある方針を決めた。それは、これから戦場になる沖縄から九州へ8万人、台湾に2万人、計10万人を「疎開」させることだった。
    ●対馬丸出港(41頁)
    834人の学童を含む1661人の疎開者たち、船舶砲兵隊員41人、船員86人、合計1788人を乗せた対馬丸が那覇港を出港した。
    ●祖母の教え(51頁)
    「人を見たら悪人と思え、男を見たら獣と思え、明日は雨だと思え」
    ●いかだの上(105頁)
    彼のイカダは大人数だった。大人と子どもと兵隊といろんな人が混在していた。人数が少しずつ減っていくたびに、乗っている人は楽になり、助かる確率はあからさまに増える。イカダの上は生き残る矛盾に満ちていた。
    ●那覇空襲(134頁)
    1944年10月10日、沖縄はアメリカ軍の空襲を受け、那覇の九割が焼け、約1500名の死傷者を出した。
    ●疎開(134頁)
    1944年7月から1945年3月までに、沖縄から九州に疎開した人々は約7万人、台湾へ約2万人、このうち、学童疎開は熊本、宮崎、大分へと分かれ、その数は6111人にのぼる。1944年8月から1945年3月までに187隻の疎開船が出た。犠牲になったのは対馬丸1隻である。
    ●中国から(161頁)
    私の祖先は中国から琉球へ渡ってきた人たちなんです。代々、夫が中国へ留学に行ったり来たりしている間、女は市場で商売をし、生計をたて、子どもを育て、家を守る。中には、航海途中に台風にあって夫が亡くなってしまった人もいる。

    ☆関連図書(既読)
    「沖縄ノート」大江健三郎著、岩波新書、1970.09.21
    「沖縄のこころ」大田昌秀著、岩波新書、1972.08.21
    「米軍と農民」阿波根昌鴻著、岩波新書、1973.08.20
    「命こそ宝」阿波根昌鴻著、岩波新書、1992.10.20
    「ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」仲宗根政善著、角川文庫、1982.04.10
    「ひめゆりの沖縄戦」伊波園子著、岩波ジュニア新書、1992.06.19
    (2014年8月6日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    1944年8月、那覇から九州に向かった学童疎開船・対馬丸は米潜水艦の攻撃を受け沈没、1400名を超える犠牲者を出した。対馬丸に乗った子どもたちはいかに生き、死んでいったのか。過酷な漂流生活を体験した生存者の証言や残された記録をたどり、当時の子どもたちが対峙した戦争とは何だったのかを問う。

  • 210.7-S
    閲覧新書

  • ジュニア新書でもあるので、比較的読みやすい構成になっています。
    「悲劇」であるということを過剰に強調することなく、事件について淡々と描かれている(反戦を表立って強調していない)ことが、逆に、より事件の悲惨さを際立たせているようにも感じました。


    他の戦争体験談にも共通して言えることですが、その被害に巻き込まれて最も悲惨な体験をした(=亡くなった)方々の声は聞くことはできません。生き残った人も、「自らが生き残ってしまった」という罪悪感を抱きながら生きていかねばならず、またこの悲劇を乗り越えたのちに沖縄戦など別の戦禍の犠牲となった方もいらっしゃると思います。

    また、原爆・特攻・空襲・集団自決などの「死」に直接つながる被害だけでなく、供出や勤労動員、思想統制や疎開による生活の破壊など、数限りない辛苦が当時に日本を覆っていました。それぞれの位相で戦争の影は多大な影響がありましたし、それらに優劣(言葉が適切ではないかもしれませんが)をつけることに意味はないようにも感じます。

    夏になると、先の大戦の被害を取り扱う内容のコンテンツが増えますし、その被害の悲惨さにふれ、「戦争は悪だ」「平和が大切だ」と訴える機運が高まります。もちろん、そのこと自体はなんら批判されることではない(というか当然のこと)ですが、「このように悲惨なことを繰り返す(=戦争を再びする)ことがあってはならない!」と感情的に結論づけるだけでなく、「なぜ戦争体験を後世に継承しなければならないのか」ということもふくめて、きちんと言語化しなければならないな、と個人的な宿題して、考える今日この頃でもあります。

  • [ 内容 ]
    1944年8月、那覇から九州に向かった学童疎開船・対馬丸は米潜水艦の攻撃を受け沈没、1400名を超える犠牲者を出した。
    対馬丸に乗った子どもたちはいかに生き、死んでいったのか。
    過酷な漂流生活を体験した生存者の証言や残された記録をたどり、当時の子どもたちが対峙した戦争とは何だったのかを問う。

    [ 目次 ]
    第1章 三等甲板員の航海
    第2章 疎開
    第3章 乗客たち
    第4章 撃沈
    第5章 漂流生活
    第6章 上陸後
    第7章 七人のその後

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    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 内容要約orあらすじ
    (背表紙より)
    1994年8月、那覇から九州にむかった学童疎開船・対馬丸は米潜水艦の攻撃を受け沈没、1400名を超える犠牲者を出した。
    対馬丸に乗った子どもたちはいかに生き、死んでいったのか。過酷な漂流生活を体験した生存者の証言や残された記録をたどり、当時の子どもたちが対峙した戦争とは何だったのかを問う。

    感想
    この本を読むと、今がいかに平和かがよくわかる。
    当時の子どもたちは毎日が「生きるための戦争」だったのだと思った。
    対馬丸で生き残った子どもの心の中にも戦争はあったのだと思う。自分が知っている人はほとんど死んでしまい、自分だけが生き残ってしまった。生きているのに後ろめたさを感じてしまう・・・。
    当時子どもだった人たちにとっては、政府が口止めをしなくても対馬丸の事は話せなかったのだと思った。

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著者プロフィール

映像プロデューサー、(有)記録同人代表

「2022年 『東京大空襲・戦災資料センター図録 いのちと平和のバトンを』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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